僕の朝は遅い。というのも僕の一週間のスケジュールは水曜日と土曜日の講堂解放日以外は基本的に何も入ってないからだ。
この前夏油君と過ごした時のようなことはごくごく稀で、僕の気まぐれに過ぎない。とはいえ、周りからの見栄えは余り宜しいものとも言えないし、かといって別段何か積極的に動くような人間でもないのだ。
だから一日の基本的な生活リズムは朝9時起床、10時に朝食兼昼食、7時まで暇で7時半に夕飯、あとは寝るだけと言うことになる。
働かなくて良いのか、と問われれば働かなくても良いと答える。ありがたいことに僕の講堂に寄り合う方々は富裕層が多い様なのだ。高そうな着物を着ている人や、明らかにヤのつくアグレッシブな職業に就いているような人もいて、一方で夏油君のような優等生のような子もいる。そして、みんながみんなかなりの額のお布施を毎度毎度律儀に納めてくれるのだ。衣食住の住に関しても、夏油君から貰ってから講堂として使っている雑居ビルをそのまま家として使っているから問題ない。
正直僕はまだ怖いと感じてる。どうしてこんなにすぐに人も金も集まってしまって居るのか。…あまりにも順風満帆なことに恐怖を禁じ得ないのだ。
お布施の大半は家の押し入れに仕舞い込むか贈与税が掛からないように慈善団体に寄付するとかで誤魔化しているのだが、それでも始めて一週間目にして教団資金は200万を超えている。そこまで広くない講堂に一度の講義で30人くらいが入るとして一人当たり最低でも三万円は包んでくれてることになる。最初の一週間は基本的に毎日開いてたからこれだけの利益が入ってきてるだけであって…とかは言い訳に過ぎないのかな…。
いつか全てが崩壊するんじゃないか…とか思うけど、凡人の僕にできることはちょっとした貯金でもしもの時の不安を紛らわすことと、あとは貰ったお布施のほとんどを寄付なり何なりに使ってしまうことで精神的な何かを何とか相殺しようと試みるくらいだ。
私事はこれくらいにして、今日は月曜日だから…月火と2日間は暇なわけで…何をすれば良いのやら。新たな悩みが浮上してしまった。
常識は覆るものだということを私は身をもって知った。
一週間前、悟に誘われて遊びに行くために目的地へ向かっている時のことだった。
とある公園がある方角に向かってあと数百メートルの地点に来た瞬間。ゾワリ!!!と全身の毛が逆立った。
「!?なっ…どこだっ!?」
よく見れば足元に呪霊のものと思われる黒のように濃い紫色の波動が境界線を引くように足元に通っていた。私の本能が拒んだのは、この境界線を踏み越えることらしい。
だが…この境界線は目を凝らせば線というより膜であり、私のいる地点から以北を巨大な半径数百メートルの膜が覆っているように見える。これは一体…呪霊にしたって、こんな特異な姿を見た事は無い。ましてやこれは何らかの結界の様な類ですらない…理解が追いつかない。とにかく未だかつて感じたことのない巨大な呪霊の気配を感じた。ただ本能に任せて周囲に意識を張り巡らせる。警戒心は頂点に達しており、臨戦体制をとりつつ急いで自分を待っているであろう悟に連絡をとる。
プルルルル…プルルルル…
「悟!!」
「…!?傑?どうした…らしくないぞ?何があったんだ?」
平常心を失った私の声にスピーカーの向こうの悟も異変を察知したようだ。
「……この気配は特級の中でも特にタチが悪い!!応援を頼む!!休日は返上だ!!この呪霊はッ危険だッ!!」
本能が叫ぶような恐怖に任せて悟へと事態の深刻さを訴える。悟からの「わかったすぐに向かう。」という返答を聞き終えてから私はこの気配の元凶がいるであろう方向へ歩を進めた。
私は必死の覚悟の上でその見えない境界線の向こうに踏み込んだ。
「何も…感じない、な。」
膜の中に入ってみると先ほど感じた恐ろしい呪霊の気配は感じない。最強を自負する悟と私だが、私にとってこれほどの焦燥は生まれて初めてだった。
改めて先ほど私が立っていた地点を振り返って見てみるが、膜らしきものすらそこには存在していなかった。
「何だったんだ?」
膜の中に入ると消える何か?侵入者を知らせるトラップ?
憶測はいくつか浮かぶものの、その後も全く妨害もなく進み続け公園に着くことができた。
そして、私はその公園で運命的な出会いを果たしたのだ。
「…貴方のお名前を教えていただけませんか?」
「え?」
私は公園で一人黙々と祈る男性に声をかけた。夕陽の光が何かへ祈りを捧げる彼のためだけに美しく赤い世界を演出している様だった。得体の知れない衝動に呑まれるように私は初対面の男性の名前を求めた。
「も、申し遅れました!私は夏油傑…げとうすぐると申します。この近くの宗教系の専門高校へ通っております。」
「はぁ…丁寧にどうも。あっ、僕は套塲 依穢、トウバ ヨリエと申します。」
無礼を働いた私に怒ることなく、彼は名前を口にした。ヨリエ…様。私よりも年上であろうこの男性はどうして公園にいるのか…あの膜について何か知らないか、とにかく聞きたいことがたくさんあったが私の口から最初に溢れ出したのは彼の名前だった。
「ヨリエ様ですか…素敵なお名前ですね。」
「そ、そうですか?有難うございます。」
キョトンとした彼の顔は無垢であった。その純真によって私はなんとか当初の目的である異変の調査について思い出した。
「すみません。ヨリエ様はこのような場所でなにをなさっていたんですか?」
「あ〜…まぁ何と言いますか…他人の幸福を祈っていたと言いますか…教義について考えていたと言いますか…」
「ヨリエ様は宗教に携わっていらっしゃるのですね…どのような宗派なのか教えていただけますか?」
口からは調査とは関係ないことが出てきてしまった。私の意思とは反対に、だ。しかし、いざヨリエ様に答えて頂けると嬉しいと感じているのは紛れもなく私だった。??どうして私は初対面のヨリエ様に様をつけているんだ?いやヨリエ様を尊ぶのは当然のことだ…たとえ初対面でもそれは変わらないはず…??この違和感はなんなんだ…。
「あぁ宗派ですか…それが、大変言いにくいのですが生まれたばかりでして…」
「と、言いますと…ヨリエ様御自身が創始なさったのですか?」
「えぇ…そうなりますね…」
ヨリエ様は今日みずから新たなる宗教を創始されたというのだ。私は…ヨリエ様の宗派創始の日にヨリエ様と出会った…これは…なんだろうか…運命なのだろうか…。
よく考えればそうだ…明らかに今日は色々とおかしかった。不自然なことが続いたじゃないか。いつもはあるはずの講習がなかったり、悟がいつもとは違う遊びに誘ってきたり、硝子は何故か熱を出したり…異常な呪霊の気配を感じたり………。
これは、予定されていたことなのかも知れない…。
「あの!!ヨリエ様!ヨリエ様の創始された教義を私にご教授下さいませんか!」
「えぇ!!いいんですか?もうそろそろ夜になりそうですけど…そこそこ長い話ですよ?」
「……よろしくお願いします!」
「はぁ…わかりました。では心してお話しさせて頂きます…。」
悟へ応援は要らないとメールを送っておく。さっきのは単なる間違いだった、と。それよりも私はやらなければいけないことができた、だから今日は遊びに行けない、と。
ピッという送信音を聞き届ける前に携帯を懐にしまい公園のベンチに座すヨリエ様に向かい合う。
「……では、お話ししましょう。」
天決会の教義は自己と他者との完全なる独立関係の肯定にあります。これ即ち、自身の肯定こそは他者の肯定と同義であるという事であります。
中略…私が私であることを証明する事は私以外存在しません。そのため、私は常に自己の自己同一性を証明するための唯一の証人で無ければなりません。これには自分が何者であるかについての確信が必要で有り、その確信には自己肯定感が必要不可欠です。
しかし、ほとんどの場合自身が何者であるかについての確信を持つ事は難しく、そのため自分は自分であることを肯定できません。肯定できなければ、私が他者から本質的に独立した存在であることを証明する唯一の証人であるはずの私が不在の状態が作り出されてしまいます。
結果、私は自ら自己の独立性を放棄しているのです。
中略……なぜ人は差別するのか。それは、違うからです。もっと厳密にいうと、私という個人と異なる点が存在するからです。
集団による差別は集団対集団になります。この場合差別する集団も差別される集団も本質的には違うだけで優劣は存在しません。しかし、実際問題として差別の材料とされるのは役に立たない、身近で、貧富に関係なく齎されるものです。
肌の色が最も典型的なのは、皮膚は基本的に白くても黒くてもそれ自体に価値がなく、また貧富に関係なく遺伝し、目立ち指摘しやすいものだからです。
手当たり次第に粗探しをする事は差別するための材料探しに他なりません。ここからわかることは、私たちはある一定の集団による集団に対する差別を差別と呼びますが、最小単位で見れば個人対個人であっても差別は当然の如く行われるということです。
しかし差別を否定することはできず、また差別を無くすこともできません。なぜなら差別しなかったら困る人の方が多いからです。加えて、差別を無くすことはできないので、差別を無くすという言葉は本質的に誤りであり、正確には差別を埋める、あるいは問題のない箇所で差別するように仕向けるというのが対処方法としては正しいものでしょう。
……中略……多数派による少数派への差別は周期的なものです。多数派は成熟した集団になると少数派への差別は間違ったものだと自己反省し、少数派への援助を開始します。援助された少数派は力を順調に伸ばし、結果的には多数派への弾圧を行います。少数派の成熟は多数派の衰退であり、定期的に行われる一連の流れにすぎず、何ら悲劇的なことではありません。
中略……そして、私たちが提唱する一種の救いとは最初に申しました自己と他者との完全なる独立関係の肯定であります。
これはすなわち、究極の傲慢への挑戦であります。
私は私である。私は貴方ではない。
自分とは何者であるかを確信することは自分という存在が如何に特別であるかを自分で認めるということです。
往々にして人は自分を特別視することを憚ってきました。しかしそれは誤りです。私は特別だということは紛れもない事実なのです。ただ、ここで最も重要なことは「自己」だけでなく「他者」の独立をも肯定することです。
これはつまり、自分が特別であることは断じて他者を恥ずかしめる事には繋がらないということです。そして同時に、私を特別であると肯定すること、自分を特別視することを肯定することは悪いことではないと示すことでもあります。
差別をおこなう人間とは、即ち他者ばかり特別視して自分がいかに特別であるかに目を向けられていない人間だということです。私たち人間は自分でしか自分という存在を肯定することができません。そのため、天決会はその根本的な不自由を解消するために本来ならば困難な自己と他者の完全なる独立関係の肯定を、第三者の立場から肯定するための組織なのです。
…………「以上で天決会第一回講義を終わります。」
パチパチパチパチパチパチ!!!!
街灯が私たちを照らす中でヨリエ様は説法を終えられた。
私はこれまで呪術師と非呪術師の間に生まれる溝について幾度となく考えてきた。そして今日ついに真理と出会ったのだ。
私は腕が痛くなるほど拍手し続けた。そして、照れ臭そうなヨリエ様に身を乗り出して訴えた。
「ヨリエ様!!どうか私を貴方の第一の信徒にして下さい!!私はヨリエ様を戴き、必ずこの世界をより良いものにして見せます!!!」
私の決意は私でも思っても見ないものだった。まだそんなことは考えたこともなかったことだった。だが、きっと私の深い所で煮詰められていたことでもあったと思う。希望の光もこうして存在するのだ…私が迷うことはない。
「いいのかい!あぁ僕からもお願いするよ。夏油傑君、君を天決会の第一の信徒と認めます!」
「〜〜ッッ!ヨリエ様が与えられる素晴らしい世界をより多くの人々に伝えましょう!!」
「お、おー!!がんばるぞー!」
「今日のところは失礼します!!必ずまた明日ここへ参りますので!!」
「うん!じゃあね〜!」
私は何度も公園を振り返りながら帰路へ着いたのだった。
あれから私は知り合いに声をかけることを皮切りに休日を中心にヨリエ様への奉仕を始めた。
まず最初に着手したことは信徒の規模を広げ、一人でも多くの人間にヨリエ様の福音をもたらすことだった。だが、これは私のあの手この手を弄することもなく、私の心を奪った時のようなヨリエ様の持つ抗い難い魅力に惹きつけられてすぐさま信徒の数は100を超えた。
信徒は皆悉くがその日のうちに真心を込めた布施を捧げるほどにヨリエ様に心酔していた。毎日のようにくるものもいるほどだった。私も最初の一週間は教団創始の一週間であるから学校の後の時間を使って毎日のようにヨリエ様の元へ通わせていただいた。
毎日、毎日、一日経るごとにヨリエ様の開く講義を聞こうと公園に集まる人々の数は膨れ上がっていった。だが、これは同時に信徒の質の低下をも招くものであると私は感じていた。その言葉が間違いではないという証拠に、明らかに敬虔ならざる者たちが混じり始めており、私の見立て通り奴らの目的は説法の終わりに信徒達がヨリエ様に捧げるお布施に包まれた金品だったのだ。その日の終わりに時期を見計らってヨリエ様を暴力で虐げようとした奴らを目にした時、私はらしくもなく激昂し奴らを、我を忘れて徹底的に罰していた。ヨリエ様が止めてくださらなければ命を奪っていたかも知れない。
結局このことから私はヨリエ様には些か窮屈であることは承知の上で、講義のためにより相応しい神聖な専用の教会を持っていただく事にしたのだ。
ヨリエ様は貧富問わずに市井の者達との交流を尊ぶ方であるが、それではあまりにお身体に障るのですと説得し、私がご用意させていただいた講堂での週2回のご講義に精を出されることとなった。
いつか必ず荘厳な講堂を寄進いたしますから、どうか今少しお待ちください。ヨリエ様が私ども信徒の布施を慈善事業などにお使いになっていることは存じておりますよ。ヨリエ様はまっこと欲がない!先日私一人のために講義を開いてくださった時も、頑なに私からの布施を受け取ろうとしませんでしたでしょう?たかだか三十万しかご用意できなかった私もまだまだ未熟ですが…。
…ヨリエ様はもしや、ご自身が非術師の身にお生まれになったことを引け目に感じておられるのですか?きっと貴方は私の浅はかな考えなど見透かしておられるのでしょう…。
確かに、先日のご講義に於いても論じさせていただきました通り私は非呪術師のことをあまり好ましくは思っていません。それは謂わば心の奥底に抱いている事でして、いつもは表層へ上がってくることがありません。
しかし、確かに存在します。それこそ、私というものはヨリエ様のお教えくださる通りの不実な人間なのです。しかし、貴方は私がそのような身であるからお導きくださるのですとも。私は私が不実であることを認め、目覚め、私という存在がヨリエ様のために尽くす第一の信徒としての特別な役割を持つということを確信したのです。
ですから、たとえヨリエ様が呪術師であろうと、そうでなかろうと私にはそれは関係ありません。
ヨリエ様が真理なのですから。
ヨリエ様…そろそろ私の親友を貴方にご紹介いたします。きっと見込みのあるやつだと洗礼を与えて下さるはずです。
「なぁ、悟。」
「ん〜?何?この前のことまだ気にしてんの?ていうか最近付き合い悪いけど何かあったの?」
「あぁそのことなんだけどさ…今度の土曜日少し付き合って欲しいんだ。」
「…いいけど。土曜ってこの前言ってた人のところだったりする?」
「うん。そうだよ…きっと悟も新しい発見があるはずだよ!」
「お、おう…」
「きっと気に入ってくれるよ…。」