この世界は確かに崩壊し荒廃に向かっているが、だからといって地球全土の生物が軒並み絶滅しようとしているのかと問われれば、そういうわけではない。総数自体は減少しているのは確かだが、降害によって絶滅した生物というのはほぼ存在しないとされている。人類はもちろん、陸上生物も海洋生物もかつてと同等の種が地球上に繁栄し、その生活を続けている。
そして、その中には当然鳥類も含まれている。
かつてはその姿からカザヨミの飛行技術の手本とされながら、根本的な飛行方法の相違によって別種と判断された鳥類だが、最初期の手本とされた時代の名残りは様々なところに現れている。例えばクラコとユナが行っていたホバリング技術を用いた飛行訓練だが、この"ホバリング"という名称はそもそも鳥類特有の飛行技術の事を指す。それが航空機械に用いられ、さらにはカザヨミにも用いられたというわけだ。
ほかにもカザヨミの翼に見られる羽の連なりや特徴は鳥類の羽を分類したところからそのまま名付けられていたりもする。
そして、そんな名称の名残はカザヨミの翼の手入れにおいてもそのまま使われている。
「それじゃあ……触るわよ……?」
「う、うん……」
現在クラコとユナは寝室に居た。大量にあるキャラクターもののクッションとぬいぐるみをベッドからどかし、カーテンを締め切った薄暗い空間で二人はベッドの上で向かい合って座っていた。何故か二人とも正座で、視線が定まらず息も少し乱れている。
「あ、あの……! や、優しくお願いしますぅ……」
「……も、もちろんよ……!」
クラコは手汗がにじむのを感じ、思わず用意したタオルでふき取る。本当ならば手を洗いに行きたいくらいだが、寝室に来るまでにもう何度も洗いなおしているのでキリがないとベッドから立つ事はなかった。
対するユナも緊張から心臓の音がいやに大きく聞こえるような気がしていた。ユナは上着を脱ぎ、上半身は裸の状態だ。さすがに下着は付けているものの、こんな状態でクラコと寝室で向かい合う事など今までなかった。
お風呂場でもない場所で服を脱ぐという、背徳的とも思える行為にユナの心はぎゅっと抑え込まれるような圧迫感を感じる。苦しいわけではない、だが焦燥のようなものを感じたユナはその感情を抑える
「右から、いくわよ……」
「うん……!」
一度確認を取ったクラコは座るユナに近づき、正面からユナの背中の翼に、ゆっくりと殊更優しく、ガラス細工など目でもないほどの繊細な手つきで触れる。
「あんっ……!」
「! ごめんなさいユナ、痛かった……?」
触れた瞬間ユナの体が跳ねた。腰あたりから胸へと電気が走ったようにのけぞったユナの様子にクラコは翼に触れていた手を即座に引っ込めた。だがユナは引っ込められたクラコの手に自身の手を這わせ、引っ張る。
「大丈夫……少し、びっくりしただけだから……続けて……?」
「……痛かったら、すぐに言うのよ?」
クラコはユナの青灰色で美しい翼の先から徐々に根元……ユナの背中へと向かって手を触れていく。触れながらその柔らかくも艶のある羽を一枚一枚じっくりとなぞりあげ、傷や汚れが無いかを丹念に確認していく。
「ひぃん……あうぅ……やあん……」
「ちょ、ユナ声、声抑えて……!」
「むりぃ~……ひんっ!」
クラコは予想以上にユナが悶えるので焦ってなかなか手が進まない。ユナも想像以上のくすぐったさに声が抑えられず両手で口を抑えるが、それでも熱っぽい吐息が漏れ出てしまう。
二人は屋上でのホバリング訓練の後、カザヨミの翼のメンテナンスである"羽繕い"を行っていた。鳥類はその嘴で羽に入り込んだゴミや寄生虫などを取り除き、乱れた羽を整えるわけだが、カザヨミの羽繕いは少し違う。
カザヨミはその内に翼を収納し、飛ぶ時だけ体外に発現させる。だが、そもそも内にあったものを外に広げるわけなのでカザヨミにかかるストレスはかなりのものになる。本人には無意識だろうが、翼の発現によるストレスは馬鹿にならないもので、飛行時の集中力低下や疲労の原因にもなる。無意識であるためカザヨミ本人にそれらの自覚が出るのは症状が進んでからで、場合によっては飛行中の突然の墜落などにもつながる。そのため根本原因であるストレスの緩和を行う羽繕いはカザヨミにとって重要な行為なのだ。
方法としては専用の道具や器具を用いるのが都市では一般的だが、それらが用意できない場合はカザヨミ本人以外の人間によるマッサージが効果的とされている。というより、マッサージしてもらえる他者が居ないから専門の道具が作られたといった方が正しいだろう。カザヨミの翼は内に収納してある関係上かなりデリケートなつくりをしている。ユナがクラコの指に敏感に反応しているのはけっして大げさな反応ではなく、それがカザヨミにとって普通なのだ。
しばらく続けていれば慣れて翼に触れられる感覚にも動じなくなるが、新人カザヨミにとってはかなりの問題だ。そしてそんな嬌声ともとれる声を他人に聞いてほしくないという新人カザヨミたちの要望から彼女たちが一人で羽繕いできるようにと道具が作られたのだ。
「背中の付け根までは一人だと難しいわよね、ユナどう? 気持ちいい?」
「んあ!?」
もはやクラコの言葉に反応してる場合ではないユナだが、気持ちいいかと聞かれれば……それはもう、聞かれるまでもなく、とてつもなく気持ちが良いとユナは口に出したい衝動に襲われる。
カザヨミの翼は体の外に出せばストレスとなるわけで、ならばその翼に触られるとさらにストレスになってしまうのでは? と思われるかもしれないが、実際は他者に触れてもらうことでストレスが軽減されるといわれている。理由は色々と考えられているが、翼を触れさせるほどに気心のしれた相手ならば、羽繕いは深いスキンシップや愛情表現と判断され、その結果カザヨミは安心感を得てストレス軽減につながるのでは、と言うのが通説だ。
ユナにとってクラコは自身の翼を任せるに値する人物であり、クラコの触り方は一心にユナを想う気持ちがこれでもかと含まれている。それを翼が敏感に感じ取っているかのように、ユナはクラコに翼を触られるたびに幸せな気持ちでいっぱいになる。頭を撫でられたり、一緒に抱き合って眠った以上の幸せな気持ちは、恥ずかしさも相まってユナの口を閉じさせている。
とろけた声で気持ちいい! なんて、ユナには恥ずかしすぎて言えるはずもなかった。
「ほら、マッサージしてるわけでしょ? やっぱり気持ちいいのかな~って」
「あうっ、そんなの、聞かないでぇ!」
「……痛いかしら?」
「痛くないけどぉ! んっ!?」
無意識にクラコから距離を取ろうと上半身を引くユナだが、クラコは片手でユナの背中に手を回し、もう片方で翼の付け根あたりを優しく撫でさすってやる。ゾクゾクとした感覚がユナの背中を駆け巡るが、背中に回されたクラコの手のせいで感覚を逃がすように身じろぎできない。
「きゃう…………」
「あら、ユナ? ユナ~?」
結局恥ずかしさやら多幸感やらでゆでだこ状態のユナはそのまま気絶するようにクラコの腕の中で意識を手放した。おかしいわね、とつぶやきながら書籍の羽繕いのページをぺらぺらめくるクラコは、そこに記載されていた新人のカザヨミは感覚に敏感なので最初は軽く撫でるだけで止めましょう、という注意書きを見て、天を仰ぐのだった。
◇
「…………」
「ごめんってばユナ~。まさか気持ち良すぎてあんなことになるなんて思ってなかったのよ~」
「……ふん」
「ほら、今日は一緒にご飯作りましょう? あ、一緒にお風呂入る? 特別に夜は同じベッドで寝てもいいよ?」
「いつも……そうだもん」
「あはは……そうだよね。いつも一緒に居るもんね……」
力尽きたユナをベッドに寝かせて夕飯の準備をしていたクラコがユナを呼びに行った時、そこには翼を広げて不貞腐れたように背を向け、ベッドの上で膝を抱えるユナの姿があった。
ユナの不機嫌具合を表すように翼は小さくパタパタと動き、ちらりとクラコを見るユナの頬っぺたはぷっくり膨らんでいる。
「次はしっかり丁寧にやってあげるから心配しないで?」
「それはもっと心配になる!!」
ぴょんとベッドから飛び降りたユナはまだ唇を尖らせてはいるがクラコの元まで来ると手を差し出してくる。それをクラコは握り、手を繋いでリビングまで歩いていく。どうやらユナは怒っているわけではないようだ。クラコに自身のあられもない姿を見られたことに恥ずかしさで顔が見られないといったところだろう。
不思議な顔をしながらもクラコはユナが怒っていないことに安堵し、今度は羽繕いに関する内容をしっかりと把握してから実践しようと心に誓いながら、ユナの姿を横目に確認する。
さすがに下着姿のままは恥ずかしかったのかインナーを着ているのだが、その背中はめくりあがり青灰色の翼がそのままに飛び出している。翼を長時間発現させておくのも訓練の内だとしてそのままなわけだが、それにしてもめくりあがったインナーがなんとも大胆に見える。飛行訓練時は背中から翼を通せるようにと穴を開けた上着を着ていたのだが、それほど服に余裕があるわけではないのでカザヨミ用に穴を開けた服というのは現状あまり用意できていない。
(カザヨミのための服って……手に入るかしら……?)
都市にはいくつものブランドの店が軒を連ねていると聞く。きっとカザヨミ専門の服も売っている事だろう。クラコはテレビで都市の上位層が着ている、美しいドレスの背中がガッツリ空いたものを頭の中に想像し、それをユナが身に纏っている姿を想像し、すぐさま頭を振って妄想を霧散させる。
「? どうしたのクラコさん」
「ううん、何でもないわ……今度店長に服も頼んでみましょうか。背中、苦しいでしょ?」
「大丈夫だよ?」
「遠慮しちゃだめよ、せっかくカザヨミになったんだから、気持ちよく空を飛べるように環境づくりしないとね」
「……うん、ありがとう」
クラコとユナの距離感は確かに縮まり、ユナは自分からクラコにくっつくようになった。だが、それでも与えられることに遠慮するところがある。叔母と暮らしていた時は叔母の娘たちが着ていた捨てる前の古着を与えられていたので真新しい服に身を包むことに慣れない様子だった。
(……それなら、いっそ作ってみようかしら……?)
ユナが遠慮しているのは服が高価だと知っているからと判断したクラコは、店長に頼む商品をカザヨミの服から通常のかわいらしい服へと変更し、いくつかの裁縫道具を一緒に注文することに決めた。
通常の服を自分で改造してしまえばユナも遠慮なく袖を通し、使い倒してくれるだろうとクラコは納得するように微笑む。
だが、クラコは知らない。ユナは服に限らずカザヨミ関連の商品が軒並み高価であることはネットから知っているし、そもそも何かを買ってもらうというクラコの負担になるようなことは避けたいと考えている。
そんなユナの為にお金と時間を割いて服を作るなんてことをクラコが考えていると知ったらユナは慌てて首を激しく横に振りまくるだろう。それでもユナが焦りだす頃には手遅れで、ユナは遠慮がちにクラコから服を受け取るのだろう。
「クラコさん、明日も飛ぶ練習したいけど……いい?」
「もちろん。ユナがしっかり一人前のカザヨミになれるように手助けするわ」
ユナの頭をぽんぽんと軽く触れ、幸せそうに微笑むユナを見つめる。ふと、いたずら心が沸いたクラコはそのまま屈んでユナの耳元に近づく。
「……ちゃんと、練習の終わりは"羽繕い"もしてあげるから。……しっかり丁寧に、ね?」
「あ、うぅ……うん、お願い、します……」
真っ赤に顔を染めたユナはなぜかもじもじしながらも上目遣いにクラコを見る。どこか期待しているような……そんな瞳の潤みようにクラコは思わずドキリとしてしまう。恥ずかしさを紛らわすようにユナがえへへ、と笑えばクラコもつられて微笑む。
ユナの翼は感情を表すようにせわしなく動いているのだった。