実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー   作:向日 葵

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第十九話 ”九月一週” 学生の本分

 新聞に踊る文面は、約一週間前に終わった球児達の夏を今もまだ書き立てる。

 それほどまでに印象的だったのだ。女性選手が躍動し創立して間も無い野球部がチーム一丸となり甲子園を制する――世間にドラマのようだと印象付けるのには十分だった。

 

 "新設二年目で夏制す。恋恋高校の軌跡"。

 "甲子園優勝に導いた中軸、超高校級選手が一同に会す恋恋高校の秘密"。

 "社会現象巻き起こす恋恋高校。秋大会では優勝候補に"。

 "振り返る甲子園決勝戦。蘇る激闘の記録"。

 

 各社が各社の切り込み方で恋恋高校野球部の健闘を称えている。

 その記事を読みながら影山はため息をついた。

 

「これで注目度が高まってしまったな。成長は喜ばしい事だが……」

 

 甲子園に行くチームの主軸となれば否が応でも他球団は取りに来る。カイザースは猪狩守に行くとして、他の四球団の動向はまだ来年の事だが、もうスカウト同士の情報戦は始まっている。

 

「……やれやれ」

 

 ため息をつきながら影山は頬を釣り上げて笑う。

 負けるつもりはない。特に去年から影山が所属するキャットハンズは慢性的な選手不足だ。

 投手も野手もスターが不在――その事実はチーム成績にモロに反映されている。今季も最下位が確定的で三年連続の最下位。

 打率は二割二分台、防御率も四点台後半。ファン離れも加速していて経営にも悪影響が出ているほどだ。

 圧倒的なタレント不足を受けてフロントは影山をパワフルズから引きぬく形で招集した。

 今のキャットハンズを立て直すには豊作になるだろう現在の二年、つまり猪狩世代でのドラフトを大成功させるしかない。

 腕が鳴る。スカウトの腕の見せ所だ。

 影山は思いながら書類をめくる。

 その二年が躍動する秋の大会はもうすぐだ。

 

 

 

                  ☆

 

 

 

「そ、そこまで!」

 

 フラフラになりながら声を上げる。

 部員全員が俺の声を受けてシャトルランを辞めてその場に倒れこむように寝転がった。もちろん俺も含めて。

 夏の甲子園大会優勝――最高の結果を残した俺達を待っていたのは激しいインタビュー攻めだった。

 それがやっと落ち着いたのがつい先日。それでもファンの勢いは止むことは無いがそれはまあ別として、最も嬉しかったのが中学生たちの見学が増えたことだ。

 この分なら来年の一年生の部員の数は大幅アップ間違いなし。戦力的に分厚くなるし進達次の代にも何か残せるしいい事尽くめだぜ。

 なんてことを考えていたら『練習メニューを強豪らしくしようでやんす』と矢部くんが発案してくれた。

 夏の甲子園に勝てたからって秋も勝てるとは限らない。気を緩めたくなるような所だけど矢部くんがそれを引き締めてくれて助かったぜ。

 というわけで本日行うのは耐久肉体強化練習だ。

 耐久二十メートルシャトルランから耐久連続トスバッティングまで、時間を惜しまず補強練習を行う。腹筋背筋なんでもござれ。こうやって体のスタミナをつけとかないとな。投手は夏の大会で大分肩などを消耗したろうからノースローでの休息だ。あおいも一ノ瀬もそれを承知でノースロー調整してくれてるし、聞き分けの良い投手は大好きだぜ。

 

「ふー、疲れたぁ」

「おつかれさん」

「うん、はふー」

 

 シャトルランを終えたあおいが俺の隣に腰を下ろす。

 日焼けした肌が眩しい。これでも日焼け止めを塗ってるっていってるんだけどな。汗で流れ落ちてしまうんだろう。

 華奢な体躯のあおいだが、夏の大会の決勝では四回までノーヒットノーランに抑えるなど成長を見せたし、まだまだ伸びそうだな。

 こうやって下半身と体幹を強化していけばいずれ一二〇キロの後半は投げれるようになるだろ。ぶっちゃけそうなってくれないと困るんだけどさ。

 

「パワプロくん、次のお休みってもうすぐあるよね?」

「おやすみ? ああ、うん。そりゃな。適度に休まないとケガしちまうし」

「じゃあ、その、休みの日……一緒に出かけない?」

 

 あおいが上目遣いでこちらを見つめながら小首を傾げる。

 ……くそ、可愛い。

 こんなお願いの仕方は反則だ。断れる気がしない。

 特に彼氏の俺からしたら断るのがもはや苦行なレベルだなこれ。

 ま、断る理由も無いし休日くらいはイチャイチャしたって罰は当たらないよな。うん。

 

「分かった。んじゃデートに――」

「ストップ・ザ・ラブラブですわー!」

 

 俺がうなずきかけたその瞬間、ズザザザー! と野手顔負けのスライディングで彩乃が会話に突撃してきた。おおすげぇな彩乃。野球をやってたらお前も選手になれるぞ。

 

「デートですって! そんなの許しませんわっ!」

「むむぅ。あ、彩乃ちゃん、それはボク達の問題だよ? だからその、あんまりそういうこと言って欲しくな」

「おだまりっ!」

「あうっ!」

 

 おおう、あのあおいを一言で黙らせるとは。今日の彩乃はなんか気合入ってんな。

 などと他人ごとのように考えているとぐりんと彩乃はこちらを向いた。やべっ、矛先がこっちに来る!

 彩乃は何故か怒りの様相で俺をじろりと見た後、こほんと咳払いをして、

 

「……パワプロ様、甲子園優勝おめでとうございますわ。野球界の日本一、素晴らしい事だと思います」

「お、おおう、サンキュー」

 

 表情とは裏腹な彩乃のセリフに俺はドキリとする。

 ……こうやって前置きがある時、後に来るセリフは大体がこっちにとって都合の悪いものに決まってる。

 例えば成績の話とか学業の話とか成績の話とか成績の話とか成績の話とか……。

 

「ですが――テスト点数のほうは下から一番に近いですわね」

「やっぱりか」

「やっぱり? なんのことです?」

「い、いやなんでもない。そ、そんなことは無い筈だぜ。野球部の中では俺が一、二位を争うはず……!!」

「いいえ、私が集めたデータによりますと学年を分けて考えれば野球部で一位は東條様ですわよ? 二位は友沢様で三位は早川さん、四位に三輪様、五位に明石様で六位に矢部様と新垣様が同率で、八位に石嶺様、九位は……あらあら? パワプロ様ですわねぇ」

「赤坂には勝った!」

「そういう問題ではありませんわっ!」

「でもほら、俺の言った通りじゃね?」

「……何がですの?」

「下から一、二位を争う……」

「コラァ!!」

「す、すみません……」

 

 今日の彩乃のこの迫力は何だ? 逃げれる気どころか反論出来る気すらしねぇぜ。

 にしても困ったな。学校の成績のことを出されると全く持って返す言葉がないぞ。

 教科書なんて貰った時の落丁の確認以来、開いた記憶が全くないレベルだし、ノートなんて写したことすらない。授業中は寝てるかポジション考えるかメニュー組むかだし……。

 

「とりあえず、夏休み開けのテストがあるのはご存知ですわよね?」

「テスト? 何それ、楽しいの?」

「ご・ぞ・ん・じ・で・す・わ・ね?」

「ぞ、存じ上げております……」

 

 怖ぇ。何今日の彩乃。威圧感が福家よりあるんだけど?

 ゴゴゴゴゴゴと修羅を背にした彩乃はふん、と鼻を鳴らして、

 

「宜しいですわ。そのテスト勉強を致しますわよ」

「なん、だと……?」

「テスト期間に入る三日前から部活停止になるのはご存知?」

「まあ……ちょくちょくなってたよーな、気がしないでも、ない、かな?」

「まあテスト期間三日前というのは明日なんですけれど。部活動がお休みになったのにパワプロ様はどうやらスポーツジムにお出かけになさってしまうほど運動がお好きなようですから、たまには頭の運動もよろしくてよ?」

「頭の運動なら相手チームのデータ解析……」

「何か言いました? パワプロ様?」

「す、すみません……」

「全く、放置したらスポーツジムにお出かけしてしまいそうですわね」

 

 んー、とわざとらしく彩乃は頬に指を押し付けて考えるフリをする。

 くっ、さすが彩乃。俺の行動パターンを完全に把握してやがる……!

 

「ああ、そうですわ。それなら部活がお休み期間に入りましたら勉強会をいたしましょう。……わたくしのお家で」

「べ、勉強会……だと?」

「あ、彩乃さんのお家で……!?」

 

 あ、彩乃の家に連れ込まれたらジムどころかノートに落書きすら許されないに決まってるじゃねぇか……!

 喉元過ぎれば熱さ忘れるで此処だけ切り抜ければと思ってたのに、ちくしょうっ!

 そんな俺の隣であおいもなんか劇画風に凍結している。あ、やっぱあおいも勉強は嫌なんだろうな。さすが俺の彼女。思考回路が似てると言わざるを得ないぜ。

 

「いいですわよね? ね? ね?」

「ぐっ……!」

 

 ノーと言ってしまいたいが此処でノーといえばまず間違いなく彩乃がキレる。さすがに此処まで世話になった彩乃をキレさせるのはとても申し訳がない。

 かといってイエスといってバックレるのは俺の流儀に反する。約束は破りたくねぇし世話になった彩乃に対する裏切りは一番やっちゃいけないことだとも思う。

 ……つまり、だ。

 

「……分かった……」

「よろしいですわ!」

 

 にっこりと彩乃がご満悦で笑顔を浮かべる。

 くそう。もう勉強からは逃げれねぇ。やってやろうじゃねぇか! 三日間みっちり勉強してやらぁ!

 

「べ、勉強会か、いいね! じゃあ皆でやろうよ!」

「へ? い、いえ、わたくしはパワプロ様と二人きりで」

「ちょうどボクも聞きたかったんだよねぇ! 学力定期考査で毎回はるかと一位二位を争う彩乃さんに♪」

「そ、それなら七瀬はるかに聞けばっ……!」

「皆ー! 今度のテスト勉強彩乃さん家でやるみたいだよ! 皆も一緒にいこーよ!」

「う、うん! 私も行く!」

「いいでやんすね!」

「……大勢でやったほうが効率がいいか」

「そうだな」

「ちょうど良かったー。今度こそこのクソメガネに勝つわよ」

「いいですね。皆さんでやるのは楽しそうです」

「僕達は一年生だけど、是非参加させてもらうよ」

 

 ワイワイと七瀬と選手たちが集まってあっという間に勉強会はマネージャー含めて野球部全員が参加することになった。

 うん、まあこういう嫌な事は皆でやっちまうのがいいよな。赤信号皆で渡れば怖くないとかそういう感じで嫌な事はチーム一丸で乗り切っちまおう。

 なんかそう考えたらやる気が出てきたぜ。いっちょやってやるか。

 

「……くぅぅ、は、早川あおいぃ……!」

「ふぅ……ふふん、そう簡単にパワプロくんは誘惑させないんだから!」

 

 なんだかあおいと彩乃がにらみ合ってる気がするけど多分気のせいだな。あいつら仲いいし。

 うし、んじゃま難攻不落のテストを恋恋野球部全員で乗り切るぞ!

 

「では早速私の家にいきましょう!」

「今から!?」

「明日から部活はお休みなんですから、別にかまいませんわよね」

「う、ぐ!」

 

 ご、強引だ……! 強引だけどここで断ったら明日から更にスパルタになること間違いなしだし、断れねぇぞこれ!

 というわけで嫌そうな顔をしているであろう俺を引っ張るようにして彩乃は俺を車へと押し込み、家へと連行する。

 あおいたちはなんだかんだいいつつ楽しみにしている様子で、ふかふかの車のソファにきゃいきゃいはしゃいでいた。

 彩乃の家に行くのは久々だけど非常に気不味いなぁ……倉橋理事とかと会ったらどうしよう。

 

「うわぁ……凄い」

「ふふん、わたくしの家は名家でしてよ、これほどの家どうってことありませんわ!」

 

 彩乃の家を前にしてあおいが感嘆の声を漏らす。

 わからんでもない。俺も始めてみた時は仰天したしなぁ。こんな城みたいな家に住んでる奴がいるなんてさ。

 彩乃は勝手知ったる自分の家、門を開けて校内へと入っていく。

 それについて俺達は彩乃の家へとおじゃました。

 

「こちらですわ」

「了解」

 

 広いエントランスだ。豪奢なシャンデリアが室内の気品さを一気に高めているみたいだ。

 ふわふわな赤い絨毯を踏みしめて彩乃の後ろについていった先にあったのは巨大な客間だった。

 

「……キャッチボールできそうだな」

「おいやめろ東條、本当にしたくなるだろ!」

「あの、一応言っておきますがパワプロ様、キャッチボールしないでくださいね?」

 

 なんだよ彩乃め、失礼だな。そんなことしようだなんてちょっとしか思ってないぞ、ちょっとしか。

 俺の表情を読み取ったのか彩乃はもうっ、と可愛らしく頬をふくらませた後かばんから参考書を取り出す。

 人数分用意されていた椅子に俺が座ると、その隣に滑りこむようにあおいと彩乃が席につく。

 ってかはえぇなおい! 今の瞬発力は野生動物並だったぞ!?

 

「ぐぬぬ、端っこに座れば隣は私だけでしたのに……!」

「ふふん、パワプロくんの隣は渡さないよ!」

 

 二人が額を寄せ合って小声でなんか言ってるけどなんだろう。勉強の相談だろうか。

 まあキャプテンは俺なわけだし、此処は俺が音頭を取らざるを得まい。非常に不本意だけどな。

 

「よーし、じゃあ解散、各自帰ってよし」

「…………パワプロくん……」

「…………パワプロくん、それは……でやんす……」

「…………パワプロ……」

「……はぁ、パワプロ、お前は……」

「……パワプロ様、さすがの私でもそれは……」

「…………あんたねぇ……」

「……先輩……」

「……パワプロくん、それはダメだ」

「じょ、冗談に決まってるだろ!」

 

 な、なんだよ。そんな哀れなものを見る目で見なくたっていいじゃねぇか! ちょっとした可愛いジョークってやつじゃん!

 俺が額に汗を浮かべていると、やれやれと友沢がため息を吐いてすっくと立ち上がる。

 さすが文武両道男。その上にリーダーシップまで在るだろうから此処は任せよう。勉強のことになると俺のモチベーションが持たねぇ。

 友沢は時間配分を決める為かシャーペンを持ちながら俺達を見回して、

 

「各自グループに別れて勉強しよう。苦手な強化をまずは確かめる。点数が三〇点以下の教科は手を上げろ。最初は現国」

「はーい」

「ほーい」

「パワプロと赤坂、と、次は数学」

「はーい」

「ほーい」

「パワプロと赤坂、と、次は科学」

「はーい」

「ほーい」

「パワプロと赤坂、と、次は現代史」

「はーい」

「ほーい」

 

 あ、友沢が持ってたシャーペンが粉々になった。

 友沢は握りつぶしたシャーペンを机に起いて額に血管を浮かべながら、優しく俺と赤坂の方を見て、

 

「お前ら……授業中は何をしているんだ……?」

「絶賛睡眠タイムだよな」

「なっ」

 

 俺と赤坂が目を合わせて微笑み合うと、友沢が流れるような動きで俺の首を抱え込んでぶん投げた。

 おぐうっ! 首が、首があああああああああああ!!

 掠れる視界の中で視線を這わすと視線の先で赤坂が一本背負いをされていた。恐ろしい、友沢には格闘家のセンスまであったのか。

 

「いいか二人、お前ら二人にはこれから俺達が自分の勉強を兼ねつつ全ての教科を教えてやる。だから全て頭に叩き込め。野球のデータを叩き込むが如く頭に叩き込め、分かったな?」

「えー、勉強と野球はちげーしさ。無理だって。マジで」

「分・か・っ・た・な?」

 

 友沢が俺の頭をアイアンクローしながら了解を促してくる。それはもう恐ろしい形相で。

 ぎりぎりぎりぎりっ……と頭の骨が悲鳴を上げる音がすれば、さすがの俺も赤坂もコクコクと頷くことしか出来なかった。友沢怖っ。

 

「よし、ではまずは一時間みっちりやる。ノートに書きながら暗唱してしっかり自分の描いた字を見て、目、耳、手でしっかりと頭に叩き込め」

「まずは数学ですわね。私が得意ですからしっかり教えてあげますわよ」

 

 隣に座った彩乃が優しく微笑みながら俺の右腕に体を寄せて教科書を開く。

 ううむ、制服の上からでもしっかりと胸のふくらみが分かるなぁ。彩乃は結構隠れ巨乳なのかも。

 それにしてもこう押し付けられるとなんとも言いがたい幸せな感覚がする。

 ふわりと香る匂い、彩乃の髪の匂いか? 果物のような甘い匂いだ。くそう、こんな感触的にも嗅覚的にも女性を意識させるような状態で勉強に集中しろって言われても……!

 

「パ、ワ、プ、ロ、くん」

「う、うっす、ちゃんと勉強してるって、うん」

「むぅ」

 

 あおいがぷぅと頬をふくらませる。

 怒られてるんだけどこう可愛らしい仕草をされると罪悪感より愛でたい気持ちが膨らんできちまうな。

 なんて思っていると、何を思ったかあおいまでもがノートと教科書と椅子をずらし俺の左腕に体を密着させた。

 彩乃程胸はないもののしなやかな体の感覚が腕に押し付けられる。

 あおいの髪の毛からはさわやかな柑橘系の匂いが漂う。うぐぐ、こ、これは拷問かはたまた天国か!? 珍しく勉強しようとした俺に対するご褒美かはたまたずっとバカでいろという神の仕打ちか!?

 グラグラしながら助けを乞うように視線を巡らすと、矢部くんと目があった。

 おお、助けてくれ矢部くん! 俺を、俺を勉強に集中させてくれ!

 そんな意志を込めて矢部くんを見ると、矢部くんはにっこりと笑ってノートに何かを書きなぐり、

 

『さっさと死ね』

 

 と書かれたノートの見開きを俺に見せた。

 

「どういうことなの矢部くん!?」

「黙れでやんすこのスケコマシが! 男の幸せと幸せをあわせて超幸せ状態なくせに何かを懇願するような目でオイラを見るんじゃないでやんす!! ぶち殺すでやんすよこのドンファン!」

「ドンファン!? ポケ○ン!?」

「詳しくはwikipediaで調べて見ろでやんすー!!」

「黙りなさい」

「ほぐんっ!!」

 

 騒ぎ出した矢部くんのみぞおちに新垣の肘鉄が見事に決まって矢部くんは椅子に崩れ落ちた。うわぁ……今のは痛いぞ……。

 つか新垣、矢部くんの隣に座ってんのな。あんなにあーだこーだいってる割に仲良しじゃねぇか。

 あ、でも矢部くんのおかげで落ち着いたな。なるほど、矢部くんは俺を動揺させることで逆に冷静さを取り戻させたのか。さすが矢部くん、やるな。

 矢部くんのおかげで落ち着いた俺は彩乃とあおいに解説を聞きながら、数学の問題を解いていく。

 よし、この調子なら赤点を取らない程度には成績を上げれる筈だ。

 

「ちなみに、ドンファンは貴族の女性を誘惑した色男の名前だよ」

「あおいは物知りだな」

「てへへ……」

「むう、それなら私も物知りですわよ!」

「むむ、雑学ならボクだって負けないよ!」

「……えーと……」

 

 上げれる筈、だ、よ……な?

 

 

 

 

                      ☆

 

 

 

 

「本当に……いいのですかな?」

 

 どっかりと黒塗りの椅子に座る男が、目の前にいるグラマーな美女――加藤理香に話しかける。

 その姿はパワプロ達が見慣れたユニフォーム姿ではなく、学校の生徒たちがよく目にする白衣姿だ。

 加藤理香は少し寂しそうに笑いながら、倉橋理事の前に差し出した辞職届に目を落とした。

 

「ええ。もちろんです。こんなこと冗談でしたら怒られてしまいますし、信頼して仕事を任せてくださった倉橋理事長に申し訳が立ちませんから」

「そうですか……それにしても勿体無い。実質的にトレーナー業しかしてなかったとは言え貴方は優勝監督ですのに」

「ええ、それを鑑みて思いました。私には監督は向いていません。それに……副業よりも本業の方を頑張らないといけませんから。……パワプロくんの手柄を奪ってしまうのも申し訳ないですしね。監督も他の方を見つけて頂いたのでしょう?」

「いえ、まあ……私に考えがあります。……甲子園が始まる前から相談は聞いていたとは言え、そう簡単にはね……加藤先生の方は安心してください。白鬚さんにも話は通しておきました。貴方が次に行く学校は希望通り安藤梅田高等学校ですよ」

「ありがとうございます。……それでは、退職届を受理していただけますか?」

「はい。今までご苦労様です加藤先生。次の学校でもがんばってください」

「ありがとうございます」

 

 にこやかに笑いながら、加藤理香はぺこりとお辞儀した。

 それを見ながら倉橋理事は腕を組んで机に肘を乗せる。

 

「……それにしても、貴方は一体なんのために野球部の監督を受けたのですかな?」

 

 まっとうな疑問だ。

 一年と半年、それだけの間で監督どころが学校を変わらねばならない事情があるにも関わらず新設の野球部の顧問をする。それは加藤理香にとってはハイリスクでしかない。

 甲子園にいけたからこそいいが、もしもこれで結果が残せていなかったのなら途中で投げ出した無責任な人物――そういうレッテルが張られてしまっていただろう。

 加藤理香はその質問を受けてふっと微笑み、

 

「早川あおいさんを始めとする女性選手が参加できることになった時、それを一番身近で見たいと思ったからですよ」

「……そう、か」

「ですが、残念ですね……」

「……む、残念?」

 

 加藤の言葉に首を傾げる倉橋理事に加藤理香はええ、と頷く。

 

「この秋からは――敵ですから」

 

 その顔に悲しみは無く寧ろ清々しいといった表情で加藤理香は言う。

 秋の大会は、もう目前に迫っていた。

 

 

 

                 

                  ☆

 

 

 

 

 テスト最終日。彩乃の勉強地獄のせいもあり、そこそこ出来た(と思う)テスト週間が今日で終わりを告げて野球部の休みも今日まで、といった所で俺が椅子に座るとあおいたちがなだれ込むように入ってきた。

 

「加藤先生がやめたってホント!? パワプロくん!」

「ああ、マジもマジ。大マジだぜ」

 

 まあやっぱそれだよな話す事って。

 俺も昨日電話できいて驚いたしなぁ。

 加藤先生が転勤という形で野球部の監督を退任し、すでに別の学校に異動してしまったって? 今日の朝保健室に行ってみたらマジでいなかったしさ。昨日俺がうとうとしながら聞いた情報は聞き間違いじゃなかったってことだし多少なりとも動揺したかもしれない。

 それを考えるとこいつらがこれだけ騒ぐのも当然だよな。うん。

 

「……どうするんだ。監督は?」

「それが問題だ。いきなり見つかるとも限らない」

「くそう、くそう、まだデートの一つもしてないでやんすのに……!」

「黙れこのダメガネ。……てか、顧問と監督がいなきゃ試合には出れないじゃない。もしかして秋はまた不参加!?」

「や……それなんだがな」

 

 ……うーむ。実はもう後任は打診されてんだよなぁ。

 言うか言わないか迷ったけど、不安にさせない為にも此処は伝えたほうがいいよな。

 実質的には今までもこういう感じだったんだし不満が出ることもあるまい。なんだかんだずっと隠しているよりも今伝えてしまった方が印象はいいだろうし。

 

「実は監督要請が来ててな」

「え? ……誰に?」

「いや、俺に」

 

 俺が自分を指さして言うと、全員が顔を見合わせて硬直する。

 そりゃそうか、俺も聞いた時は思わず三分くらいなんて言われたか分からなかったからな。

 

「……何?」

「……えーと、でやんす」

「つまり……」

「パワプロくんが……次期監督ってこと?」

 

 全員の目が俺に向く。

 

「どうやらそういうことらしいぜ」

「……ふぇ~……」

「なるほど、まあ納得出来る範囲内か」

「ただあんたの負担が増えるわね」

「……個人個人が頑張ってパワプロくんの負担を少なくしないといけないでやんすね」

「うん、そだね。皆でがんばろ」

 

 おお、予想外にいい効果! 全員のモチベーションが上がってくれるのはいい事だぜ。

 負担承知で引き受けたかいが有ったってもんだ。……ま、元から監督混じりみたいなことやってたけどな。

 

「よーし、それじゃ今日からがんばろうね! パワプロくん! 今日の終わりから部活やる?」

「あ、それなんだけどさ、あおい。実はグラウンドの予約、今日取ってなくてさ」

「え?」

「ほら、テスト期間中だろ。それでグラウンド予約してたりするとその間も部活やってるってことで教育委員会から怒られるんだよ。だからテスト期間三日前からグラウンドの予約をとってないんだけど……実はミスって今日の分取り忘れて、部活ができないんだ」

「ええー!?」

「せ、せっかく野球ができると思ったでやんすのに……!」

「……バカが……!」

「しっかりしろパワプロ監督」

「おいコラ! 一つのミスで好き勝手言いやがって……! ま、まあよく聞けよ? テスト勉強で疲れてるだろうし今日一日休みにしてリフレッシュして貰う。まあ各自トレーニングは自由にすればいい。……つか、ウチの部活のメンバーなら何も言われなくても勉強せず筋トレしたりしたろ?」

 

 あ、全員目をそらしやがったぞ。やっぱりやってんじゃねぇかお前らも。……俺もだけど。

 

「こほん、という訳で明日から本格的にビシバシやるから、その一日前のリフレッシュ休暇ってことで今日は休み。分かったな?」

「分かったわよ」

「まあ久々に本屋にでもいってからトレーニングするでやんすかね」

「バッティングセンターにでも行くか……」

「……友沢、付き合おう」

 

 俺が宣言すると、各自が思い思いの過ごし方をつぶやきながら机に戻って行く。

 あおいも残念そうな表情をしながら戻ろうとしている。

 ……ま、折角の休みだし、そういう日にこう、恋人同士が出かけたりするのは自然なことだよな。うん。

 俺はこっそりとケータイのメール送信画面を開き、あおいに向けてメールを打つ。

 えーと、内容は――

 

 ちゃららちゃっららららーちゃっらっらっらー♪

 

 お、パワプロナインのオープニングテーマだ。やるなあおい。いいセンスだ。

 俺からのメールと気づいたあおいは手馴れた手つきでピピピ、とケータイをいじりその文面を見て嬉しそうにおさげをぴょこぴょこさせる。

 一生懸命メールを打つ姿が可愛らしい。その姿に目を奪われてる男子生徒(矢部くん含む)が居るくらいだし。

 やがてメールを打ち終えたらしいあおいはパタムとケータイを畳んでポケットにしまうと、ちらりと俺を横目で見て微笑み自分の椅子に座った。

 ブブブブブ、と震えるケータイを開くとあおいからの返信だ。当然だけどさ。

 そこには可愛らしい文面でこう書かれている。

 

『うん! ボクもパワプロくんとデートしたい! 一度家に帰って着替えるから、一緒に帰ろ♪

 >今日せっかく野球部が休みなんだしデートしないか?

 >午前中でテスト終わりだし、昼飯兼ねて一緒に出かけようぜ』

 

 うし、そうと決まったらこの最後の地獄を切り抜けねーとな。

 いっちょ全力でがんばるとするか!

 


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