愛鳥少女とキンヨク生活のすすめ。   作:田舎犬派

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51羽 垂水の逆灯台

 

 雲海の支配領域は高濃度エーテルの合流によって酷く荒らされ、それまで形成されていた気流の壁を破壊し、内側の無風地帯をかき乱した。それは雲海の支配領域とそうでない領域との境界を有耶無耶にさせ、危険な領域と安全な領域が(まだら)模様のように点在する空間を生み出した。

 

 そのため、運が良ければツグミのように安全な空間を辿って雲海に極めて接近することが出来るが、同時に危険な空域に掴まっていきなり墜落する事もあり得る。気流の壁という明確な区切りが崩壊した結果、雲海周辺の領域はかつてないほどに混沌とした危険地帯へと変貌していた。

 

 だが、それは一時的な混乱に過ぎないとクラコは予測している。停滞雲を構成するエーテルはさらに濃度の高いエーテルや生成物である停滞結晶へと誘引される特性があり、それらの作用によって暴れ狂う高濃度エーテルもしかるべき層に合流し安定する。時間が経てば雲海の支配領域はかつてのように気流の壁とその内側に無風地帯を形成し直すだろう。

 

 しかし雲海へと高濃度エーテルが合流した事で後に再形成される雲海と支配領域はかつてと全く同じ姿というわけではなくなる。都市が長年かけて集めたヒエイ雲海に関する情報……とりわけ雲海への出入口や中層への突入口の位置は一新され、再び地道で危険な調査作業が行われる事になるだろう。

 

 つまりこの機会を逃せば都市は再び中層にアタックできるタイミングを向こう十数年は先延ばしにされるということだ。極小の停滞雲による降害の情報が放置されている現状、その事実を都市管理部はまだ把握していなかったが、もしも把握していたならば無理やりにでもカザヨミたちを雲海へと突入させ、成果を持って帰らせようとしていただろう。

 

 だが、そのような最悪の結果にはならず、現在雲海に囚われているのは中層調査に赴いた飛行隊チームと、中層へと消えたイスカのみ。

 

 それだけならばまだ手が伸ばせる。まだ、ユナの手が届く範囲だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人で降りれるといったツグミと別れ、ユナは雲海本体を目指して飛んでいた。既にクラコとの通信は通じなくなっており、完全に一人の状態でユナは荒れた空域を進んでいた。

 

 

 

 ──ユナ、これだけは絶対に守って。何があっても、自分を一番に考える事──

 

 

 

 

 地上で分かれる際、クラコはそう言ってユナを抱きしめ、おでこに軽くキスをした。幼い子へのおまじないのように、クラコは小さく儚いユナの存在が決して陰る事の無いよう願いを込めた。

 

 それはかつてユナが停滞雲に飲みこまれ、命を落としかけた時のように。自身の口づけが、再びユナの命を守ってくれるという願掛けとして。

 

 そうしてクラコの想いを抱きながらユナは空を飛んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 散らばった停滞雲の中、網の目をかいくぐるように飛行するユナはまっすぐ雲海を目指す。通常の空域のような、停滞雲と停滞雲の隙間にできた空路を通るのとは全く異なる、それこそ細い蜘蛛の糸を手繰り寄せるかのような繊細で不安定な道を、完璧で瑕疵無き飛行技術によって通過していく。

 

(……もうちょっと。見えないけど、もうすぐのはず)

 

 ユナの視界は霧状に広がった薄い停滞雲によって既に閉ざされ、目視での現状確認は不可能であった。肌に当たる風と翼で受けるエーテルの感覚がユナに進むべき空路を教え、これまで飛び続けて獲得した速度感覚によっておおよその自身のスピードを把握し、高度は指先でなぞるエーテル高度計で確認する。自身の速度を、これまで何度も支配領域を飛行した時と同じになるように翼を動かし調整して現在の位置をおおよそ確定させる。

 

 そうしてユナは雲海本体の存在する空域まで到達した。他のカザヨミならばまばらに漂う停滞雲と不可視のエーテル領域を警戒して進行しなければならないが、ユナはそれらの位置を感覚で察知出来るため即座に最短距離を選択する事が出来る。

 

「……あった」

 

 チリチリとしたエーテルが肌を撫でる感覚がなくなり、薄い雲の空域を抜けたと判断したユナは目を開け、眼前の巨大な雲の塊へと視線を向けた。

 

 雲海は依然としてそこに在り、支配領域を崩壊させながらも本体は変わりなく健在だった。だが、それは雲海が高濃度エーテルを取り込み、なんの変化もなかったというわけではない。

 

 雲海の下部へ向かい、あらかじめ把握していた雲海の出入口を確認しようとしたユナだが、どれだけ探してもそれらしい大穴が見つからない。もっと下の方だったかと降下しても、上だったかと上昇しても全く見つからない。

 

(そんな、入口が……。閉じちゃったんだ……)

 

 雲海という存在はいわば広大な停滞結晶とエーテル領域の集合体のようなものだ、エーテルが寄せ集まり空気中の水分やチリを核にして微細な停滞結晶が析出しそれが停滞雲となる。雲海はそういった停滞雲が集まり、より高密度となった領域である。

 

 そのためほんの僅かな外的要因によってその姿は一変する。透明な水の中に一滴の黒いインクを落とせばそれが徐々に水全体へと広がっていくように。高濃度エーテルという一滴が雲海そのものの姿を確実に変化させてしまった。その結果として雲海に開いていた大穴は跡形もなく消え失せていた。

 

(だいじょうぶ……だいじょうぶ……! クラコさんは"そーてーない"だって言ってた! だから、だから大丈夫……)

 

 カザヨミにとって焦りは精神状態を乱す要因であり、不安定な精神は飛行能力を阻害する要素となり得る。そのためクラコは雲海の状況などから出入口が閉じられている可能性がある……むしろその可能性の方が高いと事前にユナへ説明していた。閉じられていたとしても想定内であり、取り乱す必要はないと言っていた。

 

 そのためユナは多少驚いたものの、そこまで激しく混乱することはなかった。大穴はなくなったものの雲海のどこかに入口となり得る場所が発生している可能性があるはずだと。

 

(クラコさんが言ってたもん。形が崩れても、エーテルの性質が変わらないならどこかに出入口が出来ているはずだって!)

 

 雲海と外界とを繋ぐ大穴は奇跡的な偶然から生まれたとされているが、クラコはそうは考えていなかった。もしも奇跡的な偶然というもので大穴が開いていたのだとしたら、これまで十年以上続けられてきた雲海調査の歴史において、今回と同じように高濃度のエーテル誘引によって大穴が無くなるという事象が頻発していたはずだ。少なくともクラコが調べた限り、雲海調査が行われるようになってからヒエイ雲海周辺では数百回もの降害が発生しており、それらが一つも雲海に影響を及ぼさなかったとは思えない。

 

 クラコの考えはこうだ。ヒエイ雲海はエーテルや停滞結晶の特性、発生した位置、地形や環境などが複雑に組み合わさった結果、"必ず外界との入口が生成される"雲海であり、その形が乱され崩されようとも必ず入り込める隙間がどこかに出来るという特殊な雲海である。

 迷路に出口と入口があるように、内部構造がどれだけ複雑に変化しようとも雲海という存在である以上、出入口が必ず生成されるはずだと。

 

 これがヒエイ雲海のみに見られる特殊性なのか、それとも他の雲海でも同様の出入口を生成する特性があるのかは比較対象が少なすぎて判別出来ない。けれどヒエイ雲海に限れば、出入口を必ず生成するのは確定とも思えた。

 

 

「っ……あれって……」

 

 そうして大穴に代わる、あるはずの入り口を探すべく翼を動かしたユナの目に僅かな光が届く。本来ならば太陽の光に隠れて見つけられないような僅かな光の明滅は散る停滞雲が偶然影となって一瞬だけユナの瞳に写り込んだ。

 

「あの時の光……?」

 

 ユナの目に見えるのは雲海の側面から発された一点の光で、それが規則的な間隔で点滅を繰り返している。ユナはその光に見覚えがあった。かつて、初めて停滞雲を突き抜け雲の上へと昇った時に見た雲海の光だ。

 

 人工物のように規則的な明滅を繰り返す光の姿はユナに雲海の内部に関して興味を抱くきっかけとなった。そんな光が、突如としてユナの視線の先に再び現れたのだ。 

(雲海がくずれて……中が見えて……?)

 

 あの時一瞬だけ見えた明滅が今は絶えず見え続けている。それは雲海の分厚い雲さえも押しのけて輝く……いや、あるいは分厚くなど無いのかもしれない。

 

「っ!! あそこが、入口っ!!」

 

 光を目指し、ユナは巨大な停滞雲の塊である雲海の側面をなぞるように急上昇し、光を目指す。徐々に光は点から丸い光球になり、それがどうも回転しているらしいと分かった。

 

 救急車や警察車両などに搭載されている回転灯のような挙動で動き、一方向へと光を届けながらも回転して照らす位置を常に変化させている。そんな特徴的な光は雲海の側面、分厚く立体的な雲の壁ではなく、薄い雲が霧のように存在している領域の向こうから見えている。

 

 おそらくはそここそが、現状における一時的な雲海への入り口なのだろう。薄い雲によって常人には見つけることも出来ないだろうが、実際は通り抜けられる隠された入口といったところだろう。

 

「ふー、はー……よしっ」

 

 一度大きく深呼吸したユナは手書きの雲海図や携帯端末がケスケミトルの内ポケットにしっかりと収納されているかを確認する。ユナとしては落としてしまわないようにという確認でしかなかったが、実はケスケミトルの結晶誘引特性や耐エーテル性能によってそれらのツールは結晶析出による破損から守られていた。エーテルの析出を完全に拒絶することで着用者を守っていた都市のパイロットスーツ型防護服は下層での運用には何とか耐えていたが中層以上となると濃すぎるエーテルによってスーツ外部に露出していた通信機器や航空計器に析出が発生した。だが、ケスケミトルはわざと表面に析出させる事で本当に守るべきものに結晶の析出が発生しないよう設計されている。

 

 そもそもユナの体に固定する道具(ツール)を限定し、ほとんどの道具(ツール)をケスケミトルに収納できるようにしたのも製作者であるクラコがエーテルと停滞結晶の特性を考慮し、上記の電子機器破損の問題を予想していたからだ。

 

「クラコさん、行くね」

 

 ユナは長く息を吐き出した後、首に巻いたマフラーに深く口元を埋め、目を瞑る。今から突入するのはまぎれもない雲海の内部。少しでも析出限界速度以下で飛行すれば瞬く間に体は停滞結晶まみれになってしまう領域だ。たとえ結晶の析出がなくとも空間を満たしているエーテルから逃れる事はできず、それらがユナに牙を剥く可能性は十分にある。

 

 それでもユナは行くと決めた。自身を虐げていた従姉妹を助けるため、見ず知らずの飛行隊を助けるため、雲海の内部にあるはずの、あの手招きする光の先にあるものを知るために。

 

 すべてを背負い、覚悟したうえでユナは空を飛ぶのだ。

 

 

 

「うっ!?」

 

 薄雲の中へと突入したユナを最初に襲ったのは濃密なエーテルの気配だった。ただのカザヨミには感じられないエーテルもユナは鮮明に捉える事が出来る。そのユナが思わず悲鳴を上げてしまいそうになるほど雲海の内部は濃いエーテルによって満たされていた。

 

(すごい……こんなの、風を頼りにしてたら全然分からない……!)

 

 雲海内部の風は強弱や温度、吹く方向も完全にバラバラであり、それはただの停滞雲とはレベルが違うと思えるほどだった。だが、レベルが違うだけで停滞雲の域を出ない。経験豊富なカザヨミならば飛行不可能という事態にはならないだろう。

 

 だがここは雲海の内部だ。それもユナが飛び込んだ入口は下層と中層の境界より上。つまり中層領域。中層は下層よりも濃いエーテル領域が多量に占め、多種多様な異常気象を引き起こす。

 

 いや、異常なのはもはや気象だけではない。エーテルは特異な特性と性質によって人体にあらゆる影響を及ぼしうる。単純にエーテルの持つ"停滞"によって時間の進みが遅く感じたり、逆に速く感じたり、肉体の感覚も鈍く、あるいは過敏に反応するようになる。中層で発生するエーテルによる"感覚異常"はこれまでの外的要因による飛行困難ではなく、自身の感覚が狂う内的要因である為その対処は非常に難しく、それが中層における常識であるのだからその異常さは下層に比べる事も出来ないだろう。

 

(! ……手の感覚が……)

 

 激しいエーテルと分厚い空気の塊がユナに襲い掛かり、思わず体に力を入れるユナは握りしめた手から伝わるはずの感覚が酷く朧げである事に気が付いた。

 

 手だけではない。足の感覚も鈍く、目は開けられない。耳は空気と空気がぶつかる音のみが聞こえ、声を出すことはおろか息を吸うのもやっと。クラコの作ったマフラーがなければ息さえも出来ないほどだっただろう。

 

 僅かばかりの空気を吸い、精神力を主軸とし、翼の感覚だけでユナは飛んでいた。それは何もない真っ暗な海原を、たった一つの星を頼りにして航海するような無謀なもの。

 

 当初クラコとユナが考えていた以上の飛行難度にさすがのユナも焦りが見え始める。本来の中層は既存のエーテル領域が比較的安定して空間に固定されていたのだが、その安定を外部から誘引されてきたエーテルがかき乱した結果、中層はここ数十年で最も荒れていた。だがそんな事をユナは知る由も無く、最悪な状況での飛行を強いられていた。

 次第に体の感覚は"鈍い"というものから"不感"へと悪化し、もはや何処を飛んでいるのかさえ分からなくなり始めていた。最初に目指していた明滅する光の位置も、目を瞑っていても感覚で分かると考えていたユナだが風とエーテルに揉まれる内に見失ってしまった。

 

(! ……あれは……。あれは、なに?)

 

 心身ともに疲弊しながら翼を頼りに暗中の中層を進むユナだが、そんなユナは遥か先の空間に僅かな光を感じた。ユナは目を閉じたまま飛行しているので正確には光を見たわけでは無いが、それでも翼が感じ取れる強く光る何かがユナの目の前に存在している。

 

(あれは、エーテル……?)

 

 目も見えず、五感がマヒしている現状で機能しているのはカザヨミとしての翼のみ。そんな状態で捉えた光の正体をユナは五感で捉えられるモノではなく、翼でのみ捉えられる存在、すなわちエーテルであると判断した。さらには謎の存在が現れてから自身に向かってくる風の向きと強さがわずかに変化した。そこから謎の存在が風を遮る質量持つ存在……エーテルが結晶化した停滞結晶であると理解する。

 

 だがその停滞結晶はユナの知っているものとは異なっていた。特性や性質は本来の停滞結晶となんら変わらないはずだが問題はその姿。

 

(生き物……あれは、クラコさんに見せてもらった……イルカ?)

 

 エーテルを事細かに認識できるユナは目を閉じていても周囲のエーテルを感知して飛ぶ事が出来る。そんなユナには先を飛ぶイルカの姿が鮮明に認識出来ていた。どのような形をして、色をして、動いているのか。

 

 ユナの視線のはるか先に在る停滞結晶、それは青く光り、そして空を"泳いでいた"。

 

 激しい気流と濃いエーテルの中にあって、海洋生物の姿をしたなにかは、緩やかに空を泳ぎ、小さな円を描きながら回遊していた。ユナを伺うように一定の距離を保ち浮遊する謎の存在をユナはかつてクラコに見せてもらった動画から、イルカと呼ばれる海に住む哺乳類のようだと思った。

 

(おっきい……それに、きれい……)

 

 形状こそイルカのそれだが、まるでガラス細工のように光を透過する姿はおよそ生物とは思えないほどの異様さを放っている。比較対象が存在しないので確かな事は言えないが、目の前にいるイルカの大きさはおおよそユナの体と同じ程度。子ども一人ぶんの大きさの停滞結晶がユナの視線の先で優雅に泳いでいた。

 

 もしもあのイルカを構成しているものが次世代のエネルギーとして注目されていた純粋な停滞結晶であるならば、都市の人間は驚きのあまり言葉を失う事になるだろう。全世界の都市が保有している結晶を全て集めたとしても、視線の先にいるイルカのしっぽ程度にもならないのだから。

 

「ま、待って……」

 

 遊ぶようにその場で泳いでいたイルカはしばらくして雲の先へと泳いでいってしまう。ユナは慌ててその姿を追いかけるために翼を動かす。青く発光するイルカの姿は薄暗い雲海の中であっても見失う事無く輝き、まるでユナが進むべき道を指し示しているかのようだった。

 

(見てないのに、わかる……エーテルだから? それに、風が全然……)

 

 エーテルの濃度さえも段階的に識別できるユナだからこそ、視界の閉ざされた中でもイルカの後を追える。そうして雲海の中をイルカの先導で進んでいくユナはある事に気が付いた。今まで体に打ち付ける強烈な風や暴力的なエーテルが嘘のように鎮まり、体の感覚が失われる速度が緩慢になった。

 

 イルカが辿る道は複雑な気流とエーテルを避けた比較的飛びやすいルートを進んでいるようで、それは後を追うユナのためなのだろう。

 

「……ありがとう」

 

 マフラーの中で小さく感謝の言葉を紡げばイルカは応えるように一回転し、雲の向こうへと消えていく。

 

 

 もうそろそろ終点だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 比較的穏やかなルートを通ったとしても雲海の環境は確実にユナの体力を削り取っていった。予想よりも遥かに消耗が激しく、もはや飛んでいる事すら難しいユナはソアリングによって何とか空中で体勢を維持していた。

 

「あ……」

 

 気流の中を突き抜け、ユナは雲海の内部に存在する広大な空間に到達する。そこはまるで雲海の外の空のように風が凪いでおり、エーテルの濃度もそこまでではないとユナは感じた。

 

(雲海の中にこんなところがあるなんて……)

 

 停滞雲の中を幾度も飛んでいたユナとしては、雲海の内部はそれに類似した厳しい環境が広がっていると想像していた。それはオウミの都市管理部も同様で、下層の環境から中層においても同じかそれ以上の暴風に見舞われるような環境だと予測していた。

 

 しかし、実際に中層内部へと到達したユナが目撃したのは、あまりにも穏やかで安定した空間だった。停滞雲どころか何もない空の上を飛んでいる感覚に近く、エーテル濃度も外とそう変わらない。いたって普通な、平凡な空気が占めている空間だった。

 

 だが、ここは雲海内部、それも人類未踏の中層領域だ。それが、このような何でもないような空間だけが広がっている訳もない。いや、むしろこのような"何でもないような空間"が広がっている事が異常なのかもしれない。

 

 ユナはゆっくりと目を開け、その目で広がる空間の全体像を見渡した。その、中層に空間ごと囚われ、降害として吐き出されるであろう廃墟を。

 

(あれって……柱? ううん、……あれは……)

 

 なんの変哲もない空間、そこに都市が浮いていた。

 

 正確に言うならば、大地より引き剥がされた地上の一部分がそのまま空間に浮かび上がっていた。浮遊する大陸のように、そこには町が見え、灯りが見え、住民の喧騒さえも聞こえてきそうなほどに、そのままの姿で在った。けれども根差(ねざ)すべき大地を失った廃墟の町はバラバラに崩壊しながら空を漂い、重力さえも無視して空間に浮かんでいた。その中でもユナの眼前に存在する、見上げんばかりの巨大な建築物の姿。

 

(これって、灯台……?)

 

 本来港や海岸付近に建設されるはずの、灯りをもって船に位置を知らせるべき灯台は雲海に飲み込まれ中層の中を漂う。あるはずのない鉄とコンクリートの塊は、重力を無視して逆さまになって浮いていた。

 

 冬の氷柱(つらら)のように逆さまになった灯台は引っぺがされた大地から下へと伸びている。溶けた雪解け水の代わりにエーテルが表面をつたって灯台の先端へと集まり、濃いエーテルとなる。濃いエーテルは特性によって未だ稼働している灯台の光を停滞させながら下へと向かい、落ちるに連れて空気に溶けて光も消える。

 

 その姿はさながら巨大な氷柱から滴り落ちる光のしずく。巨大な建造物がまるで自然物のような形態を取る不可思議な様相にユナは目を離せない。ユナが雲の外から見た光の明滅はこの灯台から発せられた光だったのだろう。

 

 雲海の中に浮かぶ巨大で広大な街並み、そしてそれらを象徴するかのように佇む逆さの灯台と垂水のごとく滴り落ちる光の残滓。

 

 

 

(……あったかい……まるで、クラコさんみたいな……、……お母さん、みたいな……。あれ? 私……今、どうして……?)

 

 暖かささえ感じる朧げな停滞光を見つめ、消耗し切ったユナの瞳はゆっくりと閉じていく。意識を失い、発現していた翼が体内へと収納される。

 

 エーテルから浮力を得られる翼を失ったユナの体は浮遊する大地へと落ちていく。高濃度エーテルによって落下速度は停滞し、緩やかに降下しながらユナの体は析出した結晶によって埋め尽くされていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユナはついに雲海の深淵へと足を踏み入れた。

 

 

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