実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー 作:向日 葵
矢部明雄は、オールスター休みを利用してバルカンズの二軍を訪れていた。
本来ならば出場出来ていたであろうオールスターも、六月に入ってからの突然の不調で落選。
一年目からの連続出場も四年で途絶え、新進気鋭の小山雅の後塵を拝するという不甲斐ない結果に終わってしまった。
高校で葉波に出会ってから――矢部は初めてと言っていい、スランプに陥ってしまったのだ。
(……はぁ、オイラ、どうすればこの不調から脱することが出来るでやんすかね)
今日何度目か分からないため息を吐く。
五月下旬に突如訪れた不調。
バットがボールに当たっても打球が前に飛ばず、当たっても内野フライばかり。
自分では強く振っているつもりなのに打球の勢いは弱く内野の間を抜けない。
俊足巧打のタイプである矢部がヒットを打てないというのはかなり致命的で、四年間で十二個という数字であった併殺打も今年は既に七併殺。完全に泥沼にハマってしまっている。
六月には二八打席連続無安打を喫し、スタメン落ち――二軍落ちもちらつく状態で、オールスターは目前で小山雅に掠め取られてしまった。
「……新垣は、どこでやんすかね」
キョロキョロと二軍球場の中を見渡し、矢部は二軍を訪れた目的である彼女を探す。
見当たらない。
(室内練習場に居るでやんすか?)
踵を返し、矢部はゆっくりと室内練習場へ向かう。
人工芝が張られ、ネットで仕切られた室内練習場に、彼女は居た。
「新垣!」
「……! 矢部? あんたどうしたのよ? ……まさか、二軍落ち……!?」
「いや、違うでやんす。ちょっと……そう、新垣が元気かどうか気になったでやんすよ」
「あ、そうなの。……元気無いみたいね。あんたがあそこまで打てないの、初めて見たわよ」
「そうでやんすね……」
いつもなら反発する所なのにそうする気も起きないことに矢部は自分で驚く。
新垣はそんな矢部をジロジロと見て、息を吐く。
「……キャッチボール、久々にするわよ」
「む。でも、オイラグローブ持ってきてないでやんす」
「貸してあげるわよ。ほら」
ぐいっとグローブを押し付け、新垣は矢部の手を引っ張りグラウンドへと出る。
日差しが降り注ぎ、グラウンドが輝いている光景。
何度見ても眩しい。デイゲームでもナイトゲームでも、周りが暗いかどうかと、球場の作りが違う以外にこの光景に変わりはない。
デイゲームならば太陽の光で、ナイトゲームならば人工の光で、グラウンドは光り輝いているのだから。
矢部はグラウンドの外野へと向かう。
十数歩歩いた所で、新垣がファウルラインの手前で立ち止まってるのを見て、矢部は訝しんだ。
「? 新垣? どうしたでやんすか?」
「ここでいい。ほら、始めるわよ」
「うわわ、いきなり投げるなでやんす!」
ビュッ、と新垣がボールを投げる。
バシッ! とそれを慌てて受け止め、矢部は新垣に向き直った。
「驚いたでやんすよ! 何するでやんすか!」
「ぼーるばっくぅー」
「むっかぁ、でやんすー!」
腕を振るい、新垣へとボールを投げ返す。
パァンッ! と良い音を立てて、新垣はそのボールを受け止めた。
「ナイスボール、やれば出来るじゃない」
「当然でやんすー!」
「言ったわね!」
言いながら新垣はボールを矢部へと送る。
高校時代に数えきれないほど往復したキャッチボールの応酬を、更に回数を重ねて。
やがてその距離は伸びて、遠投に相応しい距離になった所で、矢部は思いっきりバックホームするかのように強いボールを投げる。
スパァンッ! と音を立てて、新垣のミットにボールは吸い込まれた。
「ふっふっふ、どうでやんすかー!」
「……ごい」
「……ん? 聞こえないでやんすよ」
新垣が何か聞こえたのを聞いて、矢部は新垣の元へと向かう。
ラインまで走り、新垣との数メートルの距離を詰めた所で――矢部は、思わず足を止めた。
「凄いよ。矢部」
「……あら、かき?」
「やっぱり、あんたは……ううん、キミは、私の憧れなの」
新垣は、泣いていた。
瞳から大粒の涙を零し、グラウンドを濡らしながら。
「憧れ、って、どういう意味でやんすか」
「……私ね。足が速くなりたかった。肩はそんなに強くなくていい。足で相手をかき乱し、いやらしいバッティングで出塁して、投手をイライラさせて、盗塁した後に二番打者に送ってもらって、三番の犠牲フライで返ってくる。そんな選手に憧れてた。でも、私は、足が遅くて、バットコントロールを磨くしかなくて……無理なのかなって、諦めた時にね、キミが、私の前に現れたのよ」
「っ――!」
あの時。
高校生の時のこと。
「最初はサイッテーなやつだと思ってた。人の着替えの上に変な人形落として眼の色変えてそれを拾いに行くから、私の着替えに何してんのよってね。……でも、一緒にショートとセカンドでチームを組んで、コンビプレーの練習してるうちに、分かったのよ。……ああ、私の憧れた選手は、キミだったんだって」
それは、新垣にとって人生の最大の出会いだったのだ。
自分の憧れを顕現するような選手との、運命の。
「新垣……もう……」
「憧れの選手に輝いて欲しくて、私は二番打者として、一生懸命だったわ。バントして、時には粘って、キミの盗塁をアシストして」
「止めてくれ、でやんす……」
「それで、甲子園出場っていう夢が叶って」
「止めろ、でやんす……」
「ドラフトで、プロ入りまで出来たのよ? 理想の形だけじゃなく、私の夢まで叶えてくれて――凄く嬉しかった」
「もう止めろでやんすっ!!」
「だから、私は」
「その続きは聞きたくないでやんすっ!」
矢部の怒号のような叫びがグラウンドにこだまする。
選手たちが動きを止めて、新垣と矢部に目を向けた。
矢部の言葉に新垣は首をゆっくりと横に振る。
「――もう、止まっても、良いわよね」
「良い訳……良い訳無いでやんす! 何諦めてるんでやんすか! 高卒四年で一軍に上がれない選手なんてザラでやんすよ! ぱ、パワプロくんに聞かれたら笑われるでやんすよ! 何諦めてんだって。オイラ達のチームを支えた二番打者が何言ってるんだってっ!」
「……あいつは、ここには居ないじゃない」
「じゃあ代わりにオイラがパワプロくんになって言うでやんす! 諦めるなでやんすっ!
オイラ、オイラ一軍でずっと待ってるでやんすから……!」
「――ダメ」
ラインを踏み越えて新垣に近寄ろうとする矢部を、新垣は止めた。
言われて、思わず矢部は動きを止める。
「キミは、待ってなんかいちゃ、ダメ」
「な、なんで、なんででやんすか……!?」
「私が居るのは、グラウンドの外なの。……キミと一緒の所には、立てない」
「どういう――」
「キミが立つ、光り輝くグラウンドの中に、私は入れないから」
そこまで言われて、矢部はやっと気づいた。
新垣が右肘を抑えていることを。
「――そんな……」
「怪我自体は全治二ヶ月。でも……育成契約の私にとっては致命傷。この怪我が治る頃には九月。二軍戦の残りが少ない無い時期。……ごめんね」
「嘘、でやんす。だって、新垣はずっと、ずっと頑張って……! そんな新垣を、野球の神様が裏切るなんてこと……あるわけが……!」
「うん。野球の神様は、私のことを裏切ってなんかいないわ」
ラインギリギリのところまで新垣が歩いて、矢部の正面に立つ。
整った顔立ち。大きな黒色の目に長い黒髪、特徴的なつり上がった目から溢れる涙は、宝石のようだ。
「だって、誰よりも憧れて――誰よりも素敵な選手を、一番近くで見せてくれたんだから」
涙を拭い、新垣が笑う。
「オイラ、は」
「見てるから」
「え……?」
「ずっと見てる。もう、キミの一番近くには居れないけれど、それでも、誰よりも貴方を見てるから」
「……っ」
「だから――待ってなんか居ちゃダメ。キミは……ううん、あんたはあの広いセンターフィールドで、誰よりも輝いてなきゃいけないんだからね。分かってんの?」
いつもの口調に戻って、新垣は笑う。
――いつまでも一緒に野球を出来ると思っていた。
あの頃から。
高校で同じチームで戦っていた時から、ずっと。
「じゃ、さっさと一軍に戻りなさいよね。あんたが居るのはファームなんかじゃないでしょ。……光り輝く、このラインの向こう側。グラウンドなんだから」
「……分かった、でやんす」
矢部は踵を返し、新垣に背を向け、離れるように歩き出す。
これで、いいのだろう。
ドラフト会議で一年に何人もの選手が入って来て、その分の選手が去っていく。
今グラウンドに立っている選手たちは、光と陰のラインを超えた向こう側――光の中に立っているのだ。
ドラフト下位で大成功するなんてこと、滅多にない。
新垣はそんな"ありきたり"な選手の一人なのだろう。
この間引退を表明した東条だって、プロ野球の長い歴史から見ればありきたりな怪我で潰れた人の一人に過ぎないのかもしれない。
けれど――。
「けれど、忘れないでやんす。オイラは――オイラは、ずっとオイラの一番近くで、いつだって一緒に戦ってきた誰よりも大切な仲間が居たことを、絶対に」
「……あり、がとう。矢部……」
「すぐに調子を取り戻すでやんす。そしてきっと、タイトルトロフィーを新垣に見せてやるでやんすよ」
「楽しみに、しておくわ」
去っていく新垣を呼び止めることなんて、矢部には出来ない。
呼び止めても仕方のないことで、一軍に居る自分が育成の新垣を励ましてもそれはただの同情でしかない。
だから、示そうと矢部は思う。
「でも、オイラは思うでやんすよ。夢破れて去っていた選手達の想いは、きっとオイラ達の知らない所で、誰かに受け継がれていったのでやんす。それと同じように新垣の夢はオイラが受け継ぐでやんす。だから――見ていて欲しいでやんすよ」
――新垣の夢をオイラが叶える、その瞬間を。
矢部が新垣が引退すると聞いたのは、翌日のことだった。