僕のウチが意外にも平凡な戸建だと言う話はしたと思う。けれども、やはり特殊なところがあるのも事実なんだ。というのも、我が家には地下室があるのだ。先先代からのものらしく、当代も入念に手を加えた結果もはや地下室というより地下壕と呼ぶのが相応しいと思う。
一回にある二つのトイレのうち、小便器の方に付いている時間差で水が流れるセンサーのアレ。それが我が家では指紋の読み取り機になっている。トイレで指紋を認証させたら、まずは手を洗いそれから茶の間の掛け軸の裏にある分厚い金属の扉で網膜等複数項目の生体認証をクリアする。すると、扉が開いて地下に続く階段があるのだ。
幼少期の僕にとって遊び場はまさにその地下壕だった。初めは訳もわからずに母から教わった通りに扉が開くまでの手順を繰り返すのが面白くて遊んでいた。楽しさの余り最初の手順で手を洗い忘れると叱られたっけ…。
幼少期を過ぎると、今度は好奇心が生まれてきて何のために、誰がどうやって作ったのかが気になってきた。家族や親戚に手当たり次第に聞いたりして、それが一つの僕の遊びだった。僕の調べたところによると、僕の母方の曽祖父である赤松義経さんが冷戦期に造ったものらしかった。赤松曽お爺ちゃんは陸軍士官学校、陸軍大学校を恩賜組で優秀な成績で卒業して陸軍大将にまで昇り詰めた人だったらしい。核戦争の不安を奥さんのユキエ曽おばあちゃんに打ち明けたところ、ユキエおばあちゃんが出資して完成させることができたのだという。因みに今の古御所財閥の原型はユキエおばあちゃんが創始したものだ。そのせいか当主は男系が生まれない限り長女が就任するらしかった。何の偶然か我が家は僕が生まれるまで男が生まれず、貰い婿ばかりだったらしい。
それからは代々の古御所家当主の趣味のようなものになり、僕の記憶が正しければ2022年現在の当主つまりは僕の母の古御所ハルの元で世紀末でも生き残れる最強の戸建に生まれ変わった筈だ。しかし…
「爺や、本当にカヨおばあちゃんが今の当主なの?」
僕の疑問に爺やは確信を持って答えた。
「はい、間違いありません。あと数年はまだまだ現役で続けられると昨年のお盆にも仰られておりました。」
「そっかぁ…。」
入院してからの三日間で僕は自分が今どのような状況下にあるのか整理することができた。
端的にいえば、僕は電車に轢かれたかと思えば12年前の自分の中にいた。12年前の自分という言い方はまるで自分がふたりいるみたいだけれども、兎に角僕の今の状況はまるっきり12年前の世の中らしいのだ。
自分がなぜ入院しているのかに関して何度も問い合わせたが、僕が電車に轢かれたなどという情報は一切なく。文字通り石に蹴躓いた僕が頭を強く打って意識を失ったのだと言う。この事に爺やは過保護にも古御所財閥系列の病院から救急車を呼んで対処したのだそうだ。ありがたいが気恥ずかしくも感じる。
そんなわけで、僕の今の年齢は19歳。少し家から離れた大学に行こうとしたら両親から大反対されて母の仕事の手伝いをしている…と言えば聞こえはいいが僕自身は高卒の無職だと自分のことを思ってる…。12年後とて、母の手伝いをしているところは量の多寡を除けば変わっていないのだから自分自身に辟易する。
とはいえ、全ては12年前の自分の夢…胡蝶の夢だと断ずるのは少し早計だと僕は言わざるを得なかった。というのも、気絶した僕が握りしめていたのは間違いなく電車に轢かれかけた時に手を伸ばして掴み取ったナニカの切れ端であり、それは正しく12年後の新聞記事だったのだから。
記事に書かれていた内容はトラック事故…或いはトラックを用いた殺人事件のことだった。
主犯は例の東京卍會であり、被害者は橘日向と橘直人という姉弟だったらしい。
だが、僕に差し迫って問題となるのは記事の末尾に書かれていた事だった。
「犯行に用いられたとみられているのは、先月末に東京卍會により強奪された古御所運輸所有の中型トラックであり…車種は東山自動車が企業向けに販売しているもの……。」
古御所運輸は日本随一の社員数を誇る運送業界で知らぬ者はいない大企業である。日夜幾億トンの貨物を日本のみならず世界中に届けている国際的商業の血管とも呼ぶべき企業体である。そして、12年前の古御所財閥の当主である古御所カヨの娘婿、つまりは僕の父である古御所裕一が取締役社長を務める会社だ。
そして、東山自動車は累計販売台数でつい先日世界一位を塗り替えた老舗自動車メーカーだ。社員数は全世界で数万人は下らないことで知られており、その資本の規模もまた世界の自動車業界にあって突出している。古御所財閥の自動車事業部門のトップとして位置付けられており、会長である東山文一の血筋は両親は正親町不動産の創始者である正親町アヤと中御門会二代目会長の正親町剛志(旧姓 中御門)である。若くして古御所財閥の自動車部門に参画してからは当時の自動車事業部門トップにして東山自動車を創始した東山フミの養子となりその事業を引き継いだ。東山フミは僕の大叔母にあたり、東山文一の生まれは正親町文一であり正親町家の長男だった僕の父の弟にあたる。つまり東山文一は歴とした僕の叔父さんなのだ。父親である正親町剛志が中御門の名前を捨て、自警団から発展した極道である中御門会を三代目に禅譲するまでの間は親子間が冷え切っていたらしいけれど今では僕の大切な家族の一人なのだ。
「殺人事件に利用された商品はその本来の価値に関係なく風評を被る事になりかねない…そうなれば、古御所財閥の被る被害は莫大な額に昇る…そして、その痛みを実際に味わうのは僕達じゃない。何万人もの事業者とそこで働く人々が理不尽な痛みを味わわされる事になる。」
この時、僕の中に生まれたのは怒りと決心だった。無能でしかないと思っていた自分でも、結果が分かりきった家族の危機を回避する事ならば出来るかもしれない。このことはまだ誰も気がつけない、誰も代わってくれないかもしれないのだ。自分よりももっと上手くやる人は沢山いる。けれども、これは僕にしかできない事なのかもしれない。12年前の父や母に訴えても、出来ることには限りがある。それに…僕はあの青年が心配だ。折角12年も前に来たのだから、僕は少しでも古御所の名前に恥ない人間に成らなければ。
そのためには先ず!!
「爺や!明日から僕は歩いて仕事に行くぞ!」
「ダメでございます。」
「早いよ!」
爺やはその老体のどこに隠されているのか興味が湧くほどの速さで答えた。僕は不服だった。
「どうして?だって、仕事といってもママのその日の訪問客をマニュアルに沿ってファイル化するだけじゃないか。何も危険なんてないだろう?」
母も父も僕にはまだ働いてほしくないらしい。なら大学に行けたら良かったのだけれど、それはそれで嫌だと言われてしまった。遠くの大学に行くくらいならば、と母は僕を自分のお膝元で事務として雇い入れたのだ。時給一万円のボロい仕事である。お茶だしと御見送りと訪問客のリストアップが主な仕事だった。
そして、初めての給料日に僕は人生初の紙幣を触った。ピカピカの新札だった。その日の帰りに僕は爺やを連れてコンビニでギャリギャリ君を買って食べた。暑い夏の日差しの中で清涼なソーダ味のアイスに勝る美食はなかった。素晴らしい日だったけれど、一点だけ不満があった。僕は「おつり」を触ることが許されなかったのだ。後で聞いた話によると母は「息子に家族以外が触れた金銭を絶対に触らせるな」と爺やと僕のボディーガードに厳命していたらしいのだ。僕は呆れたりしなかったが、なぜ触れてはならないのかが疑問だった。その謎は未だに解消されてはいない。
「坊っちゃまは危なっかしゅうございます。」
爺やの言い分はそれで全てらしい。
「僕のどこが危なっかしいのさ!」
「坊っちゃまは世間知らずでございます。加えて、余りにも眩しいのです。おまけに自覚がございません。致命的でございます。」
自覚がないと言われて仕舞えば僕は何も言えないではないか。僕の不満は爺やに届きそうもなかった。
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僕の入院から一週間。大事をとって長引いたが、なんとか退院してからすぐに両親に抱きつかれた。病院の真前に何処憚ることなく従来よりも極厚のロールスロイスとその前後を東山自動車が陸自に卸している装甲車が固めるように停車していた。運転手とは別の母の護衛兼側近が滑らかに観音開きのドアを開くと、僕は連行される宇宙人のように両脇を両親に固められながら乗り込んだ。
「トク!!無事だったか!!パパが来たぞ!!」
紺色の仕立ての良いスーツを着こなした今年で65歳のダンディな父、古御所裕一が泣きながら頬擦りしてくれた。トレードマークの硬い髭が痛いが、その時に香る淡いタバコの香りは嫌いではない。
「徳ちゃん!!怪我はなかった!!ママのこと覚えてる?大丈夫?」
純日本人的な長い黒髪には一本も白髪がなく、くすみひとつない血色の良い肌の母、古御所ハルが僕の頭を父から取り返すように抱いてくれた。到底六十代には見えない。四十代かも怪しい色気ばっちりの美人さんである。金も見た目も十分の父が決して浮気をしないのは矢張りこの歳になっても母を超える美女が現れないからなのだろう。
晩婚の父と母が励んでも励んでも中々生まれなかった僕である。その溺愛ぶりと来たら人の目のない車内であれど僕が真っ赤に照れるのも致し方ない程だった。
「パパ、ママ、ただいま。」
「「おかえり!」」
照れがちに言った言葉に無邪気に返されて子供の僕の方が照れてしまった。
片や古御所運輸の社長、片や古御所財閥の次期当主にして古御所国際トレードの社長である。おそらく、12年後の事件は古御所財閥の名前に傷をつけるのに十分な規模だろう。悲惨な人死の前に人は残酷なまでに思考を放棄して感情的にことを運ぼうとする。たとえそれらが自らの選択肢や本来有益な価値を貶める結果になったとしても。
僕は両親が本気で自分を心配してくれていることを実感して、改めて何か解決の糸口のために動く必要性を再確認したのだった。
ゆっくりと車が動き出した。父と母は忙しく責任感も強い立派な人だ。決して全てを投げ出してここに来てくれたわけではなく、何かを犠牲にしてここに迎えに来てくれたのだ。僕は申し訳ない気持ちと感謝の気持ちがあった。
第一の目標として、僕はあの日の青年を探すことに決めた。詭弁かもしれないが、同じ時に同じ被害を受けたのだから、もしかしたら僕と同様に12年前に意識が憑依しているのかもしれない。可能性は低いけれど、僕は無法者が起こす確定された未来に家族の身を易々と差し出せるほど薄情にはなれない。
ただ、今だけは父と母の腕に抱かれて静かに時を過ごすことにした。因みに、ママ呼びとパパ呼びはプライベートな場でしか使わないようにしている。いつかはお父さん、お母さんと自然と呼べるようにならなければ…。
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中学と高校時代の夢を見た。
僕は何処に出しても恥ずかしくないが、かと言って誇れる者でもない平凡な中高生時代を過ごした。特段に頭脳明晰というわけではなく、特段に心身頑強なわけでもなかった。しかし、僕には間違いなく同年代の中でも隔絶して莫大な金があり。と同時に反抗期であった。
僕は古御所の名に誓って人理に悖る行いはしなかった。断じて。絶対に。
しかし、出来心がなかったわけではない。僕は常にボッチだった。ゲームも特に好んでいたわけでもなし、得意だったわけでもなし。僕はとにかく話題性がなかったわけだ。満たされていたが、友達は一人としていなかった。
だが、僕に友達がいなかったのは僕のせいではないだろう。そもそも学校だろうがところ構わず両脇に父がコネクションを尽くして雇った元機動隊員の護衛が侍っていたのだ。今は何とか改善されたが、代わりに僕の安全のためのスポッターが半径1キロ以内に最低一人は常在している。これでは恋人は愚か友達もできるはずがないのである。
ゴリラと見間違う肉壁が両脇に常駐している僕に校内で声をかける人は中学高校の6年間を振り返っても皆無であった。
そう、無駄だったのだ。毎朝洗面所の鏡の前で繰り返した笑顔の練習も、或いはシリーズで購入し熟読した友達の作り方大全も…そう、無駄だったのだ。
だがお陰で僕の日々が常に平穏に保たれたことも事実であった。遠目に白眼視されることには慣れざるを得なかったし…最早引いていたが…何よりも僕は平穏が大好きだったから。両脇の彼らにも話しかければ最低限答えてくれるし、何より親身に勉強にも付き合ってくれた。地頭の時点で僕は護衛に負けていたので、ある意味では大学への飛躍を諦めたのも僕に意志薄弱の嫌いがあったためなのかもしれない。
しかし校内以外では不思議な出会いにも恵まれた。
僕の平穏な日常を崩す猛者が現れたのは高校3年の春であった。何と、何をとち狂ったのか僕に対してカツアゲを強行した青年がいたのである。
靴箱に入っていた封筒にトキメキを覚えたのも束の間、大きく「果たし状」と書かれたその封を切り中身を読めば、端的に言えば僕に対して果たし合いで勝利すれば金銭を獲得するという内容だった。逆に僕が勝利した場合は相手を奴隷のようにこき使うことができるらしかった。
奴隷のようにこき使うのは忍びない。そもそも奴隷などという身分は思考を捨て、尚且つ十分な栄養と待遇の管理を求める現代に比較すれば、親権の強い年代の僕に突きつけるにはやや傲慢な選択ではないだろうか。自分とは余分な一人分を養う食い扶持を僕は稼がねばならないわけである。僕に所有権が帰属する以上は僕が稼がねばならず両親にその咎を追わせることはできない。
僕は覚悟した。そして指示された校舎裏に二人の護衛を撒いてから向かった。
僕は感心しつつも彼に言った。
「有難いことに僕は裕福な家に生まれた。しかし、この金は私が稼いだものではない。私が預けられた以上は君に正当な理由なく譲渡することは出来ない。」
これに対して青年が言うには「俺にはアンタよりも差し迫って金が必要なんだ。」ということらしい。
僕は彼の言う差し迫った理由が何なのか知らなかったし、知る気もなかった。しかし、なるほど差し迫った理由は僕には今後も暫くは起こりそうにないように思ったのだ。
「いいぞ、」