ネタBOX   作:ヤン・デ・レェ

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「綬(ヒモ)」幼女戦記

 

 

 

 

 

 

戦争などという者は、頭のおかしい奴が始めるもんだ。

 

開戦時以来戦場に入り浸るこの男、ヘッケン・ウルフは少なくともそう実感していた。

 

とは言え、彼の仕事が戦場記者であることを考えれば…お陰様でおまんまの食いっぱぐれだけはないわけだ。

 

「おいウルフ!!休憩は終わりだ、死にたくなければ私から何があっても離れるな!!」

 

小柄な上官からの命令は絶対である。ウルフはこの苛烈な少女のことを、彼女の上官方よりかはよく知っているつもりである。そうして、冗談を好まないことも。

 

「承知した!今行くよ、上官殿。」

 

ウルフの素直な返事にもかかわらず上官殿は不満げである。名前呼びは公私混同を避けるためにここでは使わない。交差する様にして、商売道具の入った二つの肩下げ鞄を身につけて重たい鉄兜を被り直してから、今日も彼は幼馴染の背中を追った。

 

 

 

 

 

ヘッケン・ウルフ・アドラーマインツは頗る裕福な家に生まれた。帝国(Reich)で指折りの大領主貴族家出身の父と合州国(Union)随一の大財閥の創始者一族出身の母との間に生まれたウルフは快活とは言えないが、何不自由なく健康かつ温厚で愛される人柄に育った。

 

いつでも帰れる実家があるとはいえ、自立している両親の職業は何方も極太の国際商人であった。両親の仕事の都合で彼方此方と旅をしながら育ったウルフは人生経験に加えて、その容姿にも恵まれていた。

 

美男美女から生まれた、両親を超えた至高の美男の存在は社交界でも指折りのゴシップになるほどだった。

 

揺籠の中で眠るウルフの顔を見ることが両親の寝る前の日課であった。

 

「ウルフちゃん、君は僕の宝物だ。どんなに高価な商品も君のきゃわいいお顔の前ではゴミ同然さ!ウルフちゃんのお嫁さんは皇女か何かじゃないと釣り合わないよね!うーん…これは大変だなぁ…社交界へのデビューは遅れさせた方がいいかも…叶わない夢で狂い死ぬ淑女を量産することは合理的じゃないからね!」

 

揺籠に齧り付いて、必死に押し殺した声で語り合う両親の姿はウルフには見せられない。オタク染みた笑いを上げる二人は自画自賛にしては過剰なほど、とにかく愛息子のウルフを褒めちぎりまくるのである。

 

「その通りねポルトス!でも、ちょっと間違っていてよ???ねぇ?ウルフちゃん!ウルフちゃんはママと結婚するんですものね?うふふふ、ママねぇ、とっても嬉しいかったのよぉ…おふふ、これだけはポルトスに勝ったわね!」

 

夫の方のポルトスの目がガンギマリであることに違和感を抱か無くなった、こちらもガンギマリの妻の方のマリアも相当に強烈であった。まだパパともママとも喋ることができていないウルフに対して、既に超絶美男子となるであろう十年後の息子の真影に片恋慕の大海原に漕ぎ出している。

 

「……ぐぎぎ、悔しいけれど、これほどマリアを羨ましいと思ったこともないよ…あぁ、僕たちのウルフ…可愛いなぁ、大きくなった君も見たいけれど…あぁ、今のままの君もきゃわいい…ウグッ!?し、心臓が!」

 

トリップする妻に対して本気で羨ましげな表情を浮かべるポルトスは突然胸を抑え出す。毎晩恒例の発作である。毎晩交代で発作を起こすのだから、この夫婦は実に仲が良い。

 

「ポルトス!?貴方??まだ逝ってはいけないわ!ウルフちゃんに遺す遺産が足りないじゃないの!!ほらほら、気張りませんこと!」

 

冷や汗を吹き出すポルトスの頬を、ライヒ公爵家長男の頬を躊躇なく拳で殴りつけたマリアは正気である。口の中が切れたのか、赤い頬を摩り摩りポルトスは目を覚ました。

 

「ハッ!?そうだった!も、もっと長生きしなきゃ!」

 

説得材料が酷過ぎたが、しかしコレが夫婦の当然であった。

 

「そうですわ!その意気よ!それでこそ私の旦那だわ!」

 

ポルトスとマリアは気を取り直して、また仲良く横並びで揺籠を覗き込みはじめた。夜更けを待つばかりとなる頃には、目を覚ました愛息に「おはよう、ウルフたん!」と0時間睡眠でキマっている瞳のまま挨拶する夫婦の姿が観れるだろう。

 

なんて夫婦だ…。

 

ウルフの両親は自分達の子供を、目に入れても痛くないほどに溺愛した。文字通り、どんな悪戯を受けようとも笑って許してしまうほどに両親の甘やかしは留まるところを知らなかったが、肝心の当人がよく出来た子供だったために問題らしい問題もなかったのは幸いであった。

 

さて、そんな幸福なウルフ少年に転機が訪れたのは合州国一周旅行兼マリアの里帰りから帝国に帰ってきた時だった。両親の営む貿易会社の本社は帝国のベルンと合州国のフィラデルフィアの二つに置かれており、母の実家の方が商売には融通が効くために帝国に住むことはあまりないのだが、この時は父ポルトスが政府との仕事で帝国の本社に用事があったのだ。

 

かくして、親子三人は仲良くポルトスの実家…地平線まで見渡せる広大な屋敷…に向かっていた。

 

何ら問題のない道程だったが、運悪く乗っていた馬車が脱輪してしまい、立ち往生を余儀なくされた。ポルトスもマリアも愛息以外に関して言えば、大変によく出来た人間であり、御者を叱りつけるでもなく静かに待っていた。

 

迎えの馬車が到着しようかという時、遂に事件は起きたのである。

 

黒いふさふさとした毛帽子を被り、赤い衛兵服を身に纏った謎の人影がマリア達の手からウルフ少年を奪い取ったのである。

 

唖然とする間も無く、恐ろしい反射神経でポルトスは謎の男の横腹に鉄拳を見舞い、マリアは腕からウルフが奪われた瞬間に狂った牛の如き、女性がしてはいけない様な本気の頭突きを食らわせた。確実に顎を砕いた感覚があったが、目の血走ったマリア曰く「おもちゃの人形みたいな感触だった」らしい。

 

よろめいて己が破壊されたことに心底驚愕しつつも、脱兎の如く逃げ去った謎の人影を、夫婦は3時間近く追い回した。礼装のスーツとひらひらのドレスを見に纏った夫婦が猟犬よりも猛々しく、帝都ベルンを駆け回る姿は控えめに言って異常であった。

 

日が沈むころに遂に見失ってしまい、こうしてウルフ少年は五歳にして親元から拐われてしまったのである。

 

 

 

拐われた少年は気絶させられて見知らぬ部屋…貧民街にほど近くの廃墟…の中に置き去りにされてしまった。

 

目を覚ましてからのウルフの人生は困難に満ちていたが、持ち前の人の良さと顔の良さだけを頼りに、何とか孤児院へと辿り着いた。

 

不思議なことに、両親が発狂しながら探し回る中でもウルフ少年の身柄が親元に帰されることはなく、一種の因果の悪戯を感じてしまう。

 

さて、孤児院へと辿り着いたウルフ少年はよく働いた。手にはまだペンだこも出来ていなかったウルフ少年は、生きるためにと色々な手伝いに励んだ。

 

温室で育まれて生涯を終えるはずだった幸福な少年は、隙間風の寒い孤児院にて実に十年間を過ごした。十年の歳月の中、ウルフはただ只管に善良に生き抜いた。年を経るごとに美しさに磨きがかかる彼の容姿は、寂れた孤児院の中に聖芳な風を呼び込む様に感じられた。

 

ウルフは十年が経つ頃には孤児院で最も人望に厚く、人を愛し、愛されるべき存在として、一種の聖域として見做される様になっていた。

 

ウルフの美貌が話題になり、次第に外からの奉仕という名の寄付も増えた。時にはウルフに、その肉体を差し出す様に言う下劣な貴人も現れたが、従容として受け入れたウルフと一晩を共にしてからは、人が変わった様に孤児院へと無償の寄付を贈るようになった。

 

評判と噂は、更なる評判と噂を生んだ。しかし、それでもウルフの元に両親がたどり着くことはなかった。

 

そして15歳の誕生日…誕生日と言っても孤児院に拾われた日のことなのだが…の夜に、彼に当てて見知らぬ人物から贈り物が届けられた。

 

果たして、届いたのは籠に入れられた人間の赤ん坊だった。タチの悪い悪戯に院長や職員は我ことのように腹を立てたが、ウルフは痩せて今にも死にそうな赤ん坊を育てることを院長達に伝えた。彼らはウルフの決めたことを尊重した。ウルフはこの赤ん坊にターニャと名付けた。

 

こうしてターニャ・フォン・デグレチャフとヘッケン・ウルフ・アドラーマインツの物語が幕を開けた。

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