現在カザヨミたちが配信活動の場として利用している動画配信サイト
BWの優秀なところは最低限の規則を守ればどのような動画を投稿しても良いし、どのような生配信を敢行しても許される点にある。もちろん許されるというのはアカウントBAN等のペナルティを受けないということであり、視聴者から非難され炎上するリスクとは別の話であるが。
その自由さからBWは多くの有名ストリーマーを生み出した。彼ら彼女らは娯楽を提供すると共にあらゆる情報共有の要として認知されていった。中でもカザヨミ配信者はそれまで誰も知らなかった停滞雲の向こう側を映像記録として地上に届け、多くの支持者を獲得した。
飛ぶことよりも他者に認められることを好む下級のカザヨミにとって空を飛んでいる様子を動画として投稿するだけで多くの賞賛を手に入れられる状況というのはあまりにも心地が良かったのだろう。
そうしてBWには多くのカザヨミが集い、雲の向こうの映像を投稿し続けた。最近では最新の装備と逆灯台攻略によって雲海内部を生配信する者も珍しくない。只の動画投稿から生の配信へと移り変わり、雲海はただの配信活動場所という認識が確立されつつあったそんな時。
数か月前に爆発的な話題を生み出し、現在に至るまでも熱狂的なファンと考察班を生み出し続けているとあるアカウントが不意に動き出した。
「は……? え、マジでこれ!?」
「なーに騒いでんだよ、それよりさっさと宿題終わらせねーと明日の飛行訓練、基礎訓練に変更されちまうぞ」
「そんなことよりこれ見ろって! ハヤブサのアカウント!!」
「は……? ……ハヤブサぁ!?」
BW内でハヤブサを名乗るアカウントのチャンネル登録者数は次点のチャンネル登録者数を倍以上引き離しているほどに膨大だった。理由としてはハヤブサがSNSなどを全く利用していない関係で、ハヤブサの動向を知るにはチャンネル登録をする以外に無いからだ。話題になっているにも関わらず当の本人が全くアクションを起こしていないというのがさらに話題となり、さらに登録者数が伸びるという現象が発生していた。
ハヤブサの存在は地上の人間はもちろん、同業者といえるハヤブサ達も大いに注目していた。最初の動画は最速のタイムアタック、次は停滞雲内の撮影、それならば次に何を見せてくれるのだろうか。
圧倒的多数から期待を寄せられつつも、そこまで期待していない者たちも一定数存在していた。というのもハヤブサが最後の動画投稿をしてからその後、発生した逆灯台の落下と純停滞結晶の大量確保によってカザヨミ配信者たちの配信の質が大きく向上していたからだ。
停滞結晶を利用した最先端の装備を用いる事で話題となったタイムアタック動画に肉薄するタイムを記録する配信者が現れたり、ハヤブサと同じように停滞雲内を撮影した動画投稿者が現れたりしてハヤブサだけの唯一性が薄れ、物珍しさがなくなっていたのだ。加えて最近ではハヤブサさえも飛んでいない雲海の様子が多数BWに投稿されたり配信されたりしているので、一部の有名カザヨミ配信者はハヤブサの実力を疑問視している発言も飛び出すほど。
だが、そんな者たちさえもハヤブサのチャンネル登録は欠かさない。そして、表示されたメッセージの内容に更なる驚きに声を上げる。
【ハヤブサ.ch さんが配信を開始しました】
◇
配信は雲海の中で小さな瓦礫の上に立っているユナの姿から始まった。逆灯台よりもさらに奥の領域の為、周囲にカザヨミは見当たらず、ただ寂しく風の音が鳴り響くだけ。時折後方で巨大な瓦礫が移動する光景が見られるが、それも気にする事無くユナは配信の向こうへと視線を送っている。
画面はユナの姿を映している映像と共に画面右下に別の映像が映し出されており、テレビのワイプのような構成となっている。ワイプの映像は大きめの机を真上から見下ろしている光景が映されているだけでどのように機能するのかはまだ不明なので視聴者の注目は自然とユナに集まる。
ユナは青灰色の翼を広げ、ケスケミトルを羽織りマフラーで口元を隠している。けれど過去の動画のように顔が見切れているということは無く、その全体像が明らかとなる。口元が隠れているとはいえあまりのも幼い顔立ち。カメラに慣れていないような雰囲気で視線を彷徨わせる様子に視聴者は困惑しながらも探るようにコメントを書き込んでいく。
『うおお!マジでハヤブサ!?』『ちっさくね?動画より幼く見える』『そこらへんにいそうな感じだな~』『はじめまして!』
「……はじめまして」
ユナが緊張しながらも丁寧な反応を返すとコメント欄が一気に加速する。これまで動画投稿というある意味一方通行だった交流が正しい意味で文字通り交流となったことにコメント欄は興奮冷めやらぬ様子だ。
次々とユナに関する疑問や質問が書き込まれ、それにユナは答えていく。
『いくつ?』
「歳は分かりません。覚えていないので」
最初の質問でコメント欄のスピードが若干弱まる。BWを娯楽目的で視聴しているのは都市で不自由なく暮らしている層か、それに近しい都市外住民くらいだ。そのため一般的な都市外住民の悲惨な暮らしに関するエピソードに弱い。
歳を知らない。それはつまり歳を数えてくれるような保護者が存在しなかったという事。
『えーと……一人で暮らしてんの?』
「二人で住んでます。私、ユナと……クラコさんの、二人暮らし。クラコさんが、私を拾ってくれたの」
クラコとの出会いを思い出しいて微笑み目を細めるユナだが、それを聞いた視聴者はさらに焦り始める。
拾ってくれた、それはつまり捨てられたという事。たったの二人で都市の外に住んでいるという事。
『と、都市に住んでいないのは本当ですか?』
「はい。都市には居たくありませんから」
悪気無く、クラコと離れたくないという意思を込めてはっきりと告げたユナの言葉に視聴者はとうとう絶句する。
その後も都市住みには衝撃的過ぎる内容の数々が次々と暴露されていく。これまでの自身の生い立ちを、嶺渡の関係者と特定されない程度にぼかして伝えその後のクラコとの生活についても話していく。
ユナとしては過去は既に過去のものであり、現在は楽しくやってるから問題ないよ? 程度の受け答えだったのだが、不幸に耐性の無い温室育ちな視聴者はあまりの事にコメントさえも書き込めない。
過去の壮絶さはもちろんの事、ユナが楽しいと言っている現在とて都市住みからすれば決して平穏とはいえない。いつ空から瓦礫が降ってくるかも分からない……いつ死ぬかも分からない世界で幸せだと微笑む儚い少女の姿に途轍もないいたたまれなさが去来する。少女が選んだ道なのだから否定はできない。けれども肯定もできるものでもない。
現在都市で人気のシンデレラストーリーと言えば嶺渡姉妹の都市にやって来るまでハッピーエンドな話が一番に挙がるが、ユナの話したこれまでの生い立ちと今後の未来はそんな綺麗な物語の真逆を行く、報われない最期を予感させるバッドエンドな物語に見えてしまうのだろう。
『クラコさんというのはあなたの親代わりの人?』
「そうです。私が、一番信頼している人です。ね、クラコさん」
『うお!?』『手が出てきたw』『この手がクラコさん?』『大人の人かな……?』
ユナがコメントに応えると、先ほどまで机しか映していなかったワイプに突如として腕が映し出され、視聴者へと向けて手を振ってきた。突然の事にコメント欄が加速するが、どうやらその手がクラコなる人物のものであると判明すると途端にコメント欄は始めて現れたクラコに挨拶をするなど肯定的な書き込みが目立っていく。
先にユナの生い立ちを説明したことでユナを救った人物とクラコが認識されていた結果なのだろう。
「このハヤブサのチャンネルは、私とクラコさんの二人でやっていくよ」
そう言って微笑むユナは得意げに翼を広げ、胸を張る。幼い子供のような仕草にそれまで不安そうにしていた視聴者も微笑ましいものを見るような心境でコメントを書き込んでいく。
そうして幾らかの質問時間が終わり、ついにユナは配信の主目的へと進むことにした。
「えっと、今日は"はいいろホテル"まで飛んでいきます」
◆
クラコは生配信を行う上でいくつかの情報を周知させることにした。開示する情報としては配信に映るカザヨミの名前が"ユナ"であること。カザヨミをサポートしているのは"クラコ"であること。
ハヤブサのチャンネルはこの二人の共有チャンネルであるという事。その他にもユナ周辺の情報を特定されない範囲で公開し、視聴者の質問にも積極的に答えるようにしていた。
というのも今後も生配信を行うのならばある程度情報が漏れるのは明らかであり、嘘をついたとしても時間と共に矛盾が生じ嘘と判明する可能性が高いと考えたからだ。それならばあらかじめこちらの事情をある程度話し、説明しておいた方が良いだろうという判断だった。
『ここって何処?灯台?』『こんなトコ見たこと無いけど……』『ここは逆灯台のさらに奥だね。都市所属カザヨミは侵入禁止にされてるはず』『は?違法ってこと?』『ハヤブサは都市に所属してないから違法じゃないぞ?』『いや、それでもペナルティ受けるんじゃ?』『ぺナつっても都市内での行動制限とかだから、結局ユナちゃんには関係ないぞ?』『それでも危険じゃねーのか?』『現在都市に所属しているカザヨミと比べても上澄みなユナちゃんでも危険だと言うなら安全な空域なんて無いと思うが』
都市所属のカザヨミが都市の命令に従っているのは都市の恩恵を受けているからに他ならない。違反すれば都市の恩恵を制限され、これまでのような好き勝手に過ごせなくなると知っているからだ。
だが、それはつまり都市外のカザヨミはどうでもいいと言っているようなものだ。そもそも都市に未所属のカザヨミが活動している状況を想定していない都市はユナの行動を制限する
そもそもとしてユナとクラコが今回の注意喚起を促す目的の配信を敢行したのも、都市所属のカザヨミでは実行しても本質の議論がされないだろうと考えたからだ。
都市のカザヨミが未踏破領域に入り込み危険性を訴えても、反発するカザヨミたちが「それじゃあお前はどうなんだ。お前も入り込んでるじゃないか」と入り込んだカザヨミを非難するだけで本当に伝えたい未踏領域の危険性に関する議論が主題として行われないだろう。
だが、それらの都市の規則に縛られないユナならば文句を言われる筋合いはない。
とはいえ裏ではしっかりとカザヨミ管理部責任者である先生に生配信について通達しているのでカザヨミ管理部がユナの配信に対して否定的な公式コメントを発信することは無い。あったとしてもそれは都市管理部からのものに限定されるだろう。
「ここは逆灯台の先から行ける道だよ。昔の温泉街の建物の一部なんだって。この長い廊下がトンネルみたいになっていて、雲の向こうに行けるの」
トンネルとなっている施設はその壁にいくつもの結晶を析出させている。それらはまるで植物のように成長し、茎のような細い結晶を伸ばしている。先端には花のような、あるいは蕾のような結晶がくっついており、内部で仄かに光を発しているのが伺える。
『なにこれ!初めて見る!!』『花か?これも結晶?』『こんなの初めて見るんだが!?』『こんな近くに新発見が眠っていたとは……』
「ここははいいろホテルの場所だから、エーテルが濃いんだって」
『灰色ホテル?』『エーテルが濃いって……分かるの?』『場所というのは逆灯台とは異なる領域という事でしょうか……?』
「うん。クラコさんが説明してくれるから」
初めての領域、初めての生成物を目の当たりにして視聴者は混乱気味だ。これまでカザヨミ配信者の雲海内配信といえば既に探索が済んだ逆灯台周辺を探索……もとい散策する程度のものが大半だった。
先日ユナが助けたうずらのように無茶な事をして未探索空域へと侵入する配信者もいるにはいるが、さすがに危険すぎて長居できず早々に探索を切り上げるのが常だ。そんな中で逆灯台を通り過ぎ、その奥へと向かうハヤブサの配信は現役のハヤブサたちをはじめとして多くの視聴者の注目の的となっている。
【現状の説明を行います。ユナは現在逆灯台より灯台跡を上昇し、雲壁に食い込んでいる廃墟から次の雲海廃墟を目指しています】
『ファ!?』『いきなりキタ!』『この声の人がクラコか』
多くの視聴者へと現状の説明を任されたクラコが声を発すれば視聴者がそちらへと注目し始める。基本的にクラコの役割はユナへの情報共有と視聴者への状況説明であるため丁寧な言葉を心がけ、顔を出しての登場は無い。既に動画によって有名だったユナとは異なり存在が知られていなかったクラコがこれ以上露出する必要は無いだろうという先生からのアドバイスでもあった。
【雲海は三層に分かれていると言われていますが、層の中でもグラデーションがあることが判明しています】
雲海はエーテルの濃度によって三層に分かれているが、その判別方法はエーテルの濃度が極端に変化している領域を境界として設定しているだけだ。明確で確実な境界線が敷かれている訳では無いというのは周知の事実であるが、三層に分かれているという情報だけが有名になり各層ごとにエーテルの濃淡が存在している事はあまり知られていない。もちろんカザヨミは座学で習う内容ではあるが、エーテルを感知出来ないカザヨミにとっては実感として違いが分からず意識したことはあまりないだろう。
【中層でも下層に近い空域よりも上層に近い領域の方がエーテル濃度は高いと予想されます。ユナが向かっているのは中層でも逆灯台より濃度の濃い空域となっています。なので、逆灯台には見当たらないエーテル生成物が見られるわけです】
「だって」
『だってじゃないが!?』『これ新情報?』『いんや、座学で習うとこだな。都市外には公開してないけど』『なんでカザヨミ訓練所の授業内容を都市外が知ってんだ?』
【調べました】
『調べたって……』『個人が都市レベルの調査してんの!?』『ハヤブサなら納得……か?』『ユナちゃんはまだ分かるけどこのクラコって人は何者だよ!?』
その後もコメント欄はクラコの情報収集能力に関する驚きの声が書き込まれていくが、クラコ本人はその書き込みに対する反応は返していない。この配信の主役はユナであり、クラコはあくまで補助的な役割を担っているからなのだが、それ以上にクラコの意識がユナへと向いているのが大きいだろう。
まだ誰も足を踏み入れたことの無い未知の雲海領域、ひとたび目を離せば雲の中に引きずり込まれるような場所なのだ。初めての生配信なので慣れていないという理由もあるだろうが、今のクラコにはユナ以外の情報に意識を割くのはまだ難しい。
そんな心配性なクラコの視線を受けながらもユナは廊下を進んでいく。若干緊張している風ではあるが、それでもユナの翼を鈍らせるほどでは無かった。
そうしてしばらく廊下を歩いていたユナは一際明るく発行する花の群生地を見つけ、配信画面に映るように廊下の途中でしゃがみ込み光る花を指さした。
「この花は晶花。私とクラコさんが名前を付けたの。明るいから建物の中を探索するときによくもっていくの」
群生する晶花へと手を伸ばし根元から摘み取る。摘み取られた晶花は未だに光を湛え、人工的な光よりも柔らかな光源として利用できそうだ。ユナはケスケミトルから取り出した空の容器へ晶花を入れ、光源として腰にぶら下げてから廊下の先へと進むことを再開した。
その後も現れる晶花の群生。風もないのに揺れ動き、花粉のようにエーテルの燐光を散らしている。
『近くで見ると綺麗だなこれ』『でもさすがにこの量は怖くねーか?』『わかる。そもそも見たことない植物?が生えてるのが異常に見える』『しかし、めっちゃリアルに花の形してんな』『これも停滞結晶なのか……?』『高く売れそうだな~w』『実際これは有益な情報では?ちょい冒険すりゃ稼ぎ放題じゃん』
「それはむずかしいとおもうよ?」
コメントの内容にユナは不思議そうに首を傾げ、そして晶花を目線の高さまで持ち上げる。
「晶花はエーテルが漏れちゃってるから」
何らかの外的要因で析出した晶花の"種"は本来であれば形象崩壊の後エーテルとして空気に溶けるはずなのだが、中層という高濃度エーテル領域が晶花の種をその姿のまま生き長らえさせ、さらには"花"として成長するまでに巨大化を許してしまう。
だが、そうやって晶花として生成された結晶は結晶としての形を形成した直後より内部のエーテルを周囲に奪われ続ける。その光景は晶花単体で見ればエーテルを過剰放出する特殊な停滞結晶として映るだろう。
【晶花の構成は通常結晶と純結晶の中間に位置し、自身の結晶が崩壊するほどの過剰なエーテルを放出し続けています。通常のカザヨミが触れれば皮膚内部に重篤な結晶の析出が発生します】
『ひえ……』『くっそ危険物じゃねーか!』『皮膚表面だけじゃなくて内部にまで食い込むのエグ…』『見た目は綺麗なのに……』『てか触れてもダメとかヤバすぎだろ!そこら中にあるぞ!?』『ユナちゃんは大丈夫なのか……?』『普通に素手で摘み取ったっぽいけど……』
「大丈夫だよ? 漏れてるエーテルに触れなければ問題ないから」
『大丈夫って……』『まるでエーテルが見えてるかのような物言いだが……』『え?まさかまじで?』『エーテル見えるの!?』『特級のごく僅かなカザヨミが視認できると聞いたことがあるけど……』『←おいそれ機密』『やべ』
【防具へとエーテルが誘引されているのでユナの場合は問題ありません】
『誘引?』『析出箇所を操作してんの!?』『てか、こんな装備見たことないよな……やっぱ自作なのか』『都市の最新装備に似てるが……それより高性能では?』『エーテルの知識があって実際に知識を基に実物作ってんのやべーw』
しばらく歩いていくと廊下の終着点である大きな横穴が見えてくる。雲海という巨大な雲の中にもかかわらず穴からは日の光らしき眩しさが目をくらませようとする。
ようやく見えた出口らしき映像に視聴者も沸き立つ。此処より先は全くの未知の領域が広がっている。未だ逆灯台の周辺のみしか探索出来ていない都市のカザヨミたちにとって非常に興味惹かれることだろう。
しかし、そんなユナの前を遮るようにして結晶の腕が急激に成長し、ユナへと手を伸ばす。
『は!?』『マジかよ!』『うずらちゃんの配信の奴じゃん!!』『うずらってだれ?』『それより見てみろって!』
成長する結晶の触手は何かを探すように空間へと広がっていく。よく見れば周囲の壁面からしみ出すように同様の触手が析出し、ユナを取り囲もうとしていた。けれどユナは動じる事も無く、腰にぶら下げていた容器へと手を伸ばし、蓋を開ける。
「これは外に居る子の触腕。食べ物を探してるの」
『外にいる子!?』『食べ物?』『これマジで生き物なの!?結晶じゃなくて!?』『もう意味がわからん』
「はい、これ」
ユナが摘み取った晶花を触腕と呼ばれた結晶の腕の一本へと差し出すと、腕はパキパキという音と共に腕を長く伸ばして晶花に絡みついた。晶花はまるで悲鳴のように光を明滅させ、そして腕の一部となった。
それを見ていたユナは何でもないように触手が引いていくのを見守り、視聴者はあまりの事に言葉が出ない。
「……それじゃあ、行こっか」
それだけ言うとユナは翼を広げ、狭い建物の中から飛び出した。
◆
『うおおお……!』『ひっろ!逆灯台とは比べもんにならねーぞ!?』『これ全部ひとつの雲海廃墟なのか』『こんな広い空間が雲の中にあるとかおかしすぎるだろ……』『てかあの真ん中に居るのって……』『でかくね……?』『あれ生き物……てかさっきの触手のヤツか?』
【私達が暫定的に命名した領域、はいいろホテルは中心に灰色の建築物が集まった雲海廃墟が存在し、それを中心として七つからなる小規模な廃墟塊が星のように周回しています。そして中心の雲海廃墟に居るのが先ほどの触腕の主です】
「つきうみさま」
灰色ホテルの中心である星に触手と触腕を絡めて浮遊する青白いクラゲ。ユナとクラコが
【現状あちらに攻撃意思は感じられません。先ほどの捕食行動も高濃度エーテル生成物へ無意識に反応しただけでしょう】
「でも危ないから隠れていくよ」
ユナは一番近しい衛星の一つへ向かって飛んでいく。数本の触手が行く手を阻むが、ユナの翼を止められるほどの力はない。
『なんか思ってたより楽そうな場所だな』『逆灯台よりレベル低そw』『これなら早々に解禁されそうでよかった~』『飛行禁止が解禁されたらすぐ行くわ』『私は今からでも全然大丈夫だけどね~w』『オウミ外のカザヨミは良いよなぁ、都市から飛行禁止命令出てねーし』
星と衛星、そして飛行中は襲ってこないクラゲのモニュメント。配信画面からはその程度の空域としか判断されていないのか、視聴者からは只の稼ぎ場としか見られていないようだった。中には不法侵入を思わせるような書き込みまで現れる始末。
だが、それらのコメントに対しクラコは直接注意しない。文字で語るよりも実際にその目で見てもらった方が説得力があると分かっているからだ。
【雲海の未踏空域での空路設定は主にユナが行います】
衛星へと向かって飛行するユナは浮かぶ瓦礫の欠片、こぶし大の石礫を手に取り自身の進行方向へと向かって投げ、エアリングを用いて進路を変えた。
「ここはダメ」
次の瞬間、ユナが投げた石礫が周囲一定の空間を巻き込んで真っ白に発光した。数瞬で収まった光の後には真っ赤に溶解した石だったモノが散り、熱気を放って真っ白な煙を上げている。
『え』『何が起こった!?』『一瞬過ぎて見えなかった……』『これって、トラップ……?』『いやいや!こんな即死級のトラップなんて聞いたことないぞ!?』『なんも見えんかった……こんなの予測して回避出来んて……』
【濃いエーテル領域は時たま領域内を通過したなにかを停滞させて内部に留保します。それらは外部からの干渉によるエーテル濃度の変化に伴い、留保させた何かを外部へと排出しようとします。極小規模の降害のようなものです。今回は雷がそのまま領域に停滞していたようです】
一瞬の出来事であるうえ、クラコの語ったあまりにも恐ろしい内容に配信を視聴していたカザヨミたちは言葉が出てこない。濃いエーテルが内部に何かを留保させるのは、降害の発生理由と共に座学で習う内容だ。
最近では雲海への出入りも容易になったことでそういった座学の内容も充実し、エーテル領域が仕掛けるトラップについては下級でも知るところである。だが、先ほど見たトラップは彼女らが習ったそれとはけた違いの殺傷力を伴っていた。
エーテルが留保するものはエーテル領域の広さや濃度によって変化し、その中にはカザヨミの飛行を阻害する"かけ雲"のようなものやカザヨミに直接ダメージを与える"過冷却空間"などのトラップが存在しているが、それらはカザヨミの命を奪うほどの威力は無い。
かけ雲は足を引っ張られる程度のものであり、下級であっても無茶な飛行中に引っ掛からなければそこまで酷い状況にはならない。過冷却空間も肌に氷が触れる程度の驚きを与える程度のもので、即座にカザヨミの命を奪うような力は無い。
だがそれは下層や、主の居なくなった中層の逆灯台だからこその低威力であり、それより上部となれば濃いエーテル領域は増加し、威力が高く嫌らしいトラップも増えていく。
何よりも、先ほどのなんてことないユナとクラコの対応から、これらのトラップは珍しくなく、ごくありふれたものであるという事実が見て取れる。
【空路の設定をユナに任せているのはユナでなければトラップの位置を把握できないからです。現状のどのような機器を用いてもトラップの位置を特定することは難しく、それらはエーテル領域であるため絶えず移動し続けているのも原因となっています】
実際にはユナに空路設定を任せているのはトラップの位置だけでなくエーテルの濃淡によってエアリングが困難となる可能性があるからという理由もある。エーテルが濃すぎる空域を飛べばトラップに引っ掛かる可能性が高まり、逆に薄い空域を飛べばエアリングができず速度が出せない。
エーテルが濃すぎず薄すぎない、そんな絶妙で感覚的なラインを判別し、最適な空路を瞬時に設定し、理想通りのルートを誤差無く飛行する。まさにユナだからこそできる技術だ。
そのことに気づいたカザヨミの視聴者たちは一様に楽観的な書き込みを止め、ユナの飛行姿に釘付けとなっていた。
目に見えない何かを回避し、恐らくは最短ルートで飛ぶハヤブサの少女。もし自分ならば未踏の、何の情報もない空域をああも最速で最適ルートを模索しながら最短で飛んでいけるだろうか?
たった一つのミスも、見逃しも許されない空域であれほど自由に、のびやかに翼を広げられるだろうか。
「着きました。初めての、灰色ホテルの廃墟」
ユナの耳元で光る夫婦結晶の片割れが周囲の空間の映像を把握し、それはクラコ側の結晶を通し出力される。写し出されたユナは配信画面へと向かって視線を向け、笑うように目を細めて手を振る。
先ほどの超絶的な飛行を披露したとは思えない年相応の幼く可愛らしい姿というギャップに一部の視聴者から熱狂的なコメントが届けられたり、ユナを労り褒めてくれるコメントが次々と流れていく。
そうしてユナが一つ目の衛星の探索へと向かう頃には"ラクそうな空域"といった内容のコメントは一切見られなくなっていた。