実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー   作:向日 葵

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第二九話 "七月一週" vs帝王実業  蛇は夏に散る

 ――二回戦は、恋恋高校と帝王実業との試合。

 投手の山口は勿論、ついにフォークをキャッチングすることができるようになった猫神、新入生の三人の中学生コンビ、そして蛇島――タレント揃いの帝王実業は近年は甲子園出場がなくてもやはり強豪だと思わせるに十分な実力を誇っている。

 そんな中、パワプロがどんな試合をするかと僕はテレビの前に張り付いてその様子を一つ一つ忘れないように見つめていた。

 勿論身体は動かしている。マシンバイクで下半身をイジメながら、それでも室内に用意されたテレビから僕は目を離さない。

 試合は既に五回。

 最大の武器を思う存分に使えるようになった山口はパワプロを始め、友沢、東條といった好打者達を三振に討ち取った。

 先攻の帝王実業もこの回までパーフェクト、恋恋も三振9個を奪われパーフェクトされている。

 行き詰まる投手戦だが――ここからは二回り目、アジャストしてそろそろヒットが出始める頃。

 

「先制点を取ったほうが勝つ」

 

 そうつぶやく僕の感想とパワプロの抱く印象は、多分一緒だ。

 テレビに映されたパワプロの表情が硬い。

 先制点――この試合ではそれが最後まで重くのしかかるということを、パワプロは僕よりも感じているはずだから。

 

 

 

 

                        ☆

 

 

 

 苦しい。

 こんなに苦しい投手戦は多分、高校生活では初めてだ。

 完璧なフォークを、完璧に捕球する――そんなことを高校生バッテリーは出来るはずがない。

 フォークというのは低めに決まれば、打者の技術が超一流でも運が良くてヒットに出来る程度にしか打てない球だ。勿論フォークだけしかないのなら話は別だが、一四〇キロのストレートと曲がりが遅い一級品のフォークがあれば一巡目までなら抑えきれる程にフォークというのは効果的な球だ。

 勿論そんなことを一〇〇パーセントの精度で出来る投手なんてのはこの世には存在しないだろう。フォークが代名詞の投手でも七割程度、あとの三割はボールが早く落ちすぎて見極められたり、打者が見逃したり、引っかかったりする。フォークというのは打つのも難しいが投げる方も難しい球だ。会得するだけでも一苦労なのに、それを使いこなそうとなると一年や二年の練習ではなんともならない。

 それを――帝王実業バッテリーは完璧に使いこなす。

 

『三振!! 友沢空振りさんしーん!! 一四七キロのストレートでカウントを整えた後、ボール球二つを見せ球にした後の伝家の宝刀フォーク! 友沢のバットが空を切ります!』

 

 友沢が三振に倒れ、戻ってくる。

 くそっ……! ただ曲がりが遅くてよく落ちるフォークだけならば、"捨てろ"と指示を出せば事足りるんだ。でも山口には一五〇キロ近いノビの良いストレートと少ししか落ちないフォーク、そして何よりも、

 

『見逃しっ! 五番東條、フォークを見逃しますがこれは低めに決まった!』

 

 フォークを低めに決める力を持っている……!

 フォーク狙いでフォークを見極めてもそれがストライクだったり、フォーク読みでバットを振っていってもワンバンになったりする。その制球力と打ち取る為のフォークが絶妙なアクセントになっててめちゃくちゃ打ちにくい。

 

『さんしーん!! これで二番新垣から四者連続! 三振一一個目!』

 

 こんな投手戦になるなんてな。一年の頃から山口相手にはなんだかんだ点をとれてた。そのせいで投手戦の予想なんてこれっぽっちもしてなかったぜ。

 山口の状態が悪いなら、その調子の悪さがダイレクトに現れるフォークを攻略することも出来たかも知れない。

 だが、今日の山口のフォークは正直、打てる気がしない。

 猪狩のスライダー、ストレートのコンビネーションとか、久遠のスライダーとか、そういうのじゃない。確かにこの二つも打てるか打てないかといったら打てないんだけど、それ以上に圧倒的なんだ。

 

 ――山口のフォークは。

 伝家の宝刀と誉れ高くも、なまくら刀のように活かせていなかった山口の宝刀は。

 ここに来て、その輝きを取り戻す。

 前に立ちはだかる打者を切って捨てるようにフォークは鋭いまま進を血祭りに上げた。

 

『五回パーフェクト!! 山口、得意のフォークで一塁にランナーを出させません!』

 

 こうなると先攻の俺達は厳しい。もしも同点のまま九回が終わればそこから先は勝ち越されれば即終了のサバイバルゲームみたいなものだ。打たれれば負ける。そんな崖っぷちの戦いになる。

 だからこそ、欲しい。

 喉から手が出る程に、先制点が欲しい。

 だが、逆に言えば敵も同じだ。この投手戦で先制点を得れば後攻の帝王実業が有利。この山口に任せていれば今日は九回までなら抑えられる。その自信もあるし、実際そうなってしまうだろう。

 一点もやれない。恋恋高校ベンチ(こっち)と帝王実業ベンチ(あっち)の思惑は全く同じだ。

 

『五回の裏、帝王実業は、バッター四番、蛇島』

 

 そして、蛇島が打席に立つ。

 守らなきゃいけないけど、まもりに入り過ぎるのも良くない。保守的になるのと点をやらないってのは別だ。点をやらないためには攻めるのも必要だからな。

 蛇島は一打席目と同じようにこっちを見ない。

 こっちにとっては相手の四番の調子が変なのは嬉しいんだが、あの憎まれ口尽きないって感じの蛇島が黙ってヘルメットをとって挨拶したり、何も言わないと逆に不安になるぜ。

 あおいに要求したストレートを捕球しながら蛇島の様子を見る。

 

「ストラーイク!」

 

 蛇島はそれでもまっすぐ見据えたまま動かない。

 1-0。ファーストストライクはとった。二球目はカーブをギリギリに決めて2-0にする。

 追い込まれた蛇島はぴくりとも動かない。何か待ち球があるのか? この状況でストレートでもカーブでもないってことは待っているのはマリンボールだろうが……待っている球をこの場で変えれる対応力は蛇島は持っているが、ここでコロコロ待ち球を変えるような打者がいる帝王実業じゃない。狙ったらそれを仕留める。それが一流の強豪ってもんだぜ。

 よし、マリンボールは温存しよう。インハイにストレートを投げさせる。

 あおいがわずかな間を開けて頷いて、ボールを投げる。

 っ、やべ、ボール球のつもりだったのがストライクゾーンにちょっと甘く入った……! 打たれるか……!?

 蛇島は動かない。

 バシッ! と捕球して、思わず蛇島の方を見つめてしまった。

 

「ストライクバッターアウトォ!」

『三球三振! 抑えられればこちらも抑える! お見事な早川の投球!』

 

 蛇島は何も言わずに戻っていく。

 判定に文句があった訳でもないのか。……どうしたんだあいつ? 人を気にしてる場合じゃねぇけど、それにしてもおかしすぎるだろ。

 四番の重圧に潰されるタイプでもないだろうに……っと、やべぇやべぇ、目の前の打者に集中しねぇと。

 バッターの五番は高原。両打ちのショート。

 広角に打ち分ける技術を持った、蛇島と二遊間を張るチームの要だ。打っては五番。守っては遊撃、最近頭角を表した奴。

 こいつはそのがたいの良さの割に高めのボールに弱い。ボールをしっかり見極めれるがその割に高めのボールを長打にしてる割合は低めだ。そのせいか本人は高めに意識を持って、追い込まれた高めの球を確実にヒッティングしようとしてくる。

 

「……っふぅ」

 

 大きく息を吐いて、息を必死に整えながら、あおいが振りかぶる。

 際どいところでカウントを2-0に持っていった後、カーブで遊んで、インハイのストレートと見せかけて――マリンボール!

 ストレートと同じ軌道で来るボールに高原は反応してバットを振り出すが、ボールはストン、と落ちる。

 高原のバットが空を切る。

 よし、クリーンアップ三振返し! やられたらやり返さねぇとな!

 続く六番、大村をセカンドゴロに打ち取り、五回を終える。

 ここまでは調子が最高にいい上に体力の温存無く全力で投げてる。だが、その分あおいは体力を多く使ってるんだ。いつもなら九回投げてもつかれた様子すらみせないあおいが、今日はもう肩で息を始めてるのがいい証拠だぜ。

 五回でこの調子なら、六回はちょっと厳しいかもな。

 でも、流石に六回から一ノ瀬を登板させるわけにはいかないし……、……だったら、俺が取れるべき指示は一つだけだ。

 

「森山! ブルペン入っとけ!」

「えっ……」

「あおい、次の回も行くつもりだけど、ランナーが出たら交代だぞ」

「はぁ、はぁ……うん、分かってる。頼むよ森山くん」

「っ、は、はいっ……!」

 

 備えあれば憂いなし、ってな。……森山はあがり症らしいから初球の入りには気を付けないといけないが、実力はある。一回なら無失点でも不思議じゃない。

 帝王打線は七、八、九番のうち、ランナーが出たら一番まで回るが下位打線。自分の投球さえ出来ればいけるはずだ。

 

『六回表の攻撃は、バッター七番、北前』

 

 ま、お互いパーフェクトだから打順は一緒な訳で、つまりはこっちも下位打線からってこと。

 下位打線で得点を取る為にはこの先頭打者が重要だ。だから――頼むぞ、北前。

 もしも帝王実業が北前に来て欲しいと言っていれば北前は行っていただろう。

 でも誘いは無かった。……北前が帝王実業に呼ばれた一年生以下の評価なんてのは俺にとっては信じられないことだろうし、北前にとっては悔しいことだ。

 自分を低く見た奴を相手にしてるんだぞ北前。

 見せてやれよ! お前の実力を! そんでもって後悔させてやれ!!

 ヒュバッ!! と山口が腕を振るって投げてくる。

 インローへのストレート。球速は一四八キロ――!

 そのボールを北前は振りに行く。

 そのスイングは傍から見ても始動は遅かった。フォークを念頭に置いていたのか、ストレートに対して確実に振り遅れるスイングだ。

 それでも、北前は諦めない。

 

「っ――ぅぅぅぅぅ!!」

 

 北前が唸り声を上げながらバットを振り切る。

 確かに北前は振り遅れた。

 それでも、最後までバットを振ることを諦めなければ、

 

 ふわり、と浮かんだボールはショートの高原の頭を超えていく。

 

 高原は諦めまいと必死にボールを追って、やがて追うのを辞めた。

 

 ポン、とボールがセンターとレフトの丁度中間で弾む。

 

「――っしゃあああ!!」

『ヒットー!! 両チーム通じての初ヒットは一年生打者北前ー!! つまりましたが執念でセンター前に落としたー!』

 

 諦めなければ、ヒットにはなるんだ。

 

「っし! ナイスバッティング! 北前! 戻れ! 石嶺ファーストランナー!」

「りょうかーい!」

「明石! 揺さぶるぞ! エンドランを二球目に掛ける。……確実に決めてくれ」

「分かった。任せて」

「ふぅ」

「ナイスヒット北前! 期待通りだぜ」

「いや、ダメっすね。長打にするつもりだったんですけど」

「……はは」

 

 頼りになる一年だ。

 ……さて、ノーアウト一塁。バントも有りだけど明石はバントがそんなに得意な方じゃない、打順的に考えてもここは一か八かの勝負をする場面だ。失敗してゲッツーになるくらいなら、エンドランを掛けたほうが確立としては成功する確率は高い。

 問題は明石が空振りしないこと。山口のフォークは天下一品、空振りしてもおかしくはないが、ここで空振りされちゃ困るんだ。絶対に転がしてくれ。

 山口が足を上げる。

 初球、ブオッ! と凄まじい勢いで投じられたストレートが猫神のミットを打つ音が響く。

 

「トーライック!」

 

 きっちり初球を決められた。

 だからこそ、ここでエンドランを掛ける。

 突っ走れ石嶺!

 山口がチラリと石嶺の方をにらみ、足を上げて投球を開始する。

 

「ゴーッ!!」

 

 それと同時に、石嶺が二塁に向かって走りだした!

 球種は――フォークっ!

 明石の目の前でボールが落ちる。

 明石はそれに必死にバットを当てに行った。

 

 コキッ、という軽い音。

 ぽんぽん、とサード前に転がる緩いボールをサードの大村が捕球し、セカンドベースを見てからファーストに投げる。

 

「アウト!」

『さぁランナーが二塁へ進んだ! 一アウト二塁! バッターは九番早川ですが!?」

「……あおい」

「うん」

「ここまでご苦労様だ。ありがとう」

「ううん、はぁ、大丈夫だよ!」

「よし、バッター変わります! ――行け、赤坂。恋恋高校赤点コンビの片割れの力、見せてくれ」

「おーっす!!」

 

 代打に赤坂を告げる。

 赤坂はゆっくりと身体を回しながら、バッターボックスに向かった。

 ――赤坂は守備も上手くなければ足だって平均以下だ。

 一ノ瀬が入ってからはスタメンに出る事はなくなった。北前がきてからは多分もう、スタメンで出ることを諦めていただろう。

 それでも、赤坂は腐らない。

 必死に毎日俺達の厳しい練習に汗を流していたのを俺は知ってる。

 自分の生き残る場所を必死に考えて考えて考えて、

 そしてたどりついたのは――。

 

『バッター早川に変わりまして、赤坂』

 

『さあバッターは赤坂! パワー自慢の代打の切り札が、このチャンスをモノにするのか!』

 

 ピンチバッターのポジション。

 苦手なくせに代打でプロで生き残った選手の著書を読みあさり、毎日早くグラウンドに来てはバットを振るい、練習中だって暇さえあればバットを振ってた。

 そんな奴を、

 

『さあ、山口、振りかぶってボールを投げた!』

 

 野球の神様が、

 

『初球からフォークだ! それに対し赤坂バットを振って――』

 

 見捨てる筈が無い――!!!

 

『打ったー!!!』

 

 打球が飛ぶ。

 ぐんぐんぐんぐん風を切り、まるでボール自身が空を飛ぶことを楽しんでいるかのように鋭く飛びながら、ボールはフェンスに直撃した。

 

『フェンスダイレクトー!! 石嶺サードベースを蹴ってホームへー! 先制点は、待望の先制点は恋恋高校ー!! 打った赤坂は二塁へ! 代打の切り札赤坂、値千金の先制タイムリーツーベースー!』

「ウオオオオオオオオ!!!!!!!!」

 

 赤坂が二塁で吠える。

 それに呼応するように、俺達も手を天へと振り上げながら叫んだ。

 

「ナイスバッティング赤坂ー!!」

「さあ矢部! 続きなさいよー!!」

「おう! でやんす!」

 

 わいわいと騒ぎ立てる俺達を、蛇島が見ていた。

 その目は――そう、羨ましそうだ。

 俺が蛇島を見つめ返すと、蛇島は視線を逸らしバッターの方に目線をやった。

 ……あぁ、そうか。そうだよな。

 お前だって、最初は好きで野球を始めたんだ。

 それが勝つことが目標になり、

 勝つためなら何をしてもいいって思い始めて、ラフプレーに走るようになったんだ。

 ――じゃ、もう一度取り戻してもらわねぇとな。野球は楽しいって事。

 矢部くんと新垣が三振に終わり、結局一点だけに終わった。

 だが、この先制点は大きい。試合の流れを引き寄せるには十分過ぎるくらいだ。

 

「森山」

「はい!」

「行くぞ」

「……っ、は、はい……!」

「ははっ、緊張してるな? ……よーく見回してみろよ。森山」

「え?」

 

 緊張して声がふるえる森山を俺は笑いながら、アルプススタンドを指さす。

 

「こんなくそ暑い中、わざわざ球場まで足を運んで必死に声を枯らして応援してるやつらが居るんだぜ? ……こんな野球好きが俺達の応援をしてる。けどさ、それ以上に野球を好きなのは俺達だろ。毎日ボールを追いかけて追いかけて、バットを振って振ってさ。見せつけてやろうぜ。俺達がどれくらい野球大好きかってことをさ」

「……はい」

 

 周りを見回して緊張がほぐれたのか、森山がぱしっ、と自分の頬を叩いてマウンドに向かう。

 バッターは七番の後藤からだ。

 下位打線とは言え帝王実業だからな。気は抜けないけど、ま、元から抜く余裕なんて森山には無いから関係ないだろう。

 

「一人一人、丁寧にな!」

「はいっ!」

 

 森山がマウンドに走る。

 さあ、投球練習だ。

 スパァンッ! と投じられたストレートを捕球する。うん。球の走りも問題ねぇな。球速は一三〇キロといったところ。一年生なら十分合格だ。

 後藤が左打席に入る。後藤は俺達と同い年の三年生。酸いも甘いも知るチームの主力の一人。

 そんな打者が迎える相手は一年生、初勝負とは言え見てくる事はほぼ無いはず。

 

 それなら。

 

 パパ、とサインを出す。

 森山はそれを見て、自信一杯にこくんと頷いた。

 さあ見せてやれ、森山。優勝候補の一角と言われてる帝王実業に、お前のピッチングを――!

 

 森山が腕を全力で振るう。

 ボールは、来ない。

 いや、投じられている。

 それはゆっくりと、打者からしてみれば蚊の止まるような遅さで。

 

「え、え、あ、っ!」

 

 後藤が完全にバランスを崩しながらバットを止めようか振ろうか迷ったような感じでバットを出す。

 ぱふん、とキャッチングして審判を見ると、審判はばっと手を上げて「ストライク」と宣告した。

 球速表示は八五キロ。それを見て後藤の顔色が変わった。

 緩急を使われる。後藤もそう分かっているだろう。

 二球目に投じられたのは高めのボール球のストレート。球速は一二〇キロ。

 そのボールを後藤が空振る。

 打撃が完全に崩れてるぜ。びっくりしてるのもあるだろうけど、それ以上に緩急が聞いてるんだ。

 三球目は決め球の縦に落ちるスライダー。

 森山が腕を全力で振るった。

 

(よしっ)

 

 ボールはベースのど真ん中、一見すれば甘いコースに投じられる。

 後藤としては狙い目のボールだ。でもこのボールはそこから更に落ちる――!

 ブンッ、と後藤のバットが空を斬った。

 

「ストライクバッターアウト!!」

『空振りさんしーん! 初登板の森山、きっちり先頭打者を三振にしとめました! 超遅球からの緩急を生かした投球です!』

 

 これで調子に乗った森山は、八番、九番ともにいとも簡単に三振に打ちとった。

 やっぱり緩急ってのは武器になる。タイミングを一度崩されると修正するのは非常に難しい。

 三人連続で初球に遅球を投げさせたが全く打たれる気配はなかった。

 遅い球なんてのは練習しないからな。初球打ちでいきなり打たれましたってのはほとんどない。ファールぐらいには出来るだろうが初球の段階で無理に打ちにいってもタイミングは崩れてしまう。

 だからこそ三人とも初球を見逃したんだろう。

 

「ナイスボール森山。仕事したな」

「はい、はぁっ、緊張しました。……一ノ瀬先輩、あとは」

「ああ、後は任せてくれ」

 

 一ノ瀬と森山がグローブでタッチを交わす。

 それを見ながら俺は防具を外し、打席に向かう。

 

『バッター三番、葉波』

 

 流れはほとんどこっちに来てる。その流れを決定づける為にはこの回に一点取る事が重要だ。

 山口のクリーンアップに対しての投球はほとんどがフォーク。しかもほとんど失投はない。

 それでも失投するはずなんだ。

 山口が足を上げる。

 だからこそ、ここは好球必打。当てれそうなところにボールが投げられたらフルスイングする!

 初球はフォーク。これは空振りで1-0になる。

 狙い通りに落とされたら当たらない。高校生レベルが打てる球じゃないからな。このフォークは。

 二球目も多分フォークだろう。

 投じられた瞬間に感じたコースでフルスイングする。

 ストーン! と勢い良く落ちるボールに当たらない。これで追い込まれた。

 本当にいいフォークを持ってるぜ。こんなフォークがあればリードなんてほとんどいらないんじゃないか? ストレートも一四八出るし、甲子園優勝しててもおかしくない程の投手だぜ。

 三球目もフォークだろう。でも、俺は三振してもいいんだ。

 フルスイングすることに意義がある。後続に対してのプレッシャーになれば俺はアウトになっても構わない。

 三球目のフォークを俺は空振る。

 三振。三球三振で三球ともフォーク。

 だが、フォークは握力を使う。その調子で連投すればいつか必ず握力に限界が来る。

 そして、続く四、五番は俺より遥かに一発の確率の高い打者だ。

 どこかで割りきって逃げるしかない。だが、逃げ腰になったらウチの打線なら絶対に打ち崩せる。

 失投せずに四、五番を打ち取られれば流れが帝王実業に行くのは必須。

 勝負だ。

 この回にうちのクリーンアップがそっちを捉えるか。

 そっちのエースがこっちのクリーンアップを抑えるか。

 こっちが勝てば試合が決まり、そっちが勝てば流れはわからなくなる。

 友沢が打席に立つ。

 山口は逃げない。真っ向から決め球(フォーク)を投じ続ける。

 友沢も俺の狙いをわかっていてくれてるのだろう。初球からフルスイングで迎え撃ち、その結果三球三振に打ち取られる。

 ――そして、五番の東條。

 ライトの猛田が息を呑むのがベンチからでも分かる。

 まるでここで東條が打つのが分かっているかのように。

 

 パシィンッ、という快音。

 

 投げた球は何だったろうか。フォークだったか、ストレートだったか――どっちにしても、落ちないボールだった。

 ボールはグングンと伸びる。エンジンを与えられた飛行機のように、フェンスを超えて更にその先へと。

 

『入ったー! 特大のアーチをかけたのは五番東條! 完璧に捉えた一撃はチームを勝利に導くような特大の一撃だー!』

 

 ……なんつーか、これを狙ってたけど実際にやられるとこっちの立つ瀬がないな。

 ほら、友沢なんかなんかオーラ出してるし。……でも、これで流れはこっちのものだ。

 続き進はフォークで打ち取られるも、これで2-0。そして次の回からは――。

 

「行こうかパワプロ」

「おう。行こうぜ一ノ瀬」

「見せてやろう。僕達バッテリーの力を。全ての全国のライバルたちに」

「ああ」

 

 ポン、と一ノ瀬とグローブをあわせ別れる。

 打順は一番の北村、二番の山田、そして三番の猛田と続く。

 回は七回の裏。ここを切り抜ければ山場は八回になる。八回を抑えれば下位打線に続く九回。下位打線で代打が来るとは言え、そこまでいけばほぼこちらの勝ちは揺るぎない。

 

『バッター一番、北村』

 

 左打席に入った北村を見つめながら、俺は外角低めに構える。

 さあ、初球。来い一ノ瀬。

 一ノ瀬が足を上げる。

 サイド気味のフォームから投じられるボールは、まるで銃口から射出された弾丸のような勢いで俺のミットに突き刺さった。

 

「す、ストライク!」

「……っ」

 

 北村もわかっただろう。一ノ瀬のボールが打てるかどうか――答えは否、ということを。

 グッ! と腕を弓のように引き絞り、開放するように腕をふるう。

 クロスファイヤーで外角低めに角度をつけて投じられるストレート。

 猪狩守のストレートと同等かそれ以上の球威を持っているそれは、まさに一ノ瀬が世代ナンバーワン左腕に肉薄しようという投手に育った事を意味している。

 二球で追い込んだ一ノ瀬はストレートと全く同じ腕の振りでスライダーを投じる。

 キレ味抜群のスライダーは外角低めを掠めながら俺のミットに収まった。

 

「ストライク! バッターアウト!」

「えっ……入っ……!?」

 

 北村が思わず声を出すほど際どいコースに僅かに触れるよう、大きくスライドしながら曲がるスライダー、猪狩のスライダーが斬り裂くような空振りを奪う為のボールなら、一ノ瀬のスライダーは薄皮を剥ぐような見逃しを奪う為のボールだ。

 絶妙なコントロールで投じられるボールは、その角度も相まって非常に打ちづらい。

 その打ちづらさは橘のおかげで俺達は十二分に味わってる。その投球を橘以上の球威と制球力で一ノ瀬は行なっているのだ。

 高校生ならば打てなくても仕方ない。むしろ打てる方が怪物と言われるだろう。

 二番の山田もバットに当てることが出来ない。外への外れたストレートを振って空振り三振に倒れる。

 そして、この回の山場――三番、猛田を迎える。

 

「……っふうう」

 

 猛田が大きく息を吐いてバットを構えた。

 ここでヒットが出れば蛇島に廻る。そうなると打線はつながるだろう。

 ここは絶対に抑えるぞ一ノ瀬。猛田はどんなボールでも強振してくる。低めに丁寧に投げれば問題なく抑えれるはずだ。

 一ノ瀬が頷き、ボールを投じる。

 低めのシュート。フルスイングすればこの球は詰まる――。

 

 キンッ、と猛田はボールをセンターへと弾き返す。

 まるでカットをするかのような軽やかさ。打球は二遊間を真っ二つに破りセンターの進の前へと転がった。

 

『センター前ー!! かるーくセンターに運んで行きました!』

「っ、上手い……!」

 

 思わず口に出してしまうような打撃だ。

 後ろにつなぐことを意識してバットにボールを載せる感じでセンター前に弾き返した。

 今まで馬鹿みたいに引っ張ってたのとは違う。しっかりとセンター前を意識しての打撃……後ろの蛇島に託すような、そんな感じの――。

 

『さあ、ホームランが出れば同点のこのチャンス! バッターには四番、蛇島!』

「……俺は勝たなきゃならないんだ……絶対に……!」

 

 蛇島がブツブツ言いながら打席に入る。

 確かに勝つのは大事なことだ。つーか勝つ為に練習とかしてるわけだしな。

 ……でも、それだけじゃない。

 

「蛇島」

「……なんだ」

「もっと楽しめよ」

「っ!」

 

 一ノ瀬が足を上げ、ボールを投げ込む。

 バシンッ!! と外角に決まったボールを蛇島は空振った。

 

「楽しむ……? この真剣勝負の場において……楽しむだと? 名門の野球部に所属して居る俺は勝たなきゃいけないんだよ! 弱小に入って自分が栄光を作り、ただそれを享受しているお前と俺を一緒にするな!」

「だから勝てねぇんだよ」

「何っ……!?」

「敵の戯言だと思って聞き流したいなら聞き流せばいい。ただ――楽しめよ。お前も、野球が大好きなんだろ?」

「――」

 

 ビシッ!! と一ノ瀬のスライダーが決まる。これで2-0。追い込んだ。

 

「……楽しい? 野球が? 敵を騙し敵を欺き敵を刺し敵を殺し敵を打ち砕くこの球遊びが、楽しいだと――!?」

 

 ッカァアンッ!!

 と、一ノ瀬の絶好のベストボールのストレートを、蛇島は強振した。

 ボールは飛ぶ。飛んで飛んで飛んで――ポールの左へと消えていった。

 

「ファール!」

『惜しい当たり! あわやホームラン!! 一ノ瀬のボールを完璧にとらえましたがボールは惜しくもファール!』

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「……蛇島」

「黙れっ! 俺に話しかけるな!」

 

 蛇島が俺との言葉を切って、一ノ瀬に向き直る。

 ビッ、と投げ込まれたカーブを、蛇島はタイミングを崩しながらもファールにした。

 転がるようにして蛇島は転倒する。

 

「……、……っ……くっ、そ……」

 

 息を荒げながら蛇島は立ち上がりバットを拾う。

 ……そうか。

 蛇島は、野球が大好きなんだな。

 勝つって気持ちが前走り過ぎて、少し忘れていただけなんだ。

 蛇島はずっとずっと――俺達と同じくらいに――。

 カァアンッ! と四球目を蛇島が打ち上げる。

 打ち上げたボールを一ノ瀬がしっかりと手を広げ、キャッチした。

 ワァッ、と歓声が反響する。

 チームメイトたちが喜びながらベンチに戻るのを横目に捉えながら、俺は蛇島をしっかりと見つめた。

 

「……蛇島」

「…………」

 

 蛇島は俺の呼びかけに答えずにベンチに戻っていく。

 その表情は見えなかったけど、多分、今まで俺が見た蛇島の表情の中で一番悔しそうな顔だったと、俺は思った。

 

 

 

 

 

 

 

『打ち上げたー!! 落下点に矢部が入る! キャッチー! 試合終了ー! 強豪対決を制したのは恋恋高校ー! 帝王実業を2-0の完封リレーで撃破し三回戦へー!』

「ざっしった!!」

「ありがとうございました!!」

「……蛇島、楽しかったぜ」

「…………次は、負けない。俺はお前には負けない。パワプロ」

「ああ」

 

 試合終了の挨拶を交わす。

 蛇島は自分の高校野球生活の終わりをギリっと歯を食いしばりながら受け止めた。

 そして、蛇島は俺へと手を差し出す。

 

「……いい勝負だった」

「ああ、やっぱ帝王実業は強かったよ」

「ふん……当然だ。わすれるなよパワプロ。お前は俺に倒されるんだからな……プロで会おう」

 

 軽く握手を交わし、蛇島は歩いて行く。

 最後のセリフに答える時間も与えてくれないまま蛇島はダグアウトへと消えていった。

 それを見送り、視線を上にやると春と目があった。

 春はにこっと微笑んだ後、踵を返し歩いて行く。

 ――次の試合は三日後、対戦相手はまだ決まっていないが、おそらくは――。

 

 

 

 第三回戦。

 恋恋高校vs聖タチバナ。

 最後の春とパワプロのライバル対決は、三日後に行われる。


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