愛鳥少女とキンヨク生活のすすめ。   作:田舎犬派

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0羽 とある日の日常

 重く苦しい雲の色は、いつだって鉛のような灰色をしているのが常だった。

 

 少なくとも、暗くなった夜道を疲れた様子で歩く倉本桜子(くらもとさくらこ)にとって、空とはそういうものであり、それが当たり前の光景だった。

 

「あー……疲れた。なんで私がサボったバイトの穴埋めまでやらないといけないのよ……」

 

 片手に買い物袋をぶら下げ愚痴を吐き出す桜子は短く切りそろえた前髪をかき上げ、疲れのせいで多少熱っぽい額に指先を這わせる。夜風にさらされていた指は思いのほか冷たく気持ち良い事に桜子は気が付いた。

 

「ん~……」

 

 つり目がちな自身の目元へと指を移動させ、疲労のたまった目を冷やす。無意識に口元から吐息が漏れ、茶色い前髪が揺れる。

 

 次に首筋に指先を持っていき、さらに冷たく心地の良い感覚を味わうが、それだけでは我慢出来なくなった桜子はぶら下げた袋の中身を歩きながらあさり始め、購入した缶ビールを手に取る。

 

 先ほどまで冷蔵コーナーに置かれていたアルコール飲料は表面に水滴を伴い、街灯の光に照らされてまるでコマーシャルで見られるような非常に魅力的な光沢を放っていた。

 

「いいね~、やっぱ買った直後のキンキンに冷えてるのが最高よね~」

 

 とは言うものの、桜子にとってアルコール飲料というのはそれほど馴染み深いというわけでは無い。成人したばかりの桜子にとってこの手の商品はある意味憧れであり、大人の仲間入りをした気分になれるだけのアイテムとしか見ていないが、それはそれ、興味はあるので彼女の手に収まっているのだ。

 

 そうして歩きながら缶ビールのプルタブに爪をひっかけたところで桜子は何かを思い出したように動きを止める。

 

「……あ、そういえば今日は……」

 

 既に夕方と言って差し支えない時間であるが周囲に人はおらず、歩きながら飲酒をしようとしている桜子を咎めるような人間は居ない。だが此処におらずとも、飲みながら帰ってきた事が知られれば彼女に冷ややかな視線を送る存在が居るのだ。

 

「仕方ない……さっさと帰って夕飯作ります、か」

 

 観念したように桜子は袋へと缶ビールを戻し、早歩きで家路を急ぐのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「さてと……確か冷凍してたバラ肉がちょっとだけ残ってたはず……後は適当に昨日の残りを……」

 

 家に帰ってきた桜子はパックのまま冷凍されていた肉をそのまま電子レンジの中に放り込み、解凍ボタンを押す。古い電子レンジは中で皿がぐるぐると回り始め、それを確認した桜子は外出用の服を着替え、ラフな格好となる。一日の疲れを落とすように大きく伸びをして脱力。少しだけ袋の中身が気になったが、アルコールの誘惑を振り切り桜子はそれらと共に買ってきた惣菜を冷蔵庫の中へと収める。

 

 溜まっていた洗濯物を洗濯機につっこみ、お風呂の掃除をした後、ようやく一息ついた桜子はリビングに置かれたノートパソコンの形をした情報端末の前に座り込んだ。お酒……ではなくお茶が注がれたタンブラーを机の上に置き、桜子は次の仕事を始める。

 

 

 桜子は去年成人を迎えた一人暮らしの女性だ。元々一人暮らしすることを希望していた桜子は両親を説得して家を飛び出し、何とか今の生活を続けていた。

 

 とはいえ、桜子はどこかの会社に勤めているという訳では無い。というより、定職になど就けない。この世界には安定した職などほぼ存在しないのだ。

 

「……おっと、テレビテレビ」

 

 端末に視線を向けながら桜子は器用にリモコンを手に取ってテレビの電源を入れる。とたんニュースキャスターの無感情な声が聞こえ、それを耳で確認した桜子は一度息を吐き出し、キーボードに触れた。

 

「ええっと、どこまで書いたっけな……? あ、コレ誤字? うーん、まだ期限まであるし、ちょっと推敲しよっかな」

 

 この世界では安定した職というのはかなり限られているわけだが、そんな職に就いていない者は桜子のようにいくつかのバイトや日雇いの仕事を受け、生活費を稼いでいる。それがこの世界の若者の普通であり、安定した職を得ている者の方が、少数派として数えられる。

 そしてそんな一般的成人女性である桜子が先ほどからパソコンの前で行っているのは、バイトの一つである短編小説の執筆作業だった。

 

 一人暮らしを始める前から行っていた小説執筆という趣味がとあるニュースサイトの運営会社の目に留まりそれから数年、ひと月に一度の頻度で自筆の作品をニュースサイトの片隅に掲載させてもらっていた。

 掲載料は微々たるものだったが、コレが中々に楽しい。言っては悪いが、所詮は数多存在するニュースサイトの、さらに片隅で空欄を埋める目的で掲載されている小説なため、ニュースサイト側も小説の反響など気にしていないらしく、小説の感想欄なども設置されておらず、執筆者である桜子のハンドルネームでさえ隅の隅に小さく表示されている程度なのだ。

 読者からの反応が分からないというのは寂しいところもあるが、その分サイトの担当者からは公序良俗を守れば好きに書いてよいと言われている。

 

 桜子にとってこの仕事はストレス解消の手段の一つであり、幾らか存在するであろう読者の事を想えば承認欲求さえ満たされる良き仕事だった

 

【──次のニュースです。先日停滞雲(ていたいうん)より発生した"降害(こうがい)"による瓦礫の撤去作業は今日の午前中に全行程が終了し、撤退作業が進められています。この作業にはオウミの都市からも救援部隊が参加し──】

 

 あまりにも静かすぎると逆に集中できない性質(タチ)である桜子は、いつもテレビを付けっぱなしにして執筆を行っている。テレビだけでなく、ネットで配信にも興味が出てきたらしく、執筆以外の時間はもっぱら作業用に聞き流せるような配信や動画を漁っている。

 

 だが、ここ最近はテレビを付けっぱなしにすることの方が多くなっている。特にニュース番組などは、今の世界を知るのに丁度よい媒体なのだ。

 

【今回の解体作業には多くの"カザヨミ"も参加し、作業は滞りなく進められたとのことです。学業とカザヨミとしての仕事を両立する彼女達にはいくつもの称賛の声が──】

 

 彼女はテレビから聞こえてきたカザヨミという言葉に作業を止め、ちらりと画面を確認する。アナウンサーが控えめな笑みを浮かべ、その横で撮影された映像が流れていく。

 

 映像には倒壊した巨大な建物と、その上を"飛ぶ"少女の姿。大きな翼を持つ少女たちはその翼を器用に使い、まるで本物の鳥のように自由に空を飛んでいる。

 人の姿に大きな翼を持った存在、それをこの世界ではカザヨミと呼ぶ。

 

 重量物をやすやすと持ち上げ、多少の怪我なら一晩で治ってしまう。その身体能力は一般人を大きく上回り、何よりその翼で空を飛ぶことができる。カザヨミはこの世界において明確な上位種なのだ。

 

 けれども、その数は圧倒的に少ない。母がカザヨミなら子もカザヨミというわけではなく、恣意的にその数を増やすことは出来ない。

 

「まだ小さいのになぁ……」

 

 誰もいない部屋で彼女はひとり呟いた。まだ何かを言いたげな様子であったが、その後に続く言葉は出てこない。

 

【──最後に、明日の"雲海"予報です。オウミ都市管理区域の明日の雲海停滞率は3.5%、今日より0.4ポイント下がり、大きな動きは見られず、明日も太陽は見られないでしょう】

 

 そのニュースに桜子は目を細める程度で、何も感じはしなかった。いつも空はうす暗く、太陽は見えない。あの眩しく暖かい日の光を。けれども彼女は残念にも思わなかった。なぜなら彼女は生まれてからこれまで、太陽の光を直接浴びたことがないからだ。"停滞雲"によって覆われたこの世界では、彼女のように眩しい太陽と青い空を見たことが無い存在など珍しくもない。

 

「あー……もうこんな時間……よし」

 

 不意に立ち上がった彼女は両手を伸ばし、ぐぐっと上体を反らせると首を鳴らし、そのまま部屋の奥へと歩いていく。

 キッチンの隅に置かれた小さめの冷蔵庫を開け、中からいくらか余っている野菜を取り出し、冷凍していた食材も、書かれている日付を確認しながら取り出していく。

「簡単に野菜炒めでいいかな……育ちざかりだしね」

 

 フライパンを取り出し、油を敷く。熱されたところで解凍したバラ肉を投入し、火が通ったら野菜を入れる。味見をして適宜塩コショウ。そしてしばらく炒めたら完成だ。不格好で、味は濃いめ、そのくせ量はかなりある。一人で食べるには多すぎるくらいだ。

 

「ん、来たわね……」

 

 完成した野菜炒めを大皿に盛り、総菜を机に並べているところでインターホンが鳴った。ガスを止め、ドアを開けると、そこにいたのは。

 

「いらっしゃい、ユナ」

 

「えへへ……おじゃまします」

 

 そこにいたのはまだ幼い少女だった。腰辺りまで伸ばした青灰色の髪は若干乱れており、頬は赤みを帯びている。息も多少荒いようで、暗褐色の瞳は濡れている。

 照れたように微笑み、促されるように少女は部屋の中へと入っていくが、ユナと呼ばれた少女の姿をジロリと横目で確認した桜子は、そのまま部屋の奥へと入っていこうとする少女の首根っこを掴み、無造作に持ち上げた。

 

「ああっ、な、なにするのクラコ!?」

 

 ユナと呼ばれた少女はいきなり持ち上げられたことに驚き不安そうに桜子へと瞳を向ける。

 

「ユナ、あなたまた飛んできたでしょ?」

 

「あ……ええと……」

 

 ユナはバツが悪そうに視線をさまよわせ、何とか桜子の睨みつけるような目から逃れようとするが、体を持ち上げられ逃げるに逃げられない。

 

「それじゃあお風呂の後……いつものね」

 

「あ、う……わかった……」

 

 ほんのりと赤かったユナの顔は、耳元で囁かれた桜子の言葉により一層赤みを増してしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「クラコ……本当に、するの?」

 

「当然でしょ? 何のために用意してると思ってるのよ」

 

 一緒に夕飯を食べ、一緒にお風呂に入ったユナと桜子は寝室に居た。部屋は薄暗く、僅かな灯で照らされているだけだ。そのことにユナは内心安堵する。真っ赤になった自身の顔と、あられもない姿をマジマジと観察される事がないのだから。

 

 桜子は寝間着に着替えベッドに腰掛けている。ベッドの上にはいくつかの道具が並べられ、可愛らしい色合いのそれらは桜子が買いそろえたものだ。ユナはその光景に息をのみ、自身の心臓が脈打つのを感じる。

 

「ほら、早く脱ぎなさい……といっても、バスタオル一枚だけど」

 

「うう……」

 

 お風呂から出た後、ユナはその体を丁寧に桜子に拭かれ、そして寝間着を着用することを止められた。弱々しく抗議するユナだったが、結局そちらの方が都合がいいからと言う桜子の言葉を覆す事ができず、ただ一人、裸にタオル一枚という何とも心もとない姿でベッドの前に立っていた。

 

「なにもじもじしてるのよ」

 

「だって……はずかしぃ……」

 

「いつもしてるじゃない。ほら、こっちに来て」

 

「うん……」

 

 唯一肌を隠していたタオルを取り払い、ユナは桜子と同じようにベッドに腰掛け桜子の顔を見上げる。背の高い桜子の瞳を覗き込むユナの潤んだ瞳は不安と期待の中で揺れ動き、そんなユナに応えるように桜子はユナの頬に手を添え、愛おしそうにその艶やかな肌の感覚を堪能し、しばらくして手は首筋から鎖骨へ、胸元を通って背中へと動いていく。

 

 ベッドの上で裸のまま桜子に両手で抱きしめられた幼いユナはこの後やって来る感覚に耐えるように目を閉じ、耳元で桜子の吐息を感じながら次の言葉を待った。

 

「……ユナ、いけそう?」

 

「うん、大丈夫」

 

「それじゃあ、ゆっくりね」

 

 桜子はユナを安心させるようにその小さな背中を手のひらでポン、ポン、と力を入れないように細心の注意を払いながら軽く叩いていく。

 時折さすってやったり、かと思えば軽くたたいてやったり、まるで赤子をあやす母親のように桜子は体を密着させながらユナを落ち着かせていく。そして、ユナが大きく息を吐き、か細い体に力を入れた瞬間。

 

「っ! ……どう、かな? クラコ」

 

「大丈夫よ、今日も綺麗にできたわねユナ。良い子」

 

「えへへ」

 

 閉め切られた寝室に強い風が吹いた。桜子の髪が靡き、部屋のカーテンをはためかせるほどだったが、ベッドの横に置かれていた道具や照明を転倒させるほどの強さはなかった。

 というより、そのような突風にならないよう桜子が注意し、ユナがそのように調整した結果だろう。

 

 風が収まった部屋の様子は先ほどと何も変わりはしない。多少風で乱れた桜子の髪以外は何も特筆すべき所は無いだろう。ユナの、その背中の大きな翼以外は。

 

「どこか痛いところは無い? また、危ない場所を飛んできたんでしょ?」

 

「んーん! クラコに注意されたから、今日は"中層"までしか飛んでないよ!」

 

「オウミの都市所属のカザヨミが何とか到達できる領域を軽々飛んでくるんじゃありません。ほら、翼をこちらに向けて。羽繕いするから」

 

「むー……。はーい」

 

 桜子へと翼を差し出したユナは、次に桜子の目と手を交互に見やり、何かを期待するように体をゆらゆらと動かしている。

 

「……ねえクラコぉ」

 

「仕方ないわね、もうくすぐったくないでしょうに」

 

「でも、この方が安心するから」

 

 桜子はユナへと片手を差し出すと、それを待っていたとばかりにユナはその手にすり寄る。自分から顔を近づけて頬にすりすりとユナの手をこすりつけ、動物のように満足そうな声を上げる。

 

 そうしてユナが大人しくなっている間に桜子はベッドに並べられた道具……カザヨミ専用のクシやブラシをもう片方の手に取りユナの翼の羽繕いをしてやる。

 

「んん……!」

 

「大丈夫?」

 

「うん……でもやっぱりくすぐったい……」

 

「翼の根本とかは自分じゃ手入れできないから慣れないのね。……我慢できる?」

 

「大丈夫……嫌じゃない、から……。でも、変な声が出るから恥ずかしぃ……」

 

「はいはい、私しか聞いてないから別に大丈夫よ」

 

「うー、クラコにも聞かれたくなぃ……んっ!」

 

「ほら、次は手でやってあげるから、声我慢しなくていいわよ……?」

 

「やぁ……んっ」

 

 翼を生やしたカザヨミの少女ユナは桜子にその身を預け、まるでひな鳥のように体を丸めて安心し切っている。その様子に目を細め、優しく触れ合う桜子は少女の青灰色の特徴的な翼に指先を通し、梳いてやる。途端に気持ちよさとくすぐったさから体を震わせるユナの様子を気遣いながらも、そんなユナの様子を愛しく見つめる桜子は今日も愛しの愛鳥少女の拠り所として、注がれる愛に応えるべく精一杯の愛を持って儚げな少女を迎え入れるのだった。

 

 

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