愛鳥少女とキンヨク生活のすすめ。   作:田舎犬派

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99羽 風読

 

 かつて始まりのカザヨミと呼ばれた少女、ツバメは都市所属カザヨミとして活動していた時期の出来事を自身の手帳に書き記した。記された内容は多岐にわたり、カザヨミとして飛んだ空の美しさや恐ろしさ、翼の動かし方といった後のカザヨミの育成において重要な情報であったり、その日に食べたお昼ご飯の感想やパートナーと喧嘩した時の愚痴が書き込まれていたりもした。

 

 今日(こんにち)に至るまでカザヨミたちの指標とされたこの手帳、つまりは"ツバメの雲海図"はその内容が今でも通用する技術や現在発生している問題のヒントになるような文言が書かれていたりするため、ある意味予言書のような扱いを受け彼女が所属していたキョウトのカザヨミ管理部で厳重に保管されている。

 

 そんなツバメの雲海図のボロボロになった紙片の片隅に、カザヨミの飛行能力に関する私見が走り書きされている。その内容は"気持ちが落ち込んでいるときや悩み事があるときは飛ぶな"というもの。

 

 ツバメの雲海図が見つかり、けれどまだカザヨミの育成方法が確立していなかった当時、この言葉の意味は深く考察される事はなかった。リラックスして空を飛べ、程度の意味だと思われていたのだ。

 

 そして月日が経ち、カザヨミの飛行能力が本人の精神的安定と肉体の健康に強く関係していることが明るみになり、これこそがツバメが言わんとしていることだと思われた。

 

 しかし、これらの過去を一通り理解したうえでクラコはツバメがもう一歩、先を予見してこの言葉を残したのではないかと思い至る。

 

 不安定な精神は翼を構成するエーテルを不安定にさせ、外部のエーテルの侵入を許してしまう。コントロール下にない外部エーテルは翼から逆流し精神を侵し最終的に魂さえも汚染してしまう。

 

 

 ツバメは警告していたのだ。不安定な精神のカザヨミは、雲海で魂を奪われてしまうのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『それで、イスカさんは羽繕いしたことがあるの?』

 

 クラコより発せられた質問の意図が分からないイスカは混乱して上手く言葉が出てこない。イスカとて年頃の少女であり、更にはカザヨミ管理部から距離をおいていた関係で羽繕いを含めたカザヨミ関連の知識は乏しい。それでもユナの配信でどのようなものかは理解しており、故に混乱は深まる。なぜこのタイミングでそんな問いかけをされるのだろうと。

 

「やり方はわかる、けど……やったこと、ない……」

 

 その言葉だけを絞り出す。これまでイスカの周りは都市管理部が勧誘してきたプライドの高い下級たちばかりで、羽繕いを含めた技術の意見交換などしたこともない。そもそもカザヨミ管理部のカザヨミとて羽繕いについて興味を持ち始めたのはここ最近の話なのでイスカだけがおかしいというわけではないのだが。

 

 姉の命に関わる状況、それも時間が無いこのタイミングでの質問の意図はやはり分からない。

 

『やり方が分かるなら十分よ。ミサゴちゃん、イスカさんはここでアトリさんの羽繕いをしてもらうから、その間ユナと一緒に探索と撹乱お願いね』

 

「何か考えがあるのならば……。それより大丈夫なのか? 今狙われているのはアトリだと思うが……」

 

『心配ないわ、花鶏にとってアトリさんの魂は時間さえあれば手に入れられる程度の認識で、そこまで優先順位は高くないでしょうから』

 

 現在アトリの魂はエーテルの誘引という距離を無視した繋がりをもって徐々に奪われている。つまり魂を完全に奪うためにアトリを手元に置かなくても問題ないのだ。 

『時間が惜しいわ、ミサゴさんの隊は花鶏を撹乱しながら周囲の探索をお願い。ユナも同じように行動するけど……そちらは飛行隊として動いたほうがやりやすいでしょう?』

 

「助かる。……しかし、イスカの羽繕いが現状を好転させると?」

 

『賭けだけどね』

 

 短くもはっきりとした声音にミサゴは了承の意味を込めて頷く。現状クラコの言葉が唯一の希望である。クラコを経由すればカザヨミ管理部の国城へと連絡を取ることは可能だろうが、国城は現在の灰色ホテルの状況を何も知らない。

 

 晶動体の少女についての状況把握、アトリとの関係性、なにより晶動体との対峙した経験の有無。それらを把握しているのはユナとクラコのみ。アトリの状況は一刻を争う。ここから先生に連絡を取り、状況を説明し、対応策を考えるほどの時間は残されていないかもしれない。

 

 なぜクラコがそこまで自信をもって断言できるのかを聞いていられる時間もない。けれどクラコがなんの勝算もなくユナを危険に晒す訳がない事はミサゴも十分に理解している。

 

「その言葉だけで十分です。ヒタキ、ツグミ、準備はいいか?」

 

「もちろんっス」

 

「こちらも問題ありません」

 

「よし、では飛ぶぞ」

 

 ミサゴを先頭にして第十七飛行隊が瓦礫の影から飛び出していく。遠方より花鶏が手を振り、同じようにクラゲの触手が振りかぶられる。

 

「その動きはもう見たぞ。緩慢でわかりやすい軌道だ」

 

 すぐさまミサゴが飛行ルートを変更し、振り下ろされた触手は散乱した瓦礫を巻き込むもののミサゴたちを捉える事はできなかった。花鶏へと接近するミサゴたちの姿を花鶏は面白そうに見つめながら追撃の触手を振りかぶり、更に瓦礫を投擲する。

 

 けれどそれらがミサゴたちを捉える事はなかった。巨大な晶動体と対峙している異常な状態であるはずなのに、三名のカザヨミの精神は非常に落ち着いている。

 

「この程度なら全然マシっスね〜。ミサゴ先輩の訓練のほうが倍マシっスよ〜」

 

「はい。特級のお二人の訓練に巻き込まれたときはどうなるかと思いましたが、経験しておいてよかったです」

 

「ス!? ツグミちゃん私もおかしいヤツ扱いしてないっスか!?」

 

「十分おかしいと思いますが……?」

 

「酷い言われようだ、すこしショックだぞ」

 

 冗談交じりに笑みを零す第十七飛行隊は晶動体の妨害など意に介さず空間を飛び回る。"灰色ホテル"として機能していた時の領域ならばここまで自由に飛ぶ事はできなかっただろうが、エーテルが結晶として析出し、空間全体のエーテルの流れが破壊された事で飛行できるエーテルの薄い領域が出現している。

 

「ふむ、このあたりに綻びは無さそうだな、次に行くぞ」

 

「はい」

 

「はいっス」

 

 それに特級であるミサゴは一度、同じような空を飛んでいる。降害が発生している中を飛んだ経験は同じ飛行隊に共有され、ストイックなミサゴの元で同じような状況を想定した訓練も実施され、その結果飛行隊の面々にとってこの程度の環境は驚愕するほどではなくなった。

 

 エーテルを視認できるミサゴが触手の動きを把握し飛行ルートを選定、周囲の状況を良く見ているヒタキが瓦礫の位置を記憶し、ツグミが綻びの可能性がある空域をエーテル化した瓦礫の動きから指し示す。

 

「すごい……私には、あんな動き……」

 

 その様子を瓦礫の影で見ていたイスカはミサゴたちの動きに驚きを隠せない。時折下級のカザヨミが曲芸じみた翼の動きを披露する場面を目撃したことがあるイスカはそれらを自身の力を誇示する行為だと軽んじていた。実際のところその下級の目的はイスカの感じた通りのもので、曲芸じみた翼の動きもイスカからすると実際に雲の中で使う技術というよりは見栄えを重視した曲芸そのものという認識だった。

 

 だが、この場においてそれらの技術は間違いなく実践の技術としてそこに在った。かつて下級が己の技術を披露するだけの動きは、迫りくる瓦礫の散弾を一つ残らず回避するための難解な軌道を描く高等技術として昇華された。迫りくる瓦礫に対し身体一つ分しか無いような隙間を即座に見つけ、翼を折りたたみ、それでも回避出来ないようなら手元の瓦礫を蹴り上げてこじ開ける。ミサゴが先導し飛ぶ空路は狭く、険しく、あらゆる方向に蛇行している。けれどヒタキとツグミは臆することなくミサゴの後を飛ぶ。

 

 ヒタキとツグミはミサゴが必ず正しい道を通ると信じており、ミサゴもまた、ヒタキとツグミならば着いて来れると信じている。

 

「これが、特級……」 

 

『……ユナ、ミサゴちゃんたちがかき回してくれてる。私たちも行きましょう』

 

「うん」

 

「ちょ、ちょっとまってっ!! こんな、……私、ホントに羽繕いしたこと無いのよ! なのに、こんな状況で、それもお姉ちゃんに……!?」

 

 イスカは飛び立とうとしているユナを引き止めるように声を荒げた。イスカにとって羽繕いは羽を整える程度の行為としか認識していなかった故にこれまで自身の羽繕いはおろか、他人の羽繕いをしたことなど一度もなかった。

 

 それでも他人の翼に触れる行為が忌避すべき行為であるとなんとなく理解しているイスカの初めての羽繕いの対象が、自分自身の翼ではなく姉の翼であるという事実が彼女を激しく動揺させる。

 

「わ、私がしていい訳無いじゃない……!」

 

『あなた以外では無理よ』

 

 言葉短くクラコはきっぱりと言い切った。ユナの手前、詳しく口にしなかったがアトリはユナを拒絶している。それこそ、ユナへの罪悪感から自死を選択する程には。

 

 その罪悪感はユナだけでなく自ら距離をおいた第十七飛行隊の面々も少なからず関わっているだろう。羽繕いはカザヨミとパートナーとが互いに信頼していなければ成立しない。となれば彼女の翼に触れられる可能性があるのは妹のイスカに絞られる。

 

「なら、ならせめて羽繕いの仕方を教えてよっ! こんな、こんなのどうすればいいか分かるわけないでしょ!!」

 

 イスカの目の前に横たわるアトリは浅く呼吸を繰り返し、徐々に結晶が肌を汚染していく。雪が積もるようにアトリを覆わんとする結晶をイスカは払い落とそうと手を動かすが、払ってもいいのか、肌を傷つけてしまわないかと迷い、結局手は元の位置に戻される。

 

 結晶が身体をどのように蝕んでいるのか、どの行為が正解なのか、どんな行為が致命的なミスとなるのか、知識の無いイスカには判断出来ない。都市管理部が用意した最新の技術で生み出された最新の装備に身を包んでも、結局そんなことさえも分からない。

 

 自分の羽繕いが、姉を殺すかも知れない。あれほど救いたいと願っていた姉を、自身の手で殺してしまうかも知れない。

 

『……教えられないわ』

 

「なん──」

 

 クラコの言葉に思わずイスカは激昂しそうになる。こちらは姉の命がかかっているのだ、そんな状況でこの程度の情報を渡してくれたって、いいではないか。

 

 だが、思わず立ち上がったイスカは自身を不安そうに見つめるユナを視界に収め、荒んだ心が急激に冷やされていくのを感じた。

 

(ああ……そうよね、そんな事を考える資格なんて、無かったのに)

 

 ユナは嶺渡の家で死ぬほど苦しい生活を強いられていた。今ユナが幸せであるのはクラコという人物と奇跡的に出会えたからに過ぎない。奇跡が起きなければ、ユナは死んでいた。

 

 嶺渡(わたしたち)が殺していたかもしれない。

 

 こちらが殺そうとしていたのに、逆に死にそうになったら助けを求めて、当然助けてもらえると考えている。

 

「……」

 

 イスカは何も言えない。言える立場にない。怒る資格も無い。そうして崩れ落ちそうになる身体を、何かを掴もうともがく手を、ユナが取った。

 

「イスカお姉ちゃん」

 

 視線を上げればユナの顔が近くにあった。イスカの瞳を覗き込むようなユナの瞳は力強く輝き、不思議と安心感を与える。

 

『イスカさん、勘違いしないでほしいの。私たちが羽繕いについて言える事は、ほとんど何も無いのよ』

 

 クラコはこれまで何十回もユナの羽繕いを行い、そして羽繕いの本当の意味について朧気ながらも思い至り始めた。

 

『羽繕いというのはね、つまりは繋がりを確認する行為なのよ。カザヨミは翼の組成や、エーテルの耐性を保有しているところから……エーテルに属する存在とも言えるの』

 

 エーテルは魂さえも絡め取る事ができる。それはつまりエーテルそのものが人知を超えた概念的位置に在る事を示している。それに対抗できるカザヨミも、つまりはエーテルと同様の位置に在る。けれどカザヨミは人から生まれて人として生きている。

 

 エーテルと人、本来交差するはずのない2つの要素を持って誕生したカザヨミという存在。

 

『私はね、羽繕いっていうのはカザヨミが"あっち"へ行かないように、"繋ぐ"ための行為だと考えてるの』

 

 エーテルは魂さえも絡め取る。ならばカザヨミの魂さえも、いつかは自身が内包する(エーテル)に侵されるのか。

 

 そんな事は許さないとばかりに、"あちら側"へと連れて行かれてなるものかという強い願いの込められた祈りのかたち。

 

 それこそが、羽繕いという行為の正体なのではないか。

 

『アトリさんは今、"あちら側"へ行こうとしているの。けど、もし私の考えが正しいのならば……カザヨミを人として繋ぎ止める行為が羽繕いならば、アトリさんを取り戻せる。肉体に、魂を繋ぎ留められる』

 

 アトリの意識を手繰り寄せ、アトリの魂に寄り添える、アトリの心が許す人物。つまりはイスカでなければ羽繕いをしても意味がない。そして必要なのは羽繕いの方法ではなく、相手を懸命に想う心なのだ。

 

『酷なことを言っているのは分かってるわ。でも、何が羽繕いの正解かなんて私たちも分からないし、知らないの。必要なのはその子をどれだけ想っているか、ということなの』

 

 技術や知識といったものはカザヨミをより安全に空へ飛ばせることができる。だが、結局のところカザヨミに必要なのはもっと基本的で、本能的な想いなのかもしれない。

 

「イスカお姉ちゃん」

 

 ユナは翼を広げ、イスカから距離を取る。慈しみを湛えた表情はとても穏やかで、瓦礫とエーテルの荒れ狂う雲海の中とは思えないほどだった。

 

 青灰色の翼が翻り、青白いエーテル光が舞う。

 

「大丈夫だよ。イスカお姉ちゃん、ずっとアトリお姉ちゃんのこと見てたんでしょ」

 

 そう言ってユナはミサゴたちの後を追った。イスカから視線を外すその瞬間までユナは微笑みを絶やさなかった。

 

 不安な表情をする必要なんて無い。イスカならば絶対に大丈夫だから。

 

「なによ……なんで、そこまで私を信用できるのよ……」

 

 イスカは震える両手を握りしめ、無理やり震えを止める。再び開いた手のひらは細かな傷と汚れが目立ち、爪も割れている。肌のケアやネイルの手入れに熱心な下級カザヨミや都市管理部所属カザヨミが見れば馬鹿にしたように笑われるだろう。

 

 だが、それでもよかった。汚れた手であってもこれで姉の命が救えるのならば、何も気にならなかった。

 

「信じるわよ、ユナ、クラコ……。信じてね、お姉ちゃん」

 

 

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