ネタBOX   作:ヤン・デ・レェ

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書きたいものがあったけど言葉にできなくて挫折したやつ。


「グレートファーザー」BLACK LAGOON

 

 

 

表の世界においてゴッドファーザー、或いはグレートファーザーという言葉が持つ意味というのは大して大きくはない。

 

しかし、所謂ダークゾーン、裏の世界においてその名がもつ威力は甚だしいものがある。

 

その名を無闇矢鱈と例え仲間内の間であっても口にすべきではない。何故か?理由は簡単である。死ぬかもしれないからだ。いや、正確には敵に回すべきではない存在を敵に回す恐れがあるというべきだ。

 

グレートファーザーは裏の世界、そして各国の暴力機関とも強いパイプを持つ闇の皇帝にして裏世界の真の支配者である。その武威が世界に初めて示されたのは第二次大戦の末期、ドイツ領内からの単独師団脱出作戦を成功させたことから始まる。

 

 

1945年ドイツの首都ベルリンは雲霞のごときソヴィエト大戦車軍団を目前に風前の灯火であったが、唯一彼が率いていた師団だけは違った。彼の名前は既にこの時からコードネームでのみ記録されており、公文書によれば当時の彼はミュラーと名乗っていたらしい。

 

このミュラーは元々日本出身であった。第二次大戦以前に日本からドイツへ留学したが間も無く開戦の憂き目に遭い、彼は選択を迫られた。友邦の一市民として保護を願うか、祖国へ帰るか。彼はどちらも選ばずに国防軍への志願入隊を果たし、己がゆく道をのみ信じて前線に立ち続けた。下位の衛生兵として初まった軍歴は獅子奮迅の活躍により瞬く間に少将位まで上昇し、戦争末期を迎える頃にはソヴィエトの二重スパイも買って出たという。枢軸と連合の双方の情報部に顔がきいた彼の存在は早くも重要性を帯び、消えかけの蝋燭状態のドイツからアメリカ、イギリス、ソ連による引き抜き合戦が始まった。

 

引き抜き合戦がソヴィエトの勝利に終わるかと思われた間際、包囲下のベルリンから彼の師団はまんまと脱出してみせた。後年の彼の麾下師団に在籍していた兵士によれば「大胆かつ信じ難い」「神がかり的で再現性は望めない」行軍であったらしい。しかし、結果的に彼は最後の最後まで自身の持つ付加価値を上げ続けたままドイツを去り、アメリカで師団ごと投降した。

 

アメリカに亡命した彼と、彼に従った元国防軍の精兵達は約半数が彼に付き従い、残りはドイツに残りミュラーへの恩を返すために祖国の復興を急ぐことを選んだ。アメリカ亡命後、ミュラー達の待遇に最も驚いたのは受け入れたはずのアメリカ側だった。

 

まず第一の仰天は亡命者ミュラーを出迎えたのは殆どがユダヤ人だったことだ。憎き敵であるはずのドイツの軍人として戦ったミュラーが軍船から登場すると万雷の拍手が港に響いたのだ。アメリカの官僚は急いで状況の把握に努めたが、判明したことは驚くべき事実であった。ミュラーは自身の価値を上げることに余念がなかった。ドイツによるポーランド侵攻以前から私費を投じての偽造パスポート作成とその配布に尽力しており、戦後までに彼個人が発行した部数だけで最低でも20万部は降らないという統計が出されたのだ。さらには、戦前からの反ナチス的な運動も高く評価されており、特に戦中はアインザッツグルッペンやヴァッフェンSSの活発な妨害活動を行っており、時には友軍であるアインザッツグルッペンの小隊を秘密裏に抹殺することも多かった。しかし、一方で単純な軍事作戦においては麾下部隊の損耗率を最小に抑え、敵部隊の撃破率は最大を維持し続けた指揮能力の高さもあり、終戦まで粛清を免れた。彼が常在前線の猛者であったことは彼が中央による粛清を免れた最も大きな要因だとされる。

 

アメリカの仰天を他所に、ミュラーの名前が国際的なシオン議会によりゴールドブックへ永久登録されることが発表された。

 

ユダヤとの蜜月の始まりは、童子に冷戦下でのミュラーの暗躍の開始を意味した。恐るべきことにこの頃既にミュラーはイギリスのMI5やソヴィエトのGRU、アメリカのCIAからの二度目の引き抜き戦争に晒されており、彼はのらりくらりと彼らの勧誘を避けながら世界一周旅行を開始した。

 

中東への訪問に対して最も敏感に反応したのは他ならぬイスラエルであった。建国後まもなくミュラーの元にイスラエルの国籍が送付され、その実効性の確認も兼ねて彼は彼の国へと訪問した。入国の直前からイスラエルの陸海空軍による護衛がついた厳戒態勢のもと彼は政府の要人と軍部首脳との会談に望み、会談後は熱烈な歓迎を受けつつ一週間の滞在ののち新たなる国へ向かった。

 

世界一周の旅の結果、彼が手にしたものは主要先進国情報機関との強固なパイプであった。また、途中で酔ったバチカンでの出逢いにより彼は既婚者となるが世界を飛び回る彼との関係を了承するくらいに相手は彼に寛容な女性であった。

 

旅行の最中に中国の内戦に参加した彼は国民党軍の支援を行い、携わった全ての撤退作戦に成功している。国民党軍の撤退完了後は堂々と人民解放軍へ投降し、野戦軍法会議にかけられることもなく国賓として荒れ果てた中華の復興に携わった。2年間の復興顧問官としての役目を終え、彼はアメリカへと帰った。

 

彼は世界一周が終わり次第、自身の体験談を本にした。無題の自費出版本はベストセラーになることはならなかったが、代わりに噂を聞きつけた各国の政府情報機関のバイブルになった。彼が本を出版した3日後に朝鮮戦争が休戦し、彼自身はアメリカ合衆国からの要請に応えて冷戦の下準備に奔走した。彼は対ソヴィエトの一部署のトップとしてハンコを押しただけである、と言うものも存在するが、実際彼がハンコを押した計画は全て成功しており、反対に彼が判を押さなかった計画には不備がなくとも失敗した例が多かった。CIAの次期長官と周囲の期待が高まる中、ついに彼は自身の羅針盤に従い行動を起こした。

 

冷戦の激化を前に彼はアメリカから姿を消した。

 

間も無く、ベトナム戦争が始まった。そして、そこに彼の姿があった。

 

物量で押すアメリカ軍に対してゲリラ戦術を駆使する赤いナポレオンことヴォー・グエン・ザップ将軍により劣勢となった状況下、損失を最小限にするために現地エージェントとしてアメリカ軍の行動を援助した。

 

しかし、ベトナムの泥濘における過酷な戦闘が長く続くほどに兵士は異常性を抱える者が増えていった。結果的に彼は戦争の早期集結を目指したものの叶わず、結果的に最後まで戦い抜いた者の一人として不本意な勲章を授与されることとなった。

 

ベトナム戦争後、彼はソヴィエトとアメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、スイスなどを行き来する生活を送った。アメリカによるレッドパージの激化に伴い彼は政治の場を自ら退きソヴィエトへ亡命。亡命後は連邦軍の軍事戦略顧問官のポストで論文を執筆などに精を出した。この頃に彼を中心とした旧師団出身者により創設された財団が裏の舞台に勢力を拡大し始めた。

 

東西の均衡が崩れようとしていた頃、ソヴィエトからの要請により彼は単身南米へと向かった。彼に与えられた目的は革命の成功を支援して現地ゲリラに恩を売りつけ、武器供与による不良在庫の消費だった。

 

彼はお手本通りに、いやそれ以上に鮮やかに革命の支援をしたが、その支援の最中にCIAとの取引により二度目のアメリカ亡命を果たした。彼とCIAとの間に何の取引があったのかは定かではないが、彼の亡命を聞いてもソヴィエトの高官らは感心するばかりで、なにより彼が亡命するかなり以前に革命を成功させてしまっていることから裏切りではないと納得していた。

 

二度目の亡命で彼が得たものはCIA顧問官と国防総省次官のポストである。常時エージェント数名の護衛がつき、次官として対外安定策に邁進する彼の姿勢は反戦意識が盛り上がりを見せていた当時のアメリカにとって最適の看板であった。5年の任期で結ばれた職務を全うした彼は東南アジアへと渡った。

 

彼は御年七十歳を越えようとしていたが、外見は三十代にしか見えない化け物爺であった。恐らく10年後も変わらず若いままだろう。

 

彼の経歴は分厚い辞典に書けそうなくらいにヘヴィーだったが、彼の経験はそれ以上に濃厚だった。彼は遊ぶために誰も住んでいないような土地を選んで買い、そこに家を建てた。お隣さんもお向かいさんもいないそこを島の名前にちなんでロアナプラ一番地一号と名付けた。

 

老後を楽しみにした一人の男は自分が伝説のグレートファーザーなどと呼ばれていることを未だに知らない。

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