雲海の中層、その奥に存在するユナ命名の領域"はいいろホテル"は巨大な建築物の集合体である"星"とその周囲を周回する瓦礫の"衛星"によって構成されている雲海廃墟の一つだ。
"星"に絡みつくように触手を伸ばす巨大なクラゲは他の衛星へもその手を伸ばしており、恐らくは領域の端から端までを網羅していると考えられている。
衛星はかつて温泉街に存在していた宿泊施設などの建物によって構成されており、一般的な住宅とはその構造が大きく異なっている。それは星においても同じであると思われるが、クラゲの触手がまとわりつき、さらには星系の中心に存在する星がカザヨミの視力でも確認できないほどの遠方であるため正確な情報は判明していない。
「さて、そんなはいいろホテルだけれど……BWの生配信はこの雲海廃墟を探索する内容にするわ」
「はーい!」
元気よく返事をするユナの様子に満足そうにうなずくクラコは近々行おうと考えている生配信についてユナと話をしていた。今回の生配信の目的はカザヨミへの注意喚起だ。雲海で得られる資源や情報につられ、最新装備を過信したカザヨミたちに雲海の危険性を知らせる内容とするつもりをしている。
なぜ未探索なはいいろホテルかと言うと逆灯台は既に探索方法のテンプレートが作成される程度には探索が進んでおり、初見の危険というものも少なくなっている。対してはいいろホテルは完全な未探索であるため未知の危険に溢れている。雲海へ侵入したカザヨミが陥るシチュエーションと似た状況にしておこうという考えだ。
「ユナに軽く見てもらった話だと……クラゲは襲ってこなかったのよね?」
「うん。ずーっと真ん中でふわふわ浮いてたよ?」
「危険性は無いのかしら……。それとも近づきすぎると、ってヤツかしら」
これまでの探索によって雲海にはクラゲや、ユナが逆灯台で出会ったイルカのように海洋生物の形態をした停滞結晶が数種類存在している事が判明している。しかし、生きた停滞結晶という衝撃的な内容は都市の先生にだけ伝えられ、都市管理部はおろかカザヨミ管理部でも一部の職員や上級のカザヨミしか知らされていない。停滞結晶の生物のほとんどがカザヨミに敵対行動を取らないか、もしくは逆灯台まで降りてこない為、混乱を防ぐという理由から存在が伏せられているのだ。
だが、生配信ではその存在も公にするつもりだ。
「とはいえ本当に"アレ"が予想通りに機能するかは分からないんだけどね……雲海の中で試したわけじゃないから」
「ん? 今から行ってくる?」
「あら、冗談が上手くなったわねユナ」
「むー!」
雲海の支配領域を通常の空のように飛行し、最近ははいいろホテル周辺を下見がてら飛び回っている驚異的なカザヨミであるユナは何でもないように口にした提案を、苦笑しながらのクラコに却下される。既に夕方に差し掛かろうとしている時間からユナを飛ばせるつもりは無い。
クラコはアレと称したものの片割れ、イルカよりまろび出た結晶の片側を取り出し覗き込む。
「大丈夫よ。ユナのご両親が役に立つと言ってくれたのでしょう? だったら問題ないわよ」
クラコが覗き込んだ結晶の向こうは真っ暗な光景が写されているだけだったが、クラコの仕草をみてユナは懐に仕舞っていたもう片方の結晶を取り出し、手のひらに載せて同じく覗き込む。
そうするとクラコの結晶にはユナの顔が、ユナの結晶にはクラコの顔が写し出された。
クラコは停滞雲内でどうして通信が遮断されるのかを疑問に思っていた。
停滞雲内に存在する微細な停滞結晶が電波を散乱させてしまうのか。結晶の特性によって電波そのものが停滞してしまうのか。
一つ目の微細な結晶が原因となる説は早々に否定した。もしそんな事で電波が遮断されるのならば停滞雲が現れる前から空気中のチリやホコリ、あるいは雨や雪によって簡単に遮断されていたはずだからだ。
二つ目は恐らく違うであろうと判断した。この世界に停滞雲が発生してから今まで停滞雲内は電波を遮断するというのが当たり前で、例外が報告されたケースは存在しない。だが停滞という特性が不規則に存在するエーテルの濃淡によって生み出される特性であるため、電波を遮断するだけでなく普通に通信が出来るという不規則なケースもあるはずだ。けれどそういった例外は報告されていない。
しかし、ある意味停滞という特性によって通信が遮断されているのは事実ではないかとクラコは考えた。
一般的に通信が遮断、ないし妨害される原因はそれらと類似する周波数による混信などが考えられるが、恐らくエーテルはそういった通信に用いられる周波数を停滞雲内部に"ため込んでいる"。
正確には停滞の特性によって電波が領域内に留保されており、それらは絶えず停滞雲内を飛び回っている。本来の電気エネルギー波の代わりにエーテルが電波だったものを雲内に伝播させ続け、それらは通常の電磁的な通信方法へと割り込む。エネルギー的に強大なエーテルによって妨害電波のように作用し、結果として通信を遮断してしまうのだ。エーテルそのものが強大であるため、濃淡の不安定さも関係がないのだろう。
そう考えたクラコは偶然特異な特性を持つイルカの結晶を手にし、思い至る。
"エネルギー的に強大である為電磁的な通信がかき消されるのならば、同質のエネルギーを用いた通信方法ならば問題ないのでは?"と。
目には目を、歯には歯を、エーテルにはエーテルを。
「これの検証はまた明日にしましょ、それからでも遅くはないわ」
「はーい」
結晶を仕舞って二人は夕飯の準備を始めた。冷蔵庫の中を一緒に確認し、何を作ろうか何が作れるか、そうして料理の予定を立てて一緒のエプロンを身に着ける。
クラコが鍋の様子を見ながらユナが多少慣れた手つきで包丁を手に取る。だが、実際に切っていくと何となく不格好な姿になっていく野菜たちにユナは不満げな声を漏らす。
「むー……」
「焦らなくてもいいのよ? 形なんて煮込んだら全部同じよ」
「それは元も子も無いよぅ」
「ふふ、難しい言葉を知っているのね」
いつもクラコの手伝いをしているユナ。包丁の扱いにたどたどしさは消えたものの、それでもクラコのようにリズムよく食材を切るにはまだまだ経験が浅いようだ。カザヨミの記憶力であればすぐに差も埋まるだろうが、それでも今はまだクラコの料理の腕に憧れているユナの姿がキッチンで見られる。
「ねーねークラコさん。お姉ちゃんたちが泊まりに来た時、一緒にごはん作りたい」
「いいわね、それじゃあ何を作るか考えて今から食材を店長に注文しておかないとね」
「うんっ!」
使い古したシンクの上に置かれた食材とまな板。グツグツと音を立てながらおいしそうな香りを漂わせる鍋と、恐る恐る食材を投入していくユナ。娘に料理を教える母親のようにクラコはユナに料理を教えていく。かつてクラコが母親に教えてもらったように。これからの人生をより豊かに、少しでも幸せで居られるようにと。
二人の生活は都市外の住民らしい、足りないものだらけの生き方を続ける。けれども足りない隙間に幸せな思い出を詰め込んで、今日も二人は雲の下で小さな幸せをかき集めて生きていた。