実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー   作:向日 葵

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第三六話 三月二〇日→四月一九日 カイザースvsキャットハンズ あおいと葉波

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                    三月二〇日

 

 

「な、何これー!!?」

「うわぁあ!? ど、どうしたの? あおいちゃん……?」

「どうしたのじゃないよ! こここここの子女の子だよね!? 女の子だよねっ! 有名だったもんね!! かしましが初甲子園に出た原動力としてッ!!」

「うぎぎっ、く、首、しま、っ……!」

「なんでこんなに仲良さそうなのさー!! パワプロくんのバカー!」

「ぎ、ギブ、ギブ……! ギブ、アップ、だ、から……っ!」

「あ、あおいさん。おちついてください! 春さんの顔が青を通り越して紫になりつつあります! 死んじゃいますよ! 頸動脈決まってますって!」

「はぁ……はぁ……ごめん、進くん……でも……でもぉ……」

「まあ、帰ってきてから電話一本もないからねぇ。パワプロくんってば、あおいがこうなっちゃうのも仕方ないんじゃない?」

「俺は今三途の川が見えたけど……?」

「うー、うぅー、うぅぅー、連日ブルペン入り……紅白戦でもバッテリーを組んだけど稲村ちゃんだけ一軍に上がってパワプロくんは二軍かぁ……二軍選手に声掛けづらいなぁ……」

「あ、ダメだこれ。もう話掛けること決定してるね」

「あはは、パワプロくん、一軍に上がったら大変だろうなぁ」

「そういえば春くんもバルカンズとの試合の度に聖と話てるけど……浮気じゃないよね? 私、信じてるから……」

「みずきちゃん、言いながら胸ぐらを掴むのはやめてくれないかな……?」

 

 ワイワイと騒ぎながら、テレビの前ではしゃぐキャットハンズの面々。

 開幕を翌日に迎えた緊張感はない。――確信している。自分たちが再び優勝すると。

 開幕戦はカイザース。開幕一軍で葉波が来なかったのは幸運か、はたまた不運か。

 あおいは自らを落ち着けるため深く深呼吸し、ニュースのVTRで紹介される稲村ゆたかに目をやった。

 

(――負けないよ。キミには、絶対……!)

 

 自分に言い聞かせるようにいって、あおいはぐっと拳を握る。

 女の勘として、何故か女性同士通じるものがある。

 この子はきっとパワプロを頼りにしている――そんな核心めいた予感を感じ取ってあおいは更に闘志をみなぎらせた。

 それを見て、みずきは想う。

 

「これは人殺しの目ですわ……」

「ちっがーうっ!」

「進くん……恋するオトメは強いね……?」

「あは、あはは……稲村さんとあおいさんが投げ合う時にパワプロ先輩が捕手を組んだら……僕は過労で死んでしまうかもしれませんね」

 

 なんて事を春と笑いあいながら、進は内心そんなことは無いと想っている。

 開幕投手は間違いなく猪狩守。

 それからローテの都合上、稲村は恐らく五番手か六番手。それなら同じく開幕投手のあおいとはぶつからない計算になる。

 あおいは基本的にエースと投げ合う形になる。この三年間、エースとして君臨するようになってからその図式は変わらない。

 その中で去年一八勝の最多勝を取った。だからこそこの最多勝は最大限の評価をされているのだ。

 そんなあおいと、今年からローテに入るであろう稲村が投げ合うことは、ほぼ全くといっていい程ないだろう。

 

「だから、大丈夫ですよ」

 

 笑って進は春と世間話をする。

 ――それがまさかこんなことになるなんて、進はこれっぽっちも思っていなかった。

 

 

 

                 四月一九日

 

 

 

「どうしてこうなった……」

 

 進は心底からため息を吐き、ぐったりと椅子の背もたれに身体を沈めた。

 ――朝、朝食を食べ終え、球場入りするまでの僅かな自由時間での事だ。

 

「珍しいね、進くん? 朝からパソコンをいじってるなんて」

「は、春さん……助けてください。僕、今日は夜死んでしまうかもしれません……」

「えーと、何何……『ドラフト一位葉波風路、一軍合流。昇格即スタメンへ、「やれることを精一杯やりたい」』」

「パワプロくん今日一軍昇格!?」

「へー、速いじゃない」

「やたー! やたー! やたー!! 試合前話せるかなぁ!? ぼ、ボクと会うの楽しみにしてくれたかな。一度別れたとは言え好きっていってくれたし、うん。ぼ、ボクも会いたかったよなんて……えへ、えへへ……」

「あおいー、戻ってらっしゃいー」

「それで、どうして進くんはそんなに沈んでいるの? ……あ、猪狩くんとバッテリーを組むのか、うわぁ……」

「違いますよ……、それなら僕もどれだけ楽だったか……パワプロ先輩と話せるのはとても嬉しいですし、実際戦ってみたい気持ちもありました、けど……続き、読みますよ?』

 

 はふぅ、と進は大きくため息を吐き、ウェブのページを下にスライドさせる。

 

「『いよいよドラ一ルーキーがヴェールを脱ぐ――。開幕は二軍で迎えたルーキーが一軍昇格するということが一八日、分かった』」

「本当にやっとだね。二軍戦は出てたけど実際には見せてくれなかったし、そういう監督の作戦だろうけど」

「うんうん!」

「『二軍戦では、300。HR3、打点29と結果を残していた。「やれることを精一杯やりたい」、とコメントをした葉波は口数少なく荷物を纏め、猪狩ドームで一軍練習に合流した』」

「二軍戦でそこそこ打ってるのね。まあ上がってきて当然じゃない?」

「うんうん!」

「『昇格即スタメンマスクと見られ、前回一回を二七球でKOされ、中四日での先発が予想される稲村選手との紅白戦以来のバッテリーが予想される』……」

「うんう……な、んだとっ……!」

「ああっ!? あおいちゃんの顔がラオウみたいに!?」

「い、稲村さんと、バ、ッテリー……!!?」

「ひぃっ! やっぱり予想通りあおいさんの背中から威圧感が!」

「お、俺今日は早めに球場入りするねっ!」

「ぼ、僕もそうします……! ま、待ってください春さん! 今あおいさんと二人にされたら僕は、僕は死んでしまいます! 主にストレスで!」

 

 ドタバター!! と男二人が疾駆し部屋を後にするのを聞きながら、あおいは進がつけっぱなしで放置していったノートパソコンの画面をじっと見つめる。

 ……兎にも角にも、負けられない。

 色恋沙汰を気にするなというのは無理だ。

 だが、それでも試合には負けられない。特にこの二人がバッテリーを組むとなれば。

 稲村ゆたかには、絶対に負けられない。

 パワプロには、無様な姿は見せられない。

 

「頑張るぞ……」

 

 自分に言い聞かせて、あおいは荷物を持つ。

 ――球場入りは、もうすぐだ。

 

 

 

 

 

 

                       ☆

 

 

 

 

「うおーっ! 猪狩ドームか! 流石にテンションあがるな!」

「……遅いぞパワプロ」

「わり、遅くなった。落ちねーようにはするから勘弁してくれ」

 

 パン、と猪狩とハイタッチしながら、俺はチームに合流する。

 待ってましたとばかりに友沢や蛇島が俺を見つめてきた。

 ――vsキャットハンズ。予想先発早川あおい。

 っとに、神様はおもしれぇ事してくれるな。よりによって昇格して最初の試合があおいとか、驚きだぜ。

 

「よぅ、蛇島」

「……上がってきたか。ふん」

「そうツンデレするなよ」

「ツンデレではない。勘違いするな。他の選手が貴様を認めても俺は認めてはいないぞ」

「認めない、とは言わない辺りがツンデレ?」

「チッ。……無様な試合だけはするなよ」

 

 舌打ちをしてバッティングケージに蛇島は向かっていく。

 ……こっち方向何も無いのにわざわざ来て挨拶してくれる辺り、歓迎してくれてるってことでいいんだよな。

 

「パワプロ。またお前とやれるな」

「おう友沢。待ったか?」

「そうだな。是非V逸の責任はお前に取ってもらおう」

「ひでぇ!?」

「冗談だ」

 

 笑いながら友沢は俺と手を交わす。

 うん、やっぱ顔見知りがいるってのは心強い。変に緊張しなくて済みそうだ。

 

「にしても残念だ、僕は明日だからな。……今日活躍すれば明日マスクをつけれるだろう? 今日は4-4で頼むぞ?」

「おいおい猪狩、ムチャぶりすんなよ」

 

 といいつつ、狙ってみるか。

 猪狩もそうだけど、多分それ以上に俺は猪狩とバッテリーを組みたい。

 ……っつか、“あの”ボールを実際にキャッチングしたらどういう感じなのか味わってみたい。捕手としての欲求だな。猪狩の球を取りたくない捕手なんていないだろうし。

 最高のピッチャーはバッターにとっては嫌なもんだろうけど、捕手にとっては最高のご褒美だ。手を痺れさせるような直球なんて取れた日にゃぁ感動もんだしな。

 なんてことを考えていると、ぴょこん、と視界の隅っこで最早見慣れたくせっ毛が跳ねるのが見えた。

 稲村だ。

 

「おはようございます! 先輩!」

「よぅ、稲村。元気か?」

「元気とは言えないかもしれませんね。ボコボコ打たれちゃってますし……」

「防御率8、00はたしかにな。まぁまだシーズン始まったばっかだよ。これから減らしていけば問題ないさ」

 

 沈んだ顔をする後輩の頭をぽんぽん、と叩いてやる。

 ちょっと複雑そうな顔をしたものの、頬を綻ばせて喜ぶ稲村は可愛い。弟みたいだな。

 そんな俺を生温かい目で見つめてくる猪狩。よせやい。そんな頼れる兄貴だなーみたいな目線、照れるじゃないか。

 

「さて、では僕は今日は軽く調整だが、お前はせっかくのチャンスなんだ。ブルペンに入って先輩の球でも受けてきたらどうだ?」

「そうすっか。んじゃ稲村、また後で」

「あ、はい」

 

 手を頭から離すと少し残念そうな声を出す稲村。

 先発投手はランニング多めのメニュー。しっかり走りこんで調整して貰わないとな。

 

「後の事は全部俺に任せて、お前は投げることに集中しろよ」

「は、はい!」

 

 元気いっぱいに返事して、すたたーと稲村は走っていく。

 うっし、いっちょ気合入れますか。

 

「んじゃブルペン行ってくる」

「もう少したったらキャットハンズの面々をお目見えだ。挨拶はしなくていいのか?」

「流石に挨拶は行くよ。忘れてなきゃ、だけど」

「はは、そうだな。では僕はバランスボールをやってくる」

「ああ、またな」

「打撃練習はこっちだ」

「あいよ。案内頼むぜ。友沢」

 

 友沢に案内され、先輩達に挨拶をする。

 先輩たちも俺の事を良く知らないのか、軽く会話した程度で済まされちまってる。まあ高々ルーキー、そんなもんだろう。

 

「待っていたぞ。葉波」

「監督、おはようございます」

「ああ。とりあえずお前は今日スタメンマスクの予定だ。状況は知っているだろうが、チームは正直波に乗り切れていない。お前の能力で波に乗せてみろ」

「プレッシャーかかりますね?」

「……ふ、その割には挑戦的な笑い方をするものだ」

 

 ニヤリ、と神下監督は笑って、ケージに入る順番を教えてくれた。

 ……今の神下監督のセリフは俺への最大の期待が込められた言葉だ。

 なら、その期待には全力で応えねぇとな。

 ケージに入る。

 と、隣に居る近平さんが俺に話しかけてきた。

 

「……葉波、よう」

「近平さん、おはようございます」

「別に前口上はいいぜ。お前にゃ負けねぇから」

 

 言いながら、近平さんはッカァンッ!! と快音を響かせてボールを広い猪狩ドームの中段に叩きこむ。

 思い切りの良いバッティングだ。

 今年も打率を今まで三割キープしてる。ホームランも三本。……正直言って打撃力ならこの人に負けてるかもしれねぇな。

 けど、劣ってるとは思わないぜ。俺だって――負けてたまるか。

 

「ふっ!!」

「おぉっ」

 

 バッティングピッチャーが投げてくれたボールを鋭くセンターに弾き返す。

 別にホームランを打つのが打撃じゃない。

 広角に打ち分け、状況に応じたバッティングをする。それも大事なハズだ。

 カァンッ!! カァン!! と俺と近平さんのバッティングの音が球場内に響く。

 正捕手の座は一つ。

 それを手に入れるには、この近平さんを乗り越えるしかないんだ。

 

「よしストップ。交代だ葉波、近平」

「ありがとうございました」

「あざっした!」

 

 二人してケージを出る。

 神下監督は何か嬉しそうに目を細めた後、別の選手の元へ歩いて行ってしまった。

 

「うっし、身体も温まったしな。キャッチボールでしっかり身体ほぐした後ブルペンに入るか」

「パワプロ、俺と組もう」

「おう、頼むぜ友沢」

 

 友沢がボールを持って軽く腕を回す。

 ヒュッ! とまずは近距離で友沢がボールを投げた。

 パシンッ、と軽い音が響く。

 それを丁寧に身体の可動域を意識しながら投げ返した。

 キャッチボールは何も肩を温めるだけのものじゃない。

 身体の調子を確認したり、身体をほぐす為にしっかり行わないと怪我をしかねないからな。

 まあ今回は此処に来る前にストレッチしてたのもあって速攻バッティングゲージに入ったけど、まずはキャッチボールからするのが常識だ。

 キャッチボールの距離をどんどん遠くしていく。

 二、三〇分程続け、お互いの距離が五〇メートルは開いた所で、ガチャン! と内野のベンチのほうから音がした。

 なんだ? ビジター側のベンチから……あ。

 キャットハンズの面々が入ってきたのか。

 まず一番に飛び込んできたのは進と春だ。何かを探すようにグラウンドを見回し、俺の所で視線が止まった。探してたのは俺か。

 

「パワプロくん!」

「パワプロ先輩!」

「よう、久々だな」

 

 ビュッ!! と友沢にボールを返しながら軽く挨拶をする。

 うわっ、やっべー懐かしい! 四年ぶりだもんなぁ。

 進はキャットハンズで正捕手、カイザースとのくじびきの末にキャットハンズが交渉権を獲得した。

 春はキャットハンズに入団後、みずき、あおいと同じく開幕一軍に入るもののショートのレギュラーをイマイチつかめていない。その分代打の切り札として活躍してるみたいだけど。

 

「本当に久々ですね……身体つき変わってますし」

「おう、アメリカでがっつりやってきたぜ」

「凄いなぁ。即スタメンマスクだって? ……俺も負けてられないな」

「たまにスタメンで使ってもらってるみたいだな?」

「そうだね……でも、高校時代とやっぱり全然勝手が違うよ。ショートは難しいね……」

「ま、プロだし、な」

 

 バシッ! と友沢から返却されたボールをしっかりと握る。

 進は守備面、打撃面とソツ無くこなしているが、春は違う。

 高校時代堅守と言われたショート守備もプロに入れば地肩の強さはショートレベルなものの、ショートの守備は決して上手い方じゃない。

 キャットハンズの正遊撃手、伊藤さんは右打者で守備が上手い。春とタイプがかぶっているから、春がレギュラーになるためには伊藤さんをスペックで超えるしかないのだ。

 だが、それが一番厳しい。伊藤という選手は、守備は名手レベルと言われ、打撃も三割には届かないものの二割八分台と決して低いわけじゃないのだ。

 それを超えるには守備を上手くし、打撃を三割台に持ってかないとな。

 友沢にボールを返す。こうしてる間にも距離は離れ、八〇メートル程にまでなってる。あいつの肩、やっぱすげぇな。

 

「……友沢くんは凄いね、肩も強いし足も速い、打撃も首位打者だし」

「友沢は抜けてるな。たしかに」

 

 春が自嘲気味に笑う。

 やっぱり劣等感を感じてるんだろうな。何も言わないけど、さ。

 

「さて、進くん、俺たちも練習しないと」

「あ、はい、それじゃパワプロ先輩、失礼しますね。それと――生きて、帰ってください」

「は?」

 

 おい進、今から死ににいく仲間を見送る不良のボスみたいな悲しみと慈愛に満ちた眼差しで俺を見るとはどういうことだ!?

 などと俺が戦慄していると、とたた! と走ってくる緑色のおさげ髪。

 ――あおい。

 

「はぁ、はぁ。ぱ、パワプロくんっ……!」

「……久しぶり。あおい」

 

 友沢から帰ってきたボールを受け取り、投げ返す。

 その大きな目が、俺をしっかりと捉えると同時――たぶん、喜びで潤んだ。

 抱きつきたい衝動をこらえているのか、ぎゅうっと拳を握りしめ、あおいはすーっと大きく息を吸い、はぁ、と吐き出した。

 

「おかえりっ!」

 

 そして、俺に満面の笑みを向けてくれる。

 

「ああ、ただいま」

 

 その笑顔に俺は笑い返した。

 パンッ! と友沢から帰ってくるボールが強くなる。

 はいはい、わかってるよ。しっかり投げるって。

 

「あの、アメリカはどうだった?」

「充実以外の何者でもなかったぜ?」

「そっか……手紙、届いてた?」

「ああ、読んでたよ。悪いな。手紙書く暇がなかったんだ。勉強か野球のどっちからだったから」

「ううん、届いてたなら良いんだ。……その……ぱ、パワプロくん。あの、その……」

 

 もじもじ、とあおいがうつむき、自分のおさげ髪を指で弄りながら、俺を上目遣いで見つめてくる。

 うーむ、相変わらず可愛いな。

 自分から別れを切り出した手前、面と向かっては言えないけどあおいは魅力的だ。

 でも、

 

「瓶底体型は変わってなぐふっ!」

「言ったね? 言ったね!? 一番言ってはいけないことをいったね!!? ボクだって気にしてるんだよ! 凄く! ものすごく!!」

 

 俺を(利き腕じゃない方で)殴り、あおいは目を吊り上げる。

 ああ、思わず口から本音が。俺のアホ、口は災いの元だぞ。

 

「ま、全くっ! ……まだボクのことが好きかどうか聞こうと思ったのに……」

「げほげほ、な、なんか言ったか?」

「うっ、言ったよ! だ、だから、その、ぼ、ボクのこと――」

「葉波せんぱーい!」

 

 とたたー! と稲村が向こうから走ってくる声に、あおいの声がかき消された。

 友沢が少しずつこちらに近づきながらボールを返してくる。

 キャッチボールも終わりに入ってる証拠だ。

 

「ブルペンにはい、り……むっ、早川あおい!」

「――稲村ゆたかちゃん」

「え? ちゃん?」

「まだ気づいてなかったか。流石恋恋高校赤点コンビだな」

「懐かしい呼び名を出すなっ。世間一般の人に俺がバカだとバレるだろうが」

「そこが問題じゃない」

「ああ、そうだった、稲村ゆたか“ちゃん”?」

「稲村は女性だぞ」

「へぇー……なるほど、そうだったのか。道理で偶に良い匂いがすると……」

「……パワプロ……」

「引くな! 二歩後ろに引くな! 別に匂いフェチとかじゃないから!」

「は、はう、良い匂い……オレの匂いが……」

「ぬ、ぬぐー……!!」

「まあ、冗談だ……二割くらい」

「残り八割は本気で引いてんの!?」

 

 冗談だ、と真顔で友沢が言い切る。

 こいつは一体俺にどんな印象を覚えていたのかと正座させて聞いてやりたい。

 ってまあ今はそんな場合じゃないな。

 

「そうか、稲村は女だったのか」

「は、はい、黙ってて、その、ごめんなさい」

「謝るこっちゃねぇよ。逆だ、俺が気づいてやれなくてごめんな」

「葉波先輩……」

「大丈夫だって。お前が心配してることは起こりはしないよ。……ちゃんとわかってるから。お前の気持ちは」

「――っ、せ、せせ、先輩……!?」

 

 カァァ、と稲村の顔が真っ赤に染まっていく。

 それに比例してあおいの表情が色を失い威圧感が溢れ出してきた。やばい。今のあおいなら一五五キロ投げれそうだ。こりゃ言わない方がいいのか?

 いやでも、悪い事じゃないのに一度口に出そうと思った事を止めるのは俺の性に合わないし、ここは言っちまおう。

 

「分かってるよ、稲村」

「せ、先輩、そんな、先輩が気づいてくれてたなんて……で、でも、でも、それでも言ってくれようとするってことは先輩も……!?」

「ああ、俺――稲村のこと」

「は、う、先輩……っ」

「――ちゃんと、今まで通りに接するからな」

「……えっ」

「安心しろ。女だから男だからってそう態度をコロコロ変えないから。稲村は稲村だからな」

「……えっ」

「だから今まで通りでいいんだぜ」

「……えっ」

 

 うん、男でも女でも稲村は稲村だ。可愛い後輩という立場は変わらない。流石に遠慮するところは遠慮するけど。

 稲村がポカン、とした表情で俺を見つめる。ふっ、決まったな。あまりのかっこ良さに声も出ないらしいぜ。

 

「くっくっく……っ!!」

 

 友沢が何故か顔を背けてプルプルと震えながら笑いを堪えようとして、こらえきれず笑いを漏らしている。

 野郎……俺に似合わずカッコイイこといってやがるとか思ってるのか? 失礼なやつめ。

 

「……ゆたかちゃん、キミはライバルだけれど、これは同情するよ……ホント、我ながら良く高校時代コレと付き合えたなって想う」

「……はぁ……ありがとうございます。早川先輩。でも、いいんです、オレは。葉波先輩の様子を見て分かりました。今も、そういう関係だって訳じゃないんですね。……なら、ちゃんと気づかせて見せますから。……負けません」

「……そっか。うう、分かった。でもボクも譲るつもりはないから」

 

 慰める早川に対してお礼をいいつつ、稲村はあおいに何か宣戦布告をする。

 それを受けて、あおいもこくんと頷いた。

 んん……? 一体何がどうなった? なんか知らないうちにライバルになったらしいぞ。この二人。

 でもいいことだよな。新しい戦力から刺激を受けてあおいも切磋琢磨し、球界のエースと呼んでいいだろうあおいに認めて貰って稲村も上によじ登る。

 お互いを成長させることが出来る、いいライバル関係だ。

 

「まあ、良く分かんねぇけど、めでたしめでたしだな」

「「めでたしじゃない!!」」

「何っ!? なんで!?」

「パワプロ、ふふ、お前は面白いな。とりあえずこの事は猪狩と蛇島と山口と久遠と一ノ瀬と矢部と東條と新垣などなどに教えさせて貰おう」

「ちょ、待て、なんかよく分かんねぇけどそれはやめろ!」

 

 なんかすげぇ嫌な予感がするから! 特に猪狩はネチネチ同じネタでいじってくるからややこい!

 かくして、再開したあおいとは別に何とも無く、稲村が女とわかった以外はそう変化もなく、試合前の雑談は終わった。

 ところで、進が生きて帰ってくださいって言ってたけど、どういう意味だったんだ……?

 

『カイザース練習終了、一〇分前です』

「うあっ、やべっ、ブルペン行く方を忘れてた!」

「あっ、そうでした。オレもブルペンに付き合って貰おうと思ってて」

「悪いあおい、そういうことだから行くわ。じゃあな!」

「あ、うん。……試合で」

「……ああ、負けねぇよ」

「ボクも、負けないから」

 

 お互いに視線を交わらせ、別れる。

 かつて三年間。喜怒哀楽の殆ど全てを共有したあおいと、戦う。

 残念なようなワクワクするような複雑な気持ちになる。

 ――でも、どっちを取ったって、楽しい試合になる。それは間違いないと俺は想う。

 

「負けらんねぇな。先輩に」

「……はい」

 

 ぽん、と稲村の頭に手を置くと、稲村はこくんと頷いた。

 うし、気合も入ってるみてーだ。しっかりこのモチベーションを保たせたまま試合に入らねーとな。

 二人してブルペンに歩いて行く。

 試合開始は午後六時、後二時間後だ。

 

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

 

『さーご来場の皆さん! 大変おまたせいたしました! それでは本日の始球式に参りましょう! 本日の始球式はプロゴルファー、白井雪さんでーす!』

 

 流麗な髪の毛を颯爽と流しながら、白井雪というゴルファーが始球式に向けてマウンドに向かう。

 そんな彼女を隣に迎えながら、稲村がドキドキしている様子がこちらにも解るくらいカチカチになりつつ、自分の為に渡されたボールをくるくると回している。

 白井雪の投げるボールを受け取る為にホームベース後ろに座りつつ、バックスクリーンに俺は目をやる。

 

 カイザース

 一番、相川 センター。

 二番、蛇島 セカンド。

 三番、友沢 ショート。

 四番、ドリトン ファースト。

 五番、飯原 ライト。

 六番、岡村 サード。

 七番、三谷 レフト。

 八番、葉波 キャッチャー。

 九番、稲村 ピッチャー。

 

 キャットハンズ

 一番、木田 セカンド。

 二番、伊藤 ショート。

 三番、猪狩進 キャッチャー。

 四番、ジョージ サード。

 五番、上条 ライト。

 六番、鈴木 ファースト。

 七番、佐久間 センター。

 八番、水谷 レフト。

 九番、あおい ピッチャー。

 

 あおいって登録名もあおいなんだな。へぇ。

 ぱす、と投げられた始球式のボールを受け取り、駆け寄ってくる白井雪と握手を交わす。

 えっと、確か白井雪はバルカンズの林って選手と付き合ってるとか新聞で読んだな。これでトッププレイヤーか……天は二物を与えるんだな。

 いよいよ試合が始まる。

 先頭のバッターは木田。……覚えてる。確かこの木田って選手は、俺が二年の時帝王実業に居た選手だ。

 

「久々。打たせて貰うよ」

「いやー、そうは行きませんよ。あの時のように抑えさせてもらいますから」

『バッター一番! 雄平ー木田!!』

 

 一七点取ってコールド勝ちした時は木田をしっかり抑えこんだからな。

 あの頃とは大分違うだろうけど、プロに入ってからのデータも集めた。行けるはずだ。

 

「……っし、行くぞ稲村!」

「はい! 先輩!」

『さぁ、いよいよ始まりますキャットハンズvsカイザース! 解説は猪狩カイザースで100勝を上げた蒲公英咲太(たんぽぽさいた)選手にお願いいたします!』

『はい、お願いします』

 

 先攻はキャットハンズ。絶対に負けねぇ。稲村に勝ち星をつけるぞ。

 たとえその相手が、かつてのパートナーのあおいだったとしても――俺達は負けない!

 初球の要求は低めのストレート。

 向こうもストレートが良いってのは承知のハズだ。その上で投げさせる。

 そして植えつけてやる。このボールを打つのは容易じゃない、ってな。

 稲村が足を上げる。

 いつも通りのゆったりとしたフォーム。そこから投じられるはストレート。

 低めに要求したボールが僅かに高めに浮かぶ。

 それを木田は流し打った。

 いや、流し打たされたってのが的確か。

 

「っ! おもっ……!」

『ファール! 一塁線の右にボールは切れるー!』

『稲村選手のストレートは調子よさそうですね。押されてますよ』

 

 流し打たれたボールはファーストの 右に切れていく。

 思わず重いって口走ったな。それくらい稲村のボールが来てるから芯に当たらなかったんだ。

 これだけキレのいいストレート。思わず高めに投げたくなるが、それは禁物。稲村のストレートは低めに決めてこそ価値がある。

 球速以上の球威を感じるといっても、プロレベルならついてくる。一五〇キロの剛球とか、低めを見せた後とかなら話は別だけど。

 基本に忠実に、低め低めに集めれば稲村のボールは相当に打ちづらい。キレのあるボールというのは手元で伸びてくるからな。

 二球目も同じくストレート。ただし今度は先程よりも低めに外すボール球だ。

 こくり、と稲村が頷き、ゆらりと足を上げて腕を振るう。

 リリースの瞬間にだけ力を入れて投じる理想的な投球。それによって生まれた強烈な回転のノビのよいストレートが俺のミットを打つ。

 

「トーライクッ!!」

『低めに決まったストライク!』

『木田選手はボールと思いましたかねー』

 

 良いボールだ。これならストレートを痛打されることは無さそうだぜ。

 次は外低めにチェンジアップ。見せ球だがストレートの後なら相当遅く見える。その緩急を利用するぞ。

 外れたボールを木田は振らない、がバットは出かかった。反応はしてるぞ。

 

『ボー!!』

『ボール! チェンジアップでしょうか!』

『緩い球で降らせにきましたね』

 

 これでいい。外低めのボールを見せられたっつー意識も木田には有るだろう。

 ――さあ、決めようか。

 見せてくれ稲村。“好きな所に投げれる”と豪語した縦スライダーを!

 稲村がゆったりと足を上げ、オーバースローで腕を振るう。

 回転が掛けられたスライダーは木田のベルトよりやや低めのコースへ投じられた。

 木田がバットを振りに来る。

 その打者の数メートル手前で、ボールは急激に落下を始めた。

 それに気づき木田はバットを止める。

 バンッ! と落下してきたボールを捕球した。膝元、内角低めギリギリ一杯。

 ストライクだ。

 

「ストライクバッターアウトォ!!」

『見逃し三振! 縦スライダーが見事なコースに決まった!』

『ストレートかと思わせたスライダーですね。良い所に決まりました。ストレートのキレもありますし、今日の稲村選手は好調ですね』

「おっけー! ナイスボー!」

「っし!」

 

 稲村がガッツポーズをした。

 えーと……確か今までは三振〇個だっけ。そっかそっか。これが初奪三振か。……嬉しいな。なんか記録のスタートの捕手が俺ってのはさ。

 ボールをベンチに投げ返し、保管してもらう。後で渡すとするか。

 

『バッター二番! 大智ー伊藤!!』

『さあ続くバッターは二番の伊藤です! 今年は一五試合で三割をキープしています!』

『今年は打撃も好調ですからねぇ。守備だけでなく打撃も素晴らしくなって来ました』

 

 おっと、春のライバルのお目見えだぜ。

 打率自体はいいが打撃にはちょっと非力さが見える。身体はしなやかだからその分広角に打ち分けてくるのは注意だな。

 インコースと中心に攻めたい所だが、この手の打者は結構インコースもさばける。

 ならばインコースを捌けないようリードしてやるか。

 まずは高めのストレート、外すような球だ。

 

「ボール!」

『おっとこのボールは浮いたか』

『たまーにこういうボールがありますね。これを痛打されて今までは打たれてますが』

 

 これで0-1。次はチェンジアップ。これはコースはどうでもいい。甘くなっても構わないぞ。

 稲村がボールを投じる。

 低めに来たチェンジアップをパンッと捕球した。想ったより低く来たな。ラッキーだぜ。

 

「ストラーイク!」

 

 1-1。伊藤はしっかりと投手に集中したまま再びバットを構え直す。

 集中は切れてない、か。それなら今度は低めにストレートだ。

 稲村がストレートを投げる。

 低め要求だったがストレートが高く浮く。やべっ。

 そのボールを伊藤は振る。

 カァンッ! と快音が響いたがそのままボールはバックネットに直撃するファールになった。

 

「ファール!」

 

 あぶねーあぶねー。でも助かった、稲村のストレートは球威があるからな。こういうファールにもしやすいんだ。

 さて、これでストレートカーブストレートでカウントは2-1で追い込んだ。理想的。

 そんなら次は縦スライダー。低めに決めてくれ。

 スライダーを伊藤さんはしっかりとカットしてくる。ココらへんは流石プロ、見逃せばストライクだし迷ってるような打者が当てれるボールじゃなかったはずなんだけどな。

 さて、次のボールは。

 稲村の縦スライダーは球速が一二五キロ程。遅い訳じゃないが速いわけでもない。それを低めに投げさせた。

 となるとどうしても打者の視線は低く行く。ここで多分、高めのストレートを使って打たれてたのが今までの稲村の投球パターンだろう。

 こういう打者に対して高めを投げて空振り三振を取りたい――その心理はわからなくもない。だってこのストレートだもんな。空振り取れてナンボだって俺もちらっと想う。

 でも此処はアウトロー。外角低めギリギリ――球種はもう一度縦のスライダーだ。

 外角低めというコースは、投手にとっての聖域。

 ボールを動かすタイプでも剛球を投げるタイプでもそれは変わらない。投球の核になるのはこのコースなんだ。

 もちろん投手によってはこのコース以外にも有効なコースは多々有るだろう。状況によってはこの外角低めを使っちゃいけない時だってある。

 それでもどんな投手でも投球の上で外角低めは必要なコースなのだ。

 もちろん打者はこのコースを最重要マークしている。一番打つのが難しいコースだし投手にとっては一番使いやすいコースだし。

 捕手のリードの役割には、“外角低め狙いをいかに外す”か“外角低め狙いを察知していかに他のコースで打ち取る”か、というのも有ると神童さんが教えてくれた。

 つまりそれくらい意識してリードしないとダメだし、打撃においても意識しないといけないコースということだ。

 この場面だったら伊藤は高めのボール、ストレートを予測しているだろう。

 来い。稲村。

 稲村が腕をふるう。

 縦のスライダー。伊藤は振ってこない!

 パァンッ! と捕球する。

 ミットは動かさない。その場で僅かに静止する。

 

「ストライクバッターアウトー!」

『ニ者連続の見逃し三振ー!』

『素晴らしいスライダーです』

「うっし二つ目! ナイスボール!」

「はいっ!」

 

 いいぜいいぜ。今んとこは完璧だ。

 ――さて。

 

『バッター三番! 進ー猪狩!』

『さあ後輩先輩対決です! キャッチャー猪狩進vsキャッチャー葉波風路! 対戦を夢見た方も居るのではないでしょうか!』

『いやー、いいですね、こういう対決も』

 

 進がぺこり、とお辞儀をしてバッターボックスに立つ。

 敵として進を迎えるのは初めてだ。練習試合とかではあったけどさ。

 

「お手柔らかに頼むぞ?」

「そっちこそ。お手柔らかにお願いします」

 

 プロとしてはそっちが先輩だろうがっ。

 進の去年の成績は打率三割九厘、ホームラン八本、打点六九。

 クリーンアップとしても合格点の成績を残してる。ゴールデングラブ賞も取った。

 見ればみるほど厄介だが、打率の割には三番に座っているのに打点が少ない。

 これは多分長打が殆ど無い所為だろう。

 つーことは低めを中心に攻めてりゃ大怪我はないってこと。

 次の四番のジョージという外国人野手はホームランこそ三七本打っていてちょっと怖いが、打率自体は昨年二割四分、今年もこれまで二割二分と荒い打撃をしてる。低めを攻めれば間違いなく打ち取れるだろう。

 ならばここは長打以外なら良いというスタンスで低めを攻めるぞ。

 

「ふっ!」

 

 カンッ! と低めのストレートを進がファールにする。

 左対左だってのにその打球は鋭い。サードの左を切れてファールになったもののフェアなら長打もあったかもな。

 やっぱり去年のデータだからな。多少の穴はあるか。

 次はインコースへストレート。

 ストレートが甘く行きがちだが、まだ一回りで目が慣れてないのも有って、打者が球威に押し込まれてるな。

 コキッ! とインコースのストレートを進が打ち損じる。

 ボールは真上に上がった。俺のボールだな。

 マスクを外し、上を見上げ――落ちてきたボールを捕球する。

 

「アウト!」

『三者凡退! 稲村、初めて三者凡退で切り抜けました!』

『今日はいいですね! 低めにボールが来てますよ!』

「せ、先輩っ! お、オレ三者凡退初めてです!」

「そっか。なら持っとけよ、記念ボールだぜ」

 

 持っていたボールを稲村に投げ渡す。

 ふぃー、緊張した。俺にとっても初陣だ。そつなくこなせてよかったよかった。

 

「ナイスボー!」

「いいぞ稲村!」

「は、はい! ありがとうございます!」

「パワプロ、ナイスリードだったぞ」

「おう!」

 

 友沢とグローブをタッチし、ベンチに座る。

 恋恋高校と違って作戦は俺が立てる訳じゃないからな。ゆっくり見られるぜ。

 相川さん、蛇島、友沢がバットを持ってグラウンドに出て素振りをはじめる。

 ――視線の先には、マウンドに向かうあおい。

 一八勝。防御率2,32。奪三振177。投球回数二〇〇。

 エースとして君臨するくらいにまで成長したあおいが今マウンドに立つ。

 ロージンバッグを丁寧に指に付け、帽子をかぶり直し、お下げ髪を揺らしながらボールを投じた。

 パァンッ!! と進のグローブが音を立てる。

 フォームは大幅には変わっていないが、球威は段違いだ。下半身が更に安定して腕が早く振れるようになったみたいだな。

 

『さぁカイザースの攻撃です! バッター一番! 遊也―相川!!』

 

 相川さんが打席に立つ。

 あおいが進のサインに頷いて、ボールを投げた。

 ズバンッ!! と投じられた高めのストレートを相川さんが空振る。

 

「ストライク!」

 

 なんつーキレ。

 マジで浮かび上がってきてるなあれは。

 続くボールは低めへのカーブ。緩いボールだが初球のストレートを見せられた後、あれだけ緩い球には手が出しづらい。

 それもコースが内角低めギリギリだ。これは打てない。仮に振りに行ったとしても初球のストレートを見せられた分、バットが出すぎてファールになるだろう。

 外低めギリギリにボールを投げさせ、これで2-1。でも今のボールも審判によってはストライク判定だったかもしれないくらい際どいコース。

 そして最後は逃げるように変化するシンカーで空振りを取った。

 

「ストライクバッターアウト!!」

 

 しんっ、と一瞬静まりかけるカイザースベンチを、近平さんが必死に声を出して盛りたてる。

 こういうのもベンチには必要なんだな。うし、俺も声出すか。

 

『バッター二番! 桐人ー蛇島!』

「蛇島! 外角低め臭いとこカットだぞ!」

 

 蛇島は構え、あおいを睨みつける。

 だがあおいは怯まない。腕をふるい外角低めギリギリにストライクを入れる。

 二球目は同じく外角低め、蛇島が振りに行くが、今度は外に僅かに外していて当たらない。

 出し入れも完璧か。くっそ、なんつーコントロールだよ。

 三球目、投じられたボールはインサイド高め。

 蛇島が腕をたたんで打ちに行った。

 そのボールは、途中で失速して落ちる。

 ――マリンボールだ。

 ストーンッ!! と内角高めに投じられていたハズのボールは突如として落下し、内角低めギリギリ一杯に決まった。

 

「ストライクバッターアウト!」

『ニ者連続の三振!』

『今日も素晴らしいですね』

 

 こりゃ、すげぇな。

 一八勝するのも解る程の精度とキレ味だ。

 あの時一緒に組んでたのが嘘みたいに、あおいは高みへ行ったんだ。

 負けてらんねぇ。

 

「稲村、キャッチボール行くぞ」

「はい!」

 

 稲村とベンチ前でキャッチボールをはじめる。

 友沢は内角のボールを上手くレフト前に弾き返したが、続くドリトンがファーストフライに打ち取られ、攻撃終了。

 続く二回の表、稲村はジョージをレフトフライ、上条を三振、鈴木をファーストゴロに打ち取る。

 二回の裏、飯原さん、岡村さん、三谷さんがゴロで打ち取られ、三者凡退。

 三回の表、佐久間、水谷を三振にしとめ、 迎えるは九番のあおいだ。

 

「お願いします」

 

 あおいは軽く挨拶をして、打席に入る――前に、俺をじっと見つめた。

 色んな感情が込められた眼差し。

 それをあおいは一度目をつむって切り替え、打席に立つ。

 ……容赦無く内角を突く。

 ストレート一本槍でも投手ならば十分押さえ込める球威を持った稲村のボールを、俺のミットが受け止める直前で、

 あおいがカンッ! と打ち上げた。

 まるで俺が補球するのを妨害するためだけにするような、当てること重視の緩いスイングだ。

 パンッ、と稲村がそのボールを捕球し、三回の表が終わる。

 だが、あおいはその場から動かない。

 

「……あおい?」

「……ううん、何でもないよ」

 

 俺が話しかけると、ぷるぷると首を横に振ってあおいはベンチへと戻っていく。

 ……どうしたんだ? 一体。

 

「先輩! 次先輩の打席ですよ!」

「あ、そうか。だからか」

「え?」

「あ、いや、なんでもねぇ。早く戻って防具外さねぇとな」

 

 ――なんだ。びっくりした。そうだよな。

 あおいが泣きそうだなんてそんなこと想うなんて、どうしたんだ俺。ちょっと自意識過剰すぎるぞ。

 防具を外し、バットを持って打席に向かう。

 その瞬間、ワァアァー! という歓声が俺を包み込んだ。

 四万五千の観衆。

 それに見られながら、野球をする。

 打席に立つまでリードでいっぱいいっぱいで気づかなかったけど、これってなんて恵まれてる事なんだろう。

 ぶるる、と身体が震える。武者震いだ。

 

『バッター八番! 風路ー葉波!!』

『さあ、プロ初打席を迎えます葉波!』

『どのようなデビューを飾るでしょうねぇ』

 

 お辞儀をして打席に立つ。

 ――視線の先にはあおいがいる。

 プロ初打席の相手があおい、か。ホントに出来すぎだよ。

 ズバンッ! と外角低めにボールが決まる。

 

「ストライク!」

 

 遠いと思ったがストライクか。右対右だから角度があるのかな。

 二球目はシンカー。外に外れてる。

 

「ボール!」

 

 1-1か。今のボールは俺のデータが無いから様子見だろう。

 一度打席を外し、素振りをする。

 外角低めのボールをセンター返し。……よし、イメージは出来た。

 打席に立ち直す。

 あおいが足を上げた。

 投げられたボールは……カーブ!

 ググググッ、とバットのヘッドが先に出ないよう、ボールを待つが待ちきれない。ブンッ! とバットが空を切る。

 

「ストラーイク!」

 

 っくそう。この緩急差、厄介すぎるぞ。

 ともあれこれで2-1と追い込まれた。外の球はセンター前。内の球は引っ張る。これで行くぞ。

 あおいが頷いた。

 来る。

 あおいの上体が沈み、投げ込まれたボールは、

 ――ストレート!

 低めからボールが浮いてくる。

 そのボールを俺は迎え打つようにフルスイングした。

 ビュッ! と風を切る音がして。

 

 パァンッ!! とボールが進のミットに収まった。

 

「ストライクバッターアウトー!!」

『ど真ん中のストレート空振り三振! 葉波の初打席は三振ー!』

『良いボールですからね、バットがボールの下を通ってますよ!』

 

 ぐーぞー……あったんねぇっ。

 パシッ、とバットを持ち替えてベンチに向かう。

 今の打席、二球目のカーブを振らされたのが敗因だな。あそこでカーブは頭に無かったぜ。……あー、結構テンパってたのかな。持ち球が頭から離れてるなんて。

 でもまぁ、しっかりと振れたから良しだな。

 続く稲村は三振、相川さんはセンターフライに打ち取られ攻撃終了。

 あおい攻略の糸口はつかめないまま、回は進む。

 稲村は四回と六回に進と水谷にヒットを打たれたものの、後続を抑え、七回二被安打。上出来すぎるぜ。

 一方のあおいは友沢に打たれたヒットだけで、他は全く寄せ付けず。七回一被安打。エースの貫禄を魅せつける。

 そして、回は八回。

 先攻、キャットハンズの攻撃は五番の上条から。

 

「はぁ、はぁ」

 

 大分疲れた様子の稲村だが、まだベンチは動かない。

 ここで降りたら勝利投手の権利もなくなっちまう。……くそ、速く援護してやらなきゃいけなかったのに。

 

「稲村。大丈夫か?」

「ふぁ、い……はぁ、はぁ……」

「エロい」

「ふぇ!?」

「お、荒い呼吸は止まったか?」

「は、ぅ。……せ、先輩っ。い、いぢわるはダメです……」

 

 カァァァ!! と稲村の顔が赤くなる。

 結構効くもんだな、思いつきで言ってみたんだけど。

 

「まだ息を止めれるなら大丈夫だ。俺を信じて投げてこい」

「……最初から、ずっと信じてます」

「おう。じゃ、そのまま頼むぜ」

 

 ぽん、とグラブをあわせ、キャッチャーズサークルに戻る。

 茶化してみたけど本気で疲れてるみたいだな。

 幸い打順は下位へ向かう。だが三回り目だから油断は禁物だ。

 初球は低めにストレート、コースはどこでもいいぞ。

 稲村がボールを低めに投げこむ。

 インローに来た。よし、最高。

 

「ストライクー!」

『今日は低めへの投球が多いですね』

『ええ、ですがこれが大事ですよ!』

 

 よし、決まったなら次はアウトローへ縦スライダー。

 ヒュバンッ! と外角低めにスライダーが決まる。

 疲れていても尚稲村の縦スラの精度は凄い。流石自信満々の球だな。

 追い込んだなら次もストレート。無駄球は使わない。

 ストレートに押され、上条が打ち上げる。

 セカンドの蛇島がしっかりと捕球し、これでワンナウト。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 気合じゃ誤魔化せなくなってきたか。こりゃちぃとマズイな。

 

『バッター六番! 武人ー鈴木!』

 

 初球にスライダーだ。無駄球は使わない。スライダー二つで追い込んでストレートで打ちとるぞ。

 稲村がボールを投げる。

 っ、想ったよりスライダーが曲がらない!

 カンッ!! と鈴木が打ち上げる。

 よし! 曲がらないスライダーにビビったのはこっちだけじゃない、あっちもだ!

 ふわり、と打ち上がった打球をマスクを外して追う。

 キャットハンズのベンチ側! 取れる!

 落ちてきたボールをミットで追う。

 なんとか捕球した、が、そのままの勢いで俺はキャットハンズのベンチの中に落ちてしまった。

 ドドンッ! と凄まじい音がする。

 いっつー……でもボールは取れた、アウトだ。

 

「あ、アウトー!」

『ファインプレー! ベンチに飛び込みながらもキャッチしました!』

「パワプロくん、だ、大丈夫?」

「あおいか。大丈夫だよ」

 

 あおいに笑みを返し、立ち上がってグラウンドに出る。

 ふぃー、あぶね、今のは死ぬかと思った。

 

「せ、先輩……!」

「ツーアウトだ稲村。怪我はない。佐久間さんを死ぬ気で抑えるぞ」

「……! ……はいっ!」

 

 稲村のスタミナがもう無いのなら、その分俺が頑張ってやればいい。

 今日は稲村に勝ちをつける。絶対に!

 

『バッター七番、慎司ー佐久間!』

 

 低めにストレート。多分この回が限界だとベンチも見てるはず。残りの力を振り絞って全力で投げろ!

 稲村がゆったりと足をあげ、ボールを投じる。

 低めを狙ったボールは高めに抜けた。

 佐久間がボールをバットでひっぱたく。

 

 ッカァァンッ!! と快音を響かせて、ボールがショートを襲う。

 

 ショートの左側、サードよりへ友沢が飛ぶ。

 ッパァンッ!! とグローブが音を立て、友沢がくるりと一回転して立ち上がりグローブを高々と掲げた。

 

「アウトー!!」

『スーパーファインプレー!! ファインプレー二連発でこの回も三者凡退を抑えました!』

『しかしスタミナは限界でしょう。次の回に勝ち越さないと稲村に白星がつきませんね』

 

 うっしゃー!! サンキュー友沢、流石に今のは俺もキモが冷えたぜ。

 稲村がぺこっ、と友沢に頭を下げる。

 さあ、八回の攻撃だ。ここで一点取らないと稲村に勝ち星がつかないぞ。

 バッターは五番の飯原さんからだ。

 ここは期待するしかない。

 飯原さんはここまで打撃成績はよくないけど、バットはしっかり振れてるからな。クリーンアップだし、なんとかしてくれるはずだ。

 あおいがマウンドに立つ。ふらふらな稲村と違ってあおいはまだ息一つ乱していない。

 でも三周り目、打者も大分あおいのボールに目付けが出来てきた。今までと同じリードなら打てるぞ。

 初球、低めにカーブが決まる。

 ……ま、そう甘くはねーか。くそー。

 二球目も同じくカーブ、それを内角低めギリギリに決めた。

 飯原さんは見逃すが、ストライク判定される。

 右のアンダースローは左打者の飯原さんに対してクロスするような角度で来るから、その分ストライクゾーンを掠ってミットに収まる。そこらへんを計算してリードしてるんだろう。流石だぜ。

 三球目――マリンボール。

 ググッ、と飯原さんの手前でボールが浮かびあがって、落ちる。

 そのボールを飯原さんは無茶振りをした。

 カコンッ、と軽い音が響き、フライがあがる。

 ショートの伊藤がバックし、センターの佐久間もプレスを掛け、

 

 その間に、ポテンとボールが弾んだ。

 

 っし! ポテンヒットでもヒットはヒットだ!

 

『ヒットー! 打ちとった当たりが真ん中に落ちたー!」

『初めてのノーアウトのランナーですからね、これは活かしたい所です』

「タイム! 飯原に変わって代走鹿田!」

『さあここで俊足の鹿田が代走にでます!』

『バッター六番、真也ー岡村!』

 

 岡村さんが打席に向かう。

 ここはヒットが欲しい場面だが、監督はどうする? もしかしてバントか?

 監督がサインを出す。……このサインは……。

 あおいが足を上げる。

 それを確認して、鹿田がセカンドに向かう。

 エンドラン!

 

「走った!」

 

 進が声を出し、立ち上がろうとしたその瞬間、岡村さんが右方向に流し打つ。

 セカンドのベースカバーに走ったセカンドの右をボールが抜けていく。エンドランをかけてなかったらゲッツーコースだった。

 ライトの上条が捕球する間に鹿田は快速を飛ばしサードを陥れる。

 これで一、三塁!

 

「ナイスバッティング!」

「うむ!」

 

 監督が満足気に頷く。完璧だ!

 

「三谷に変わって代打近平! 行け!」

「はい!!」

『三谷に変わりまして、バッター七番! 千登ー近平!』

『さあここでとっておきの代打、近平が打席に向かいます!』

『ここは右方向にしっかりと大きいのを打てば一〇〇点ですよ!』

 

 ふぅ、とマウンド上であおいが息を吐く。

 この状況でもあおいはテンパっていない。

 近平さんが打席に向かうのを見ながら、俺はネクストに出る。

 俺に回ってくる。心の準備をしとかないとな。

 ビュッ! とあおいが腕をふるう。

 高めのストレート、近平さんが待っていた球だろう。

 

 ブンッ! と近平さんがそのボールを空振る。

 

 力を入れたストレート。今までの球とは球威が違うな。

 二球目は低めへのマリンボール。近平さんが空振る。ワンバウンドするほどのボールだが、進はそらさない。

 ビシッ! と捕球し一塁への牽制へも忘れない。

 二球で追い込まれた近平さんはふぅ、っとため息を吐く。

 次のボールを外し、進、あおいバッテリーは2-1からマリンボールで近平さんを三振に打ちとった。

 

「くっ……!」

 

 近平さんが悔しそうに顔を歪め、ベンチに戻ってくる。

 それを確認して、俺はネクストから立ち上がり、打席へと向かった。

 大歓声が俺を包みこむ。

 

『バッター八番、風路ー葉波!』

『ここで迎えるはかつての正捕手葉波風路!』

『いや、いいですねこういう対決は、熱いですよ!』

 

 呼ばれ、打席に立つ。

 一アウト一、三塁。一打勝ち越しのこのチャンス。今まで回ってきたニ打席では俺は全く結果を残せてない。

 だったらここで打たないとな。

 使ってくれた監督にも、稲村にも顔向けができないぜ。

 バットを構える。

 じろり、と進が俺の一挙手一投足を見つめてきた。

 あおいがサインに頷いた。

 初球はシンカー。食い込んでくるボールを俺は見極める。

 

「ストライクー!」

『際どいボール見逃した! ストライク!』

 

 違う、狙い球はこれじゃない。

 ふぅ、と息を吐き出し、打席の土を蹴って再びバットを構え直す。

 あおいが返されたボールを受け取り、サインに頷き、再びクイックモーションから腕を振るった。

 インハイ――マリンボール!

 キンッ! と思わず出たバットでマリンボールをファールにする。

 まじぃ、今のはマジで手が出た。くっそ……良い球だなマリンボール。

 これで2-0と圧倒的に投手有利。けど有利なだけで結果が出たわけじゃない。

 三球目、セオリーから言えばこのバッテリーは外してくる。

 だが。

 

 そこで、あおいはボールを投げ込んできた。

 

 っ、外して、ねぇっ……!

 スパンッ! と外角低めギリギリに投げ込まれたボールに、俺は手がでない。

 ぐぐっ、と進が動きを止める。

 一瞬球審が身動きを取ったのを俺は背中で感じた。

 

「……ボールッ!」

『際どい所外れたか!』

『いや! 今のはどちらとも取れるボールですね!』

 

 っぶねぇ、今のは入ったと言われたらそのまま帰るしか無いボールだったぞ。カットしねぇと。

 ……はは、やっぱり面白いな。あおいと野球すんのはさ。

 仲間だった時みたいに一緒に一喜一憂するわけじゃない。

 でも、こうやって一球一球に集中して、その結果にマズイと想ったりヤバイと想ったり、色々考えてみたりそうするのが最高に面白いんだ。

 

(――打つ)

 

 でも、楽しむだけじゃダメだ。

 楽しんだ上で、勝つ。それが俺達プロ野球選手に課せられた使命なのだから。

 

「っふっ!!」

 

 あおいが声を出してボールを投げ込む。

 コースはインコース寄りの高め。

 

(――打つ!!)

 

 バットを振るう。

 ヘッドは残せ。腕をしならせて、インパクトの瞬間にだけ力を込めて――振りぬく!!

 ――ッカァァンッ!!

 手元に残ったのは僅かな衝撃。

 ボールはショートの伊藤のグローブの先をライナーで超え、凄まじいスピードを持ったままセンターの左を抜けていく。

 

『打ったああああ! 伊藤のグローブの先を抜けセンターの左に落ちたー!! 三塁ランナー生還! ファーストランナーもサードを蹴ってホームへ! 打った葉波はセカンドへ! 葉波、価千金の二点タイムリーツーベース! 塁上で葉波ガッツポーズ! かつてバッテリーを組んだ早川あおいからタイムリーツーベースー!』

『コースはインコースですね! 球威に負けないようしっかりと振り切っています。高めを待っていた訳じゃなくて来たボールをしっかりふろうとした結果じゃないでしょうか』

 

 っしっ!! これで稲村に勝ちがつく!

 ベンチに居る稲村に向かってビッと人差し指を一本立てて笑いかける。

 一勝目! このまま守り切るから、ベンチで待っとけよ!

 

『稲村に変わりまして、バッター九番、智也ー仰木!』

 

 コンッ! と仰木さんが打ち上げる。

 ファーストフライに仰木さんが打ち取られ、一番に打順が戻るが相川さんも三振に打ち取られて、八回裏が終わった。

 残りは九回表だけだ。

 

「ナイスバッティング葉波!」

 

 走ってベンチに戻ると、監督から頷きと共に褒めて貰えた。うしっ。

 と思っていたらチームメイトからばしっと頭を叩かれる。今叩いたのは友沢だな。無言で叩きやがってっ。

 

「まぁ俺を高校時代倒したわけだからな、これくらいやってもらわねば困るというものだ」

「流石だなパワプロ、僕が投げてる時も頼むぞ?」

「流石です! パワプロくん!」

「いい打撃だったな、パワプロ」

「パワプロくん、抑えのリードもしっかりね」

「おうよ!」

「次の試合は俺達が打つ。安心していろ」

「頼むぜマジで」

「……せ、先輩」

 

 と、チームメイトの祝福の輪に乗り遅れた稲村が控えめ気味に俺に話しかけてくる。

 まだアイシングはしていないらしく肩には何もつけていない。

 だが、珠のような汗が額には滲み、上気した顔は今日の激闘の疲れを物語っているかのようだ。

 

「点、取ってきたぜ。このまま九回抑えてお前に絶対勝たせてやるから」

「……ぅ、ぅぅ……は、い……はい……」

「バカ、泣くのははえぇだろ。……んじゃ行ってくる。応援頼むぜ?“ゆたか”」

「!」

 

 下の名前を呼び捨てにすると、ゆたかは泣くのも忘れて俺の顔をじっと見つめた。

 防具をつけ、グラウンドに出る。

 

『ピッチャー、稲村に変わりまして、ピッチャー一ノ瀬!』

『さあ満を持して守護神が登場です!』

『この展開は理想的ですね』

「……こうしてプロでもキミ相手に投げれること……僕は運命に感謝しないといけないね」

「ああ、そうだな。……本当に、最高だ」

 

 周りを見回す。

 詰めかけた観衆は喉を枯らすほど声を張り、俺達を応援してくれている。

 その中で、最高のプレイをすること――野球人にとってこれ以上の幸せなんて無いぜ。

 

「……抑えよう。稲村ちゃんの為にも」

「ああ、そうだな。……ゆたかに勝ち星をつけてやりたい」

「……下の名前を呼び捨てにするようにしたんだね?」

「ん? ああ、彩乃とあおいと、同じくらい親しくなったつもりだからさ。男は下の名前呼ぶとなんか気持ち悪いけど、女の子は下の名前で呼ばれると嬉しいんだろ? 彩乃が言ってたぜ。つかそうやって呼ぶように教えたのは彩乃だし」

「なるほどね……女性陣は下の名前を呼び捨てか……キミは刺されて死ぬかもしれないね。最後はボートに乗った誰かに首を抱かれるんだ」

「は? 何の話だよ?」

「いやいや、こちらの話さ。匂いフェチのパワプロくん」

「……あんにゃろ、話やがったな……ッ」

「あははっ、キミが悪いよアレは。でも僕も結構嫉妬深いんだ。稲村ちゃんと同じくらいに良いリードをして欲しいな」

「ああ、もちろんだ」

 

 ぽん、と一ノ瀬とグローブをあわせ、キャッチャーズサークルに戻る。

 バッターは下位打線の水谷から。

 一ノ瀬が腕を振るう。

 一四九キロの切れ味の鋭いストレートが内角低めにスバンッと決まった。

 

『ストラーイク!』

『見事な制球です!』

『一ノ瀬選手ですからね。凄まじいですよ!』

 

 二球目のアウトローへのスライダーを水谷が打ち損じる。

 ボテボテのゴロを一ノ瀬が捕球し、ファーストへ投げてしっかりとアウトにした。

 

「ワンアウト!」

『バッター、あおいに変わりまして、涼太ー春!』

 

 代打の切り札である春が打席に立った。

 悪いな春、打たせねぇよ。

 アウトローへのカーブ、インハイへのストレートの二球で追い込み、

 

 三球目のスライダーで見逃し三振に打ち取る!

 

 春は悔しそうにバットを握り、打席を外して戻っていった。

 ……今の春は迷いがあるのか打席のキレも悪い。はっきり言えば打席でも怖くないぜ。

 これでツーアウト、後一人。

 バッターは一番の木田に戻る。

 きっとこの先、俺と凌ぎを削っていたライバルや、共に戦ったチームメイトたちと戦うことになるんだろう。

 それでも俺は負けない。

 ――俺は、今共に居るチームメイトたちと優勝するためにカイザースに入団したんだ!

 バンッ!! と木田のバットをかいくぐったボールが俺のミットを打つ。

 

「ストライクバッターアウト! ゲームセット!!」

『試合終了! 一ノ瀬三者凡退で退けました! 勝ち投手は稲村! 嬉しいプロ初勝利! 負け投手は早川あおいでこれが一敗目! セーブは一ノ瀬についてこれで五セーブ目です!』

『両投手が頑張るいい試合でした!』

「ナイスボール」

「ナイスリード。さ、行こうか? ヒーローくん」

「うっせ」

 

 ぱん、と一ノ瀬とハイタッチを交わし、ベンチに振り返る。

 すると――アホ毛が俺に向かって疾走してきた。

 

「先輩っ! 先輩ーっ!」

 

 今度はちゃんとアイシングをしている。左肩に重そうな冷却器をつけながら稲村は俺に抱きついた。

 

「流石に恥ずいんだが……」

「ぐす、ありがとうございます。先輩……オレ……やっと……」

「……ああ、おめでとう、プロ初勝利、ほら、ウィニングボールだ。ちゃんと飾れよ?」

 

 泣いている稲村を引き剥がし、その手に白球を乗せてやる。

 そのボールを大事そうに胸に抱きしめ(あ、結構手が埋まってる。デカイな)、稲村は涙で頬を濡らしたまま、満面の笑みを俺に向けてくれた。

 

『さあ、ヒーローインタビューです! 本日のヒーローはこの二人、葉波風路と稲村ゆたかの両バッテリーです!』

「あ、わわ」

「お願いします」

『まずは稲村さん! 素晴らしいピッチングでした!』

「せ、先輩……あ、葉波さんがいいリードをしてくれたからです!」

『ということですが、どうでしょう? 葉波さん!』

「自分のリードだけじゃ絶対に抑えられませんでした、プロ初試合でこんないい投手をリード出来た事にお礼を言いたいです」

『本当に良いボールを投げていましたね! プロ初勝利の気持ちはどうですか?』

「……怪我をして、復帰出来て、一勝できて……ゆめ、みたい、です……ぐす」

『辛い想いをしてきた上での初勝利、本当におめでとうございます! 葉波さん、あの一、三塁のチャンス、どういった心境で打席に入ったんですか?』

「あおい……早川選手は凄く良い投手だというのは知っていたので、その前の外角低めのボールに手が出なかったので、今度は絶対に打ってやろうと想って振って行きました」

『見事なタイムリーヒットでした! これがプロ初ヒット。これからの抱負をお願いします!』

「カイザースの勝利に少しでも貢献出来るよう頑張っていきたいです、これからも応援よろしくお願いします!」

『本日のヒーロー稲村選手と葉波選手でした! ありがとうございます!!』

 

 ワァァァァー!! とカイザースファンの大歓声を聞きながら、俺はゆたかの手を掴み、共に手を挙げる。

 この先ゆたかと一緒に勝ち星を増やしていける事を願いながら。

 

 

 

 

 

                         ☆

 

 

 

 

 試合が終わり、入浴、マッサージが済んで各自解散となった後、俺は一人カイザース側のダグアウトから出る。

 稲村は先輩達に連れられて祝勝会会場に一足先に言ってしまった。俺も後から合流しろって言われてるからな、行かないと。

 ――そう想った俺の前に、

 

「パワプロくん」

 

 あおいが姿を表した。

 見慣れたユニフォーム姿ではなく、私服だ。

 白いシャツに赤いフレアスカート。ラフな格好のあおいは俺に一歩近づいて、俺の顔を見上げるようにして――俺を抱きしめた。

 

「……パワプロくん……おかえり……」

「……ああ、ただいま、心配かけたな」

 

 ぽん、とあおいの頭に手をおいて、ぐりぐりと撫でる。

 あおいは気持ちよさそうに目を細め、俺の手を受け入れてくれた。

 

「ずっと、会いたかった」

「そっか」

「……恋人じゃなくなったのに、ごめんね?」

「謝るこっちゃねぇよ、正直言ってアメリカ行った当初はあおいに会いたくてたまらなかった」

「……じゃあ、アメリカでしばらくしてから、は?」

「……それは……」

「遠慮なく、言って欲しい。ボクは好き、パワプロくんのこと、まだ大好き。……だからこそ、今のパワプロくんの気持ちが聞きたいんだ」

「……分かった。俺は野球しかないんだなって想ってさ。……あおいと居た時間はたしかに楽しかったし、満ち足りていたけど、それが実際、あおいが好きなのかどうかは自分でも分からない」

 

 あおいのことは好きだ。

 でもそれは、本当に恋愛対象として正しい見方をしていたのか、俺には分からない。

 あおいとする野球が好きだったのか、あおいのことを女性として好きだったのか――自信を持って、今の俺はそうだと言えないんだ。

 

「……自信を持って、恋愛対象として好きだといえる人と恋人になるべきだと俺は想う。今の俺はあおいのことを自信を持って好きだとは言えない。だから……」

「……うん、分かった。あはは、大丈夫だよパワプロくん」

「え、と。ごめん、何が?」

「心配してくれてるでしょ? 泣き出しやしないかとか、傷ついたりしないか、とか、そのせいで調子崩さないか、とか」

「う、ぐ」

「大丈夫だよ。パワプロくん。ずっと覚悟はしてたんだ。でも、想ってたよりもパワプロくんはボクのこと、忘れてなかったみたいだから」

 

 にこ、とあおいが微笑む。

 ……ああ、くそ、可愛い。俺が真面目じゃなかったらこの場で抱きしめてるのにな。

 でも、やっぱりダメだ。あおいは大切な存在だ。恋人として好きだのなんだの云々とかじゃなく、ただただ、大切な存在なんだ。

 そんな人と中途半端な気持ちで恋人関係にはなりたくない。

 こんな風に思ってくれているのに、中途半端な気持ちで恋人を選びたくない。

 

「安心して、パワプロくん。ボクはあきらめないよ。投球も粘りが信条だから」

 

 あおいはとてて、と俺から離れるように走りその場でくるりと俺の方を振り向く。

 

「――ボクのこと、大好きになって貰うように頑張るからねっ」

 

 そうして、高校生の時と全く同じ――それでも、大人びた雰囲気のまま彼女は太陽のように笑う。

 この明るさに、俺は何度救われた事だろう。

 そして、今もまた。

 

「コメントに困るが……期待してる、でいいのか?」

「うん、それでいいんだよ。……ボクが可愛い女の子で居るのは、キミの前だけだから」

「あ、ああ……」

「あはは、顔赤くなってるよ、パワプロくん。……初安打おめでと。それと、良くも打ってくれたね!」

「……ふ、ああ、打ってやったぜ。次も打ってやるからな、覚悟しろよ?」

「べー、だ。次は打たせないよー!」

「絶対打つ!」

「ふふ、じゃ、何か賭けようよ」

「ああ、良いぜ、絶対負けないからな」

「……じゃあ、ボクが次の登板でノーヒットノーランしたら、キス、してくれる?」

「――っ、それ、俺との勝負じゃないだろ……それに恋人関係でもないし、さ」

「うん、分かってる。でも……四年間も待ったんだよ。……だから、ね?」

 

 上目遣いであおいがおねだりをしてくる。

 ……ああ、もう、ホント不器用だな、あおいは。

 

「……恋人の件とか、関係無しだからな」

「え? きゃっ」

 

 ぐい、とあおいを抱き寄せる。

 華奢な身体つきという印象は高校時代から変わらない。

 長いまつげ、整った顔立ち。

 そして、小さな、それでも柔らかそうな唇。

 それに自分の唇を押し付ける。

 

「――ンっ……ぁ、ふ……」

「……、はっ……こ、これで……待たせた事と、心配させたこと、許して欲しい」

「……ぅん……」

 

 ぽー、っと自分の唇を抑えながら、あおいが瞳を潤ませ、頬を赤くして俺を見据える。

 う、ぐ、この表情はヤバイ、魔性すぎる……!

 

「じゃ、じゃあ、祝勝会行くから。またメールでも」

「ぁ、うん……大好き、パワプロくん」

「そ、そういう不意打ちは照れるっ」

「あはは、うん、ボクもされたら凄く照れるよ」

「じゃな。あ、そうだ。……ボール、凄く良くなってた。努力したんだな。……俺も負けないくらい頑張るから」

「うん、またね、パワプロくん」

 

 あおいに軽く手を振りながら、俺は居酒屋に向かっていく。

 ……この件はとりあえず忘れよう。稲村を祝ってやらないとな。

 こうして、俺の一軍のデビューの日は、幕を閉じた。

 

 

 

 

 

                      

                    ☆

 

 

 

 パワプロくんの背中が見えなくなって、ボクは手を降るのをやめた。

 まだパワプロくんの匂いの余韻がボクの身体にある。

 でも、それよりもボクの神経を支配してやまない。パワプロくんの唇の感触。

 キス、しちゃった。

 わがままなお願いと分かっていてあんな卑怯の条件を出したのに、それを超えてパワプロくんはボクがしてほしいことを、してくれた。

 卑怯なのはボクじゃなくてパワプロくんだよ。ホントにずるい。

 ……唇に触れると、ふるると僅かに身体が震える。

 ああ、どうしよう。自覚なかったけど、ボク、こんなにもパワプロくんを求めていたんだ。

 はぁ、困ったなぁ……これまででも結構みずきとかに「ヤバイ」って言われてたのに。

 

「もっと、好きになっちゃった……」

 

 そんなことを一人呟き、

 夜空を見上げ、ボクは願う。

 

(どうかもう一度、パワプロくんがボクのことを大好きになってくれますように)


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