ユナは賢い子だ。パソコンを使い、様々な情報を収集し知識としていた。その中には都市に関するものもあり、都市に入るための条件なども知った。カザヨミならば簡単に入れることも、その保護者も同様に都市内で暮らせることも。
だがカザヨミだからといって無条件で都市内に入ることはできない。カザヨミも、カザヨミが連れてきた人間もその身元が洗いざらい詮索され、
クラコとユナの場合、いつから団地に住んでいるのか、どこで働いているのか、両親はどのような人物か。それらの集められるだけの情報が集められ、当然
そうしてカザヨミとカザヨミが連れてきた人間の関係性が都市に確認され、ようやく都市内への入場を認められるのだが……。
……クラコもユナも理解していた。このままでは、二人は一緒に都市へと入ることはできない。カザヨミであるユナだけが都市へ、クラコは今まで通り都市外で暮らすことになる。
「クラコさんは……つくったごはん美味しくなかった? おふろ、気持ちよくなかった? 暖かいおふとん、しあわせじゃなかった……?」
「っ、ユナ
「なんで……! 昨日まで、ユナって呼んでくれたのにっ!!」
二人は一緒に住めない。なぜなら、カザヨミの特権である都市外の人間を都市に住まわせる権利というのは、そもそもカザヨミの為の制度だからだ。
カザヨミが翼を発現させカザヨミだと都市に認定された場合、家族と共に都市に移住できる権利が得られるが、それは幼いカザヨミの精神安定の意味合いが強い。カザヨミが翼と共に能力を発現する時期はまだカザヨミたちは未成年であり、精神的にも不安定な時期だ。カザヨミが能力を十分に発揮するには肉体的、精神的安定が重要であり、できる限り精神面での安定を図るため、近しい存在を傍に居させるようにという配慮だった。
それならばユナの隣にはクラコがいるべきだとこれまでの二人の生活を知っている者なら当然思うだろう。
だが、二人の事情など都市は関知しない。都市が重要視するのは都市所属となったカザヨミがどれほど安心して活動できるかを数字で判断した結果だ。
数字だけ見るならクラコとユナは出会ってまだ数日程度しか経っていない。
対してユナとユナの叔母は数年以上も共に生活し、ユナを育て上げた……ように都市は判断するだろう。
結果としてユナは叔母の家族と判断され、そちらに引き取られる。クラコはたった数日一緒に暮らしただけの無関係な一般人と見なされる。
クラコはそうなることを分かっていた。分かっていても、都市で暮らす方がユナの為になると判断し、作った笑顔でユナを都市へ送り出そうとした。
ユナはそうなることを分かっていた。分かっていたからこそ、ユナは手を離そうとしなかった。
「……クラコさんは、私の事、嫌いになっちゃった……?」
「そんなこと……!」
「私はっ……!」
クラコは否定しようと声を荒げるが、それでもユナの叫びの方が大きい。ユナはじっとクラコの目を見続けている。涙で視界がぼやけても、決して視線は外さない。
ユナの涙が床にぽたりと流れ落ちる。手で乱暴にその流れを拭い、感情をあらわにするユナの様子にクラコは如何すればいいのか分からず、両手をさまよわせる。ユナの口から吐き出される言葉は、確かにクラコに突き刺さっていた。ユナの本心と、すれ違っていたクラコの想い。それをクラコは痛いほど思い知った。
「ユナ……!? これは……!?」
ユナの感情の高ぶりと共に店の中の商品棚がガタガタと音を立て、並んでいた商品が床に転げ落ちる。足元から響く衝撃は無く、地震ではない。周囲に感じる空気の圧力、のようなものが置かれていた物を動かしている。
つまり、店の中に風が吹いているのだ。
「これは、カザヨミの……」
思わず店長は小さくつぶやく。カザヨミは風を用いて空を飛ぶとされており、都市の飛行訓練は風を感じるところから始まるという。そうして翼で掴んだ風はカザヨミに力を与え、体を浮かせるほどの力をもたらす。
だが、その感覚は只の人間には理解できないほどに難解で、感覚的な部分が大半を占めている。数値化できない感情や気持ちといった不確かな形のものを頼りにカザヨミは空を飛ぶ。
風を感じる。あるいは風を掴むには才能のあるカザヨミでも一週間はかかると言われており、最近更新された最短記録でも三日ほど必要とされている。
だが、渦巻く風の中心にいるユナは完全に翼を発現させる前にすでに風を掴んでいた。激しい感情の発露による力任せな掴み方であったが、それでもユナはこれまでの最短記録を大きく塗り替え、0日……いや、たった数分程度で風を自らの力にしてしまった。
「わたし、クラコさんと一緒に居たい! ずっと、ずっと一緒に居たい!」
ふわりと、ユナの青灰色の髪が浮かび上がる。同じように涙のしずくが頬から滑り落ちると同時に宙に浮かぶ。ガタガタと店内の窓が悲鳴を上げ、分厚い空気の層が周囲に発散される。
「クラコさんが、好きなんだもん!」
ばさり、と何かがはためき、翻る音が聞こえた。店の中を暴れまわっていた風はその音によって戦慄くのを止め、現れた主に従うようにおとなしくなる。
胸元に手をやり、すべての想いを吐き出したユナの背中には今までなかった大きく、美しく、神秘的な翼が発現していた。
翼はユナの髪色と同じく青灰色をしており、暗い雨が降る中でもその美しさは少しも褪せることなくそこに在った。全体的に青灰色なのだが、根元はわずかに白い色が混じっており、それが翼の先へと流れるにつれて灰色が濃くなり、初列風切までゆくと次に濃い青が主張してくる。
生物的な柔らかさを持ちながらも、色合いと水を弾く艶やかさによってまるで金属のような滑らかで人工的とも思える美しい形をしている。
カザヨミの中でもこれほどに完ぺきな形状の翼を持つ者はほとんどいないだろう。
「カザヨミの、発現よ……」
ただ唖然とその光景を眺めていた店長は同じくユナのカザヨミとしての姿に唖然とし、ただユナを見つめているしかできなかった。
「っ! まってユナっ!」
だがクラコが呆けている間にユナはその翼を広げ、一度だけ大きく羽ばたいた。それだけで空気の塊が台風のように店の中で暴れまわり、思わずクラコは目をつぶり、ユナの名前を呼ぶ。そうしてほんのわずかな時間を経て風が収まった時、そこにユナの姿はどこにもなかった。
「ゆ、な……」
「なにやってるんだい!」
「うっ!?」
呆けたままユナが消えていったであろう空の向こうに視線をさまよわせるクラコに、店長は叱咤するように強い口調でクラコのお尻を、杖で思い切り叩いた。
「さっさと追いかけないかい!」
「で、でも……どこに行ったのか……わかりません……」
「母親のくせにそんなことも分からないのかい!? いい、あの子はね──」
店長は腰を曲げたままクラコの背中を無理やり押して店の外へと出させる。灰色の雨はすでに止み、停滞雲の隙間からわずかに夕日の灯りが漏れ出ていた。まだらに地面に落ちるオレンジ色の影の中、クラコは消えていく太陽の光が指す方へ、店長の言葉に従い走り出した。
「──あの子はね、帰ったんだよ! あの子の帰るべき、自分の居るべき場所にね!」
◇
クラコが住む団地は雨風に曝され、ただ朽ちていくだけの廃墟同然の場所だった。すでに管理する人間もおらず、都市以外のすべての秩序が失われた現在では土地の権利やら団地の維持などについて責任を持つ者はいなくなっていた。
なのでクラコがこの団地に住むことを決めた時、何かしらの許可を得るために行動した事はなかった。最低限、近くに住む店長に挨拶をしたくらいだった。
とはいえ住まわせてもらっているクラコは自ら積極的に団地の清掃活動や修繕活動を行っていた。とはいえクラコは専門家でもないのでコンクリート壁の亀裂を修復剤を用いて直す程度しかできなかった。徐々に朽ちていく団地の姿、それを横目にクラコは階段を全速力で上っていた。
「はあ……はあ……!」
雨水で滑りやすくなっている階段を一段飛ばしで駆け上がるクラコは握りしめた家のカギをそのままに、団地の屋上を目指す。既に暮らす部屋にユナが居ないことは確認した後だ。その時点でクラコはユナが居ないことで体が崩れ落ちそうになるが、なんとか屋上への階段を目指した。
よくよく考えれば部屋はカギをかけてきたし、カザヨミであるユナなら窓から入り込むこともできるだろうがユナがそんな事をしないとクラコは理解していた。だから、ユナがこの団地に……ユナがここを家だと思ってくれているのなら、きっとそこに居るはずだ。
階段を登り切り、錆びた扉がクラコによってきしむ音を立てぎこちなく開かれる。屋上は柵も何も設置されておらず、多少エアコンの室外機らしきものの残骸が残っているだけのさみしい景色が広がっていた。このあたりの建物の中でそれなりの高さを誇る団地の屋上から見える景色は一帯の住宅街跡を一望する事ができる。遠くに見える湖岸の都市や、その向こうの湖に突き立てられたビルの姿さえも伺う事ができる。そんな光景を見つめる小さな影にクラコは思わず小さくつぶやいた。
「! ……ユナ」
屋上の端っこで膝を抱えて座り込んでいる少女の姿があった。
小さな少女の姿は、その数倍の大きさの青灰色の翼によって存在感が強く主張されている。翼は限界まで広げられ、少女の背中でわずかに風を受けて動いている。
クラコは乱れた息を整えるように深く息を吐き、ユナへと歩みを進める。
数歩歩いたところでユナの体がびくりと震え、広げられた翼がユナを守るように小さく折りたたまれる。
「ユナ、ここに居たのね。ごめんね、部屋の鍵渡しておけばよかったわね……」
「……」
クラコはユナに近づく。だがユナは背を向け、座り込んだまま屋上から見える光景に視線を落としている様子だった。
「……綺麗な翼ね、本当に、ユナにぴったり」
「……」
ユナはまだ口を閉じたまま。ついにはクラコがユナの横に座り込んでも、ユナは何もしゃべらない。いや、何を話していいのか分からないのかもしれない。
「……さっきはユナの気持ちを考えずに、自分勝手な事を言ってしまったわ。ごめんなさいね。私はユナを嫌いになんてなってない、絶対に」
「……私は」
そうしてユナは視線をクラコへと向ける。涙で潤んだ暗褐色の瞳がクラコを見つめる。
「私は、クラコさんと一緒に居たいよ? クラコさんが、好きだよ? これのせいで、クラコさんと一緒にいられないなら……こんなの、いらない……!」
クラコと視線を合わせたままユナは自身の翼に手をかけ、生え揃った羽を乱暴に掴み、毟り取ろうとするがそれをクラコがユナの手に自身の手を添えて制止する。
「ユナ……さっきまでは、都市に行くのがユナにとって一番だと思ってた。でも、違うんだって分かった。ユナの想いはしっかりと私に届いたわ。……だから、私も本当の気持ちをユナに伝えたい」
クラコは添えた手をユナの背中へまわし、力強く抱きしめた。
「ユナがカザヨミだったとしても関係ない。私のそばにずっと、ずっと居てほしいの……私もユナが好きだから」
「クラコさんっ……!」
うれしさのあまり飛び上がるユナを立ち上がって支えるクラコ。二人は涙を隠すこともなく、二人で思い切り泣き、そして笑いあった。
ユナはカザヨミと成り、様々なものを手に入れた。だが、そのほとんどはユナにとってそれほど重要ではなく、必要でもなかった。
だが。
「ちょ、ユナ!?」
立ち上がった背の高いクラコ、その顔付近へユナが近づくにはクラコに屈んでもらうか一緒のベッドで眠る時くらいしか機会がなかった。だがカザヨミの翼でふわりと浮かび上がれば、ユナはいつでもクラコの視線の中に入る事ができる。
今のように、溢れ出た愛情のままにクラコの頬に自身の頬を摺り寄せることもできる。
それが初めて、ユナがカザヨミの力に感謝した瞬間だった。