オウミの都市とキョウトの都市は他の都市と比べればかなり密接な関係性を構築していると言っていいだろう。この国に存在する都市の中でも最大級の規模を誇るキョウトには精鋭である特級カザヨミが複数名所属し、上級と区分される一級カザヨミに関しては数十名、二級はさらに百数十程度は在籍しているだろう。
これはキョウトがこの国で最も巨大な都市である為、カザヨミに対する優遇制度も他都市より手厚く保障されているという理由があるからだ。京都に所属するカザヨミはそのすべてが都市の上位層として迎え入れられ、衣食住すべてにおいて望めばなんでも無料で手に入れられる。その上カザヨミとしての給料もしっかりと、他都市の倍ほどの金額が支払われる。
服は高級ブランドどころか自分だけの服を制作させることが当然で、食事は最高級の食材がカザヨミの為に用意され、住居もカザヨミの為だけに家一軒が用意される。
カザヨミの特権である都市外の人間を都市に住まわす権利もキョウトの都市なら近しい者でなくとも許容される。
つまり、キョウトのカザヨミは着るものも食べるものも住む場所も、さらには望んだ"人"さえ手に入れられるのだ。
そんな都市の生活に憧れる他都市のカザヨミは少なくない。始まりのカザヨミと呼ばれる"ツバメ"の言動は未だ都市やカザヨミに多大な影響を及ぼし、その生き方こそがカザヨミのあるべき姿だと考える者も多い。故に一つの都市に縛られず国中を飛び回ったツバメに倣い、所属こそ強制されているものの、カザヨミは自由に所属都市を変えられる事が許可されている。
大体のカザヨミは故郷である都市に所属するのだが、より良い待遇を求めて大きな都市へと所属を変更する者も多い。そしてその所属変更先として最も支持されているのが、キョウトというわけだ。
だがキョウトも求められるままにすべてのカザヨミを受け入れているわけではない。キョウトにカザヨミが集まれば地方都市はカザヨミの居ない絶望的な状況に晒されるし、カザヨミたち本人が望んでキョウトに向かったとしても、カザヨミが去った後の都市がキョウトに向ける感情は決して良いものにはならないだろう。
流入するカザヨミの数を抑制し、他都市との摩擦を抑える方法としてキョウトは一定以上の実力が見込めるカザヨミのみを都市所属として迎え入れるという決断をした。一定以上の実力が見込めるカザヨミ、つまり上級カザヨミに成長しうるカザヨミの事だ。
とはいえカザヨミは努力すれば全てが上級に至れるほど甘くはなく、ほとんどのカザヨミは三級あたりが成長の限界であるためこの決断は長年下級に位置するカザヨミたちに対する、実質キョウトからの所属拒否の宣言に等しかった。自由に所属都市を変えられるとは言っても都市にも収容人数に限界があり、これは必要な処置である。というのがキョウトの言い分だ。
多くのカザヨミがキョウトに所属するために努力し等級を上げようと必死になるが、結局下級どまりで夢破れる。そんな現状にうまい具合に入り込んだのが、オウミの都市だ。
オウミはその広大な湖の上をカザヨミの飛行訓練空域として開け放ち、多くのカザヨミたちが訓練場として利用している。それはつまり目の前にあるキョウトへ行きたい下級カザヨミが集まる場所としてうってつけな都市というわけだ。
オウミという飛行訓練に特化した都市で実力をつけ等級を上げ、キョウトへと行く。夢見るカザヨミたちは皆その過程をたどり、そして夢破れてオウミに留まる。そうしてオウミは下級とはいえキョウト以上の数のカザヨミたちの確保に成功したのだ。
この歪な関係性があったからこそ、オウミはキョウトに次ぐ規模と所属カザヨミ数を誇る大都市に発展したと言っても良いだろう。つまりオウミの発展はキョウトから溢れ、零れたカザヨミを引き込んだという、キョウトありきの発展とも言えた。
そのためオウミの都市管理部はキョウトに対する並々ならぬ対抗心を抱いており、今回の雲海調査計画にオウミの都市管理部が食い込んできたのも、嶺渡母という旗印を前面に押し出してキョウト以上の影響力を周辺都市に知らしめるという思惑があったからだ。
とはいえ長年調査が行われてきたキョウトとオウミの間に存在する"ヒエイ雲海"はそのような都市間の政治抗争が理由で調査が始められたわけではない。そもそもオウミ都市管理部が出張ってきたのは今回の第十三次雲海調査計画からであり、それ以前は雲海の調査はオウミのカザヨミ管理部が主導していた計画だった。
この世界に存在する雲海は数十とも数百とも言われているが、その全体像を把握している者はいない。大陸の有力な都市数個が特級に相当する実力のカザヨミを数十人、五チームもの飛行隊を編成し雲海の調査を行った事もあったが、結局数名の行方不明者を出しただけで下層以上の層に突入することはできなかった。
だが、この国のヒエイ雲海はそれとは状況が大きく異なる。
まずヒエイ雲海は世界規模で見てもかなり極小の部類の雲海とされている。大陸や海上にはそれこそ、この国の空をすっぽりと覆ってしまうほどの雲海がごまんと存在しており、それらと比べればヒエイ雲海は雲海として生まれて間もない赤子のようなものだ。
さらに、ヒエイ雲海はその名の通り比叡山に引っかかるようにして存在しており、旧ドライブウェイなどの地上ルートを利用すればカザヨミでなくとも雲海の真下にまで近づく事ができる。カザヨミ管理部は幸運にも山を登る道の最中に作られた放棄されたトンネル、その内部に雲海観測所を設置し日々雲海の情報を収集する事が出来た。
比較的規模が小さく、近距離での観測が可能。そしてオウミにはこの国に五人しかいない特級のミサゴがいた。それらの条件が合わさり長期的な調査が可能だったことでヒエイ雲海はこの世界のどの都市も発見できなかった、下層から中層への出入口を発見したのだ。
◆
「雲海の層には境界は無いって事は既に知ってると思うっスけど、これは雲海を飛行するカザヨミにとっては非常に深刻な問題なんスね。ある程度環境が把握されている下層を飛行していると思ったら、いつの間にか未知の中層に入り込んでいた。なんて事態が発生する訳っスから」
翼を広げ停滞雲の隙間を飛行するヒタキは後続する新米のカザヨミ二人へと声をかける。既に飛行し始めてから一時間程度経過しただろうか、一級のカザヨミであるヒタキは未だに精神的、体力的にも余裕を見せての飛行を継続しているのに対し、その後ろをついていく新米二人、アトリとイスカは既に体力が尽きようとしていた。
「はあ……はあ……、ちょ、ちょっと……待ちなさいよ……!」
「へ? どうしたっスか?」
「どうしたじゃない、わよ……! こんな、休みも無くて飛び続けるなんてやったことないわよ……!」
「うーん? ……アトリちゃんはどうっス?」
早々に弱音を吐き始めたイスカの様子にヒタキは困ったように頭をかく。彼女たちはまだカザヨミとして発現してからほとんど日が経っていない新人の枠組みにいる。同じ新人カザヨミならば一時間連続飛行などまず行ったことはなく、もし実行しようとすれば訓練担当官が止めるほどのハードワークといえる。
しかし雲海調査計画に参加する彼女らにとって、一時間程度の連続飛行で音を上げているようでは先が思いやられるというのがヒタキの本音だった。ヒエイの雲海の影響下にある空域は半径数十キロ程度に及び、中心部に向かうに連れて飛行難易度は上がる。カザヨミの最高速度でまっすぐ雲海の中心部まで突っ切るなんて真似はできず、基本的にそこに到達するまでに数時間は飛びっぱなしになるのだ。
「……まだ、いけます」
「!」
「……ホントっスか?」
アトリはまだ飛べると言い出すが、その声音はひどく疲れたもので現に翼の羽ばたきは弱々しく、身体にも力が入っておらず体勢はかなり崩れている。
それでもさらに後ろで墜落寸前に見えるイスカに比べればまだましな方だが、決して飛び続けられるようには見えなかった。
「……まだ飛べます」
「……はぁ。少し休みまスか、あのあたりに降りるっスよ」
かたくなに自身は大丈夫だと言うアトリと、そんなアトリを憎々しげに睨みつけるイスカ。二人の様子にヒタキは小さくため息を零し、二人に休憩することを提案した。
「やっと休み!? もっと早く指示しなさいよ!」
「命令なら、従います」
「はいはいそれじゃあ降下しまスよ~」
妹のイスカは降下中もぶつくさと文句を言い続け、対して姉のアトリはただ無言でヒタキの後を追う。二人の間にこれまで会話らしい会話は皆無であり、姉妹らしい会話……少なくとも同じ家で暮らしていた身近な存在同士の気軽な会話のようなものは一切聞こえてこなかった。
(うーん……これは思ったよりもメンドーっスねー。もしかして先生は私たちに姉妹の仲も修復して欲しいと思ってるんスかね)
この日、姉妹の飛行訓練に付き合っていたヒタキを含め、第十七飛行隊の面々は誰も姉妹の仲について深く知っている者はいない。ミサゴによるとそれが都市管理部からの要望であり、命令らしい。
(……複雑な家庭っぽいんスよね。会議ん時に見た感じ、イスカちゃんは母親似、アトリちゃんは反面教師にしたって感じスかね)
飛行隊の一員として受け入れられた姉妹は他メンバーからの指導を受けながら雲海調査計画が実行されるまでの訓練を続けていた。姉妹は新人ではあるが、その才能は確かなものであり、翼の扱い方だけならば三級の上位と比べても遜色無いと断言出来る。その才能を駆使すれば一時間程度の飛行は体に負担をかけることなくこなせるだろうと、ヒタキは考えていた。
だが、ヒタキの予想以上にカザヨミにとって経験とは重要な要素だったのだろう。才能だけでは埋められない経験値の有無が、たった一時間の飛行さえ維持できない要因となっていた。
(経験が足りないなら調査計画までに詰め込めばいいんス)
期限までに経験を詰め込む、というヒタキの考え。
その詰め込まれた濃密な訓練の中でカザヨミ同士の交流の場が生まれる事にも繋がり、それはおそらく先生が期待していた姉妹の確執を取り除くための時間にもなるだろう。
(……これも先生は予想済みって感じっスかねー)
そこまで考えてヒタキは自身の思考さえも先生に筒抜けなのではと、げんなりとした表情を作る。別に先生に心が読まれていることなど今更なので気にならないヒタキではあるが、それでも癪には感じるのだ。それを表現する術が不機嫌な顔を作るだけという自身の子供っぽさに乾いた笑いさえも出てしまいそうになる。
「さて、それじゃあ少し休んでもう一回チャレンジしまスよ。今度はもうちょい高いところまで飛びまスからね」
「ええ!?」
「了解しました」
ヒタキの訓練はその後、日が暮れるまで続けられた。相変わらずイスカは文句を吐き、アトリは従うのみ。そして互いに会話することはなかった。それでも二人の飛行は数日前より安定したものに改善され、複雑ながらもヒタキは才能というものを認めざるを得なかった。
それは雲海調査計画が始動し、最初の調査隊が雲海への侵入作戦を実行するまで、あと二週間に迫った日の事だった。
◆◇
同日、オウミの都市から見て南西に存在する巨大な停滞雲の集合体であるヒエイ雲海は今日も比叡山の山頂から吹き出すようにその姿を空高く伸ばし、地の果てまで広く支配下に置いていた。
地上からは空を埋め尽くす停滞雲によって雲海がどれほどに巨大かは分からない。だが、一度停滞雲が密集している高度を抜け、その上に出れば雲海の影響空域は数キロ離れた場所からでも容易に判明する。
比較的穏やかなはずの停滞雲の上で、周囲の停滞雲を切り裂きごちゃ混ぜにしている乱暴な気流の壁が、巻きあがる停滞雲の残骸によって視界に捉える事が出来る。
「すぅー、はぁー」
雲海の影響空域まで数メートルという極めて近距離の空に、青灰色の翼を広げたカザヨミが一人、目を瞑り何度か深呼吸を繰り返していた。首元に巻いた水色のマフラーで口元まで隠し、必要な
「行くね、クラコさん」
ユナは驚くべき加速を持って雲海の気流に向かって突き進んでいく。この場所は停滞雲の密集高度を抜けた先の上空であるため、停滞雲が邪魔になって地上にいるクラコと連絡は取れない。それでもユナは自身を心配しているだろうクラコへと確認を取るように一言つぶやき、覚悟を決める。
雲海の外周部に存在する気流の壁はまるで星を取り巻くドーナツ状の小惑星帯のように雲海を中心として周回を続けている。本来気流とは空間の寒暖差による空気の移動によって引き起こされる自然現象であるが、停滞結晶とエーテルを多分に含んだ雲海はそれらの現象を"停滞"させてその空間に固定させてしまう。最初はそよ風程度の空気の流れはその空間に停滞し蓄積され続け、停滞雲を飲み込むために周囲の空間ごと飲み込む"雲海"の影響によって気流の寒暖差はさらに加速する。結果として雲海の外周部は自然ではありえないほどの暴風が形成される事になった。
それはもはや空気の流れとは言えず、例えるならば見えない強固な壁なのだ。
それでも壁を構成するのは空気、あるいはエーテルであり、そのどちらもがカザヨミが乗ることのできる道に違いは無い。
「もう少し……もう少し……ここっ!!」
ユナはあと数センチまで気流の壁が迫った瞬間、ありえないほどの急激な軌道変更を実行し、"壁に乗った"
つい先ほどまでまっすぐ飛行していたユナの体は激しい気流に添うようにして直角に飛ぶ方向を変えた。雲海外周部に点在するエーテル溜まりを感じ取り、翼で掴んで進行方向を変える。エアリングと呼ばれる重力加速度を無視できるカザヨミならではの無茶苦茶な機動をもってユナは雲海の支配空域へと滑り込んだ。
「っ! ……、……!」
それでも気流の激しさはユナの想像以上だった。台風なるものの映像を端末で視聴した事もあり、それなりに覚悟していたけれどそれ以上の風の暴力はユナの体を引き裂こうと襲い掛かる。
それでもユナは乗る気流を変え、風に逆らうことなく流れに身を任せ、ゆっくりと壁の内側へと進んでいく。
ゆっくり、ゆっくり。しかし確実にユナは気流の壁を越えていく。エーテルの流れを翼で、空気に含まれる情報を肌で感じ、最善手を手繰り寄せ暴風を乗り越えその先を目指す。
クラコと一緒に勉強した内容と実際に飛んだ停滞雲の環境、そういった経験値がユナの実力となり今の彼女を支えていた。これまでに無いほど洗練された翼の動きと、それを最大限生かすための身のこなしは本物の鳥のよう……いや、風と同化していると錯覚してしまうほどだった。
「うっ……んんっ……!」
荒れる気流の中に混じる破片、雲海が飲み込み切れなかった瓦礫の末端が気流に乗ってユナの肌に擦り傷を増やしていく。それでもユナは前へと進む。口と鼻に破片が入らないようにマフラーで口元をしっかりと覆い、目を瞑る。
どちらにしろこの激しい嵐のような空間では視界による空間把握など不可能だ。そのためユナは肌に当たる風や破片の感覚を頼りに飛んでいく。
(もう、ちょっと……!)
クラコの作った道具とユナのカザヨミとしての才能、そして二人の努力によりユナはついに壁の向こうへと手をかけた。雲海の周辺を取り巻く気流の壁は雲海を中心にドーナツ状に存在している為、雲海の内部に進めば進むほど気流の激しい空域から脱する事が出来る。ユナは気流の流れる空域からさらに内部へと入り込む。そしてついに、
「やった……! 抜けた、抜けたよクラコさん!!」
気流を突破した事で既にユナの居る空域は完全に雲海の影響下に置かれた空域となった。エーテル濃度はただの停滞雲とは比べ物にならず、もちろん携帯端末といったもので地上と通信することなどできないので当然ユナの声もクラコには届かない。
けれどユナは声を出さずにはいられなかった。
雲海という人類が恐れ避け続けてきた化け物雲にユナは手をかけたのだ。限られた都市が膨大な資源と人材を投入してその全容を解明しようとしている巨大な存在に、ユナとクラコはたった二人で挑み、最初の壁を超えた。
それは二人の努力が報われた瞬間でもあった。