生配信を見ている下級のカザヨミは配信の画面下に映るよくわからないワイプ映像を酷く邪魔に思っていた。ハヤブサたるユナの姿が映る映像の片隅を占領しているため、彼女の飛行を見るには少々煩わしく思えるのだろう。彼女の姿に没頭したいのに、未だ動かないワイプの様子に顔を顰める者も多かった。
そのワイプの主と思われるクラコなる人物に対しても、下級はユナほど好意的には捉えて居なかった。悪印象、とまでは行かないが好きだと思えるほどにクラコを良く知らない。
ユナという尊敬すべきカザヨミに付いて回る、正体不明のひっつき虫。あるいはお邪魔虫。
つまり下級カザヨミたちはクラコに嫉妬していたのだ。ハヤブサという名に負けぬほどの実力を持つカザヨミに認められたクラコという人物を。
そうしてクラコの第一印象が"不快な存在"から"興味のない存在"の間で確定しようとしていたところで、ついにワイプ内の映像が動き始めた。
「……クラコさんこの建物、廊下と同じポスターが貼ってある」
【構築されてる廃墟群は同じみたいね。奥に進める?】
「うん」
クラコの言葉に従いユナは廃墟となった建物の奥へと向かっていく。廊下の先には複数の個室が並び、途中で階段が現れる。階段の先には次の階が見え、道が続いている。
並ぶ個室と木造建築の風景、何処か懐かしくも古めかしい姿は現在の地方都市でごくわずかに見られる姿でもあり、視聴者の中にも既視感を覚えるコメントがちらほら散見される。
『どっかの旅館か』『見たところ二階建て?』『いや旅館なら三、四階建てくらいはあるだろ』
多くのコメントが流れ、既に数万以上の人間が配信を同時視聴している現在においても、目の前の廃墟に関して情報を持つ視聴者は現れない。恐らくは降害に飲み込まれた古い旅館らしきもの、というのが視聴者たちの見解でありそれ以上の情報が書き込まれる事は無かった。
もしかしたら自身よりも詳しい情報を持つ者が現れるかもと考えていたクラコはコメント欄から視線を外し、映像に映された僅かな内観と様相、それらから記憶していたいくつかの候補を思い浮かべ、しばらくして確定した情報をユナへと伝えていく。
【旅館の名前は"──旅館"、築80年程度。少なくとも10年以上は雲海に捕らわれている建物みたいね。三階建てだけど、二階以降は"ここ"の図面は使えないわね】
ワイプ内の机の上に旅館の図面が現れる。建築会社の名前が書き込まれ、建物の名前らしき判が押された図面のコピー。それに現在ユナが居るだろう地点を指先で指し示し、この先の注意を促す。
「どうして?」
【二階の床色が違うの。恐らく本来の二階部分は切り離されて、別の建物がくっついてるみたいね】
『げえ』『空中分解した建物が再集合した感じか』『まさにダンジョンだな』『これどうすんの?』『探索するにしても出入口がわっかんねえぞ』
取り出した図面が殆ど使い物にならなくなったという事態に視聴者はどうするのかと不安に思うコメントを残していく。だが、当のクラコとユナは淡々と次の話を進めていく。
「クラコさん行けそう?」
【ええ、二階部分の建物は"──ホテル"。築30年程度。コンクリート造りの四階建て。……一階部分に出口らしき場所は見当たらないわね。二階に行って】
「はーい」
『情報出んの早すぎん?』『廃墟になってるから外観だけじゃ分からんと思うんだが……』『でも映ってる図面的にはあってる……?』
ワイプの映像内の旅館図面に別の図面が横から追加される。ユナの映像を確認しながらカッターで図面の一部分を素早く切り離し、先の図面へとぴったり組み合わせる。そうして暫定的な雲海廃墟のマップが構築されていく。
雲海というカザヨミ以外は予測不可能な領域において、空間丸ごと飲み込まれた廃墟の構造だけは変化せずありのままの姿を晒しながら朽ちている。それならば建物の情報を集めれば自ずとダンジョンの構造は浮かび上がってくるのは道理だ。
とはいえそのためには膨大な量の情報をため込み記憶していなければならない。端末を用いて資料を纏めようとしたところで、図面データだけでも書式や仕様が全く異なっているため中々に難しい。
クラコはそんな膨大過ぎるデータをかき集め、記憶しユナの探索に合わせてその場で地図を制作していた。
『こ、これってマップ作ってんのか!?』『嘘だろリアルタイムでか!?』『注:基本的に雲海廃墟のマッピングはカザヨミがデータ持ち帰り→専門家数十人体制で行う大仕事です』『まだ逆灯台のマップすら出来てないってのに』『手際良すぎだろ……! 頭ん中どうなってんの!?』『これどっちかってーとクラコの方がヤバイのでは?』『いやいやどっちもやべーよこれ!』
視聴者がクラコの異常性に気づき始めたころユナの衛星探索は終盤に差し掛かっていた。ユナはクラコの指示で行き止まりへぶち当たる事も無く廃墟の中を進んでいき、それに応えるようにワイプの向こうでクラコによるマップ構築が進んでいく。
いくつもの図面がワイプに映された机の上に重ねられ、それらは次第に丸い複雑な建築物の姿を映し出していく。それはまさに衛星そのもの。雲海廃墟はいいろホテルのひとつである外周一つ目の衛星を、たった一人のカザヨミとその保護者によって詳らかにされていく奇跡的な配信。
「クラコさんこっち進んでいい?」
【ちょっとまって。……建物の名前は"───宿"、横倒しになってくっついているわね。足元の窓に注意して。エーテル化してなければ落とし穴よ】
「うんっ!」
ユナが進めばクラコが応じ、クラコがマップを更新すればユナの探索が進む。
「クラコさん、また床の色が変わってる。別の建物?」
【いえ、同じ建物よ。それは降害で飲み込まれる前の違法増築の跡ね。こっちに地図があるから問題ないわ。そのまままっすぐ進めそう?】
「うーん……ちょっとダメっぽい」
【迂回ルートを設定するわ、
「右の通路はダメみたい。左は少し"薄い"けど、飛ぶのは問題ないとおもう」
もはや視聴者を置いてけぼりにしたその光景はこれまでの雲海廃墟探索を行っていたカザヨミ配信者にとって衝撃的で、画期的なものだった。優秀なカザヨミと、カザヨミが手に入れた情報を処理して次の道をオペレートする者のツーマンセルによる探索。
これまでもカザヨミが単身で配信を行い、危機を視聴者が知らせるという事態はいくらかあった。カザヨミを俯瞰して周囲の状況を把握できる第三者というのは予想以上にカザヨミたちの助けになっていたのだ。
とはいえ見守る者の重要性を認識しているカザヨミ配信者は予想以上に少ない。そもそも配信を積極的に行うカザヨミのほとんどは下級であり、自身がカザヨミという特別な存在であることに絶対的な自信……あるいは
"素人の視聴者よりも、カザヨミである自分の方がよっぽど危機察知能力は高い"と考え視聴者の言葉を無視する者も少なくない。むしろ、カザヨミでない一般の配信者の方が視聴者の重要性をよっぽど認識しているほどだろう。
それが下級のカザヨミ配信者の一般的な認識だったのだが、ユナとクラコの息の合った掛け合いと効率的な廃墟探索の様子はそんな認識を揺るがす。
その後もユナとクラコは衛星の内部を探索し、その様子を余すところなく配信へと映していく。都市が公開していない結晶生成物や未確認の即死トラップ、その回避方法をユナが紹介し、クラコが廃墟探索におけるマッピングのコツをぽつぽつ口にして、そうしている内に衛星の内部がすっかり明らかになっていく。
『これはさすがに真似できんね……』『ユナちゃんはほぼ立ち止まってないし、クラコはほぼノータイムでマップ構築してくる……』『図面ていう確定情報があるからってここまで快適に探索はむりじゃね……?』『ユナちゃんほどのカザヨミとクラコほどの補助があればまあ……』『それは実質不可能という事では?』
【マップはおおよそ完成ね。ユナ、その上に出れば次の衛星に一番近いわ。
「んー……ちょっと荒れてる。エーテルもそうだけど、風が強くて飛び移るのは難しそう」
『荒れ?』『全然そうは見えないけど』『風が吹いてる感じも無いね』『いや、だからこそ危ないのか』
"星系"の最も外側にある"衛星"を探索し終わったユナはもう一つ内側の衛星を視界に収める。ユナが居る衛星と次の衛星との距離はそこまででは無く、二つの衛星が近しい周期で星の周りを周回していることもあって飛び移るのは難しく無いように思える。
だが、ユナは視界に映るエーテルの奔流と凄まじい空気の層を前にして首を横に振る。基本的にエーテルはより大きい結晶や濃いエーテルに誘引される特性がある。なので本来なら衛星たちは全て中心の星へと誘引されていなければおかしいはずだ。そうならず、衛星がその姿のままで周回運動をしているのならば、中心の星の誘引に引けを取らないほどのエーテルを衛星が抱えている事になる。
衛星は互いを誘引し合い、さながら実際の星々が引力によって引き合っているかの様な状況を生み出していた。星と星との間は両方の星からの誘引によって一時的にエーテルの薄い、あるいは全く存在しないような領域が形成されるが、そのエーテルにおける真空状態の領域を埋めるかのように周囲のエーテルが殺到し、それが急激なエーテルの濃淡を生み出している。比例するように分厚い空気の壁が嵐と凪を繰り返し、あらゆるものを寄せ付けない危険空域を生み出していた。
なお、これらの状況はエーテルによって"見た目"だけが停滞しているので見ただけではそこまで激しい空域とは判断されないだろう。エーテルを感知し、エーテルが及ぼしている影響までも看破できるユナだからこそ把握出来た事実だ。
「……多分、今日はもう渡れないよ?」
空間を見通すユナの瞳はさらにエーテルの動きまでもほぼ正確に予測できる。衛星が周回しているという事は伴うエーテル領域も絶えず変化しており、その変化の中に次の衛星へと渡れるタイミングが現れる事を予想して見せたのだ。
【……そうなると色々と考えることが増えそうね……】
クラコはその事実に肩を落とす。はいいろホテルの領域中心に存在する星。その星からクラゲの足を伝い、領域の上へと登ればそこからさらに上の層へと到達できる。
すなわち、この雲海廃墟の向こうにこそ、人類が存在を仮定しているだけの"上層"という空間が広がっているはずなのだ。
しかし、ユナの言葉によって其処へと到達するのはほぼ絶望的とも言えた。はいいろホテルの探索の困難さやクラゲの危険性などよりも、何より時間が掛かり過ぎるのだ。
ユナは"今日は"もう渡れないと言った。それはつまり次の衛星へ渡るにはそれなりの時間……あるいは日数が必要となるという事。七つあるすべての衛星が同じ条件で渡れるのならば、中心たる星へと到達するには数日……あるいは数週間はかかる可能性がある。帰りの事を考えればその倍の日数が必要となるだろう。
現在のユナには雲海内で日をまたぐほどの長時間滞在の経験は無く、経験を積むには危険すぎる内容だ。つまり、はいいろホテルからの上層侵入は現実的ではない。
【それが知れただけでも成果ね……ユナ、今日はもう帰りましょう】
『ここまでか』『いやーすごいもん見せてもらった』『普通のカザヨミ配信の数倍濃かったわw』『てかこの配信重要な情報の宝庫では?』『今後の探索の助けには絶対なるだろうな』『それ以上に色々と怖いもんばっかだったけども……』『今後未探索領域に入る奴らはユナ以上の実力無いとヤバイだろうな』『加えてクラコさんレベルの補助もな』『やっぱ無理じゃんw』
クラコは気持ちを切り替えユナへと帰還を促す。このまま雲海の中で手をこまねいているような危険な真似は出来ない。現在不可能ならば早々に帰還し次の手を考えるべきだ。
「うん、クラコさ──!」
ユナがクラコに同意し来た道を戻ろうと翼を広げた直後、空間に響き渡るほどの轟音がユナを襲う。水底から迫りくるような、それでいて冷たく心臓に突き刺さる音の正体を察したユナは慌てて翼を折りたたみ衛星へと降りた。
『え』『なんだ!?』『すげー音が!』『なんの音だこれ!?』『もしかしてヤバいか!?』
【その窓から中へ!!】
クラコの言葉に応答する余裕もなく、ユナは窓から廃墟の中へと入り込み息を整える。決して声が漏れ出ないように口を手で覆い、窓の外を盗み見た。
「……"オオナキさま"」
『でっか……』『いやデカすぎでしょあれ!』『こんな巨大なものも存在して……てか空飛んでる!?』『マジで魚じゃん……いやクジラか?』
ユナの視線の先では巨大な魚影が星と衛星の間を通り抜けようとしていた。クジラの姿をしたそれはあまりにも大きく、衛星でさえも一呑みに出来そうなほどであった。空気とエーテルの暴風が吹き荒れているはずの空間を、見た目通りの凪いだ空域であるかのように悠々泳ぎ往く。半透明な蒼いクジラの肌にはフジツボのような停滞結晶の生成物が多数付着し、実在の鯨の姿を彷彿とさせた。
ユナとクラコが初めてこのクジラの姿をした存在と遭遇したのは初配信の為にはいいろホテルへと下見に来た時だ。
遠くから響くクジラの鳴き声と共に現れる雄大な姿。人類が生み出した建築物を複数寄せ集めて生まれた衛星を丸呑みできるほどの巨大さ。エーテルを含めた雲海内の気象をものともしないその姿は雲海の主と思えるほどだった。
しかし、強大な雰囲気とは反してオオナキさまと名付けられたクジラは非常に温厚だった。攻撃的な行動は一切見られず、遭遇してもこちらを意に介す事無く空間を横切るだけ。
けれども、その周囲はそういう訳にはいかない。
『なんか小さいのも見えるね』『よく見たらあれも魚か……?』『うわ、思ったより大量に居るな』『さすがのあの量はキモい』『アレはクジラの幼体みたいなの?』
「あれはギザギザ。見つかったらめんどーだから」
ユナが心底面倒くさそうに言い放つ。オオナキさまの周囲を何か小さな魚が泳いでいるのが見て取れる。遠過ぎて配信では鮮明な姿が確認出来ないが、ユナの声音からそれらに見つからないように隠れたのだと理解できた。
初めてオオナキさまと遭遇したユナはこの、ユナ命名ギザギザという存在に酷く追い掛け回される事になった。名前の通りギザギザとした結晶製の歯を持つそれは瓦礫の上に立つユナを見るやいきなり襲い掛かってきたのだ。ガチガチと鋭利な歯を打ち鳴らす耳障りな音と共に殺到するそれらから逃げるユナは、それらを下層へと誘導する訳にもいかず、結局はいいろホテル内を延々と飛び続け、短くない時間追いかけっこに興じる羽目になった。
ユナの手のひら程度の大きさのあれらがどれほどの傷を負わせられるのかは定かでないが、純結晶を体に食い込ませられるのは流石に不味い。加えて一度見つかれば数百という数がこちら目掛けてやって来るのだからたまったものではない。
『なあ、やっぱあれって生き物なのかな?』『いやモロ結晶じゃん』『だけど魚っぽい見た目してんぞ』『しかも動いてる……』『雲海独自の生き物ってことか……?』『わからん。都市も知らねーんじゃねーか?』『さらにヤバいのは今まで見てきた感じこれが普通っぽいことだよな』『危険なのかな?見た目そんな事ないけど』『それはユナが上手く躱したり刺激しないように立ち回ってるからだろ』『不用意に近づいたらヤバそうなのは分かる』
ユナが身を隠ししばらくの間、配信において動きのない時間が生まれた。これまで怒涛の勢いで流れた新情報の数々に満足な反応を示せなかった視聴者たちがここぞとばかりにそれらの情報を反芻していく。
【あのクラゲや、オオナキさま。それとギザギザと呼んでいる者たちは全て……停滞結晶によって肉体を構成している"生物"です】
オオナキさまとその取り巻きであるギザギザが通り過ぎるのを眺めながらクラコが口を開いた。
【模倣した生物と同様の生態を倣い、雲海という海に生息する彼らを、私達は
肉体を高密度の停滞結晶で構成している関係上、晶動体は存在しているだけで危険な生き物だ。周囲からエーテルを誘引している為、晶動体の周囲は濃いエーテルが常に滞留し、不用意にカザヨミが近づけば析出限界速度の値が瞬間的に上昇し一瞬で結晶まみれになる。
さらにはギザギザのように好戦的な晶動体もおり、こちらを積極的に襲いに来る事もある。
【晶動体に出会ったら、絶対に敵対してはいけません。あれらは、いわば意思を持った停滞結晶なのです。人類が手を出すには早すぎる、未知のエネルギーが自我を持っているような理不尽な存在なのです】
絶句する視聴者をよそにユナはオオナキさまと取り巻きのギザギザの通過を確認し、すぐさま空域を脱出する。ユナたちが見つけた中でもオオナキさまは最大級の晶動体であり、恐れて逃げ出す他の晶動体も多い。そのためオオナキさまが去った後にはそういった晶動体がここに帰ってくることがあるのだ。好戦的な晶動体に鉢合わせる前にユナははいいろホテルの空域を脱し、それと同時に配信も終了した。
後に残されたのは膨大な新事実を未だ飲み込めない視聴者と、あまりにも恐ろしい雲海を再確認し言葉を失くしたカザヨミたちだけだった。