愛鳥少女とキンヨク生活のすすめ。   作:田舎犬派

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101羽 比翼

 

『ユナ、後ろから来てるわ』

 

 耳元で聞こえてくるクラコの言葉にユナは後ろから来る何かを回避するべく進行方向を直角に変え、瓦礫のあいだを素早く通り抜けていく。

 

『あと十秒……九秒、八秒』

 

 クラコのカウントダウンを聞きながらユナの翼は風を切り、エーテルに乗って雲海をゆく。ユナの視線はクラゲの晶動体に寄り添う花鶏に注がれている。現在の状況において最も危険なのが花鶏の視線による結晶の析出であるためだ。

 

 そのためユナの意識は基本的に花鶏に向けられており、残りの意識で境界の綻びを確認している。

 

 そうなるとユナへと接近する瓦礫や触手の回避が(おろそ)かになりそうなものだが、ユナはものの見事に障害物を回避して見せる。それはユナのカザヨミとしての身体能力やエーテルを視認できる才能とは別の、最も信頼できる人物からの補助があるためだ。

 

『左の瓦礫あと八秒。真下の触手あと十二秒。正面の触手あと二十三秒』

 

 クラコの声と共にカチ、カチ、という電子音がユナの耳に届けられる。それはクラコが手に持つストップウォッチの音だ。

 

 本来はユナの空路タイムアタックなどを行うために手に入れたそれを握りしめ、クラコは夫婦結晶より送られてくる映像に視線を落とす。クラコの口にする障害物とその接触までの秒数はぴったりそのとおりにユナへと接近し、ユナが回避しなければそのまま衝突していたであろう軌道を描いていた。

 

「クラコさん」

 

 ユナが信頼のこもった声音で名前を呼ぶ。

 

『正面触手のあと三秒あたり。誤差に気をつけて』

 

 ユナが左より接近する瓦礫を回避し、真下の触手をギリギリで躱しながらその影に隠れ、正面の触手をやり過ごした後、ぴったり3秒後にユナの目の前の瓦礫が空路をあける。

 

 人混みがざっと割れて道ができるように、乱雑な動きをしていた瓦礫たちがその瞬間のみ、ユナが通るための空路を形作った。

 

 一瞬のタイミングを逃すことなくユナは空路へ迷わず飛び込んだ。ほとんど瓦礫群に突っ込むような形であるがユナは怖くなかった。その空路を指し示したのがクラコであるから。

 

 通り抜けた先に見えた空間の境界はエーテルが散り散りになってはいるものの、境界そのものを歪ませ綻びを作るほどではなかった。これもまた、出口として活用できる代物ではなさそうだ。

 

『どう?』

 

「出口はないみたい……それと、ツグミお姉ちゃんがこっち見てるよ?」

 

『……まずは合流しましょうか』

 

「うん、わかった。クラコさん、もう一度お願い」

 

『ええ、ユナも気をつけて』

 

 クラコが再度ストップウォッチを動かし、見える範囲の瓦礫の動きを、ユナを中心に俯瞰視点で確認する。

 

 現在灰色ホテルはクラゲの晶動体が激しく暴れた影響で瓦礫同士がぶつかり砕け、ほぼほぼ同じような大きさの瓦礫が空間全体に漂っている状態だ。カザヨミが飛ぶには困難な空域であるが、瓦礫が均等に散った空間というのはある意味必要な情報を可視化している都合の良い空間のようにクラコには写った。

 

 クラコは空間に散った同程度の大きさの瓦礫がほぼ同じ距離感で浮かんでいる事に気がついた。それが偶然に寄るものか、エーテル化した瓦礫が周囲の瓦礫と誘引しあって釣り合いが取れた結果なのかは不明だが、クラコはこの同じ距離感で浮いている瓦礫を用いてユナに接近する障害物の衝突時間を割り出せると判断した。

 

 空間に一定距離で浮いている瓦礫は、例えるならば目盛りだ。別の言い方をするならば方眼紙の線の交点とも言える。一定距離を保つ瓦礫と瓦礫との間をユナに接近する障害物が通過する時の時間を計測し、おおよそどのくらいの時間でユナへと到達するかを逆算、それをユナへと伝えているのだ。

 

 もちろん3次元空間に浮かぶ瓦礫を目盛りとして活用するなど普通の人間は考えもしないし、その発想があったとしても現実にやってのける人間など居ない。クラコの実行している瓦礫の衝突予測は電子機器による広範囲の空間観測と高度な情報処理があってなんとか形にできるような代物だ。

 

 だが、それをクラコはやってみせた。目が血走るような集中力で、俯瞰視点であらゆる角度から周囲を観測し、基準としている等間隔の瓦礫と瓦礫の間を通過する時間を計測して障害物の速度を算出、どの程度でユナへと接触するかを計算しそれを漏れなくユナに伝える。

 

 ユナがするべきなのはクラコの言葉を聞き、指定された秒数が経過する前に回避運動をするだけ。クラコの言葉を聞いて身体を少し動かせばいいというのはユナの負担を大きく減らす事になった。

 

 なにより、クラコの言葉をユナが全面的に信用しているというのが大きい。基本的にカザヨミは自我が強くプライドが高い。一般的なカザヨミならば遠方よりナビゲートするオペレーターを其処まで信頼するのは難しいだろう。オペレーターを信用していない、という話ではなく実際に空を飛んでいるカザヨミは自身の感覚をより信頼しているからであるが、ユナの場合は自分自身よりもクラコを信頼しているからこそ、すんなりとクラコの言葉に従っている。

 

「クラコさん、次はどうしたらいいかな?」

 

『左の道よ……少し危険だけど、ユナは、大丈夫?』

 

「うん、私は大丈夫だよ。クラコさんのこと、信じてるもん」

 

『……そう。ありがとうね』

 

 ユナはクラコを信じている。それこそ、自分自身よりも深く。それは現状においてプラスに働いているが、クラコの心境としては複雑だ。自分自身よりも他者を信じているというのは、つまり自分をそこまで信じていないという意味でもあるからだ。

 

『ユナ』

 

「なに? クラコさん」

 

『あなたの飛ぶ姿、私は好きよ。誰よりもね』

 

 だからクラコは複雑に思うのだ。クラコもまた、自分自身よりもユナを大切に思ってしまっているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瓦礫を避け、花鶏の視線から見事に回避しながらユナはツグミたちと合流することに成功する。単純に領域の綻びを見つければ良いという状況を逸脱した異常事態において情報の共有は最も重要視すべき事柄であるのはユナもツグミたちもよく理解していた。

 

 瓦礫の陰に隠れながら、遊び感覚で油断している花鶏に注意を払いつつ情報を交換していく。

 

「皆さん大丈夫ですか?」

 

「こっちは大丈夫っスよー。ユナちゃんはまだ飛べるっス?」

 

「まだまだ大丈夫ですけど……出口が見つからないと……」

 

 第十七飛行隊の面々はそれほど焦っている様子は見られない。どうやってこの空間から脱出するかと頭を悩ませているものの、だからといって焦燥感に駆られ無茶な行動に出ることもなく、晶動体の攻撃を躱しながら脱出できそうな場所を探し回っている。

 

 ミサゴはこちらに近づいてきたユナとの情報交換を行うものの、ユナに関しても状況は同じで突破口は見いだせずにいた。

 

「クラコさんははさっきの針、見ました?」

 

『あれがエーテルの流れをややこしくしているみたいね』

 

 ツグミの言葉に即座に返答するクラコ。どちらもあの針による広範囲の結晶バラ撒きが問題であるとは把握しているものの、それを防ぐ手立てはない。

 

 出口を探そうとしても晶動体が邪魔をし、出口が見つかっても針の投射によってエーテルの濃度が変化し出口が塞がる。こちらを常に見つめる花鶏によってその追いかけっこは続いていくだろう。

 

「だからね、わたしが引っ付いてみようかなって」

 

「え、ユナちゃん一人ででスか?」

 

『できる限り近づいて注意を引いてみるから、その間に出口を見つけてほしいの。上手く行けば触手の動きもこっちに誘導できそうだから』

 

 クラコとユナの提案にミサゴたちは少し驚いたように声を上げる。彼女たちから見てもユナの飛行は並外れた機動力を誇っていた。おそらく中層に存在する最も濃いエーテル領域であっても結晶が付着しないほどの速度を保ちながら瓦礫や触手、更には追加された針の広範囲攻撃さえも容易く回避してみせるだろう。

 

 その裏にはクラコの異常なまでの情報処理能力が下支えしているわけだが、今それを説明する意味もないのでクラコはとりあえず、ユナならば大丈夫だという意味でその提案をした。

 

「……この空間に出口があるかは確定出来ないが……」

 

 とはいえミサゴにはあまり良い賭けとは思えなかった。そもそも本当に出口があるか分からない状況で、時間稼ぎをしてもいいものか。

 

『出口はあるわ』

 

「……疑うわけじゃないっスけど、なぜ言い切れるか伺ってもいいっス?」

 

『元々この空間に出入り口があったから、よ』

 

 エーテルにはエーテルの法則性が存在する。人類はソレをまだほとんど解明できていないが、それでも停滞や誘引といった特性が存在している以上、それらの特性が何かの要因によって決定付けられ、何かしらのルールに則って付与されている事は明らかだ。でなければこの世で停滞結晶と呼ばれる物質全てに同様の特性が見られるはずがない。

 

 エーテルは規則性も法則性も無い無秩序なエネルギーなどでは無い。人間がそれらから規則性を見つけられず、法則性を定められていないだけなのだ。

 

 だからこそ、クラコは実際に体験し、観測した状況から結論を出した。

 

『雲海の出入り口は一度閉じたわ。けれど再び発生した。高濃度のエーテルに満たされた雲海への出入り口が最初から開いているというだけでも奇跡的なのに、それが再び現れたというのはもう偶然ではないのよ』

 

 雲海の出入り口は元々下層に繋がっていた。だが雲海調査計画の(おり)、下層は乱され入口は消失した。だが、それから一時(いっとき)も経たず雲海外部から直接中層逆灯台へ侵入できる出入り口が現れた。

 

 これはつまり、雲海という領域は常に出入り口を生成する作りになっているという事だ。

 

『どうしてご丁寧に出入り口が生成されるかは分からないわ。エーテルを上部へと送るパイプ役なのか、逆に空気を下部へと捨てる排気ダクトなのか……とにかくこの出入り口は必ず開かれるのは確かよ。元々出入り口にしていた場所が埋まったということは、何処かに新しい出入り口が生成されているはずなの』

 

 クラコは思わず声に力が入る。自身の言っている事は全て経験から来る"そうではないだろうか"という想定の話でしかない。都市の学者が聞けば鼻で笑われてろくに検証もされない案件であることは明白だ。

 

 だが、ミサゴたちはクラコの言葉に真剣に耳を傾け、そして頷いた。

 

「出口そのものが生成されるなら私たちでも見つけられそうですね!」

 

「っスね。いや〜絶対ある、って分かってるだけでも心持ちかなり楽っスよ」

 

「だな。ありがとうクラコさん」

 

『……こちらこそ、信じてくれてありがとう』

 

「なーに言ってんスか。此処だけの話、都市よりもクラコさんのほうが技術的には上いってるっスよ」

 

「雲海における予想もかなり的確ですもんね」

 

「どちらにしろ、今はクラコさんを信じる以外の方法が思いつかない。ヒタキ、ツグミ、行くぞ」

 

「はいっス」

 

「はいっ!」

 

『私たちも行くわよユナ』

 

「うんっ!」

 

 一斉に飛び立つミサゴたちとユナ。飛行隊の先頭をゆくミサゴが翼を翻し、飛びながらユナへと向き直った。ミサゴが見つめるユナの表情は余裕が無くとも切迫した様子は見られない。それは(ひとえ)に、ユナの耳元で煌めく光がユナを支えているからなのだろう。ミサゴにとってのヒタキやツグミのように。

 

「ユナ」

 

「は、はい」

 

「ユナが羨ましいよ。クラコさんは頼れるパートナーだな」

 

「はいっ! 私のいちばん大切な人です!」

 

「わーお、っス」

 

「あの羽繕いを見ていたらまあ、そうですよね……」

 

 元気よく応えるユナの様子に思わずヒタキが慄き、ツグミが頬を染めて納得する。配信の中であれほど大胆な羽繕いの様子を晒していれば、ユナの言葉が大げさで無いと簡単に理解出来る。

 

『あー! はいはいみんな頑張ってね! ほらユナも行くわよ!』

 

「はーい」

 

 恥ずかしさから早口になるクラコに緩く返事を返すユナの様子に思わずミサゴたちも微笑む。

 

「なんだか雰囲気ゆるゆるっスねえ」

 

「どちらかというとお前もそうだがな」

 

「ふふ、本当に仲良しですね」

 

 

 第十七飛行隊の先頭を飛ぶミサゴは徐々に航行軌道を空間の外側へとズラし、ユナは内側へと向かう。本格的に軌道が離れる際、ミサゴたちがユナへと視線を向け、ユナは小さく頷いた。応えるようにミサゴたちも小さく頷き、そうして両者は軌道を大きく変えてそれぞれの役割の為に動き出した。

 

「可能な限り周囲の状況に目を配れ。エーテルの興りは私が見る」

 

「はいっ」

 

「了解っス」

 

 

『相手の干渉が激しくなると流石にこっちで対応し切れなくなるわ。手の届く範囲はユナが対処して』

 

「わかった!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あはっ」

 

 瓦礫の宙を飛ぶカザヨミの姿は決して途切れる事なくエーテルの尾を引き空間に跡を残す。遠方へ、距離を取るように進路をゆくミサゴたちを花鶏は楽しそうに見つめ、見つめた先の析出結晶が回避されたのを見て更に面白そうに声を漏らす。

 

「あははっ! すごーい! さっすがミサゴせんぱい、教えてもらった時とおんなじ綺麗な飛び方だぁ!」

 

 奪った魂の記憶をなぞるように言葉を紡ぐ花鶏の様子は無邪気な声音も相まって相手の神経を逆撫でするように聞こえる。本人にそのような意図は無く、幼さゆえの言動だろう。

 

 花鶏が空を飛ぶ面白いおもちゃへと手を振りかぶり触手をぶつけてみようと動き始めた瞬間、死角となっていた瓦礫の影から突然青灰色の光が瞬いた。

 

「あえ?」

 

「……!」

 

 緩慢なクラゲの触手をかいくぐり、ユナが花鶏へ接近する。上方より斜め下へと急降下、スピードの乗ったユナの動きを花鶏は呆けたように見つめ、けれども間髪入れず自身の身体から触手を放つ。

 

『後方問題なし。回避して』

 

 クラコの言葉は花鶏が触手を放つ前にユナに届けられる。ユナは空を蹴って後退し、触手を回避。生まれた余裕は触手より放たれる毒針を回避するだけの時間的余裕を生み出した。

 

「えー」

 

 残念そうに顔をしかめる花鶏は仕掛けた攻撃が全て回避された事に不満げだ。それらが他者の命を簡単に奪えるような代物だと理解しないまま、花鶏は同様の攻撃をユナに続ける。

 

 だが、それらがユナに当たる気配は無い。ユナのエーテルを視る能力とクラコによる周辺情報の把握、そしてそれらを基に多様な回避の選択が可能なユナのカザヨミとしての実力が瓦礫と触手、結晶の毒針全てを回避してみせた。

 

「もー! なんなのさー!」

 

 自身の周囲を飛び回るユナを花鶏はうっとおしそうに触手で払いのけようとしている。

 

 この時点で花鶏の標的はユナに限定された。まだ幼い花鶏にとって"ユナを標的にした"という意識は遠方を飛ぶ羽虫よりも耳元で飛ぶ羽虫を払う事を優先した程度の認識でしかなく、ツグミたちの存在を完全に忘れたわけではない。しかしユナとクラコにとって花鶏の意識がこちらに向いている状況はツグミたちの動きを保証しているのと同時に、花鶏の動きをこちらが誘導できているという事だ。

 

 花鶏本人がツグミたちとユナのどちらも何時でも攻撃出来ると思い込んでいるその実、花鶏の攻撃はユナがわざと誘発させ、ツグミたちへの攻撃の意思を削ぐ。そうなればさらに花鶏はユナを注視せざるを得なくなり、結果として花鶏の意識はほとんど眼前のユナへと向けられる。

 

「クラコさん……」

 

『どうしたの?』

 

「あの子は……アトリお姉ちゃんなんですよね……?」

 

 ユナの視線には花鶏が癇癪を起こしてユナを睨みつけている様子が見て取れる。初めて会った時のような雰囲気はもはやなくなり、幼い少女が恐るべき力を無邪気に振り回している様子はあまりにも危険で、恐ろしかった。

 

『……ユナには、どう見える?』

 

「え」

 

『記憶こそが人であるというのなら、そうなのでしょう。でも、それだけが人を人として決められるものでは無いと私は思うの』

 

 記憶さえあればいいのか、魂さえ模倣すれば本人なのか。

 

 どこからが人で、どこまでが晶動体なのか。エーテルが形作る身体を持っている者を晶動体というのならば、エーテルで形作られた翼を持っている者は。

 

「……クラコさん。私は」

 

『ユナ』

 

 花鶏とアトリ。どちらを助けるのか。どちらを許すのか。同一の魂を持つ二つの存在の、どちらを選択するのか。

 

 そうして、ユナは言葉を紡ぐ。

 

 

「私は──」

 

 

 ユナはまっすぐ飛翔する。たとえ眼前が瓦礫に覆われていようと、数多の結晶が触手となり絡みつこうと、ユナの翼は空を切る。

 

 ユナは思う。人が人である為に何が必要なのか。何が人たらしめている要素なのか。まだ難しいことが分からないユナにとってそれはあまりにも哲学的な問いだった。

 

 けれど、ユナにとって眼の前の晶動体は紛れもなく心を持っていた。記憶を持っていた。魂を持っていた。

 

『ユナ!!』

 

「──ッ!」

 

 考え事をしていたユナへ花鶏の触手が迫る。だがユナは身体をひねるように回転させ、触手を回避する。回避後も絡みつこうとする触手を、身体を回転さえながら手ではたき落とす。

 

『ユナ──』

 

「大丈夫!」

 

 クラコが何かを言うよりも先にユナが笑った。空を飛ぶ訓練の時に無茶な飛び方を披露して見せた時のような、安心してほしいという思いを込めた笑みだ。

 

 ユナは触手を叩いた際に手に析出した結晶を払い落としながら加速する。

 

「ああーー! なんでえ!!」

 

 それを花鶏は追えない。翼を持つ存在を持たない存在が追えるわけもない。

 

「私だって! 私だってえええええ!!」

 

「あうっ!?」

 

『ユナっ!? 触手が網に!?』

 

「あはははは!!」

 

 ……いや、持つもの持たざるものという区別であるのならば花鶏は持つもの(エーテル)側の存在である。雲海というエーテルに満たされた領域において最も自由な存在と言えるだろう。周囲の空間に結晶を析出させ、そこから触手を生成することでユナを捕らえる網を生み出す程度には、花鶏は自由だった。

 

「クラコさんっ、みんなをっ──!」

 

『ユナ!』

 

 

 だが、花鶏は"知らない"のだ。

 

 

 ユナを、クラコを、カザヨミを。花鶏は知らない。知らなくなった。彼女たちが何を大切にしているのか、なんのために空を飛んでいるのか、花鶏はそれらの記憶を持っていたはずだった。

 

 つい先ほどまで持っていた記憶。思い出、経験値。ほんの数瞬まで花鶏のものだったすべて。

 

 だが花鶏はそれらを忘れた。手に入れたはずの記憶と、思い出と経験も。それらはあるべき場所へと帰っていった。

 

 だから花鶏は知らない。知るはずもない。

 

 

 アトリが、どれだけ真面目で努力家で……負けず嫌いなのかを。

 

 

「申し訳ないけど、私はそんな笑い方はしません」

 

 芯のある声音が響いた。結晶によって編まれた網が完全にユナを捕らえる前に、その網の中へと飛び込んできた影はユナを庇うように花鶏と対峙する。花鶏が驚き言葉を失っている間にその影は手を花鶏へと向けた。

 

 

 その手には、銃が握られていた。

 

 

 (イスカ)が母親に手渡された、弾の入っていない銃。破壊された自身の銃の代わりに妹より預かったそれ。

 

 装填された銃弾は、自身の持っていた銃が破壊されたときにマガジンから脱落して宙に浮いていた一発。

 

 

 ボロボロになった手で唯一掴んでいた最後の一発。装填されたそれは動作不良を起こすことなく設計通りに薬室(チャンバー)に送られ、ためらいなく引かれたトリガーの動きに従った。

 

 銃器より打ち出された結晶の弾丸は花鶏へと射出される。あまりにも距離が近く、突然エーテルの速度停滞を中和しながら突き進む物体の存在に花鶏は回避を選択するだけの余裕はなかった。その状況で弾丸は花鶏に当たるか、ユナたちを捉えようとしている網に当たるかのどちらかになる。

 

 結果として弾丸は花鶏に当たる事無く網に着弾した。それは花鶏が弾丸ごとユナたちを網で覆おうと網の目を密にしていた結果だが、引き金を引いた存在にとってはどちらでも良かった。花鶏に当たればそれでいい。網に当たれば囚われた状況から脱せる。

 

「あ、アトリおねえちゃん……!」

 

「……今ので弾切れ、です」

 

 弾丸はガラスのように網を粉々に砕き、結晶の塵を空間に散らせる。ユナの前に滑り込んだ影……アトリは悠然と花鶏に向き合った。

 

「……なに? おまえ」

 

 不満を隠そうともしない花鶏は突然現れた"見知らぬカザヨミ"に首を傾げる。

 

 その様子を間近で見ていたアトリは動揺する様子もなく冷めた目で花鶏を見つめていた。まるで初めて会ったかのような言葉を口にする花鶏を見て、アトリは何でもないように応えた。

 

「ああ、もう分からないんですね」

 

 感情の無い瞳でつぶやくアトリに晶動体は言い知れぬ不快感を抱く。

 

 羽繕いを通して記憶を取り戻したアトリに対し、眼の前の晶動体は奪っていた魂のほとんどを奪い返された。残っているのは晶動体として生まれてからの僅かな記憶と、"何かしらの記憶を持っていた"という曖昧な記憶のみ。

 

「──どっかいけ!!」

 

「お姉ちゃんっ!!」

 

 アトリの平坦な言葉を晶動体は自身を馬鹿にする挑発だと受け取った。睨みつける視線に対し、ユナはアトリの腕を引っ張ってその視線から離脱する。

 

『無茶しちゃダメよ!』

 

「すみません」

 

『クラゲが動き始めてる! 早く離脱を!』

 

「ですが私は……」

 

 クラコの言葉にアトリは応える。二人が直接会話したのはこれが初めてだ。ぎこちない声音であってもクラコはユナと、その隣にいるアトリをサポートするように言葉を発する。

 

 アトリの魂は奪い返し、体内の析出も翼を通していくらか排除できているらしい。アトリの魂が奪われ、結晶に飲まれるまで、という時間制限は無くなり、あとはこの領域より離脱するだけ。

 

 暴れる晶動体の攻撃を躱し、ミサゴたちが入口を見つけるまでの時間を稼ぐ為にクラコが考えを巡らせていたその時。

 

「クラコさ──」

 

『っ、速すぎ──! ユナ!?』

 

「ユナ……さん!」

 

 ユナとアトリの間を突き抜けるようなスピードで何かが通過した。それは只の人間であるクラコの目には捉える事はできなかった。なんとかエーテルの流れを先読みしたユナが致命傷を避けるように回避したが……それでも完全に回避はできなかった。

 

「あ……」

 

 呆けたようにユナが自身のお腹に手を添える。ぬるりとした生暖かい赤色が、突き刺さった太い結晶の針を伝って体外へ流れ出る。

 

「あははっ!! あたった!!」

 

『ユナぁ!!』

 

「っ!!」

 

 ユナは咄嗟に自身に突き刺さった針に手を伸ばす。触れただけで手のひらを曝すほどにエーテルを誘引しているそれを、ユナは痛みを感じる前に無理やり引き抜いた。

「あっ、くぅ……!!」

 

 停滞結晶は非常に安定した物質だ。クラコが砕いて道具(ツール)の材料にする程度には雑に扱っても問題がない。だが、それは空間に停滞するエーテルの濃度が極めて薄い地上だからこそ問題とならないだけで、濃いエーテルに満たされた空間ならば結晶は周囲の濃いエーテルを誘引させてしまう。

 

 その危険性を知っているからこそ、ユナは無理やり針を体内から摘出したのだ。

 

「あはは! 痛そー!」

 

 先程まで眼の前にいた晶動体は二人の後方で嗤っていた。只の人間では捉える事も出来ない速度で二人の間を通り抜け、毒針を投射したそれの様子は手に入れた結果に満足している様子だった。

 

 両手を広げ、大げさに喜びを表現するそれの背中には、いくつもの結晶が折り重なった歪なものが生えていた。鋭く尖った結晶が不格好に組み合わさったそれの見た目は一般人には何なのか理解する事さえ出来ないだろう。

 

「はあ……はあ、あ……」

 

 だが、痛みに視界が波打ちながらもその層状の結晶を見たユナはそれが風を切り、エーテルに乗るための器官だと理解した。

 

 すなわち、カザヨミの翼だ。

 

 晶動体がカザヨミを学習し、その姿をとったのだ。

 

「ユナさ──」

 

 ふらりと体のバランス崩すユナをアトリが慌てて支える。ユナの腹部に突き刺さった針は一本だけだった。大半の針は回避し、ユナの身体を捉えたものもほとんどがケスケミトルに突き刺さって止まるか、ケスケミトルに析出していた結晶に弾かれていた。

 

 しかし一本だけだとしてもそれは地上で生きる生物にとって脅威にほかならない。突き刺ささっていた針の残滓が傷口に残留し、流れ出る血を核とした紅色の結晶がユナの腹部に広がっていく。おそらくその光景はユナの体内でも起こっている現象だろう。

 

「うっ……」

 

『ユナ!』

 

 カザヨミの肉体は基本的にエーテルの耐性が高いが、だからといって身体を貫いていた結晶の痛みが和らぐわけではない。これまでのような瓦礫の破片が肌をかすめるのとはわけが違う激痛にユナは翼を動かすことすらままならない。

 

「だい、じょうぶ……聞こえてる、よ?」

 

『っ、』

 

 意識があり、受け答えができる。エーテルによる影響は無いと、まだ自身は飛べるのだと主張するユナの様子にクラコは言葉が続かない。ユナの言葉とは裏腹に、もはやユナは飛べるような状態では無い。

 

 単純に空を飛ぶだけならば可能かもしれないがエーテルの満ちた雲海を航行するほどの集中力を、腹部に穴を開けたままの幼子が保てるはずもない。

 

「大丈夫だか、ら……」

 

「私がっ……!」

 

 翼を動かすことすら難しい様子のユナをアトリは抱えるようにしてその場を離脱しようとするが、

 

「あは、まってよお!!」

 

「……!」

 

 後方より迫る晶動体の嘲り。アトリは振り返る事無く瓦礫の間を縫ってゆく。だがユナのようにエーテルを視る事が出来ないアトリでは晶動体を引き剥がすほどの速度は出せない。

 

「なぜ、あんなに速く……!」

 

 速いだけではない。晶動体の動きはあまりにも生物からかけ離れた動きだ。結晶の翼を動かし、"それらしく"振る舞っているが、直角に飛ぶ方向を変えるエアリング特有の飛行を何度も繰り返している。

 

 ユナの飛行はカザヨミの飛び方を基本とし、そこにエーテルを利用した技術を組み込んで滑らかでありながら予想外な軌道を描いている。けれど、晶動体の動きは滑らかとは言えず、生物とも言い難いものだった。

 

『晶動体は結晶そのものなのよ。絶えずエーテルを誘引しながら飛行する……!』

 

 ユナが既存の航空機器や都市のカザヨミと一線を画す人外的な軌道を描いて飛べるのはユナがエーテルを用いたエアリング技術を駆使しているからに他ならない。だが空中のエーテルを掴み、急激な加速や軌道変更を実現するその技術の実行には空間にエーテルが存在していなければならない。

 

 ユナとてエアリングを行うには周辺空間の停滞したエーテル領域を把握している必要があるのだが、後方より迫る晶動体はそういった制約を無視できる。

 

 必要なエーテル領域は自身の誘引特性によって呼び寄せ、絶えずエアリングを実行し続けられるのだ。

 

 例えるならばカザヨミは気流や空気の流れ、空間の"エーテルだまり"がなければ長時間の飛行が出来ないグライダーのようなものであるのに対し、晶動体は自身に動力(エンジン)を積み込んでいる飛行機器ようなものだ。

 

「くっ!」

 

 苦し紛れにアトリが周囲の瓦礫を蹴り上げ、破片をまき散らせ晶動体の動きを抑制しようとする。

 

「もー、危ないなあ」

 

 晶動体はそんな事を言いながら笑みを浮かべその場で静止した。エアリングが出来ないアトリと重症のユナ。いつでも捕まえられるという余裕の現れなのだろう。

 

 散った瓦礫に対し、面倒くさそうに、埃っぽい部屋の空気に顔をしかめ手で扇ぐような人間ぽい動作をしてみせる。

 

「まだ……、まだ……!」

 

「あははっ、まだ逃げるのー? 今度はどこまで逃げるのかなー?」

 

 晶動体の気まぐれで生まれた一時(いっとき)の猶予。出来るだけ瓦礫の陰に隠れながら逃げるように領域の端へと向かうアトリへと嬉々をにじませた表情のミサゴたちが合流する。 

 

「お姉ちゃん!!」

 

「ユナちゃん! アトリちゃん!」

 

 アトリを見つけたイスカが飛び込んでくる。意識を取り戻した途端に飛んで行った姉に心配と怒りを半々にして声に乗せるイスカの様子を見ても、アトリは満足に反応する余裕は無かった。

 

「アトリ……ツグミ、先輩……」

 

「お姉ちゃ……私の事、覚えて……」

 

「覚えてる。思い出した……ごめん、アトリ」

 

「お姉ちゃん……!」

 

「二人ともそういうのは地上に帰ってからっスよ! あっちで見つけたっス! 入口、かなりでかいっスよ!」

 

「見たところ既にエーテルが固定化され始めている。針で散らせる程度では無いはずだ直ぐに脱出を……ユナ?」

 

「ユナちゃん!? 血が!」

 

 ついに出口を見つけたミサゴたちが速く脱出をと急かすが、重症のユナはとても急かせるような状態ではなかった。

 

 瓦礫の影になるよう飛び、晶動体の視界から逃れてユナを休ませる場所を探す。幸いにも晶動体はまだ面白そうにかくれんぼに興じてくれている。

 

 

『ユナ! しっかりして!』

 

「はあ、はあ……クラコ、さん……」

 

 丁度よい陰を見つけてそこにユナを寝かせる。クラコも必死に声をかけているが、ユナの意識は遠ざかっていく。

 

「ミサゴ先輩っ! ユナちゃんが!」

 

「落ち着けツグミ。この位置なら内臓は避けている。出血も、そこまでではない。大きな血管も傷つけていないようだ」

 

「とはいえさっさと地上で治療しないとっスよ」

 

 瓦礫の影でユナの体を横にして状態を確認するミサゴたち。幸いにもユナの傷はそこまで深刻ではなかった。負傷した直後にユナが汚染源を体から引き抜いた事で結晶による肉体の影響は最小限に留まっている。出血も紅い結晶から漏れ出ているがそこまで勢いはない。

 

 また、ユナがか細くも意識を保っているおかげで翼が消失していない。翼を発現し続けているおかげで体内のエーテルは翼を通って体外へ排出されている。

 

 それでもユナの怪我は重症と呼べるものだ。いくらカザヨミでも体を貫通した穴を即座に塞ぐ事など出来はしない。小さなユナの体から流れる血の量は無視できない。

 

「……、ミサゴ先輩、ユナさんをお願いします」

 

「何をするつもりだ、アトリ」

 

 アトリは脂汗に濡れるユナの頬に手を添えようとして、逡巡して触れることなく手を下ろした。立ち上がったアトリは遠くに見える晶動体を視界に収め、深く瞼を閉じ、つぶやいた。

 

「……償いを」

 

「ばかっ! 何言ってんのさっ!!」

 

 イスカが飛び掛からんばかりの勢いでアトリに詰め寄る。イスカも十七飛行隊の面々も、ユナでさえアトリを助けようと行動していた。にもかかわらずまだアトリは命を投げ出そうとしている。イスカにはそう見えたのだ。

 

「死ぬつもりか?」

 

 ミサゴの淡々とした言葉にアトリは上手く言葉が出てこない。それでも絞り出した言葉は小さく、あまりにもか細かった。

 

「……。……いいえ」

 

「はあ。即答されないと不安なんスけど」

 

 全て自分一人で片づけるべきだと考えているアトリに対する、ある意味呆れとも言える感情がため息となって零れ出る。死ぬつもりは無いのかもしれない。それでも自分自身への"けじめ"を付けたいという意地が見える。

 

「アトリちゃん……」

 

「大丈夫です」

 

 アトリはユナに視線を向ける。自分の為に重傷を負ったユナは苦しそうに、けれどアトリへと笑みを向けた。

 

「アトリ、おねえ、ちゃん……」

 

 ユナが手を動かす。差し出された手をアトリは握り、何かを口にしようとするユナへ顔を近づける。

 

「お姉ちゃん、あの子の、ところに行ったら……」

 

 耳元でささやかれたユナの言葉は耳を傾ける。一言も聞き漏らさないようにとユナの体を支え、顔を近づけるアトリは痛みを堪えて微笑むユナの表情に顔が強張る。

 

 

 

 それでもアトリは逃げなかった。もう逃げようとは考えなかった。

 

「────ね?」

 

 ユナが言葉を紡ぎ切り、再びにっこりとアトリに微笑んだ。

 

 

 

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