愛鳥少女とキンヨク生活のすすめ。   作:田舎犬派

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93羽 欠晶の少女

 

 雲海は人が生きるには非常に厳しい領域だ。人を内側から侵食するエーテルによって五感は狂い、析出する結晶によって肉体の損壊も起こり得る。

 

 なにより、地上を離れた雲の中という異常な閉鎖空間で人が長期間過ごせるわけもない。狂った風の流れと瓦礫の大地のあいだで生活できる環境を整えられるはずもなく、人が生きるにはあまりにも過酷な領域だ。逆灯台が拠点として開発されているとしても、あくまでカザヨミのための雲海開拓拠点という役割しかなく、逆灯台であっても寝泊まりするほど長期間滞在することは出来ない。

 

 だからこそ、ユナとクラコは眼の前の少女……おそらくは晶動体であろう存在の姿に驚いた。これまで遭遇した晶動体は海洋生物の姿を模倣し雲の中の海、という意味での雲海で生きる生物の形体を取っていた。だが、眼の前の晶動体はそういった環境に適応した姿ではなく人の形状を選択し、そこにいた。

 

 なぜ人の姿をしているのか、なぜ人の言葉を喋ることができるのか。……そもそもとしてなぜ晶動体は海洋生物の姿をしているのかという様々な疑問がクラコの脳裏を駆けるがユナは難しい事を考える素振りも見せず、少女へと歩み寄る。

 

「私はユナって言います。こっちはクラコさん」

 

『……クラコよ。聞こえてるかしら?』

 

「……、う、うん……」

 

 少女は動揺を露わにする瞳のままにユナを見て、突如聞こえたクラコの声に驚きながらも頷いた。その様子にクラコは再び驚き口をつぐむ。

 

(人の姿をしているだけでなく、人の言葉を理解しているのね……結晶に内包された魂は人のものなのだから当然かもしれないけれど……)

 

 クラコの目に映る少女の姿はどうやらユナと同じらしい。かつてユナの両親が用いたエーテルの幻覚ではなく正真正銘、人の姿をした晶動体。ユナとクラコが初めて遭遇する姿の晶動体は表情の柔らかさも身体の動かし方も人のそれに非常に似ている。

 

 うつむく少女は軽やかな和服に身を包んでおり、浴衣のように着やすいそれを纏う少女は涙で潤んだ瞳をユナに向け、細すぎる手で無造作に目元を拭う。それでも少女の涙はとめどなく溢れ、少女は自身より流れる涙に心底不思議そうに首をかしげている。

 

「……かなしいの?」

 

 思わずユナがそう聞いた。少女はただ俯いたまま涙で床を濡らす。その涙がどうして流れ出ているのか、ユナは知りたかった。かつて同じように幼く、孤独だったユナがクラコに手を差し伸べてもらったときのように、自身も目の前の少女になにかできるのではないか、という思いからだった。

 

「わからない……わからないから、いやなの……」

 

『この子、記憶が……』

 

 クラコの考えでは晶動体の正体は雲海に飲み込まれた人の魂が停滞結晶に宿った……いや、閉じ込められたモノだ。かつてユナが晶動体となった両親と再会した際、両親はユナに関する記憶を完全に保持していた。つまり魂と呼ばれるものの範囲にはその人の記憶までも含まれているはず。にもかかわらず少女は人として生きていた時の記憶を失っている。

 

『不完全な状態で晶動体となったのかしら……それとも……、っ! ユナ! 触れちゃダメ!!』

 

 クラコが少女について思案している間、ユナはおもむろに手を少女に向け、その頭を撫でてやろうと手を伸ばす。それを慌ててクラコが静止するがユナは慌てない。

 

「大丈夫ですクラコさん。この子、怖がってるだけだから」

 

 ユナの手が少女の頭に触れると少女は突然触れられた事にビクリと身体を硬直させるものの、それがユナの手であると認識すると顔を上げ、ユナへと再び視線を向けた。

 

 晶動体にも様々な種類があり、特性があり、性格がある。雲海を飛ぶユナはそれをよく理解していた。眼の前の少女が誘引するエーテルはごくわずかで、少女の周囲はユナを害せるほどのエーテル濃度ではない。これは温厚な晶動体に見られる特性であり、オオナキさまのような巨大ながらも温厚な晶動体も同様に誘引するエーテルを無意識に制限している傾向にある。

 

 逆にシロクロなどの攻撃的な晶動体は過度にエーテルを誘引する傾向にある。獲物に近づき、自身の纏う高濃度エーテルによって獲物を結晶の析出で絡め取り捕食するのだろう、というのがクラコの考えだ。

 

 少女を撫でるユナの手に異常は見られず、柔らかな幼子の髪先が指の間を通り抜けていく。煌めくエーテルの残光は髪の先端から徐々に空気に溶け、けれどもそれらがユナの身体に結晶として現れる事はなかった。

 

「お姉ちゃん……?」

 

「、……はい、お姉ちゃんですよ」

 

 心細い声音で少女が問う。恐怖と孤独に後押しされた少女の手は、頭に載せられたユナの手へと伸ばされる。ユナはそれらの一切を受け入れ、頭を撫でていた手で少女の手を握る。

 

『ユナ……!』

 

「大丈夫。大丈夫だよ」

 

 クラコの心配を他所にユナは眼の前の少女の、小さく冷たい手に自身の手を重ねる。あの硬い結晶で構成されているとは思えない程に柔らかく、けれど骨ばった少女の手は、かつてクラコと出会う前のユナのそれと同じだった。

 

「大丈夫だよ、クラコさん」

 

『まったく、この子は……!』

 

 クラコに向けて幸せそうに微笑むユナはその表情をもってクラコに安心してほしいと伝えたつもりだった。だがユナがこういった無茶をするのを幾度も目にしているクラコとしては心臓が持たない程の驚愕に言葉が詰まる。ユナがそう言っているのならば問題ないのだろうとわ分かってはいるものの、どうしても心配してしまうのが保護者というものなのだ。

 

『帰ったらこれでもかと念入りに羽繕いしてあげるわね……!』

 

「あ、あはは……」

 

 ユナは慌てながらも言葉を濁す。羽繕い配信を経てここ最近のクラコの羽繕いは中々に高度になっている。これまでは羽を梳く程度だったのに、最近ではその奥まで指を入れ、優しく丁寧に溶かしほぐすのだ。カザヨミに関する教本にはそこまで詳しいことは載っていなかったはずだが、クラコはユナの表情や感度、反応を見てユナに合った羽繕い方法を開発しようとしているらしかった。

 

 お陰でユナの翼はいつも艷やかで麗らかではあるものの、最近慣れ始めた羽繕いの感覚に新たな感覚が混じり始めた事はユナにとって悩みどころだ。もちろんクラコに羽繕いされる事は大変うれしいし、毎晩お風呂から上がったらベッドの上でクラコを待ちわびているほどには受け入れているが、だからといって最近のクラコの手つきには翻弄されるばかり。

 

 自身の身体がクラコによって徐々に開発されている、というゾクゾクとした感覚が羽繕いを躊躇わせていた。とはいえクラコが"する"と言えばユナは拒否できないのでできるだけやんわりと言葉を濁すだけにとどまっているわけだが。

 

 ともかく、配信などで羽繕いを披露する程度には慣れているユナも未だにユナにお仕置きとしての羽繕いには苦手意識があるのだった。

 

「ユナ……お姉ちゃん……それ」

 

「え? あ、これ? えと、綺麗でしょ……?」

 

 ユナの手を取る少女の視線の先にあったのはユナが身につけているケスケミトルだ。クラコの手によって編まれ、表面に結晶の析出誘引の刺繍が施されたそれは結晶の析出を阻害する都市の道具(ツール)とはコンセプトが異なり、結晶の析出を特定の箇所に誘導させるという機能がある。少女が見つめるのはそんなケスケミトルに析出した停滞結晶だ。

 

「痛く……ない?」

 

「全然痛くないよ? これはね、クラコさんが作ってくれたんだ。痛くないし、寒くもなくて、それにとってもかわいいでしょ?」

 

 できるだけ少女を不安にさせないよう、ユナはクラコのように優しい声音で少女に接する。結晶の析出を見てユナが痛い思いをしているのでは無いかと心配している心優しい少女を安心させるようにユナは少女を視線を合わせ、こちらに伸びる少女の手を避けようとしない。

 

『これは……! 結晶が解けて……』

 

 クラコが驚き声を上げる。少女が手をかざすとケスケミトルに析出していた結晶が徐々に小さくなっていくのだ。時間を巻き戻しているかのように成長した粒の大きい結晶が縮小し最後には綺麗に無くなってしまった。

 

「すごい……」

 

 だが、エーテルを視認できるユナは消えゆく結晶よりもそれらより発せられるエーテルが、少女へと誘引され取り込まれていく様子にこそ驚愕した。

 

 晶動体は無意識に誘引するエーテルの量を調節しているというのがクラコの考えだったのだが、此処まで明確にエーテルを意識して操作できるとは考えていなかったのだ。それも、眼の前の少女のように精神的に幼いだろう晶動体が、だ。

 

「すごい?」

 

「うん、とってもすごいよ!」

 

 少女はユナの言葉にうっすらと笑みを作る。まるで笑顔の作り方がわからないような、そんな歪な笑みだったがユナは気にならなかった。少なくとも先程のような涙を流す悲しそうな顔よりはずっと良いと思えたから。

 

 

 その後、ユナとクラコは名もわからない少女と短くない時間を過ごした。ユナは少女を気遣い、クラコは積極的に少女と接するユナを気遣いながら、そうして様々な話が取り交わされた。

 

「覚えてる景色とかあるかな?」

 

「わかんない」

 

『人やモノの名前で、覚えているものはある?』

 

「わかんない」

 

「此処が何処か分かる?」

 

「……わかんない」

 

 ユナとクラコは少女の出自について何度か聞いてみたものの、少女は自身の名前と共に多くの記憶を失っていた。

 

 ……あるいは、そもそも記憶など存在しないのかもしれないが。

 

 ともかくユナとクラコは少女についてほとんど何も分からず、晶動体についても同様の結果となった。

 

(あの子との話で分かった事と言えば、晶動体は想像以上に結晶とエーテルを自在に操れるということ、くらいね……)

 

 クラコはそれが判明しただけでもかなりの成果だとは考えていたものの、場合によっては少女が雲海に生まれた起因……つまりは晶動体の発生要因についても情報が得られるのではと期待していたので少々物足りない結果とはなった。

 

 とはいえクラコにとって最重要であるユナに危害を及ぼす存在としての晶動体の生態について情報を得られたのは紛れもなく僥倖ではあった。

 

「……さてユナ、もうそろそろ帰る時間よ」

 

『え、でも……』

 

 しばらく時間が経った頃、クラコがユナへと声を駆けると少女と都市やカザヨミの話をしていたユナは名残惜しそうに言葉を漏らす。少女は晶動体で、つまりは雲海の中こそが彼女の住まう場所だ。ここから少女を連れ出す事は必ずしも正解とは言えないだろう。少女の身体が結晶によって構成されているのなら、エーテルの薄い地上は彼女の身体を維持するには極めて厳しい環境と言える。たとえ地上でも崩壊しない純停滞結晶によって身体が構成されていたとしても、意志ある晶動体として活動できる保証は無い。

 

 そのような事をクラコはユナに言い聞かせるが、それ以外にもユナに語らない理由はいくつもある。単純に晶動体である少女を他の人前に晒す危険性であったり、巨大な停滞結晶が雲海の領域から脱する事による降害の発生などなど。それらはユナに説明すること無くクラコの胸のうちだけに収められた。

 

「ユナ、お姉ちゃん。……だいじょうぶだよ……?」

 

 少女はふらつきながらも立ち上がり、おぼつかない足取りで部屋の壁にもたれかかった。まるで自分だけで生きていけるとユナに主張するかのように、出会った最初よりは多少マシになった笑顔を向けた。

 

 少女も雲海の外が晶動体が生きるのには厳しい環境だと理解している。だからこそユナの手を取ることはなかった。

 

「……また、来てもいいですか?」

 

「! うん……また来てね」

 

 少女は小さく手を振り、ユナは何度も振り返りながら衛星を後にした。少女が取り計らってくれたのか、その後の帰り道は蜃気楼に惑わされる事無く脱出することができた。

 

「……あの、クラコさん」

 

『……なにかしら?』

 

 少女の居る二つ目の衛星を後にして、探索済みの一つ目も通り過ぎ、逆灯台へと帰ってきたユナは申し訳なさそうにしながらも口を開く。対してクラコはユナの言いたいことを把握し、ため息交じりに返答する。

 

「あの子の事……調べたり、できます?」

 

『……難しいわね』

 

 予想通りの願いがユナの口より発せられたものの、クラコは逡巡して言葉を選んだ。

 

 晶動体となった幼い少女。ユナは彼女が人であった時の記憶を返してやりたいと考えていた。地上で人として生活していた時、彼女はどのように生きていたのか。

 

 親は居たのか? 兄弟姉妹は居たのか? 友人は? 恋人は? 家は?

 

 ……名前は?

 

「無理じゃ、無いんですよね……?」

 

『ユナ……。彼女はもう……』

 

「分かってます。分かってますから……それでも、名前だけでも……」

 

 微かな希望にすがるように、僅かな可能性に祈るように、ユナは少女に人としての"わずか"を取り戻してあげたいと、思った。晶動体という人ならざる存在としてでなく、かつて人であった者として。

 

「期待は、しないでね。私ができる事はあくまで過去の情報を遡るくらいなんだから」

 

「! ありがとうございます!」

 

 クラコとしても彼女の事は気にかかる存在ではある。けれども人であった時の足跡をたどるとなれば果てしない時間をかける必要がある。そして、その結果なにも得られないという可能性も少なくない。

 

 彼女は自身の名前さえもわからないほどに記憶が欠損しており、何時、どのようにして晶動体となったのか不明である。彼女が移動できる晶動体ならばヒエイの雲海で誕生した晶動体かも不明で、灰色ホテルの衛星に居たのだから瓦礫と同じ土地に住んでいた住人だったという予測も立てられない。

 

 そもそもとして彼女は幼い女性の姿をしているが、人であった時も同様に"幼い"、"女性"であったかも不明。

 

 ありとあらゆる情報が不明であり、わずかに判明しているのは彼女の魂が地上で生活していた人であったという事だけだった。

 

『さっそく行方不明者リストから探ってみましょうか』

 

「あ、私も手伝う!」

 

 元気に返事をするユナを横目に今後の人探しの困難さに頭を悩ませる事になったクラコ。

 

 結局二人は少女の身元を明らかにするため、何度も少女と会い、親睦を深めていくこととなった。

 

 

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