征暦1935年。
ビンランド合衆国首都中心街のとある高層ビル。
合衆国で最も巨大な威容を誇るそのビルは通称「ベッティンブルク・ホルン」と呼ばれていた。
時に、世界は欧州の覇権を巡る大戦争の再来を告げるように残酷な静寂が国際的な緊張状態として表面化していた。
ヨーロッパでは東の覇者である東ヨーロッパ帝国連合と西の大国である大西洋連邦機構が互いに牽制し合い、既にどちらがはち切れそうな風船に針を押し込むかの状態であった。この場合、国際的に穏便な状況にまで持ち込むことはたとい唯一中立国であり先の欧州大戦の第一の雄たるガリア公国をもってしても甚だ不可能な状況であった。
そんな状況下にあって、である。
欧州とは海を隔てた新興大国であり、民主主義を掲げる大国ビンランド合衆国では戦争前夜の静けさを噛み締めるような神妙な空気も漂っておらず、はたまた戦争の熱気に湧くような狂騒も感じられなかった。そこにあるのはいつもと変わらない穏やかな日常であった。
そして、前述した「ベッティンブルク・ホルン」と呼ばれた世界最大の摩天楼、その最頂上のロイヤルスイートルームにおいて、唯一この一室においてだけは欧州に立ち込めるのと同じ緊迫感が漂っていた。
なぜか?
それは、この世界の未来を決定づけるような重大な決定が、今、まさに"朝飯前"に決められようとしているのである。
「へっ?」
今、なんと言われたか全く理解できなかった。日頃ならこんな朝っぱらから、よりにもよって朝食どきに報告を受けるなんてことはなかったはずだ。
いや、無かったというよりかは俺の周囲が許さなかったと言った方がいいか…まぁそれはともかく、だ。
「…それでぇ…もう一度話してくれるかな?」
「ハッ…改めまして謹んでご説明させていただきます。」
「あっ、はい。」
おずおずと話しかける俺とは対照的に彼女は今日も大層元気である。というか、毎度のこととはいえ慇懃すぎる気がするけど…治らないんだろうな…。とはいえ、彼女の説明(二度目)が始まった。
「まず初めに、先日から合衆国政府に要求しておりました航空機製造ライン及び上陸用舟艇他の多目的車両群製造ラインの建設予定地に関する認可がおりました。今後はサンディエゴにある海軍基地をはじめとした輸出入において利点の高い港湾部に大規模工場都市を建設する計画と成っております。計画責任者の任命は僭越ながら私が代行させていただきました。総統閣下の御手を煩わせることまかりならぬと判断した末の壟断です。何卒ご容赦を。」
「気にしないで、いつもありがとうね。」
案の定いつものヤツみたいな小難しい内容だった。俺は正直軍事産業に乗り気じゃ無かったんだがな…。まぁ、いっか!それよりも、だ…。
「それで、それだけでわざわざ朝から来るなんてことはないんだろ?」
「はい…前置きはここまでと致します。ここからが本題となります。」
本題…変な予感しかしないが…このまできてやっぱいいやは無しだろう。
「それで?」
意を決した俺は彼女に先を促した。
「…今朝方報告が入りました。情報の元は合衆国政府、正確には外務省で欧州方面に深いコネクションを持つ外務次官からの情報です。」
「……」
何も言わずに先を促す。
「内容をまとめますと、"合衆国は帝国と連邦による欧州の大戦が開戦し次第に連邦機構を離脱する、その際には安全保障理事会最高顧問として総統を招聘したい"です。」
しん、と辺りは静寂に満ちた。
「……ムグ」
気を紛らわせるためにも、先ほどまで手をつけていなかった朝食を口に押し込む。少し冷えていた。朝から濃い味付けの牛肉のソテーだった。付け合わせは俺の好きなジャガイモを蒸して塩胡椒をかけただけのシンプルなモノだけだ。…このままでは痛風になるかもしれんな…。
かちゃかちゃと俺が一人静寂の中でナイフとフォークを動かしている音だけが嫌に響いた。いつもなら良し悪しも分からないモーニングのコーヒーの香りを楽しむふりをしてシェフを喜ばすくらいの余裕はあるのに、今は出来そうもない。
歴史は変わる。それだけだ。ただ、俺の前で起きてくれるな、とそう思う。面倒臭いことこの上ないではないか。このまま朝食を食べ終わったら解散!ってならないかな?ならないよな…。
だが…現実から目を離すことはできないのだろうな。
「まだ、あるんだろう?」
彼女は静かにコクリと頷いた。
「ここからは正式に合衆国政府より送られた書簡を朗読させていただきます…"合衆国政府より蒼き皇帝へ、合衆国憲法国家安全保障における特例条項より臨時安全保障費2億6000万ドルの借款を貴君へと全額無利子無担保で貸与する、これらを以て今時の欧州大戦の重要局面における執行エージェントの大規模派遣を要請する。また、本案件は極秘であるために書簡の抹消を求める。紅き鷹の勇躍を必ずや阻止すべし。"…以上です。」
「……わかった。」
「閣下…派遣に同意、と返答いたしますか?」
「あぁ。この時が来たということだな…。案外早かった。」
「それでは…あとは総てお任せください。抜かりなく実行いたします。」
「あとは頼んだ…世界は変わるぞ。俺たちが変えるんだ。」
合衆国から伝えられた内容は衝撃的な内容だった。もはやビンランドは王制に縛られることもない。真の意味で新しい秩序を構築する時が来たというわけだな。主に俺のせいで…。
帝国と連邦、二つの影に踏み潰されることなくガリア公国が生き残れるのか、それもまた一つの転機だと思う。だが、近いうちに合衆国からの彼の地へと旅立つだろう我らが剛力は、文字通り既存の秩序を崩壊させるだろう。彼らが何者であるか、彼らがどこに属するものなのか。それを知った時、初めて彼らは瞠目するだろう。
我々は国家を超える。そのために俺は20年も前に2000年振りの戦争に身を投じたのだから。