実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー 作:向日 葵
その日は、あいにくの雨となった。
しとどに濡れる観客たちは、それでも尚帰ろうとはしない。
降り注ぐ雨の中、グラウンド状態は最悪といっても過言ではないが、詰まった日程を消化するためには多少の無茶は仕方ない場合が多いので、そのまま試合が行われる事となった。
高校野球の試合でここまで人が入るのは稀だという。
それが、決勝戦ではないというのだから驚きだ。
恋恋高校vs聖タチバナ学園――雑誌や新聞などでも女子選手がいる高校同士でライバルと取り沙汰される事も多いカードだ。
それがぶつかり合う。それも主力同士が三年となったことで実質最後の対決とあれば、観客が殺到するのも無理は無いだろう。
『先攻、恋恋高校のスターティングメンバーを発表いたします――
一番、ショート矢部。
二番、セカンド新垣。
三番、キャッチャー葉波。
四番、ライト友沢。
五番、サード東條
六番、センター猪狩。
七番、ファースト北前。
八番、レフト明石。
九番、ピッチャー早川』
バックスクリーンに選手名が明記されていく。
恋恋高校のオーダーはいつもと変わらない。普段通りに戦えば必ず勝てるということを彼らは信じているからだ。
『続きまして、後攻、聖タチバナ学園のスターティングメンバーを発表いたします。
一番、セカンド原。
二番、センター篠塚。
三番、キャッチャー六道。
四番、ショート春。
五番、ファースト大京。
六番、サード大月。
七番、レフト大谷。
八番、ライト大田原。
九番、ピッチャー橘』
呼ばれた選手たちがグラウンドに散っていく。
雨中の熱戦が今始まる。
選手たちが待ち望んだ激闘が、今。
この三年間、雨の中での試合なんて無かった。これが初めての雨天決行――それを考えるとラッキーだよな。いっつもいいグラウンドで試合してたってことだし。
橘はこの三年間、成長し続けてる。一年生の時に戦った時とは明らかに球の勢い、制球力、スタミナ、変化球のキレ、全てが違う。……胸も大きくなったよな。うん。
「パワプロくん」
「いだだだだだっ、尻を、尻の肉を捻るなっ」
「ぬふふ、あおいちゃんは全く土瓶型であ痛ぁっ!! メガネが顔にめり込んだでやんすぅー!!」
「失礼な事いうとガルベスるよ」
「ガルベスる!? 審判に向けてボールは投げちゃ駄目でやんすよ!!」
「うん、分かってる。だからグーで殴ったんだよ。顔を」
「顔をぐーでなぐっちゃ駄目でやんすよー!!」
ギャイギャイと騒ぐチームメイトたちに苦笑しつつ、あおいに捻られた尻を撫でながら、俺はじっと橘の投球練習を見つめる。
六道にゃこの前の試合上手いことやられたからな。今度はこっちが主導権を握るぞ。
「よく聞けよ。昨日言った通りカギは初球打ちだ」
「ん」
「はいでやんす」
「うん」
「……分かっているが、大事なことだからな。もう一度聞いておこうか」
「スタミナが他のエースと違い不安に見られがちな橘だが、それよりも厄介なのが内と外によるコンビネーションだ。去年負けた時は完璧にこの術中にハマっちまったからな。外と内の揺さぶりを使ったコンビネーションで完璧に抑えこんでくる。角度があるせいで一つ一つの球も打ちにくいが、ストレートとクレッセントムーンという球種の選択を敷いてくる上に、前の球とのコンビネーションまで絡めてくる。こうなったら手がつけられない。だからこそ、コンビネーションに至る前――初球を狙い打つ」
「了解!」
「サイドスローってことと六道のスローイングってことを考えて、ノーアウトでランナーが出れば盗塁もあるぞ。足も絡めて全力で得点を取るぞ! 攻撃野球に持ち込めばこっちのもんだからな! 行くぞ。恋恋高校――」
「「「「「「「ふぁい、おー!!!」」」」」」」
「よーし! まず出塁を頼むぜ、矢部くん!」
「任せろでやんす!」
さあ、初球から攻めるぜ。
『さあいよいよ因縁の対決がプレイボール! その初球、橘が振りかぶって――』
ギャオンッ!! と投じられたインサイドへのストレート。
そのボールを矢部くんは身体は崩れながら流し打つ。
詰まったゴガッ、という鈍い音を響かせながらボールは三遊間へ飛ぶ。
緩いゴロだが三塁の大月は取れない、春がなんとか回りこむようにキャッチしてファーストに投げようとするが、そのままボールを投げずに止まった。
矢部くんは俊足だ。
ショートが大きく回りこむようにして取る打球ならば投げても間に合わないだろう。それほどまでに矢部くんは速い。
今日は雨だしな、球足が遅くなるからこういう打球は増える筈だ。
「ナイスバッティング!」
「……っふぅ」
「みずき、出会い頭だ。大丈夫だぞ」
一球目を転がされてボテボテの内野安打……投手としても嫌だろうが捕手としても嫌な出塁のされ方だ。
次の打者に集中したいところだが盗塁がある。しかも投手はサイドスローの橘で、スローイングに圧倒的なものはない六道……走るのは当然だ。
向こうとして最悪なのはヒットで繋がれる事だが、それを除けばワンアウト三塁にされるのも相当きついはず。
ここは矢部くんを無視して新垣に集中して勝負してくるだろう。
橘がボールを投じる。
矢部くんがモーションに入ると同時にセカンドへ向けてスタートした。
六道は座ったままボールを投げない。盗塁成功、これでノーアウト二塁だが、その間の投球はストライク。今のはアウトサイドへのストレートか。
インサイドでバントを失敗させようって考えてるんだろうな。
矢部くんにサインを出す。
二球目、橘がモーションに入るその瞬間、矢部くんがサードへ向けて走りだした!
三盗は流石に予想外だったろう。新垣のインサイドへ構えていた六道が慌てて立ち上がりボールを投げようとする。
だが、ぴくり、と動きを止めてしまった。
インサイド、というのはつまる所打者側に寄っているということだ。新垣が右打者、サード寄りに寄っていると、新垣の身体が邪魔してサードは見えない。
サードへ投げるには一歩下がって投げるかスナップスローをするか――とりあえず普通にセカンドに送球するのとは違う動きが強いられる。六道はセンス型の捕手だけど流石にまだ高校生、隙はある。
『矢部、盗塁成功!! ノーアウト三塁! 足でかき乱します!』
だが二球目もストライク。これで2-0と追い込まれた。
こう理想的に追い込まれると――
ビシィッ!! と外角低めに決まったクレッセントムーンを新垣は空振る。
――打ち取られちまうよな。
だがおかげで矢部くんは三塁まで進めた。新垣の待球のおかげだぜ。
『バッター三番、葉波』
さあ、俺の出番だ。
状況はワンアウト三塁。先制点が欲しい場面。
慎重に来るだろうが――バットが届くなら外野には持っていける筈。
橘がボールを投じる。
外角低めストレート、届く!
橘のボールは角度がある分引っ張れない。流せ!
キィンッ!!
「なっ!」
「んですって……!?」
六道の声と慌てて打球を追う橘の様子が目に入る。
ライトがワンバウンドしたボールを捕球した。
その間に矢部くんはホームに帰る。
『あざやか初球打ちー! 先制のライト前タイムリーヒット! あっという間に先制点を取りました恋恋高校ー!』
うっし! この雨ならコールドゲームも有りうる。この先制点はでかいぞ。
けど、これで終わらせるつもりはない。次は友沢、東條と続く打順。それなら得点圏にしとく意味も大きいからな。走るぞ。
六道と橘がマウンド上で話し合い、別れて試合を再開する。
友沢に対する初球、こちらを橘はじっと見つめて、ぴっと牽制をしてくる。
立ち上がりで盗塁を刺すのを諦めてたのもあって、矢部くんには牽制(ピックオフ)を怠ってたからな。ここはしっかりと丁寧に行こうって感じか。
けど、雨で暴投も怖いし、あまり走るイメージの無い俺が塁に居るだけあってそんなに牽制をしつこくしてくることはないだろう。今の見え見えの牽制を見ても牽制で刺すつもりもなさそうだしな。
橘の視線が俺から外れて友沢に集中する。
相手は世代を代表する打者、ランナーに割く余力は無いだろうけど――こっちも見てもらうぜ。橘。
橘の肩が動く。
それを確認すると同時、俺はセカンドへ向けて全力で走りだした。
「走ったッ!!」
春の声が響く。
バンッ! と捕球すると同時に六道が立ち上がりセカンドへ向けて腕を振るった。
矢部くんと違って俺は盗塁の仕方がわかってない。雨で地面がぬかるんでるのもあってトップスピードになかなかたどり着けない!
だが条件は向こうも同じ。降りしきる雨のせいでボールが滑り、捕球したボールを春が落球した。
「セーフ!」
『盗塁成功! 三番の葉波がまさかの盗塁! 慌てたか春! ボールを落としてしまいました!』
「ごめん!」
「ドンマイ! 次は頼むわよ!」
「うん、任せて!」
バシバシッ、と春がミットを叩きながら言葉を返す。
守備の要の春のミス。これはでかい。ランナーが二塁に居るから一打で追加点を取れる確率は上がった。
友沢への投球は外れてボール。カウントは0-1。
そして二球目。
投じられたのはインサイドへのクレッセントムーン。
友沢はそのボールを弾き返した。
ライナーで右中間を破ったボールはワンバウンドでフェンスに激突し、そのままバウンドしてセンターの手に収まる。
あまりの痛烈な当たりに、カッキィンッ! という快音が遅れて聞こえる程の痛烈な当たりに、友沢はセカンドへ到達出来ずにファーストベースで止まった。
俺はサードを蹴り、ホームへ走る。
これで二点目!
「っしゃー! でやんす!」
「幸先よし! 作戦成功ね!」
「おう! このまま攻めるぞ。……あおい、雨つえーからな」
「うん、分かった。滑らないように気をつけるよ」
「ああ、アンダースローはデリケートだしな、意識しすぎるくらいで丁度いいだろ。しっかり投げる時は足場固めてなげるんだぞ」
「りょーかい!」
さて、打席には東條か。
六道はインサイドに構える。あくまで抑えるつもりか。
インサイドに投じられたボールは打者の手元で変化する。クレッセントムーンだな今のは。
ガキッと初球から振りに行った東條が詰まったゴロになってしまった。ボテボテのゴロになった打球はショート春の真正面に飛んで春に捕球される。
「原!」
「ほいきた!」
「アウトー!」
『六四三の綺麗なダブルプレー! しかし恋恋高校二点先制です!』
ちっ、まあ初球攻撃という以上、こういった打ち取られるデメリットがあるのは仕方ない。
得点も取れたしな、ため息つくことはないぜ!
「おっしゃ! 攻撃の後はしっかり守るぞ!」
「うん!」
ざぁぁぁと音まではっきり聞こえる程の強い雨。グラウンドに水が浮いてくるのも時間の問題だ。さくさくいかねぇとな。
投球練習も早めに切り上げよう。審判の印象もよくなるしな。
「んじゃ、行くぞ!」
「お願いします!」
原がメットをとって一礼し、打席に立つ。
身体も大きくなった原は、長打も打てるようになってる。油断してると足元すくわれて一発とかもあり得るかもしれない。
ま、油断なんかしねぇんだけどな。
初球は内角高め。厳しいところを一気に攻める。
あおいが足を上げ、ボールをリリースする――その瞬間、指からボールがすっぽ抜けた。
「っ!」
原が後ろを向く。
その背中にあおいの投じたボールがドゴゥ! と直撃した。
「うぎゃっ!」
「だ、大丈夫か?」
「だ、大丈夫や……雨強いからしゃーないわ」
原はふらふらと立ち上がり、歩いて行く。
悪いことしたな。……でも、そうか。雨のせいで微妙なコントロールが難しいんだ。
こりゃ厄介だな。コントロールが持ち味のあおいにとっては、そのコントロールを乱す雨は厄介なものでしかない。
元々コントロールってのは身体のバランスとか感覚で成り立ってるものだ。それが雨で崩されると幾ら精密機械のあおいでも微妙なコントロールが出来ないんだな。
(……こりゃ、厳しい戦いになりそうだが――何時も以上に俺が頑張ってあおいを引っ張ってやらねぇと)
いつもあおいのコントロールには楽させてもらってるんだ。なら今日は楽させて貰った分、いつも以上に頑張るぞ。
バッターは篠塚だが、ここはバントと決めつけずに行こう、ニ点あるしバントが成功されても問題ないだろう。無理にバント失敗させに高めにボール投げてそれを痛打されるのが一番行けないしな。
横っ面に雨を受けながら、俺はぐっと外に構える。
多少アバウトになってもいい。とりあえず初球は決めよう。
あおいがうなずいてボールを投じる。
篠塚がバントをしようとしてバットを引く。
雨を切り裂きながらボールがミットに収まった。
「ストライク―!!」
よし、初球はばっちり決まった。
あおいは後ろのポケットに収めたロージンバッグを触る為だろう、ポケットに手を入れてながら、グローブでボールを受け取る。
二球目も同じく外のボール。その球に対し篠塚はバットを倒して当てに行く。
コツンッ、とボールの勢いを殺しボールは俺の前でバウンドするが、弾まない。
「あっ!」
篠塚が走りながら声を上げる。
雨のぬかるみのせいでボールが転がらなかったんだ。これなら刺せる――!
ボールを拾いセカンドへ投げようとしたところで。
ズルッ、とボールが指から抜けた。
「しまっ……!」
泥濘にはまって泥がついていたせいで滑った! やべぇ!
ベースカバーに走った矢部くんの逆へボールは飛ぶ。
慌てて取りに行くが矢部くんのグラブの先を抜けてボールはレフトよりのセンターへと飛んでいく。
進が捕球してサードへ素早く送球するが間に合わない。滑り込んだ原は三塁の上に立つ。
「悪いあおい!」
「大丈夫だよ!」
ちくしょう! 引っ張るって言っといていきなりこんなミスかよ。何やってんだ俺は!
無理せずにファーストに投げておけばワンアウト取れたんだ。無理する場面じゃないのに焦りすぎだぞ。落ち着けっ。
バシッ、と己の頬を叩き、あおいに向き直る。
ミスは引きずらない。このピンチ、最低でも一点で切り抜けるぞ。
続くバッターは六道聖。こいつに小細工は通用しない。決め球を使ってでも切り抜ける。
初球からマリンボールを使う。なかなかに難しいボールだがそれでも六道なら当ててくるだろう。
……犠牲フライか内野ゴロか、いずれにしても一点は入るかも知れないが、問題は得点圏で春に繋げないこと。前進守備は必要ない。六道は足は早くないし、ゲッツーを取るぞ。
この雨であおいの制球力は落ちてる、それを見計らって初球から、低めの甘いところを狙って振ってくるはず――それなら、初球はストレートでいくぜ。
投じられたボールはこの雨の中、構えたところに投げ込まれる。
完璧な投球。だが、六道はその低めのボールを的確に打ち返した。
キィンッ!! と高い音が響く。
打球はサードの右を痛烈に襲う。
東條の前で激しく飛沫をまき散らしながらバウンドするボール、それを東條が横っ飛びでキャッチした! よしっ! ファーストはアウトに出来る!
「ファース――っなっ」
俺が声を上げて叫ぼうとしたその瞬間。
東條は体を泥だらけにしながらも一回転してそのままセカンドへと素早く送球した。
その整った顔立ちを泥で汚しながら投げたボールはベースカバーに入った新垣のグローブに収まる。
新垣はそのままファーストへくるりと向いてビシュ! と素早くボールを北前に向かって送球した。
パンッ!! と北前のグローブが音を立てる。
「アウトー!」
『ダブルプレー! その間にサードランナー原がホームイン! 二対一!』
最高のデキだな。一点失ったがこれでアウトカウント二つだ。
続く春をマリンボールとストレートを駆使して抑え、これで一回が終了する。
「ナイスプレー東條!!」
「……雨で球足が遅くなったからな。ラッキーだ」
「いやでもマジ助かったぜ。あの後ワンアウト一、二塁で春だったら同点覚悟だ。相変わらず得点圏では鬼のように打ってるからな。あおいもナイスボール。ごめんな、ミスしちまって」
「全然! 普段助けてもらってるからね!」
にこっ、と俺に笑みを向けるあおいが可愛い。
引っ張ってやるつもりが引っ張られてるな。……この悪天候じゃ一人でがんばろうとしたって無理だ。力めば力むほどミスを呼ぶし、程々にバックを信じてがんばったほうがいいかも知れない。
……更に雨は強くなる。おそらくこの強さなら試合成立と同時に試合は終わるだろう。
「……次の一点だ」
同点にされれば試合は混沌としてくるし、こっちが一点を取れば、決まった打順からしか得点を取れない聖タチバナにとっては負けをつきつけられたようなものだ。
この雨が味方をしてくれているのは今の展開的にはこっちといえるだろう。
この状況を活かしてこのまま逃げきるぞ。
二回の表の攻撃は進からだ。ここはしっかりチャンスを作って欲しいけど。
「ストラーイク!」
内角いっぱいのボールを進が空振る。
左打者に取っては視界の外から投げ込まれるのに、インコースギリギリに決められたら当たらない。
そしてファーストストライクを取れば後は上下左右の揺さぶりを使って追い込んで――。
『空振りさんしーん! 視界の外から外角いっぱいに投げ込まれるストレートに手も足も出ません!』
左打者に対しての橘の投球はやはり圧倒的だ。視界の外からギリギリいっぱいに投げ込む制球力は雨の中でも揺るいでいない。あおいと違って高さの制球力は多少アバウトな分、左右のコントロールはあおいより精密度が高いみたいだ。
初球から振っていく作戦は初回こそ功を奏したものの、右打者の北前ですら初球のボールに当たらない。
結局北前も三振、明石もファーストフライに打ち取られ、二回の表が終了する。
続く二回の裏は大京から。
雨でボールがすべる最悪の天候の中でも、あおいはしっかりと腕を振るう。
多少甘くはいるがボールのキレ自体は問題は無い。大京をフライアウトに打ち取り、続く大月、中谷もゴロに抑えて二回の裏は三者凡退に終わった。
三回の表はあおいから始まる打順、あおいは三振、矢部くんはショートフライ、新垣はセカンドゴロに打ち取られる。
その間も雨は止むどころか激しさを増す一方で、グラウンドには水が浮くところも目立ち始めた。
五回まで行ったら即試合終了もありえるようなグラウンド状態……この雨が俺達に微笑むか、それとも相手に微笑むのか――それは分からない。けど、俺達は俺達にできることをやるしか無いんだ。
「あおい、指先の感覚はあるか?」
「大丈夫、気になるのはユニフォームが透けないかってことくらいだよ」
「是非! 透けて欲しいでやんすね!」
「ふんっ!」
「ぶぎゃっ! ああっ! オイラのメガネがパリーンという軽薄な音と共に粉々になったでやんすぅー!!」
「……むしろ殴られた顔の方を心配したらどうだ……?」
「いや東條、よく見ろ、矢部のやつ顔面をぶん殴られたのに鼻血一つ出していないぞ」
「矢部先輩の顔面はメガネより頑丈っすね……」
「いや北前、むしろここは新垣先輩が弱く殴ったという考え方もあるんじゃないか」
「オイラの顔は鋼鉄製でやんす!」
「ほらほら騒いでないでさっさと行け。あおい。ロージンはポケットに入れて、一球ごとに丁寧につけるようにな」
「うん」
わいわいと騒ぐ矢部くん達はどこか頼もしい。やれやれ、一年生達くらいにゃ緊張してて欲しいが先輩たちがこんなだと緊張したくても出来ないよな。
でも、緊張でガチガチになるよりはよっぽど良い。回は三回の裏。聖タチバナの打順は八番の大田原から橘、原へと続く。
下位打線だけど、逆に言えば下位打線からチャンスを作られたら得点の大チャンス。この悪いコンディションの事もあるしランナーを出すわけにゃいかないぜ。
「……ん、よし」
ざっざっざっ、とあおいが丁寧にマウンドの土を踏み固め、構えを取る。
『バッター八番、大田原』
大田原がバッターボックスに立った。
初球はインロー。あおいが投げ込んでくるがやはり制球がボール一、二個分ほどずれる。
「トーラック!」
一応ストライクになったものの、ボールはかなり甘い。上位打線ならヒットにされてもおかしくないような球だ。
次はカーブだ。ゆるい球なら多少抜けても緩急でヒットにはしづらいハズ。
あおいが足を上げ、上体を沈めてボールを投げる。
だが、
ボールがすっぽ抜けてど真ん中へ投じられてしまった。
「なっ!」
「しまっ……!」
「来たッ!!」
カーブの回転がかかってない! 雨でボールが抜けすぎたんだ!
大田原は待ってましたとばかりにバットを振りぬく。
ッキィン!! という快音が響き渡った。
ボールは角度良く飛んで行く。くそっ! 入るなっ!!
レフトの明石がボールを必死に追うが、途中で追うのをやめた。
その視線の先で打球は――フェンスに直撃した。
ガシャァンッ! という音を響かせて弾むボールを明石はワンバウンドでキャッチし、中継に素早くボールを投げ返した。
中継の矢部くんがボールを握りセカンドに目をやるが既に大田原はセカンドに到達していた。セカンドでは新垣が腕でバツ印を作り送球を止めさせる。
ツーベース。これはまずい、不味すぎる。
次の打者の橘はしっかりと送りバントを成功させ、これでワンアウト三塁になる。
ここまでは想定内だが、問題は原、篠塚、六道と続く上位打線へと戻ることだ。
特に原には初回デッドボールを与えているし、あおいとしては内側を攻めづらいだろう。甘く入れば痛打され、最悪の場合春にチャンスで回ることになる。
ここでどう動くかが鍵だ。……ここは。
「タイム。あおい」
審判にタイムを宣告して、あおいの元に走る。
あおいはハッとしたような表情でグローブで口もとを隠した。
「ん、ごめん。雨ですっぽぬけちゃった。……もしかして、交代、かな……?」
心配そうな表情であおいがこちらを見つめる。
まあこんな序盤で交代は嫌だよな。誰だってそうだ。
でも、ここはあーだこーだ感情論で言える場面じゃない。
「あおい、交代だ」
「……ん、うん……分かった」
あおいが頷いて俺にボールを渡す。
……ありがとな、あおい。俺のめちゃくちゃな起用に応えてくれてさ。
そのかわり――絶対に勝つから。
「すみません。交代します! ピッチャーの早川に変わって一ノ瀬!」
この回で一ノ瀬を出すのは正直、想定外中の想定外だ。
だがこの雨――多分試合成立と同時に試合が終わる。いつ中止になるかも分かったもんじゃない。なら出し渋るより一ノ瀬をここで投入しちまったほうがいいはずだ。
「一応ブルペンに入っといてよかったよ」
「いきなり厳しい場面で悪いな。頼むぜ」
「火消しは任せてよ」
「ああ、変則的だが頼むぜ。あおいもな」
「……分かった! ごめんね一ノ瀬くん。ボクが作っちゃったピンチだけど」
「チームが作ったピンチはチームが消化する。それが野球だよ」
一ノ瀬は雨に濡れながらにこっと笑顔を見せる。くぅ、カッコイイぜ!
「頼んだぜ」
言いながらキャッチャーズサークルに戻り、一ノ瀬の投球練習のボールを受ける。
一ノ瀬も足場が気になっているようで、僅かにコントロールがズレているが、あおいのボールより球威がある分、多少甘く入ろうとこれをヒットにするのは厳しいはずだ。
「……三回に一ノ瀬くん投入ってほんまかいな」
「本気だぜ? 今度は負けないからさ」
「そうやなぁ。……ここが勝負どころと思ったっちゅーことやろ? ……面白いわ。僕が打って同点にしたる!」
「やってみやがれ!」
初球はストレート。甘くなってもいい。思い切り腕降ってこい!
一ノ瀬が腕をふるう。
鋭く振るわれた腕から投じられたボールは、俺が考えたことが一ノ瀬に伝わったかのように真ん中高めの甘いコースへと投げられる。
それを迎え撃つように原がフルスイングした。
ズッパァンッ!!! とミット音が炸裂する。
当たらない。雨粒を切り裂くように投じられたボールは原のバットの上を通過し俺のミットに収まった。
球速表示は一四八キロ――一ノ瀬の最速だ。
『ストライクー! この場面で緊急リリーフした一ノ瀬、なんと自己最速の一四八キロを叩き出しました―!!』
原の表情が一瞬こわばり、すぐに俺から見えないように打席を外した。
しっかり見たぜ、原。ストレートに呑まれたな。なら――後は全部ストレートでいい。
打席に戻った原は二球目のストレートに振り遅れる。
そして三球目、投じられた豪速球は膝元にズバッと決まった。
「トラックバッターアウト!」
『三球で決めたー! 見逃し三振ー! この球威で内角低めに決められては手も足も出ません!』
よし! ツーアウト! これで犠牲フライと内野安打での得点はなくなったぞ!
そしてバッターは篠塚。上位打線だが原と比べれば一枚落ちる。丁寧に攻めればヒットにはならないはずだ。頼むぞ一ノ瀬。初球はスライダーだ。
ちょっと甘く入った初球のスライダーを篠塚は空振る。
このコースのスライダーに空振るならやりおうはいくらでも有るぞ。二球目はストレートだ。
外角低めにストレートが綺麗に決まる。まるで雨なんか降っていないかのようなボールだぜ。ホント、すげぇな一ノ瀬のやつ。
三球目は外に外すカーブ。
俺のサインに一ノ瀬は頷いて、ボールを投じる。
外に逃げるように変化するボールを、篠塚は上体を崩しながらも追いかけ――空振った。
「ストライクー! バッタアウト! チェンジ!」
『ニ者連続三球三振ー!! 圧倒的! まさに圧倒的な一ノ瀬のピッチング! 恋恋高校、この同点の大ピンチを守護神投入で切り抜けました』
あまりの凄さに苦笑いしか出ねぇよ。全く。
一ノ瀬は帽子のひさしから伝う雨水を指で払いながら俺に微笑みかける。
「ナイスピッチ」
「ナイスリード」
「助かったぜ、一ノ瀬」
「ふふ、打撃のほうも任せてくれればいいよ」
ぽん、とお互いにグローブをあわせベンチに戻る。
三回の裏が終わった。四回の表、ここで得点を取れば勝てるぞ。
もちろん相手もそう思っているだろう。バッターは俺から。ここで塁に出れば得点のチャンスはぐぐっと広がる。絶対に打つぞ。
打席に立って静かに息を吐く。何度体験してもこの緊張感はたまらない。
『バッター三番、葉波』
「――もう、得点を取られるわけにはいかない」
「……だろうな。けど、ここで得点を取りに行くぜ。俺達は」
「ここで無失点ならば次の回は私からだ。そして春に回る。……雨でコールドゲームなんかにはさせない。私たちは勝つ。……だから、お前は絶対に打ち取るぞ」
話しかけた六道が静かに目を閉じ、ふぅと一息吐く。
そして目を開け――ギンッ! と橘に目線を移した。
……なんだ? この威圧感。後ろからプレッシャーをかけられているような、今まで感じたことのない感覚だ。
橘が六道のサインに頷く。
絶対に打ち取ると俺に言うからには単打すら打たせないリードだろう。それならインコースを使ってから外、もしくはアウトコースを使ってからインコースを使うっていう、一番橘のボールが生きるリードでくるはずだ。この雨だし左右のコントロール以外は橘でもしづらいはずだ。
一打席目は初球からアウトコースを打った。そのイメージは有るはず。なら初球はインコースだ。
足を上げて、六道がボールを投げる。
左投手の橘のリリースは右打者の俺にははっきりと見える。投じられたボールは速いスクリュー。予想通りインコース! 行け!!
だが、
ボールは、
俺のバットから逃げるように変化する。
「な――んだとっ!?」
ズパァンッ! と六道のミットが音を立てた。振り向いてコースを確認すると、六道は素早く立ったがインコースの低めだった。
……今のボールはクレッセントムーンだ。間違いない。
でもキレが今まで投げてた球とは比較出来ないほどすごかったぞ? あの変化もいつものボールとは比べ物にならないくらい曲がった。……こんな球を投げれるなんて。
いや、投げる方もすごいけど捕る方も相当技術が要求されるボールだ。あのキレと変化量で、さらに角度をつけて投げるんだ。生半可なキャッチングじゃ後ろに逸らしちまうぞ。多分進でもミットに当てれるかどうかくらいの、凄まじい変化球だった。
「……今のは……」
思考する間も無く橘はサインに頷く。
くそっ、考える時間が欲しいってのにこう素早く投げ込まれちゃ……!
二球目は外角へのストレート。思わず体が反応しかけてバットが出る。
「スイング!」
六道が指を回しながらファーストの塁審にアピールをする。
一塁塁審は拳を握りしめてアウトのジェスチャーをとった。
くそ、今のがスイングか。クレッセントムーンに呑まれすぎてるな。落ち着け。
内外、変化球ストレートの順番できた。六道のリードはどちらかというと裏を書くより打てないと思われるところへ優先的に投げさせるリードをする。それなら次はインコースのクレッセントムーンだろう。
橘が足を上げる。
あの変化球は相当打ちにくい。なら、低めは捨てて高めに狙いを絞って振りぬく。
バッ! と投げられたボールは内角高め、甘めのクレッセントムーン。
高めに浮いた分変化はしない。コンパクトに、振りぬけぇえええ!
ガッキャァンッ!!! と金属バットの音が響き渡る。
『打ったー!! 痛烈な打球ー!』
よし捉えた!! 打球はショート方向! ショートの頭を超えろ!!
「っあぁ!!」
声を出して春が飛ぶ。
雨粒を振り乱しながらグローブの土手に当たったボールは、打球が痛烈なのもあってか高々と上空へ舞い上がった。
俺はファーストへ走る。頼む、そのまま落ちてくれ!
飛んだ春はドッ、とその場に倒れこむが、素早く手をつき、がばっ、と立ち上がった。
打球はショートの後方。センターは間に合わない。落ちる――。
春が帽子を飛ばしながら、一度倒れこんだことにより泥だらけになっていたユニフォームを更に汚しながら、今度はセンター方向に横っとぶ。
そして――捕球した。
ドシャァッ! と泥が跳ねる。
雨に打たれながら春は倒れこんだまま、仰向けになってグローブを高々と上げた。
『あ、アウトー!! 痛烈な打球をグローブに当てながらも捕球出来ませんでしたが、その後浮いた打球を再び横っ飛びでキャッチー! プロでもなかなか見れないスーパーファインプレー!! 変化球をコンパクトに叩いた葉波ですが、これでは仕方ありません!』
「おいおい……」
呆然と春を見やる。
ワァァァ!! と雨音をかき消すかのような大歓声に、春はゆっくりと立ち上がり、雨の中応援に来てくれた人達に向けて帽子を取って微笑んだ。
……くそ、カッコイイな。悔しいけど今のは凄いプレイだったぜ。
ゆっくりとベンチに戻る。友沢が初球を引っ掛けてピッチャーフライ、東條が三振に打ち取られ、試合は膠着状態のまま四回の裏に入った。
『バッター三番、六道』
一ノ瀬は変えるわけにはいかない。元々先発だった一ノ瀬はスタミナもある。三回……長くても四回は投げれるはずだからな。
六道がバッターボックスに立つ。さっきの俺が打席に立った時から集中力が凄まじい。
ボール球は振らないなら、思い切り球威のある球を投げさせよう。球種はストレート。六道は力で押す!
ヒュバッ!! と雨を切り裂く一ノ瀬の腕。
回転良く投じられた直球が低めに突き刺さる。
「ストライクッ!」
六道はミットの位置を確認もせず、すぐにバットを構え直した。
……嫌な感じだ。ミットの位置を確認にくれば選球眼が狂ったとか思えるのに、それすらしない。
まあ実際、今のボールは打ってもヒットにならないから見逃した――そんな感じだろう。
二球目もストレート。今度は外ギリギリだ。
外れても良いくらいの感じで投げればいい。……頼むぜ。
ビッ! と一ノ瀬がストレートを投じる。
ボールかストライクか。いや、おそらくボールだったと思う。
確認する前に、六道のバットがボールを捉えたからだ。
雨を切り裂き、バットはボールを捉える。
ッキィンッ!!! と金属音を響かせて、ボールはサードとショートの間を抜けていく。
「何っ……!」
『ヒットヒットヒット!! 或いはボール球か! 厳しいコースに投じられた投球を六道、弾き返しましたー!』
くっ、あのコースをヒットに出来るバットコントロール。スローイングの弱さがあるものの、捕手としてここまでの打撃が出来る六道は間違いなくこの“猪狩世代”でも最高レベルの捕手だろう。
……なんて冷静に分析してる場合じゃねぇか。ノーアウト一塁、聖タチバナとしては同点にする絶好のチャンス。この場面でバッターは四番――
『バッター四番、春』
――春。
先ほど好守を見せつけた春が、この絶好のチャンスで打席に立つ。
「……っふぅ、この雨だと、多分五回終わった時点でゲームセット、コールドゲームだろうね」
「そーだな。……せっかくのライバル対決なのに、文字通り水挿されちまったな」
「うん、残念だけど、それでもこの試合が最後なのに代わりはないよ。……この試合が楽しいのにも、変わりないかな」
「ははっ、そうだな。……絶対に抑えさせてもらうぞ」
「じゃあ俺は絶対に打たせてもらうよ。……聖ちゃんをホームに返して、みずきちゃんたちとまだ野球を続けるんだ」
春がぐっ、とバットを構えた。
なんとか抑えねぇと。ここで同点にされるわけにはいかない。ここで同点にされたら流れが一気に聖タチバナに行っちまう。
思い、顔を上げた俺の目に、
――猪狩が飛び込んできた。
猪狩は内野スタンドの俺の顔が一番見えるところに座り、傘を差しながらも俺から一切目を離そうとしない。
……ああ、そうだった。抑えねぇと、じゃなかったぜ。
抑えるんだ。あいつと戦うために。あいつと最後の夏の決着をつける為に。
ミットに拳を叩きこむ。
雨で濡れているミットは何時もよりも鈍い音を響かせた。
「バッター集中! ここ抑えれば絶対に勝てる! しまっていこー!!」
「ふふ。応! でやんす!!」
「……ああ、バッター打たせて来い! 再びゲッツーを捕る!」
「まっかせなさい! セカンド付近に飛んできたボールは何が何でもアウトにするわ!」
「任せてくださいッス! 絶対キャッチしますから!」
「絶対にランナーは返さない! 誰が相手であろうと僕とパワプロくんのバッテリーならば不可能は無いはずだから!」
「任せろ! 長打が出てもホームで刺す!」
「任せてくださいパワプロさん! 右中間左中間、どっちに来ようとも全力で取ります!」
「任せろパワプロー! 捕るぞー!!」
「ああっ! 行くぜ皆!」
内野にいる仲間達が声で応えてくれる。
外野にいる仲間達がジェスチャーを交えて援護してくれる。
こいつらと一緒なら、絶対に負けない。負ける訳がない!
「私をホームに返してくれ! 春!」
「頼むでー! 春ー!!」
「春、頼みます。あなたが打てば、俺も続ける!」
「……春くん! 私……私……っ、もっと春くんと野球がやりたい! お願い――私と、私達と、いっしょに甲子園に行って!! 私達を引っ張って甲子園に連れて行って!」
「――絶対に俺は打つ! 来い! 一ノ瀬くん! パワプロくん!」
初球。
一ノ瀬が全力で投げ込んだボールは144キロの内角低めのストレート。
バッシィンッ!!! と痛烈な音を立ててボールはミットに吸い込まれる。
「ストライクー!!」
っと、その間に一塁ランナーの六道がセカンドへ滑り込んだ。
……本当は盗塁は刺さなきゃいけないが、この切迫した場面でランナーに裂く意識なんて必要無い。春を抑える。抑えれば相手の流れは確実に止る。そうすれば一ノ瀬は打たれる投手じゃない。
だからこそ、ここは春に一本集中だ。それを分かってるから六道は一打で帰ってこれる可能性があるセカンドにリスクを背負って盗塁したんだ。
カウントは1-0。
要求する球はスクリュー。
一ノ瀬が振りかぶる。
六道は動かない。
春はバットを引く。
俺はミットを突き出す。
内容はどうでもいい。三振だろうがファインプレーだろうがなんでも。
必要なのはたった一つのアウトカウント。
ただただ降りしきる雨の中。
聖タチバナというチームをここまで引っ張ってきた男から、
たった一つのアウトカウントを奪う。
それが、それこそが。
この三年間の聖タチバナとの対決に決着をつける為に必要な、
たった一つの“欠片”だ――!
投じられたボールを春が迎え打つ。
ッカァァアン!!
と春のバットが音をひびかせた。
ふわり、と浮かんだボールは雨粒とぶつかりながら外野へと飛んで行く。
俺と一ノ瀬はそのボールを見送った。
進が後ろに下がって、
下がって、
下がって、
フェンスに手をついて足を止めた。
進が空を見上げ、
――落ちてきたボールを、しっかりとそのグローブに収めた。
その瞬間、この試合はもう、終わっていた。
☆
「結局2-1のまま五回コールドで試合終了か」
「まぁこの雨なら仕方ないナ」
「こんな雨の中、日程を消化するためとは言え試合をやって五回で終わられては、聖タチバナも溜まったものではなかったろうな」
「……関係ないさ。与えられたコンデションがどんな状況でも、結局強い方が勝つ。そういうものだ」
雨の中、傘を並べて歩くあかつき大付属の面々は雨を見上げながら言う。
雨はまだ止まない。それどころか試合の時よりも激しさを増して、今はもう先が見えないほどだ。
「そしてパワプロたちは勝った。……決勝戦まで残った。……僕達と戦うために」
「それは違うんじゃないかな。守。彼らは僕達と戦うために残ったんじゃない。僕達に勝つ為に決勝戦まで残ったんだよ」
「六本木の言うとおりだナ」
「ふ、それは無理というものだよ。勝利するのは僕達だ。……最後の最後、この僕の苗字をとった“猪狩世代”と呼ばれるこの世代の中心に居た僕と、そのライバルの最後の対決に勝利するのは、ね」
傲慢この上無いセリフを呟いた猪狩の表情を見て、六本木達は猪狩には見えないように顔を見合わせて笑う。
猪狩の表情はこの上無く嬉しそうだった。
「……さあ、パワプロ。いよいよ最後だ。僕達の高校生活最後の対決に僕は勝つ、お前に勝って、僕は初めてこの高校生活で本当の勝利に酔いしれる!」
バケツをひっくり返したような雨でも、猪狩の炎を消す事は出来ない。
最終決戦は三日後、マグマドームで行われる。
☆
――雨の中のベンチで、春は呆然とグラウンドを見つめていた。
思い出されるのは最後の瞬間。
五回裏が終わり、ベンチで守備の準備をしていた時、審判たちが本塁の前に立ち、ゆっくりと腕を上げてゲームセットを告げる声。
翌日の新聞にはなんと書かれるのだろう。
雨に泣いた、とか、不運な聖タチバナとか、悪天候を味方に出来ず聖タチバナ惜敗とか、そんな感じだろうか。
そんなことを考えていると、ふと真後ろに気配を感じて、春は顔を俯けてベンチの床を見つめた。
“彼女”だ。
「……負けた」
「……」
「俺は、負けた。雨とか運が悪かったとか、そんなんじゃないんだ。……完全に負けた。チャンスだったのに、得点圏だったのに――! 一ノ瀬くんとパワプロくんに抑えられて打てなかった!! あの時に打ててれば、俺達が勝ってたんだ! なのに、俺が打てなかったから……」
思った瞬間、春の口はいつの間にか動いていた。
春の声が小さくなる。
本人が一番わかっている。雨で負けたわけじゃない。……結局勝つのは強いチームだ。周りは不運だったとか言うかもしれない、でも違う。最初に二点取ってそれを守るためにエースをすぐさま守護神にスイッチして抑え込んだ。そのベンチワークに自分達は負けたのだ。
「……ごめん……俺のせいだ……、もっと、一緒に野球が出来なかったのは、俺のっ……」
「違う」
「……っ」
後ろに立った彼女は強くそう言って、後ろから春の肩に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。
汗の匂いに混じって女性の柔らかさやら女性の良い匂いやらが春を満たして、春は余計に動けなくなる。
それを知ってか知らずか、彼女は更に腕の力を強くして、ぎゅうっと自分の体を春の頭に押し付けた。
いや、多分自分の体が当たってるのは知ってるだろう。それを承知で強く抱きしめてきたのだ。
だって彼女は――橘みずきは、そういう女性なのだから。
「違うよ、春くん。私が負けたのは私のせい。他の人が負けたのも他の人のせい、つまり、私達全員の責任なんだよ」
「……みずきちゃん……」
「あーあ、終わっちゃったな。楽しかったけど、悔しいな。……三年がもうおしまいかぁ。……でもいいよね。おじいちゃんが言ってた“みずきの許嫁なら甲子園に行ってみろ”っていう公約は今年の春に果たしたし」
「そうだね……でも……」
「でももヘチマもないって。目標は達成。そこで春くんが落ち込む事ないでしょ? 私との約束は果たしてくれた、それでじゅーぶんだよ。ほらほら、落ち込んでないで立った立った。負けたのは悔しいし……むっきー! ほんと悔しい!! でもっ! まだ野球人生は続くんだから、あおいはもちろん、あかりや友沢やパワプロにだって逆襲のチャンスはたっくさんあるんだから、落ち込んでちゃ損だよ」
みずきはぱっと離れにやりと邪悪な笑みを浮かべる。
人一倍負けず嫌いな彼女は、本当は相当悔しいはずだ。
それでも自分を気遣ってその悔しさを必死に抑えて――それでも溢れでているけれど――自分を励ましてくれているんだ。
ぐい、と目元を拭い春は立ち上がる。
彼女にそこまでさせて自分だけがうつむいてる訳にはいかない。いつまでもここに居るわけにはいかないのだ。これからも――野球人生は続くんだから。
「……みずきちゃん、ありがと」
「お礼いいたいのは私の方だよ。……春くんがいなかったらもう野球を辞めてた」
「俺もそうだよ。みずきちゃんが居たから、野球に戻ってこれたんだ」
「どういたしまして、じゃあそれ借りにってことにしちゃうかんね。返してよ? とりあえず何かおごってもらおうかなぁ。……そういえば婚約者のフリももう終わりかな。……、……あの、さ」
くるり、と春の方に振り返り、みずきは何かを悩むようにちらちらと春の顔色を伺う。
春は首を傾げてみずきが何かを言うのをその場で待った。
ざぁぁ、という雨の音が響く。
「あ、あのさ、あの、こ、婚約者のしょーこで渡したペンダントなんだけどさっ」
「あ、うん、壊したら許さないって」
「う、うん、それなんだけど、さ。えーと。その、さ……」
婚約者のフリが終わりということは婚約者の証のこのペンダントも返さなければならない。
好きな人に渡すものだと言われていた。それを思い出して春は、
「これ、返さなきゃダメかな」
「え?」
そのペンダントを、きゅっと握っていた。
「……返したくないんだ」
「そ、れは……そ、その。……は、春くん、それ」
その意味をわかっているのか、とみずきが聞こうと思った瞬間、みずきは春に抱きしめられていた。
!? とみずきの頭が真っ白に染まる。
いきなり抱きしめられた――そのことを理解するのに数秒かかって、理解した瞬間みずきは呼吸困難に陥りかける。
「……俺は――みずきちゃんのことが好きだ」
「っ――!」
「二年前に俺がベンチに座り込むキミを立たせてくれたように。今度は君がベンチに座り込む俺を立たせてくれた。……ううん、それより前に、キミは俺を立たせてくれたんだ。……キミが野球に戻ってこれたのは俺のおかげというように、俺が野球に戻ってこれたのはキミのおかげだよ。みずきちゃん。……キミのことが、好きだ」
「……やっと、気づいたの……?」
顔を珍しく真っ赤にして上目遣いでみずきが春を見つめる。
春はその言葉を聞いて慌ててポリポリとほほを掻き、
「へ? お、俺、前からみずきちゃんの事好きだってなんか雰囲気出してたっけ?」
「ばか、違うよ。……そのペンダント、返さなくていいから」
「みずきちゃん……、……そ、それって、さ」
「ばか。二度は言わないよ。私は、春くんが私を一生懸命野球に連れ戻してくれた時から、ずっと春くんのこと、大好きだったんだよ?」
「……き、気づかなかったよ」
「ホント鈍感でバカで猪突猛進なんだから」
「ご、ごめん」
「……でも、大好き」
春の腕の中でみずきが背伸びをする。
そのままみずきの整った顔立ちに吸い込まれるようにして動けない春の唇に、みずきは自らの唇を重ねた。
雨のベンチの中で、雨の音も忘れて二人はお互いの息を交わらせる。
数秒して、みずきが唇を離してつい、とそっぽを向いた。
耳まで真っ赤なみずきの横顔を、同じく赤い顔で春は見る。
すー、はぁ、と春は深呼吸をして、再びみずきを抱きしめた。
言葉を発さずに春はみずきの頬を両手で包み込む。
そして、今度は自ら唇を重ねた。
「……んふあっ、……な、内定っ!」
「……ふ、は……え? な、何に……?」
「い、言わせない! ……とりあえず、まずすることは祈ることだよ?」
「――うん、そうだね。一緒にプロに行けますように。……出来れば、同じ球団に行けますように」
「そういうこと! そのペンダント、大事にしてね」
「うん、もちろん」
二人は顔を見つめ合い、微笑み合ってベンチを後にする。
その手は、しっかりと握られていた。