愛鳥少女とキンヨク生活のすすめ。   作:田舎犬派

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53羽 時よ止まれと彼女は言った

 

 周防由那の一日は両親におはようと挨拶をしてから始まる。眩しい日の光に目を細め、大きくあくびをしながら伸びをする。春の暖かい空気が風に乗って窓から入り込み、カーテンをゆらゆらと揺らしていく。

 

 母親に手を引かれながら廊下をとてとてと歩く由那は朝食のおいしそうな匂い誘われ、キッチンへと顔を出すが、母親にぐしぐしと頭を撫でられ窘められる。

 

「こーら、先に歯を磨いてらっしゃい」

 

「わ、わかってるー!」

 

 慌てて洗面台へと逃げていく由那の後姿を見て母親はクスクスと笑い、新聞紙を広げている父親も口角を上げて母親と視線を合わせる。

 

「お父さんも、お皿出すの手伝ってくださいな」

 

「ああ、わかったよ」

 

 

 

 

 

 

 両親との食事はとても幸せなものだった。母親と父親に昨日の学校での出来事を語り、友達となった子の話を身振り手振りで伝えていく。家の向こうに見える小さな山へ冒険に出かけたり、虫取りをしたのだと言うと、あまり虫が得意でない母親がおてんばな由那に呆れたり、父親はそれなら一緒に虫取りにでも行くか! と由那を誘う。

 

 それに由那は嬉しそうにうなずき、朝食を食べながら何処へ行こうかと父親と共に話始める。

 

 

 

 

 母親が買い物へ、父親は由那と一緒に虫取りに出かける事になった。いつも行っているデパートまで母親を車で送り、そのまま虫取りに行く予定となっている。ガタガタと揺れる車の後部座席から由那は車を運転する父親と、補助席に座る母親の横画ををじっと見つめていた。

 

「明日は今日よりもあったかくなるらしいよ。桜も咲いているし、お花見にでも行こうか?」

 

「あら、いいわねぇ。それじゃあお弁当の材料も買っておくわね。あなた、お酒はどうする?」

 

「いや、やめておくよ。車で行くつもりだからね。二人を乗せたまま飲酒運転なんて洒落にならないよ」

 

「私たちが乗っていないときでもやめてくださいね?」

 

「ははは、もちろんだとも」

 

(…………?)

 

 両親の何でもないような会話に由那はなにかよくわからない違和感を感じる。後部座席から見る二人の姿はいつもと変わらず、何も真新しいものなど見つからない。座っている車のシートの柔らかさも、触れている手から感じる感覚も、何もかもが昨日と同じだ。

 

「──そういえばお花見──」

 

「隣の家の子も──」

 

「両親が共働きで──」

 

 遠くで両親の話し声が聞こえる。

 

 そう、昨日と同じ。何もかも同じなはずだ。変わったことなど何もない。いつも通りの、幸せな日々。

 

「──誘ってみたら──」

 

「──つばめちゃんも喜んで──」

 

 遠くで両親の声が聞こえる。

 

 昨日は学校で友達とたくさん遊んで、父親にこの車で迎えに来てもらって、夕方は両親と一緒に夕ご飯の準備をして、一人でお風呂に入る練習をして、お酒を飲んだ父親に酔っ払いながら頭を撫でられて。

 

 そうして、眠ったはずだ。

 

「──由那、由那?」

 

「あ、うん。なに?」

 

「明日のお花見。お弁当に何入れてほしい?」

 

 こちらに振り向いた母親の顔は由那の知っている、いつもの顔だ。そこに一片たりとも違和感など存在せず、優し気に由那を見つめる瞳に曇りはない。

 

「…………」

 

 だが、なんだろうか。この胸が圧迫されるような焦燥感は。

 

 なんだろうか、この泣きたくなるぐらいの懐かしさと、真新しさは。

 

  

 

 

 

 

 その日は何でもない程に平和な日だった。ユナは父親と一緒に遊び、夕飯の準備を家族みんなで行い、一緒の夕飯を食べ、お風呂に入った。

 

 あとは寝るだけという時間になり、ユナは自室の布団から抜け出し、両親の寝室へとやってきた。

 

「あら、どうしたの由那? 眠れないの?」

 

 パジャマ姿の由那は小さく頷くと両親の布団へともぐりこむ。それを両親は咎める事はせず、しかたないと微笑んで受け入れた。

 

「珍しいな。もう一人で寝られるんじゃなかったのかい?」

 

「ふふ、さみしくなる時だってあるわよね由那」

 

 由那の頭を優しく撫でる母親と父親。そのぬくもりは由那にとって当たり前のぬくもりだった。昨日も、先週も、一年前も五年前も、感じたことのあるはずのぬくもり。

 

 だが、果たして本当にそうなのだろうか。

 

 干された布団の匂い、柔らかな枕の感覚。頭に感じるぬくもりや、両親の視線。あるいはこの記憶さえも、本当に現実だと断言出来るのだろうか?

 

「……」

 

「由那? どうしたんだい?」

 

「……ううん、大丈夫だよ」

 

 そう言って由那はゆっくりと目を閉じる。両親に挟まれて、二人の体温を感じながら眠る事に由那は安堵を覚える。

 

 

 

 

◆◇ 

 

 

 

 

 

(……)

 

 けれど、そのまま一日を終えることはユナにはできなかった。

 

 確かにこの生活はユナがどれだけ望んでも手に入れられなかった幸せな日々だ。かつて叔母と暮らしていたユナならばその暖かさに囚われ、受け入れていただろう程には抗いがたい魅力を孕んでいた。

 

 だが、ユナは既に知っている。この暖かさを、このぬくもりを、この幸せを。だからこそ、この日常を受け入れるわけにはいかなかった。

 

「? どうしたの由那?」

 

「眠れないのかい?」

 

 ふわりとシャンプーの香りが鼻孔をくすぐる。ユナを優しく見守る母親はユナを布団の中でやさしく抱きしめ、父親は大きな手で頭を撫でる。

 

「さあ、もう寝よう。明日はお花見にいくんだからね」

 

「お弁当も由那の大好きなものをいっぱい入れてあげる」

 

 ユナの頭の中に思い起こされる両親の記憶。眩しいばかりに輝いているように見える思い出の数々。

 

 けれども、ユナはそれらよりもずっと大切な記憶を抱いていた。

 

 

 

──絶対に、帰ってくるのよ。……私を一人にしたら、許さないからね?──

 

 

 

 一緒にお風呂に入った後のシャンプーの香り。髪を乾かしてくれる優しい手つき。寄り添い密着したときに感じた暖かさ。それは両親との記憶では無い。それは──

 

「……うん」

 

 ユナは小さく頷き、微笑んだ。自身を抱く母親へ一度だけ強く抱きしめ返し、頭を撫でる父親の手に自身の手を添え、ベッドから体を起こした。

 

「由那?」

 

「……ありがとう、お母さん、お父さん」

 

 ユナはベッドから立ち上がり、未だ不思議そうにユナを見つめる両親へと向き直った。

 

 辺りは既に日が沈み暗がりが広がっている。寝室のカーテンの隙間から月の光が漏れ、ユナの体をわずかに照らしていた。

 

「私、もう行くね」

 

 ユナは翼を発現させる。それはカザヨミの翼でありクラコと共に空を飛ぶと決めた、ユナの決意の現れであった。

 

 ユナはこの甘く幸せな世界が永遠に続けばいいと思っていた。心のどこかで渇望していた両親の愛を感じながら、停滞雲による災害を心配する事もない、そんな世界が。

 

 だが、ユナには待っている人がいる。約束したのだ。絶対に帰ると。

 

「……そう、思い出したのね」

 

「あるいは、最初から分かっていたのかもしれないね」

 

 ユナの両親らしき人影はゆらりと立ち上がり歩み寄っていく。その緩慢な動きは闇夜の中で不気味に映り人の形を保っているのかどうかさえも曖昧に見える。そんな仄暗い姿に思わずユナは体を強張らせ、警戒するように翼を広げる。

 

「由那……どうしても帰ると言うの?」

 

「うん、帰らなくちゃ、いけないから」

 

「ここで暮らせばいいだろう? 私たちと一緒に」

 

 薄暗いせいで両親だろう二人の顔はよく見えない。声は単調に聞こえるし、こちらへと寄る動きは変わらず緩慢なまま。そんな二人の陰にユナは首を横に振り拒絶する。

 

「でも、ここにはクラコさんがいないもん」

 

 いつの間にかユナの服装はパジャマからクラコが作ったケスケミトル、各種道具に身を包んだ姿へと戻っていた。先ほどまでの暖かな空気は掻き消え、月の光はブレて空気に滲み、涙型の停滞光として逆灯台(さかとうだい)より滴り落ちていた。

 

 エーテルによって空間に停滞していた空気や月の光は観測対象を失い霧散した。ミー散乱を応用し、光を停滞させるエーテルによって雲海の上方へ映し出されていた青い空は消失し、元の雲海内部の光景が露わになる。

 

 

 化けの皮がはがれたように、ユナが幸せを感じていた空間は瞬く間に崩壊していく。新築同然と思っていた家も、まるで廃墟のように荒れた姿に戻り、そこに両親らしき影とユナだけが立ち尽くしていた。

 

「そう……意思は変わらないのね」

 

「……うん」

 

 母親らしい影はゆらりと腕を振り上げ、それをユナへと伸ばす。人を模した腕は空を這うように動き、そして……。

 

「え」

 

 ユナの頭に、優しく置かれた。

 

「はは、やっぱりこうなったね」

 

 灯台の停滞光に照らされた父親の顔は先ほどと変わらず、楽し気に笑っている。

 

「うーん、残念だけど仕方ないわね」

 

 対して母親は少し困ったように首をかしげるものの、何処か納得したように頷く。

 

 父親らしい影が笑う。母親らしい影も同じように微笑み、ユナの頭を撫でる。先ほどまで異様な雰囲気を纏っていた二人は朗らかに笑い合い、どういう事かと混乱するユナ。

 

「ごめんなさい由那。急いでいるあなたを引き止めるのは気が引けたけど、このチャンスを逃すともう会えないと思って」

 

「安心しなさい。この空間はエーテルによって時がほぼ止まっている。友達を助けるのは間に合うはずだ」

 

「……いいの?」

 

 先ほどまでの空間がエーテルによって見せられた幻覚のようなものだとユナは判断していた。目の前の両親も、そんな幻覚の一部だと。

 

 ユナはそんな二人の差し伸べた手を取らなかった。おそらくはこの空間に自身を閉じ込めていたかっただろう二人を拒絶したにも拘わらず、二人の態度は相変わらず愛娘を心配するもので、全く敵意を感じない。それがユナには不思議でならなかった。

 

「私も、この人も、由那に会いたくてここに居ただけなの」

 

「ああ言ったが、そもそもここで由那と一緒に暮らせるとは思っていなかったんだ。顔を見て、話をすればそれでいいと」

 

 でも、少しだけ長居してしまったね。と言って両親は照れたように微笑んだ。

 

 二人はユナを足止めするつもりなど毛頭なかった。ただ幼い時に離れた娘と、偽りであっても穏やかな生活を送ってみたかった。たとえそれが停滞した世界の一日……現実世界での数秒であったとしても。

 

「っ……ごめん、なさい」

 

「あらあら、由那が謝る事なんてないでしょう? 由那には由那の生活があるって分かっているもの。だけど、あまりクラコさんに迷惑をかけてはいけませんよ?」

 

「そうだぞ? クラコさんの言う事はしっかりと聞くんだぞ?」

 

「う、うん……」

 

「食べ物も好き嫌いしちゃダメよ?」

 

「遊びに行くときはどこに行くのか、何時までに帰るのかしっかりと伝えてから出かけるんだぞ?」

 

「わ、わかったから……」

 

「お風呂から上がったらしっかりを髪を乾かすこと」

 

「寝る前に歯磨きは忘れずにな」

 

「も、もう! 大丈夫だってば!」

 

 雲海という限界的な環境の中、亡くなったはずの両親と対面し、語られたのは愛娘たるユナを心配する親らしい言葉の数々だった。ユナはわかってる、大丈夫だと若干うっとおしそうに言葉を返すが、その反応が両親からすると年頃の娘そのものなのでさらに笑みを深める結果となり、愛らしさが増すばかり。

 

 

 両親は考える。もしも自分たちが生きていたならばこんな姿を成長の中で見られたかもしれない。だが、それはもはや亡き存在である自分たちの役目ではない。娘より感じられるエーテルの繋がり、そこから手繰れるクラコという保護者の存在。二人の関係は、おそらく娘が物心つく前に死んでしまった自分たちよりもずっと深い。

 

 だからこそ二人はユナに執着しなかった。執着はユナにとって重荷にしかならず、クラコとの生活において無用であると判断したからだ。

 

「それじゃあ……行ってらっしゃい"ユナ"。元気でね」

 

 母親が小さく手を振り、父親が母親の肩に手を置きユナを優しく見つめている。そこに佇む仲のよい夫婦の姿に、思わずユナは息を詰まらせる。

 

 あの二人のあいだに居られない事が悲しくて、でも笑顔で送り出してくれる事が嬉しくて。

 

「お父さん、お母さん。……私を、生んでくれてありがとう」

 

 両親の想いに応えるように、二人へ向かい駆けるユナはそのまま抱き着き、涙を隠した。まだ幼いユナのそんな姿に、両親は視線を合わせ、抱き返す。

 

「……ユナ、私たちの娘になってくれて、ありがとうね」

 

「……さあ、もう行きなさい。私たちはもう一仕事ある。それが終わったら……ユナがこれからも空を飛ぶなら、"私たち"を持っていくといい。きっと役に立つ」

 

 ユナの頬を伝う涙、それを指先で拭った母親と、軽くユナの頭をぽん、と撫でた父親はユナから少し距離を置き、その姿を徐々に変化させていく。

 

「っ、お父さん、お母さん……!」

 

 両親の姿は眩しい光を伴う球体へと変化していく。それは蒼い結晶体のようで、さらにそこから結晶の形が流線型の生物へと変化していく。ヒレが現れ、細く長い口が作られ、そうして現れたのは、停滞結晶によって構成された体を持つ、二対のイルカだった。

 

「あの時の、イルカ……それじゃあ、お父さんとお母さんが……!」

 

 イルカはユナの周りをくるりと回り、しばらくすると窓から部屋を抜け出し家の外へと向かっていく。追いかけるようにユナが翼を広げ窓から飛び出すと、イルカは町の端に浮遊する逆灯台へと向かっているようだった。

 

(ユナの探している子はこの町の近くの空にいるわ。見つけてあげて)

 

(その子を探しに来た子たちも、もうすぐ来るはずだ。迎えに行ってあげなさい。出口は私たちが用意しよう)

 

「──うんっ!」

 

 何処からともなく聞こえる声に従い、ユナは灯台へと向かう二匹のイルカとは反対方向へと向かう。瓦礫によって構成された、けれども丸々雲海に飲み込まれた町の上を飛ぶユナは、後方のイルカへと振り向き視線を向ける。

 

「……綺麗、すごい蒼い、光……」

 

 灯台へと登るイルカは深い蒼い光を伴いながらまるで空を泳いでいるかのように飛んでいく。人はおろか、生物であるかも不明な存在であるが、ユナは雲海の中で一日共に生活をしてそれらがまぎれもなく、自身の両親であるのだと感じていた。

 

 断言できるような証拠があるわけでもなく、もしかしたらエーテルによる幻覚が未だ続いているだけなのかもしれない。それでも、ユナはたった一日だけでも一緒に暮らした父と母を、信じる事にした。

 

「お母さん……お父さん……。ありがとう」

 

 不思議な事にユナの飛ぶ町は雲海の中層に在りながらもエーテルの濃度は地上と何ら変わらない濃度に落ち着いていた。これならば都市のカザヨミが身に纏う装備でも十分滞在可能だろう。

 

 ユナは空気に溶けた僅かなエーテルの歪みを頼りにカザヨミの痕跡を探していく。この町の近くに嶺渡イスカが居る。ユナの思い出したくない記憶の元凶が。

 

 だが、ユナの心は落ち着いたままだ。クラコとの約束、渇望していた両親との会話。それらはユナにこれまで以上の自信をもたらし、精神的な成長を促す結果となった。

 

 ユナはただ前へと飛ぶだけ。クラコと、両親との約束を守るために。

 

 

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