愛鳥少女とキンヨク生活のすすめ。   作:田舎犬派

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29羽 手編みのマフラーと銭湯

 

 人類が空を飛ぶ手段を手に入れてから数世紀もの年月が経過し、その手段は多様化の一途を辿った。気球のような単純な自然法則を利用したものから始まり飛行船のような科学技知識によるものが登場し、さらに発展した科学は航空力学の分野を成長させて航空機を生み出した。機体の形状は飛ぶのに最適化、エンジンの性能向上により人類は音速の壁さえも突破しうるまでになる。

 

 だが、それらは既に過去の栄光となった。大型の飛行機械は停滞雲ひしめく空を飛ぶことなど出来るはずもなく、電波を遮断する停滞雲に囲まれれば自身の位置を把握する事すらできず、小型の航空機でさえ簡単に墜落してしまう。

 

 ゆえにこの世界において空を飛ぶことができるのはカザヨミだけとなる。それまで存在していた空路の全てを代わりに請け負ったカザヨミたちは、ただの人よりも強靭な体とはいえ人間である事に変わりはなく、空気が薄く寒さ厳しい高度を連日飛行しなければならない。

 

 カザヨミであるユナもそんな環境を飛ぶ機会がやってくるだろう。その時の為にクラコはせっせと手を動かしては頭を悩ませている。

 

「うーん……こんなものかしら?」

 

 クラコは家のリビングで情報端末を見ながら何やら作業を行っていた。手に持っているのはなにやら細長い二本の棒、それにエーテル繊維化させた毛糸をひっかけて恐る恐る指先を動かしている。慣れない作業の為何度も何度も動画と手元を交互に見ながら徐々に毛糸を編み上げていく。

 

「薄めの水色はやっぱりいいチョイスだったわね。きっとユナの髪と翼によく合うわ」

 

 クラコが制作していたのは毛糸で作る手編みのマフラーだった。ユナの翼の色に近しい薄水色の毛糸を用いて編み上げられているそれは見た目通りのふわふわとした手触りとなっており、編んでいるクラコでさえ不思議と手が止まってしまうほどの魅惑的な触感だった。

 

 停滞結晶を砕いたエーテル溶液に付け込みエーテル繊維とした毛糸だが、触った感じではなんの違和感もない。毛糸はひたすらふわふわもふもふとしており、何かしらの溶液に浸されたようには感じなかった。クラコはそんな違和感の無さにエーテル繊維化に失敗したのかと考えたほどだ。

 

 都市から得た資料によればそれが普通らしいが、都市さえエーテル繊維の実物を制作していないのであまり信頼はできない。

 

「やっぱりユナに使ってもらわないとダメねぇ」

 

「何がダメなのー?」

 

 小さく零したクラコの独り言に別室に居たはずのユナが反応した。両手には水色をしたプラスチック製の桶を抱え、中にはタオルや石鹸といったものが収められている。ユナはクラコに視線を向けたまま、翼の先端を器用に動かして髪留めの紐を解き、それを桶の中に入れた。

 

 ここ最近の室内訓練のおかげかユナの翼はそんな細かな動きさえできるようになっていた。もはや腕と同じほどの動きが出来るようになったと、どこか自慢げに目を輝かせていたユナを思い出しクラコは少しだけ微笑んだ。

 

「ふふ、これユナに一度使ってもらわないとってね。でも停滞雲に入るわけだから、他の服もできてからの方がいいかも」

 

 そう言って作りかけのマフラーを手に取る。既にユナには手製のマフラーをプレゼントするとは言ってある。最初はひどく狼狽して断ろうとしていたユナだったが、既に材料は揃えた後で、作らないとそれらが無駄になるよ? とクラコが言えばユナは悩まし気な声を漏らし、結局クラコの行為を受け取ると決め、頭を下げてお礼を言った。その後はマフラーが形になっていくのを心待ちにしている様子だった。

 

 そのマフラーが停滞雲の内で活動するための道具としての一面があると説明されていたとしても、クラコ手製のプレゼントの存在はユナの心を大いに期待させるだけの威力があった。

 

「え……で、でも停滞雲の中に入らなくても、一度付けてみたほうが良いとおもう!」

 

「そう、かしら? 普通のマフラーと変わらないわよ?」

 

 だが、そんなユナの期待が籠った声に気が付かずクラコは首をかしげる。クラコから見ればそれはただのマフラーにすぎない。多少手は加えてあるものの、素人が何とか形にした毛糸のマフラーなのだ。ユナに渡すには少し不格好だと思えるほどには。

 

 しかしユナからすればそれは何と比べる事もできない最高のマフラーなのだ。あのクラコが、自身の為に作ってくれた世界でただ一つだけの宝物なのだ。

 

「ううん! クラコさんに編んでもらったマフラーだもん!」

 

 ユナはそんな気持ちをクラコに伝えるよう、満面の笑みでそう応えた。きっと数日後、空を飛ぶユナの首元には暖かなマフラーが巻かれている事だろう。チラチラと作りかけのマフラーを見るユナだが今はそれよりも気になるものがある。ぐっと堪えてクラコに催促する。

 

「ねえクラコさん早く銭湯に行こーよー!」

 

「あ、もうそんな時間なのね。わかったわ、それじゃあ行きましょうか」

 

 クラコがマフラーに集中している間に太陽は夕暮れ色に傾き始めていた。作りかけのマフラーの形が崩れないよう気を付けながら片づけ、クラコは立ち上がりユナの傍に寄った。

 

 どうやらクラコのぶんのお風呂セットも用意してくれていたらしく、ユナはどこか自慢げに微笑んでクラコを見上げた。わしゃわしゃと頭を雑に撫でるとユナはかわいらしい悲鳴を上げて扉の方へと逃げ出し歩いていく。

 

 翼のせいだけでなく、どこか軽やかな足取りでユナはドアを開け外に出た。予想通りにオレンジ色な空は少し肌寒い空気を連れてくる。停滞雲の影響で四季なんてものがなくなり、今が暑い時期なのか寒い時期なのかも分からない。それでも日が沈む黄昏時の寂し気な風はいつものように団地の階段を駆け抜ける。

 

 

 クラコとユナは夕闇が近づく瓦礫の道を歩いていく。繋いだ手から伝わる互いの体温をもっと確かめたいと互いに強く握り返し、思わず互いに顔を見合って微笑む。

 

 繋いだ手をぶらぶらと動かしながら歩く。歩幅はユナに合わせ、翼をしまったユナはクラコと飛んだ空の話を楽し気に語り出す。それにクラコはうんうんと相槌をうち、ユナは身振り手振りで感動を表す。

 

 そんな光景は二人が銭湯に着くまで続くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「クラコさん! おっきい!」

 

「この辺りに残ってる建物の中でもかなり大きい部類の建物だからねえ」

 

 二人が見上げるものは瓦礫ばかりの街でかろうじてその形を保っている巨大な建物だった。屋根に敷き詰められた瓦はところどころ剥がれており、壁も同様に破損が見て取れる。それでも銭湯としての設備は問題ないらしく、巨大な煙突より湯気がもくもくと昇っていた。

 

 通常の家とは異なる、大きく開け放たれた銭湯の入り口から漂うお湯と石鹸の匂いは家のお風呂とはまた一風違った風情を感じる。懐かしいような、さみしいような、そんなノスタルジックな気持ちを抱かせるには十分な光景だった。

 

 中に入ればその感覚はより一層膨らんでいく。昔のまま、この銭湯が活気に溢れていた当時と変わらないであろう姿はユナには珍しい光景と映るのだろう。壁一面に備え付けられた鍵付きの棚に靴を入れ、木製のカギを大切そうに持つユナは脱衣所でぐるりと視線を動かし部屋の様子を興味深そうに観察する。

 

 家の脱衣所とは比べ物にならない程に広いその空間には服を入れておくための棚があり、近くに四角い竹かごが置かれている。壁に設置された扇風機から独特のモーター音が漏れ、吊るされた蛍光灯がわずかに揺れている。古い壁掛けの振り子時計がゆっくりと時を刻み、皮の張られた大きなマッサージチェアが片隅にちょこんと置かれている。

 

 壁に設置された大きな鏡の前には縦長でガラス張りな冷蔵庫と、これまた古い体重計がその姿をさらしていた。

 

 珍しくもどこか懐かしい光景に声を漏らすユナの様子に気が付いたのか、奥の部屋から店長がやってきた。

 

「あら、いらっしゃい。遅かったわねぇ」

 

 いつも通りの温和な声音で語りかける店長だが、今日はその頭に鉢巻が巻かれ、浴衣に身を包んでいる。店長というより、番台の主といったところだろう。

 

「元々遅く来るつもりだったんです。……もう人は居ませんか?」

 

「ええ。割引券を配った人たちは全員帰った後よ? ……ああ、ユナちゃんね」

 

 店長が言うようにクラコとユナがやってきた時間というのはかなり遅い時間だった。割引券に書かれていた営業終了時間の、およそ一時間前といったところだろう。

 時々店長が開ける銭湯のお客は基本的に営業が開始された直後にやってくる者がほとんどだ。

 

 お風呂を毎日入ることができないような環境で生活しているような人間も多く、そのため営業開始と共に我先にとやってくるのだ。

 

 なので営業が終了するギリギリの時間帯になるともうほとんどお客はやってこない。時々割引券も持たない飛び込みのお客がやってくる事もあるが、今日はそれもなさそうだ。

 

「一度石鹸でめいいっぱい洗ってあげようと思ってたんです」

 

 そう言ってクラコは銭湯の設備を見て回るのに夢中なユナの背中をじっと見つめている。基本的にカザヨミの翼は体の中にしまう際、付着した汚れは体の中に取り込まれる事は無い。そのため都市のカザヨミは翼を洗うどころか、羽繕い以外で翼に触る事さえほとんどない。

 

 だが、カザヨミの翼はカザヨミの肉体の中でも特に繊細な器官であり、僅かな違和感がストレスの原因になりうる。一般人がお風呂に入ってさっぱりするように、カザヨミの翼もまる洗いすればさっぱりして気持ちよくなるのでは? と考えクラコは今回ユナを、その翼までもまるまる洗ってやろうと考えていた。前回家で翼を洗ってやった時は狭い浴室で羽を折りたたみながらだったので、今回は広々とした銭湯で思い切り羽を広げて洗ってやると決めていた。わざわざ人が居なくなる営業時間ギリギリにやってきたのはそういったクラコの思惑があったからだ。

 

 クラコのそんな考えなど露知らず、まんまと銭湯にやってきたユナはこれからその体を余すところなく、それこそ翼を広げさせられ、その先まで丹念に洗われてしまうのだ。素手で羽繕いをしただけであれほど身もだえしているユナが、石鹸をプラスした羽繕いに耐えられるかは……前回の事を思い出せば言わずとも、だろう。

 

「あら……あまり強くしちゃダメよ?」

 

 まさかこれから銭湯の広い浴室全体にユナの悶える声が響き渡るなんて考えもしていない店長は深く考えることなく無難な言葉を返すだけだった。

 

 

 

 

 何も知らないユナと、すべてを知っているクラコは大きなお風呂に入る前に体を洗い始める。最初は隣同士で体を洗っていたのだが、ユナはどうにも銭湯のシステムがよく分かっていない様子で、シャワーを出すのにも首を傾げ四苦八苦していた。

 見かねたクラコが助けに入り、そのまま流れでクラコはユナの体を洗いだした。それに対してユナはいつも洗ってもらっているので大した抵抗もなく、洗われている。 

「く、クラコさん……?」

 

「んー?」

 

「な、なにかあったの……?」

 

「ん? 何もないわよ? ふふ、おかしなユナねえ」

 

 いつも以上にニコニコとした顔でユナの身体を洗うクラコに、ユナはなにか言い知れぬ不安を抱く。大体このような雰囲気を纏っている時は何かしらの恥ずかしい目に遭うと決まっているのだ。

 

 少なくともこれまでお風呂やら羽繕いやらで似たような雰囲気のクラコに身体をまさぐられまくったユナにはそれが分かる。こんなところでカザヨミ由来の勘の鋭さを発揮したくなんて無いと思いつつ、ユナはされるがままにクラコに体を預けるしかない。

 

「それじゃあ次は翼ね。出して、ユナ」

 

「え?」

 

 その言葉にユナは正体不明な不安の正体を察した。幼いながらも目まぐるしく頭を働かせ、先日汚れた翼を石鹸で現れた時の感覚を思い出したユナはたまらず湯舟の方へと逃げるべく立ち上がろうとするが、後ろからユナに抱き着かれ、がっちりとその場に固定されてしまう。

 

 つい先ほどまで二人とも体を洗っていた為、タオルなどを身に着けているはずもなく、後ろから抱きしめられる形で拘束されたユナの背中には当然ではあるがユナの体が密着する事になる。クラコの女性らしい柔らかさが背中に伝わり、ユナの声音は弱々しく萎んでいく。

 

「あ、あうあう……」

 

「ほらほら、早く出しちゃいなさい。今なら人もいないから、広々と翼を広げられるわよ?」

 

 ユナの綺麗な青灰色の翼を泡だらけにするべくクラコはユナの後ろから回した両手にボディーソープをたらし、泡立てていく。奇妙な粘性のある音を立てるクラコの指先に思わずユナは顔を赤らめる。

 ユナはその動作だけでクラコが一体何をしようとしているのか分かってしまう。自身の翼を傷つけないよう、きっとクラコはその泡立てた手と指で翼を丹念に洗い尽くすのだろうと。

 

「く、クラコさん……お、おねがい」

 

「大丈夫よ、優しくするから」

 

「そうじゃない~! うう……」

 

 観念したユナは唾を一度飲み込み、そうしていつもベッドの上で行っているように翼を広げた。普段は薄暗い寝室で行っている羽繕いを銭湯の照明が照らし出す場所で行う事にユナの心臓はいつも以上に激しく鼓動を打つ。だが、そんなユナの状況などお構いなしにクラコは発現した獲物に向かって優しく手を触れた。

 

「んんっ!?!? んにゃぁ!!??」

 

「もっと声を出しても大丈夫よ、聞いている人なんてほとんどいないから」

 

 銭湯の周囲は崩壊した街並みが並び、人は誰も住んでいない。ユナがどれだけあられもない声を上げたところで聞いているのはクラコと店長だけ。それがユナにとっては不幸中の幸いだっただろう。

 

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