実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー   作:向日 葵

46 / 58
第四二話 パワフルズ&カイザース パワフルズvsカイザース もう一人の主人公と、嵐の前の嵐

「――つまり、なんですか……。俺に、捕手は無理だ、っていうんですか?」

 

 声を荒げて、思わず近平は詰め寄った。

 休日。ゴールデンウィーク九連戦が終わった、翌日の休日。

 監督室に呼び出された近平は、監督に言い渡された。

 

「そうだ。上層部、首脳陣との話し合いの結果――葉波を正捕手として育成する方針へと切り替えることに決まった。近平は打撃力を活かすためにも、外野手になってもらう」

「ッ……! な、納得できませんっ!」

 

 プリントに目を通しながら告げた神下監督に、近平は食って掛かる。

 幼い頃から捕手をやってきた近平にとって、それは当然の行動だ。

 ボールを取り、自分の考えで投手が動き、その結果試合が別れる――試合を操っている、その感覚が何よりも好きなのだ。

 それを止めろ、と言われて止めれる程、近平は大人でも無いし、自分の能力に自身がないわけでもなかった。

 

「確かに肩はあいつのが上かもしれません! でも、俺にはキャリアがあります! あいつより五年早くプロに入ってるんですよ!?」

「わかっている。実際、最近の葉波のリードには迷いが見える。プロの壁へぶち当たったんだろう」

「それなら――」

「だが、それを投手陣に赦されているのだ」

「えっ……?」

 

 近平の言葉を、神下は己の言葉で黙らせる。

 神下はじっと近平を見つめながら、

 

「普通、人とは他人の失敗で自分に悪影響が有ることを極端に嫌がるものだ。それが如何な相手であれ、エラーをヒットにされて気持ちが切れる投手をお前も何度も見てきただろう。……だがな、それをしない、させない者が中心になっていくのだ。味方のエラーを見て笑い、悠々と次の打者を切って取る。それができるものがエースになるように――自分のエラーを他人に失敗と思わせないのもその能力の一つ」

 

 神下はプリントを机に置いて、思い出す。

 久遠は、笑っていた。

 あの一球。

 高めに要求した葉波のリードは、プロから見れば激怒ものの、不用意な一球以外の何物でもなかった。

 にもかかわらず、久遠は自分の投球を悔いたのだ。

『もう少し力を入れて投げるべきでした――』。ベンチから帰ってきた久遠の言葉を、神下は、そ痛烈に覚えている。

 それほどまでに、葉波は信頼感を得ていたのだ。

 同級生だから。高校時代同じ学年で戦いあった盟友だから――そういう一面も有ることは否定出来ない。

 それでも、まだ同じチームで一緒にプレイし始めてから半年も経っていない葉波が、久遠にそこまで言わせる程の信頼を得ているのに変わりはないのだ。

 

「同級生だから悪く言わなかっただけ。確かにそうだろう。だがな、近平。そういう能力の及び届かない所も、我々トッププロにおいては大事だろう」

「そ、れは……」

「技術、センス――それら全てが傑出しているもののみが入れる、このプロ野球という舞台で、一線級に戦っていくには、近平。そういった"数字に現れないもの"を持っていることこそ重要なのだ。主力と同級生なこともまた然り。僅か数ヶ月で投手陣の信頼をここまで得ているの然り、な」

「…………」

 

 近平は拳を握り、神下の言葉を聞くことしか出来ない。

 

「稲村は今年伸びたな」

「っ。そう、ですね……ゆたかは、伸びました」

「ふ。……四年前、稲村の初ブルペン、受けたのはお前だったな近平。怪我で一年間投げれなかった投手を、一軍のローテ入りにまで引き上げたのは誰だと思う」

 

 ――神下の一言は、近平の捕手としてのプライドを、叩き潰す容赦の無いものだ。

 それでも神下は言葉を紡ぐのを止めない。

 今、近平に最も必要なのは、大きな挫折なのだから。

 

「"それ"が、正捕手に必要なものだ。猪狩、久遠、山口、一ノ瀬というリーグ屈指の投手を支え登らせ、稲村などの台頭著しい若手投手陣を引っ張り上げる。そういう能力が必要なのだ。葉波にはそれがある。照明してみせた。稲村が、猪狩が、久遠が、山口が。――近平、お前には、その能力はない。控え捕手としてならポジションをキープできるだけの能力が有る。だが、扇の要には成り得ない」

「……う、くっ……」

 

 床にしみが付く。

 ぽたぽた、と音を立てて。

 抑えようのない悔しさだった。なんでこんな想いをしなければならないのかと、頭を掻き毟りたくなるような耐え難い感情だった。

 うつむいて、前を向くことすら出来ない近平。

 その肩に、大きな神下の手が添えられた。

 

「だが、中心にはなることはできる」

「っ、えっ……?」

 

 涙で濡れる頬を拭うことも忘れて、近平は神下の顔を見る。

 普段厳しい神下の表情は、まるで父のように優しかった。

 

「お前に扇の要としての能力は足りないかもしれない。だが、打線の核になることは出来る」

「っ、え……」

「近平、お前の打撃センスは、葉波のそれを大きく超えている」

「……それ、って……」

「要になることは出来ないかもしれない。だが、柱になることは出来る。近平。お前はバットでチームを変えてみせろ。お前にはその能力が有る。一振りで試合を決める。クリーンアップに」

「監督っ……」

「外野手だ、近平。外野用のグローブをミゾットに注文しておけ。しばらくは悔しいだろうが、その悔しさはバットにぶつけろ」

「……っ、はいっ!」

 

 神下監督の言葉に頷いて、近平は監督室を後にする。

 新しい近平の戦いが、始まるのだから。

 

 

                  ☆

 

 

 ――パワフルズ。

 球団設立時代から、カイザースとはライバルと死闘を繰り広げて来た球団であるそこは、レリーグ創世記から名を連ねる、いわば老舗球団である。

 投のカイザースならば打のパワフルズ。

 打のパワフルズならば投のカイザース。不思議とチームカラーが似通ることは無く、現代もエースクラスの投手を数多く抱えるカイザースに対して、四番クラスの打者を多く抱えるのがパワフルズだった。

 東條、福家、七井アレフトという中軸三人に、パワフル高校の主軸だった尾崎、恋恋高校影の立役者明石など好打者を備える強力な打線が売りでもある。

 反面、投手陣の層の薄さはウィークポイントだ。近年、安定して先発としてローテを守っているのは館西くらいのもので、去年台頭してきた森山を入れればローテクラスの先発陣は二人のみ。投手陣の不安定さのせいで、投手戦の勝ちを拾えないのが、近年優勝を逃している原因だ。

 それでも尚現在二位に食い込んでいるのは、野手陣の働きが大きかった。

 打率ランキングは友沢のせいで二位なものの、他の主要の打撃ランキングは全てパワフルズ勢が占領している。特に打点ランキングは一位から五位まで、パワフルズのメンツが占めるという、他球団にとっては恐ろしい事態になっている。

 だが、これでも尚、キャットハンズの牙城は揺るがない。

 首位、キャットハンズとの差は三ゲーム差。

 これだけ打っても、まだ三ゲームもの差がある。

 監督である橋森は、この状況に歯噛みするしかなかった。

 

「このままでは、沈む……」

「監督……」

 

 監督室でのヘッドコーチとの話し合いで、橋森は深々と呟いた。

 打撃陣の調子は絶好調。だが、それは同時に今が打撃陣全体のピークであるということも指し示している。

 もしもこのまま調子が落ちていけば、いずれ打ち勝てなくなるだろう。

 そうなれば待っているのは失速だ。

 失速に歯止めを掛けるのは投手陣だが、その頭数がパワフルズには足りなかった。

 先発はいい。柱は二本立っている。後は谷間だが、中堅選手達は球に完投をするくらいには頑張ってくれているし、中継ぎ陣も豊富と言っていいレベルではある。

 問題は抑え。

 特に、中継ぎの一人を指名して日替わり守護神にしている現状が痛い。

 中継ぎは揃っている。若くして見事なコントロールを持つ手塚に、変化球の豊富な犬河の二枚看板の他、生きのいい若手から、老獪なベテランまで幅広く居る。

 だが、それが抑えになった途端に固定出来ない。手塚は球威が足りずに、最終回にランナーを出してズルズルといってしまうし、犬河は変化球を狙い打たれてしまうことが多々ある。

 他の中継ぎにしても、抑えにするほどの能力は揃えていなかった。

 

「抑えが必要だ」

「はい」

「アメリカに留学に行っていたあいつはどうだ? クローザーで、しかも左腕だったろう」

「――二軍で一一試合投げて防御率〇、〇〇です」

「なっ」

 

 その言葉を聞いて、橋森は顔を真赤にしてバンッ! と机を叩いた。

 二軍とは言え、防御率〇点。そんな好成績を残した抑え候補が、何故二軍からの推薦リストに上がっていないのだろう。

 

「何故そんな好成績を抑えている選手の情報が手元に来ていない!?」

「コントロールが荒いですからね。自責点は無いですが、フォアボールは一一回を投げて一三個ですよ。とても一軍には推薦出来ません。変化球も一球種しか投げれませんし、その球種も高速スライダーですから緩急もあったものではないです。二軍監督は、後一年じっくり変化球を覚えさせてから、と……」

「呼んでくれ」

「え?」

「――水海(みずみ)と二軍監督を呼んでくれ!」

 

 普段穏やかな男だが、芯は熱い。

 根が優しいので普段は怒らないが、今現在の現状によほど苛ついていたのだろう。その声は珍しく荒げられていた。

 わ、分かりました。と慌ててヘッドコーチが監督室を出て連絡に行く。

 しばらく経って、三人が監督室に戻ってきた。

 ヘッドコーチ、二軍監督――そして、後ろに付いてきた特徴の無い男が水海だ。

 水(みず)海(み) 浪(らん)。

 一年遅れでドラフト入りした猪狩世代。経歴的には猪狩世代だが、一年遅れでプロ入りした変わり種だ。

 原因は怪我。

 球八高校という学校に入学したものの、練習での怪我が祟り、また球八高校も公式戦に出場出来なかった悲運の高校生である。

 最終年。あかつき大付属高校が甲子園で優勝したその年に満を持してデビューし、残念ながら二回戦で敗れたものの、そのポテンシャルを遺憾なく発揮――球速表示一五四キロを記録した。

 だが、故障によりドラフトには掛からなかった。

 全治半年の大怪我だけあって仕方のないことだったが、彼は浪人の道を選び、なんと高校卒業半年後の入団テストに合格。翌年、ドラフト七位でプロ入りした変わり種である。

 

「おはようございます。監督。あの、何のようでしょうか?」

 

 緊張した面持ちで、水海が橋森に話しかける。

 第一印象は特徴の無い普通の少年といった感じだ。

 

「水海」

「は、はい!」

「二軍成績を言ってくれ。細かくだ」

「はい……登板数一一。投球回数一一。防御率〇点。四七人の打者に対して、被安打一……よ、与四球、一三です」

「……フォアボールが多いな」

「はい」

「何故だ?」

 

 橋森の問い詰めるような視線に、ゴクリと水海は喉を鳴らす。

 そして、意を決して橋守の目を見返した。

 

「三振を取るために、コントロールを無視して全力投球するからです! 二軍監督に八分の力でコントロール意識して投げろと言われても無視してるからです!!」

「ほう? その奪三振数はいくつだ?」

「三三個奪ったアウトに対して――二九です!」

 

 悪びれることなく、水海が言い切った。

 そのセリフを聞いて、橋森は頬を吊り上げると同時に、何故自分に報告が来ていないのかを悟った。

 つまり、この水海という男は二軍監督の言葉を無視していたのだ。

 通常、それはあってはならないことだ。良かれと思って八割の力で投げろと二軍監督は言う。この成績だ。フォアボールさえ少なくなれば一軍に呼ばれることになるだろう。

 だが、それでも、水海は曲げなかったのだ。

 己のポリシーを。ピッチングスタイルを。

 それで結果を残せて居ないのなら、話にならない。正直クビの理由になってもおかしくない程の理由だ。

 だが、この水海という男は、それで結果を残している。

 ならば、怒る理由なんてどこにも存在しない。

 二軍監督もそれをわかっているのか、やれやれと呆れた表情だった。

 その表情で橋森は確信する。二軍監督は次の報告会議の際、この水海を一軍に推薦するつもりだったのだろう。

 だからこそ、二軍監督は何も意見してこないのだ。

 ここで一軍に足り得ない選手ならば、監督室に来る前に調子などを理由にして一軍行きはさせないとキッパリ言ったはずなのだから。

 

「水海」

「は、はい」

「俺は何も言わない。――ただ、三振を奪ってこい」

 

 橋森は笑みながら、水海の肩を掴む。

 水海という、大器に水を満たす言葉を呟きながら、その獅子を光り輝く舞台に放つ準備を進めるのだ。

 

「最終九回。湧き上がるスタジアムの中心に君臨し、その腕を存分に振るって最後に牙を剥く的打者達を、快刀乱麻に討つのがお前の仕事だ。――出来るな?」

「――任せて下さい!」

 

 そこで橋森は初めて気づいた。

 この選手が持つ目の輝きは、今年ドラフト一位でカイザースに入団した、あの捕手のものとそっくりなのだと。

 

 

            ☆

 

 

「……よし。準備万端」

 

 ぎゅ、と靴紐を結び、オレは立ち上がる。

 この三年間、色々あったなぁ。

 やっと一軍。ここまで凄く長かったけれど、貫いたことがやっと花を開いたみたいだ。

 今日はカイザース戦。戦力はキャットハンズにつぐくらい。今は歯車があってないけど、ぐぐんと伸びてくるだろう球団だ。

 特に中軸の友沢くんは要注意だね。まあ、オレは最終回が出番だから、投げる機会があるかは分からないけど。

 

「うわっ、もう九時だ。早く行かないと」

 

 やばいやばい。練習は一〇時からだから、早めに出ないと。

 

「……じゃ、行ってくるね。――空」

 

 玄関口に立ててある写真立てに行って、それを倒して家を出る。いつものオレのジンクスだ。

 

「おはよッス水海!」

「おはようございます!」

「一軍昇格おめでとうッス! 暴れて来るッスよ!」

「はい! じゃ、急ぐんで行ってきます!」

「いつもの彼女のとこッスか? 律儀ッスねー!」

「彼女じゃないです! じゃ、いってきます!」

 

 かぶった帽子を後ろに回し、走りだす。

 カイザースとパワフルズと言えば、レリーグの中で最も客入りの良い伝統の一戦。その日に一軍入りだなんて信じられないよ。

 空が見たら、なんていうかな。

 家の前に到着して、チャイムを鳴らす。

 パタパタと中から足音がして、ガチャと扉が開いた。

 中からオレンジ色の髪の毛を揺らしながら、海ちゃんがとてとてと近づいてくる。

 

「いらっしゃい。水海さん」

「おはよう、海ちゃん。今日から一軍だよ!」

「はい、知っています。ユニフォーム来て応援に行くので、登板してくださいね」

「チームが勝ってないとね」

「えへへ。……あの、毎日言ってるんですけど……私、大丈夫ですよ……?」

「ううん、心配だからね。あとコレ。特等席のチケット。ホームベース後ろの一番良い所だよ!」

「わざわざありがとうございますっ」

 

 チケットを手渡し、目的は達成。顔も見れたし、そろそろ行かないと。

 

「じゃ、行ってくるね!」

「はいっ、いってらっしゃい。怪我だけはしないようにしてくださいね? ……球八の時みたいな怪我、嫌ですから」

「ありがと、行ってくる!」

 

 海ちゃんに手を振って走りだす。

 球八の時は気合入れすぎて身体を壊しちゃったから、もうあんな無茶はしないよ。

 山ごもりなんかするオレの為に色んな試合のビデオを取りに行ってくれてた海ちゃんと空の為にも、オレはもう怪我しないって決めたんだ。

 頑張市民球場に入る。

 いよいよ、オレの一軍としての一歩が幕を開けるんだ……!

 ロッカールームに入る。

 中に居た四人と目があった。

 

「あっ……!」

「……来たか、水海」

「東條! 七井! 尾崎に福家さん!」

 

 うわぁ! いきなりパワフルズ三十本カルテットだ。オレ、今一軍に居るんだな!

 

「ふ、ふふ、寮からユニフォームで来たのカ? 面白いやつダナ」

「……違う。七井。こいつは普段ずっとユニフォームと帽子をかぶってるんだ」

「ハ?」

「うむ、一度怪我で二軍に落ちた時、わざわざ新しいユニフォームに着替えて『お疲れ様でしたー!』といって返ってくる水海には度肝を抜かれたものだぞ」

「変わった趣味だな?」

「だってカッコイイじゃん! ユニフォーム!」

 

 荷物を置きながら言うと、皆が微笑ましく笑う。な、なんでだろう。オレ変なこと言ったかな?

 とりあえず、ブルペンに行かないと。大倉さんに一度球受けさせろって言われてるし。

 

「じゃ、今日の試合お願いします!」

「……ああ、お前を出させてやるから安心しろ」

 

 東條がクールに言う。カッコイイなぁ。後で海ちゃんの為にサインでもお願いしようかな。

 グローブを抱え、ブルペンへと急ぐ。

 ブルペンに入ると、オレ以外に人は居なかった。当然かな。

 ぐーっと身体を伸ばしたりストレッチをする。

 その内に、大倉さんがゆっくりと入ってきた。

 

「おう。もう来てたか。準備体操は終わったみたいだな」

「はい! いつでも行けます!」

「よし、じゃあ肩を作っていくぞ」

「お願いします!」

 

 パシッ! と大倉さんからボールを受け取り、きゅっきゅと両手で包み込むように撫で、軽く左腕を振るう。

 パァンッ! と大倉さんのミットが音を立てた。

 

「あんまりコントロール良くないんだって?」

「はい。取りにくいと思いますけど……」

「ま、大丈夫だ。一応正捕手だからな。球種、マジで高速スライダーだけなのか? 実は投げれるけど打たれるから投げないだけ、とか?」

「いえ、正真正銘高速スライダーだけです」

「リードしづらっ!」

 

 うわぁ、いきなり言われちゃったよ! そりゃそうだよなぁ。二軍の捕手なんかオレが登板するだけで嫌そうな顔してたし、最終的にはど真ん中に構えてたもん。

 

「まあ、そんなでも一軍に上がってくるってことは魅力があるってことだからな。それを最大限に活かせるよう頑張るから、お前も全力でこい!」

 

 にっと笑いながら大倉さんが快活に言ってくれる。

 流石正捕手。懐の深さが違うよ。

 十分ほどキャッチボールをして、いよいよ肩も温まってきた。

 人はまだまばら。別に見られたいわけじゃないけど、初一軍ブルペンで大暴投なんてしたら変なあだ名付けられそうだから、これくらいの方が気楽でいいかな。

 

「よし、座るぞ。初球は全力投球でいい。ボールストライク関係なく思いっきり投げてこい!」

 

 言いながら大倉さんが腰を下ろし、パシン! とミットを叩く。

 よーし。なら、本気で投げるぞ!

 ボールを握り、グローブで覆う。

 ワインドアップモーション、一歩後ろに下がり、手を大きく上げ、胸を張る。

 そこから足を上げ、身体を回す。

 右腕を伸ばし、左腕を引く。

 テイクバックは大きく。体全体の体重を一度軸足に集中。

 そこから右腕と共にグローブを抱え込み、真っ直ぐ捕手へ向けて足を出し、体重を一気に踏み込んだ足へ。

 身体を斜めに倒し、ほぼ真上に伸びた左手の指先にあるボールに体重を一気に掛けるイメージで、思いっきり、腕を振る!!

 ――ピッ。

 

「!!」

 

 あっ、やばっ。高めに抜けちゃった。

 ビシイイッ! と、オレの投げたボールは大倉さんのミットをかすめることなく、真後ろの緑のネットへと突き刺さった。

 

「……」

「……あー……」

「……」

 

 う、うわぁ、大倉さんが何も言わないよ。

 焦るオレ。このノーコンは使えないとか言われたらどうしよう。

 

「水海」

「は、はいっ!」

「もう一球だ。ミットに入るまで投げさせるからな」

「あ、はい!」

 

 パシッ、と大倉さんから再びボールが返ってくる。

 お、怒ってなかったのかな。うーん……。

 と、とりあえず今度は八割の力で、コントロールを意識して。

 ビュッ! と腕を振るう。

 パァンッ! と今度はちゃんと大倉さんのミットにボールは収まった。

 ふー、良かった良かった。

 などとオレが安堵をしていると、大倉さんがマスクを外し、鬼の形相で俺を睨みつけてくる。ええぇっ、なんで!?

 

「水海! 俺は最初なんつった!」

「え? あ、えと、ぜ、全力投球でいいって」

「そうだよ。今の球は全力じゃねぇだろうが!」

「すみません!」

「全力でミットに入れるまでつってんだよアホ! さっさと投げろ!」

 

 痛烈な勢いで帰ってきたボールにビビりながらも、ボールを左手に握りなおす。

 落ち着け落ち着け。大倉さんは俺のマックスを見たがってる。なら、見せてみよう。俺の全力投球を。

 振りかぶって、ぐっと体重を乗せ、腕を、振りぬく!

 

 ――キュオンッ。

 

 スパァァァアァンッ!!

 どまんなかだけど、今度はちゃんとミットに入った! やった!

 ブルペン内に快音が響き渡る。やっぱりこの音、最高に気持ちいい。

 と、周りの音が完璧に止まっていることに気づいた。

 まるで海中に居るかのような静けさ。えっと、どうしたんだろう。

 

「水海。もう分かった。次はスライダー頼むぞ。勿論スライダーも全力だ」

「は、はい」

 

 パンッ、と帰ってきたボールを握り、スライダーを投じる。

 グオンッ! と大きく曲がるスライダーを、大倉さんはあっさりと捕球した。

 凄いなぁ。二軍だと取れないこともあるのに、やっぱり正捕手って凄い。

 しばらく投げた後、距離を短いキャッチボールをして、とりあえず上がりだ。

 

「試合に備えとけよ。お前の球は取るから、全力で投げろ」

「はいっ。ありがとうございます大倉さん!」

「俺がトンボかけといてやるから、身体冷えないうちにアンダー変えとけ」

「はい!」

 

 大倉さん、めっちゃ優しいじゃん! いい先輩だなぁ。

 るんるんとオレはご機嫌で着替えにロッカールームに戻る。試合、楽しみだなー。

 

 

                  ☆

 

 

「今投げてたのは誰だ?」

「凄い音したな。ガン測ったか?」

「いや、最初に音させた球の次の次からくらいだった」

「あー、あのあとは流す感じだったからな。何キロ出てた?」

 

 プレス席から聞こえる声を聞きながら、大倉は水海の踏み荒らしたブルペンを均す。

 じんじんとしびれる左手を隠すように。

 

(凄いボールだった)

 

 球速なんて関係ない。あのボールは、生きていた。

 まるでボールが巨大化して迫ってくるような、そんな感覚だった。

 二軍の選手が打てないのも無理はない。スライダーも天下一品。あのスライダーはボールからボールへ変化しても振ってしまうだろう。

 

「――152キロだ。152キロ出てた」

「ブルペンで152キロ……! 凄い若手が出てきたな!」

 

 後ろの声を聞きながら、大倉は確信する。

 水海という男は、このチームに何かを齎す、と。

 

 

              ☆

 

 

 試合が始まる。

 俺はブルペンでゆたかのボールを受けていた。

 互いのスタメンは既に発表されている。

 カイザースは、

 一番、センター相川。

 二番、セカンド蛇島。

 三番、ショート友沢。

 四番、ファーストドリトン。

 五番、サード春。

 六番、レフト近平。

 七番、ライト谷村、

 八番、キャッチャー葉波。

 九番、ピッチャー稲村という打順だ。

 対するパワフルズは、

 一番、セカンド近城。

 二番、センター尾崎。

 三番、レフト七井。

 四番、ファースト福家。

 五番、サード東條。

 六番、キャッチャー大倉。

 七番、ライト明石。

 八番、ショート杉内。

 九番、ピッチャー森山。

 という布陣。

 普通なら館西が先発のハズだったらしいが、どうやらふくらはぎの違和感で今日は登板回避になったらしい。

 まあ、相手は誰が来ても同じだ。

 

「ゆたか、ラストボール!」

「はい! 先輩っ! 行きますよ!」

 

 ヒュッ! と綺麗なスピンで投じられたストレートをバンッ! と捕球する。

 ブルペンの感じは悪くないな。

 

「ナイスボール! んじゃ本番行きますか!」

「はいっ!」

 

 ゆたかは最近二連勝中。一勝して流れに乗ったのか、投球にも元気が有る。この調子なら今日も抑えてくれそうだ。

 ゆたかと共にダグアウトからベンチへ歩く。

 頑張市民球場は、頑張市が経営する球場だ。

 野球が人気なだけあって、設備は他の球場とも遜色ない。初めての球場だけど、かなり良い感じだ。

 パワフルズファンのは熱狂的。名選手である古葉さんが代打の切り札で出てきた時なんか歓声すげぇからな。

 森山が投球練習をしている。

 球速は一四〇キロ前半ってところか。キレのあるストレートと相変わらずの超遅球。

 パワフルズの中継ぎは揃ってるから、この森山から早いとこ先制点を取りたい所だな。

 守備のメンツが散っていく。

 投球練習を終えて、歓声と共に一番の相川さんが打席に立つ。

 

『さあ、いよいよプレイボール! パワフルズvsカイザース。勝って流れに乗るのはどちらでしょう!』

 

 初球。

 パンッ! と外角低めにストレートが決まった。

 

「ストラーイク!」

『キレの良いボールが決まった! ストライク!』

 

 球速表示は一三七キロ。キレがあるからそれ以上に感じるが、アレだけ低めにキレ良く決まれば合格だよな。

 ぐんっ、とテンポ良く森山は投球動作に入る。

 そして投じられたボールは――超遅球、スローカーブ。

 ググググッ! と大きく曲がるカーブに相川さんはバランスを崩される。

 なんとかバットにボールを当てたものの、ボールは力ないセカンドゴロ。

 ファーストにボールが送られて、ワンアウトになる。

 

「アウトー!」

『遅いボールを引っ掛けた!』

『あれだけ遅いと捉えにくいでしょうねー』

 

 やっぱあのボールはプロでも有効か。……いや、速い球を打ちなれているプロにこそ、あのボールは効くかもしれない。

 今のスローカーブの球速表示が八五キロ。

 球速差五二キロの緩急か、相当打ちづらいだろう。

 蛇島の打席。

 森山がスライダーを投じる。

 ビシッ! と外角のコーナーぴったりにボールが決まった。

 

「ストライク!」

『良いスライダー決まりました!』

『今のはちょっと手が出ませんね』

 

 二球目、インハイのストレート外れてボール。

 蛇島のやつ、ぴくりとも動かなかったな。……何か待ってるボールが有るんだろうか?

 三球目、投じられたのはチェンジアップ。低めから更に低めに落ちる遅い変化球を、蛇島はぐ、っと体重を後ろに残したまま、手首を返さず、バットコントロールのみで弾き返した。

 ッカァンッ! と音が響き、ライト前にボールが弾む。

 明石がしっかりとそれをワンバウンドでキャッチして、中継に投げ返した。

 

『ライト前ー!』

『うまーく打ちましたね。右打ちは蛇島くんの得意技ですからね』

 

 うっめー! なんだよ今の、ヘッドを残したままわざと振り遅れるみたいな感じで打ち返したな。

 流石帝王の四番を務めただけのことは有ってバットコントロールは半端無い。この蛇島が二番でこんな打撃をしてきたら、相手としては嫌だろう。

 

『さあ、ワンアウト一塁でバッターは友沢!』

『これは凄いプレッシャーでしょう』

 

 友沢は相当警戒してるだろうな、パワフルズバッテリーは。

 しかもランナーが一塁にいる。不用意に遅球を投げれば、盗塁で二塁に行かれる可能性もある。相当攻め辛い場面だろう。

 一球牽制を入れる。

 牽制のモーションは上手いとは言い難い。刺すんじゃなくて、文字通り牽制させることが目的だろう。

 クイックからストレートを投げ込む森山。

 パシィンッ! と高めにボールが外れた。

 やっぱ盗塁警戒してるな。

 森山のクイックは上手いとは言い難い。秒数にして1,4秒程度。下手と言われても仕方のない部類だ。

 これなら二球目はスタート出来るだろう。

 蛇島がリードを取る。

 森山の肩が動いた。投げてくる――。

 すっ、と素早いクイック。速い……!?

 わずかにタイミングが狂わされたのか、友沢が打ち損じる。

 ショートへと転がったボールをショートが取り、セカンドへ、セカンドからファーストへ渡り、友沢は併殺打に倒れてしまった。

 

『三番友沢併殺打! カイザース一回の表得点が入りませんでした!』

 

 あんにゃろ、初球はわざとモーションを大きめにして、二球目は全速力のクイックで投げやがったな……!

 今のクイックは恐らく一秒台。そんな速度のクイックをされたら、ランナーは走れない。

 森山の奴、この四年間の間に球速だけじゃない、投手としての細かい技量をきっちりと練習してやがったな。

 投手は投げるだけが仕事じゃない。クイックモーションや牽制、ベースカバーまで必要となる。

 元から野球センスはあった森山だけど、そのセンスをフィールディングにも生かしている。確かにこれはエースの器だな……まだ二十歳。ここから更に伸びしろが有るってんだから嫌になるぜ。

 けど、伸びてるのは森山だけじゃない。

 

「行くぞ、ゆたか」

「はい! 先輩!」

 

 ちょこちょこと俺の後についてベンチを出るゆたか。

 こいつだって森山と同じ世代なんだ。森山の外れ一位だけど、ポテンシャルの高さで言ったら森山にだって劣っていない。

 いや、それどころか――きっと、猪狩すら脅かす程のポテンシャルがこいつにはあるはずだ。

 俺はそれを引き出す、引き出しながら、目の前の試合を全力で戦う。

 ざっ、とキャッチャーズサークルに座り、打席に近城を迎える。

 

『一回の裏、パワフルズの攻撃です! バッター一番は、パワー自慢の多いパワフルズにおいて貴重な俊足打者、近城!』

 

 昨日頭に叩き込んだ映像を思い出す。

 近城は内角がくるりと回る非力な俊足打者。

 普通俊足打者と言えば、インコースに負けてゴロを打ったり、フライを打ったりするもんだけど、こいつにはそれがない。

 こういうと弱点が無いように思えるが実際はそうではなく、内へ落ちる球には反応が遅れているし、アウトハイのストレートには力負けしてフライになることが多い。

 まずは様子見、アウトローへのストレート。

 キュンッ、と糸を引くようなストレートがギリギリに決まる。

 

「ストライク!」

『決まったストライク!』

『今日の審判は外に広く取りますね』

 

 今のがストライクか、なら次はインローへの縦スライダー。

 投げられたボールがビシッ、と構えた所に決まる。

 

「トラックツー!」

 

 この縦スライダーはまさに針の穴を通すコントロールだ。

 シーズン開幕前には不安定だった縦スライダーの制球も、ゆたかがシーズンで投げているうちに定まってきた。

 縦スライダーのコントロールがこんなにもあるなら十分戦えるな。

 次は外に一球外すボール。

 パァンッ! とストレートを捕球する。これには流石に無反応で見逃した。

 これで2-1。追い込んだ状況は変わらない。

 次は高めへのストレートだが、ストライクゾーンに入れない。インハイ高め、おもいっきり腕振って投げてこい!

 ぐっとゆたかが踏み込みから腕を振るう。

 リリースが遅く、フォームが変化球とほぼ一緒で、出処の見づらいゆたかのフォームから突然投げられる速いボール。

 ストライクを得る為に必要なのは、ストライクゾーンへの投球じゃない。

 ボール球でも、ストライクゾーンから大きく外れたボールでも、スイングさせれば――

 

 近城はバットを振る。

 追い込まれたことでゾーンは広く待っていた状態でこのストレートを投げられれば、振らざるを得ない。

 

 ――ストライクになるんだ。

 

 パァンッ! とボールが俺のミットに収まる。

 

「スイング! バッターアウト!」

『空振り三振! 高めの釣り球に釣られてしまいました!』

『王道リードでしたが、稲村選手のキレのある球に思わず手が出てしまいましたね』

 

 おっけ。このボールを振らせるキレがあれば、このあとの奴らにも対応出来るはずだ。

 二番、尾崎。

 パワフル高校の主軸として一度戦ったあいつだな。

 ポジションはサードだったはずだけど、プロ入りして外野に転向したのか、センターを守っている。

 足も肩も悪くないから、守備力としては及第点だが、こと打撃に関しては対応力もパワーも兼ね備える好打者と言えるだろう。

 つーか、パワフルズのレギュラーは八番の杉内以外、打撃には見るものがある。六番の大倉だってミートはアレだけどパワーが有るし、明石はこないだ飲み会で聞いた通りに勝負強い打撃してるみたいだからな。

 油断はしない。脳みそがちぎれるくらい頭ぶん回して最高のリードをしてやる。

 インローへのストレート。ボールになっていい、思いっきり腕を振れ。

 ビュッ! と投げられた球に、尾崎はフルスイングで迎え打つ。

 バットに掠ったボールは真後ろへと飛んでファールになった。

 1-0。次はアウトローへのスライダー。

 

「ストライック!」

「む……」

 

 尾崎はそれを見逃して、2-0。

 一度タイムを取り、バッターボックスの外で尾崎が素振りする。

 インロー、アウトローと続けた。

 今までの俺のリードなら、ここは高めを使う所だけど――今日は思いきって外低めからもう一球スライダーで、今度はワンバウンドするくらいに落とす。

 スライダーを二球続けることになるけど、今日のゆたかのスライダーならば続けても十分振らせれるし、ワンバウンドするボールならヒットに出来る確率は限りなく低い。

 ゆたかが俺のサインに頷き、腕を振るう。

 外角低め。多少真ん中に寄ったスライダー。

 尾崎がバットを出す。追い込まれている状態で甘いスライダーが来たら手が出てしまうだろう。

 しかし当たらない。ボールはバットを避けるように急降下し、ベースで弾む。

 後ろには零すな、前で止めろ!

 ドッ、と身体でボールを止め、それを持って尾崎の身体にタッチする。

 

「スイング! アウト!」

『二者連続空振り三振!』

 

 っふぅ……! なんつースライダーだ。俺でも多分、今のコースなら手が出てたな。

 さて、と。

 

『バッター三番――七井、アレフト』

 

 問題のクリーンアップがやってきやがったぜ。

 ランナーなしで迎えれたのは僥倖だが、一発がある三人が続く。

 ペナントレースは一四四試合。去年の七井、東條、福家が五十本以上打ってるから、単純に言えばこの三人の内一人が必ず一試合で一本はホームランを打ってるって計算になる。

 そう考えると恐ろしいが、打たせやしないぜ。

 

「久しぶりだナ」

「ああ」

「また打たせて貰うゾ」

 

 七井が構える。

 相変わらず、大きなフォームだ。

 さて、と。

 良い打者相手に駆け引きなんて不要だ。

 ゆたかの全力で、抑える。抑え抜く!

 初球、アウトローへのスライダー。

 ゆたかがグンッ! と腕をふるう。

 初球を七井は見逃した。

 

「ストライク!」

『初球スライダー決めてきました』

 

 このコースはさっきから取ってたからな。

 次もこのコースにスライダーだ。

 ゆたかがこくんと頷く。

 驚いたかもな……俺のリードの傾向を調べると、あんまり同じボールを同じコースに要求することは無かった。

 それは高校生とか、雑なアメリカの野球に触れてきたから。読みを外せばほぼ確実に討ち取れてたんだけど、プロに入ると多少読みとズレててもヒットにできるからな。

 読みを外すのではなく、抑えることが重要なんだ。

 分からなくてもヒットにできる球より、わかっててもヒットにできない球の方が優先度は上だ。

 腕を振るう。

 寸分違わず同じコースに落ちるスライダーを、七井が空振る。

 よし、2-0!

 七井の選球眼の悪さは変わっていない。去年の四死球は七。なら同じコースから一球分外した所からスライダーを落とす。

 ゆたかが迷いなくボールを投じた。

 回転の鋭いスライダーは、ぐにゃりと打者の手前で大きく曲がり落ちる。

 そのボールを七井はカットした。

 ちっ、相変わらず腕が長い。このコースに届くのかよ。

 それでもスライダーを要求する。

 俺を信じて――来い!

 ヒュッ! と軽やかに投げられたボールを七井は捉えようと振っていく。

 だが、今度は当たらない。

 ビシィッ! と低めに決まったボールをしっかりと抑え、俺はすぐに立ち上がってベンチへと歩き出した。

 

「スイング! バッターアウト! チェンジ!」

『空振り三振ー!! 三者連続の三振! スライダーを四球続けました!』

『稲村選手あっぱれ! 全球外角低めの厳しいところですよ! 七井とは言え、あのコースは打てませんね!』

 

 よし。七井を完璧に抑えた。

 このリード、一見悪手に見えるけど実の所かなり有効かもしれない。相手にスライダーのイメージを植え付けれるから、次の打席ではストレートが生きる。

 

「せんぱーいっ!」

「おうゆたか、ナイスピッチ」

「先輩のリード、凄いです! オレ、スライダー続ける勇気なんてないですよ!」

「お前のスライダーが良かったからだよ」

「先輩っ……えへっ」

 

 嬉しそうに頬を綻ばせ、俺ににこにこと笑みを向けるゆたか。

 なんか今日はいつにもまして機嫌が良いな。何かあったんだろうか。

 まあいい、とりあえずは先取点を早くとってやらないとな。

 打順は四番のドリトンから。

 最近当たりがないドリトンだけど、今日の練習ではいいあたりをしてた。そろそろデカイのが出るかもな。

 森山がボールを投じる。

 初球は超スローカーブ。

 低めに投げられたボールをドリトンは見送った。

 

「ボール!」

 

 今の見逃されるとバッテリーとしては辛いな。

 次に投げるボールはストレートか、はたまたスライダーかチェンジアップだろう。

 確率的にはストレートを一発の少ない外角低めに投げさせてくるか。

 ドリトンもそれは分かってるはずだ。

 森山が足をあげ、ボールを投じる。

 投げられたボールは、右打者であるドリトンから逃げていくように外角へ変化するスライダー。

 そのボールを、ドリトンは思いっきり引っ張った。

 強引! 無理やりに引っ張った!

 普通なら頭を超えないはずの打球がぐんぐん伸びて、レフトフェンスに直撃する。

 その間にドリトンはセカンドへ滑り込んだ。

 あの打撃でフェンス直撃させるなんて、なんてパワーだよ。

 森山が悔しそうにマウンドを踏みしめる。

 あのコースを打たれたら捕手としてもお手上げだな。事故だと思うしかないけど――次の打者は、春だ。

 

『バッター五番、春』

「お願いします!」

 

 春がぐっと構える。

 春の得点圏打率はここまで五割。相変わらずでの得点圏の強さを発揮し、打順をクリーンアップ――五番にまで上げてきた。

 春への初球、森山が選択したボールは小さく曲がる変化球だった。

 去年までのデータにはなかった。新しく覚えた球かな。

 カットボールかツーシームか。握りはこっからじゃ見えなかったけど、恐らくツーシームだろう。

 

「ストライク!」

 

 ゆらりと一度バットを降ろし、再び春がバットを構える。

 二球目はインハイへのストレートだった。

 ざっ! と春が思い切りそのボールを引っ張る。

 カキィンッ! と音を残して、ボールは一、二塁間を抜けていく。

 ドリトンがサードで止まり、春は一塁でベリベリとバッティンググローブを外した。

 肘を上手くたたんで繋げるバッティングを意識したのか。流石だな。

 サードになってから守備も安定してきたし、打撃も吹っ切れたように打ち始めたところを見ると、いよいよ猪狩世代の本領発揮ってところか。

 兎にも角にも二連打でノーアウトランナー一、三塁。

 ここで迎えるのは――。

 

『バッター六番……近平』

 

 ワァッ! とカイザース側のレフトスタンドが沸く。

 外野にコンバートしてから一日でいきなり出場することになった近平がバッターボックスに立つ。

 オーソドックスに耳の後ろにバットを構え、近平はじっと森山を睨みつけた。

 一息ついて、森山が腕を振るう。

 初球はスライダー。そのボールを近平は空振った。

 インローの厳しい所。あそこは初球じゃさばけない。

 二球目は外へのストレート、これは外れてボール。1-1。

 近平も相手のリードを考えているだろう。

 森山が腕を勢い良く振りぬく。

 ふわり、と浮かぶようなスローカーブ。

 ゆっくりとボールは低めに吸い込まれた。

 ぐぐぐっ、と待ちきれず近平のバットが出かかる。

 

「スイング!」

 

 ばっ、と大倉がファースト塁審を指さした。

 バッ、と一塁審はすかさず腕を掲げる。

 スイング判定、これで2-1になった。

 追い込まれた――が、近平の顔には焦りは見えない。

 今の出し方は本気で釣られた出し方だった。

 次に来るボールはインハイのストレートか、ツーシーム、もしくは低めへのスライダーだろうか。

 

「ふっ!」

 

 声を上げて森山が投じる。

 っ! 超スローカーブ……! 二球続けて!?

 低めへと変化するボールに、バットを投げ出すようにして近平は何とか掠らせる。

 

「ファールファール!」

「っふぅ」

 

 完全に読みを外してきた。

 なるほどな、決め球が『来ない』と予想させるのもリードの仕事だ。今の近平への打席、スライダー、ストレート、スローカーブとくれば、次はストレートかツーシームというストレート系か、低めのボール球のスライダーを振らせに来ると考えるのが普通だ。

 それを超スローボールで回避する。決して打撃成績では目立たないし、進や六道、俺に比べたら年齢を重ねている大倉さんでしか、今のリードは出来ないだろう。

 でも、それに何とかついていけた近平も凄い。

 次は何で来る? ストレート系か、低めへのスライダーか?

 森山は一度首を横に降った後、頷く。そして森山は足を上げ――腕を振るった。

 選択されたボールは、スライダーだった。

 ただし、ボールはふわりと浮いて真ん中へ。

 決め球をファールされたことで焦ったのか、ここまで低めを攻めることが出来ていた森山の数少ない失投。

 スライダーは決め球になりうる優秀なボールだ。

 しかし投げ損なって中央付近に行った場合、打者にとってホームランに最もしやすい真ん中への棒球と化す。

 

 一閃。

 

 観客が、大歓声を上げた。

 森山は振り向かない。

 フォロースルーを大きく取り、そのままバットを歌舞伎投げて横合いに放り捨てる。

 そしてゆっくりと一塁へ向かいながら、天高々へ指を一本掲げ、

 美しい放物線を描く打球がライトスタンドに着弾した瞬間、近平は派手にガッツポーズをした。

 

『は、入ったー! 近平の先制スリーランホームラン! 打った瞬間の完璧な当たり! ライト一歩も動きませーん!』

 

 ハイタッチをして、近平がベンチへと戻り、俺へと近づいてくる。

 三対〇、先制のスリーランホームラン。

 

「まずは一歩リードだぜ。葉波」

 

 そして、挑発するように言ってベンチに座った。

 甘い球を逃さなかった打撃は流石の一言。守備に気を遣わなくなった分、打撃の思い切りさが増したように思う。

 でも負けられない。そう簡単に負けてたまるか。

 バッターの七番、谷村さんに対して、森山は制球が定まらない。

 やっぱり動揺があるんだろう。低めへの遅球が決まらず、再びスライダーが真ん中へと浮く。

 それを、谷村さんも逃さない。

 

 ガツンッ! と鈍い音を残し、ボールはライトスタンドへと吸い込まれていく。

 

『な、なんと二者連続ホームラーン! 谷村完璧に捉えましたー!』

 

 谷村さんも長打力が無いわけじゃない。甘く入れば持っていくパワーは持っている。

 悠々と戻ってきた谷村さんとハイタッチを交わして、バッターボックスへと歩く。

 たまらずキャッチャーの大倉がマウンドへ走って、森山と何かを話しているようだ。

 二者連続ホームランか。俺も打つつもりで行くぞ。

 ネクストからバッターボックスへ。

 キャッチャーが戻ってくる。

 幾ら中継ぎの枚数があったってまだ回は二回。こんな序盤で投手を変えるわけにゃ行かないよな。

 初球、内角低めにストレートが決まる。

 

「ストライク!」

 

 やべっ、そこは手が出ねぇ。立ち直っちまったか?

 二球目もストレート、今度はインハイへズバッと投げ込まれたボールを、俺は空振りしてしまう。

 これで追い込まれた。今のはボール球だったな、失敗だぜ。

 三球目、外への超スローカーブに、俺はガクンとタイミングを崩されるが、バットを振らなかった。

 ふぅ、2-1。次のボールはストレートか?

 森山が頷いてストレートを投げ込む。

 高めへの釣り球――引っかかるなっ!

 何とかバットを止めた所で、パァンッ! と後ろでミットが音を立てた。

 

「スイング!」

 

 一塁塁審の手は横に広がる。

 よし、並行カウント。

 まだ若干投手有利だけど、2-1よりはよっぽど希望が見えるぜ。

 ここまでの配球はストレート、ストレート、超スローカーブ、釣り球のストレート。

 投げてきそうな球は超スローボールだ。この場面で、二者連続でホームランを打たれているスライダーは相当使いづらい筈だからな。

 だが、どうにも二球目のストレートがきな臭い。

 なぜなら、二球目のストレートの意図が見えないからだ。

 確かに俺が空振りしたことで追い込めはしたが、緩急を使うタイプである森山が選択する球じゃない。

 ストレート系を投げさせ追い込みたいならツーシームをインローに投げてファールさせればいいし、森山の代名詞である超スローカーブを投げさせれば、それこそ空振りやファール、打ち取れる確率も相当高い筈だ。

 なのにストレートを選択した――その理由が有る。

 見え見えの超スローカーブをそのまま真っ直ぐ選択してくるのか?

 大倉さんの立場に立って考えてみろ。ベテラン捕手が若手投手に期待することといったらなんだ。

 そこまで考えて、やっと答えに俺は至った。

 これなら二球目にストレートを選択する理由も理解出来るけど、余程森山に期待と信頼を寄せてないと出来ないリードだな。

"その球種"に狙いを絞り、バットを構える。

 森山が頷いて、ムチのように腕をふるった。

 一瞬ぐっとバットを溜めて、タイミングをあわせる。

 投じられたボールは予想通りのスライダー。

 膝より高めのスライダーを、思いっきり叩く!

 パシィンッ!! と真芯で捉えた、重さの無いような軽い感覚。

 ワッ! と歓声が沸く。

 

『これもまた大きいぞ! 流し打ちだ! ライトにぐんぐん伸びていく!! 真芯で捉えた当たりは――!!』

 

 っしゃぁ! 読み通り!

 走りながら打球の行方を追う。

 ちょっとタイミングが早くて流し打ちになっちまったけど、真芯に当たったし差し込まれてもない完璧な打撃だった。行けっ!

 ドンッ! とライトスタンドでボールが弾む。

 

『入ったー! なんとライトスタンドへ、三者連続ホームラン! 森山を一発攻勢で轟沈! カイザースこの回五点目ー! そして、これが待望の葉波のプロ初ホームランです!』

 

 ベンチで出迎えてくれる。読みが当たったぜ。完璧だ。

 この打席、二球目のストレートは、決め球の超スローカーブを意識させるための布石だったんだ。

 実際に投げるボールはスライダー、ホームランを打たれたボールで先輩である俺を抑えることで、スライダーへの自信を取り戻させて修正するつもりだったんだろう。森山が長い回を投げるにはスライダーも投球のコンビネーションに絡めなきゃいけないからな。

 大倉さんが悔しそうに森山に何かを言っている。

 これで森山は五、六回を目処に降板することになるだろう。

 吹っ切れたのか、森山はゆたか、相川さん、蛇島を打ち取って、二回の表が終わる。

 5-0。回は二回裏――バッターは福家から。

 帝王実業の時ボコボコにやられた時の四番打者だ。きっちり借りは返さないとな。;。

 

『バッター四番、福家』

 

 七井とはまた違う、威圧感を感じる背中をじっと見つめながら考える。

 福家に苦手コースはない。四番に座るだけあってどんなコースにも対応してくる。

 だが、逆にそれを使うことができる。追い込むのが難しいが、追い込めればボール球を打たせて打ち取ることは出来るはずだ。

 外角低めに構える。

 気をつけろよ、ゆたか。甘く入ったら持ってかれるぞ。

 外角にカーブを要求する。

 ゆるい球なら真芯で捉えない限りはオーバーフェンスは難しいはずだ。

 ゆたかがしっかりと要求した所に腕をふるって投げ込む。

 

「ストライク!」

 

 よし、ワンストライク目。

 にしても良い投げっぷりだ。

 覚醒、か。この二ヶ月でゆたかのやつ、ぐぐっと伸びてきてる。

 二球目、ストレートを内角に要求する。

 こくん、とゆたかが頷いた。

 投じられた速球を、福家がフルスイングで迎え打つ。

 ッチッ! とバットにボールがかすり、真後ろのフェンスにガシャンとぶつかった。

 良いボールだ。福家がボールの下を振ってる。

 追い込めばこっちのもの、後は外角のスライダーで――

 

「ぬ、ぅっ!」

『福家空振り! 三球三振! 四者連続の空振り三振です!』

『今のボールは思わず振っちゃうでしょうね。凄いボールです。今日は絶好調ですね』

 

 ――空振りを捕れる。

 絶好調。ゆたかの調子がいいのも有って、相手をキリキリ舞いだ。

 でも、油断は出来ねぇ。なんたって、次の打席は、俺達を甲子園に導いたクリーンアップの一人。

 俺の打撃のルーツを創った男。

 

『バッター五番、東條』

 

 東條小次郎なんだから。

 鋭い瞳で、東條は何も言わずに俺に背を向けた。

 ……さて、どうすっかな。

 東條にも弱点らしい弱点はない。

 福家と違うのは、この体格の細さを持ってして福家よりも飛ばす力を持っているということ。

 福家も長距離砲なのに、この東條はその更に上。天性の飛ばし屋なのだ。

 甘く入ったら行かれるが、かと言ってこの打線相手にランナーを貯める選択肢は無い。

 とりあえず一発は避ける。東條で切りたいけど、下手に三振でも取りに行ってホームランでも打たれたら最悪だ。

 外角低めに構える。

 球種はストレート。力のある東條と言っても、このコースを柵越えするのは相当難しいはず。

 ゆたかが投げ込んだコースは、俺が構えたのとほぼ同じコースだった。

 そのコースを、東條は振ってくる。

 

 次の瞬間、打球がコーンとバックスクリーンで跳ねた。

 

 あまりの打球の速度に、観衆すら反応出来ない。

 一瞬遅れて、爆発的な歓声が球場にこだました。

 外角低めのストレートをバックスクリーンに持っていかれた……!

 ゆたかが呆然としている。あんな凄いホームラン、打たれたことも見たことも無いだろう。

 東條がクールな表情のままホームベースを踏んで戻ってきた。

 

『一瞬一閃! ソロホームラン! 反撃の狼煙ー!』

 

 俺は素早く立ち上がり、ゆたかの元へと走る。

 

「ゆたか、気にすんな、まだ四点差だぜ?」

「は、はい」

 

 ダメか、動揺してるな。

 こういう時は何とか戦う気持ちを奮い立たせないと。

 

「あおいは、こういう時、後続の打者をピシっと抑えてたっけな」

「っ!」

「お前は抑えれるか?」

「勿論です!」

 

 あおいの名を出した途端、揺れていた瞳の焦点が定まる。

 OK。その闘志全開の目が出来るなら、まだ行けるな。

 バッターは六番の大倉さん。

 五対一。点差はあるけど、一発の後、ここでつながれたら

 腰降ろし、サインを出してぐっとミットを出す。

 初球はストレート。インローに思いっきり投げてこい。

 大きく息を吐き、ゆたかがぐっと頭の上にボールを構えた。

 そして、足を上げて、一度腕を降ろし、そこから一気にボールをリリースする!

 釣られるように大倉さんが腰が引けた状態で空振った。

 見せ球を使っていない初球。あまりの出処の見づらさからインコースに突然速球が飛んできた為に、思わず腰を引いてしまったんだ。

 スパァンッ!! と速球がミットを打つ。

 この球、速かったな。

 ちら、とバックスクリーンに目をやる。

 球速表示一三八キロ。自分の最速、一三五キロを、この場面で更新したのか。

 すげぇ、な。僅か数ヶ月でここまで成長するなんて。

 

「ナイスボール」

 

 言いながらゆたかにボールを返すと、ゆたかは帽子をかぶり直しながら、ボールを受け取った。

 アレだけ腰が砕けてたら外のストレートには反応出来ない。外角低めへストレートだ。

 こくん、と頷いて、ゆたかが腕を振るう。

 ビシィッ! と構えた所にズバッとストレートが決まる。

 

「ストライク!」

 

 ストライク二球で追い込んだ。

 高めに釣り球を使った後、外角低めのスライダーで勝ちだ。

 内角高めにストレートを投げた後。

 外角から球速に落ちるスライダーで、大倉さんが空振り三振に倒れる。

 

『空振り三振! これで三振五つ目!』

 

 続くバッター七番は俺達のチームメイトだった明石だが、明石はスライダー二つで追い込んで、最後は高めのストレートを空振らせ、空振り三振。

 これで二回が終わった。

 

『稲村、この回一本本塁打を打たれましたが、その後をスパっと抑えました! これ五対一。未だカイザースリードです!』

『いや、今日の稲村選手凄いですよ! ここまで三振六つ、取ったアウトは全部三振です!』

 

 いやー凄ぇ球投げてるなゆたか。

 

「先輩っ」

 

 ベンチに帰る俺に、ゆたかが慌てた様子でしゃべりかける。

 ? どうしたんだ、慌てて。

 

「オレのピッチング、どうでしたか? あおいさんと比べて……」

「最高だったぜ。次の回も頼む」

 

 ぽんぽん、と頭を叩いてやると、ゆたかは頬を緩ませて「しゃっ」とガッツポーズした。

 そこまであおいのことライバル視してるのか。同じ女性同士思うことがあるのかもな。

 兎にも角にも、今日のゆたかの調子ならこの後大崩れすることはないだろう。

 得点の後の失点だっただけに流れが嫌な方向に行きかけたけど、それを力で防いだ。これなら、ゆたかが飛ばして投げても六回まで投げてくれれば後はリリーフ陣が何とかしてくれるはず。

 パワフルズに流れを変える術は、投手を変えて何とかするくらいしか無いはずだ。

 でも油断はしない。全力でパワフルズを叩くぞ!

 

 

                 ☆

 

 

 ドゴォッ! とパワフルズブルペン内に轟音が響く。

 左腕を振るい、オレは出番を待つ。

 試合は敗戦濃厚だ。

 森山くんが六回で降板した直後に、左腕の鈴木さんがカイザースクリーンアップから続く打線に捕まり二失点、打線も東條くんのホームランのみで七対一だ。

 先発、女性投手の稲村に抑えこまれて七回一五奪三振。プロ野球記録が一九奪三振だから、ペースだけ言えばそのプロ野球記録の上を行くピッチングだ。

 付け込む隙がない。仮に稲村さんがこの回で降りたとしても、後は八回をベテラン右腕で去年六〇試合、今年も不動のセットアッパーとして防御率一点台後半と絶好調の佐伯さんと、クローザーの一ノ瀬くんが控えている。

 そういう展開でパワフルズベンチは、一軍に初めて上がった選手をテストする絶好のチャンスだと判断したのか、オレをブルペンに入れさせた。

 六回終わり位からブルペンに入るように言われて準備しているけど、出番はまだ来ない。

 ブルペンのモニターから歓声が聞こえる。

 どうやら、八回裏が終わったみたいだ。悔しそうな表情で七井くんが打席からベンチに戻り、稲村がぐっとガッツポーズしている。

 

「奪三振一八個って……マジかよ」

「一八個……凄いですね」

 

 確かカイザースのチーム記録が猪狩くんの一八個だったから、それに並んだのか。

 凄いな。オレも負けてられないぞ。

 でも、今日投げる機会といったら次の九回くらいしかない。出番、回ってくるかな。

 思った瞬間、ブルペンの電話がけたたましく鳴り響く。

 

「はい、行かせます! 水海! リリーフカーに乗れ! 出番だ!」

「! は、はい!」

 

 ほ、本当に来た……!

 リリーフカーに乗り込む。

 ゆっくりと車が走りだし、目の前の扉が開いた。

 ――瞬間、大歓声がオレを包み込む。

 ドクン、と心臓が高鳴った。

 ブルペンの前で止まったリリーフカーから降りる。

 

『ピッチャー、鈴木に変わりまして、ピッチャー、水海』

「楽な場面だな。本当なら勝ち試合で投げさせてやりたかったけど……すまん」

「投げれるだけで、嬉しいです」

「……そうか。今日は全力で、結果を気にせず腕を振って投げろよ。せっかくの一軍初マウンドだからな」

「はい」

「よし、投球練習だ」

 

 大倉さんの言葉に頷いて、ボールを受け取る。

 皆がそれぞれのポジションに戻っていく。

 コーチの視線を感じながら、深呼吸をして腕を振りぬくことを意識し、ボールを投じる。

 ッパァンッ! とミットがボールに打たれる音。

 良い緊張感だ。フツフツと闘争心が沸き上がってくのを感じる。

 五球近く投げた所で、コーチが「頑張れよ」と肩を叩き、ベンチへと戻っていく。

 

『バッター三番、友沢……』

 

 打席に立つのは、バッター四番の友沢亮。

 荒れたマウンドを足で均し、バッターに目をやる。

 ――その後ろ。

 マウンドの後ろで揺れる、オレンジ色の髪の毛。

 オレよりも緊張した表情で、いつもオレを見つめていてくれた海ちゃんが、今もオレをじぃっと見つめている。

 顔がこわばってるよ。海ちゃん。そんなに緊張しないで。

 今すぐ、抑えるところ、見せるから。

 大倉さんのサインに頷く。

 ストレート、どまんなかに。

 オレにサインなんて関係無い。どうせ狙った所になんか行かない。

 だったら、全力全開。一球にその時出せるエネルギーを使って、

 

 投げるだけだ!!

 

 ゴウッ! と腕が風を切る。

 投じられたボールは、十八・四四メートルの距離を数秒で渡り、友沢くんのバットを掻い潜ってミットに突き刺さった。

 投げ終わった後のフォロースルーを高く取り、足を上げる。

 帽子が飛んでマウンドの後ろに落ちた。

 ――身体が軽い。

 ざわっ! と観客席がざわめく。

 後ろにちらりと目をやると、バックスクリーンに球速が表示されていた。

 一五八キロ。

 よし、絶好調!

 

『な、なんと、初球は一五八キロー!!』

『速い、ですね……、ど真ん中ですが、友沢選手が空振りましたよ』

 

 パァンッ! と帰ってきたボールをミットで受け止め、再び大倉さんからサインを受け取る。

 スライダー、はい、れっ!

 スライダーが内角の低めに投じられるが、ワンバウンドするほどのボールになってしまう。

 あちゃ、入らなかったか。

 次はストレート。よし、今度、こそっ!

 高めにボールが抜ける。

 1-2。ボール先行になっちゃったな。まずいかも。

 大倉さんが腕を振って投げろ、とジェスチャーを取る。

 うん、カウント気にして全力投球しないだなんて勿体無いことはしないでおこう。

 どうせ初の一軍だ。オレの速球が通用するか――試してやるっ!

 ギュルルルルッ! ズッバーン!

 

「ストライクツー!」

『低めの球、友沢バットを出しません!』

『あのコースは打てません。今のも球速が一五七キロですよ』

 

 低めにストレートが決まった。よし、2-2!

 もう一球ストレート。今度は外目を狙って……!

 スパァンッ! と低めに投げられたボールを大倉さんがしっかりと捕球した。

 凄いな、二軍だったらワイルドピッチしてたかもしれない球だった。やっぱり大倉さんは凄い。

 でも、今のは外れてボール。2-3になっちゃった。

 次の要求はスライダー。

 真ん中に大倉さんが構える。

 頷いて、くるりとミットの中で握りを変えた。

 フォアボールは出さない――抑えて、見せる!

 ヒュバッ! と腕を振るって投げたスライダーは、真ん中へ投じられる。

 そこから、スライドする!

 ビュンッ……!

 投手に恐怖を刻み込む風切り音が、ここまで聞こえた。

 それでもボールは前には飛ばない。しっかりと捕球した大倉さんがファーストへ向けてボールを投げた。

 

「スイング! バッターアウト!」

『空振り三振! スライダー一四六キロー!!』

『スライダーの球速じゃないですよ……! とんでもなく速いです!』

 

 よーし! 空振り取ったぞ!

 続くバッターの四番はドリトン。

 オレの球威がパワーヒッターに通用するか、試してやる!

 ストレートを思いっきり投げ込む。

 どまんなか初球、ストレート。

 ドリトンがまってましたとばかりにフルスイングしてきた。

 そして、ベギンッ! とバットがへし折れると共にボールがふわりとオレの前に上がって落ちてくる。

 それを捕球して、ツーアウト。

 

『初球バットへし折った!』

『ドリトンがパワー負けしてますね……』

 

 っふぅ。

 次のバッターの春くんをストレートでねじ伏せる。

 力のないファーストフライに打ちとって、三者凡退!

 海ちゃんに目をやる。

 海ちゃんは俺と目が合うなり、嬉しそうに笑ってくれた。

 ――良かった。その笑顔が見たかったんだ。

 

「ナイスピッチ水海!」

 

 続いて、大倉さんが俺の頭をばしっと叩いてきた。

 痛いけど嬉しい。オレ、抑えれたんだ!

 

「ナイスピッチー!」

「……ナイスピッチだ」

「良い投球だったナ!」

 

 続いて内野陣に手荒い祝福を受ける。

 もう終わっちゃったのか……。短かったな。

 次は、勝ち試合で投げてみたい。

 ベンチに戻ってマウンドに振り返る。

 オレは、あそこで勝利の雄叫びをあげてみせるから。

 それまで、待っててね、空。

 きっと貰える、最初のウイニングボールは――キミに捧げるから。

 

 

 

              ☆

 

 

 試合が終わりを迎える。

 マウンドに立つのはゆたか。

 腕を振って投げたボールを、最後のバッター、大倉さんがキンッ! と高々と打ち上げた。

 そのボールは俺の後方へふわりと翔ぶ。

 そのボールをしっかりと捕球して、審判が腕を上げた。

 

『ゲームセット! 七対一! 稲村、東條の一撃で完封こそのがしましたが完投勝利! カイザース、三連戦の初戦を白星で飾りました!』

 

 一度ベンチに戻る。

 今日のヒーローインタビューはゆたかと近平だろう。俺はロッカールームで二人がインタビューを受けるシーンでも見ていることにするか。

 ロッカールームに戻り、着替える。

 

『さあ本日のインタビューは二人、稲村選手と近平選手です!』

 

 ワァーッ! という観客の歓声を受けて二人が手を挙げる。

 

『まずは投のヒーロー、稲村選手』

「あ、ありがとうございます!」

『今日は凄いピッチングでしたね!』

「なんか凄く調子が良かったです」

『東條選手に一発を浴びてしまいましたが、見事に立て直しました!』

「先輩……あ、葉波さんが奮い立たせてくれたからです!」

『なるほど。そして――皆さん! なんと稲村選手は今日! チームの猪狩選手の持つ一試合最多奪三振記録のタイを記録しました!』

 

 インタビュアーが高々と宣言すると、ゆたかの顔色が目に見えて変わった。

 びくん、と体を震わせて、何かを確認するかのようにキョロキョロと辺りを見回している。

 ゆたかのやつ、気づいてなかったのか……。

 隣で帰る準備をしていた猪狩の目がキラリと光り、俺を見つめた。……へいへい、次は奪三振中心のリードすれば良いのね。ったく、うちのエース様は何でもかんでも単独一番じゃないと気が済まないみたいだぜ。

 モニターに視線を移す。

 完全にテンパったゆたかはおろおろとしながら、周りからの盛大な拍手に顔を真赤にしてしまった。

 ありゃー、こりゃもう完全に頭が真っ白になってるな。

 

『稲村さん! ズバリ奪三振を取れた要因はなんだったんですか!?』

「あ、う、せ、先輩のっ、リードが凄く良かったからですっ」

 

 声を裏返しながらゆたかは俺を立ててくれる。

 いい後輩を持ったもんだぜ。ホント。

 しかしテンパってるせいで普段の呼び方が出ちまってるな。皆クスクス微笑ましげに笑ってるぞ。隣に居る近平でさえ苦笑するくらいだ。

 インタビュアーはマイクを自分の手元に戻し、更に質問を続ける。

 

『それでは、その"先輩"で好リードをした葉波選手に一言お願いします!』

 

 それは、インタビュアーとして当然の質問だった。

 レリーグタイ記録に、突如現れた若手が名を連ねたとあれば、誰だってその要因を作った人物に対する本人の評価を聞きたいと思うのは当然。俺がインタビュアーでもそういう質問をしただろう。

 だが、今のゆたかにその質問をするのは、結果的には最悪の出来事で、

 何故か俺は背中に嫌なものを感じて、思わず動きを止めていた。

 誰しもにされるであろう当然の質問を受けて、完全に思考回路を失っているゆたかは、差し出されたマイクに向けて、俺に一番伝えたいことを口にする。

 そして、

 

「せ、せせ、先輩っ! オレがこんな凄いこと出来たのは先輩のおかげですっ! お、オレ、先輩に会ってからずっと先輩に支えられてきましたっ! だ、だから、だから……!」

 

 それは、

 

「オレ、先輩のこと大好きですっ! オレと付き合ってくださーい!」

 

 たぶん、色々と大変なことを巻き起こす、決定的な一言で。

 しぃん、と会場も、ロッカールームも音を失う。

 ……あ、これ、やばいやつじゃね?

 次の瞬間、試合中にも負けないほどの大歓声が球場に木霊する。

 ロッカールームには案の定である、といったような諦めにも似たような空気が漂った。

 あまりの歓声にインタビュアーの質問が聞こえない。

 俺は呆然と、モニターに映る凄いことを言ってしまったと自覚して顔をゆでダコのように真っ赤にして俯くゆたかと、完全に空気と化した近平を見つめることしか出来ない。

 誰かチームメイトにバシバシと頭を殴られつつ、怨嗟のこもったボールを尻にボコボコと受けながら、先のことを想像して冷や汗をかく。

 えーと、この先、どうなるんだろうな?

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。