『ヒタキ、どう思う?』
『どうも何も……先生の予想通りっスよね……ここまで完璧な形で町が在るとは思ってなかったっスけど……』
『町、か……確かに、そう見えるな……』
人類が大地に作り出した街並み、それをそっくりそのまま空に浮かべたかのような光景にヒタキは唖然とし、ミサゴはその異様さに忌避感を露わにする。確かに眼前に見えるは人が生み出した建築物群で間違いない。けれども、それらは既に人の手を離れ、雲海という化け物の腹の中に収まった。
もしもあの町で生活する存在が居るとするならば、それはもはや人ではない何かだろう。
『!?っ、ミサゴ先輩! 何かがっ』
『!』
予想以上の光景にその場で浮かんだまま微動だにしなかった二人の視界はとてつもない速度の光を捉えた。エーテルの光に近しい青灰色の閃は雲を裂くように町の上を横切っていくかと思われたが、それはいきなり進行方向を変え、二人へと近づいてきたのだ。
迫る飛翔体に思わず回避行動を取ろうとする二人だが、その光が徐々に速度を緩め、姿が確認できるようになると今度は別種の驚きが二人の胸中を支配した。
どうして此処に居るのか、なぜ近づいてきたのか、……そもそも一体何者なのか。あらゆる疑問はついに目の前までやってきた幼いカザヨミがマフラーに
「ご無事ですか?」
『……君は、ハヤブサか?』
「? んーと……そう、です?」
自信なさげに首をかしげる目の前の幼いカザヨミ……ユナは動画配信サイトのバードウォッチについてそこまで興味を持っていないため、自身がネット上でハヤブサと名実ともに呼ばれている事にあまり関心がない。単純に呼ばれ慣れていない事に首を傾げたようだ。
そんなユナに対してミサゴとヒタキは極度の疲労と緊張から何を話せば良いのか分からず、ただ目の前のカザヨミの姿をまじまじと見つめるだけ。
見た目は空を飛ぶ時の一般的なカザヨミとさほど変わらない。服装に関しても珍しいがそこまで物々しくは感じられず、姿だけならば飛び始めたばかりの下級カザヨミのようだと感じるだろう。
だが、ここは特級のカザヨミさえ飲み込む雲海の中層。そこに何食わぬ顔で現れたのならばただ者ではないと理解出来るだろう。さらにユナが両腕で抱えているものを見て二人は再度驚き声を上げてしまう。
『イスカっ!』
『イスカちゃん!?』
ユナの腕に収まっていたのはミサゴたちが探していたカザヨミの少女イスカだった。イスカは目を閉じ意識がなく、体のあちこちが傷だらけであるがしっかりと呼吸をしており命に別状はなさそうだ。
「イスカお姉ちゃんは大丈夫です。ちゃんと息をしてます」
『お姉ちゃん? いや、助けてくれてありがとうございまス。……でも、どうして此処に……?』
ふと口から洩れたヒタキの言葉にユナは緩く笑みを零し、翼を動かす。艶のある、それでいて滑らかな青灰色の翼は都市の誰よりも美しく感じられた。肌も髪の毛も艶やかなままで、とてもじゃないが雲海を飛んだとは思えないほどだった。
瓦礫との致命的な衝突を回避する技術と、かすり傷程度ならば即座に修復出来る高い再生能力。ユナの姿を見ただけでそれが分かるほどにカザヨミとしてのユナは隔絶していた。
(いや、それだけではないな……特に、彼女の服装は……)
見たことのない民族衣装のような羽織。それは綿密な紋様が施されており、よくよく見れば紋様に添って停滞結晶が析出している。だが、その内に隠れている素肌には一切の析出が見られず、それが羽織によるものなのだとなんとなく理解できた。
腰にぶら下げている巻物のような道具も用途は分からないがどうも大量生産品ではなさそうだ。口元を隠しているマフラーにしても、それだけでエーテルから肺を守れるはずもないので何かしらの特殊な道具なのだろう。
彼女だけでなく、彼女をサポートしているであろう人物もとんでもない存在だ。
「私が此処に居るのは……助けてほしいって言われたからです」
『助け……? 一体誰が……』
「ツグミお姉ちゃんです」
『っ!? ツグミちゃん……いつの間に……』
『ふふ、これは帰ってから聞き出さないといけないな』
思わぬところから飛行隊メンバーである風花ツグミの名前が出てきた事にヒタキは驚き、ミサゴは面白そうに小さく笑った。ツグミとハヤブサがどうやって関係を持ったのかは想像できなかったが、それでもツグミをお姉ちゃんと呼んでいるくらいには親密なのだろうと察する事が出来、そんなツグミ経由でハヤブサに助けられた事はまさに奇跡ともいえるだろう。
「あの、その人たちは大丈夫ですか?」
『ん? ああ、気を失っているが問題ない。呼吸もしているからな』
「それじゃあ、行きましょうか。イスカお姉ちゃんは私が連れていきますから」
そう言って背を向けるハヤブサへ焦ったようにヒタキが声をかけ、追いかけようと翼を動かす。
『行くって、何処に行くんスか?』
「もちろん、出口です」
ユナの言葉に二人は視線を合わせ、信じられないとばかりに顔をしかめる。けれども目の前の少女は決して嘘や冗談を言っているようには見えない。
『すまない、不甲斐ないが……この人数を抱えては……』
雲海の出入口が塞がった事を知らないミサゴとヒタキは此処から中層を通り下層の出入口を目指すものだと思い、苦々しく言葉を吐く。
既にミサゴもヒタキも体力を大幅に消耗し、これから中層を下って下層を通り、雲海の出入口へと戻るには過酷過ぎる道程だ。万端の準備で挑んだとしてもこの有様なのに、人を抱えて消耗した状態で来た道を帰れるとは思えなかった。
そもそもの話、既に下層に開いていた出入口は塞がっている為、脱出するにはユナが用いた中層を突っ切って雲海の側面から脱出する方法しか無いように思えるが、その方法とて今のミサゴたちの体力では実行出来るかも怪しい。
「大丈夫です。お父さんとお母さんが入口をこじ開けてくれます。こっちに来てください」
『へ……? あ、ちょっと待つっスよ!』
だがユナはそんな二人を誘導するように町の上を飛び、逆灯台へと向かっていく。
エーテル濃度はごく低値で安定し、ほぼ無風。まるで地上と変わらぬ環境と、眼下に広がる街並みにミサゴとヒタキは複雑な想いを感じざるを得ない。
見渡しただけでも数十件は建物が確認できる。その一つ一つに人の生活があり、人生があったはずだ。ここに見られる廃墟はそれらの人生が確実に奪われたという証拠であり、被害の象徴である。
廃墟となっているとはいえ人が住んでいただろう建物の姿は墓標を見るよりも生々しく現実的だった。
『あ、あの……ハヤブサちゃん……?』
「私はユナと言います。ハヤブサは……ええと、はんどるねーむ? って言うんだってクラコさんが言ってました」
ただ無言のまま空を飛ぶより少しでも話をしておくべきだと判断したヒタキが意を決してハヤブサへと話しかける。早々にユナという名前を明かしてくれた少女の姿に、ヒタキは意外と話しやすい子なのかと驚く。
BWで連日行われているハヤブサに関する考察ではその性格は冷静で聡明。淡々と仕事を全うする職人のようであると言われていた。判断材料であるハヤブサの動画のほとんどが空を飛んでいるだけでそれ以外の雑談や宣伝などをまったく行わないからそう思われていたのだろうが、それにしたって予想以上に話しやすく、年相応に感情豊かに見えた。
『クラコ? その、ユナちゃんは此処に住んでるっス、か?』
「ううん? 私はクラコさんと一緒に暮らしてます。えと、地上でです」
聞けば答えてくれるユナの様子にミサゴも口を開く。
『君とツグミは……どういった関係か聞いてもいいかい?』
「友達ですよ? ツグミお姉ちゃん一人で雲海に行こうとしてて、その時に先輩達を助けてほしいって言われたんです」
『ツグミちゃん……一人で雲海に……』
『これは話すことが増えたな』
「あの……あまり怒らないであげてください。ツグミお姉ちゃん、とっても心配してたんです」
『ああ、もちろん。分かっているさ……』
町の上を飛ぶ三人は終始穏やかな会話を続けていた。安定した空気の流れの中ならばどれだけ疲弊していたとしても一級以上のカザヨミにとっては飛べない環境ではない。前を行くのがそれ以上の実力を持つユナだという事もミサゴとヒタキに安心感を抱かせ、飛行を安定させている要因にもなっていた。
「あ、見えてきました。こっちです」
『これは……大きい灯台だな』
『んー……この辺りでは見たことない形の灯台っスね。キョウトの北あたりに灯台はあった気がしまスけど……全然形が違いまス』
逆さに浮かぶ灯台は元々白く塗装されていたのだろうが、現在ではところどころ色が剥げて内部の鉄筋コンクリートがむき出しになっている箇所も存在している。その大きさは一つの建築物としては浮かんでいる街並みの中で最大級。
『……この形は見たことがあるな。たしかイズの都市で保管されていた資料にあったはずだ』
『え!? い、イズっスか!? あっちにはフジの雲海があるじゃないっスか!? そっちから流れてきたんス!?』
『確かなことは言えん。そもそも、これが元々イズの都市近くにあった灯台かも分からんからな』
『はー……それにしても、こうも完璧な形で残っているもんなんスね……』
『他の雲海もこうなのか……それともここの雲海だからなのかは判断が難しいな』
ミサゴとヒタキが灯台の過去の所在について深く話を続けている。ミサゴの記憶が正しいならばこの灯台はかつて地上の伊豆と呼ばれる地域に存在していた灯台だという。現在はイズの都市が灯台のあった周辺地域を監視しているのだが、数年前に発生した同時多発的な降害の発生とその結末として出現したフジの雲海によって灯台が存在していた土地は丸ごと雲海に飲まれてしまったという。
もしも目の前の灯台がイズの都市周辺から奪われ、フジの雲海に飲まれたはずの灯台ならば、なぜそれが遠く離れたヒエイの雲海に存在しているのか。
そのことを深く考え込む二人はこちらへと近づく存在への反応が遅れてしまう。
「あ、……」
『なっ!? これは!?』
『なんなんスかコレ!? せ、生物……!?』
ユナのそばにイルカが二頭現れる。思わぬ乱入者の思わぬ姿と形にミサゴとヒタキは硬直し、混乱する。イルカはそんな二人に見向きもせずゆっくりと空を泳ぎながらユナの周囲を回り始めた。
「お父さん、お母さん……ありがとう。これで最後だね……、うん分かってる。クラコさんにもよろしくって、伝えるよ」
エーテルを用いて送られた言葉に時折頷くユナは両親との最後の別れを済ませ、両親が提案した雲海脱出の方法を聞いて驚く。
既にユナが通ってきた道は閉ざされ、現在どこに出入口が生成されているのかは分からない。もしかすれば、中層よりももっと上の層に生成されている可能性さえあるだろう。なのでユナの両親が提案したのは、その出口を捜索するのではなく、無理やり出口を作ってしまう方法だった。
「ちょっと危ないかもだけど……うん、ほかに方法もないもんね……おねがい」
ユナが何かを了承すると二頭のイルカは小さく鳴き声を上げ、強く発光しはじめる。
『ユナちゃん……!?』
「大丈夫です……もう、お別れも済ませましたから」
観測不能なエネルギー、エーテルは様々な要因から結晶として析出する。高濃度エーテル領域に入り込んだチリやゴミを核として析出する場合は不純停滞結晶として現れ、エーテル濃度の低下によって形象崩壊する。
だが"エーテルそのもの"を核として析出した場合、それは純停滞結晶となり、人類が求めた次世代エネルギー資源となる。目の前のイルカは後者の純停滞結晶の塊なのだろう。その証拠にエーテル濃度の薄い町の中でも余裕で空を泳いでいる。
そんなイルカが、発光しながらその姿を徐々に小さくし消滅しようとしていた。
自らの意思で結晶をエネルギーに変換し、その姿を崩壊させていく。末端よりチリのように消えゆくイルカの姿をした結晶は、そのまま小さくなっていき最終的にユナの小指程度の大きさになった。母親のイルカと父親のイルカの二体よりまろび出た、その僅かばかりの結晶は意思があるかのように空を漂い、そのままユナの手の中に収まった。
「……ありがとう。……ミサゴさん、ヒタキさん、灯台に掴まってください!」
ユナは結晶の二粒を大切に両手でつかみ取り、それをケスケミトルのポケットへしまい込む。同時に空間全体に大きな地響きがなり始めた。地面も無い空間だというのに、空気そのものを震わせるほどの振動は地震のように大きくうねり、唸る。
『な、なにが起こってるっスか!?』
『……まさか』
未だ現状を把握していないヒタキが思わず叫ぶが、対してミサゴは現状からいくつかの情報を得、そこからユナが考えている事をほぼ正確に察した。
目の前の、イルカの形をした巨大すぎる停滞結晶が消滅した。それはエーテルへと還元されたわけでなく、エネルギーとして消費された事で完全にこの空間から消えてなくなった。
停滞結晶はエーテルが寄り集まり、より密度を増した物質であり、その分エーテル本来の特性や性質もより強力となって周囲に影響を及ぼす。この空間の浮遊する町を支えていたエーテルの"停滞"という特性が、巨大な停滞結晶の消失によって極端に弱まったのだ。
そして、弱まったエーテルでは現在中層に留保されている瓦礫を支え続ける事はできない。
「降害が発生します! このまま落ちる灯台に掴まって、一気に地上へ戻ります!」