愛鳥少女とキンヨク生活のすすめ。   作:田舎犬派

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31羽 停滞雲突入

 地球上の八割近くの空を覆っている停滞雲はまるでパズルのように他の停滞雲同士が組み合わさって漂っている。だが、停滞雲はそれぞれが内側を激しく循環させる気流を内包しており、それがまるで磁石の反発のように他の停滞雲との間に僅かな隙間を生み出す。それがカザヨミたちが唯一安全に飛行できる空路として空に現れているのだ。

 

 停滞雲の形や大きさはそれぞれに異なり、その脅威度も細かく区分されている。各都市は都市周辺の停滞雲の情報をカザヨミを用いて収集し、その規模の大きさを事細かく調査し監視する。

 カザヨミが記録した情報はカザヨミ管理部でまとめられ都市管理部へと送られる。都市管理部はそれらの情報を基にして停滞雲や雲海の活動予測や降害の発生確率を算出してニュースとして報道するのだ。

 

 降害の発生時期や発生期間の長さは停滞雲の大きさに比例し、大きければ大きいほどに内包しているであろう瓦礫の量も膨大であると予測される。

 故にこの停滞雲に関する情報は都市だけでなく都市外に住む者にもテレビやラジオで幅広く情報が供給され、それを頼りに人々は降害から逃げて生活を続けていた。

 

 そんな停滞雲の一つに都市外の人間から"せたの雲"などと呼ばれている停滞雲がある。瀬田川と呼ばれていた川と京滋バイパスに挟まれた土地の上空に浮かぶ停滞雲であるそれは都市が定める停滞雲の脅威度としては最低ランクに位置している。

 

 占領している空域の広さは他の停滞雲と比べれば最低ランクで、広さはもちろん高さにおいても最低ランク、カザヨミの調査によれば内部に瓦礫の留置は確認されず、瓦礫を飲み込む力もない事から降害の可能性も低い。

 

 そのためこの停滞雲の下の土地はそれなりに大きな街が出来上がっている。廃墟となったマンションや民家が有効活用され多くの住民が暮らし、僅かだが畑なども作られ食物を得ることも、瀬田川から飲み水を確保する事も出来る。

 

 都市外で暮らす人間たちにとって"安全"な生活が送れる理想的な土地だった。

 

 もちろんそこが都市ではない以上、常に降害の危険性は付きまとう。いつ上空の停滞雲がもっと規模の大きい停滞雲に飲み込まれ、降害がもたらされるとも分からない状況に変化は無く、暮らす住民はその不安をひた隠しにしながら、ここは安全だから、と言い聞かせるようにつぶやいて生活を続けるのだ。

 

 

 そんな穏やかながらも脅威的な停滞雲を見つめる青灰色の翼が空の中にあった。

 

「クラコさん、せたの雲の前に着いたよ」

 

『こっちからも確認したわ。……オウミの公開情報によれば停滞雲の動きはほぼ無いみたいね。せたの雲に関する情報の更新も無し。いまも脅威度は最低ランクのまま……大丈夫?』

 

「うん、大丈夫だよクラコさん」

 

 ユナの翼は連日の訓練によってユナの体にこれ以上ないほど馴染んでいた。今では自身の手足のように動かし、目や耳のように無意識でもその動きを制御出来るようになっていた。

 彼女たちが名称としては知らないエアリングという技術に関しても同様であり、空間のエーテルを感じ取れるユナならばその練度も加速度的に上昇していくのも納得だろう。

 

『……それじゃあ、行きましょうか。……停滞雲の中に』

 

「……うん」

 

 いつものような空を楽し気に飛んでいる様子ではないユナの真剣な声音は携帯端末ごしにクラコにも届く。

 

 大きく翼を伸ばしたユナは首に巻いたマフラーを口元に寄せ、新たにクラコに縫ってもらった服を身に着け、真剣な面持ちでまっすぐ停滞雲へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 クラコの手元にある中で最も大きい結晶を砕いて作ったエーテル繊維はまだ大量にあるものの、それをどのように加工するべきかクラコは悩んでいた。

 

 というのも今後停滞雲にユナが突入することになるのならばユナの体全体を覆うような、所謂ボディスーツのようなものを作るのが理想とクラコは考えていた。体中から不安定な停滞結晶を生やして死にかけていたユナを見たクラコとしてはそれが最も安全だろうという思いがあったからだ。

 

 だが飛行訓練を終わらせ空を飛んだユナの感想を聞いているとそれだけでは意味がないような気がしてくるのだ。

 

 体全体を覆うという事は、伸縮性のある素材である必要が出てくる。それでいて結晶の付着を防ぐような密閉性……ゴム素材などが必要だろう。しかしエーテル繊維化させた布はどれもクラコが手に入れられるような安価な布ばかりでそんな特殊な素材は無い。そもそもそんな特殊な素材を加工出来るほどにクラコの裁縫の腕は上手いわけではない。

 

 何よりユナの話を聞く限り、ユナは翼と同時にその体に受ける風を感じ取って飛んでいる節がある。感覚的な問題かもしれないが、その感覚こそがカザヨミには重要なのだ。ならば風を感じる肌を覆ってしまうのは問題があるかもしれない。

 

 悩んだクラコはエーテル繊維からいくつかの服や上着の試作を繰り返した。ユナにも着て飛んでもらい再度調整する、というのを何度も繰り返し、そしてようやく二人が納得の出来る品が生み出された。

 

『どう? 違和感は無い? 翼の邪魔になってないかしら?』

 

「うん、大丈夫。とっても動きやすいよ? それにとってもかわいい!」

 

『ふふ、それならよかった』

 

 停滞雲に突入するまであと数秒という距離。クラコとユナは携帯端末の通信が途切れる寸前まで会話を続けるつもりだった。

 

 ユナは普通の服の上からクラコが制作したエーテル繊維製の上着を身に着けていた。その上着は当初クラコが考えていたものとは大きく形を変え、ユナの飛行を邪魔しない極限まで面積を小さくしながらも、結晶の析出を抑制するための仕組みがふんだんに盛り込まれていた。

 

 ユナが身に着けている上着、それはかつてこの地球上に存在していた民族衣装"ケスケミトル"と呼ばれるものを参考にして制作されたものだ。

 

 ケスケミトルとは長方形の長い布の真ん中に穴をあけ、頭からかぶって身に着ける貫頭衣と呼ばれる服の一種だ。

 

 身につけたシルエットはまるでハンカチを真ん中でつまみ上げたような姿をしており、ポンチョほどに長くはなく、胸あたりまでを覆う程度の大きさとなっている。

 

 ユナは水色と白のチェック柄ワンピースの上からこのケスケミトルを身に着けている。ワンピースの背中部分は大胆に大きく開かれており、青灰色の翼が自由に出し入れできるように加工されている。ケスケミトルによってこのワンピースの背中部分は通常隠され、翼を発現した際は翼の根元部分をケスケミトルが隠してくれるように設計されている。

 

 このケスケミトルはエーテル繊維によってのみ作られている。基となる布地はもちろん、製作に使った糸もエーテル繊維化されたものを使用、さらには使用した針に関しても小さな停滞結晶を砕いて作ったエーテル溶液に一晩浸けたものを使っている。

 

 ケスケミトルの表面にはかつて民族衣装として利用されていた当時のような、細かな紋様のようなものが隙間なく刺繍されているが、これもユナが手作業で行った刺繍だ。

 

 クラコはユナが停滞雲に飲まれ、結晶まみれで帰ってきた時の事を思い出していた。あの時、ユナは確かに結晶まみれであったが、その結晶はまるで何かの模様を描くかのようにユナの翼や体にまとわりついていた。

 

 その記憶からクラコは結晶の析出には何かしらの規則性、ないしは析出する場所や順序に法則性があるのではないかと考えた。

 

 そこでクラコはケスケミトルの表面に、あの時クラコの体に見た模様と同じ模様を刺繍にて再現してみる事にしたのだ。

 

 停滞結晶がある一定の場所に析出しやすい特性を持っているのならばその法則を利用してあらかじめ布の表面に結晶が析出しやすい"土台"のようなものを用意してやれば、エーテル繊維のエーテル吸着力はより増すのでは無いだろうか。

 

 クラコの考えが外れ、反対に紋様によって析出が阻害されるのならばそれはそれで問題はない。エーテル繊維自体は空気中のエーテルを吸着させる効果があることは過去の資料からも明らかであり、つまりは"エーテルが集まってくるが析出させる事ができない"という状況を発生させるだけに留まる。

 

 クラコの目的はユナの体に濃いエーテルによって引き起こされる停滞結晶の析出を防ぐ事にある。つまり濃いエーテルがユナの周囲に集まる段階まではまだ問題ないと考える事が出来る。

 

 むしろ集まったエーテルを利用して効率的なエアリングさえも可能かもしれない。

 

 そう考えたクラコはケスケミトルの表面にエーテル繊維化させた細い糸とエーテル溶液に浸した針で刺繍を行っていった。幸いにも模様は単純な線と長方形の組み合わさったパターンの連続だったのでクラコでも時間さえあれば布の裏表全面を埋める事は出来た。

 

 そうして完成したケスケミトルを身に着け、ユナは空を飛び目的の場所へと飛んでいく。

 

『……最後にもう一度確認するけど、危ないと思う前に帰ってくるのよ?』

 

「うん、私はクラコさんのところに帰ってくるよ、絶対に」

 

 それを最後に二人の通信は停滞雲によって切断され、ユナは一人で鉛色の雲の中へと突入した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 停滞雲の内部はあらゆる異常気象がごちゃ混ぜになってカザヨミを襲う。それは乱雑な気流の流れであったり、驚異的な速度で打ち付けてくる水や氷の粒であったり、あるいは乱反射する光であったりと様々だ。

 

 電波を遮断する特性も加わって飛行機器では入り込むこともできない危険地帯であり、カザヨミとて訓練を積んだ上級でもなければ翻弄されるだけだろう。

 

 ユナはそんな停滞雲の中で、驚くほど冷静に飛行を継続していた。

 

(今の流れはまだ大丈夫……次は左のほう、そのあとは向こうの細いのに乗って……)

 

 ユナの青灰色の翼は決して歪むことなくユナの意識通りの動きをしている。肌に当たる風、翼に触れる気流の種類、空気が暖かいか冷たいか、乾燥しているのか湿っているのか。

 

 科学的な知識は浅くとも、ユナは感覚としてどの気流に乗れば安定するのかを理解していた。これまで何度も空を飛び、天候が変わる際の空気の変化を肌で覚えていた。何より一度停滞雲に入り込んだ時の記憶が、ユナに危険なルートへ侵入する事を警告し退避させる。

 

 その感覚はもはや未来予知と言えるほどの精度に突入し、ユナが軽く首を横に傾ければ先ほどまで頭があった軌道にこぶし大の雹が通過するほどだった。

 

 かつて停滞雲に入り込んでしまった時はなすすべなく翻弄され命からがら脱出したユナだが、今は違う。

 

 知識と技術、そしてクラコに作ってもらった道具(ツール)をもって、ユナは完全に停滞雲内での飛行方法を理解しようとしていた。

 

(もうちょっと、もうちょっと……いま! すぐにこっちの風に移って……あと少しだけここにいて……もうすぐ次の風が来るからそっちに……)

 

 クラコが試験飛行の場として選んだ停滞雲"せたの雲"はクラコの予想通り内包した瓦礫はほとんど無く、初めての停滞雲内飛行にはうってつけの停滞雲だった。

 

 瓦礫が多ければ多いほどそれらによって停滞雲内の気流はかき乱される。まるで川の水面から飛び出した岩が水の流れを複雑なものへ変化させてしまうように。

 

 しかし"せたの雲"では瓦礫の影響を最小限に抑えられ、ユナの気流を読む能力は複雑な瓦礫の位置関係を考慮する必要も無く存分に発揮された。

 

 ユナは析出限界速度を維持したままソアリングを続け、感覚からエーテル濃度の薄い場所を見つけ出しホバリングを実行。一秒にも満たない時間その場に留まり、次にやってきた気流に乗った。

 

 気流と気流の無風地帯、あるいはエーテルが薄く、析出限界速度の閾値(しきいち)が低い場所をユナは見つけ出し、そこで体制を整え次の動きを想定して風に乗る。それを繰り返してユナは灰色の雲の中を飛んでいく。

 

 さすがに体全体を完全に守ることはできず、多少結晶の析出が見られたが、それらはすべてクラコが作ったケスケミトルの刺繍部分に集中して析出しており、ユナの体に析出することはなかった。

 

 そんな停滞雲内の飛び方を理解したユナはすさまじい速度でその方法を自らのものとしていった。暴風吹き荒れる中にあって、ユナの飛行はいつもと変わらずなんとも穏やかで、異様なほどに優雅だった。

 

(すごい……なんだろう、なんだか……すごい、きれい?)

 

 それまで停滞雲内での飛び方を学ぶのに一生懸命だったユナは、そうやって安定した飛行を手にしてから少しばかりの余裕を得る。

 

 回避すべき障害物や次に乗る気流にばかり目を向けていたユナがふと周りを見渡せば、そこは停滞雲の異常さが生み出した非日常な光景が広がっていた。

 乱反射する光が上下左右関係なくあらゆるところに煌めきを生み出し、それは水と氷の粒を美しく映えさせる。まるでスポットライトの当てられた踊り子のように。

 

 美しく磨き上げられた宝石のような氷の粒は、踊るようにして形を変える水の粒と共にユナの周囲を生きているかのように飛び回る。

 

 さらに遠くへと目を向ければ霧状の細かな水の粒たちは光を乱反射させて彩雲のように朧げで鮮やかな光を生み出し、固体である氷の粒はその中で強い光を反射させて存在を主張していた。

 

 それは、さながら夜空に浮かぶ星雲と星々のようだった。

 

 ユナは夜空を見たことがない。いや、停滞雲に覆われたこの世界において都市以外に住む住民は澄み渡った夜空など見たこともないだろう。

 

 ユナもその光景は本の中でしか知らない。

 

 小説に書き記された夜空の美しさも、写真集に乗せられた星の図も、きっと作者が誇張し、撮影者が映像を加工して生み出された人工的な感動なのだと思っていた。

 

 だが、それは間違いだったかもしれないとユナは思う。本物の夜空ではないが、それでもこれほどまでの美しい光景がこの世にあるのだとしたら、自身が見てきた本の内容はきっとすべてが正しく、本の作者たちの感動はまさしくそのものだったのだろうと。

 

(クラコさん……私、飛べたよ)

 

 呆けたように停滞雲内の星々を見つめ続け、しばらくした後ユナは停滞雲から脱出した。

 

 誰もが恐ろしき存在だと忌み嫌う停滞雲の中で体験したその想いをクラコへといち早く知らせたいがために。

 

 だが、その感動は次の瞬間、別の驚愕へと塗り替えられた。

 

「──……え?」

 

 停滞雲を下から上へと斜めに突っ切ったユナは停滞雲のひしめく高度から脱し、雲の上へとやってきた。ほとんどの停滞雲はユナの眼下に存在するが、同じ目線にも停滞雲がいくつも見受けられる。

 

 だが、そんな雲のさらに奥。遠い遠い空の果てにユナはそびえ立つ雲の塊を見た。まるで数百年生きた大樹のように太い雲の幹が停滞雲をかき分け、はるか空の上まで伸びている。幹の周囲は台風のように気流が逆巻き分厚い風の壁となって存在していた。その領域に入り込んだ雲は気流によって無残に引き裂かれズタズタの細切れになって気流の壁と共に雲の幹を中心に周回し続けていた。

 

 いくつもの停滞雲が複合し、驚異的な規模と危険度を孕んだ化け物雲。ユナが見たそれは雲海と呼ばれる超大型停滞雲の"一部"だった。

 

「! ……なん、で……」

 

 遠くに見える雲海の姿にユナは思わず絶句する。あまりにも巨大で規模が違う、視界に収められないほどに肥大化した災害の姿は、確かに心折れる光景かもしれない。だが、ユナは"ここ"から雲海の姿が確認出来る事自体には驚きはなかった。

 

 というのも事前にクラコよりこの地域周辺の停滞雲と雲海の位置情報について教えてもらっていたからだ。ユナの居る"せたの雲"の位置から見える雲海となると、直線距離でおよそ15kmほど先にある比叡山にかかる雲海、"ヒエイ雲海"であることはすぐに理解できた。

 

 なのでユナが驚いたのは、雲海が近くに存在しているという事実ではなく、そこで見えたものが原因だった。

 

「なんで……どうして」

 

 はるか遠く、常人ならば決して見えるはずもない雲海の様子。それをユナはカザヨミとして強化された視力によっておぼろげながら確認できてしまった。

 

「どうして、雲の中に光が……?」

 

 遠すぎてその全容を確認することはできなかった。だが、ユナの視界は確実に雲海の中に存在する非自然的な光を見た。停滞雲の中で見た光の反射とは全く異なる、規則正しく明滅を繰り返すその光は確かに人工的な光だと判断出来るほどに正確過ぎる間隔で、今も明滅を続けている。

 

 

 まるで、それは雲の中から助けを求める人々が発した発光信号のようだった。

 

 

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