愛鳥少女とキンヨク生活のすすめ。   作:田舎犬派

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4羽 暖かな部屋

 

 家に着いたクラコはまずお風呂場までユナを連れて行き、バスタオルでクラコの髪を汚す灰色の雨水をできるだけ拭き取ってやる。その後ボロボロな服を脱がし、裸にさせて雨水を再度丁寧に拭いてやる。塵の含まれた雨水は排水口に詰まりやすいのでここで出来るだけ取り除いておきたいとクラコが言えば、ユナは抵抗する事無くクラコに脱がされるがままに大人しくしていた。

 

 そうしてユナの裸をタオルで拭いているクラコだが、その体を見て眉間に皺が寄るのを自覚する。

 ユナの体は服から見えていた顔や腕は細いながらも綺麗なものだったが、服を脱ぎ露わになった箇所には痛々しく赤黒い痣が幾つも確認できた。どう見ても暴力を振るわれた跡だ。痣のある場所をタオルで触れるだけで小さく呻くユナの様子に、クラコの方が泣きたい気持ちになる。

 

 この子は、一緒に寝た時もこんな状態だったのか、と。

 

「……ええと、まずはお風呂ね! ユナちゃん、一人でお風呂入れる?」

 

「う、うん。大丈夫です……」

 

「本当に……?」

 

「……」

 

 クラコがうつむくユナの顔を覗き込むと、ユナは口を閉じて唇をかみしめ、何かを耐えるように両のてのひらを握りしめる。

 

 言いたくない、という意思表示ではない。これは求められた答えを口にできない事に対する"おしおき"に耐える時の大勢だと、クラコは気づいた。

 

「! ……大丈夫よ、ユナちゃん。怒らない、痛い事もしないから……教えて」

 

 クラコはユナの顔に手を伸ばす。ユナは抵抗することなくクラコの手を受け入れる。ユナの目に溜まった涙をぬぐってやり、そのままユナの頭に手を置いた。優しく撫でてやればユナは安堵したように体の力を抜き、小さく謝罪を口にした後、呟いた。

 

「ごめんなさい……よく、わからないです……」

 

「そう……」

 

 ユナはいつも冷水と手洗い用の石鹸で体を洗っていた。それ以上を叔母が許さず、それが自身にとって当たり前なのだと言い聞かせていた。だから、ユナはお風呂というものを経験したことがない。体の洗い方も、暖かいお湯の気持ちよさも知らない。

 

 ユナは自身の無知を恥ずかしく思い、クラコに迷惑をかけている自分を責めた。だが、クラコはそんなユナに明るい声音で提案する。

 

「それじゃあ、一緒に入りましょうか!」

 

「……え?」

 

「いやーちょうどよかったわ。私も雨でぐちゃぐちゃに汚れちゃったから」

 

 即座に着ているものを脱ぎ捨てるクラコは、何でもないようにそうユナに話しかける。だが、ユナはそれどころではない。ユナにとってクラコは美しく、大人な、綺麗なお姉さんで、自分とは違う世界に生きる人なのだ。

 

 そんな人の肌を、自分のような人間が見てはいけない。

 

 そこまで考えていた訳では無いだろう。けれどもユナはクラコの裸を見ることに言葉に出来ない罪悪感のようなものを抱いてしまう。思わず両手で目を隠すユナの様子にクラコは苦笑しながらその手を引いてお風呂場まで連れて行った。

 

 

 

 

 

 

「ふう~さっぱりした~ユナちゃんはどうだった? お風呂」

 

「あの、とっても、気持ちよかったです……ごめんなさい」

 

「ふふ、どうして謝るの?」

 

「私のせいでクラコさんも、汚れたから……」

 

「そんな事気にしなくていいの。ささ、夕飯前に髪を乾かしてあげる。こっちに来て」

 

 お風呂から出たユナはクラコの大き目のシャツを身に着けている。再会してすぐさまお風呂に直行する事になるとは思っていなかった為、ユナの着替えを用意しておらず、とりあえずクラコのものを貸したわけだが当然サイズが合っているはずも無い。ぶかぶかなシャツの袖をまくり上げ、端の部分を結んで何とか形にしていた。下着についてはさすがにどうしようもできず、現在ユナはシャツ一枚のみというかなりきわどい姿をしていた。

 

「明日になったら、服を買いに行きましょうか」

 

「! そんな、迷惑を……」

 

「いいのいいの。このままじゃユナちゃんも落ち着かないでしょ? それよりもほら、そこに座って」

 

 クラコはリビングの机の前にユナを座らせ、ドライヤーを持ってユナの後ろに回り込む。背中からクラコの気配を感じるユナだが、姿が見えなくなる事が不安なのか、チラチラと後ろにいるクラコを不安そうな目で見つめる。そんなユナの様子を見てクラコは安心させるように微笑んでやる。

 

「クラコ……さん?」

 

「大丈夫よ、ここにいるから。髪の毛、触ってもいい?」

 

「うん……」

 

「ありがと。……ふふ、とっても綺麗な色ね」

 

「? 叔母さんたちと同じ、黒色だよ?」

 

「いいえ。ほら、光に透かして見ると……」

 

 クラコはユナの首元に自身の顔を近づけ、同じ目線で持ち上げたユナの長髪を部屋の明かりに透かして見せる。

 

「少し青色が混じってるわ。綺麗な色ね……」

 

 ユナはこれまで温かいお風呂に入ったことが無い。冷たい水しか使えなかったので時間をかけて体を洗えば凍えてしまう。そのため体も髪の毛も石鹸を付けてさっと洗い流す程度だった。

 

 それを聞いたクラコはお風呂場でユナの体を隅から隅までじっくりと洗い倒して汚れを落としてやり、若さゆえに最小限に留まっていた髪の毛のダメージも、クラコがここぞという時にしか使わないお高い頭髪用洗剤を用いてしっかりと洗ってやる。

 

 そうして一通りさっぱりしたユナの髪の毛はそれまでとは違う美しさを放っていた。

 

 ユナの髪は黒だとクラコは思っていたが、汚れを洗い流してやるとその色はどちらかというと暗めの灰色をしていた。そこに若干青色が含まれ、光を反射すると青灰色へと変化する。停滞雲の下という薄暗い環境ならただの深い灰色にしか見えないが、きっと青い空の下ならばその美しさはより一層際立って映えるだろう。

 

「あ、うぅ……」

 

 すぐそばにクラコの顔があるという事と、自身の髪を褒められるという今まで経験したことの無い状況にユナは顔を赤らめて恥ずかしそうにうつむく。幸いにも後ろで髪を乾かし始めたクラコはユナの表情の変化に気付くことなく、鼻歌交じりにユナの髪を乾かしていく。

 

 これまで冷水で体を洗い、髪は自然と乾くに任せていたユナにとってドライヤーの温風も初体験だ。その音と暖かな風に最初はびっくりしていたユナだが、慣れれば大したことはない。むしろその心地よさがクセになってしまいそうと思うほどだ。

  

(あたたかい……クラコさんと……おんなじ、におい)

 

 温風に乗って爽やかな匂いがユナの鼻をくすぐる。それは髪を洗う際に使ったシャンプーの匂い。クラコと同じ、彼女の香り。

 それまで自身とクラコは全くの他人で、別の世界に生きる人だと思っていたユナにとって同じ匂いを(まと)っているという事実は小さな衝撃を与えた。

 

(そんなの……だめなのに……)

 

 思わずユナの両手に力が入る。まるでクラコと同じ位置へと近づいたという烏滸(おこ)がましい考えに、ユナは自己嫌悪する。それとこれからクラコに言う"お願い"の内容も加わり、自身の厚かましさに涙さえ出てきそうになる。

 

「? ユナちゃんどうしたの?」

 

 そんなユナの雰囲気を感じ取ったクラコはユナの後ろ姿へ問いかける。恐らく真正面から少女を問いただすような事をすれば、本当の事を言ってくれないのでは無いかと感じたから。

 

「……クラコ、さん……おねがいします……わたしを……」

 

 意を決したようにユナは言葉を絞り出す。今までほとんど他人と言葉を交わしたことの無かったユナの声はか細く掠れているが、この時のユナの声はそれに加えてクラコへの懇願の色が含まれていた。

 

 すがるような、そんな声でユナはクラコへ"お願い"する。

 

「わたしを、ここに置いてくれませんか……?」

 

「ユナちゃん……?」

 

 思わずクラコは手を止めユナの話を聞く。ユナはたどたどしくも公園で雨に濡れていた理由を語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 この世界に存在する翼を持った人間の上位種、カザヨミは血筋など関係なく生まれてくる。親の年齢や人種、生まれた地域や時期にも左右されず、全くの偶然で生まれるカザヨミは、生まれたばかりの時は只の人間と同じような姿をしており、翼も無い。

 

 だが、生まれてから十年ほど経過するとカザヨミとしての能力が現れ始め、国が行っているカザヨミの能力測定検査によって正式にカザヨミであることが認められる。カザヨミとして認められるとその後、カザヨミは翼の発露を促すためのカザヨミの育成機関へと集められ、カザヨミとしての義務と、恩恵を与えられる。

 

 義務とは降害に関する対処であり、恩恵とは都市で不自由ない暮らしを保証してもらえる事。

 

 カザヨミの教育機関は全て都市内にあり、つまりはカザヨミに認定された時点で都市内への移住が認められ、それは家族も含まれる。

 

「お姉ちゃんたち、カザヨミなんだって、それで……叔母さんたち、都市に引っ越すって……」

 

 震える声でユナは叔母より聞かされた言葉を思い出す。ユナの叔母はカザヨミとしての力が発露する年齢となった二人の娘にカザヨミの測定検査を受けさせた。検査は受けるだけならば誰でも受けることが出来るのだが、叔母はあえてユナを無視して自身の愛娘のみに検査させた。

 都市内にある検査所へ行く叔母はいつも以上に着飾り、二人の娘も同様の姿で憧れの都市へと赴いた。

 

 そして、なんと検査を受けた娘二人ともがカザヨミとしての適性ありと判断されたというのだ。しかも二人ともカザヨミとしての能力はかなりのものだったらしく、都市内への移住はもちろん、その中でも最上層クラスの暮らしが約束されたという。

 

 その結果に叔母は文字通り狂喜し、憧れだった都市内での生活が現実のものとなる事実を夢心地で受け入れた。カザヨミの力は遺伝しないとは言われているが、生んだ娘が二人ともカザヨミとなれば、その前例を覆した歴史的逸材として叔母も都市で相応の権力を手に入れる事だろう。

 

 そして、そんな輝かしい叔母の家族に、邪魔者は必要ない。

 

「……ユナちゃんは……?」

 

「わたしは……家族じゃないから……」

 

 検査結果を受けての叔母の行動は早かった。既に用意されている都市内の居住地区への転居準備をここ数日で済ませ、つい先ほど雨に降られる前に都市へと旅立ったらしい。

 当然、それまでユナには何も言わずにだ。

 

 ユナからすれば何が何だか分からなかっただろう、朝いきなり起こされたかと思うと、出ていけ、と言われたのだから。

 

 叔母は予想以上にユナの存在が目障りだったらしく、叔母らが住んでいた家は土地ごと既に売りに出されており別の名義に変わっていた。叔母たちが都市へと移った現在、ユナはもう家に帰る事はできない。帰ったとしても、電気も水道もガスも止まり、幼いユナ一人で生活できるような環境では無かった。

 

 今までだってギリギリな生活だった。それでも捨てられるよりも良いのだと、そう考えて生きてきた。だが、そんなユナの思いはあっけなく捨てられた。

 捨てられて、何もかも失って、ただ茫然としたまま空を見上げ灰色の雨に打たれる事すら構わずユナは無意識に歩を進めていた。

 

 冷たく、苦しい思い出しか持たないユナが唯一持ちうる暖かな想い。それをくれた人がいる場所へ。

 

「……おねがい……」

 

「ユナちゃん……」

 

「おねがい、おねがいします……ここに、居させてください……」

 

 すべてを話し終わったユナは、クラコへと振り返る。座り込んだ体勢のまま、手を床に付き、震える体を押さえつけ、頭をゆっくりと、下げていく。

 

「ユナちゃん、よしなさい」

 

 クラコは思わず強い声音でユナの動きを止めようとする。だが、ユナはひたすら懇願の言葉を口から漏らしながら、頭を床へと近づけていく。

 

「おねがいです……おねがいです、寝る場所も、おふろも、食べ物も……なにも文句なんて言いません……寒いのも、痛いのも我慢します。だから、だからここに居させてください……おねがいしま──」

 

 たまらずクラコはその場で土下座しようとしていたユナを胸元へ抱き寄せ、聞きたくもない言葉を吐き出す口と、動きを無理やり遮った。

 

 クラコは血が流れんばかりに唇を噛み、怒りを抑え込む。そうしなければクラコはユナに聞かせられないような言葉で、ユナの叔母たちを口汚く罵っていただろうから。

 何も知らず、ただ生きる事に精一杯だったユナが、どうして土下座など知っているのか、そんなもの考えるまでもない。叔母が教えたのだ。ユナが何かお願いをする時、土下座するように教え込んだのだ。でなければこんな幼い少女がこんな行動に出るわけがない。

 

「……ユナ、貴方はもうこの家の子よ。ここで一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に寝ましょう?」

 

「……いい、の? ここに居て、いいの……?」

 

「もちろんよ。私が、ユナと一緒に居たいの」

 

 クラコはユナとどのように付き合うべきが、こうやって再会するまで思い悩んでいた。過度に干渉しないようにすべきか、すべきでないか。

 だが、この瞬間クラコの思いは確定し、決意した。これが自身の自己満足であろうと構わない。それでも目の前の少女が笑顔になるならば、安いものだ。

 

「クラコ、さん……」

 

「ふふ、お買い物の時は服だけじゃなくてユナの日用品も揃えないとね」

 

「!っ」

 

 ついにユナの目じりにたまっていた涙があふれだした。これまでの生活では泣けば苛立ち紛れに殴られていた為、ユナは声を殺してすすり泣くクセが付いてしまっている。それでも精一杯の声を上げ、クラコの胸元でこれまでのすべてを吐き出すように、年相応に泣きじゃくった。

 

 その涙と共に、ユナのつらい記憶さえも流れ出てしまえばいいのにと、クラコはユナを抱きしめながら思うのだった。

 

 

 恐ろしき停滞雲に覆われた危険な土地は、人の命など容易く踏みつぶしてしまう。それは突然で、防ぎようのない災害だ。だが、それでも人が人らしく生きる事を否定してはいけないのだ。幼き少女は、このまま絶望に染まった人生を歩んでいいわけがないのだ。

 

 いつの間にか空を覆い尽くさんとしていた灰色の雨は止み、停滞雲の向こうから太陽の光が地上を朧げに照らしていた。

 

 

 

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