愛鳥少女とキンヨク生活のすすめ。   作:田舎犬派

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94羽 双翼は嵌る

 

「あ、う……ぁ……っ」

 

 都市から見える外の空。灰色の雲に満たされた空を光のない瞳でぼんやりと見つめているとあるカザヨミは、静かに息を吐き出し、乾いた喉奥から無理やり声を発しようとして咳き込んだ。

 

 まるで病衣のような簡素な服に身を包み、身体のあちこちが包帯によって隠されているそのカザヨミは屋上で生ぬるい風に吹かれている。

 

「はあ、ふう……、ようやく見つけたわよ……!」

 

 そんなカザヨミの後ろから焦ったように声をかける別のカザヨミが現れた。飛んで来たらしく二、三度ほど翼を動かし背中に収め、駆けるように近寄る。

 

「勝手に居なくなるんじゃないわよ……! どれだけ探したとおもってんのお姉ちゃん!」

 

「……いすか」

 

 胡乱な瞳のまま、未だ傷が回復しない重症状態のカザヨミ、嶺渡アトリ。それでもイスカからすればまだマシになった具合だ。流れ続ける血はようやく止まるようになったし、皮膚に入り込んだ結晶を取り除いたおかげで傷も治り始めている。

 

 それでもまだアトリはいつ状態が悪化しても不思議ではない。そんなアトリが都市管理部の治療施設から居なくなったと聞いたイスカは必死に飛び回って姉の所在を探し回っていたのだ。

 

「……なんで。なんでお姉ちゃんは此処にいるのさ……! だったら、なんでお姉ちゃんは母親(アイツ)のところにいるのさっ!!」

 

「……」

 

 アトリが都市管理部の保有する治療施設から抜け出しやってきた場所、それはカザヨミ管理部のカザヨミ訓練施設だった。意識も翼の動きもおぼつかないアトリが、それでも無理をしてやってきた場所。

 

 それだけアトリにとって思い入れのある場所なのだろう。何もかも自由に出来ない人生の中において唯一尊敬できる先輩たちと、仲間として自由に空を飛んでいた時の、僅かな記憶。

 

 壊れたアトリが縋れる記憶。

 

 それならばなぜ姉はカザヨミ管理部ではなく都市管理部を選んだのか。なぜ、都市管理部に所属するカザヨミとなったのか。雲海の恐ろしさを知らない無知な大人たちに使い捨ての道具のように扱われて、それでも従っているのはなぜなのか。

 

「……そうしないと、いけない、から」

 

「! やめてよっ! 私が! これからは私が飛ぶからっ! お姉ちゃんの為に飛ぶから!! だからもう──」

 

 仄暗いアトリの瞳の奥は停滞運よりも暗く濁っていた。すべてを捨てて、すべてを失い、それを良しとする絶望に決意した瞳。

 

 

 イスカは気付いてしまった。姉は、嶺渡アトリは死のうとしている。

 

 

 アトリは死に場所を求めて空を飛んでいる。もっともっと自身を傷つけて、痛めつけて、その果てに(むご)く死のうとしている。

 

「私の……仕事、だから。あなたが飛ぶ必要は、ない」

 

「っ……そんなの、だめだよ……」

 

 アトリが言葉さえ話せない状態であった時、イスカは姉をユナに合わせるべきかと考えたことがある。ユナが自身を許してくれたように、姉も許してくれるのではないか。ユナの生存を知り、罪悪感に押しつぶされようとしている姉を救ってくれるのではないか、と。

 

 結局イスカはアトリの状態をユナに話す事はしなかった。ユナから会いたいと言うのならばともかく、こちらから出向いて許すように迫るという愚かで浅ましい行為に手を染めたくなかった。

 

 その後もイスカは悩み続けた。一向に快方に向かわない姉の姿を見て何度もユナとの話し合いを考えたイスカだが……もしかしたら、姉とユナを早々に引き合わせていたとしても結果は変わらなかったのかもしれない。

 

 姉はすでに自身の結末を決めている。かつてユナが受けた仕打ちと同じように自身を痛めつけ、かつてユナが感じた孤独の中に身を置き、かつてユナがそうされたように見捨てられ、死ぬことを求めている。それが唯一ユナに許してもらえる方法なのだと思っている。だからどれだけアトリとユナが顔を合わせ言葉を交わしたとしても結果は変わらなかっただろう。

 

「お姉ちゃん。私たちは……バカだったよ。母親(アイツ)が言うからって、泣いていたユナを助けもせず見下してた。……でも、ユナは! あの子はそんな私を許すって、言ってくれたんだよ!? 私は……私は、飛ぶよ! それがあの子の贖罪になるって、信じているからっ!」

 

「……」

 

 母親であるシトに恐怖によって縛られてきたイスカはカザヨミの先輩との邂逅やユナに命を助けられた経験から徐々に恐怖による束縛から脱しようとしていた。そして姉の状況を理解し、姉の為に生きると決めた。シトではなく、アトリの為に。

 

 だからイスカはユナの贖罪の為に空を飛ぶとアトリに宣言した。願わくば、自身と同じように死よりも生きて償いをしてほしいと思いを込めて。

 

 だが、そんなイスカの思いはアトリに届く事はなかった。

 

「……何を、言っているの?」

 

「え……」

 

 光のないアトリの瞳がイスカに向けられる。感情の読めない顔のまま、困惑を宿す瞳はイスカの言葉の意味を理解できていない。理解できないまま、残酷な言葉を、そうとは理解しないままに口にする。

 

「一緒に、住んでいた……? 私が……? 由奈と……?」

 

「お姉ちゃん……?」

 

 イスカは何かがガラリと崩れるような感覚に肌が総毛立つのを感じる。ざわざわと心がざわめき、嫌な予感に喉が乾く。

 

「私は……都市に来る前、どんな生活をしていたの……?」

 

「っ、お姉ちゃん! 何いってんの! 一緒にいたじゃん! 私と! お姉ちゃんと、アイツとユナが!」

 

 思わずアトリの手を取り激しく身体を揺らす。されるがままのアトリは何も言葉を発しない。眼の前の妹が何を取り乱しているのかわからない。

 

「……一緒に、アイツに隠れて湖を見に行ったよね? 私が入ろうとしたら、お姉ちゃん危ないからって私を叱ってくれたよね?」

 

「わからない」

 

 不思議そうに言葉を紡ぐ姉に、イスカは次の言葉を吐き出すことさえできなくなってしまう。

 

「覚えてない。……何も、覚えてない」

 

 姉は都市に来る前のすべての記憶を失っていた。アトリとの思い出も、母親の虐待も、ユナの境遇も。唯一ユナへの罪悪感だけを抱え込み、そうしてアトリは死に向かって飛翔していた。

 

 何もない、何も知らないアトリに、イスカの声が届くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふんふん〜ふふん〜」

 

 ユナはごきげんな様子で空を行く。日々の羽繕いによって翼はいつも美しく、美味しい食事と十分な睡眠、そして何より大切なクラコとの生活がユナの精神を安定させていた。

 

 体つきも同年代のカザヨミと同じくらいにはなり、最近は身長も伸び始めているように思えた。

 

 年頃の少女としてもカザヨミとしても目に見える成長具合を見せるユナは、その飛行技術に関してもこれまで以上の実力を見せるようになっていた。

 

『ユナ、もうすぐ雲海の支配領域よ』

 

「わかった〜」

 

 のんびりした声音で答えるユナは雲海が支配する領域の境界である気流の壁を視認し、風と風の隙間に滑り込んだ。

 

『大丈夫そう?』

 

「うん、今回は簡単だったよ?」

 

 かつて雲海の領域に初めて挑戦した際、ユナはとてつもない気流の壁に苛まれながらもなんとか支配領域に侵入した。けれどそれも二度三度と繰り返し、数十もの回数になればユナとユナの翼は気流の流れを覚えるかのように壁の内側に難なく入り込めるようになっていった。

 

 荒れる気流のどれに翼を乗せれば良いのかを理解し、先読みして羽を動かす。予想外すらも予測して、予知よりも正確に。そうしてユナは鼻歌交じりに気流の壁を通り抜け、無風地帯を航行する。

 

 これまで無風地帯に蔓延するエーテルを頼りにエアリングを乗せたソアリングを行っていたユナだが、最近では無風地帯のエーテルの濃淡も視認できるようになってきたのでエアリングのみで飛行することもできるようになっていた。無風なのでむしろエアリングを主軸として飛行したほうが疲れないと気づいてからは積極的にエーテルの濃い領域を選択してエアリングするようにもなっている。

 

 現実世界の法則を基に技術として確立しているホバリング、ソアリングと異なりエアリングは既存の物理法則を無視した理外の法則であるエーテルを用いているため、本来は行えないような軌道を描いたり速度を出せたりする。これらを利用すればかつて無風地帯から雲海本体への到達に数時間を要していたユナも現在では一時間程度で雲海へと到達できるようになった。

 

「クラコさん着いた〜」

 

『中では慎重にね』

 

「は〜い」

 

 もはやユナにとって雲海へと至る道は脅威ではなくなった。多くの都市カザヨミが仰々しい装備に身を包み万全の準備を経て通過する雲海の境界を、ユナは都市の住民が近くの店に買い物に出かけるような気軽さで通り抜ける。

 

 それは雲海の境界だけでなく、雲海に突入してからも変わることはない。逆灯台を下方に眺めながら翼を羽ばたかせスピードを上げるユナは中層の奥へと向かう。あらゆるエーテルのトラップもユナからすればバレバレで脅威でもなんでも無く、スピードを落とす必要性すらなかった。

 

 逆灯台を通り過ぎ、灰色ホテルを見上げ、見知った空路を手繰り寄せ、ユナはいつもの通り約束の場所へとたどり着いた。

 

「お姉ちゃん……!」

 

「お久しぶりです、元気にしてましたか?」

 

 灰色ホテルの中心の星を周回する衛星達、その3つ目の衛星が現在晶動体の少女が住処としている領域だった。

 

『しばらくぶりだけれど、体におかしなところは無いかしら?』

 

「うん! クラコお姉ちゃんも久しぶり!」

 

 朗らかに笑う少女は出会った頃よりも感情豊かに表情を変えられるようになっていた。こちらに歩きやってくるユナを見れば、大きく手を振ってこちらに駆け寄ってくる。エーテルを操作して生み出した結晶製の衣服は髪先と同じようにエーテルの粒子を煌めかせて輝いている。

 

『……ええ、久しぶり』

 

 少女は晶動体としてはなんとも異例な存在だった。見た目が人と同じであるというだけでなく、エーテルを視認できるのはおろか、自らの意思でエーテルを自在に操作することすら可能という。

 

 もちろん他の晶動体も彼女のようにエーテルを操作できる可能性は高い。攻撃的な晶動体がエーテルを強く誘引し、温厚な晶動体がそうでないように、晶動体は人類が手足を動かすようにエーテルを操作できるのかもしれない。

 

 けれど海洋生物の姿をした晶動体はそれらの操作能力を"狩り"の為にしか使っていない。例えば、彼女のように着る服が無いからと言って結晶でできた服を作り出すような真似はしない。

 

 それがクラコに警戒心を抱かせていた。クラコにとって最重要なのはユナの安全だ。少女がその気になれば、エーテルの中に居るユナに危害を及ぼす方法はいくらでもあるだろうから。

 

「ユナお姉ちゃん! 見て見て!」

 

「わあ……!」

 

 少女が手を広げくるりと回れば周囲にエーテルの流れが生まれ、廃墟の床より小さな結晶の粒が現れる。析出した結晶は仄かに光を放ち、いくつかの結晶は更に大きく成長していく。そのまま細長い茎が現れ先端に蕾が生まれ、最後には青白い光を灯す花々が咲き乱れた。

 

「すごい! すごいです!」

 

 結晶でできた花畑を楽しそうに歩く少女と、追いかけるユナ。微笑ましい光景だと目を細めることもできただろう。だが、クラコはそう楽観的には考えなかった。少女が生み出した晶花は純停滞結晶と不純停滞結晶の中間に位置する晶動体であり、絶えずエーテルを放出している。一般的なカザヨミが触れれば危険な代物だ。

 

 少女は人の魂を内包しているが、それでも晶動体であることに変わりない。自身の生み出した美しいだけの物体が、人には猛毒の危険な花であるという自覚がない。だからこそクラコは警戒を解かない。どれだけユナと少女が友人や姉妹のような関係性を構築していたとしても、クラコが無償の信頼を少女に寄せる事は無い。

 

「あのねユナお姉ちゃん。今日はオオナキさま見つけたよ! とってものんびりしてた!」

 

「そうなんだ。ちょうどこのあたりを泳ぐタイミングだったんだね」

 

「うんっ! それでねそれでね──」

 

 ユナと少女の交流は少女の情報を得るための重要な時間だった。何もない状態の少女の"かつて"を調べるには、彼女の言動の端々からヒントを見出すしかない。

 

 例えば少女の用いる方言であったり、他者への対応の仕方であったり、無意識の仕草や手癖など。記憶は失っても魂に刻まれたかつての生き方が晶動体となっても現れている可能性があった。

 

 ほんの僅かな可能性だが、そういった僅かな可能性をかき集めて本来の道を露わにするのはクラコにとってそう難しいことではない。もちろん膨大な時間がかかるだろうが、それでもユナと共に未知の雲海を探索しているのと大差ない難解さにとどまっている。

 

「そういえば、きのう思い出したことがあるの」

 

「思い出したこと?」

 

「うんっ、クラコお姉ちゃんが"思い出したことがあったら言ってほしい"って言ってたからずっと忘れないように覚えてたの」

 

 少しもじもじとしながらも少女は欠片ほどに思い出した記憶をなんとか言葉にしようと頭を振る。忘れないように大切にしていた記憶は細く、大した情報にはならないだろう。

 

 けれどそれらの欠片ほどの思い出をつなぎ合わせ、いつしか少女が少女だった時の記憶の全容が浮かんでくるのだろう。

 

 クラコは少女を警戒している。けれど、約束を破るつもりはない。少女の思い出はクラコによって集められ、いつか少女を見つけ出してくれるだろう。

  

「あのね、わたしとっても大切な人が居たの……名前も思い出せないけど……わたしよりももっと大切な人だったはずなの」 

 

 

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