実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー 作:向日 葵
春。
入学式が終わって一週間。高校生ならば部活動を決め始める時期である。
勿論、それはここ、恋恋高校でも代わりはない。
――だが、恋恋高校には野球部という部活動は存在しなかった。
恋恋高校という高校は、速い話が元女子校である。
野球経験者はおろか、男子が九人居るかも分からない。そんな高校を、俺は選んだ。
勿論下見はしたさ。大きなグラウンドがあり、なおかつナイター設備も整っている。更に更に頼りになる人物まで居る。これ以上無い練習条件だ。
私学であるが故、設備は一流――。たぶん、男子生徒を呼び入れるために様々な設備が揃っているということをアピールするため、導入したものなのだろうけど、まあ今はそれはどうでも良い。問題はそれが有るかどうかだ。
後は部員がいるかどうかか。もう放課後だし、早速部員探してみるか。
「つーわけで野球部入らない?」
「……何が『つーわけで』なわけでやんす? パワプロくん。確か野球部はなかったはずでやんすが」
「パワプロゆーな。……お前矢部だろ? 野球部ならあるから入ろうぜ」
「たしかに矢部でやんすけど……い、嫌でやんす。おいらは野球から離れるためにこの学校を選んだんでやんすよ!」
俺が話しかけたのは、教室でたまたま隣になった矢部明雄、という奴だ。
特徴的な瓶底眼鏡を掛けているコイツを、俺は見たことがあった。
シニアでの話だが、コンスタントに打球を流し打っていた。……そしてなにより、こいつは俊足だ。
こいつの巧打、そしてその足は欲しい。
それが野球から離れたいと。ふむ……俺としてはその原因を取り除いて是非野球部に入って貰わねぇとな。
「なんで離れる必要があんだよ?」
「お、おいら、おいら、野球下手くそでやんす! 一度エラーして笑われたからもうやめると決めたでやんす!」
「エラー、エラーねぇ……」
エラーか、ぶっちゃけエラーなんてつきものじゃねぇか。
大事なのはその後エラーしない練習だと思うんだが……まあいいか。
「エラーなんてどうでもいいだろ。笑われたら次は笑われねぇように練習しようぜ。というわけで矢部明雄、っと……」
「? な、何を書いてるでやんすか?」
「野球部発足の出願書。三人以上いりゃ部活になるらしいから」
「早速おいら書かれてるでやんす!?」
「つーわけで今日の放課後から練習だ。来いよ」
「おーぼーでやんすー!!」
頭を抱える矢部を笑い流して、俺は教室を出て階段を降る。
部員を見つけないと練習も出来ないしな。野球やってるやついればいいんだが……。
靴に履き替えて、適当に学校内をブラつく。
すると二つある大小のグラウンドのうち、小グラウンドの方で、俺の足元に野球のボールが転がってきた。
「……お」
ひょい、とそれを拾う。
間違いない。これ硬式のボールだ。
キョロキョロ、とあたりを見回す。
すると、こちらに走ってくる女の子が居た。
可愛らしいおさげをぴょこぴょこと跳ねさせて掛けてくる少女の左手にはグローブがつけられている。
「ごめん。ありがとう。それボクのなんだ」
「あぁ、そうなのか。野球やってんなんて珍しいな。ほい」
俺が言いながらボールを軽く投げると、目の前の少女はむっとした顔をして受け止めた。
「べ、別にいいじゃんか。……ボク、野球好きなんだよ」
「へぇ。いいじゃねぇか。……女子か、ふむ。まあいいか。野球部つくろうと思ってさ、部員探してんだ。良かったらお前もどうだ?」
「…………今さ、女子ってことで今誘うの辞めとこうって思ったよね」
どうやら鋭いらしい彼女は、俺をキッと睨みつける。
こえぇな。なんだよ……。
「ま、まあなんだ、高校野球に女性ってあんま見ねぇから、さ」
「……心外だ。女性選手だからって男には負けない! キミ、野球部つくろうって思ってるんだったら当然野球経験あるんだよね」
「あ? ああ、まあ……」
「……じゃ、ボクの球、取ってみてよ」
「取ってみてって……ピッチャーか?」
「そうだよ。キミのポジションはどこ?」
「キャッチャーだ」
「キャッチャー、なら、女だって事で一瞬でも下に見たんだ。ボクの球くらい取れるよね?」
「……分かった。待ってな。防具取ってくる」
「いいよ、取ってこなくて。……キミに当たらないように投げるから」
「わぁった。ミットは?」
「二つ、ボクの予備があるから。キャッチャーミットじゃないけど」
「大丈夫だよ」
行って、少女はずんずんと小さなグラウンドの隅に盛られた土の山の上――お手製だろうか? マウンドの上へと登った。
「いつも此処で練習してんの?」
「そうだよ。先生に言ったら端っこなら良いって言われたから」
ザッザッ、と足場を整えながら、少女はぶっきらぼうに答える。
なるほど。ホームベースの後ろにはコースごとにしっかりと分けられた的が立っている。いつも此処で的当てをしていたって訳だ。……まあ、一年だし、まだ一週間くらいしかやってねーんだろうけど。
「うし。投球練習は?」
「要らない」
バシバシッ、と左手につけたミットを拳でたたきながら言うと、少女はふん、と鼻を鳴らして答えた。
さっきまで練習してたなら肩も温まってるか。なら遠慮はしないでいいだろう。
「うし、来い」
ぐいっ、とそのまま腰を下ろし、ホームベースの後ろに構える。
(――やっぱ、定位置に座ると落ち着くな)
そんなことを思っていると、目の前の少女が少し驚いた顔をしていた。
ああ、やけに様になってるとか思われてんのかな? でもま、すぐにキリっとした顔つきになったし問題ねぇだろ。
「……じゃ、行くよ」
ぐっ、と少女が振りかぶる。
そしてそのままぐぐっとフォームが低く沈んだ。
(――アンダースロー!)
そう思ったとたん。腕が遅れて身体から姿を表した。
腕を完全に隠す、“見えづらさ”を追求したアンダースロー。なるほど、たしかに投手は打たれなければいい。球が速けりゃ打たれないって訳でもないしな!
だが、大丈夫だ。打撃ならこのズレが命取りだが、キャッチングなら……、
そう思った途端、俺は気づく。
ボールに凄まじい回転がかかっている。
すなわち――。
「ッ!」
思った瞬間、俺は反射的に身体を動かしていた。
腕だけじゃ後逸する。
だが、後ろに逸らしたら俺の負けだ――!
ドパッ!
ボールがバウンドしたと同時に、イレギュラーを起こしてあらぬ方向に跳ねる。それほどまでに強烈な回転のかかった変化球――カーブ。
それを、俺は体ごと動かすことでミットに収めた。
えっ、という少女の戸惑いの声が聞こえる。あいつ、自分が思ってたより変化させちまってショートバウンドにしちまいやがったな。
「ふ、ぅ……あぶねぇ……」
「……す、凄い……」
「あ? 何いってんだ。……凄いのはお前だろうよ」
立ち上がって、少女に近づく。
俺は驚いた表情でこちらを視る少女の手を掴んだ。
「えっ、ちょっ」
「……すげぇタコだな」
何故か動揺した声をだした少女を遮って、俺は少女の手のひらの練習の痕について思わず言葉を漏らしてしまった。
指にタコが出来てる。一体、こいつはこのフォームとボールを身につけるために一体どれだけの練習をしたのか。
「……名前」
「へ?」
「俺は葉波風路だ。お前は?」
「ぱ、パワプロ?」
「違うわ! はわふうろ! お前の名前は!」
「あ、あおい――早川、あおい」
「早川。宜しくな。今日からキミは野球部だ。っつーわけで三人揃ったどー!!」
「え? ちょっ、ボクも入るの!?」
「当然だろが、あんだけのボール持ってて、しかも向上心がある。……十分だよ」
「…………いい、の? ボク、女の子なのに」
「関係ねぇ。そんだけの変化球投げれりゃエースにだってなれる。もっと言えば、プロにだってな」
「プ……ロ……」
「俺がお前を日本一のエースにしてやる。一緒に野球やろうぜ! 早川!」
俺が熱っぽく言うと早川はその場で一瞬俯いた。
それでも俺は手を離さない。
すると、少し悩んだようにして、早川は浅くこくり、と頷いてくれた。
おっしゃぁっ! エースゲット!!
「おしゃー!!! これで三人! 早速提出いってくるわ!」
「ちょっ、グラウンドはどうするの!?」
「さすがに今日はムリだろ! 明日から大グラウンド使えるようにする!」
「ちょっと待ってよパワプロ君! そ、それは無理だよ! 此処はソフト部が強いんだ!」
「……ソフト部?」
「そうだよ! 此処のソフト部は過去一〇年で七回全国大会に出場しているようなめちゃくちゃ強い部活なの!」
必死に俺を説得する早川が何だか可愛い。
そんな必死になることも無いだろうに、顔を真赤にして腕をブンブン振りながら必死で俺に訴える彼女を見ていると、なんだか面白く思えてしまう。
けどまあ、そんな必死になっている彼女を放置しておくのも忍びない。こっちにはこっちの"アテ"があっからな。
「なるほどねー。ま、何とかなんだろ」
「な、なんとかって」
「意外と俺には人脈っつーもんがあるんだよ」
ニヤリ、と笑って、早川から借りたグローブをその場に置く。
そしてそのままきょとん顔の早川を放って、俺はすたすたと校舎に向かって歩き出す。
さーて、その人脈を最大限に利用するとしますか。
「彩乃」
「うひゃいっ!?」
校舎の廊下で見つけた後ろ姿を発見して名前を呼んだら、呼ばれた本院はビクリと身体を震わせてこちらを向いた。
倉橋彩乃――金髪が眩しい美人である上に、この学校の理事長の娘だ。
そして俺が頼りにしている人脈の一人である。
中学校の時、猪狩のパーティに付き合った際にそのパーティ会場でヒールが折れたのを助けてやってからメル友というかそういう関係なわけだが……彼女の学校だってことでこの高校を選んだのもある訳で、最大限に友達という立場を利用させてもらわないとな。めちゃくちゃ卑怯だけど。
「あ、ああ、パワプロ様、でしたの。お、同じ学校に通えて……本当に嬉しいですわ」
「パワプロいうな。……折り入って頼みがある」
「た、頼み……わ、私に!?」
「ああ、実はお前も知っている通り、俺は野球をやってる。まあ色々あって、猪狩と違う高校で猪狩と戦いたいと思ってな。それで此処を選んだんだ……お前がいたから」
「わ、わたくしが……?」
「ああっ、お前がいれば色々助かるんだ! お前の力が必要だ!」
「ま、任せてくださいませ! それで、何をすればいいのですか!?」
「野球部に協力して欲しい! 大グラウンドを週三くらいで使えるようにしてくれないか?」
「えっ……!」
それをいった瞬間、明らかに彩乃の顔が暗くなる。
何か協力出来ない理由でもあるのだろうか。その顔は申し訳なさそうな表情でいっぱいになってしまった。
「ど、どうした?」
「……ごめんなさい、パワプロ様。……大グラウンドはソフトボール部が使っているのです。そのソフトボール部は全国大会に出場したり、優勝もする強い部ですわ。それを妨害するようなことは……」
ぐっ、やはり早川の言ったとおりそうなるよな……だが、此処で諦める訳にはいかない。絶対に諦めねぇ!
考えろ……! なんとか野球部が満足に練習出来るような手があるはずだ!
「……そうだ、確か近場にレンタルグラウンドがあったよな。そこを使えれば……」
「近場のレンタルグラウンドは一時間二千円程度だと思いますわ。前にソフトボール部がグラウンドで練習出来ないという時に母を手伝って調べたことがあります。その時はそれくらいでしたから。……それを計算しますと、一日五時間練習で一万円……休日だとおそらく倍近くにはなると思います。休日八時間練習で、一時間で四千円と考えて一日三万二千円……仮に平日練習だけで澄ますとして、練習日が二〇〇日程度と考えても、二百万円……更にボールなどの設備代なども考えると三百万円程の投入費用ですわ。それは、私のわがまま程度で動かせる程度の金額ではありませんわ」
ばっさりと俺の我儘を言葉で封殺する彩乃。
たしかにたかだか三人の部活動のために三百万は出せねぇよな。
彩乃が悪いとかじゃなくて、普通の経営者なら誰でもそう思うことだ。俺だってそう思う。
くそ、そう簡単に事情を動かせると自分の力を過大評価してた数カ月前の俺をぶん殴ってやりたい。
でも……諦めるわけにはいかないんだ。猪狩や東条をぶっ倒して甲子園に行くためには、此処で諦めるわけには!
「……それに、パワプロ様の仰っていることは、猪狩様が行くような名門校を倒したい、ということですわよね。それならばその程度の練習では足らないと思います。平日は授業後四時から九時まで部活動をしたと考えてもそれでいいですが、休日返上で練習しなければなりませんわよね。休日練習が雨などで流れたとして八〇日五時間練習するとしても二五六万円……朝から使うとしたら、その倍ですわ。パワプロ様の言うように強豪にも勝てるほど練習するんだとしたら、少なくとも一年で一千万近い資金が必要です。……とてもお願いしても……お、お力になれず申し訳ありませんわ……」
「…………それってさ、要するに、俺たち野球部に一千万かける価値がねぇんだ、って言いたいんだな」
なるほど、たしかにそうだな。たかだか三人の部活だ。対費用効果なんて計算出来るわけがないし、宣伝効果も全くない。
――けど、だ。
そんな程度で諦める程俺は諦めが良くねぇんだ!
「……絶対に甲子園に行く」
「……え?」
「絶対に甲子園に行く。絶対に甲子園に行けなくても、俺のプロ入りでの契約金で払ってやる」
「ぷ、プロ!?」
「ああ、そうだ。とりあえず理事長と話をさせてくれよ。直接話さないと伝わんねー。……悪いな。彩乃、お前を利用したみたいで」
「そ、そんな、そんなことありませんわっ! わかりました。お母様におはなしに行きましょう。ちょうど訪れていたはずですから……い、一緒に」
顔を赤らめてもじもじとする彩乃が可愛らしい。にしても、本当にイイヤツだな彩乃。俺のために動いてくれるなんてさ。それが恥ずかしくて赤くなってる姿も可愛いぜ。
「よし、じゃあ行こう」
「え、ええっ」
二人して、俺達は校長室に向かう。
此処を切り抜けないと、野球人生の終わりかもしんねぇ。絶対に野球部が練習出来る環境を作ってみせるぞ。
「……ふぅ」
彼が行ってから、ボクは深くため息をついた。
『あれだけのボールを持ってて』。……初めて言われた。ボクが投手をしてるところを見て、素直に褒めてくれる男なんて居なかったのに、彼は僕のボールを……一番練習したカーブを、凄いって褒めてくれた。
野球はもう諦めようと思ってた。
いくら頑張っても男に追いつけない、追いついても絶対に認められない。
そんな野球を必死にしても無駄だと思って、そう言われて、諦めようと思っていた。
ボクの事を心配してるくせにそれを認めない"あの人"の言うとおり、野球は辞めてソフトに入ろうって思ってた。
けど、違う、違うんだ。
諦めるのは簡単なんだ。認められなくても必死で歯を食いしばって頑張った人がそれを手にできる。
きっと彼の目標でもある、そしてボクの夢でもあるプロ入りという結果を。
だったら、ボクはどうする? パワプロ君はボクに道を示してくれた。認めてくれて野球部に入ってくれってお願いした。キャッチャーである彼ならボクのボールがどんなものかしっかり確認しても尚、誘ってくれたんだ。
だったらボクは、全力を尽くすしかないじゃないか。
「……三人、っていってたよね」
三人……たった三人じゃ試合も出来やしない。
彼はボク達のために頭を下げにいったのに、ボクは何もしないの?
「……探さなきゃ、部員」
野球は九人居ないと出来ない。だったら探さなきゃ。
彼に任せっきりなんてごめんだ! ボクだって、チームメイトなんだから!
といっても、アテがある男子部員なんて居ない。
「……だったら……」
あの子に、頼んでみよう。
ボクと一緒に野球をしていた女性は七人。そのうち、女性に限界を感じて辞めてしまった人は僕をあわせて四人居るが、そのうちの二人がボクと同じこの恋恋に入学していたはずだ。ボクを入れたら三人此処に入学した。
その中の一人――セカンドを守っていた子なら、きっと……。
「きっと、キミもボクと一緒だよ。……野球が嫌いなんじゃないんだ。……そうだよね。あかり……?」
自分に言い聞かせるようにして、ボクは歩き出す。
皆……ボク、やっぱり野球が大好きなんだ。皆だって、きっとそう。やめることなんて本当はしたくないんだ。お願い! もう一度だけ、野球をやってみて欲しいんだ!!
あかりは多分、ソフト部にはいろうとするはず。
……一緒に野球をやっていた幸子もソフト部に入ったから、それに誘われてあかりもきっと入るはずだ。その前になんとかこっちに誘わないと。
そう思ってボクが歩き出そうとすると、そこに。
幸子が現れた。
相変わらず鉢巻を頭にして、勝気な目は変わりがない。
でも、自分の事よりまず先にこっちのことばっかり気に掛けてくれる良い子、良い仲間、大切にしたい、親友だ。……でも、それでもボクはその優しさに甘えたくない。自分の夢を――甲子園を、プロを、諦めたくない!
「……何やってんのさ、あおい」
「野球の練習、かな」
「そうかい。……いい加減に諦めてソフト部にきなよ。あの時みたいに男子に混じって一緒に野球だなんてもうムリだ。あんたも、あたし達も……シニアの時に分かっただろ。あたしたち女じゃ、野球は出来ないって」
――幸子がいったそれは、苦々しい記憶だ。
ボクと幸子とあかりは、三人で同じシニアに入っていた。
女の子が野球をやる。それだけで好奇のまなざしで見られるような場所だったそこは、決していい気分のする場所ではなかった。
けれど、ボク達は野球が出来ればそんなこと我慢できたんだ。我慢できていた。実際に。
ただボクたちは本当に純粋に野球が出来ればそれで構わなかった。それくらい野球が大好きだったから。
――でもボク達は"野球"をすることが出来なかったんだ。
注目を集めた結果、その注目している人達はこう想う。
"女の子に重い物をもたせたり、女の子に球拾いをさせるのはどうなんだ?"と。
その結果、ボクと幸子とあかりは。
露骨にボール拾いや雑務から遠ざけられ。
きつい練習は免除され。
それでも練習に参加したいと言えば監督から"女の子なんだからもう帰りなさい"と言われ。
それなのに、試合にはレギュラーで出続ける。出され続ける。
それが産むものは、チーム内の不和という火種。
その火種はあっという間にチームを燃やし尽くす巨大な業火になった。
一派閥争いのようなものに発展してしまったそれは決定的にチームを分つモノになってしまったんだ。
ピッチャーであるボクは捕手からリードを放棄され。
あかりは内野の守備を全て任されゲッツープレイなどには参加させてもらえず。
幸子は外野からの中継プレイに反応してもらえない。
野球が成立しない、そんな状況になってしまった原因を作った一因を担うボクたちは、野球を辞めざるを得なかった。
「……たしかに、あの時はそうだったかもしれない。……けど、今度は違うんだ」
分かってるよ、幸子が言おうとしている事は。
ソフトボールだって楽しいし大好きだよ。授業や部活に参加して楽しんだことだってある。
でも、違うんだ。
ボクは野球が好きだ。
小さなボールに力いっぱい力を込めて投げる野球が。
必死に走って白球を追う野球が。
小さなボールを細いバットで打ち返す野球が。
皆と協力して甲子園を目指す野球が。
あの、テレビでなんどもなんども見た、スポットライトを浴びるマウンドに立つ事の出来る、野球が――大好きなんだ!!
「ボク、野球が大好きなんだ。幸子」
「知ってるさ。……あたしだって、大好きさ。今でも……あんな事があっても、大好きさ」
「そうだよね。きっと、あかりもそうだよね」
「ああ、そうだね。……でも、ムリなんだよ、あおい」
「――今ここに男子生徒が来てさ。野球部作るんだって。ボクもその子に誘われて」
「あおいッ!」
「嫌だ!! ボクは野球を諦めない! それにパワプロ君は違う! あの時のチームメイトとは違うよ! 幸子っ!」
「何が違うってんだいっ!? 野球部に所属しても高校野球の試合には出る事はできない! なんてたって名前が"男子高校野球大会"なんだから!」
「ッ……それでも、それでもっ! ボクは野球をしたいんだ!」
幸子の言い分はもっともだ。ううん。幸子の言ってる事にしたがってソフト部にでも入ったほうが利口だってボクにも分かってる。
けど、それでも野球がやりたいんだ! 諦めかけてた野球を、手放し掛けてた野球を――今はどうしても、やりたい!
「……何をもって……そのパワプロって奴が信じられるってんだい……」
「褒めてくれた。ボクの球を。……ボクが一番投げ込んで練習してきたカーブを、たった一球"捕球"して……褒めてくれたんだ」
「…………分かった」
ボクが言うと、幸子は下を向いて静かに頷いた。
その仕草と言葉が嬉しくて、ボクは思わず頬をほころばしたけど――。
「だが、そう簡単には認められない。…………三打席勝負だ。その勝負であんたが一打席でも打たれたら、あんたは野球を諦めるんだ」
「っ、そ、そんなっ……!」
「ムリなのかい? あんたの覚悟は――野球をやりたいって気持ちはその程度かい!!」
「!」
幸子は、ボクの覚悟を試してる。
ボクが今の気持ちを、どれだけボールに向かわせる事が出来るか、試してるんだ。
それからボクは逃げちゃいけない。
ボクは幸子に示さなきゃいけないんだ。自分の全力を、自分の実力を!
「――分かった。三打席勝負、する」
「上等。じゃ、大グラウンドに移動するよ」
「ん」
幸子の後について、ボクは大グラウンドへと移動する。
自然と握ったボールに力が入った。
……全力で、幸子を打ち取る。
それが難しいことなのか。
男子が居るシニアでも四番をはり、中学の二年から始めたソフトボールであっという間にエースで四番。この恋恋にもスポーツ推薦で合格したソフトボールの天才と言われている。
ソフトボールだけの経験者ならまだ楽かもしれないけど、幸子は違う。野球をやめるまでは、野球でも四番を張っていた運動神経が抜群の天才だ。
それを三打席――、それも、こっちの手は完全にバレているのに、抑えなきゃいけない。
(ボク一人で、そんなこと出来るのかな? いや、弱気になっちゃ駄目だ。やらなきゃ、いけないんだからっ……!)
バックネットを背にして、打席に幸子が立つ。その瞬間、幸子の周りの空気が一変した。ボクたち投手にとっては最も味わいたくない感覚――打たれる、そう確信させるような威圧感を感じる。
「……う……」
「どうしたんだい。あおい。……全力で投げてきな。はじき返してやる」
「…………ッ」
ボクがひるんだのを完全に見切って、幸子はニヤリと微笑んだ。
分かってるんだ。ボクには幸子が打てない球なんか投げられないってことを。
(やっぱり、駄目なのかな……ボク……)
野球は、出来ないのかな。
幸子でも駄目だったんだから、ボクなんかが頑張ったって……。
「う……」
それでも、幸子を裏切るわけにはいかない。
せめて逃げる事だけは、したくない。それは幸子も裏切る事にもなるんだから。
ぐ、と足をあげる。
テイクバックは大きく。
握りはストレート。せめてボクの投げれる最高のボールを、幸子に見てもらいたい。
そして、そのまま足をついておもいっきり腕を振って――。
「タイム!!」
投げよう、とした瞬間、大声で勝負が止められた。
幸子が声のした方向を睨んでる。たぶん、勝負の邪魔をしやがったとか思ってるんだろうな。
ボクも幸子に釣られて、声のした方を見る。
するとそこには、倉橋さんとかいったっけ、金髪の可愛らしい女性をつれたパワプロくんが立っていた。両手にはもう帰りなのか大きなバッグを持っている。ボクがこんな事になってるなんて、知らなかったからもう帰ろうと思ってたんだろう。
「何の用だい!」
「倉橋理事長と話をつけてきてな。野球部が認められたんだよ。ついでに練習場所も確保できた」
「……えっ……!? ど、どど、どうやって!? 正直言ってムリだと思ってたんだけど!?」
「彩乃……ああ、こいつのおかげだ、力添えしてくれたし、こいつがマネジに入ってくれるっていったら倉橋理事長マジで考えてくれてさ。……後はまぁ、元チームメイトの名前を出させて貰ったり、な」
「す、凄い……!! 本当に部を成立させちゃうなんて……!」
「お、お待ちください! パワプロ様! あ、あの女性はなんなんですか!?」
「ああ、部員だよ。早川あおい。……ウチのエースだ」
「エース!?」
「ちょ、ちょいと待ちな!」
とんとん拍子に話をすすめるパワプロ君に、幸子が食って掛かった。
う、うん、本当にちょっと待って欲しい。部活する場所まで用意出来るなんて凄い……! 倉橋さんがマネージャーに入ってくれるといっても、たったの三人の部活なのに……!
「まだあおいが野球をするとは決まってない! あたしとの勝負に勝ったら、それを認めてやるって話なんだ!」
「へぇ、そういう話になってんのか。早川に野球をさせたがらない理由はわかんねーけど、そういう事なら助太刀しねーとな」
にやり、と笑ってパワプロくんが制服を脱ぎ捨てる。
その制服をいそいそと拾ってあげてる倉橋さん。
なんだか可愛いなぁ。ついてまわってる妹みたい。
「助太刀って、どういう事だい?」
「なぁに、俺はキャッチャーだからな、リードとキャッチングするだけだ」
そう言ってパワプロ君はその場にバッグを置いた。
そしてバッグの口を開き、中からスパイクシューズとキャッチャーミット、そして防具を取り出す。
持ってきてたんだ。部活がないことは分かっているのに。
それをあっという間に着用し、ヘルメットを逆にかぶってマスクをかぶる。カチャカチャと軽い金属を響かせたまま、パワプロくんはボクの方へと歩いてきた。
「問題ねーだろ? キャッチャーがいてもよ。それが普通の勝負って奴だぜ」
「……構わないさ。キャッチャーがいてもいなくても、結果は変わらないからね」
「つーことらしいぜ。早川。サインは俺が覚える。お前が使ってたサインを教えてくれ」
「……ごめん、面倒な事に巻き込んで」
ボクが肩を落としながらいうとパワプロくんはきょとん、とした表情でボクを見つめた。
少しの間その表情のまま止まったかと思えば、何故かいきなり口を大きく開けて大声で笑い始めた。
「あははははははっ! 面倒な事ってそりゃねーよ!」
「え? え!? な、なな、なんでっ!? なんで笑うの!? しょ、勝負なんかに巻き込んじゃって……」
「あたりめーだろ! 野球出来んだぜ? 面倒なことなんかこれっぽっちもねぇって! それに、この勝負に勝てばお前は晴れて野球部なんだろ? 誰にも文句言われることなくよ。……ならその勝負は受けねぇとな? ……絶対勝つんだからよ!」
パワプロ君はそう言って、幸子に向かって挑発的な笑みを放つ。
それを見た幸子は憎々しそうにパワプロ君へ睨みを返し、ブンブンッ! と風音がこちらまで聞こえそうな勢いでスイングを始めた。
どうしてこんなに怖がることなく勝負に挑めるんだろう? 多少なりとも打たれるとかそういう風に考えないのかな?
「やっこさん、すげぇやる気だな。……ルールは?」
「え、と、三打席勝負、ヒット打たれたら負け」
「にゃるほど、たしかにまあ、打者有利のルールだな。うし、んじゃまあサインを教えてくれ」
「わ、分かった。……えっとね、これがストレートで、これがカーブ、これがシンカー」
「変化球はカーブとシンカーだけか?」
「うん」
「そうか。……あいつとは知り合いか。手の内はどれくらい知られてるんだ?」
「たぶん、ほぼ全部。幸子……あの子と知り合ってる時に全部覚えたボールだから。それにフォームとかも全然変わってないし……多分、配球の傾向とかも読まれてると想う」
「そうか」
「ご、ごめんね、リード難しいと想うけど」
必要な情報をパワプロ君に伝えるたびに、自分の力の無さを告白しているようで、だんだんと自信がしぼんでいくのが解る。
ボクの馬鹿……どうして新しい球を覚えようとしなかったんだろう。
もうちょっと変化球を覚える努力をしてれば良かった。
「せめて三球種使える球があればリードも楽なんだろうけど……ごめん」
「そう何度もあやまんな。それにな、謝るこっちゃねーよ。使える球種ならちゃんと"三球種ある"じゃねーか」
「え?」
「うっし、んじゃ投球練習すんぞ」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
意味深な事をいって、そのままパワプロ君はホームベースの後ろのキャッチャーズボックスに腰を落とす。
訳がわからないまま、パワプロくんはボクへと投球練習を促した。
「ストレート、カーブ、シンカー五球ずつ! 計十五球! しっかり本番だと思って投げろ! まずはストレート!」
パワプロ君がぐ、と構える。
その格好は、まさにボクの球に魔法を掛けてくれそうなほどの頼もしい姿。
……うん、パワプロ君の言った意味は正直分からないけど、パワプロ君を信じよう。彼はボクのカーブを褒めてくれた。
――そして何より、ボクをエースといってくれたんだから。
だったらボクもキャッチャーを信じなきゃ。それが、それこそが、バッテリーって奴なんだから!
勢い良く投げ込まれた球を、俺は腕を伸ばして捕球する。
バシンッ! と乾いた音。
さすがに猪狩の速球に比べればある程度音とかキャッチの衝撃が心許ないが、それも全然許容レベルだ。
アンダースローで一一〇キロ程度、しかも一年生――これだけでも新設の野球部ならエースでも問題ないレベルだ。
これに鋭いカーブ、さらに逆方向に嫌な感じにドロンと落ちるシンカーまであるなら十分やりようがある。――こいつは絶対に野球部に必要だ。
この"三種類のボール"で、三打席高木幸子だっけ? こいつを打ち取る。
(ただのソフトボール部の四番なら良かったんだけどな。野球経験者、しかもシニアで一年で四番打ってたっつーんなら話は別だ。……油断はしねぇし、余裕はねぇ。――絶対にこいつを打ち取る、んでもって、早川をしっかり野球部に迎え入れさせてもらうぜ)
高木幸子が打席に入る。二、三度足場を踏み固めて、早川を見据えてバットを構えた。
……いかにもって感じの雰囲気を持ってやがるぜ。
なるほど、まだ早くて入部して一週間って話なのに、こいつが時期四番でエースっつー噂はマジだな。
さっき彩乃と窓から見たときに相手は誰でどういうやつか、っつーのを聞いといてよかったぜ。
にしても、ソフトボールのベースがしっかり埋まったグラウンドでやるのは変な感じだけど、打球の勢いとか方向でヒットかどうかは判断できるし問題はなさそうだ。
さて、そんなのはどうでもいいとして、まず考えないと行けないのは初球の入りだな。
(……初球、普通なら見てくるがさっきコイツをぐんぐんに煽ってる。更に早川とは旧知の中で手の内も完全に知っている、と。……それも鑑みて、さらにコイツでのバッターボックスでの動きも加えて考えると……)
あんなに素振りして入った上、足場を固めた。更に構えも大きくついでに言うならバットも短く持っていない。
(打ち気は満々か。……初球から得意球行くぞ。カーブだ。コースは右バッターである高木幸子のインより、思い切って腕を振ってこい)
俺がサインを出すと、早川の目が驚愕に染まる。
カーブは緩い球だからな。早川のカーブはおそらく九〇キロ前後。ピッチャーとしては投げるのは怖い上に緩急を付けた後のボールでも無い。特に自分の中で"格上"と位置づけちまってる相手にゃ最高に投げづらい球だ。
――だが、カーブは現時点で早川の最高のボールなんだぜ。
打ち気にはやった高木幸子の打ち気を逸らすには最高の球の上、その後のリードにも幅が出る。
(それに、緊張でガチガチになったお前は一番投げやすく、自信のある球を投げた方がいい。そうじゃねぇと、追い込んでから甘くいったら終わりだ。……俺を信じろ! 早川!)
ぐ、と目で意志を伝える。
俺の視線を見て、早川はやっとコクリと頷いた。
ポーカーフェイスじゃないことに一抹の不安を覚えるが、求めすぎても酷だ。まだお互い一年生、足りないものはあって当然。それを――バッテリーの協力体制で埋める!
早川がぐっと振りかぶる。
そこから上体がぐぐっと沈み、それと同時に前に出た左足がしっかりと踏み込みを刻む。
それからわずかに遅れて、しなやかに、まさにムチのように振り抜かれた右腕から放たれる最高のボール――。
ドゴッ!
ワンバン。
打者の少し手前で球速に変化したボールは地面を抉った。
それと同時に高木幸子のバットも空を切った。
「ワンストライク、だな」
「……っ、ああ、そうだね」
立ち上がり、ボールを早川に返しながら確認を取る。
僅かに驚いた表情をした高木幸子の動作をしっかりと目に焼き付けつつ、早川にも声をかけないとな。
「ナイスボール!」
パンッ、と音を立てて俺から返されたボールを早川が受け取る。
高木幸子が空振りするビジョンなんか無かったのか、驚いた表情をしている早川がなんだか面白い。
(さて、と、二球目だ。ここで一球遊ぶのを考えてもいいが。今は高木幸子はビックリしている状況だ。動作から演技っぽさを感じられ無かったし、俺の問いかけに反応するのがわずかに遅かった。なら、ぱぱっと追い込ませて貰おう。ストレート、コースはアウトローだ)
早川が頷いたのを見て、俺はミットをアウトロー。確実にストライクだというところに動かす。
さっき投球練習したときに受けてみて思ったこと。それは球のキレもそうだが、それ以上に早川はコントロールが抜群に良いということだった。
緊張した今のカーブこそワンバンしたが、ストレートならほぼ九割九分、俺がミットを構えたところに投げ込んでくれる。
一つでもいい。絶対的なコントロールの球があれば、キャッチャーとしては大助かりだ。
早川は自分に自信が無さそうだけど、もっと自分に自信を持っていい。
早川は、――好投手なんだから。
早川が綺麗なフォームで腕をふるう。
緊張は最初のカーブで解けたのか、コントロールに寸分の狂いもない。
パァンッ! と乾いた音を立てて白球がミットへと吸い込まれる。
「ストライクだ」
「……そうだね」
ボールを投げ返しながら、高木幸子の顔色が変わったのを見逃さない。
(今ので完全にスイッチが入った。……さて、んじゃま、早川に言った"第三の球種"で仕留めますか。……行くぜ。インハイへのストレート)
アンダースローからのストレートは上からオーバースローやスリークォーター、エグるように投げられるサイドスローとは決定的に球筋が違う。
それはすなわち。"下手投げ"という早川の持つ特殊なフォームの持つ利点――つまり、浮かぶ球筋。
早川からボールが投げられる。
再び、寸分の狂いもなくインハイに構えた俺のミットへ。高木幸子からすれば浮かびあがるような独特の球筋で。
ビュンッ! と凄まじい風切り音、しかし金属音はしない。
普通ならばアンダースローでは投げにくい高めにこの精密さで投げれる事に驚きだぜ。早川。
「まずは一打席目。三球三振だ」
ビッ、と一本指を立てる俺。
それを見て、早川が心底嬉しそうにガッツポーズした。
うし、まずはワンアウト、だが問題はこっからだ。……こっからは打たせて取る。さすがにこうもポンポンと勢い良くストライクを取らせてくれるなんてことは二打席目からはないしな。
「早川、ナイスボール」
「あ、ありがとうパワプロくん! キミ、ホントに凄いね!」
「パワプロいうな。……礼はまだだ、あと二打席ある。……こっからが難しいぜ」
カシャカシャと防具を揺らしてボールを早川のミットに返してから、俺は口元をミットで隠す。
俺の言葉にはっとしたのか、早川はぱっと口元を隠した。
分かってるみたいだな。相手が"今日の"早川に慣れてくる二打席目移行を抑えるのが一番難しいんだ。
「いいか、こっからはなるべく少ない投球数で抑えたい。相手に球をよくみられない、っつー利点もあるし、三打席目打てなかったら負けって状態だと相手のプレッシャーのかかり具合もダンチで違う。だからこそ、相手に"球は十分に見た"っつー印象を与えるのはご法度だ。つまり、早く打ち取れば打ち取るほど、その分三打席目が楽になる」
「う、うん」
早川がこくこくと頷く。頭の回転がイイ奴をリードするのは本当に楽だな。猪狩ん時もそうだったけど。
「リードの中身をもう話しておく。あいつの態度とか仕草で変わるかもしんねーが、基本はこれだ。まず、三振に打ち取ったインハイのストレートで一球ストライクを取る。その前までにボール球を使わないか、一球使うか二球使うかはわかんねーけどな」
「う、うん」
「その後二球目だ。こいつが決め球だ。シンカーを使う」
「シンカー……」
「ああ、利き腕方向にデロンと落ちる奴な。インローに食い込ませる」
「ストレートの後に?」
「ああ、インハイへのストレート。こいつが強烈だ。さっき言った第三の球種、って奴だな」
「そ、そんなに違うもんなの?」
「おう。ソフトボールのライズボールに近いかもな。手元で"浮く"感覚がある。アンダースローでスピンがかかった球が投げれるお前の決め球の一つだ」
「でも、ライズボールって幸子、慣れてるんじゃ」
「だからこそカーブ、シンカーっつー球で打ち取る。ソフトボールと違って野球のボールは小さい。浮き上がる球の捉えにくさはソフトボールの比じゃないぜ。……シンカーの変化量も絶妙。芯では捉えられないのに空振りする程変化するわけでもない。キレがあるから変化の具合に一瞬で対応することは難しいが、高木幸子くらいの対応力があれば前には飛ぶ。結果はおそらくサードゴロかサードフライっつーとこかな」
「……す、すご……」
「お前がな。しっかり腕振って投げてこい」
ピシ、と早川の額をデコピンして、キャッチャーズサークルに戻る。
俺がもどると、高木幸子はジト目でこちらを睨んできた。
んだよ、待たせたのを怒ってんのか?
「……あおいにデコピンしやがったねあんた。勝負終わったらボコボコにしてやる」
「そっちかよ……」
戦ってる割にはやけに早川に対して優しいな。
……この勝負は早川に嫌がらせするために挑んだもんじゃねぇのか。
っ、と、今はそんなことはいい、勝負に集中だ。
(インハイのストレートを使うためにアウトローを上手く使いたい、カーブは三打席目にとっとかねーとな。ストレートをアウトローだ。ぎりぎり、どっちとも取れる場所がいいが、出来ればボールよりだ)
早川が投げ込む。
ストレートのコントロールは天下一品、やはり構えたとこに投げ込んでくれた。
それに向かって、高木幸子は勢いよく踏み込んでくる。
カィンッ!!
「!」
痛烈な流し打ち。わずかにファール側へ転がって出てくれたものの、一歩間違えばライト線への長打になっていた。
(あっぶねー。ボールよりにしといてよかったぜ。……高木幸子。マジでいいバッティングしやがる。ホームランは出そうにないが、ライナーでの痛烈な打球なら幾らでも打てそうだ。……けど、これで見せ球でストライクを稼げた。行くぜ早川)
インハイに構える。
それを承知していたとばかりに早川は頷いた。
アンダースロー。鍛え上げたその制球と球のキレ。
それによって生み出される"第三の球種(インハイのストレート)"。
早川の手からそれが投げられる。
ガキィンッ! と鈍い金属音。
バックネットに白球が突き刺さる。
ファール。痛烈な当たりだったけど前に飛ばなきゃ意味はない。
にしても、あぶねぇ、さすがソフト部の四番だ。
ホップするこれにも二球目でしっかりついてきやがったな。普通の野球部の奴だったらまず対応するのに一打席、二打席は犠牲にしなきゃいけないだろうに、怖い奴だぜ。
(この対応されたっつーデータは次に活かす。まずはこの打席だ。……シンカー)
予定通り真ん中内よりに構える。
早川も打ち合わせ通りに頷いて、投げて来てくれた。
わずかに予想位置よりインに来たが問題ない。ここから変化する!
くん、と落ちるボール。
全く予想外だったろう。ツーストライクと追い込まれてからストライクゾーンに来たらボールは振らなければならない。
ビュッ、と勢いよく振られたバットは俺の予想通り芯を外して転がった。ボールはサードへのボテボテのゴロ。
誰が見てもアウトになると解る打球だ。
「ツーアウト、でいいよな?」
「ああ、文句はないよ」
高木幸子が悔しそうにしながら言う。
二打席とも理想の形で打ち取った。
だが、問題は此処からだ。
相手も集中し、さらに早川の球はもう全部知られている。
カーブとシンカーは一球ずつ、ストレートは四球使った。二打席を連続で三球で打ち取れたのはデカいな。
けど、これでストレートはもうほぼ使えない、"第三の球種"も読まれれば確実にヒットにされる。
この一打席、ここからが本当の勝負だ。こちらが有利に戦える状況は終わった。
それでも負けるつもりはない。ヒラの勝負ならヒラの勝負のやり方ってのがあるしな。
「ラスト一打席。気合入れるぜ!」
「おおっ!」
俺の言葉に勢い良く反応する早川。
よし、まだ余裕があるな。んじゃ遠慮なく要求させてもらうぜ。
(まずはシンカーをインローだ。とりあえず思い切って腕振ってこい)
二打席目をサードゴロで討ち取らせた球。
さすがに続けてくるとは思ってないだろうし、残像も残ってるだろ。
もとより外すつもりの球だ。ボール判定でも問題無い。
0-1になってもこれは所謂見せ球って奴だからな。とりあえずは腕振って投げてくれればそう易々とは打てないぜ。
俺の要求にこくんと頷いて、早川が投球動作に入る。
インローから更に落ちる球。
それを完全に見切って、高木幸子はバットを動かさなかった。
「ボール、0-1」
すぐにボールを返す。
慎重に行くべきところだと分かっているんだろう。初球のボール判定にも早川はまったく動じていない。
(うし、ボール先行で動揺するかもと思ったけどそんなことはないな。……さて、0-1、シンカーには全く反応無しか。……やな感じだな。――ストライクをとりたいが、ストレート待ち見え見えの反応だな。"第三の球種"は絶対にどこかで使わなきゃならない。そのためには次、もう一球シンカーだ)
俺がサインを送ると、早川がふるふると首を横に振る。
シンカーを続けろってサインだからな。高木幸子相手にゃ早川も投げづらいだろう。
(そんならプラン変更。早めに打ち取る。"第三の球種"を、更に高めに外す)
ストライクゾーンには入れず、更に高めに外す。
それならばストレートを待っている高木幸子もバットには当たらない。更にこれで次へのシンカーかカーブ、どちらかの緩い球へ活かすことも出来る。振ってくれれば儲け物、振ってくれなくても次で1-2に出来る。
早川がこくんと頷いた。
うし、これなら納得してもらえたみたいだな。
「来な!」
高木幸子も気合充分。なるほどコイツ負けん気が強い。追い込まれて逆に闘志が湧いてきたのか。
お望み通り真っ向勝負だ。インハイストレート、打ってみやがれ!!
早川がぐっ、と踏み込んでしなやかに腕をふるう。
放たれたボールはストレート。ドンピシャで俺のミットへと"浮かび上がる"――。
「ぬっ……!」
ビュンッ! と風切音を残すが、ボールにバットは当たらない。
ミットにしっかりと収めて表情を悟られないようにしながら、俺はニヤリと頬を釣り上げる。これで七割、こっちの勝ちだ。
「ナイスボール。完璧だ!」
ボールを早川へと軽く返して、再び腰をキャッチャーズサークルで落とす。
(OKOK。完璧だぜ。これで1-1。……この次で決めるぞ。カーブ)
ストレートの後の緩い球。教科書通りのリードだが、その分打者の対応も難しいからな。
引っ掛けてくれればベスト。空振りでも圧倒的にこっち有利。
あのストレートの後だとソフトボールに慣れてる高木幸子じゃヒットにすることは難しい。というより、名門野球部にもこの緩急さとはかなり効く筈だ。
(それくらい早川のカーブ・ストレートのコンビネーションは凄いぜ。……さぁ、来い)
これにカットボールとかストレートと同じ軌道で芯だけ外す変化球があれば――あかつき大付属にだって、帝王にだって通用するような凄い選手に成長するはずだ。
そのために、早川は過去を振りきらなければならない。
煩わしい過去の事なんか俺は知らないし知りたいとも思わねぇ。
けど――早川は野球をやらなきゃいけないんだ。
成長するために。
自信を付けるために。
何よりも――自分の夢を叶えるために!
「さぁ来い! 早川ッ!」
「うんっ! 行くよ幸子!」
「来なあおい! 打ってやる!」
早川が上体を沈めて勢い良く踏み込み、腕を振るう。
放たれたカーブは美しい軌道を描き、カーブを狙っていた高木幸子のバットから逃げるように真ん中低めへと落ちた。
カィンッ、と軽い音を響かせて白球は宙へと舞い上がる。
ただし、そのボールに全く勢いは無い。
ふらふらと力なく上がった打球は早川へと落ちていく。
マウンドから一歩も動くこと無く早川はそれをグラブで捕球した。
その瞬間、早川がおさげを振り乱して勢い良くガッツポーズをする。
俺はそれを見て心の中でつぶやいた。
『これから頼むぜ。エース』
☆
「珍しいですな。理事長さんがわざわざ私を呼び出すとは」
「いや、申し訳ありませんな。影山さん。少々聞きたい事がありまして」
夕暮れ時。
高木幸子と早川あおい、パワプロの勝負が終わって無事に野球部の設立が完了した後のこと、西の窓から黒いソファへと西日が降り注がれる中、たまたま学校の様子を見に訪れていた理事長である倉橋は、影山と呼ばれる男を呼び出した。
影山――、それはプロ野球の敏腕スカウトの名だ。
発掘した選手はプロ野球で八割成功する――そんな伝説じみた記録を持つ名スカウト。
パワプロと同じように、倉橋理事長もまた人脈を持っている。その中の一人が彼、影山スカウトなのだ。
「はて、聞きたいこととは」
「うむ、実はですな。先ほどこの恋恋に野球部を作りたいと駄々をこね、人の可愛い孫をも巻き込んで無謀だと承知で『甲子園に行く』お願いしてくる子がいましてね」
「ほー。凄いですな。特に無謀を承知というのが素晴らしい。なかなか、人に迷惑を承知で、それでも自分の夢を貫ける強い意志」
「うむ。まぁたしかに甲子園にいければ費用対効果も十分だし宣伝にもなる。――だが、仮に行けなくても、プロに行って使わせた費用分返してやる、と言われてね」
「プロ! ほほう、それはそれは……して、もしかして私を呼んだのはその子の事で?」
ヒゲをジョリジョリと指でいじりながら、影山スカウトが問いかける。
その問いにこくんと倉橋理事長は頷いた。
「うむ。本当に彼が行けるのかと思ってね。可愛い孫に聞くに中学時代は優秀な選手だったようだが……」
「名前を伺っても?」
「ああ、パワプロ……葉波 風路といったか」
「葉波風路!」
「おお、知ってらっしゃるかね?」
「ええ、世代の一、二位を争う名捕手です。猪狩守……あの猪狩コンツェルンの息子さんと投手と捕手でコンビを組んで中学時代全国一も経験した男で。勿論私たちスカウトのリストには入っていますよ。なるほど、此処でしたか。名門校のリストに名前が無かった物ですから、どこに行ったのかと思っていたら……」
困ったような嬉しいような複雑な表情を見せて、影山スカウトが声を弾ませる。
そんな影山スカウトを見ながら、倉橋理事長は楽しそうに笑った。
「なるほど、それなら本当に甲子園まで行けるかもしれませんな。それに猪狩コンツェルンの。なるほどパーティかなんかで孫娘と知り合ったんですなぁ。……勢いに押されてしまいましてな。かつての私のように夢に燃えるあの目に圧倒されて――思わず頷いてしまってね。たしかに経営がキツイわけでもないし、余裕はあるが、それでも一年一千万円の支出をたかだか一つの部に出すのは覚悟しなければいけないし、それなりに厳しいものがある。贔屓問題にも繋がってしまうからね」
「ああ、それはたしかにそうですな」
「うむ、だが――経営者の前に私も一人の人間。夢を見る生徒達に夢を叶える道を与えるというようなことをしたいと、彼を見たら思ってしまってね」
「分かります。いえ、私たちはそれが分からないといけないのです。子供達の目の輝き、道を突き進む力――それを見極めるのが、我々スカウトの仕事でもあり、貴方達教育に携わるものの仕事なのですから」
ハハハハ! と二人の大人は大声で笑いあう。
子供が成長するその道すがら、この仕事に身を置くからこそ貰える権利。
子供達が夢に向かって突き進む、そのひたむきな姿を最も近くで見れる仕事。
それに二人は誇りを持っていた。
「こほん、では影山スカウト、一つお聴きしたい」
「なんですかな?」
ひと通り笑って落ち着いた後、倉橋理事長は咳払いをして影山に問う。
それは――。
「彼ら野球部が、本当に甲子園に行けると思いますか?」
――本来ならば問いかけることすら馬鹿馬鹿しい一言。影山もこんな問いをされたら一笑の元に切り捨てていただろう。
設立三年以内に、しかも未だ部員は三人で、設備は揃っているものの一年生ぞろい。
そんな部活動が甲子園に行けるほど高校野球は甘くない。世の中には同時に何名もドラフト指名されるであろう選手が在籍し、更に朝から夜までずっと練習するような強い高校がいくつもある。
そんな高校ですら甲子園に行けない。それが現実だ。
だからこそ、こんな問いかけをされることもなかったし、それに答える必要もなかった。
だが――。
「いけるかもしれませんね」
倉橋理事長が思ったのとは全く違う答えが帰ってきた。
一瞬頭が追いつかない倉橋理事長に、影山スカウトは頬を釣り上げて、
「いや、こういった事例は幾らでもありますよ。有力選手がハングリー精神の塊で、部を設立させてワンマンチームで甲子園に行こう、といった事例はね。……ですが、ここではワンマンにはならないんですよ」
「ほう、と、いうと?」
「彼のような所謂中学で活躍した選手はリストに入ってますが、特Aではない訳です。つまり、名門校に入った場合はチェックされますが、どの高校にいったかというのをわざわざ後を追ってまで、といチェックはしない、というわけですな」
影山スカウトはメモを取り出し、図にしながら倉橋理事長に分かりやすく説明する。
「ですが、逆に特Aの選手はどの高校に行っても追うわけです。もしそこでチームは振るわなくても、本人が成長してると分かれば他球団を出し抜いて三、四位で指名出来る可能性もありますしね。そのなかで、おそらく他のスカウトはリストから外してるかも知れませんが、私が未だに特Aに評価してる選手がこの学校に一人います」
影山スカウトは一息ついて、
「そして、もし葉波くんが私の予想通りの選手で、私の予想通りの目を持っているのなら、その選手を間違いなく野球部に誘うでしょう」
「ほう……して、その子は?」
「『友沢亮』、といいます」
「その子は有名なのですか?」
「ええ、シニアリーグ……中学校の硬式野球で活躍した子ですが、最後の大会で肘をケガしましてね、投手としては評価しようが無くなってしまったのです。当時は猪狩守と並び評された選手だったのですがね。その時点で名門校からの誘いもなくなり、スカウト達もリストを外した人が居ると聞きます」
「ああそうなのですか。しかし肘をケガしているのなら、その子が入ってもきつそうですな。それがなぜ……?」
「ええ、実はですね。私はもとより、投手としてより打者としての方が大成すると思っていたのですよ」
「そうなのですか?」
「ええ、そして――葉波くんも彼の打者としての素質に気づいているでしょう」
影山スカウトは目を細めて、在りし日に想いを馳せる。
中学校時代に見た対戦。
葉波猪狩バッテリーvs打者友沢亮。
攻めづらそうにする猪狩と葉波が印象的だった。
勝負の結果は友沢のツーベース。
垣間見せたのはあの打席だけだったが、あの打席をいつも出せるようになればドラ1は間違いない。それほどの対応力とセンスを見せつけたのだ。
「運がいいですな?」
「ええ、本当に、葉波くんは運がいい。ちらっと見ただけでもこの学校にリトルとシニアの経験者が結構いましてな。……野球を諦めたつもりでも、やはり設備が揃っていて広いグラウンドを持つここを無意識に選んだのかもしれません」
「なるほど、たしかに」
「ええ、矢部明雄という選手なんかも此処にいましたね。彼の状況判断能力、また瞬発力は素晴らしいですよ?」
「つまり、甲子園は完全に不可能ではない、と」
「難しいことにはかわりないですが、不可能ではありません。経験者でスタメンを満たすことができそうですし、何より特Aの友沢くんが居るのが大きいですね。あとは頼りになるエースがいれば、上手くやればもう甲子園に届く条件は揃ってます。矢部くんなどのチームに必要な戦力もいますしね。問題は守備でしょうか、センターライン……セカンド、ショート、センターを強化出来れば問題ありません。その点、友沢くんは守備の動きもセンスの塊でしたからね」
「おお、楽しみですな。影山さんがそうおっしゃるなら、本当に甲子園にいけそうだ」
けらけらと笑って、倉橋理事長は椅子に座り直した。
夕暮れの日が理事長室を赤く染め上げる。
この先彼らを待ち受けているのは困難なのだろう。
だが、きっと彼らなら乗り越えていける筈だ。
そう思いながら、倉橋理事長と影山スカウトは他愛も無い話に花を咲かせるのだった。