実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー 作:向日 葵
薄闇の中、河原に人影が映る。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
髪を揺らし、荒く息を吐き出しながら走る人物は恋恋高校のリリーフエース、一ノ瀬だ。
端正に整った顔立ちは苦しさで歪み、額からは無数の汗を流しながら右手に握力を強化するヘビーグリップを握りながら一ノ瀬は走る。
"行った! 行ったー!! 飛び込んだー!!!! 甘く入ったボールを春涼太がフルスイングー! 止めとなる一撃ーっ!"
何度もビデオで見た場面が頭に蘇る。
つい先日の事だ。リリーフで受けた自分を信じてくれた捕手の期待。それに答えようと腕を振るって投げ込んだ球。それが甘く入った。
野球に言い訳は通用しない。甘く入れば打たれる。
自明の理のように存在する失敗を、自分は犯した。
それはひとえに自分の力の無さの所為。
「……はぁ、はぁ」
それから、一ノ瀬は毎日朝はやく――恋恋高校の練習が始まる前に走りこみをしている。
足腰が安定すれば体のブレは少なくなる。投手にとって下半身の強さは命のようなものだ。だからこそ、自分がエースの座を競って"いた"早川あおいも地獄のようなランニングを己に課している。走らない日がないほどに。
「……リリーフエースは、打たれてはいけない」
自分に言い聞かせるように一ノ瀬はつぶやく。
エース争いは二の次だ。……自分が働くべき仕事場はパワプロが示してくれている。
先発のエース。――それに拘りすぎて、自分が見失っていたものが有るはずだ。最善を尽くしたなら打たれる事なんて無い。何よりも頼れるバックと女房が同じグラウンドに立っているのだから。
それなのに打たれた。それは自分に足りないものがある証拠だ。
(……エースの座を追うことはもうしない。僕がチームのためにやるべきこと、やらなければならないことは一つ。――絶対的守護神になること)
左手に握ったグリップをぎゅ、と握りしめながら一ノ瀬は誓う。
(もう、点は取られない。――僕はパワプロともう一度優勝旗をつかむ)
朝日に向かって一ノ瀬は走りだす。
"もう打たれない"。
誓いを立てた天才投手は絶対的守護神への道を静かに歩み出した。
☆
「いくわよー」
「ばっちこいでやんす!」
「全くもう……毎日毎日朝からご苦労ね」
「すまんでやんす」
「いい。アンタの気持ちは分かってるわよ」
スパァン! とグラブの音が河原に響く。
一ノ瀬が走る道のすぐ下、河原では新垣と矢部がキャッチボールを行なっていた。
勿論これは準備運動だ。この後補強トレーニングを行ってからペッパーなどのトレーニングを、聖タチバナに負けた日から行なっている。
「オイラ、思ったでやんす」
「何をよ?」
「オイラは全力でやってたでやんす。全力を尽くしたと胸をはって言えるでやんすが、それじゃ足りないでやんす。……オイラ、甲子園で優勝してどこか安心してたでやんすよ」
「……わかるわよ。私も安心してた。日本一のチームのセカンドだって……女性でも、ここまで出来るんだって見返してやったって……心のどっかで思ってた」
「オイラもでやんす。日本一のショートだから、って思ってたでやんすよ。でも、それじゃ足りなかったでやんす。……考えてみればそうでやんすよね。オイラ達もあかつき大付属に勝つために練習だけじゃなく、データを集めたり、必死に頭を悩まして攻略の仕方を考えてたでやんすから、相手も同じくデータを探るはずでやんす。勝ち続けるためには、どんな作戦を取られてもそれを上回る実力が必要でやんす」
矢部は丁寧にボールを投げて体の動きを徐々に強くする。
ケガをしないよう細心の注意を払いつつ、全開の動きが出来るようにウォーミングアップをしているのだ。
「なのに、オイラと来たら作戦面はパワプロくんに丸投げしてるでやんすし、パワプロくんからの指示で動くだけでやんす。自分の実力じゃ打ち崩せないからってパワプロくんの作戦があれば打てると勝手に思い込んでたでやんす。……でも、そんなの違うでやんすよね。作戦はただ打ちやすくする方針のようなもので、打つのはあくまで自分の実力でやんす」
「私も同じよ。バントさえすれば、アンタを次の塁に進めれば――そう考えてアンタの足に頼り切りだった。私がヒットを打てば一、三塁にもなるし、打てるにこしたことはないのに。それに見向きもしてなかったわ」
「……オイラ、オイラ……タチバナに負けた時、パワプロくんがもうちょっといい指示をしていれば、なんて思ったでやんす……」
パァンッ! とボールを投げ込む。
感情が込められたボールは、新垣のミットを強く打った。
「そんなことを思った自分が、オイラは許せないでやんす! パワプロくんはなれない監督をしながら必死に考えて、リードして、クリーンアップを打ってるでやんす。そんなパワプロくんにオイラ、負担を与えてばかりでやんす!」
「矢部……」
「だからオイラはもっと上手くなりたいでやんす! パワプロくんに頼るだけじゃない、頼られるようになるために!」
「……バカね。アンタは頼られてるわよ」
そのボールを受けて、新垣はボール握り見つめる。
矢部は頼られている。そんなのは当たり前だ。リードオフマンでパワプロの親友でチャンスメーカー。足も使えて守備も上手い。打撃だって出塁出来なかった試合を探すのが難しいくらいだ。
それに比べて、自分はどうだろう? バントを必要とされてその仕事は果たされてると胸をはって言える。でも、足が遅くて長打なんて両手の指で数えれる程度しか打っていない。
チームの中で一番打撃力が弱く、足も遅い自分は……一体、どうすればいいんだろうか。
そんなことを考えているとなんだか泣きそうだ。
ぴゅっ、とごまかすように新垣はボールを投げる。
矢部はそれを受け取った。
ぱすん、としっかりと回転していないボールは矢部のミットに収まっても鈍く小さな音しかださなかった。
「……それに比べて、私は……」
「ふふふ、何いってるんでやんすか、新垣は。オイラ新垣に便りっきりでやんす」
「え?」
「守備範囲は狭いかもしれないでやんすけど、その分守備範囲に来たボールはエラーしないでやんすし、きっちりゲッツーの時はすぐに投げれるよう絶妙な位置に投げてくれるでやんすし、オイラが送球するときは完璧なタイミングでセカンドに入ってくれるでやんす。ファーストランナーの時はオイラが走れるようにきっちりボール球を見極めてくれるでやんすし、自分のバッティングを捨てて右打ちに徹したり、バントしたり、ヒットゾーンの球も見逃してオイラを走らせてくれるでやんす。こんなに最高なパートナーは居ないでやんすよ」
にやりと笑いながら矢部は新垣に近づく。
あ、と新垣は目を擦る。
少なくとも、目の前に立っている男性には涙を見せたくない。弱いと思われるのはいやだ。いつもの自信満々の自分で居たい。
「ば、バカ、何いってんのよ。私がアンタに頼られるのは当然でしょ。宿題だってたまに見せてやってるし、授業中寝てたあんたに先生からの答えを教えてあげるのも私だしっ。き、今日だって朝練に付き合ってやってるし……あんたは私が居ないとホント駄目プレーヤーね!」
「む。それは言い過ぎでやんす。……でも、新垣が居ないと持ってる実力を出せないのは本当かも知れないでやんすね」
「ふ、ふん……分かってるじゃない……」
「だから、そんな顔をしないほうがいいでやんすよ。オイラには新垣が必要でやんす」
「~~~~っ」
顔が赤くなるのを感じて新垣は目線をそらす。
一年生の頃はあんなに馬が合わなかったのに、今は"お互い"に必要不可欠なパートナーだ。
それを理解して、新垣は声がでない。その代わりに瞳から涙が溢れる。
こんなに嬉しい事、他に無い。
「……だから、泣いちゃ駄目でやんすよ。新垣」
矢部が微笑みながら新垣の頬の涙を掬い上げる。
こく、と矢部の言葉に頷き、新垣は矢部の胸板にぼふっと顔を突っ込む。
「ふぐっ、ヘッドバッドでやんすか、なかなか効くでやんすね」
「……ち、がうわよっ……。……矢部……あ、ぁ、……あり、がとう……」
「ふふ、いつもお世話になってるでやんすからね」
「……だから、その御礼なんだからね」
「? 何がでやんすか?」
「……これからも、よろしく」
新垣はその場で背伸びをする。
重なった二人の影を、登った朝日が更に伸ばす。
そのまま影は少しの間動かなかった。
☆
「っ、っはぁっ!」
「お坊ちゃま! もう……!」
「いいから、お願いします……! あと二〇球!」
「それくらいの根性が無きゃ役に立てない。行くぞ!」
猪狩スポーツジムのバッティングセンターは実際に試合でも使える"マグマドーム"と呼ばれる球場だ。
そこに朝速く、新聞配達が終わった友沢と朝からトレーニングをしていた進は練習を行なっている。
横手投げの軌道からアウトコース、インコースをランダムに射出する特殊マシン。それを相手にひたすらに打ち込む。友沢の打撃に少しでも近づくための特訓だ。
「はぁ、はぁ、ふっ!」
「バットが最短距離を通っていない! もっとひきつけろ!」
「はいっ!」
「ヘッドが低いぞ! ヘッドが低いと飛距離が伸びない上にポップフライが多くなる!」
「はいっ!!」
「脇が開いているぞ! 脇を締めてしっかりと振れ!」
「んく、は、いっ……!」
ビュッビュッ! とスイングの音がドーム内に響き渡る。
滝のような汗を流しながら、進は必死に投げ込まれるボールを弾き返す。
それを見ながら、友沢もバッティング練習を再開した。
ガッカァンッ!! ガッカァンッ!! と痛烈な音が響き渡る。
進と同じ軌道で投げ込まれるマシンを四メートル近づけてひたすらに打ち込む。
体感速度は一五〇キロに近い。その打球を友沢は広角に打ち返していく。
二人の間に交わされる言葉は技術論だけだが、二人にはそれだけで十分だった。
☆
『昨日行われた決勝戦、あかつき大付属対帝王実業大付属のハイライトをお伝え致します。初回、三番蛇島が猪狩守からセンター前ヒット!。チャンスを作る帝王実業大付属でしたが、後続が続かず〇点。猪狩守がさすがの投球を見せます。対するあかつき大付属。帝王実業大付属の山口賢相手になんと七回までパーフェクトに抑えられてしまいます。それに負けじとあかつき大付属の猪狩、初回の一本のヒットのみに抑え九回までピシャリ。すると迎えた九回裏、七井アレフトへの1-2からの投球! 完璧に捉えた当たりはレフトへの場外へ消えるサヨナラソロホームラン。あかつき大付属、夏の雪辱を果たす春の大会連覇でセンバツ甲子園への切符をほぼ手中に収めました!』
それを聞きながら、俺はバットを振るう。
恋恋高校野球部グラウンド。
静かに日が登る中で俺は必死にバットを振るった。
東條がグラウンドをランニングしているのを視界の端に捉えながら、ひたすらにバットを振るう。
直接の敗因は最後に打たれたホームラン。だが、全体的に見れば明らかに友沢を除くクリーンアップ、つまり俺と東條の不発が目立つ。
最後こそ俺は出塁したものの、打つべき時に打てなかった――それが原因だ。
俺が一本打ってれば流れが変わった場面は合った。そこで打てなかった。
結果あおいや一ノ瀬に負担をかけ、結果は負け。
「……もっと、上手くならないと」
俺だけじゃない、皆がそう思ってくれてるはずだ。
もう負けたくない。
その思いを具現化するようにバットを振りぬく。
そうしている内に、ガシャンと入り口の音が鳴った。
皆がぞろぞろとこちらに向けて歩いてくる。
皆ユニフォームに着替え、額には汗を浮かべて、いつでも練習出来るぞといった雰囲気だ。
それを見るだけで――きっと皆理解しただろう。全員、負けて悔しかったんだって。
マネージャー二人もいる。荷物を両手に一杯持って歩いてきた。
「速い到着だね。パワプロくん」
「お、や、やってるでやんすね」
「やってるわね。おはよ。パワプロ」
「おはようございます! パワプロさん!」
「おはよう。速いな」
「……ふん、やっと来たか」
「おはようだぞー」
「はよっす!」
「おはよー!」
「おはようございますわ!」
「おはよう皆~」
「……うし、んじゃ始めるか……ってあれ? あおいは?」
「あ、あおいなら朝ランニングするから私に先に行ってて、って」
「そっか。んじゃまあおいはほうっておいて……皆。悔しかったよな」
俺が声に出すと、皆が黙って静かに頷く。
……だよな。聞くまでもなかったか。
「じゃ、次は負けないように強くなろう。……行くぞ。甲子園!!」
「「「「「「「「おぉ!!!」」」」」」」
全員が声を揃えて声をあげる。
よっしゃ。待ってろ甲子園! またその旗を手中に納めてやるからな!
……そういや、あおいの奴、大丈夫かな。
☆
たったったった、とボクは道路を走っていた。
負けた脱力感がまだ抜けない。みずき達のチームが相手とは言え、負けるとは思ってなかった。
それが慢心なのか、……悔しい。どうしてボクはもっと良いボールを投げれないんだろう。
朝もやの中を必死に走る。もっともっと上手くなりたい、その一心で。
すると、前から人影が近づいてくる。
金髪の女性だ。見慣れないユニフォームを着てる。……どこの高校だろう。
「待ってよ雅」
更にその後ろからもう一つ影が近づいてきた。
……あれ? この顔、どっかで見たような……。
「……っ! と、東条慎吾! 中学校時代にパワプロくんと猪狩くんの連覇を止めたっていう!」
「えっ……し、慎吾くんを知っているの?」
ボクが慌てて声を上げると、金髪の女性は驚いたように声を上げた。
名前を呼ばれた男はボクの目の前でぴたっと止まると、罰が悪そうに頭を掻く。
「まー……うん、そうだよ。東条慎吾だ」
「な、なんでここに……? 東条くんってたしか名門校に行ったって……」
「……俺は海東学院大付属にいったんだ。そこで肩を壊しちゃってね」
「…………肩を……」
「うん、おかげで俺は今は弱肩さ。だから部活を辞めて転校してね。……今は――この雅と一緒に、ときめき青春高校に通ってるんだ。ポジションはセンター。足と守備に自信があるしね」
「そう、なんだ……」
「キミが暗がる事はないよ。……来年は最後だし甲子園に行くつもりさ。この春はアンドロメダに負けてしまったけどね。じゃ、行こうか雅」
「う、うん」
「じゃ、またね。"あおいちゃん"」
「……え? ボクの名前……」
慌てて振り向くと、影はもやの中に消えていった。
「……雅ちゃんに慎吾くん、か」
……ライバルは増える一方だ。負けないように頑張らないと。
「……よし!」
ボクは再び走りだす。
パワプロくんに頼ってばっかじゃいけない。ボクがパワプロくんを引っ張るんだ!