もう二度と来たくないとイスカが心の底から軽蔑していた黄金の部屋に彼女が呼び出されたのは、姉のアトリを発見し都市管理部へと連れ帰った2日後だった。
「持っていきなさい」
母親であるシトはそれだけ言うとイスカに背を向け情報端末に視線を落とす。イスカの眼の前には華美なテーブルの上へ無造作に置かれたアタッシュケース。大きはイスカが両腕で抱え込めるほどの小ささで、鍵はかけられていない。
イスカはケースを一瞥し、母親のシトへと視線を移す。
相変わらず派手すぎる洋服にネックレスのたぐいが目に痛い。不快なのはその貴金属の光だけでなく、装飾として用いられている宝石の中に停滞結晶が含まれているからだろうか。
どちらにしろイスカにはシトが住まう金の部屋も、身につける悪趣味な服も装飾も……あるいはシト本人さえも毛嫌いしていた。
イスカはケースに手をかけた。シトからの贈り物など手にしたくもないという思いと、都市の最新鋭の装備ならばありがたくもらっておくか、という2つの考えが頭をよぎり、逡巡してイスカはケースを開いた。
「! ……これは」
「使い方はわかるかしら? まあ、教えなくても問題ないでしょう? 引き金を引くだけなんだから」
得意げに言葉を紡ぐシトの様子など気にもとめずイスカはケースの中に収められていたモノに目を見開く。黒光りする筒状の機構にグリップが付いたそれはまさしく銃と呼ばれる"武器"だった。
そう、武器だ。カザヨミという存在の対局に存在するような、誰かを害するための道具。
「すごいでしょう? 都市管理部の最高傑作よ。既存のピストルを参考にして停滞結晶の弾丸を打ち出す専用火器。弾丸の結晶が空間のエーテルが持つ停滞特性を中和し弾速を確保、接触した対象の内部に結晶を打ち込み──」
シトの説明……いや、演説は続く。
シトは都市管理部上層部の広告塔として今まで活動してきた。上層部の都合の良いように動いてもらうため、シトに与えられる情報は上層部にとって都合の良いものに限られていた。その結果、シトはカザヨミを無敵の存在だと思いこんでいるし、先の雲海内調査が自身の娘の活躍で大成功の内に幕を下ろしたと本気で思っている。それらはすべて自分の手柄だと思い込まされたうえで。
そして先の大成功に脳を焼かれたシトはさらなる成功を求めた。すでに手垢の付いた雲海の領域を探索するよりももっと刺激的でセンセーショナルな成功を。
そんなシトの次なる野望の標的となったのが新たなる雲海廃墟、灰色ホテルだった。
ユナ以外のカザヨミが足を踏み入れていない未踏破領域。当然資源として利用できる純停滞結晶は手つかずのまま、それだけでも逆灯台と同等かそれ以上の利益が見込める。
本来は都市間のルールをすり抜けられる都市管理部所属カザヨミを用いて新たな雲海廃墟の資源を独占する、というのが都市管理部上層部の思惑だった。
だが、シトは都市管理部が想像する以上に貪欲だった。シトは灰色ホテルの散乱する結晶の欠片に目もくれず、巨大で希少な結晶塊を欲した。
すなわち、灰色ホテル中心に鎮座するクラゲの晶動体の事だ。
「停滞結晶は特性? のせいで衝撃が本体に伝わらないらしいわ。けど、コレを使えば晶動体を破壊することができると都市管理部の技術者は言っているわ」
まるで自分の手柄のように自慢気に話すシトの言葉はイスカの耳を素通りするだけ。幼い少女が持つには不釣り合いすぎる銃器を眼の前にして立ち尽くすイスカの肩に手を置き、シトは諭すような声でイスカの耳元で囁いた。
「コレで打ち出した弾丸は停滞の特性を貫通し、晶動体は脆いガラス細工に早変わり。……一本でいいの。触手一本、それだけを持ち帰れば
カザヨミ管理部では晶動体については未だ触るべきではない、という意見が過半数を占めている。人類が遭遇する未知なる知的生命体である晶動体をむやみに刺激すればどのような反撃を受けるか予想もできないからだ。最悪の場合、都市が雲海に呑まれる可能性もある。
そういったカザヨミ管理部の有識者による知見は当然都市管理部へも共有されているはずだが、カザヨミおよび雲海に関する知識に乏しい都市管理部はこの意見を臆病者の意見だとして真剣に取り合わなかった。そもそも晶動体が知的生命体であるという意見さえバカバカしいと言う者さえいた。
国城が先生としてオウミのカザヨミを指揮し、多くの飛行計画を被害ゼロで成功させてきたせいで都市管理部は雲海も、降害も、その程度のものだと軽んじるようになっていた。
シトはまさしく都市管理部の考えを体現する者だ。晶動体など只の巨大な結晶に過ぎないとしか考えていない。
だから、シトは都市管理部がそう望むだろう行動を起こす。それが都市管理部からしてもやりすぎだと判断されるような行動だとしても。
「……一つ、お願いがあります」
イスカがケースの縁をなぞり、恐る恐る銃に触れる。
「なにかしら?」
自身の従順な手足であるべきイスカが条件を提示したことにシトは眉間にシワを寄せるものの、イスカに言葉の先を促す。
「お姉ちゃ……、お姉様はもう飛べません。お姉様を都市管理部から追い出すべきです」
イスカは銃を手に取る。予想以上にずっしりとした重量が手の中に収まる。本来なら少女が扱える代物ではないがカザヨミであるイスカならば難しくはないだろう。
当然ながら弾丸は装填されていない。コレを手に取ったからといってシトを脅すための道具にはならないだろう。そんな事を考えたイスカは自嘲気味に目を伏せた。きっと自分には、コレに弾が装填されていたとしても引き金を引く勇気はないだろう、と。
もしそんな勇気があるのなら、彼女はとっくの昔にシトの首へ手を伸ばし、カザヨミの力で締め上げていたはずだから。
「…………ふふ、あははっ」
不意にシトが笑い声を上げた。心底面白そうに、口元に手を添えて演技がかった笑い声を響かせる。
「アレを追い出すねえ。残念だけどそれは無理よ。だって──」
シトはアトリとイスカの母親だ。名前が変わり、住む場所が変わり、親子が只の人とカザヨミという関係性に変わったとしても、母と子である事実は変わらない。
だがイスカはその事実を切り捨てた。もはやシトを母親とは思わない。イスカにとっての家族は、アトリだけだ。都市管理部のカザヨミは家族と呼ぶには距離があり、ミサゴたちは近すぎる。ユナを家族と呼ぶには厚かましくおこがましい。
だからイスカにとっての家族はアトリなのだ。アトリさえ無事ならば後は何もいらない。都市所属カザヨミの特権も、都市管理部の特別待遇も。
しかし……そんなイスカの決断はあまりにも遅すぎた。少なくとも母親であるシトは、とっくにアトリとイスカを娘とは思っていなかったのだから。
「──だってあの子は今、雲海の中に居るんですもの」
◆
ユナと少女はあれから何度も交流を持ち、ユナは地上から様々な物品を持込んだ。食べ物やおもちゃ、本などを少女に手渡してみたものの、彼女はそれらに興味を持つことはなかった。食べ物は一度口にしたこともあったが、味が気に食わなかったのか晶動体として消化する機能がなかったのか、それ以降食べ物に食指が動くことはなかった。
ならばとユナは地上の遊びを教えた。道具が無くても出来るような、追いかけっこやかくれんぼといった遊びは単純ながらも少女と仲を深めるには申し分なかった。
ユナが様々な事を教えるように、少女も自身の住まう場所をユナへと教えていった。花々のように植物の形態を取る結晶たちや、回遊する晶動体の群れ。
そして、灰色ホテルの奥。
「ここはとっても綺麗で静かで、落ち着ける場所なの」
そう言って少女は3つ目の衛星の奥地へとユナを誘った。衛星の中心部は濃い湯気が昇り、硫黄の匂いが立ち込める。大地もろとも雲海に呑まれた源泉がかつてのまま姿を保ち、今も温水が湧き出し続けている。少女とユナは源泉の湧き出る地帯に放置された鳥居の上に居た。眼下は湧き出す温泉と岩石によって占められているが湯気によって視界が遮られ、伺い知ることはできない。
上方は暗く、下方は湯気で満たされている。二つの領域のあいだでユナと少女は鳥居を足場に佇んでいた。
一つ目、二つ目の衛星は温泉街の廃墟がひしめき、3つ目の衛星は温泉地帯そのものが雲海廃墟として存在している。少女によれば静かなのは此処までで、この先はうるさくて仕方がない場所なのだという。
『その話は誰から聞いたの?』
「うーんとね、あのおっきなの! ユナおねえちゃんがいってた、オオナキさま!」
「オオナキさまとお話したの……?」
「うんっ、オオナキさま、いろんな事を知ってるの。わたしの知らない事を何でも知ってるんだよ」
少女はユナとの会話を繰り返す内に違和感のない口調で話すようになり、表情も比例して豊かになっていった。少女は意外にも社交的で、温厚な晶動体への接触もためらいが無いようだった。
『他の晶動体とコミニュケーションが取れるのね……』
「あ、でもシロクロはダメ。話を聞いてもらえなかったから」
少女は口元で両手の人差し指を交差させてバツ印を作る。いかにも不満です、と言いたげな表情で首を横に振る少女は見た目相応に幼く微笑ましい。
「ふふ。それじゃあ気をつけないとだね」
「今度見かけたらすぐに逃げるのっ……あっ!」
会話の途中、突然少女が立ち上がり、暗い上方へと視線を向けた。大きく見開かれた少女の瞳は停滞結晶のように青白く煌めいている。その瞳が遥か遠方の仲間を捉えた。
「オオナキさまだっ!」
『なっ!?』
「っ!」
遥か彼方、それこそユナが察知できないほどの遠方へ少女が指を指す。姿は見えないが、少女が声を上げるのと同時にオオナキさまの声が雲海廃墟全体に響く。
無意識にユナは少女を庇うように背に隠すが、当の少女は不思議そうに首をかしげていた。
「オオナキさまだよ?」
「そう、だね……」
少女にはオオナキさまを警戒する理由がなかった。シロクロのように攻撃されたわけでも無く、空間を回遊するだけの同類という認識しか無く、故に警戒心を露わにするユナの様子が理解できないようだった。
確かに温厚で攻撃する素振りすら見せないオオナキさまだが、その大きさは灰色ホテルの領域に浮遊する衛星とほぼ同じ。晶動体である以前にその巨体は警戒すべき対象として見るには十分すぎる理由となる。
「ふーん? こっちだよお姉ちゃん」
オオナキさまの気配が遠ざかっていくのを感じ、少女は鳥居からぴょんと飛び降りた。手招きする少女を追いかける為に翼を広げるユナはどこまでも続いているように見える霧の平原の境界を突破し、その先へと進んでいく。
このような状況となった理由はのは今から数時間ほど前までさかのぼる。
ユナとイスカは少女と交流する傍ら灰色ホテルの中心に位置する星へと至る道を模索していた。現在三つ目の衛星まで到達したが、それでも中心の星へはまだいくつもの衛星を経由する必要がありそうだった。このまま時間をかけて一つ一つ衛星を踏破しなければいけないわけだが、ユナとクラコは灰色ホテルの探索を進める内に、ある予測を立てた。
衛星はほぼ規則正しく周期的に散開と集合を繰り返している、ということはつまり空間に満ちているエーテルの濃薄にも周期があるのではないか、という予測だ。もしも何かしらの法則に則ってエーテルが衛星と同じく空間をグルグルと周回しているのならば、衛星から衛星を渡るエーテルの流れが存在し、ひいては衛星から中心の星へと至るエーテルの流れさえも存在しているはずだろうと。
その予測を基に最近は衛星そのものよりも衛星と衛星の間に広がる空間のエーテル濃度の測定がユナの主だった仕事で、手に入れた測定情報を解析するのがクラコの仕事だった。
そんな作業を繰り返していた時、少女が不意に言葉を漏らした。
「行き方なら知ってるよ」
考えてみれば当たり前の事ではある。エーテルの流れどころかエーテルそのものと言っていい晶動体ならば調べるまでもなくエーテルの存在するあらゆる空間の道を知り得ているだろう。そうしてクラコが中心へと至る道を尋ねれば少女はなんてこと無いように頷き道を教えると言ってきたのだ。そうしてユナは少女の後を追うように三つ目の衛星の奥へと進み、霧の立ち込めた鳥居の平原を通り過ぎ、さらにその先へと向かうこととなった。
「あ、もうすぐだよ」
少女の道案内でユナは衛星の中心にへとたどり着き、さらに奥の道へ誘われた。
衛星の中心の更に奥、大きく空いた穴の下。衛星からの出入り口のように開かれたそこは外側からはエーテルと気流によって近づけないが、衛星の内部からなら到達できる。ここから流れるエーテルの流れは、遥か遠方に位置する中心の星へと確かに繋がっているようだ。
『衛星の中心に空いた穴、そこから伸びる空路。これが次の衛星へ行くための空路なのね……』
太く濃いエーテルの道はまともに侵入すれば急激な濃度変化によってユナの体は結晶まみれになってしまうだろう、なのであくまでエーテルの流れを道しるべとして、流れを見失わないように辿っていく。
大きく翼を広げ、エーテルを翼で掴みぶつかる空気に目を細めながらも空間を飛んでいく。
「ユナお姉ちゃん、あれも衛星だよー」
「あれが……、衛星……?」
当然のように少女はエーテルの流れに身を任せ、飛行するユナに付いてくる。周囲のエーテルトラップも少女にはなんの効果も無く、そよ風が通り過ぎた程度の反応しか返さなかった。
膨大なエーテルの奔流を意に介さず、吹き抜ける爽やかな風のように気持ちよさそうにしているくらいだ。本来過酷であるはずの領域を軽々浮遊してユナに付いていく少女は真横に視線を向け、遠くに浮かぶ何かを指さした。
少女が衛星だと言うそれは薄く濁った水の塊だった。多少瓦礫が内包されているのが分かるが、ほとんどが液体で構成された巨大な球体であるそれが衛星とはユナもクラコも咄嗟には理解できなかった。
『……温泉が瓦礫の代わりに集まっているのね……』
「温泉……温かいのかな……?」
『温度も停滞してるなら当時のままでしょうし、丁度いい湯加減なんじゃない?』
「おおー……」
『なんだか入りたそうにしてないかしらユナ?』
「だってあんなに大きな温泉見たことないもん」
『……だめよ?』
「分かってるぅ」
唇を尖らせてそんな事はしない、と抗議するユナの様子は幼い子供が親に注意された時の不貞腐れ具合に少し似ている。クラコがそんな事を考えていると察したユナはジト目でクラコへと更に不満を露わにしてみる。といってもそれらの行動そのものが可愛らしいものでしかないのだが。
『ほらほら、そんな顔しないの。おいていかれるわよ』
「わかってるー」
すでに少女はエーテルの流れに乗って先へと進んでいる。水に浮かんでいるような浮遊感を伴う少女の様子は青白い姿も相まって非常に神秘的に写った。エーテルで構成された服の艷やかさと蒼い光を灯す髪が人ならざる証として備わり、幻想的な空間を揺蕩っていく。
「ユナお姉ちゃん。あれが次のそのまた次の衛星だよ」
何処か気持ちよさそうな声音で揺蕩う少女はまたあらぬ方向を指さす。その先には真っ赤に燃えた球体が存在しており、とんでもない熱量を宿しているのがはっきりと分かった。
『溶岩か、マグマだまりがそのまま衛星になったのね』
赤々と燃える星の正体は地下水を温め、温泉を生み出していた本体そのものだった。降害によって温泉地は泉脈はおろか湯を温めている熱源さえ飲み込んでいたようだ。
『なるほどね。先にある衛星を省略して中央の星までショートカットできたと思っていたけど……そもそも次の衛星も、そのまた次の衛星も探索なんてできなかったわけね』
ユナが探索を終えた衛星は最外周がホテルなどの比較的新しい建築物で構成され、次は老舗らしき旅館、その次は温泉地帯の土地がそのまま衛星に。
中心の星に近づくほどに衛星を構成する廃墟は古いものへ、あるいは土地がそのまま衛星になっている。ユナと少女は中心へと向かう最中、更にいくつかの衛星を確認したが、そのどれもがマグマや温泉を抱き込んだ形で維持されており、人が作り出した廃墟の影は次第に少なくなっていく。
その姿はまるで宇宙に浮かぶ原初の星々のようであった。マグマの衛星はエーテルの停滞特性によって冷めること無く赤熱に輝き続け、停滞によって周囲に熱が放出される事を抑制している。そのためユナがどれだけ近づこうともその身体をマグマの熱が襲う事はなかった。けれど、発される光が熱をもたらし、まるで太陽のような暖かさをもたらす。
「……ねえクラコさん……これ、真ん中の星って……」
『……休憩できる場所は無いかもしれないわね……』
視界に映る中心の星の輪郭が大きくなるに連れてユナとクラコの不安は大きくなっていく。この分だと中心の星は決して探索しやすい環境とは言えないだろう。マグマで構成された只の塊という可能性も低くはない。
それに加えて星を絡め取るように触手を伸ばす巨大すぎる海月の晶動体。少女が気にしていないということはアレもオオナキさまと同じ温厚な部類なのだろう。それでもオオナキさまよりも巨大な姿はユナやクラコでなくとも近づきたいとは思わないはずだ。
「大丈夫だよー」
少女は輝く瞳を笑みで細め、ユナを安心させるように穏やかな語尾で空を漂い続ける。
少女は今や灰色ホテルの案内人だった。晶動体であるゆえにエーテルを熟知し、あるいは操作し、不可視の道を見つけ出せる存在。微笑む少女は出会った時とは比べ物にならないほど人間らしく、少女らしかった。
「あそこは、始まりの場所だから」
そんな少女は見知った土地に思いを馳せ、友人を招き入れるようにユナを誘う。それはまるでエーテルを誘引する微かな結晶のようであった。