愛鳥少女とキンヨク生活のすすめ。   作:田舎犬派

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30羽 ぬくもりと小さな開発室

 

「クラコさん、到着したよ」

 

『こちらもしっかり確認しているわ。体の方は大丈夫?』

 

「うん、ちょっぴり怖いけど、もう大丈夫だよ」

 

 手に持った携帯端末を耳にあて、聞こえてくるクラコの言葉に応答するユナはほんの少しだけ不安そうな声音を発しそれを聞いたクラコは落ち着かせるように柔らかな声を心がけユナと言葉を交わす。

 

 本当ならば傍に寄って抱きしめ、安心させてやりたいのだが、現在ユナはクラコでは近づく事さえできない場所にいる為、それがクラコにとって精いっぱいの励ましだった。

 

「とっても、気持ちいい風……」

 

 まばらな青空と灰色の停滞雲が覆う空に青灰色の翼が浮かんでいる。何度か翼を動かし風を感じ、ユナは空の気流を完全に把握しその場でホバリングして留まっていた。

 

 突風などで多少体が揺れるがユナは気にせずその場で視線の先にある停滞雲を見つめていた。

 

『……ええと、ユナ』

 

「んぅ? なに?」

 

『何度も言うけど、危ないと思ったらすぐに逃げるのよ?』

 

「うん、分かってるよ。だいじょうぶ、クラコさんにいっぱい教えてもらったもん」

 

 クラコはユナを安心させるように穏やかな声を心がけていたが、それでもユナにはその声音に含まれている不安を敏感に感じ取っていた。

 

 ユナは若干の心細さを胸に閉じ込め、クラコに大丈夫だと応える。地上にいるクラコの心配そうな顔が目に浮かぶが、再度ユナは心配しないでと応える。まだ停滞雲に入り込むわけでもなく、ただいつものように空を飛ぶだけなのだからそこまで心配しなくてもいいのにとさえおもうくらいに、ユナを心配する雰囲気がクラコから感じ取れる。

 

 

 

 

 ユナがクラコと一緒に銭湯に入ってから既に二週間ほど経過していた。その間にユナは翼を動かす訓練を続け、クラコは停滞雲に関する知識を収集し続けながらマフラーを編んでいく。

 

 知識を元にユナは数日に一度の禁翼生活解禁日に飛行訓練を行い、クラコがマフラーを編み終わるのを待っていた。

 

 資料を漁るクラコの膝元に(うず)まりながら翼をパタパタ動かすユナ。クラコが編み物をしている間に人気(ひとけ)のない空路で訓練をするユナ。そんな日が続き、そして一週間をかけてクラコの手編みマフラーが完成した。

 

 ユナはすぐさまマフラーを首に巻き空へと飛び出そうとするがそれをクラコが押し留めた。この勢いだとそのまま停滞雲に突っ込んで行きかねないと思えたからだ。

 

 クラコはマフラーによる耐エーテル性能を検証するためのタイミングを伺っていた。都市が行っている天気予報などを参考にしてユナが飛ぶに最適な空の状況を見定めているようだった。

 

 そして二週間が過ぎた今日、ようやくその日がやってきた。天気は晴れ、地上の風は穏やかで、雨雲と合流していない停滞雲は輪郭がはっきりとしていて安全と危険の境界線が肉眼でよくわかる。

 

 クラコからのGOサインをもらったユナは幸せそうにクラコが手編みしたマフラーを首に巻き付けて空へと飛び上がったのだった。

 

「それじゃあ、飛んでみるね」

 

『ええ、気を付けて』

 

 そう言って端末をしまったユナは翼を大きく一回だけ羽ばたかせて一気に加速した。傍で見ていればユナの姿が一瞬の内に彼方へと飛んで行ってしまったかのようなすさまじい加速度を目にする事になるだろう。本来ならばありえないような勢いの付け方。地面を蹴り上げて走り出すかのようにユナは空気中に存在するエーテルを足場にして加速する。

 

 その勢いは決して衰える事もなく、一般人にはもはや青灰色の光のようにさえ見える事だろう。

 そこまで急激な加速とそのスピードを維持するユナだが、彼女自身にはそれらに対する負荷はほぼ存在しない。そこがカザヨミと呼ばれる存在と航空機械の明確な違いであり、カザヨミが特別視されている一端でもある。

 

 急加速、急停止に伴い自身にかかる重力加速度(G)をカザヨミは何らかの方法で体外に逃がすか……想像も出来ないが無効化していると考えられている。

 

 想像できない、科学的に証明できないという"出来ないという結果"から、これらにエーテルが関係していると科学者とカザヨミ研究者は考えているが、そもそも検証する方法が無いので憶測でしかない。

 

 とにかく、カザヨミはこの重力加速度の変動を無視できるので理論上はどんな無茶苦茶な機動も実現出来ると言われている。

 

 しかしそれは翼の動かし方やホバリング、ソアリング、そしてエアリングの三つの飛行技術を限界まで高め、気流やエーテルを完璧なまでに把握し、空の環境や地上から受ける影響を完全に頭に入れて置く必要がある。

 

 ……つまり不可能というわけだ。さながら、湖の上を裸足で横切るには踏み出した足が沈む前にもう片方の足を前に出せば良いのだという、バカバカしい理論と同じレベルでしかない。

 

 だが、ユナはそのバカバカしい机上の空論に僅かばかり指先をかけようとしていた。

 

「大丈夫、かな……? んぅ、あったかい」

 

 ユナは高速で空を飛び回りながら曲芸じみた曲線を描く飛行を続け、しばらくしてその場に留まった。クラコが編んでくれたマフラーの触り心地は満足のいくもので、手触りも首筋をちくちくと刺激する感覚もなく、それでいてとても暖かい。

 これまで気温の下がる高度まで飛行していたユナの首元を守るものは無く、それ故に初めて身に着けたマフラーによる防風、防寒、保温性能はユナを驚かせるほどに空の飛行を快適にしてくれていた。

 さすがにエーテル繊維化させたマフラーによる耐エーテル性能までは分からなかったが、口元に巻いても息苦しくならないので常に身に着けていても問題ないほどのクオリティだとユナは感じていた。

 

 何よりあのクラコが手編みしてくれたプレゼントのマフラーだという事実がユナの精神をより安定させる事に繋がり、ユナの飛行はこれまで以上に洗練されていた。

 

「んしょ……クラコさん聞こえる?」

 

『ええ、聞こえるわよ。どうだった?』

 

「うん! すごくよかった! とってもあったかくて幸せだよ!」

 

『ふふ、それは良かった』

 

 身振り手振りでマフラーによる快適さを表現するユナだが、音声通話のみなのでその姿がクラコに届けられる事は無い。

 

 しかし、きっとユナは通話の向こうで手を動かして何とか嬉しさを表現しようと頑張っているのだろうと声音で理解したクラコは微笑みながらユナからの通信に耳を傾ける。

 

 その後もユナは速度や高度を変えて飛行を続け、定期的にクラコへと連絡を入れていく。いつもの解禁日の飛行ではこんな回りくどい事はしていないのだが、今回は例のマフラーを着用しての飛行なので逐一連絡を取って違和感がないかを判断する必要があったのだ。

 

 なにせユナが身に着けているのはこの世界で初めて制作されたエーテル繊維を用いたマフラーなのだ。耐エーテル性能については停滞雲内での実証が必要になるので今回の飛行とは関係ないが、そもそもとして普段使い出来るような代物に仕上がっているのかという不安がクラコにはあった。

 

 なまじ停滞結晶まみれになっていたユナを見ているクラコには、エーテル繊維化させた毛糸がユナに何かしらの悪影響を与える可能性も考えていた。

 

 金属に触れると肌が炎症を起こす、金属アレルギーのような現象。言うなればエーテルアレルギーのようなものがユナの肌に起こり得るのでは無いかと心配していたのだ。

 

『大丈夫ユナ? どこか痛かったり、痒かったりしない?』

 

「うん、大丈夫!」

 

 しかしそんなクラコの心配をよそにユナの飛行はいつも以上に好調だった。首筋を通る冷たい風も防がれ、どことなくクラコの香りがするマフラーに包まれてユナの精神はこれ以上ないほどに安定していた。

 

『うーん、まあそれならいいんだけれど……』

 

 少しばかりテンションが高めな気がするが、不安に苛まれているよりはずっとましだとクラコは納得する。

 

 

 ユナが飛行訓練を行っている空域は団地からほど近い場所で、ユナの肉眼で団地の姿が確認できるほどに近い場所だった。本来ならばもっと高度を上げて凍えるような環境でもマフラーが有用かを検証しても良いのだが、そうなると団地にいるクラコと空を飛ぶユナの間に停滞雲が入り込み、通信の邪魔をしてくる。そのためマフラーの使い心地を確かめる今回のみ、かなり高度の低い空域での飛行訓練を行っていた。

 

「クラコさん、これからもマフラー使っていーい?」

 

『ええもちろん良いわよ。使い倒しちゃって』

 

「やった! 大切に使う!」

 

 嬉しさを表現するように空中でくるりと宙返りしながら端末を握りしめるユナは首元のマフラーをぎゅっと握りしめる。

 

 クラコと暮らす暖かな部屋は魅力的で、一緒に眠る布団のぬくもりも捨てがたい。けれどこのマフラーはそのどれとも異なる格別の幸せをユナに感じさせてくれる。何よりも空を飛んでいる時でもクラコを傍に感じる事が出来るというのがユナにとって最重要であった。ユナにとってクラコは信頼できる大人であり、恩人であり、母親のような存在なのだ。

 

 そんなクラコが手編みで作った一品となれば、その存在感はユナの中でかなりのものだ。これだけで孤独に空を飛行する事すら苦では無くなる。

 

『後は実施に停滞雲の中で検証しないと分からないわね……。ユナ、一度戻ってきて。マフラーの状態を確認するから、羽繕いもしてあげる』

 

「う、うんっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……んぅ……」

 

「大丈夫? 羽繕いも慣れてきたと思ってちょっと強めにしてみたんだけど」

 

「ん、だいじょうぶ……でも、今度からいつもの方がいい……」

 

「そう? 分かったわ。お疲れさまユナ、ゆっくり休んでね」

 

「うん、おやすみクラコさん」

 

 その日の羽繕いは少しだけ激しめになった。クラコの羽繕いはいつも優しく翼の表面を撫でさすり、手櫛でゆっくりと整えてやり、翼の根元に手を入れてコリをほぐしてやる程度だったのだが、今日は羽の付け根をコシコシと擦りあげてみたり、指先で少しつまむようにしてみたりと翼の表面を撫でるだけでなくその内側をマッサージするように手を動かしていたのだ。

 

 結果としてユナはいつも以上の声を上げ、ろれつの回らない口でふにゃふにゃになりながら「やめてぇ」と半泣き状態になったのでそこで羽繕いは終了となった。

 カザヨミ関連の資料や本に載っていた方法を忠実に再現し、逐一ユナに痛くないかを聞きながら羽繕いをしたので痛みはなかったはずなのにと首をかしげるクラコへ恨めしそうに視線を向けるユナは脱力しきった四肢をベッドに放り投げ、裸の状態であることもお構いなく、そのまま寝入ってしまった。

 

 その様子を見たクラコはユナに優しく毛布を掛けてやり、ユナの寝顔を確認して寝室からリビングへと戻っていく。リビングの机には先ほどまでユナが身に着けていたマフラーが置かれている。

 

「さて……ふんふん、それほど外傷はないわね……。表面も、荒れた様子は無いし結晶がくっついてるわけでもない。成功、かな?」

 

 クラコがマフラーに利用した毛糸は停滞結晶の特性を付与させた"エーテル繊維化"が行われているのだが、エーテル繊維と呼ばれるものは理論上存在しているが実物のものとして制作された事は無い。

 

 制作には高純度の停滞結晶が必要であり、しかもそれを砕いて消費する必要がある。高純度の停滞結晶は現在都市が保管している分しか存在せず、これまで新たに入手した例は無い。ほんの一かけらでもダイヤモンド以上の希少価値がある停滞結晶をそのように消費するなど管理している都市が許すはずもなく、今後もクラコ以外が制作する事は無いだろう。

 

 つまり、クラコが制作したエーテル繊維こそが、この世界で初めて停滞結晶を利用した最初の道具(ツール)というわけだ。それ故に今後どのような問題が発生するかはクラコにも分からない。

 今回の通常空域での試験飛行では何の問題も起こらなかったが、これが停滞雲の中ならば結果はまた違うのかもしれない。

 

「まだまだ分からないことばかりね……まあ、私は研究者でも何でもないから当たり前なんだけど……。とりあえずマフラーはOK、次は……飛行の補助になりそうな道具(ツール)の制作ね……」

 

 ユナが眠った後もクラコの試行錯誤は続いていく。マフラー及び大量の衣類をエーテル繊維化させるのに使った停滞結晶は最も大きな結晶を一つ。残りは中くらいの結晶が四つ。

 

 エーテル繊維については理論自体は存在し、机上とはいえ制作可能だと断言されていた。だが、これからクラコが制作しようと考えているものは作れるかどうか分からないような道具や、想像上でしか存在しないものばかりだ。

 

 しかし、それら停滞結晶を利用した道具が作れれば、ユナが空を飛ぶ際に大いに役立つことだろう。

 

 クラコは今夜も資料と停滞結晶を前にし、ユナの為に頭を悩ませる。それは決して苦痛ではなく、むしろ楽しいという感情さえあった。

 

 空を飛ぶユナをただ見守るだけしかできなかった自身が、もしかしたらユナの為に出来る事がもっとあるのではないか。そんな想いはクラコの原動力となり、この世界初の結晶を用いたカザヨミの為の道具を開発する意欲となっていった。

 

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