愛鳥少女とキンヨク生活のすすめ。   作:田舎犬派

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96羽 誘引

 

 雲海の中層奥地に存在する雲海廃墟、灰色ホテルはエーテルによる空間の停滞が著しく、本来の数十倍もの領域面積へと拡張されている。中心の星を周回する衛星一つだけで並以上の停滞雲が保持する廃墟量を抱え込み、構成される瓦礫の種類からおそらくは地上の温泉街だった地域が丸ごと降害に呑まれた結果だとされている。

 

「熱かったりぶくぶくーってしてるのがうるさいけど、ここはとっても静かで気持ちいいーんだー」

 

 少女は降り立った星の感触を踏みしめ、ぴょんぴょんと小さく飛び跳ねて見せる。ふわふわと衣服がはためき、煌めく髪が光を散らす。

 

「あ、あまり跳ねたら危ないよっ」

 

「大丈夫ー、ここは安全なのー」

 

 ユナが慌てて少女へ駆け寄るが少女は上機嫌のままくるくる回って楽しそうにしていた。間延びした声の穏やかさは本来の少女のものか、それともエーテルによって音さえも停滞している影響なのかは分からない。ただ、エーテルに彩られた少女は殊更楽しそうに自身の体を動かしていた。

 

『クラゲは大丈夫なのね』

 

「うんー、私ここが一番好きなんだー」

 

 中心の星では荒れた山岳地帯とでも言うべき風景が広がっていた。巨大な岩石で構築された見上げんばかりの山々……それらが一度崩壊し、気味悪いひとかたまりに形成し直されたような、歪でアンバランスな球体として星は存在していた。そんな星の上空にはクラゲの晶動体が触手を伸ばしてゆらゆら浮かんでいる。こちらに意識を向けるわけでもなく、ただ浮かんでいるだけの存在は異様ながらも生物とは思えないほどの静けさを湛えていた。

 

 ユナたちが降り立った中心の星は荒れた山肌とも言うべき光景が広がっており、高い木々はほとんど見当たらない。恐らくは高山植物だろう草花……を模した結晶の花が咲いている程度だ。

 

 荒れた地は当然舗装などされておらず、まさに山道とも言うべき道なき道が続いていたが、しばらく歩いていると開かれた大きな道らしい道に到達する。石材を加工して作られた石畳が足元に並び、先のほうまで続いている。 

 

『これは貴方が……?』

 

「? ううん。来たらあったよ?」

 

 石畳の様子はここ最近敷かれたとは思えないほどに朽ちている。もちろんエーテルの停滞によって正確な経過時間はわからないが、少女の様子からおそらくは地上にあった姿がまるまる雲海に取り込まれたのだろう。

 

 だが、それにしては不思議な光景だとクラコは考える。

 

 石畳の先には経過した年月を感じさせる石の鳥居。それをくぐれば古い祠のようなものが目に入る。小さな祠は家の形をした可愛らしい姿をしているものの、中に祀られるべきものの姿はなく、ただ形としてそこにあるだけ。

 

『なるほどね……だから此処が始まりの場所、なのね……』

 

 クラコは不思議に思っていた。なぜ灰色ホテルのような姿をした雲海廃墟が誕生したのか。

 

 基本的に停滞雲に呑まれた廃墟はバラバラにされて雲の中にため込まれるが、規模の大きな降害になれば分解されることなく丸ごと呑まれる。つまりは雲海下層の逆灯台のようにだ。

 

 小さな降害はバラバラのまま雲中を漂い、大きな降害はその姿のまま雲中を彷徨う、そうしてエーテルの薄弱と共に瓦礫を排出する。それが人類が認知している降害についてのすべてだ。

 

 けれど灰色ホテルは呑まれた廃墟が星のようにひとつの塊に形成され、中心の星を周回している。バラバラでもなく、形を保ったままでもなく。

 

 エーテルには不明な点が多くこれらもエーテルの仕業だと言ってしまえばそれまでだが、その"仕業"についてクラコはある程度の予測を立てていた。

 

 呑まれた瓦礫は基本的に逆灯台のようにそのまま雲の中を漂うが、瓦礫が高濃度のエーテルに曝されるとエーテル化が起こり、瓦礫そのものがエーテル化物質としてエーテルの特性を持つ。

 

 瓦礫の芯までエーテル化されると人工物としての形よりもエーテルとしての特性が優先される。そうして停滞結晶と同じ誘引の特性を強く得た瓦礫は互いに誘引し合い、次第に一つの塊となっていく。雲に呑まれた時期が古い瓦礫ほど塊の中心を構成し、新しい瓦礫ほど外側にまとわりつく。しばらくすると塊となった瓦礫はエーテルの濃度変化によって外側から徐々に剥がれ落ち、剥がれ落ちた瓦礫が寄り集まり小さな塊を形成する。

 

 その流れを繰り返した結果、一つの塊だったものは中心の星と複数の衛星とに分かれ、灰色ホテルのような空間が出来上がったのではないか。

 

「まるで本物の星みたいなんだね」

 

『予想だけどね』

 

「なるほどー……、でも……」

 

 灰色ホテルの衛星は外周ほど近代的な建築物が多く、中心に近づくほど源泉やマグマといった自然物が現れる。全ての瓦礫が一気に吞み込まれて、一気にエーテル化したのならば、このような文明のグラデーションが起こるわけもない。それをユナは疑問に思っていた。

 

 それにもしもそのような都合の良い法則が働いているのならば、源泉やマグマよりも古いこの祠は一体何なのだろうか。

 

『ユナの疑問も最もだわ。けれど、きっと雲海はそこまで複雑でもないのよ』

 

「?」

 

 灰色ホテルが留保している瓦礫の総量的に温泉街が一度で呑まれたとは考えにくい。おそらくは何度かに分けて同じ土地で降害が起こり、呑まれたと考えられる。一度目で地上の人工物が呑まれ、二度目で大地そのものが、三度目でえぐれた大地の下にある源泉やマグマが、といった具合に。

 

 なんとも単純な話だ。段階的に呑まれたが故に段階的にエーテル化が進み、段階的に球体として形成されていっただけ。

 

 だがそうなればユナの疑問はまだ解消されない。マグマの次に祠が呑まれたという事実が真実となってしまう。まさかマグマの下に祠が作られていたというわけでもあるまい。

 

「うーん……わかんない」

 

『ふふ、正解はね、山よ。活火山。きっと山そのものが雲海に呑まれたのよ。山中にあるマグマや溶岩が先に雲海に呑まれて、後々山の麓にあった温泉街が呑まれた、となればおかしく無いでしょう?』

 

「あ、なるほど……。でも、それじゃあこの祠は……」

 

『活火山の山頂に建てられたものでしょうね』

 

 山というものはその雄大さから昔より信仰の対象と見られていた過去がある。一度噴火すれば降り注ぐ灰が太陽を遮り作物を損なわせ、まるで神の怒りのように見えていただろう。故に山神を鎮める為に山頂に神社の分社や奥宮などが存在していることもある。

 

 ユナとクラコが話しをしていると不意に少女の声が遠くから聞こえて来た。何やら楽し気な声に誘われるようにユナは少女の元へ歩いていく。

 

「ねーねーこの小さな家、かわいいでしょー?」

 

「かわいい……? う、うんそうだね……」

 

『空気読んだわねユナ』

 

 ユナとクラコが話し込んでいる間に少女は鳥居をくぐり祠の前で屈み込んで汚れた屋根を撫でていた。生き物に触れるような優しい手つき。多くの記憶を失っている少女にとって地上の生き物に触れた経験はおろか、目にした事さえ無い。だから少女の優しい手つきはユナの手つきなのだ。

 

 初めて少女と出会ったユナが彼女の頭を優しく撫でた、その経験だけが少女が他者との触れ合いの参考にできる経験。

 

 少女が失った記憶は徐々に戻り始めている。いつかは地上で暮らしていた過去を思い出すかもしれない。だが、ユナとクラコにはそれがいつになるのは検討もつかない。

 

 数週間後か、数年後か、はたまたユナたちが生きているうちに叶うかどうか。

 

 ユナは少女の隣で同じように屈み、視線を合わせる。ユナが微笑むと少女も釣られるようににへらと笑った。 

 

「ねえ……大切な人というのは、思い出せた?」

 

「んー……ちょっとだけ」

 

 恥ずかしそうに少女はユナと視線を外し、祠の様子を眺める。

 

「あのね、私、その大切な人といつも一緒にいたの。いっぱいお話して、いっぱい遊んで、一緒にご飯も食べて……でも、名前が思い出せないの」

 

 ほとんどすべての記憶を失ってしまった少女にとって"大切な人"との思い出は唯一彼女が縋り付ける寄辺である。顔も名前も思い出せない大切な人、けれど何もない少女にとってはそれ以外に求めるべき相手を知らない。

 

「私ね、その人と一緒に何処かに行ったと、思うの。……とってもきれいな場所で、ここみたいに静かて広くて……でも、どこだったのか思い出せない……」

 

 バラバラに存在する記憶の断片は連続性が無いゆえにそれぞれが何時の記憶なのか判別できない。もしかすると彼女が口にした記憶も、いくつかの断片がつなぎ合わさった存在しないはずの記憶なのかもしれない。

 

 少女は自身が唯一の拠り所としている記憶さえも不確かな事に不安を抱えていた。それを察してかユナは少女の頭を抱き寄せ、あやすように優しく声をかけてやる。

 

「……大丈夫だよ、絶対に思い出せるから」

 

「えへ……ユナお姉ちゃんあったかいね」

 

「……」

 

 健気に笑う少女の姿とかつての自分の姿がダブって見える。ユナは少女を強く抱きしめ、冷たい少女の体を温めてやるように暫くそうしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最悪だ、とイスカはシトの部屋を飛び出し愚痴た。無意識に握りしめていた銃を服の下に隠し、自室で携帯端末を引っ掴み廊下を駆ける。それさえも億劫になり、すれ違う人を避けながら翼を発現させて通路を飛んだ。

 

 都市管理部の人間や同僚のカザヨミが悲鳴を上げるがそんな事を気にしていられるほどユナには余裕はなかった。いつ死んでもおかしくない、そんな状態の姉が雲海へと向かっていったのだから。携帯端末を操作しながら通路の壁を蹴って無理やり方向転換と加速を繰り返し、先を急ぐ。

 

 都市管理部が管理している装備の保管室へとたどり着いたイスカは床に着地する暇も惜しいとホバリングしながら扉の暗証番号を入力する。だが……、

 

「開かない……! アイツっ」

 

 何度打ち直しても扉が開くことはなかった。シトがロックしたのだろう。

 

 シトはアトリとイスカを娘として見ていなかった。けれど親子の関係を長年続けていたシトはイスカの考えることなどお見通しだった。

 

 イスカは雲海調査をきっかけに変わった。かつての従順な手駒から、自身で飛ぶ理由を探す使いにくいコマに変わってしまった。

 

 その理由までは興味のなかったシトはただイスカが"使えなくなった"としか認識しなかった。

 

 元々使えないアトリ、使えなくなったイスカ。その両方がこれまでと打って変わって交流を持っている。そこでシトはひらめいた。

 

 元々使えないコマを、使えなくなったコマを利用して使えるコマにしよう、と。

 

 アトリが死を恐怖せずに雲海に向かう理由をシトは知ろうとしない。けれどその理由にイスカが関係しているらしいというのは理解した。ならばあとは簡単だ。

 

 "イスカを助けたければ……"、"イスカを代わりに雲海へ行かせたくなければ……"そんな言葉を使えばアトリは思うままに動いた。シトは姉妹の関係を利用したのだ。

  

「! ……もしもし!」

 

 イスカが扉を蹴り破ってやろうか逡巡している時、携帯端末が鳴った。素早く端末を操作し、イスカは保管庫を諦め外への出口へと飛ぶ。

 

『イスカ君? どうし──何かあったのかい?』

 

 端末から聞こえてきたのは若い男性の声だった。優しそうな声音はイスカの焦った声を聞いても変わらなかった。それが今のイスカにはたまらなく嬉しかった。こんな状況でも、彼は私たちの味方でいようとしてくれている事実に。

 

「先生っ! お願いがあるのっ! カザヨミ管理部の道具(ツール)、予備はある!?」

 

「……イスカ君」

 

「お願い先生! 今すぐ必要なの!」

 

「……なら、十分だけ待ちなさい」

 

「なんでっ!?」

 

 都市管理部とカザヨミ管理部の施設は同じ都市内にある。カザヨミが全力を出せば一分とかからない距離だ。今すぐに国城が指示を出して用意をしてくれていれば訓練施設へと到着してすぐに装備を受け取り、そのまま雲海へと飛び立てるだろう。

 

 だが、国城は待てと言う。イスカはその言葉を理解できない。自身の行動を邪魔する目障りな言葉としか受け取れなかった。

 

『イスカ君、君は今何処を飛んでいる?』

 

「え──」

 

 国城の言葉にイスカはすとん、と何かが落ちるような感覚に言葉を失う。何処を飛んでいるか、それは当然……。そこまで考えてイスカは翼の痛みに気が付いた。

 

『羽の擦れる音が電話越しに聞こえるよ。狭い場所を無理やり翼を折りたたんで飛んでいるせいでうまく飛べていないんだろう? 廊下か、長い通路を飛んでいるようだけど、さっきから翼をぶつけているようだね? そんな飛び方をしていてはこちらに来る前にバテてしまう。下級のカザヨミがやるようなミスをして、それに気づかない精神状態だと分かっているのかな?』

 

「う……」

 

『少し冷静になったのならゆっくりこっちに来るといい。君がどこの所属だろうと私の守るべきカザヨミに違いはないからね』

 

「……ごめんなさい」

 

『ふふ、君から謝罪が聞けるなんて。成長したね』

 

「うるさい。……道具(ツール)、お願いします」

 

『わかったよ。安全飛行を心がけるんだよ』

 

「分かってる、もう下級じゃないから」

 

 

 イスカは携帯端末を収め、建物から飛び出し都市の上空を飛ぶ。優しい空気の流れがイスカをそっと手助けするように、ふわりと空へ彼女を持ち上げた。

 

 ゆっくりと息を吐く。上空の少し冷たい空気が不安や焦りでごちゃまぜになっていた頭をすっきりさせてくれる。取り込んだ空気がイスカを冷静にさせ、目に映る都市の光景を鮮明に映し出した。

 

「──、こんな、だったっけ……」

 

 眼下に広がる都市の光景にイスカは息を呑む。長大なビルが光を反射しキラキラと輝き、道を行き交う人々は賢明に明日を生きようとしている。都市上空より漏れ出た太陽光が湖を照らし、列をなして飛ぶ水鳥の影が落ちる。

 

 これまでイスカはシトの為に空を飛んでいた。空を飛ぶ彼女が見るのは仲間の姿でも、雲海の過酷な環境でもなく、常に母親の姿だった。

 

 けれど、イスカはようやく自身の守る都市の姿を真の意味で目にした。翼を広げ悠々と空を泳ぎ、天へと腕を伸ばしてみる。思っていたよりも遠い青空にイスカは思わず笑みを浮かべる。

 

「待っててね、お姉ちゃん」

 

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