愛鳥少女とキンヨク生活のすすめ。   作:田舎犬派

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50羽 友達の翼

 

 ユナが雲海を目指し、空を飛んでいた頃。同じように空を飛ぶツグミの姿があった。

 

 ツグミは手に持った携帯端末を見つめ、決心したようにポケットの奥にしまい込んだ。飛行中でも落としてしまわないようにと。

 

「……ごめんなさい、クラコさん。でも、じっとなんかしていられないんです……」

 

 灰色の空を飛行するツグミは通話していたクラコの、一人で雲海に行こうとしてはいけない、という言葉を無視する行為に罪悪感からぽつりとつぶやき、翼を広げ高度を上げていく。

 

 ツグミの翼は褐色や黒褐色を主とした色合いをしており、それは大多数のカザヨミが持つ翼の特徴と一致していた。色合いや翼の形はカザヨミによって千差万別とはいえ、カザヨミという種である為か、何処か似通った特徴を持つ者たちが多いのだ。

 

 その中でもツグミの翼は色はともかく形において他のカザヨミとは若干の差異が見て取れる。本来鏡映しのように同じ形をしている両翼だが、ツグミは片側の翼の大きさや形がわずかに異なっているのだ。

 

 人体において左右の差はそれほど問題となるようなものではない。利き腕という概念が存在しているように、右の手と左の手が異なる作業を担当し、それぞれに動かし方が違ってくるというのは当たり前の事であり、どちらも同じ動きをさせようとしても違和感が出てくるものだ。

 

 しかし、カザヨミにおいて両翼の差異はそれとはまったく異なる問題である。なぜならカザヨミの翼は二枚で一対。両翼が共に小さかったり形が変わっているのならば問題は無いが、片翼のみ形が異なっていると空を飛ぶ際の難易度は上昇する。

 

 とはいえこの問題は時間と練度によって解消される。カザヨミの翼は換羽によってカザヨミ本人に最適化した姿へと変化し続ける。ツグミが空を飛び続けていれば自ずと翼もツグミの思いに応えてくれるだろう。

 

 カザヨミ本人が翼の差異を無くすように願えば翼もそのように形を変えてくれる。

 

 だがそれはカザヨミとしての技術の習得が遅れる事を意味していた。空を飛ぶ事で換羽を促すが、それは片翼の形状がおかしいまま空を飛ぶという事であり、飛び方に変なクセがついてしまうのだ。換羽後にそのクセを矯正する必要があり、その後ようやく本来のカザヨミの飛行技術の習得に務める事になるため、通常のカザヨミよりも飛行技術の習得に時間がかかるのだ。

 

 ツグミが座学で優秀な成績を収めておきながら二級に留まっているのも、そういった換羽と矯正を行うべきか悩み、時間をかけたせいだ。

 

 中には両翼のバランスが異なる状態での独自の飛行方法を突き詰め、結果として換羽で"翼の形状が両翼で異なる"状態で最適化され、異次元の飛行技術を見出したとんでもない特級のカザヨミも存在するが、両翼に差異のあるカザヨミの大多数は都市の教育にある正しい飛び方を目指して換羽による矯正を行う。

 

「イスカちゃん……ヒタキ先輩、ミサゴ先輩……!」

 

 ツグミはこれまで数回の換羽を経験していた。一度目は両翼揃った翼を目指して換羽を迎え、そして次からは現在の片翼が異なった形状のままでの換羽による最適化を行った。ツグミは勤勉で頭がよく、それ故にカザヨミとしての自身をどう確立するかを悩み抜き、そして"とんでもない特級"と同様の、独自の飛行方法を模索する道を選んだのだ。

 

 その決意を先輩であるヒタキとミサゴも受け入れ、飛行隊の中でもツグミの飛び方は他者には真似できない独自のものへと進化していった。

 

 他人とは異なる道を選び進んでいくのはカザヨミとて困難である事に変わりはない。それが自身の身の安全を保証する技術ならばなおさら。だが、ツグミの所属する第十七飛行隊の面々はそんなツグミを応援し、認めてくれた。

 アトリは飛び方よりも飛んで何を成すのかが大事だと言い、イスカも生意気ではあるがツグミの飛び方を否定しなかった。

 

 今のツグミがあるのはそんな先輩達や後輩達が居てくれたからだ。

 

 空を飛び、無謀にも雲海を目指すという行動にツグミが出たのも、彼女たちを……あの飛行隊の暖かい雰囲気を失いたくないという思いからだった。

 

 だが、想いだけで飛べるほどにこの世界の空は優しくはない。

 

 

「! きゃあ!」

 

 崩れた気流の流れに乗れずソアリングを実行できないツグミは自力で翼を動かし、体力を削りながら雲海を目指す。

 

 比叡山の雲海観測所からいくつもの電波塔を経由して繋がったアトリとの通話はツグミにとって最悪の知らせだった。雲海周辺は降害を発生させた停滞雲によりひどく荒れようとしている。正確には停滞雲より濾し取られた高濃度エーテルによる影響だが、とにかくその影響によって雲海が不安定化する可能性をツグミは誰よりも早く予測していた。

 

 予測していながらも何もしないという選択を取れなかったツグミは焦りと勢いのままに雲海を目指したのだ。

 

 とはいえなぜこのタイミングでツグミはそのような予測を立てられたのだろうか? 極小の停滞雲より発生した降害の情報はオウミの都市で情報が放置されており、ネットやテレビのニュースにも報じられていない。その上ツグミがアトリより連絡を受けた時にはまだ雲海の状況は見た目で判断出来るほど荒れてはいなかった。気流の壁も形を保っており、遠目からは異常が無いように見えたはずだ。

 

 ではなぜツグミは雲海の異常事態を予測できたのか。それは例の極小停滞雲の降害を発見し報告したカザヨミが、ツグミだったからだ。

 

 

 

 

 時系列はこうだ。

 

 雲海調査計画により最低限の人材のみが都市に残された状況で、ツグミは都市からの待機指示を律儀に守っていた。そんな時、通常空域の警邏を行っていた下級カザヨミが上級カザヨミであるツグミに空域の雲の変化を報告してきた。

 

 それほど重要とも思っていなかったツグミは自らその空域での変化を確認するべく飛び立ち、そこで例の降害に出くわした。

 

 降害の発生を現場から都市へと報告したツグミの元へアトリからの通話がかかり、そうして矢継ぎ早にクラコへと通話を繋げた。

 

 クラコに助力を断られたツグミはそのまま都市に帰ることなく、イスカの消えた雲海を目指し始める。

 

 

 

 

 

 

 もしもアトリの通話がもう少し遅ければ、ツグミは帰還した都市でクラコの言う通りイスカの無事を祈っていたかもしれない。だが、結果としてツグミは降害の発生をその目で見て、その危険性を察知して雲海へと翼を進めてしまった。

 

 かつてクラコと言葉を交わし、停滞雲やエーテルの知見を得たツグミは生来の聡明さによってエーテルの誘引と雲海への影響を予測し、その危険性を早期に察知してしまったのだ。

 

「!? 翼が、動かな──」

 

 雲海へと進むツグミはまだ二級であり、雲海へと突入したことなど一度もない。訓練施設での座学と独学により雲海の下層がどのようになっているかは知っているものの、経験はしていない。経験不足というのはカザヨミにとって致命的となるのは特級や一級と一緒に空を飛んでいたツグミには嫌というほど理解していたはずだった。

 

 だが、それも焦燥に駆られ冷静さを欠いたツグミでは思い出すことは難しかった。もし自分が行動しなかった結果、自身が失いたくないすべてを失ってしまうかもしれないという恐怖がツグミの胸中を支配していた。

 

 そして、そんな不安定な精神状態はカザヨミの飛行能力を著しく削り取る。雲海はそのようなカザヨミの隙を見逃すほど生易しくはない。

 

「ぁ…………」

 

 不意にツグミの体が大きく後方に引っ張られ、のけぞる様な体勢になる。背中が地面を向き、翼が逆向きに羽ばたく。なんとか体勢を立て直すべく翼を動かそうとするが……力が入らない。

 

 そこでようやくツグミは気が付いた。後方に引っ張られたのではなく、翼が推力を失い正面から来た気流に押し戻されてしまったのだと。既にツグミの翼も、ツグミ本人の体力も限界を迎えていたのだ。

 

 もし、ほんの少しでも翼を休めるような場所があったのならば、カザヨミの回復能力によって消耗した体力を取り戻し、帰還するだけの力が得られたかもしれない。だがツグミの飛ぶ空にそのような場所など、当然存在しない。

 

(イスカちゃん……アトリちゃん……ヒタキ先輩……ミサゴせんぱ──)

 

 無意識にエネルギーを消費するカザヨミの翼は取り返しのつかない状況になってようやくカザヨミ本人に危機を知らせる。既にツグミは声を出すほどの力もなく、腕を伸ばして崩れゆく雲海の姿を瞳に焼き付けるしか出来なかった。

 

 翼が気流に乗るのを止め、エーテルを感知する能力のないツグミはなすすべなく地面へと落下していく。最初はゆっくりと、途中から発現していた翼が砕けるように散り、体に収納されると途端に落下スピードは上昇。頭から一気に地上へ落ちていく。

 

(……ああ、よかった)

 

 ツグミが地上に激突するまでにかかる時間は数分程度。その間にツグミは自身が落下しているという事実に安堵した。もしも落下する事すらできなかったならば自身の身体は停滞雲に飲まれる。この空域ならば、もしかしたら雲海へと飲まれる事になったかもしれない。そうなれば身体は永遠に空を彷徨い、他の飛行隊によって回収されることもなかっただろう。

 

 両親の許に帰ることができると、ツグミは小さく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、それはあまりにも甘い考えだった。

 

 そう、甘い。甘すぎる考えだ。

 

 あらゆる空域を見通し、エーテルを数十の段階的に視認できる"少女"の暗褐色の瞳は、千切れた停滞雲の中で墜落するカザヨミの姿など容易に見つけ出せる。

 

 遠すぎて点に見えるほどに離れた距離であっても、世界最速の鳥類をも超越したスピードで飛行できる"少女"なら落下を続ける体を優しく抱き留める事などたやすい事だ。

 

 ツグミは死を受け入れた。だが、それは自身がもう助からないという諦めであった。

 

 

 

 ……かの少女(ユナ)が、親しき者の死を、諦めを、許すはずが無いだろうに。

 

 

 

 

 

 

◆◇

 

 

 

 

 

 

「クラコさーん、エーテルの薄いところに出たよー聞こえるー?」

 

『ええ、ばっちりよ。……とはいえ、この空域が最後でしょうね。準備はいいかしらユナ?』

 

「うん! だいじょーぶだよ! ……あ」

 

『? どうかしたの?』

 

「うん、ツグミお姉さん気が付いたみたい」

 

 自身の腕の中で意識を失っているカザヨミが僅かに身じろぎしたのを感じたユナはホバリングをして体勢を安定させた。ゆっくりと見開かれていく瞳の鮮やかさにユナは安堵から笑みが零れる。

 

 

 

「ん……ここは……」

 

 ツグミは頬を撫でる柔らかな風に閉じていた目を薄く開く。まだ体全体が怠く、目を完全に開けることさえ難しいツグミだが、何故かとても心地よい風が体を通ってくのを肌で感じ、その後自身が墜落した事を思い出した。

 

「え、私……浮いてっ!?」

 

 最初は夢だと思った。だが、意識が覚醒するにつれツグミは自身がどのような状況であるかを徐々に把握していった。停滞雲に囚われていないというのならば、自身の体は落下の最中であり次の瞬間には固い地面に激突しているはずだ。だがツグミの体は落下せず、それどころか悠々と空の中を飛んでいた。しかしそれはツグミの翼によるものではない。

 

「暴れちゃ危ないよ~」

 

「ゆ、ユナちゃん!?」

 

 ツグミの視界に広がるのは千切れた停滞雲の残骸と青い空、そして青灰色の翼。ツグミは現在ユナに横抱きにされながら空を飛んで……いや、運ばれていた。

 

 ツグミの体格は幼いユナと比べれば一回りほど大きいが、ユナはその体躯を事も無げに持ち上げている。飛行に関しても問題なく続けており、何処か余裕さえもうかがえる様子にツグミは驚く。

 カザヨミは都市間で物資の移動を行う際、少なくない量の荷物を抱えて空を飛ぶ事もある。だがそれはあくまでそのカザヨミの負担にならない程度の大きさと重さに限られており、ユナのように自身よりも大きな人を運ぶなど聞いたことがない。たとえ人ひとりを抱えて飛べたとしても、これほどまでにバランスを崩すことなく飛行出来るだろうか。

 

『ユナ、ツグミちゃんは無事?』

 

「うん、大丈夫みたいー」

 

「クラコさんの声……? あの──」

 

 そんなことを考えていたツグミにクラコの声が届いた。それはユナが身に着けている羽織らしきものから聞こえてくる。正確にはその内側のポケットの中に入っている、通話状態の携帯端末からだ。

 

『ツグミちゃん? 良かった……痛いところは無い? 私の声が分かる?』

 

「は、はい……あの私は一体……」

 

『ツグミちゃんが墜ちていくのをちょうどユナが見つけてくれたのよ。ホント、奇跡みたいなタイミングだったわ』

 

「ユナちゃんが……」

 

 あの時、ツグミが意識を手放したと同時にギリギリなタイミングでユナの両手がツグミの体を捕まえる事に成功した。意識を失った事で発現していたツグミの翼は消失し、翼による浮力を完全に失ったツグミの体は急速に落下速度を上げようとしていた。その前にユナがツグミの体を掴んだのだ。

 

「私、向こうにいくの。ツグミお姉ちゃんはどうする?」

 

「え……」

 

 ユナはツグミを抱えながら視線は遥か前方、未だ形を崩さずそこに存在している雲海へと向けられていた。

 

『ツグミちゃんは、飛べそうかしら……? 無理そうなら安全な場所まで送って行くわよ。……ユナが』

 

「送っていくー」

 

 端末より聞こえてくるクラコの声は先日出会った時と同じように穏やかなもので、その言葉に倣うように発せられたユナの声音も非常に落ち着いているようにツグミは感じた。雲海という、本来ならばカザヨミが決死の覚悟で挑むべき空域に突入しようとしていながら、二人はなんてことないように言葉を紡ぐのだ。

 

 これまでユナがどれほどの訓練を重ねてきたのか、どれほどの空を経験したのか。崩壊した雲海支配領域で人を抱きかかえながら、それもクラコと言葉を交わしながら飛行している光景を目にすればユナの実力がどれほどのものか、感じられるだろう。

 

 これまでツグミが見聞きしたどのカザヨミとも違う、けれどどのカザヨミよりも自由で、特級レベルの技術力を有するユナ。だからこそツグミは再度、願わずにはいられなかった。

 

「いえ、私は……私は一人で大丈夫です。だから、だからどうかおねがいします……! みんなを──どうか」

 

「……うん、大丈夫だよ。そのために、ここまで来たんだもん」

 

 ツグミの言葉にユナはにっこりと微笑み、青灰色の翼をはためかせた。

 

  

 

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