愛鳥少女とキンヨク生活のすすめ。   作:田舎犬派

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44羽 比叡山雲海観測地点

 

 比叡山の頂上付近に存在するヒエイ雲海観測所は、同山に存在するドライブウェイの途中に造られたトンネルを利用し設置された観測施設だ。

 

 通常トンネルの内部には事故が発生した際に地上へと避難するための非常口が設置されており、その通路はトンネル内の配電関係の部屋と繋がっていることもある。オウミのカザヨミ管理部は第一次の雲海調査を実行する際、このトンネルからつながる通路と配電設備が設置されていた部屋を改装し、カザヨミのための雲海観測所として利用し始めた。

 

 元々の地形を利用して作られた為その頑丈さは折り紙付きで、多少の瓦礫が降り注ごうとも観測所そのものはびくともしない。長くまっすぐなトンネルはカザヨミの滑走路として利用する事ができ、トンネルであるため降害によって滑走路が破壊される心配もない。

 

 それらの理由からカザヨミ管理部は比叡山の雲海を調査する拠点として(きた)る雲海調査の日まで雲海に関する情報を集め続けていた。だが、この観測所は都市のような安全地帯では無い。もしも想像以上の瓦礫が降り注いだならばトンネルごと破壊される可能性はゼロではない。空路と空路を繋ぐ中継地点のように比較的雲の薄い土地に設置される施設とは異なり、雲海観測所は雲海の直下に設置されているのだ。破壊的で長期的な降害が発生しても何らおかしくない土地であるのは言うまでもない。

 

 そのためオウミのカザヨミ管理部はこの観測施設を雲海調査以外の時期は無人の観測所として機能するように整備した。山中に上向きのカメラと降害発生を感知する地震計などを複数設置し、元配電室にはそれらの録画データを保存し、オウミの都市に送信する設備を収納した。

 

 一年中休まず送られてくる雲海の情報は雲海調査を実施するにあたって非常に重要視される情報の一つとして大切に保管されている。

 

 

 そんな観測所には現在数十名ものカザヨミたちが待機し、次の命令を待っていた。先ほど雲海観測所は避難用の通路と配電室のみと言っていたが、それは観測所が設置された当初の話で、過去十数回の雲海調査計画の拠点として利用されている関係で多くのカザヨミを一時的に受け入れる施設がトンネル内に増設され続けている。プレハブのような簡易的居住空間ではなく、本格的な建築物がトンネルの中に建造されているのだ。

 

 トンネルの壁面を削り取り、そこに建設された建物はトンネルの天井から地下四階までの超巨大な建築物として存在し現在も増築計画が進められ、もはやトンネル内部というよりも山の中に建物が建設されているような規模感となっている。

 

 そんな豪華でホテルじみた建築物から離れ、トンネルの出入り口近くで空を見上げるのはこの雲海調査において唯一参加している特級カザヨミ、ミサゴだった。

 

「ミサゴ先輩こんなとこにいたんスか、昼食の用意ができたってハトの姉さんが言ってまスよ」

 

「ああヒタキか……。少し雨が降ってきたようだ。土砂崩れがあれば後続の支援部隊に遅れが出るかと心配になってしまってな」

 

「先発の第六飛行隊……ハトの姉さんの隊以外の補給部隊は陸路でスからねぇ、作戦領域の観測を行っている第七が言うにはルート上に障害になりそうなものは無かったらしいっスけど」

 

「そうか……第七飛行隊は確か……」

 

「キョウト北部の湾岸警備を担当してる隊っスね。オオタカちゃんのトコの精鋭っスよ」

 

「目の良いカザヨミたちを集めたキョウトでも指折りのカザヨミが所属する"ワタリドリ監視所"か」

 

 都市という概念はこの国のみならず大陸にも存在している。大陸の都市も同じように停滞雲が寄り付かない安全地帯で、多くのカザヨミが都市に所属している。そんな大陸の都市から時折この国を目指して海を渡ってくるカザヨミが存在しているのだ。

 

 渡る理由は様々で、基本的には都市間の命令によって渡ってくるのが殆どだが、時折独裁的な都市から脱出する目的でこの国に渡ってくるカザヨミが居る。半ば亡命のような形でやってきたカザヨミの処遇は非常に難解で、それが原因で大陸の都市と衝突する事も少なくない。

 

 キョウトの都市管理部は他都市との摩擦を極力減らすために、そういった亡命カザヨミは元の都市に返還するべきという意見がある一方、キョウトのカザヨミ管理部はそれらの意見を一切無視し、逃げ出してきたカザヨミのすべてを保護すると宣言している。いち早く亡命カザヨミを発見し保護する為に設立されたのが、都市の北方に広がる海を監視するワタリドリ監視所と呼ばれる施設なのだ。

 

 キョウトの強権から距離を置くため、カザヨミ管理部との繋がりさえ薄い監視所はほぼ独立部隊のような扱いとなっており、人事に関してもかなり緩い。所属しているカザヨミの中に亡命してきたカザヨミさえ含まれているほどだった。

 

 しかし、その分実力は都市所属のカザヨミの中でも頭一つとびぬけている。海を渡ってきた停滞雲の初動調査に動くのも彼女らなので、停滞雲内での飛行経験は他都市所属カザヨミの倍近くある。

 また、亡命カザヨミを保護する際、大陸側から追手がかかっている場合もあり、戦域から脱出する術も心得ている。おそらく、この国で最も修羅場をくぐっている飛行隊のひとつだろう。

 

「それより早くお昼ご飯にしまスよ。アトリちゃんもイスカちゃんも待ってるんスから」

 

「わかった。すぐに行くさ」

 

 ヒタキの後を追い、建物へと戻っていくミサゴは再度、雨が降り始めた空へ振り返る。雲海の支配領域直下の地は幾度もの降害によってひどく荒れ、停滞雲以上にいつ降害が発生するともしれない危険地帯だ。それだけでなく雲海の直下は雲海に飲み込まれ損ねた停滞雲の"残滓"が峰に引っかかり、山の斜面を伝って低地まで降りてくる事もある。雨が降るとさらに千切れた雲が山間に残留し、停留した停滞雲と雨雲、さらに山地という起伏の激しい地形の影響によって気流もてんでバラバラ。最悪の場合視界不良によって山の側面に激突するという可能性さえある。

 

 そのためこういった条件の空を飛び慣れた第六飛行隊や空間把握能力の優れた第七飛行隊が周辺状況を確認し、その先導によって他のカザヨミが観測所まで到着する、というのが雲海調査計画の第一段階であった。

 

 先日クラコとユナが雲海の支配領域の側面から突入したのも、慣れない雲海の下部から侵入するより安全だと判断したからだ。それほどまでに雲海直下の空間は危険で油断ならない。

 

「……これ以上雨がひどくならないといいんだがな」

 

 ミサゴの経験上、雨雲の出ている日は空域も荒れている事が多い。停滞雲や雲海より漏れ出た瓦礫の細かな破片や塵を核として水滴が生まれ、雨となって降り注ぐからだと言う研究者も居るが、科学的に証明されてはいない。

 

 そもそも雲が瓦礫を捕まえたまま空を飛ぶなどという非科学的な現象が発生している時点で科学的な証明も何もあったものではないのだが……とにかく、ミサゴは計算や理論ではなく、経験から雨の日は殊更注意して空を飛ぶようにしていた。

 

 

 灰色の雨は良くないものを連れてくる、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 拡張された雲海観測所はいくつもの区画が増築され組み合わさってトンネルの中に存在している。入手したデータを保存し精査する情報室や、飛行中のカザヨミに命令を送る指揮所。カザヨミたちのための食堂や宿泊施設、さらにはショッピングモールや映画館などの娯楽施設さえも併設されており、雲海へ向かうためのカザヨミを精神的肉体的に癒すための設備が充実している。

 

「ミサゴせんぱーい、わたし空とびたいので後で飛んできていーですかー?」

 

 それはミサゴ率いる第十七飛行隊の面々が食堂で食事に手を付けている時だった。この日の昼食メニューはチーズ入りパンと具だくさんのスープ、そして貴重な肉を使ったハンバーグ。飛ぶ事で体力を消耗するカザヨミ達は基本的に味が濃くお腹に溜まるメニューを好む傾向にある。もちろんそうでないカザヨミも多いが、食堂ではカザヨミたちの要望通りのメニューが作られる事が多いので、昼にしてはボリュームのあるメニューになる事も多い。

 

 ヒタキは隣で食事を進めていたイスカが口に食べ物を入れたまま、空を飛びたいという旨を発言した事で箸でつまんでいたハンバーグを危うく滑り落してしまいそうになる。

 

「なに言ってんスか! 事前に雲海調査の進行計画については話をしてるっスよね!? 勝手な事言ってんじゃないっスよ!」

 

「うっさいなー……別にいーでしょ、私くらいのカザヨミになると飛行欲のせーで飛びたくなるのよ!」

 

 自慢げに胸を張るイスカの様子に、さすがのヒタキも声を荒げる。雲海調査において最も重要なのは個人の実力ではなく全体の意思統一だというのが現在のカザヨミ運用において主流の考え方だ。

 

 単独空を飛ぶ能力はもちろん、そういった他のカザヨミと息を合わせられるか、という部分が上級カザヨミには重要となっており、故に協調性に乏しく単独行動を執るカザヨミは上級へと昇進するのは難しい。

 

 なお、単独でもカザヨミ十数名分の働きをするような"外れた"存在も時折現れるが、それらは特級という区分にされ別枠扱いになっているので考慮されない。

 

 それを踏まえたうえで目の前にいるイスカはお世辞にも上級の技能を取得しているわけでも、協調性があるわけでもない。当然特級並みの外れ方をしているとも言い難い。

 

 そんなイスカが身勝手に空を飛びたいなどと言い出したことにヒタキは呆れ半分、怒り半分のまま本気で注意した。既に計画は始まっており、雲海下層部への突入を明日に控えているという、カザヨミたち全体にピリッとした緊張感が漂っているタイミングの無神経な発言だった。

 

 雲海調査計画は数日かけて行われ、数段階に分けて実行される。その第二段階である雲海下層部への事前調査は実力があり、長く一級を維持している歴戦のカザヨミのみで行われる。

 

 その後、特級を先頭にした選抜飛行隊が下層部に突入してこれまでの調査によって判明している中層への入口を目指す。それ以外のカザヨミは中層部入口で待機し、中層突入チームの突入と脱出をサポートする。

 

 というのが今回の雲海調査計画の概要だ。この国はおろか大陸の都市でさえ踏み入れたことのない中層という領域への初突入は万全を期して実行される。そこには万が一もあってはならず、イスカの単独行動はその万が一に該当するとヒタキは判断した。

 

(というか、そもそもこの姉妹の参加っての自体が不確定要素なんスよ……!)

 

 嶺渡(ねわたし)姉妹の雲海調査への参加も今回の雲海調査で中層への突入に挑戦するというのも、オウミの都市管理部がごり押しした結果である。一級以上しか参加できないはずの雲海調査に参加する二級と三級のカザヨミというのは実力はもとより空を飛ぶ覚悟も薄い。

 

 この日までに最低限雲海で邪魔にならない程度の知識と飛び方は教えたものの、圧倒的に時間が足らず、練度は決して十分とはいえない。

 

「ミサゴせんぱーい、いいでしょ? 邪魔しないからさ」

 

「イスカちゃ──」

 

「駄目だ」

 

 空気を読まず言葉を続けるイスカをヒタキが諫めようとする前にミサゴが口を開く。その声音は断としたもので、これまでイスカの言動を平坦に窘めていたミサゴにしては珍しいものだった。

 

 それどころか飛行隊で最も長く付き合ってきたヒタキですらほとんど聞いたことのない冷ややかな声だった。イスカを拒絶し、否定している。それが空気の読めないイスカでさえ分かるほどだった。

 

「な、なによ……! 意味わかんないっ!!」

 

「イスカちゃん!」

 

 それまで誰からも否定されず、されたとしても相手にしてこなかったイスカにとってミサゴの拒絶が込められた言葉は酷く心に突き刺さった。涙目のまま震える声で立ち上がったイスカはそのまま食堂から逃げ出してしまう。

 

 ミサゴたちが食事をしていたテーブルの周囲はイスカの叫び声で静まり返り、ミサゴはしまった、という表情でイスカを追いかけようとするがそれをヒタキが止める。 

「私が追うっスよ。……ミサゴ先輩はアトリちゃんをお願いしまス」

 

「……すまないヒタキ」

 

「ま、しゃーないっスよ。こっちも出来るだけ説明しときまスから」

 

 申し訳なさそうに謝罪するミサゴの代わりにヒタキがイスカの後を追いかける。数週間程度とはいえ寝食を共にした仲である為、ある程度イスカの居場所の見当がついていたヒタキはひらひらと手を振りながらミサゴの謝罪を受け入れ、食堂を後にした。

 

 そして残されたのは、先の騒動に興味がない様子のアトリとミサゴ。

 

「アトリ、すまないな。食事を邪魔してしまって」

 

「……いえもう食べ終わりました。それに、あの子のせいですから」

 

「……場所を変えようか。ついてきてくれ」

 

 周囲のカザヨミたちから感じる視線を避けるようにミサゴはアトリと共に食堂を後にする。

 

 無言でミサゴの後をついていくアトリの表情は妹に対する感情も、前を歩くミサゴに対する感情も読み取る事は出来ず、ひたすらに無表情であった。それは自身が完全な無関係だと判断しての事か、それともあえてそのように無関心であるように振舞っているのか。そこまで理解できるほどにミサゴはアトリを知りはしなかった。

 

「適当に座ってくれ」

 

 アトリが案内されたのは特級であるミサゴの為に用意された特級のための個室だった。トンネルの中に造られたホテルのような施設であるため、景観は良いとは言えないが、それでもトンネルの向こうに見える景色がちらりと顔を覗かせ、真っ暗なトンネルの側壁を見つめるよりもだいぶ良い部屋と言えた。

 

 ミサゴは椅子に腰かけ、アトリは対面する形でベッドに腰を下ろした。

 

「……今まで私もヒタキもツグミも、君たちの姉妹関係について根掘り葉掘り聞く事はなかった。カザヨミとして都市に集められた者たちは何かしらの"しがらみ"を抱えていて、人に話したくない過去を持つ者も多いからだ。それがチームメンバー同士のコミュニケーションの障害となったとしても、深く関わらない。それがカザヨミとしての暗黙のルールとしてある」

 

 当たり前だが、都市とはこの国においてほんの僅かな土地に過ぎない。都市には特権階級の人間が住み、それ以外の大部分の人間は都市の外で暮らしている。故に、血筋も何も関係なく人から平等に生まれてくるカザヨミの人数は当然都市外の方が多い。

 

 故に都市に存在するカザヨミはその半数が都市外で生まれ育った者たちばかりで、都市外でのしがらみを抱えたまま逃げるように都市へやってくるカザヨミもいる。劣悪な環境で何とか生きてきた記憶を払拭するかのようにカザヨミの特権を振りかざす者や、記憶がトラウマとなり、都市外のすべてを極端に拒絶するようになってしまった者も多い。

 

 どちらにしろ都市外から来たカザヨミは都市での生活と都市外での生活とのギャップに苦しみ、それが都市外の人間に対する差別的な言動を生み出す要因となっているのは確かだ。

 

 カザヨミにプライベートな話をするというのは、つまりはそういった過去の思い出したくない記憶を掘り起こす行為であるため基本的に都市に集まったカザヨミはどれだけ仲が良くても他者の過去について口を出すことは無い。自分が聞かれたくない事は、他人も聞かれたくないものだ。

 

「しかし、今回は少し事情が異なる。雲海へのアタックは通常の停滞雲へ突入するのとは訳が違う。ほんの僅かなわだかまりも解消し、互いに強固な信頼関係を築いて置かなければいけない」

 

「……それだけではないでしょう? ミサゴ先輩」

 

 先ほどまで顔を伏せ、ミサゴの言葉を静かに聞いていたアトリは、ゆらりと顔を上げ、未だ無表情なままの顔で小さくつぶやいた。どこか自嘲気味に口元を歪ませたアトリは、それでも笑っているようには見えない。

 

「ミサゴ先輩がこれまで私とあの子との関係に干渉しなかったのは、そのようにあの人()から……都市管理部から命令されていたからでしょう? 明日には計画の第二段階が実行されるというギリギリなタイミングで聞いてきたというのも、それだけ都市管理部から厳命されていた証拠。……脅迫などもあったのではないですか?」

 

 アトリは自身の考えを話すがそれは殆ど正解に近い予想だった。ミサゴは嶺渡姉妹に関する情報について"厳重に取り扱う"よう先生を通して都市管理部から指示されていた。それはつまり、姉妹に対して一切の詮索を許さないという命令であり脅迫だった。

 

 現在嶺渡姉妹はまさにカザヨミ界隈におけるアイドル的存在となっている。オウミの都市管理部の手腕により、メディアを通し事実を基に用意されたシンデレラストーリーが都市の人間に大いに受け、カザヨミとしての実力を無視して知名度だけは特級レベルにまで伸びている。

 

 カザヨミ管理部への干渉は、現在の嶺渡姉妹の立ち位置を崩すことは許さないという都市管理分の思惑がありありと浮かんでいた。

 

 

 しかし、雲海調査計画が実行に移され、計画はカザヨミ管理部の主導によって動き始めた。調査計画に参加する人間は計画終了まで雲海観測所に閉じ込められる形となり、外界との連絡は雲海の影響により極端に制限される。

 

 つまり、陸の孤島となった此処ならば都市管理部の命令を無視したところで彼らによって制裁が加えれるのは計画が終了してからになる。それを理解しているからこそ、ミサゴはこのタイミングでアトリと話をする場を設けたのだ。

 

 周囲の邪魔な声を遮断できる、この場所で姉妹の本心を聞くために。

 

「……ほぼ正解だ。都市管理部より直接、嶺渡姉妹への干渉は極限まで制限するようにと命令されている。もしも守られない場合、カザヨミ管理部の存在自体を人質にした脅迫が行われた。……私の考えが間違っていなければ、君たちもそうなんじゃないのか?」

 

 もしも命令が破られ、姉妹が……嶺渡母が秘密にしていた過去が明るみに出る事があれば、その責任はカザヨミ管理部全体に及び、先生にも制裁が加わる可能性がある。マスコミも味方に付けた嶺渡母と都市管理部ならば先生をどうこうするなど造作もないだろう。

 

 そして、それらに同じように姉妹にも自身の過去は決して話してはならないと母親から命令されている。

 

「……ええ、その通りです。私とあの子は、母親よりこれまでの生活の全てを口にするなと命令されました。……もし、母親の命令に従わなければ……」

 

「……暴力か」

 

 子どもの教育の為、暴力を用いるのは都市外ではよくある方法だ。たとえ自身がカザヨミという大人の力さえ上回る膂力を備えていたとしても、子にとって親とは絶対的な存在であり、その親から与えられた痛みはどれだけ成長しても子どもの心に深く刻みつけられる。

 

 痛みから逃げるため子どもは親に逆らえなくなる。

 

「カザヨミの体は頑丈なうえに怪我もすぐ治って便利ですよね。包丁で切られた傷も、殴られたり蹴られても痕も残さず消えてくれるのですから」

 

 自嘲気味に自身の腕で体を抱くアトリの目は、痛々しい記憶を振り払うように強く閉じられた。その様子だけで、アトリがどのような環境で育ったのかを察する事ができるほどに。

 

(繰り返された暴力、それをアトリは虐待だと認識しているが、それでもトラウマとなった母親の命令には逆らえない。妹のイスカは……そもそも自身が虐待を受けていると理解していないだろう。母親の言う通り、悪い事をした罰だと認識している……)

 

 姉妹の確執は親の行動に対する理解の差でもあった。姉のアトリは早々に自身が受けているものが理不尽な虐待だと理解し、母親を敵視した。対して妹は母親こそが絶対だと考え、従う道を選んだ。

 

 きっと姉妹は何度も話し合ったのだろう。自分たちが受けているのが暴力であり、許されざるものだとアトリはイスカに訴えたはずだ。しかし、妹は聞く耳を持たず、母親を否定する姉を敵視した。

 

 そうして姉は妹の目を覚まさせる事を諦め、妹を見限った。母親と妹を反面教師とし、自身は異なる道を選ぶ。それが現在のアトリの人格を形成した。

  

「……私は、あの子とは違います。自分で……自分の力だけで生きていくと決めたのです」

 

「……イスカは君の妹だろう?」

 

「血縁関係にあるだけです。……私は、あの子やあの人のようになるつもりはありません」

 

「……アトリにもアトリの考えがるのは理解した。そこに私が踏み込むべきで無い事も。だが……少し私の話も聞いてくれないかい?」

 

 少しでも姉妹が歩み寄らなければ、少なくとも会話できる状態にならなければ雲海を共に飛ぶなど自殺行為に等しい。ミサゴはそれをアトリに伝えるべきだと判断した。姉妹の確執を取り除く事が出来なくても、二人が無事に帰還する為に。

 

 そんなミサゴの想いをわずかでも感じたのか、アトリは再び小さくつぶやいた。

 

「……命令なら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっと見つけたっスよイスカちゃん」

 

「……ふん」

 

「いやー良かったっス。もしも現状も理解できないお馬鹿さんなら勝手に飛んで行っちゃったかと考えたっスけど」

 

「うるさいわねっ!! そんなの私の勝手でしょ!」

 

「勝手はダメっスよ~」

 

 無断の飛行は命令違反っスよ。とヒタキが冗談めかして言うとイスカは途端に顔を真っ青にしてうつむいてしまった。都市のカザヨミは決して我儘に振舞えるわけでは無い。都市に所属し、命の危険を伴う空を飛ぶ以上、上の命令には従わなければならない。でなければ命令違反を犯したカザヨミが死ぬだけでなく周囲のカザヨミさえも巻き添えとなる可能性があるからだ。

 

 軍人のように命令違反が重罰となるわけでないが、扱いにくいカザヨミと判断されれば作戦から弾かれる事もある。イスカは母親の威光があるが、都市から孤立した観測所内ならば現場判断でイスカを弾く事は不可能ではない。既に此処は命の危機が付きまとう戦地であり、いくら都市管理部の圧力があろうともそういった判断を下すこともある。

 

「それ、は……」

 

「ふーむ……。イスカちゃんは何が気に入らないんスか?」

 

 イスカは何処か焦っている風にヒタキには見えた。このまま待っていれば自然と雲海の突入部隊に選ばれ、都市管理部が想定した通りの成果を持って帰れるというのに。

 

「……別に。なんでアンタに話さなきゃいけないのよ」

 

「……一応同じ飛行隊メンバーっスけど?」

 

「それが何なのよ」

 

「雲海の中を飛ぶ時もこうやって勝手な行動をとるんスか? そうやってメンバーを危険に晒すんスか?」

 

「し、知らないっ! そんなの知らないわよっ!!」

 

 ヒタキの言葉にイスカは聞きたくないとばかりに耳を塞ぎ、頭を振る。その様子にヒタキは少し驚いた。これまでイスカは生意気ながらも先輩である自身やミサゴ、さらには二級のツグミの指示や指摘にも渋々ながら従っていた。にもかかわらず、今のイスカはそんな言葉さえも聞きたくないとばかりに激しく戸惑っているように見えた。

 

「……ふむ」

 

「な、なによ……」

 

「イスカちゃん、少し私の話を聞いてくれないっスか?」

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