世界中に存在する都市と呼ばれるコミュニティはそれ単体で生活ができるアーコロジー的な施設群だとされている。地球上に存在するあらゆるリソースを都市というごく僅かな土地に集約したことで可能とされた極めて特殊な空間といっていいだろう。
しかし、そもそも人類の生活は自然環境に根付いて構築される。かつて文明の多くが河川のほとりで発生したことからもそれは明らかだろう。にもかかわらず"都市"が構築された土地の選定に人間は関与しておらず、停滞雲が寄り付かない場所にやむなく人類が都市を構築したに過ぎない。そのため本来人が住むには適さないような土地に無理やり都市を構築しなければいけない事もあり、完全なアーコロジーとして都市を運用出来ないという状況が頻発した。
酸素の薄い高地のさらに嶺の向こうであったり、火山活動の活発な灼熱の地であったり、吐息さえ凍り付く極寒の冷地であったりと様々な極限の土地に都市は構築され、問題を孕んだ。
都市単体では解決できない問題や都市管理部が経験したことの無い災害の対処法についての理解不足による深刻化。他都市へと救援を求めても派遣されるカザヨミがそもそも無理矢理構築された都市へと辿り着く事さえ困難な現状。ありとあらゆる面で情報不足による問題対処への鈍化。
それらの歪な環境を是正し、安定性と安全性を保障するために各地で行われるようになったのが、合同訓練と呼ばれる複数の都市のカザヨミによる交流会だった。
互いに互いをけん制する都市管理部はおいそれと他都市へ
しかし、そんな都合は命を懸けて空を飛んでいるカザヨミには関係の無い話だ。それなりに長い時間を都市で生きているカザヨミたちにとって死ぬ確率が下がるのならば同盟だろうが協定だろうが……それこそ奴隷のような契約であろうとも結ぶべきだと発言する者も少なくない。それだけ仲間の死を目の当たりにし、自身の死を覚悟して空を飛んでいるからなのだろう。
そんな中でオウミの先生が提案したのが"都市間のカザヨミ及びカザヨミ管理部による合同訓練と共同作戦の仮想訓練実施協定"、通称"
"合同訓練"という名称であるがその内容は訓練半分、交流が半分という感じで、互いにコミュニケーションを図りつつ有事の際は共同作戦が行えるようにと同じ土地で同じ訓練を行うよう考えられている。
この協定は都市と都市との協定では無く、あくまでカザヨミ管理部といういち組織の交流会とされているため簡単な申請だけで交流の場を設ける事が出来る。これまで多くの都市がこの協定を建前として協力関係まではいかずともカザヨミ同士の交流を実現させ、突発的な降害の対処に当った事例も数知れない。
そして数多の合同訓練の中でも最大規模を誇る訓練の一つが、キョウトとオウミが年に一度行っているキョウト・オウミ合同訓練だ。
そんな大規模な合同訓練があと数日という所まで迫っていたある日、ユナは今日もいつも通りクラコの羽繕いにとろけていた。
「んぅ……! あぅん……~!」
「いい子ねユナ。もうちょっとじっとしていてね?」
「う、うん……がんばるぅ~……!」
ベッドの上で裸を晒すユナは広げた翼に手を伸ばすクラコを受け入れ、もどかしい感覚に耐えている。
初めて羽繕いをしてもらった時のようなむず痒い感覚は既に慣れ、激しく声を漏らす事も無くなっていたユナはその日、余裕の表情でとある事をクラコに提案していた。
それは羽繕いをしながら別の作業や勉強を並行して行うというもの。
都市のカザヨミは基本的に一人で羽繕いを行うので作業どころか別の事を考えるほどの余裕は無く、それ故にながら作業など出来るはずもない。しかし羽繕いをクラコに任せ、羽をまさぐられる感覚にも慣れた今のユナならば意外と余裕でこなせるのではないだろうか。とりあえず過去の配信などを見て飛び方の復習をしてみようかという話になり、ユナは羽繕いをしてもらいながら寝室に持ってきた情報端末から過去の配信を適当に流していたのだが……。
(これ……! これダメ……! こんなの恥ずかしぃよぅ……!)
それは予想以上にユナに羞恥心をもたらす結果となった。薄暗い寝室で光る画面に写し出されたユナの姿はいつもの日常的なユナの姿だ。友人たちと飛行訓練に励み、空を探索し、クラコの手伝いをする日常の中のユナの姿だ。
だが、その映像が流れる画面の前に居るユナは、とてもじゃないが日常とは言い難い姿をしていた。画面の向こうのユナは防護服に身を包み、口元をマフラーで隠している。けれども寝室で鳴くユナはほとんど裸同然の姿で口元は枕に埋まっている。画面の向こうのユナは穏やかな声音で視聴者へと言葉を返し、楽し気な表情で笑みを作る。対して寝室のユナは乱れた吐息の中でか細い鳴き声を上げ、桜色に顔を染めて涙で潤んだ瞳で何かに耐えている。
羽繕いという非日常的かつ秘するべき行為中に、日常的な光景を見せつけられるというのはユナにとって自身が"良くない事"をしているような感覚に陥らせ、それが更なる羞恥を呼び寄せる結果となっていた。
「ええと……ユナ? 大丈夫? 配信見えてる?」
「うっうん……! みえて、るよ?」
「うーん」
実際のところ、このようなながら作業というものをユナはよくやっていて、クラコと一緒にお風呂に入った後に髪を乾かして貰いながら店長のところで購入した本を読んだり、気になるカザヨミの配信を流したりして自身の飛び方に関して勉強していたりと特別珍しい行動という訳では無い。そんなユナの慣れた様子を知っているからこそ今回の羽繕いをしながらの配信視聴も問題ないだろうクラコも考え実践したわけだが、クラコ視点からはどうにもユナは集中できていない様だった。
「ユナ、こっち見て」
「んぅ……?」
クラコの呼びかけに応えるようにユナが視線をクラコに合わせる。本当ならば朱に染まった顔を見られたく無いという思いもあるのだが、自身の翼はクラコの腕の中。抵抗することなど出来るはずもなく、只大人しく従うほかに無い。
そしてクラコと視線を合わせようとユナが顔を上げた瞬間、不意にクラコの顔が迫り、重なった。
「……、ふふ、なんだかいつもより緊張しているみたいだったから。どう? 落ち着いた? いつもユナがねだってるキスよ?」
「…………きゃう……」
「あら? ユナ? ユナ~?」
あまりにも激しい感情の波がユナの胸中に押し寄せ、それはユナの意識を容易く瓦解させた。なぜここまでユナがいっぱいいっぱいになっているのか分からないクラコは落ち着かせるための口づけでくたりと気絶したユナの様子に慌てながらもその手はまだ翼を攻め立てていた。
その後、ユナの翼はこれでもかと美しく仕上げられたのだった。
◇
その日、オウミの先生である園城は数日後に迫るキョウト・オウミの合同訓練に関する計画書をまとめていた。集められたカザヨミはキョウトとオウミ、さらには特別に遠方の都市所属カザヨミが合わさり総勢三十名ほどの大規模となる予定だ。
三十名で大規模なのか? と疑問に思われるかもしれないがキョウトのような大規模都市やオウミのような下級育成の土壌がある都市を除き、基本的に都市が保有するカザヨミ戦力で実践に耐えうる実力者は数名程度というのが一般的だ。もちろん合同訓練もその程度の人数が最大となる。それと比べれば大規模と言えるだろう。
そう考えれば先日行われた雲海調査がどれほどの重要で重大な計画だったのかは理解出来るだろう。本来地方を数名で守る実力派のカザヨミや大陸から亡命してきたカザヨミを保護するワタリドリ監視所のカザヨミ、補助と救護に特化したハトと呼ばれるカザヨミが率いる第六飛行隊など、複数のカザヨミが参加したあの計画は雲海という未知の領域を探索するために有名なカザヨミが集まった奇跡的な瞬間だったと言えるだろう。
だが、そんな実力あるカザヨミたちが複数名参加した作戦であったにも関わらず、ユナが介入しなければ多くの死傷者を伴い、最悪の終わり方をしていただろう。そう考えると先生の顔は苦し気に歪んでゆく。
「せんせー? 大丈夫?」
そんな先生へと声をかける者が居た。職員室にやってきたのは大人びた下級のカザヨミ。けれども等級では推し量れない親しみやすさを持つ、オウミのカザヨミ管理部に所属する信頼できるカザヨミの一人。
「ん、ああ……瀬黒さんですか。すみません、少し考え事を……。私に何か御用でしたか?」
瀬黒は申し訳なさそうに眉を下げ、頬を指先で搔きながら先生へと応える。
「えっと、セキレイちゃん見なかった?」
「セキレイさん? すこしお待ちを……。訓練場の利用届は無し……ふむ、外出届も出ていませんね。見当たらないのですか?」
「うん。いつもは部屋で端末に噛り付いてんだけどねー。そっかー……ゴメン、もうちょっと探してみるね」
「私の方でも見つけたら瀬黒さんが探していたと伝えておきます」
「うんありがとー」
そう言って瀬黒は職員室からさっと出ていく。他の下級ならば翼をひと羽ばたきくらいはして自己主張しておくものだが、彼女はそのような事柄に興味がないらしい。
彼女のように下級でありながら翼を収めているものはそう多くない。ほとんどの下級は地上にいながら自身がカザヨミである事を誇示するように翼を大きく広げ、殊更主張するように動かす。
若いカザヨミたちの間ではそれが普通になり始めている。カザヨミである事を周囲に知らしめ、敬意を求めるのが普通だと考えている。故に翼を収めているカザヨミたちを何処か軽視している傾向がある。
それは上級のカザヨミであっても例外では無く、例え二級や一級であったとしても軽んじる傾向があった。瀬黒のルームメイトであるセキレイも翼を収め生活していることから下級は彼女を"実際は上級レベルの能力など無いのではないか"と陰で嘲笑していると瀬黒が相談しに来たこともある。
「……セキレイさん、ですか」
キョウトとオウミの合同訓練は他都市のカザヨミとの交流を主な目的の一つとして行われる。そのため当日は見知らぬカザヨミとチームを組んだり競い合ったりと多種多様な訓練を行う。
中にはどうしても気の合わない者たちが現れるだろうが、そういった情報も今後の計画や作戦の際に有効に使われる。折り合いをつけるか、完全に離れさせて同じ作戦に参加させないか、何の情報も無いよりかはマシな状況を生み出せる。
「この二人はどうなのでしょう……」
園城の見つめる情報端末に映し出された合同訓練参加リスト。そこには特別参加枠に表示されたユナの名前と、都市管理部推薦枠に表示されたイスカの名前があった。
ツグミに任せている"交流"によればユナとクラコはそこまで嶺渡姉妹に何か激しい感情を抱いている訳ではなさそうだった。クラコは多少不満げに思っているらしいが、ユナは全く気にしていない様子らしい。
少なくとも雲海でイスカを助けたところからユナは嶺渡姉妹を険悪している訳ではないはずだ。
故に園城はこの二人が同じ合同訓練に参加する事を了承した。もちろん強制的に接近させる訳では無い。場合によっては遠目で両者が存在を確認する程度で会話すらしない可能性もある。それでも国城は二人が同じ空間に居られる場を用意した。
今後のカザヨミが受け持つ仕事はこれまで以上に過酷なものとなるだろう。その時に必要なのは個々の実力と共に背中を預けられるような信頼できる仲間を持つことだ。
第十三飛行隊のような、死地にいても互いを助け合えるような関係性。雲海の未踏領域から脱出したミサゴとヒタキ、助けを求めたツグミ。彼女たちほどの信頼関係に結ばれていれば、彼女たちと同じく困難な状況も打破できるだろう。
ユナと嶺渡姉妹の関係は長く根深いものだが、空の上でそんな事を言っていられない。心の内では複雑な思いを抱き続けていても、互いに協力できる程度の手の内は知り合っておくべきだ。
そして、願わくば、少女たちが手を取り合い互いを思いやることの出来るように。
国城はそんな理想を想い、椅子の背もたれに深く寄りかかった。
「当日は、晴れるといいのですが」