どんなに不可能に思える依頼でも一度受けたならば必ず達成し、尚且つ一ミクロンの痕跡すら残さない。
人間離れしたその技術から「世界で最も危険な暗殺者」と呼ばれる同時に、一切の凶器を利用しないその奇特なスタイルから「世界で最も安全な暗殺者」と呼ばれている男がいる。
男の本名は不詳である。ただ、通り名としてライトニングと呼ばれている。
「今回のターゲットは臓器売買と誘拐に関与していたことが分かっています。今は足を洗っているとのことですが、遺族には関係のない話です。他の下手人は牢屋の中です。そちらは順当に死刑が決まったそうです。えぇ、一人です。リクエストは、「飛び切り無惨に死んで欲しい」そうです。方法はお任せします。はい、前金で100万ドルを所定の口座に入金いたしました。では、宜しくお願いします。」
某国某所、衛星電話の先でまた一つ命の灯火が消された。
その日、某国空港に降り立った男の服装は奇抜なものだった。赤色のスーツに黄色のワイシャツ。襟元には青いネクタイ。信号機だと呼べば良いのか、凡そ人混みに忍んで暮らさねばならない日陰者の服装には見えない派手さ加減である。
空港から出ると曇り空が広がる。入り口は混んでいたが情けない天気のお陰か騒がしさはそれなりである。疎に雨が降っていた。赤や青の小ぶりな傘、白のビニール傘やら黒の蝙蝠傘やらが散発的に花が咲くように広げられた。
足早にここを発つ者の間を滑り抜けるように男は進んだ。ライトニングは傘をささない。代わりに真っ黒な分厚いトレンチコートを着込んでいた。
態々空港から離れて一時間も市街を歩き回ってから暇を持て余すタクシーをつかまえた。白髪混じりの壮年の運転手は草臥れた焦茶の革製ジャンパーから節くれた腕を生やしていた。頭には色の抜けた煤っぽいハンチング帽が乗っかっていた。
肩から雨粒を払った男が後部席に座ると、撓んだコートの隙間から真っ赤なスーツと黄色いシャツ、それから青いネクタイが覗いた。ズボンはいつの間にやら強まる雨水に打たれて黒ずんだ茶色に変わって本来の赤色がわからなくなっていた。
ルームミラーに映ったへんちくりんな格好に運転手は怪訝に目を細めたが仕事柄誰であれ乗せて運んできた経験に支えられて詮索することなく車のエンジンをかけた。
ギアをドライブに入れて停車場を抜けながら、運転手は客の男に尋ねた。
「行き先は。」
「○○大使館前まで。一応、管轄に入っているか地図で確認してほしい。」
「はぁ?まぁ、いいけどよ。」
運転手の無愛想な問いかけに男は淡々と答えた。運転手は目的地を聞くと、首を傾げつつも一度道路の端に停車し、言われた通りに経路確認のために地図を広げた。
変な頼みをする男だと思ったが、日がな一日、ましてや雨の日に雨粒がフロントガラスに当たって弾ける音を延々と聴いて来ないお客を待ち続けることの方が苦痛だと思うことにした。
まだ新入りだった時に書き込んだものだ、経路設定のための掠れた赤鉛筆の線や通過時間の目安を書いた青い数字を確認すること数十秒。
「お客さん確認したぜ。俺の管轄だよ。」
「わかった。なら、この道を通って欲しいんだが…。」
管轄であることが分かると、男は僅かに体を前に傾けると指で一本の通りをなぞった。地図上のそれを男の指がなぞると、運転手の体が揺れた。
「…その道はあんまり通りたくねぇな。」
「何故だ?」
「何故ってお客さん、この通りは治安が悪いからだよ。」
「そうか、悪かった。ならこっちは如何だ?」
困ったお客だ、とでも言いたげに運転手は首を左右に力なく振った。欧州と雖も、何処へ行こうとも余りお近づきになりたくない連中の溜まり場は決まって存在するものだ。世間知らずな異邦人のお客が指でなぞったのは、この地のそういう場所が沿道にズラリと集まっているところだった。
渋る運転手に対して、お客の男は顔色ひとつ変えずもう一つの経路を示した。
「ん…そこならいいよ。余り通らないが、通ったことがない場所じゃないしな。」
異邦人の物知らずに早くも辟易を感じつつも、旅行客が落とす金銭が馬鹿にならないことを思い出したのか、意識した好好爺じみた表情で運転手は頷いた。
「よろしく頼む。経路通りに走ってくれるなら料金は倍払おう。ほら、預かってくれ。」
「前金かい…随分と気前がいいな。」
「仕事が上手くいったからな、この旅行もそのお陰だよ。」
「そうかい、なら遠慮なく。」
成金が、と心の中で舌打ちをしつつ運転手は金を受け取った。間も無くタクシーは走り出した。雨足が強くなっていた。
経路を辿りながらタクシーは進んだ。進みながら時折男は指示を出した。
「少しゆっくり走ってくれ。」
「?あぁ…わかったよ。」
不思議がりながら運転手は従った。
「少し早くしてくれ。」
「あいよ。」
「ここを曲がってくれ。」
「あいよ。」
初めこそ不思議に思ったが、男の指示に一つ従うごとに、肘掛けの上に100ドル紙幣が重ねられたため、運転手は次第に喜んで男に指示に従って運転した。
随分と遠回りをしたものだ、と運転手は思った。ルームミラー越しに時折後部座席の男を見遣ったが、男は指示の言葉以外は何も話さず、窓の外と腕時計を交互に見ていた。
「速度を上げてくれ。」
「あいよ。」
「そのまま、進んでくれ。」
「あいよ。」
また200ドル儲かった。運転手はすっかり気持ちが大きくなっていた。
雨で滑るように進むタクシーは次第に速度を上げた。雨霧の向こうに直線道路沿いに目的地の建物が見えた。
目的地である大使館前まであと数十秒というところで後部座席の男が口を開いた。
「###だな?」
「あぁ………!!??」
運転手の名前だった。運転手は反射的に「あぁ」と答え、すぐさま顔を真っ青にした。それは運転手の名前だったが、限られた者しか知らないはずの、運び屋としての名前だった。
運転中だと言うことすら忘れて運転手は後ろを振り向いて言った。
「どうしてそっちの名前を知ってる!?」
血走った目で運転手は奇抜な男を見た。
「余所見運転は危険だぞ。」
運転手がハンドルを握り直した時、目の前には市街に入る予定のなかった大型トレーラーの横腹が待ち構えていた。タクシーの対面していた大使館前交差点の信号は赤かった。
「あぁ、もう手遅れだ…」
吸い込まれるように型落ちの古いタクシーはトラックに激突した。運転手の意識は暗転した。もう何も知ることはなかった。
その日、その業界では名腕の運び屋が交通事故で死んだ。悲惨な交通事故の現場は、映画のスターが通るというタレコミで偶然居合わせたフリーのパパラッチによって激写され翌朝刊に載ることとなった。現地で死んだ男をよく知る者たちは、彼が誰かに殺されたなどとは思いもしなかった。寧ろ、客に大怪我をさせた挙句トレーラーに突っ込んで死んだと聞いて、男の勤めていたタクシー会社に同情する有様であった。
しかし、国家の最重要機密に日常的に触れうる極一部の者達だけは数々の誌上を騒がせる信号機カラーの乗客が生還した事実に背筋を凍らせた。そして口々に思った「また一人あの男の手で導かれたのだ。」と。
俺は前日の仕事を大成功させ、業務内容上の必要に迫られて両腕を犠牲にした。前日から意識を失い、包帯で十重二十重にぐるぐる巻きにされた状態で今朝を迎えた訳である。
滅多なことでは入院しないのだから、少しだけ入院生活を楽しみにしていた。知らないことはいつだってワクワクを与えてくれる。
期待しつつ瞳を開けると少女が待っていた。輪郭が見えた時点で完全に理解した俺は、入院生活が入院ではなく監禁生活に置き換わってしまったことを理解して歯噛みせざるを得なかった。
妙に暗くぼやけた視界が晴れると、クリアな視界の八割型を埋め尽くすプラチナの毛先が鼻をくすぐった。
「おはよう、君。今朝の朝刊を読んだかい?」
怒りが滲んでいるのが一言で分かった。だが、こういうお仕事である限りは仕方あるまい、とも俺は思うのだが…とはいえ、何も言うつもりはなかった。甘んじて受け入れよう。
「読める状態に見えるかい?」
わざと戯けるように言ってみた。正直なところ、今回は骨折まで含めてだっただからむしろ褒めてほしい程だった。誰も好き好んで骨を折ったりしない。
「ふふーふ…ぷくく、ゴメンゴメン…両腕を複雑骨折している身では難しい質問だったね。」
「まぁ、いつものことだ。気にするな。」
笑ってくれて何よりだったが、目が笑っていなかった。彼女は組んでいた手を解き、後ろ手に持っていた新聞を掲げた。
「それじゃあ、内容は知ってるのかい?」
朝刊に載ることは知っていた。いや、寧ろそうなってくれなければ困る。
「いいや、予想はつくが…ここは敢えて聴かせてもらおう。」
しかし、俺とて当事者であって記事の書き手ではない。回りくどい外注はしたがコンテンツの内容には口出ししていないのだから。実際、運が悪いとも運が良いとも言える奇妙な観光客の記事がどんな風に描かれるのか興味はあった。
「ほうほう…では答え合わせといこう。」
悪戯げな笑みを浮かべる白髪の少女は、医療機器の奏でる単調な電子音の傍で心底楽しそうに紙面の要点を朗読した。
「○○国大使館前で大事故発生。死傷者一名、軽症者一名。雨の市街で悲惨な事故が起こった。トレーラーの運転手は無傷。また空荷であったため損害は牽引していたコンテナのみ、そのコンテナも老朽化により買い替え予定であったため、実質的に極めて軽微に抑えられた。今回は明確な信号無視による事故のため、賠償の際の負担は9:1または10:0になると予測されており、巻き込まれた運送会社も安堵の様子。トレーラーのコンテナに追突したタクシーの運転手は即死。死因は追突による頸部の骨折と外傷による失血だと検死の結果発表された。そして…」
少女は「ここからが注目の一文だからよく聴くように!」と念押してから、努めて低音で男の耳に囁くように朗じた。
「後部座席には乗客が一名いたが、極めて幸運なことに両腕を骨折するに留まり、命に別状はない。軽症であり尚且つ今回の事情聴取の為、また乗客のパスポートが偶然にも現在事故現場付近に大使館を構える某国のものであった為、現在は大使館にてその身柄を保護されている…だってさ。」
空から重力任せの巨弾を腹に投げ込まれたような重厚な雰囲気が俺の身を包んだのが分かった。正直な話、有難いことに俺に怖いものはほぼないと言っていい。しかし、幼くして一言にここまで凄みを効かせられる彼女のカリスマに俺は息を呑んだ。彼女の怒りはどこにあったか、考えてみれば俺の肉体のことかもしれない。命を軽んじているわけでは無いが、人よりも無謀に映ってしまうことは事実であるから始末が悪い。すまぬすまぬ、と平謝りするしかなかった。
類い稀なる才能とは理不尽なものだなぁ(詠嘆)とかなんとか、不毛なことを考えもしたが、ご立腹のお嬢様のお話を聞くことも業務内容に含まれていると思えば苦痛ではない。
「ダイジョブ。オレ、オトナ。ワリキル、トクイ。」
「いきなり、どうしたんだい?」
「いや、なんでもない。」
心の声が漏れてしまっていた。今後は気をつけねばな。
俺のことをジリジリと睨め付けること数分。飽きないものなのか、と思いつつ。彼女の視線が途切れるまで受け止めた。
短く切り揃えられてプラチナの御髪を揺らしながら、彼女は長い溜息をついた。
あー…反省してないことがバレた模様。
「全く君は…今回は流石にやり過ぎだと思うのだが、君は如何なんだい?というか、毎度毎度どうして態々死にかけるような依頼ばかり請け負うんだい?もっと簡単な仕事だって、割の良い仕事だって選り取り見取りなのに…ねぇ、どうしてなんだい?」
納得するまで帰らない、そんな強い意志のこもった目で見つめられる。真剣な言葉で詰められると俺も弱ってしまう。
「俺だって、もっと楽な方法があるならいいんだが…この方法が一番近道だと思うと、つい、な。」
少女からの問いには俺自身も疑問に思っていた所だった。確かに…言われてみれば俺は如何してこんな以来ばかり選ぶのだろうか。もっと単純な方法で消すことなんて簡単なことだと言うのに…。
「つい…って。もっと自分を大切にしてほしいって私が何度言ったら君はわかってくれるんだろうね。」
「そう言われると辛い…でもなぁ、どうしても気になるんだから仕方ないよ。」
死にたがりではない…はず。しかし、体というものは頭で理解していても勝手に動くものでな。少し少女に悪い気がした。
「そうかい…君がそこまで言うなら私も諦め…る、なんて言うと思うのかい?はぁ、折角一歩リードしたと思ったのに…君が両腕骨折じゃあ手も繋げないじゃないか…ねぇ、君はお金持ちの女の子のヒモになる気はないのかい?」
おい如何した?突然ヤバいものに目覚めたのか、そもそも予めヤバいヤクをキメてきたのかはさておき、爛々とした瞳の少女が俺を真正面から覗き込んできた。大変コワヒ。
あっ、因みにヒモになるつもりは今のところない。自炊含め家事が出来ないのが致命的なのだが、もう少し自由でいたいのだ。それに、未だに全く思い出せない記憶を掘り当てたい気持ちがまだまだ強いから。
「大変魅力的だけど…記憶が戻ってからにして欲しいかな。ウン…なんか、衝動みたいなもんだからさ。それまでは、まあ今回みたいにまた俺に依頼してくれよ。」
目を伏せるように、気持ち哀愁を漂わせながら頼み込んでみる。
「殺伐とした依頼ばっかし君は受けるじゃないか!」
彼女の声は病室によく響いた。
俺は思った。「言われてみれば確かに」と。だが俺にも言い分があった。
「いや、パリで一日デートで100万ドルは頭おかしいと思う。それこそ俳優を一日貸切に出来る額だぞ。正気か?俺は今年で…えーと、恐らく…30?40?50だったかな?ぇえ…っと。この話はナシだな。俺に年齢のことは聞かないでくれ…何も思い出せねぇ。」
ウぐぅ…自分で思い出して、思い出せなくて凹むことになろうとは…くそう、自分の歳すらわからないんだから始末が悪いよ。目の前の彼女と近いとは思うんだけど…外見が不気味なほど若くたって俺の感覚だけは「お前、もっとオッサンやで」と囁いてくるし。ウギギ…オデ、ワカモノ、チガウ。
俺の懊悩を知ってか知らずか、過剰なくらい巻かれた包帯で平時の三倍は場所を取る両腕で頭を押さえる俺に、少女は意外な提案をしてきた。
「分からず屋さんめ…なら、護衛任務なんてどう?」
なるほど、それは新しいな。しかし、感心は一瞬で終わった。
「えぇ?それこそ正気かよ。」
俺は丸腰が常だぞ?
「正気も正気さ!」
正気じゃないやつほど自分を正気だと言い張るものである。俺は不安になった。
しかし、ここまで自分より若い子、しかも女の子に迫られて何もしないのは大人が廃ると思えてきた俺は、恐らくトチ狂った判断を下してしまったのだと思う。
「うーん…じゃあ、次のイイ感じの仕事が舞い込むまでならいいぞ。」
うーん、安直。護衛任務受けたことなど無いというのに…もしかして前日にどこか頭を打ったんだろうか。
「え?ほ、ホントかい!?」
パァァッと顔を綻ばせる少女を見て、あぁ、俺は間違ってないと思ったこの時の俺はやはり頭を打っていたのだと後に思う。
「えぇ(困惑)ソッチが頼んだ側だろう?あぁ、ホントだよ。本当。」
「ぃヤッター!!!」
調子に乗って快諾すると、飛び跳ねるように喜んでいた。俺、えぇ事したな!
「そんなに喜ぶことかね…とはいえ、前もって断っておくが俺は銃を持ったりしないぞ。ナイフどころかフォークも持たないからな?それでもイイなら…まぁ、護衛任務は請けようと思う。」
冷静に考えるとヤバいこと言ってるよな。俺自身が一番分かってる。
「勿論だよ!!君の望む通りにしてくれて構わないよ!あっと、それで依頼料の話なんだけど…一週間で700万ドルなんてどうかな?」
いいのかよ(困惑)てか、高いなぁ。
「……一週間7万ドルでお願いします。」
「えぇー!!安すぎるよ!」
ドル暴落したんか?
「多いくらいです。」
「他の依頼は100万ドルがスタートラインなのに…私のドルは要らないって言うんだね…ふーん、そっか。」
あ、そーいうこと言うんだー!逆に聞きたい、「100回建ビルの屋上でターゲットに殺されかけて欲しい、そしてターゲットともつれて落下して欲しい、ただし君は途中で窓清掃の滑車に引っかかることで生き延びて欲しい。」という依頼で無事に生き延びることがたったの1000万ドルだと言うことに。
…あの時も記憶は戻らなかったな…。
「じゃあ、せめて100万ドルで。あと、雑用とかするから。うん、それで勘弁してくれ。」
「…雑用、ね。」
「雑用は雑用だからな?言葉は正確に読み取ってくれよ、頼むぞ。」
「フフーフ…任せたまえよ♪」
翌日、さらに数時間にも及ぶ長期戦によって正式な契約が結ばれた。
最終的な妥協案として一ヶ月の契約で100万ドル…まさかあそこまで日数を引き伸ばされるとは思いもしなかったと男は語った。
こうして、男ことライトニングは武器商人ココ・ヘクマティアルを一ヶ月間護衛する任務に就くことになった。
「あぁ、明日から心配だ…。」
何処かのライトニングの頼りない呟きは風に流されて何処かへと消えた。
これは、とある男が記憶を取り戻すために生死の境を彷徨いまくる傍で、平和と戦争とは何か考えたり、ターミネーター系女子達に尻を狙われたりする物語である。