愛鳥少女とキンヨク生活のすすめ。   作:田舎犬派

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88羽 墜ちる雛鳥 

 

「んぅ……あ、れ?」

 

 寝ぼけ眼を弱弱しく開くユナはいつもと違う雰囲気に戸惑いながらも布団から上体を起こした。何処か懐かしく感じる木の匂いと畳の香り。少しだけ固めの布団と枕。その奥に僅かに潜む線香の残香がユナに此処がどこなのかを思い出させる。

 

「あ、そっか……お泊りして……」

 

「むぅ……にゅ……」

 

「セキレイさん? いつの間に布団に……」

 

 周囲をぐるりと見渡せば、まだ眠っている下級カザヨミ……ユナの"友達"の様子が伺える。隣で布団を敷いていた瀬黒は綺麗に掛け布団に収まり寝息を立てている。対してセキレイはいつの間にやらユナと瀬黒の間の空間に体を滑り込ませて奇妙な体勢で眠っていた。足は瀬黒の布団の中に突っ込まれ、恐らくは瀬黒の足に絡みついているだろう。腕はユナの胴体に回され、予想以上にがっちりと固定されている。

 

「もう、仕方ないですね」

 

 気持ちよさそうに眠っているセキレイを無理やり引き剝がすわけにもいかず、ユナはセキレイの頭を撫で、自身も再び横になった。

 

「なんだか、凄く新鮮……」

 

 少しごわごわしている布団の触感も、木材の爽やかな匂いも、障子戸の隙間から見える朝の陽光も、すべてがどこにでもあるような光景でありながらユナにとってはこの上なく目新しい光景だった。特にこれだけ大勢で寝食を共にしたことなど無かったユナは何気ない朝の様子さえもそのように映った。

 

(ちょっとだけ、帰るのが勿体ないかも……なんて)

 

 いつもと違うものの穏やかで安心できる空間の存在に居心地の良さを覚えるが、その考えをユナはすぐさま冗談に変えた。確かに瀬黒やセキレイ、多くの下級たちと仲良くなれたのはユナ自身にとって掛け替えのない人生の財産となっただろう。

 

 けれど、ユナは既に自身の住処をクラコの傍に定めている。帰るべき場所を心に決めている。

 

「あ! クラコさんおはようございます!」

 

 だからこそ、目覚めてすぐに身に着けたピアスがキラリと光れば、ユナは幸せそうに朝の挨拶を返すのだ。

 

「うんっ、今日はお昼前には帰ることになりそう……え、お昼ごはん? えへへ、それじゃあ楽しみにしてる!」

 

 

 山々の向こうより昇る太陽の光が徐々に停滞雲に満たされた空を明るく照らしはじめるとユナのように目を覚ます下級たちがぽつぽつと現れる。頃合いを見計らったかのように監督係の上級が現れ、ユナの微睡む瞳はようやくはっきりと目覚める事となった。

 

「はーい皆さん起床時間っスよ~」

 

「今日は最期に島の掃除をしに行くぞ。訓練に使わせてもらった場所だ、最後まで綺麗にして帰るように」

 

「はーい!」

 

「なんか思ってたより楽しかったね」

 

「うんうん! ユナちゃんとも仲良くなれたし」

 

「私も翼出すの控えようかな……」

 

「だね。なんだかずっと出してるの恥ずい気がしてきたし」

 

 ユナの周りにはこの合同訓練で仲良くなった下級たちが隣り合わせにした布団の上で仲良く会話をしている。昨日まではユナに距離を置き、カザヨミとしてのプライドから周囲を牽制し合っていたカザヨミたちが、昔からの友人のように接していた。彼女たちの背中で強く自己主張しているはずの翼は一緒に寝るときに邪魔だからと仕舞われたままで、誰も再び出そうとはしなかった。

 

「んぅ……」

 

「ちょっとセキレイちゃん!? なんで私の足に絡みついて!?」

 

「全然放そうとしませんね……」

 

「というか起きてよセキレイちゃん!! ああ!? 布団の中に引きずり込まれて!?」

 

「あらら、瀬黒サン捕まってんじゃん」

 

「思ったよりセキレイさんって可愛いかも……」

 

「ね。クールで近寄りがたいって感じだったけど」

 

「……いやいや瀬黒さん助けてあげようよ!」

 

 

 差し込むような眩しい陽光は無くとも、冷たい空気が暖かな日の光で溶けていく雰囲気は早朝だけに感じられる特別なものであるのに変わりは無い。まだ薄暗く冷たい風が肌を撫でる感覚は雲海の中で感じるそれよりもずっと穏やかで、カザヨミたちを優しく包み込んでいた。

 

 来た時よりも穏やかな心持ちで下級たちは利用した炊事場や風呂場、寝泊りしたお寺を丁寧に掃除していった。その人数は合同訓練が始まる前の掃除に参加していた人数よりも多く、これには多くの上級も驚きとともにいい変化だと喜んだ。

 

 一人でチクブにやってきたユナは帰るときには大勢のカザヨミに囲まれながら一緒に空を飛び、空路の分かれ道では互いの姿が見えなくなるまで手を振り合った。

 

 

 めいいっぱいの想い出と貴重な体験を胸に秘め、そうしてユナの短いながらも濃い合同訓練は無事に終わりを迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝の陽光さえも届かない雲海中層は激しい嵐が常であり、まともな装備がなければ都市のカザヨミなどひとたまりもない。たとえ、上級に区分されるカザヨミであろうとも未開拓の空域を飛ぶのは命がけであることに変わりはない。

 

 ヒエイ雲海中層、都市オウミ・都市キョウト未開拓領域、新たなる雲海廃墟。都市命名の通称"灰色ホテル"。

 

 初めて灰色ホテルが観測されたのは都市外で活動しているとされる、とあるカザヨミの配信からだった。まだ開拓中の雲海廃墟"逆灯台"のさらに奥に存在するこの雲海廃墟は逆灯台の数倍の空間を雲内に保持し、その領域に瓦礫で出来た衛星を周回させている。

 

 そして、周回する衛星たちの中心部に存在する一際大きな瓦礫の星。その星に絡みつくように触手を伸ばすクラゲ型の晶動体。

 

 それらの存在はヒエイ雲海を長年観測し続けていたオウミとキョウトの両都市をこれ以上無いほどに驚愕させた。とんでもなく広大に拡張された灰色ホテルの領域は外部から観測出来る雲海の支配領域をゆうに超越していた。雲海の外観が停滞結晶によって停滞し、拡大した雲海の規模を"見た目だけがそのまま"のように見せかけたのだ。

 

 灰色ホテルの領域は絶えず嵐と瓦礫とエーテルが吹き荒れ、けれども見た目は緩やかに動きが停滞しているように見える。静寂の中に浮かぶ衛星へと辿りつくには、見せかけの静寂を看破し、荒ぶ風とエーテルを視認出来る才能が必要とされる。

 

 この空間を易々と飛びまわるなど、ほんの一部のカザヨミしか行えない芸当と言えた。

 

「はあっ……! はあっ……!」

 

 そんな未踏破領域である灰色ホテルに、一人のカザヨミがいた。そのカザヨミは都市が最先端の科学技術と最新鋭のエーテル技術を駆使して開発した専用の装備に身を包んでいる。身に着けた服はエーテル化された繊維が用いられ、生地は薄くとも耐熱、耐寒、耐衝撃性能を有した科学の産物を基にして作られており、結晶の析出を大きく抑制、あるいは誘導することに成功している。顔を覆うマスクは従来のものを改良し、エーテル化繊維のフィルターによって酸素ボンベを背負う必要も無くなった。

 

 彼女が身に着けるすべてが、彼女の為に用意された装備だ。本来灰色ホテルへ足を踏み入れるほどの能力を持たない彼女の為の万端の装備。

 

 けれど、それらをもたらした者は決して彼女の命を守るためにそれらを提供した訳では無い。

 

「ん、う……くっ……!」

 

 彼女の翼は根元から翼端に至るまで析出した結晶が食い込み、鋭い痛みを絶えず与え続けていた。大きく成長した結晶は翼の動きを制限し、翼に受ける風の感覚も鈍くさせる。何よりも、羽を裂く結晶は周囲のエーテルを吸い、さらに大きく、鋭利に成長を続ける。

 

「あ、あ……あぐっ!」

 

 少女は翼に食い込む結晶を翼の羽ごと乱暴に掴みむしり取る。刃物のような結晶をそうして何度も取り除いていく為、その手はエーテル繊維で保護されているにもかかわらず血が滲んでいた。

 

 目に見えず、朧げにしか感じる事もできないエーテルの濃淡は結晶の析出を抑えられる析出限界速度に急激な変化をもたらす。彼女ではその変化に対応することは難しい。どれほどの速度で飛行していようとも、瓦礫が進行方向を阻みスピードを維持することができず析出限界速度以下の飛行が続き、結果として彼女の翼はボロボロに荒れていった。

 

 彼女の飛行技術は上級になりたてとは思えないほどに卓越している。一部の上級さえも追い抜くほどの成長速度を誇る彼女の才能に都市管理部の人間はこれでもかと褒めたたえ、同組織所属のイスカも認めざるを得ないほどだった。

 

 けれど、それでも彼女はまだ雛鳥だった。都市の雰囲気さえもまだ慣れないような幼い少女が挑むには雲海は才能も努力も経験も何もかもが足りなかった。

 

「は、あ……うぅ……まだ、……まだ先へ……いかないと」

 

 衛星の一つへ転げ落ちるように着地した彼女は無理やり体を起こして周囲の瓦礫にもたれかかる。何度も結晶ごと毟った羽が舞い落ち、翼は赤い血が滴り落ちていく。

 

「はあ……はあ……。」

 

 けれど流血はしばらくすれば止まり、痛みも多少和らいでいく。指先の冷たさと震えは次第に無くなり、朧げだった感覚も戻ってくる。

 

「大丈夫、大丈夫……まだ、飛べる、から」

 

 彼女はその感覚をカザヨミの回復能力の高さ故と考えていたが……実際はそうではない。いかにカザヨミといえど流血を伴う深い怪我を即座に修復するような能力は無い。

 

 彼女のそれは、むき出しになった傷口に結晶が析出して止血された状態になったから。指先の冷たさと震えが無くなったのはそれらを感じる神経が析出した結晶に圧迫されて感じられなくなったから。

 

 朧げだった感覚が戻ってくるように思えたのは、痛みが消えたことで体が正常な状態に戻ったと思い込み、もはや正常な状態が何だったのか分からないほどに意識が朦朧としているから。

 

「まだ飛べる……だから、だから……」

 

 彼女が身にまとう科学とエーテルの技術は決して彼女を守ってはくれない。それらは、彼女を雲海へと向かわせる為の枷でしかなかった。

 

「だから、許してよぉ……」

 

 風とエーテル、瓦礫の動く音と共にか細い何かの音が聞こえてくる。荒れ狂う天候の中でもはっきりと聞こえるそれは、まるで小さな女の子の声のように思えた。彼女の耳が正常に機能しているかは定かではないが、その時の彼女には小さな女の子の声が、自身を責め立てるとある少女のものに聞こえてならなかった。

 

「許して、許して由奈……」

 

 嶺渡姉妹の姉、嶺渡アトリは瓦礫の上でうずくまり、押しつぶされそうな衝動に嗚咽混じりで耐えていた。

 

 

 

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