ドドドドド……
地の底から噴き上げるような馬蹄の響きが腹を揺さぶる。
葦毛の巨馬を駆る男が先頭に立っていた。
男の背後には二万の騎兵からなる軍勢。
対するは盾を地に埋めて待ち構える十万の重装歩兵団。
一瞬の気の緩みで数百の命が吹き飛ぶような張り詰めた空気の中、遂に古代の一大決戦の火蓋が切られようとしていた。
先頭の男は敵の最前列の手前300メートルの地点でよく通る声で副官へと命じた。
「前列入れ替え始め。第二列軽騎兵を両翼へ展開。」
「オォォ!!!」
「ヌミディア重騎兵は俺に随伴せよ。」
「ハハァッ!!」
今今開戦という時の陣形転換命令。本来ならば全くの非常識。自ら愚将と名乗るような振る舞いであった。
しかし、男の下命に対してその副官たちは寸分の迷いもなく応じた。彼らの行動はその応の掛け声に恥じることのない迅速かつ正確なものであった。
「第一列入れ替え!!第二列軽騎は両翼へ展開せよ!!」
「第一、第二、第三騎兵団は左翼へ展開!!角錐陣形で突入する!!」
「第四、第五、第六騎兵団は右翼へ突貫する!!角錐陣形で馬脚を合わせろ!!」
敵歩兵団最前列との距離はすでに100メートルを切っている。
間も無く地獄の釜の蓋が開かれるのだ。
だが、男の配下に弱卒は無く、闘争心を燃やした一頭の猛獣の如く熾烈に、或いは脈打つ一個の心臓のように淡々と、その時を迎えようとしていた。
歩兵団の最前列。その肉の壁を構成する一人一人の表情がハッキリと見える。
手綱を握りしめた男は、得物のファルカタを天高く掲げると声を張り上げた。
「殲滅開始!!」
開戦直前に命じられた陣形転換の完了と同時に決戦の勝敗は決した。
何の予備動作もなくトップの一言で開戦直前に陣形を変えた男の騎兵軍団は中央に重騎兵、左右に軽騎兵の配置で開戦の直号令と同時に三叉矛の様に敵歩兵団への突撃を開始した。
大地を踏み荒らしながら一気に加速する軽騎兵。彼らの目標は第一に守りの薄い重歩兵の横腹を食い破ることである。この試みは開戦前から成功を約束されているようなモノであった。圧倒的な練度を誇る軽騎兵の機動力はまさに電光石火であった。正面からの打撃に対して強い耐久力を持つ重歩兵の装備は重く、咄嗟の方向転換は困難を極めた。
最初に戦端が開かれたのは案の定両翼横の重歩兵団だった。重厚な盾をものともせず、隊列の乱れを縫うように華麗に重歩兵の首を刈り取っていく。先頭の部隊は重歩兵の長方形の陣形内部に深く食い込むことはせずに縦に切り込みを入れる様に蛇行しながら呆気に取られている歩兵から順に殺傷していった。
最後尾の軽騎兵まで完全に敵の歩兵陣内部に突入した所で先頭の騎兵指揮官はそれまでの進行経路から一転、敵陣形外への全力突貫を開始した。
真横への一斉での突撃によって歩兵陣の中心部で組まれつつあった対騎兵陣形は無用の長ものと化し、混乱冷めやらぬ陣の端に位置取る歩兵たちはなす術なく蹂躙されていく。
歩兵陣からの脱出を果たした軽騎兵は第二段階へと目標を移すべく一度大きく迂回を始めた。次なる目標は対の翼との合流である。
軽騎兵の突撃が成功した時からわずかな時間ののち、中央の重騎兵が砲弾の如き勢いで敵最前列と衝突した。
運に見放された敵歩兵と最前列の重騎兵が文字通り空を舞う。圧倒的な重量同士のぶつかり合いを制したのはしかし男の率いる重騎兵であった。
吹き飛ばされた歩兵は頭から大地へ突き刺さるように投げ出され、首の骨を折るなりして次々と絶命していく。
それに対して男の率いる重騎兵の騎手達は跳ね飛ばされた先で受け身を取って着地すると、今度は騎兵としてではなく重装歩兵として剣を手に敵陣へと突入を敢行したのである。
無論、命を落とすものも少なからずいるが、それにも増してその余りにも屈強な兵士の姿は敵歩兵の戦意を削ぐのに最適なデモンストレーションとなっていた。
一瞬の拮抗は所詮は幻だったのか、中央の重騎兵の波状突撃の前に最前列から前三列の歩兵団は瞬く間に踏み潰されていった。敵の歩兵指揮官は前列の壊滅を目の当たりにして呆然としていたが、この時やっと戦意を取り戻すと陣形の整理と先頭に立っていた指揮官らしき男の殺害を命じた。
男の首に破格の賞金かけると約束した指揮官の命令で後方の予備部隊の投入が命じられたのも束の間、頼みの綱の後方からは軽騎兵により生じた混乱への対応に終われているという旨の悲鳴が届いていた。
已む無く現状の兵力のみでの応戦に踏み切った指揮官の決意を嘲笑う如く指揮官である男の姿はいつのまにか先頭から遥か後方へと移っていた。歯噛みした指揮官はなけなしの弓兵隊による攻撃を敢行するも、男の周囲に侍る精鋭の重装騎兵が構える重盾の前に矢は全て防がれてしまった。
数刻後、ちょうど軽騎兵団が歩兵陣からの脱出を果たした頃、一矢を報いることもできずに歩兵指揮官始め幕僚の多くを含む第一陣の重歩兵団は半壊した。
大きく迂回した先、第一、第二、第三の陣形を組んで待ち構える敵軍の最後方において、右翼の軽騎兵同様に撹乱ののちに脱出を果たしていた左翼の騎兵と先程の右翼の騎兵が合流しようとしていた。合流の阻止のために必死の抵抗をするも虚しく、左右翼の騎兵による挟撃の凄まじさに圧倒された後方の歩兵隊は徐々に敗退し、両翼の騎兵隊は合流果たした勢いをそのままに後方に騎兵による横陣を展開した。
前方からは勢いに乗る重騎兵が重石となって敵の陣形を押さえつけ、中央付近の隊列は未だに混乱が収まっておらず、その背後からは広めの横陣を敷いた軽騎兵が突撃を開始したのである。
頼みの重歩兵は重騎兵を食い止めんとほとんどが出払っており、背後から加速しながら迫り来る軽騎兵を食い止められる部隊はあったとしても隊列を整えられていない。
ドドドドドドドドドド……
横長の隊列は、ここに来て本来の数以上の迫力を敵に与える。限られた精鋭を除いて確実に逃亡兵が出始めていた。男の軍勢が逃亡兵を追うことはなく、あらかじめ統制を奪っておいたガラ空きの両翼は敵にとっても味方にとっても手のつけようか無い抜け道であった。逃げ道があれば頑強な抵抗をする必要はない。殲滅戦において敢えて逃げ道を用意することで敵の精鋭のみを確実に削るのである。
敵から死地を奪うことの重要性は真の意味での弱体化を望むことで求められる。それが今まさに起こっている。
前後からの圧力に耐えらない敵の陣形は少しずつ圧縮されていく。果実が潰れる様に敵の統率は着々と失われていった。
逃亡兵に目もくれず、男が率いる騎兵団は淡々と殲滅を遂行する。後方から攻め立てた軽騎兵と、正面からの進撃を続けた重騎兵がついに出会った時、殲滅が完了するのである。
古代最大規模の人類対人類の決戦。
二万対十万で始まった決戦の行方は大逆転による大勝利となった。
世界への覇を唱えんとする大国「前エルディア王国」を迎え撃ち、見事に完勝してみせた小国「前マーレ国」。
勝者の立役者の名前はバルカ。
復讐から解き放たれた一人の男が今、新たなる世界へと足を踏み入れた。