実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー   作:向日 葵

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第四五話  七月一七日 "オールスター第一戦"

 ――日本プロ野球機構には、各球団の首脳陣とコミッショナーが一堂に会する"懇談会"が行われる日時がある。

 それがオールスターを控えた今日だった。

 出席者は日本プロ野球機構のコミッショナー、各球団社長、そして、プロ野球に関してほぼ全て資金を出している、倉橋コーポレーションのプロ野球宣伝部部長、倉橋彩乃の八人だった。

 

(……相変わらず緊迫感がありますわね)

 

 この席に座るのが四年目の彩乃も、未だになれない独特の緊張感。

 各球団の代表は相手を敵とも思っていないが、味方とも思っていない。議題が上げられ、それについて議論するだけであるが、その議題への賛成派と反対派が存在している為、互いに牽制しあっているからだ。

 例えば、指名打者制度の導入。今現在は指名打者制度はレ・リーグでは導入されていないが、キャットハンズ、やんきーズ、バスターズは導入すべきと言っているのに対し、カイザース、パワフルズ、バルカンズは導入すべきではないとして、真っ二つに意見が割れている。

 この会談がある度に議題に上がることなので仕方のないことだが、それに話題が及ぶ度に彩乃の胃がキリキリ痛む程に空気が張り詰めるのだ。

 なんせここに座っているのは、彩乃を除けば酸いも甘いも噛み分けてきたやり手ばかり。まだまだ『大人の世界』に入ってきたばかりの彩乃では聞いているのが精一杯で、議論に口を挟める状況ではないのに、スポンサーということもあって向こうから話を振られることも度々でその度に彩乃は心臓が止まる思いをしているのだ。

 

(早く帰ってパワプロ様の新聞の切り抜きでもしたいですわ)

 

 ぼーっとそんなことを考えていると、それでは、とコミッショナーが立ち上がる。

 

「今回の議題を始めます」

 

 ああ、また指名打者制度のことか、と彩乃が内心溜息を吐いた所で、

 

「今回の議題は、来年の春に行われる、『ワールドベースボールチャンピオンシップ』……WBCについて、です」

 

 いつもと違う議題が飛んできて、彩乃は僅かに目を見開いた。

 確かに彩乃の倉橋コーポレーションにも、WBCについての情報は入ってきていた。

 もしも開催の流れになれば出資をお願いしたい、と。

 実際に行われることになってから、とその時は断ったが、まさか、本当に開催する流れになっていたなんて。

 

「我々は日本代表として、野球先進国として、一丸となって優勝を目指します。それについては、各球団とも、同意してくださっていると思います」

 

 コミッショナーの言葉に各球団の代表が力強く頷く。

 

「選手の派遣について、なのですが」

「体調面を除いて、拒否権はないとすべきだ。優勝チームの選手が多く選出されれば早い仕上がりを余儀なくされるだろう。だから拒否する、という選手も多くないだろうからな」

 

 カイザースの球団社長が間髪入れずにいうと、キャットハンズの球団社長もコクリとそれに頷いた。

 上位を狙う位置に居るカイザースの社長と、優勝街道をひた走るキャットハンズの球団社長がこれに同意すれば、他の球団には拒否権が無いも同然だった。

 

「開催を行うことには間違いありません。彩乃さん。出資の件については」

「は、はいっ。失礼しました。こほん。……私達の会社は、日本の中で最も野球を愛している、と自負しておりますわ。そのような会社が、このような全世界規模のイベントを目の前にして、及び腰になる理由はありません」

「では?」

「はい。前向きに検討させていただきますわ。まだ確実に出資する、とはこの場では言えませんが」

「結構」

 

 嬉しそうにコミッショナーが言うと、球団社長の面々も彩乃の言葉に安堵の溜息を吐く。

 会議室の張り詰めた空気が、彩乃の一言で弛緩した。

 

「……ああ、そういえば、今日はオールスターでしたね」

「おおっ、そうだったそうだった。是非とも見なければ」

「良ければご一緒にどうですか?」

「おお、いいですな」

「申し訳ありませんわ。私、花束贈呈などの業務がありまして……」

「ああ、そうだったね。またこんど食事でもお願いするよ。彩乃くん」

「おいこらずるいぞ! 彩乃くんを独り占めにしようだなどと! 皆で順番にという話だったではないか!」

「ええいうるさい黙れ!」

「……あ、あはは。し、失礼致しますわね」

 

 孫を取り合うおじいちゃんと化した球団代表達を置いて、彩乃は会議室を後にする。

 オールスター。

 恋恋高校時代の同級生が数多く出場するその試合を、彩乃は直接見たいと、車に飛び乗って、球場へと飛ばすのだった。

 

 

               ☆

 

 

「パワプロくん」

「どうした? あおい」

 

 大勢が詰めかけた猪狩ドーム。

 ホームラン競争が行われている脇で俺がストレッチしていると、あおいが隣に座った。

 相手側のベンチではゆたかが先輩方に話しかけられて顔を真っ赤にしている。何の話してんだろうな。

 

「今日ね、お願いがあるんだ」

「お願い?」

「……先発オーダー、聞いた?」

「いや、まだだけど」

「……先発は、ボクなんだ。キャッチャーはパワプロくん」

 

 ……来るとは思ってたけど、やっぱりそうなるのか。

 俺の顔をじっと見つめながら、あおいはぎゅっと胸の前で手を握りしめた。

「ボク、今日――九者連続三振を、狙いたいんだ」

「――!」

 

 あおいの言葉に驚愕する。

 オールスターでの先発は、主に三回を投げることが多い。

 お祭りなだけあって様々な選手を起用するためなのだが――あおいは、その三回で対戦する打者全てを、三振で打ち取りたい、と言っているのだ。

 普段のチームを相手するのとはわけが違う。なんせオールスター、それも相手はファン投票で選ばれたAチーム。

 進や友沢を始めとした、なみいる強打者好打者達を全て三振に打ち取るという難易度は、シーズン中の比ではないだろう。

 それでも。

 

「……分かった」

「ありがとう、パワプロくん」

 

 あおいの目は、本気だった。

 頷いて、あおいからグラウンドへと目をやる。

 グラウンドでは、ホームラン競争に勝利した東條が賞金を受け取っていた。

 そして、いよいよスタメンが発表される。

 俺はあおいと共にブルペンへと下がり、ウォーミングアップを始めた。

 先攻はAチーム。俺達Pチームは後攻だ。

 

『ではAチームのスターティングメンバーを発表致します!』

 

 男性の声が球場内に響き渡る。

 Aチームのスタメンはこうだ。

 一番、センター八嶋。

 二番、セカンド蛇島。

 三番、ショート友沢。

 四番、サード東條。

 五番、レフト七井。

 六番、ファースト福家。

 七番、キャッチャー猪狩進。

 八番、ライト猛田。

 九番、ピッチャー猪狩守。

 普段なら九番の位置には投手が入るが、一巡目はそうはいかない。

 相手は打棒でも好打者といって良い猪狩。――一筋縄ではいかない。

 ちなみに俺達Pチームのスタメンは以下のとおり。

 一番、セカンド林。

 二番、ショート小山。

 三番、キャッチャー葉波。

 四番、ファーストドリトン。

 五番、サード春。

 六番、ライト近平。

 七番、センター明石。

 八番、レフト下鶴。

 九番、ピッチャーあおい。

 流石にAチームと比べると見劣りするが、実際のチームなら十分優勝を狙える強力なメンツといって良い。

 パシィンッ! とブルペン内に鋭い音が響いて、俺のミットにあおいのボールが突き刺さる。

 凄いボールだ。ブルペンから受けてみてエンジンをかけていく過程を知るとその凄さが分かる。

 ……でも、これだけじゃ弱い。

 確かにエースクラスの投手のボールだが、あおいのタイプは打ち取るタイプ。三振を取ろうとなると、ストレート、マリンボール、カーブ、シンカーの四つだけじゃ難しい。

 シーズン中の三振がそこそこ有るのは、コントロールされたボールを見逃して三振してしまうというパターンが多いからで、このオールスターでせっかくだから振っていこうとバッターが考え、見逃しが激減することを考えても九者連続三振を狙うには心もとない。

 

「……あおい、あのさ」

「もう一球」

「……え?」

「お願いします」

 

 あおいが俺に告げて、ボールを手の中で動かす。

 ……! その握り……!

 

「いいのか?」

「うん。実はシーズン中、何度も使ってたんだよ」

「なるほどな」

 

 そのボールで空振りを取ってたのか。気付かなかった。

 何度もビデオで検証してたつもりだったけど、アンダースローという独特の軌道のせいで気付けなかったんだろう。直接近くで握りを見せられるまでは気付けない。

 多分、知っているのは進くらいか。あんにゃろ、黙ってやがったな。

 

「来い!」

 

 パンッ、とミットを叩いて構えると、あおいはこくんと頷いた。

 高校時代、俺と一緒に考え、改良した時から何一つ変わっていない、美しいフォーム。

 そこから放たれるあおいのボールを、バシンと受け止めた。

 あおいは今まで秘密にしていた自分のボールの秘密を、俺に明かした。

 普通ならばやってはいけないことだ。他チームの選手に自分の情報を教えるだなんて。

 それでもあおいは、俺に教えたんだ。

 全ては、九者連続三振の為に。

 

「……全力を尽くす」

「え?」

「九者連続三振。……任せろ」

「! うんっ」

 

 にこ、と太陽のような笑みを浮かべるあおいに頷いた所で、いよいよ試合の開始を告げるBGMが流れだす。

 

「出番だ早川! 葉波!」

「はいっ!」

「はい!」

「行って来い!」

 

 コーチに送り出され、俺とあおいはグラウンドへと飛び出した。

 ワァアッ! と大歓声がこだまする。

 

『さあ、ついに戻ってまいりました! プロ野球ファンの中でもご存じの方が多いでしょう! 猪狩世代を盛り上げた恋恋高校のバッテリーが、ここに復活です!』

 

 ぐい、とマスクを被り、キャッチャーズサークル内に座り込む。

 この光景は見慣れてきたが、この光景から見えるマウンドにあおいを見るのは、初めてだ。

 何球かストレートを捕球し、いよいよ試合が始まる。

 

『バッター一番――八嶋』

 

 コールされ、八嶋がバッターボックスに立つ。

 俊足巧打。いきなりの難関だ。

 どう組み立てるか決めあぐねていたけど――早速行かせてもらうか。

 パパっとサインを出す。

 あおいは、そのサインを見て、間髪入れずにセットポジションに入った。

 あおいのやつ、俺が早速要求するだろうって思ってやがったな。以心伝心というか、バレてるか。

 セットからモーションに入り、あおいのその球が、放たれる。

 

「くっ」

「ストラック!」

 

 初球はフルスイングで行こうと決めていたのだろう。あおいから放たれたボールを、らしくない大振りで八嶋は空振った。

 がくん、と八嶋の身体のバランスが崩れる。

 それをあざ笑うかのように、ボールはインハイに構えた俺のミットへと収まった。

 このボール――ツーシーム。

 あおいのボールは元から浮かび上がるボールだ。

 かつて俺が"第三の球種"と名づけた、インハイへのストレートのような、ホップするように感じるアンダースロー独特の軌道を持っている。

 だが、このツーシームはその軌道よりもボール一個分か二個分、浮かび上がらない。

 通常ツーシームは利き手側に鋭く変化したり、ボール一個分程沈むというムービング系のボールなのだが、あおいの場合はストレートと殆ど同じ軌道のまま、ボールが浮かび上がらない。

 打者はボールの軌道を常時確認している場合ではない。投げられた際の角度やボールの速さによって球種を判断している。

 だが、あおいのツーシームはストレートと全く同じ角度で、またボールの速さもストレートと全く同じだ。

 それはビデオで確認しても全く分からなかった。おそらくスロー再生で実際の回転数を確かめてみなければ分からない、ただ普段よりもボール一個分浮き上がらないだけの変化していると言って良いのかも分からないボール。

 しかしプロレベルになるとそれが大きな違いを生む。対戦した打者は既にあおいのボールの軌道を覚えていて、伸びてくるものだと思ってストレートに対応しスイングするだろう。

 だが、実際はボール一個分ホップして来ない。すると、ボール一つ分上を振ってしまうことになる。

 その結果、空振りするという訳だ。

 続けて、ストレートを要求する。

 あおいは頷き、それを俺の構え通りの場所、外角低めに投げ込んだ。

 ブンッ、と八嶋のボールが空を切る。

 武器は何ら変わらない。コントロールが自分の武器だと、理解しているのだ。

 ぞく、と背中を得たいのしれない感覚が這い上がる。

 こんな投手をリードする。キャッチャー冥利に、尽きるってもんだ。

 インハイにストレートを要求する。

 あおいは頷いて、俺のミット通りのところにボールを投げ込んだ。

 八嶋のバットが三度空を切る。

 

「スイングアウッ!」

『三振!』

『流石早川選手ですね、素晴らしいコントロールです』

 

 三球三振。最高の滑り出しだ。

 

『バッター二番、蛇島』

 

 思い出す。帝王の時の蛇島とは、このバッテリーで戦ったんだ。

 蛇島がじっとあおいを睨む。

 まずは、マリンボール。インローに決める。

 ぐんっ、と落ちるボールを蛇島は見逃した。

 

「ストライク!」

 

 次はストレート、これも内角低めに、今度はボール球。

 蛇島はそれを見逃す。

 これで1-1。次はインハイにツーシーム。。

 蛇島がそのボールを空振った。

 2-1。このボールで否応でもマリンボールを意識する。

 なら、その期待通りにマリンボールを使ってやる。外角低めギリギリのボールだけどな。

 あおいの腕が振るわれる。

 ボールは要求通りの所に変化した。

 パシィッ! と俺のミットが音を立てる。

 

「ストラックバッターアウトォッ!」

『二者連続! 凄い制球力です!』

『リーグを代表する投手ですからね、凄いですよ』

 

 いつも以上に気を使って、いつも以上に大胆に攻めないと九者連続は狙えない。

 ……だが、もっとだ。もっと頭をフル回転させろ。そうしないと。

 

『バッター三番、友沢!』

 

 こいつは、抑えきれない。

 

「こうして公の場で対戦するのは初めてだな。パワプロ」

「そうだな」

「今日は早川と戦うのではない、お前と戦うつもりでやるぞ」

 

 ゆらり、友沢が構える。

 なんつー隙の無いフォーム。

 こいつは外内の揺さぶりにも対応しうるだろう。

 小細工は無駄だ。ならば正面からあたって砕ける。

 インハイに、ストレート。

 あおいが投げた、瞬間。

 ガコンッ! とファーストの右を抜けたボールが、ライナーでファールゾーンのフェンスに着弾した。

 

「ファール!」

 

 っ、なんつースイングスピード……!

 右投手のあおいに対して友沢は左打席に立っているが、凄まじい速度の打球で打ち返された。

 もう少し甘く入ってれば、フェアゾーンに飛んでただろう。

 同じ所は打ち直す。こいつにインコースストレートは使えない。

 ならば、次は外へのカーブ。

 ピシュッ、と投げ込まれたボールを友沢は見送った。

 

「ボールボール!」

 

 くそ、見極められるかっ。

 ストレートカーブ、内外と広く使った。なら、次は高低を使う。

 外角高めに、力いっぱいストレートを投げ込め。

 そのボールに、友沢のバットが掠る。

 ガシャンッ! とボールがバックネットに当たった。

 低めのカーブ使った後この高めのボールに当ててくるのかよ。普通、空振るか見極める所だろそこは。

 ……だが、これで2-1だ。まだツーシームは使っていない。

 内外外、高め低め高めと来たこの場面で、マリンボールを意識しないわけがない。

 じろじろと友沢の様子を見た後、俺はパパっとサインを出す。

 あおいは頷き、俺の要求したボールを、投げた。

 投げられたボールに対し、友沢は反応しない。

 あおいの投げたストレートは、そのまま俺が外角低めに構えるミットに、突き刺さった。

 

「ストライクバッターアウトぉ!」

『三者連続さんしーん!』

 

 友沢が一瞬目を見開いて、俺に振り返る。

 

「マリンボールだと思ったんだがな」

「――って、言うと思ってな」

 

 にやり、とマスクを外しながら頬を釣り上げると、友沢は悔しそうに舌打ちをする。

 

「次は負けない」

「打順が回ってきたらな」

 

 ひらひら、と手を振って、俺はベンチへと戻る。

 

「パ、ワプ、ロ、くーんっ!」

「どぅわ!」

「ナイスリードぉ」

 

 ベンチに向かって歩いていると、背中にあおいが激突してきた。

 

「とりあえず三人だ」

「うん、あと六人。頑張ろう」

「おう」

 

 ぽん、といつかのようにミットを合わせて、俺は防具を外し準備をする。

 マウンドには、猪狩が上がった。

 兄弟バッテリー、か。……もしかしたら、何かが少し違ったら――俺は、あのバッテリーと勝負してたかもしれないんだ。

 一番の林がライジングショットで空振りに取られ、小山が見逃しの三振を喫する。

 そして、あっという間に俺の打順が訪れた。

 

『三番、バッター葉波!』

「さあ、待っていた人も多いでしょう! 葉波vs猪狩守! 高校時代の激闘、再びです!」

 

 俺がコールされた瞬間、ドワア! と会場内が揺れる。

 高校時代から俺達を見守っていた人にはたまらない対戦なのかもしれない。

 

「センパイ、勝負ですよ」

「おう。進、お手柔らかに頼むぜ」

 

 進と話した後、勝ち気なマウンド上の猪狩に目をやる。

 猪狩は俺と目が有ったと同時、にやりと笑って――。

 ぴ、とボールを指で弾き、パシッ、と取り直した。

 高校二年の時、そうしたように。

 この野郎、面白ぇことしてくれるじゃねーか。

 なら、俺も応えないとな。高校二年の、あの時みたいに、な。

 す、とバットの先をバットスクリーンにつきつける。

 それだけで、球場のボルテージは跳ね上がった。

 

『この二人のやりとりは……!』

『高校時代、三振予告とホームラン予告! あの時の再現ですね!】

 

 ぐっ、と猪狩が腕を振るう。

 ドゴンッ! とボールが進のミットに突き刺さった。

 やべ、打てるかな。

 続くボールはスライダー。どまんなかからスライドするボールに俺は空振る。

 うへー、当たんねぇ。

 最後は高めのライジングショットにバットを掠らせるのが精一杯で、キャッチャーフライに俺は打ち取られる。

 俺を打ちとって、猪狩はマウンド上でわざとらしく何度もガッツポーズした。

 あんの野郎……、試合終わったら覚えてろよ……。

 ブツブツ文句を言いながらベンチに戻り、防具をつける。

 さて、頭を切り替えよう。

 次は四番の東條から始まり、五番の七井、六番の福家と続く。

 この回が一番ヤバい。さて、どうやって打ちとったもんかな。

 

「パワプロくん」

 

 俺が頭を悩ませていると、あおいがとてとてと俺の方に歩いてくる。

 お、なんか提案でも有るんだろうか?

 

「どうした? あおい」

「えとね。……えいっ」

「もがっ!?」

 

 俺があおいに返事をすると、あおいは突然、俺の頬をぎゅむ、っと掴んだ。な、何故!?

 動揺する俺に、あおいはにこっと笑みを作る。

 

「なんとかなるなる!」

「へ?」

「おまじないだよ。『なんとかなるなる』」

「……なんとかなるなる、か」

「うんっ、こう言ってれば、本当に何とかなる気がするでしょ?」

 

 なるほど、な。確かに悩みながらゴチャゴチャ物事を進めても、上手くはいかないだろう。

 寧ろ、何とかなる――そう自分に言い聞かせて、余計な力を抜いた方が普段の力を発揮できるだろう。

 

「そうだな。俺とあおいなら――『なんとかなるなる』、だ」

「うん♪」

 

 ぽん、とあおいの頭に手をおいて俺は笑う。

 高校の時だって、そうだった。

 俺とあおいが力を合わせれば、抑えられない打者なんて居なかった。

 

「うっし、行くぞ!」

「おー!」

 

 二人で気合を入れて、二回表の守備に着く。

 打席に迎えるはパワフルズ不動のクリーンアップであり、日本球界を代表するスラッガー、東條。

 俺の打撃の師匠でもあり、そして高校時代、俺達を甲子園に導いた元仲間でもある。

 

「……一度、お前と早川のバッテリーと、戦ってみたいと思っていた」

 

 ゆらり、神主打法で東條が構える。

 初球、外角低めへのストレートを要求する。

 外を使い、内を使い、高め低めを使い、全力で打ち取るぞ。俺とあおいが一つ覚えでやってきたコンビネーションで、東條を三振に取ってみせる!

 

「……来い、早川。打ち砕く」

「キャットハンズの時のボクと、一緒にしないでよ。東條くん。パワプロくんがキャッチャーの時は――普段より、二割増しに凄いんだから!」

 

 あおいが腕を振る。

 糸を引くような切れの良いストレートが外角低めに収まった。

 スパァンッ! とミットを白球が叩く。

 

「ストライーク!」

『外角低め、ぎりぎり一杯!』

『流石にあのコース。東條選手でも手が出ませんね』

 

 ストライク先行したい所、ワンストライク目を一球目で取れたのは大きいな。

 ここは緩いボールでツーストライク目を取りたい所だが、東條は軸が強い。緩いボールでも待ってバットに当てるくらいは出来る。

 それで内野に飛ぶのは最悪だ。三振で打ち取るリードをするならば、ここはインハイの厳しい所を速い球で攻めて身体を起こす。

 インハイに構える。

 あおいが腕を振って投げたストレートを、東條は迎え打った。

 ギンッ! と鈍い音がして、ふらりとボールがサードの左へと飛ぶ。

 サードの春がファールゾーンで手を上げた。

 

「オーライ!」

「取るな! 春!」

「えっ!?」

 

 俺の叫び声に、びくんと肩を震わせて春が動きを止める。

 その春の前に、ぽとりとボールが落ちた。

 ざわっ、と球場内が騒然とする。

 

「今、葉波の奴、取るなって?」

「舐めプか?」

「ふざけんなー! 全力プレイを見に来てんだぞ! 何が取るなだよ!」

 

 そのざわつきはやがてうねりとなり、球場内にブーイングが木霊し始める。

 

『これは……いけませんね』

『オールスターと言っても真剣勝負、それを……どういうことなんでしょう?』

『考えられることは……、あ、早川選手の成績って、確か初回、三者連続三振でしたよね?』

 

 俺に向かってブーイングが浴びせられる。

 春に軽く頭を下げて、俺はキャッチャーズサークルへと戻った。

 それで春は察したらしい。ぱっと顔をあおいに目をやり、視線を俺に戻してこくりと頷いた。

 

「……なるほど。そういうことか」

「怒るなよな」

「……ふ、いや、燃えてきた。――打ってやる」

 

 次に要求するボールはシンカー。

 マリンボールと違ってストレートとは違う軌道だ。こっちを植え付けてボール球を使った後、マリンボールで三振を取るぞ。

 外内と使った次は内から落とす。来い!

 ぐっと構えたミットにめがけてあおいがボールを放り投げる。

 手前で落ちるボールを、東條がバットに当てていった。

 軽い音を立てて、俺の真後ろへと白球が浮かびあがる。

 少し経って、俺のすぐ後ろにボールは落下した。

 

「ファール!」

「おいコラァ! なめてんのか葉波ィ!」

「そんな奴なのかよ葉波!」

 

 ブーイングが増えていく。

 それを背に受けながら、ミットに拳を収めながら必死に頭を巡らせる。

 今の厳しいボールにバットを出して当ててくるということは内側に相当意識があると思いがちだが、東條の場合は違う。

 東條の傾向を鑑みれば顕著だろう。東條のホームランはアウトサイドの甘く入ってきたボールを強引に引っ張らず、流し打ちでホームランにしている。

 今期打ったホームランの内、およそ六割は流し方向だ。インサイドよりアウトサイドに意識を置いて、反応出来る内のボールにも手を出しているのだ。

 その意識を利用する。外内内と来たなら、決め球は外だと予測もしているだろう。

 なら、その意識を利用する。

 内角高めにストレートを投げる。

 バットが届かない位置なだけあって、東條はボールを見送った

 カウントはツーストライクワンボール。

 内にじりりとミットを構える。

 そして、高めに構えた。

 あおいが頷く。

 す、っと弓のように引いた腕から、あおいがツーシームを投げ込む。

 インハイ、僅かに低め。

 東條がバットを振るう。

 ボールの真上を、東條のバットが一閃した。

 

「ストラックバッターアウト!」

『空振りさんしーん!』

『やっぱりそうですよ。葉波選手、連続三振を狙ってるんじゃないでしょうか? だからファールフライを取らないように指示して、自分でも取らなかったんです!』

 

 っふぅ、東條を打ちとったぞ。

 だが、次は七井だ。七井にはあおいとバッテリー組んでた高校時代、煮え湯を飲まされたからな。俺とあおいのバッテリーでリベンジだ。

 

「お前と早川のペアと戦うのは久しぶりだナ」

「空振ってくれると嬉しいんだけどな?」

「連続三振記録に協力はしたくないゼ」

 

 ち、流石に取るなーとか言うと狙ってることが気づかれちまうよな。

 まあいい。七井は連続記録を途切れさせる為とかいってバントなんかしてこない。真っ向勝負だ。

 初球から使っていくぞ。マリンボールだ。

 外角低めに構えた所にマリンボールを投げさせる。

 七井はボールを空振った。

 昔から七井の弱点は一貫している。選球眼が良くないということだ。

 常にフルスイングする七井は少々のボール球でも構わずスイングしてくる。バットが届くのと、無理やり打ったボール球でも十分な打球を強さを持っているから出来る芸当だけどな。

 外低めのマリンボールを七井が空振る。

 ならばこのコースを決め球にすれば簡単に打ち取れるだろうと思うかもしれないが、そう甘くはない。

 流石に大きく外れたボールは見逃してくるし、ストライクゾーンギリギリのボールなら腕を振ってヒットゾーンには飛ばしてくる打者だ。つまり上手く外角低めで打ち取る必要がある。

 同じパターンならそれを見極めて対応してくるし、インサイドを使う際にコントロールや順序を誤ればホームランを打たれる。凄い打者には変わりない。

 ワンストライクノーボールから、次はインハイの顔近くにボールを投げさせて、1-1にする。

 所謂ブラッシュボールという、身体を起き上がらせ外を空振らせるための布石だが、七井は全く動じなかった。

 ……くそ、なんて威圧感だ。

 外内。ここは内低めへ緩いシンカーだ。速いボールを続けたから、バットが早く出すぎて空振るか、あたってもファールになるはず。

 抜いたボールを、七井が振っていく。

 ッガァンッ! とファースト右のファールゾーンのフェンスにボールが着弾した。

 

「っぶね……」

 

 思わず呟いてしまうような打球。

 ふぅ、だが、これでツーワンだ。後は外に一球外したボールを見せて。

 インハイのツーシーム!

 ビュンッ! と七井がボールを空振る。

 

『空振り三振!』

『五者連続! すさまじいボールです!』

『いやー……凄い』

 

 マウンドの上であおいがふぅ、と息を吐きだす。

 普段なら緩めたり打ち取ったりするところを、今日は最初からフルスロットルで三振を取りに行っているんだ。疲労が早いんだろう。

 次の六番福家も、同じ七井と同じような配球で三振に打ち取る。

 

『インハイのストレートに空振り三振! これで六者連続ですッ!』

『今日はあそこを頻繁に決め球に使いますね』

「あおい! ナイスボール!」

「うん。今日は絶好調だよ!」

 

 ぶい、と両指を立ててあおいが笑う。

 だろうな。相当ボールも来てるし、相当力を入れて投げてる。

 よくよく見ればあおいの額には汗が浮いていた。

 まだ肩で息をするようなことはないが、完投出来る体力を持つあおいがここまで疲れているとなると、本当に飛ばして投げているのが伝わってくるようだ。

 

「一つ、聞いていいか? あおい?」

「ん、良いよ。なぁに?」

 

 打順も遠いので防具を付けたまま、あおいの隣に座りつつ問いかけると、あおいはこくりと頷いてくれた。

 

「どうして、そこまで連続三振を狙うんだ?」

 俺の質問を聞いて、あおいはマウンドに目をやった。

 マウンドでは猪狩が躍動している。

 暫し猪狩を見つめた後、あおいは目をそっと瞑って、僅かに逡巡する。

 そして目を開け、俺を見つめると、にこりと笑った。

 

「それくらいしないと、霞んじゃうから」

「霞む? 何が?」

「それは聞いてからのお楽しみ。さ、次の回も三振で行くよ」

 

 にこっと笑ってあおいはグローブを持ち、キャッチボールの為にベンチを出て行く。

 次の三回が、あおいの最後の勝負だ。

 進、猛田、そして猪狩という打順。

 一番の難関は間違いなく進だ。進はツーシームのことを知っている。インハイを決め球にするという今までの戦法は通じない。

 ここで左右するもの、それは、あおいの球ではない。

 キャッチャーとしての俺の読みとキャッチャーとしての進の読み、どちらが上かだ。

 つまり、三振を取れるかどうかは俺の能力次第ってことになる。それも僅かに上回っているとかじゃダメだ。

 この一回だけでいい。進を、完全に抑えこむ。それが――あおいが連続三振を達成するために必要なものなんだ。

 

『バッター七番、猪狩進』

 

 進がバットを握り、打席に立つ。

 

「"ツーシーム"。気づいてたんですね」

「まぁな」

 

 実際はあおいに教えて貰えるまでは気づかなかったけどな。わざわざあおいが叱られるようなことは言わないけど。

 進は俺をちらりと見た後、ニヤリと笑った。

 うわ、猪狩に似てる。すげーいやらしい笑みだよなぁ、それ。……やれやれ、面倒臭そうだ。大体猪狩一族がこういう顔する時って、相手にとってはロクなことになんないんだよな。

 

「僕には通用しませんよ。パワプロ先輩」

「知ってるよ」

 

 あおいの球種、球筋を熟知している進だ。中途半端なリードは絶対にしないぞ。

 

「九者連続三振――僕で止めます!」

 

 狙いもしっかり気づいてる。間違いなくミートに徹してくるだろう。

 進程のバットコントロールを持っている選手を三振に打ち取る方法は一つしかない。

 見逃し三振。それしかない。

 頭をフル回転させる。

 進は広角に打ち分ける能力を持った打者だ。特に外のボールの流し打ちは天才的と言っていい。おそらく読みを外しても外のボールは当てられる。

 三振を取るなら決め球は内へのボールが有力だが、進もそれは読んでいる。

 ならば、ここで俺が取るリードは一つ。いかにして、内へのマークを外させるかだ。

 初球は内に構える。

 マリンボール、ぎりぎりを狙ってこい。

 びゅっとあおいの投げたボールは僅かに低めにズレる。

 

「ボーッ」

 

 外れた。これで0-1。

 もう一度。次はストレート。

 あおいが投げたボールが、今度は構えた所に突き刺さる。

 

「ストライク!」

「っふぅ」

 

 あおいが一息大きくマウンドで息を吐いた。

 並行カウント。内内と使った、次は外にマリンボール。

 ここでストライクを取らないと厳しいぞ。気合入れてこい。

 外に構えた俺のサインにあおいが力強く頷いて、投球モーションに入る。

 進が初めてバットを動かした。

 そのバットにボールがぶつかる。

 カァンッ! と快音を残し、ボールはライトへの飛んでいった。

 ばっ、とあおいが振り返る。

 ライナー性の強い打球は、ラインドライブが掛かったままライト線へ落ちていき、

 

 審判が、両手を広げた。

 

「ファール!」

『ファール! ファールです!』

『ライト線のツーベースかと思いましたが、ここは助かりました!』

 

 ほっ、と俺とあおいは同時に安堵の溜息を吐く。

 やべぇ、行かれたと思ったぜ。

 こん、と進がバットで軽く自分のヘルメットを小突く。

 完全に読まれてたな今の。あおいが気合入れて投げてた分流し過ぎてファールになったんだ。あおいに感謝だな。

 次はインコース低めを使う。インローへストレート。ボール二つ分低めへ外す、様子見も兼ねたボールだ。

 そのボールを、進は見送った。

 バットは動かない。

 これで2-2。反応出来なかったのか? アウトサイドを読んで待ってたのか。

 あおいにボールを投げ返し、しゃがみ、思考する。

 内低め、内低め、外低め、内低め。進の思考的にはそろそろアウトローに来てもおかしくないと考えられる。

 だとしたら、やっぱり外を待っていたからこそ、内へのボールに反応出来なかったのか? 外って読みを外せたってことだろうか?

 ……いや、ありえない。追い込まれてるんだぞ? 反応はするもんじゃないのか?

 ぱし、ぱしっとミットを何度か叩きながら進をじっと見つめる。

 進は連続で三割を残しているバッター。そんな甘い考え方をするはずがない。

 だとしたらどうして内に全く反応しないんだ? 追い込まれているのに……もしかして、わざと、か? わざとだとしたら何のために……。

 そこまで至って、はっとする。

 ――インハイに、誘導しているんだ。

 内を二つ使った後の外のボールを進は読み打ちした。

 その時点で俺は外のボールを使いにくくなる。

 だが、今組んでいる相手はあおいだ。

 恋恋高校時代から慣れ親しみ、共に戦った気心のしれた投手。

 その投手が九者連続三振を狙っているならば、俺は進をどうしても三振で取りたいという思考になる。

 進からしてみれば、今までの打者相手への決め球に俺はことごとくインハイへのツーシームを使用している。

 だが、進はそのツーシームの存在を知っている。俺はツーシームを使いづらい。

 それを逆手に取って、俺は内へのマークを外して内角高めにツーシームかストレートを投げさせようと思っていた。

 しかしーー進はそれを読みきったんだ。

 内はもう警戒していない。だから、インハイを投げて来い――そう誘導している。

 ツーシーム、ストレート、どっちにしても、進ほどのバットコントロールが有り、なおかつあおいと普段組んでいる進なら、ヒットゾーンに飛ばせる確率は高いだろう。

 外へのボールは読まれた。ヒットにされる残像が残っている分、あおいのコントロールが乱れる可能性も高い。

 だから、俺は内に投げるしか無い。

 2-3にするか? いや、フルカウントはバッター有利。三振を狙っていると分かられているんだ。ゾーンを広げて当てに来られて三振を取れなくなる可能性の方が高い。

 なら――。

 内にミットを構える。

 進がゆらりとバットを構えて、あおいはボールを投じた。

 

「そこ――っ!」

 

 進がバットを振るう。

 ストレートの軌道で伸びてきたボールはインハイへと浮かび上がり、

 

 ストンッ、と進の目の前で沈んだ。

 

「っ!」

 

 進がバットをぴたりと止める。

 一瞬遅れて俺のミットにボールが収まった。

 流石進だ。瞬時にストレートでもツーシームでもないと見極めてバットを止めるなんてな。

 でも。

 

「ストライクバッターアウトォ!」

『七者連続ー!』

『凄いボールですよ……完全にバットとボールが離れてましたからね』

 

 やっぱり反応が遅れるよな。伝家の宝刀――マリンボール相手なら。

 

「スイングですか?」

「いや、ストライクゾーンに入っているよ」

「ありがとうございます。……内に来た時はしめた、と思ったんですけどね……まさかマリンボールを使ってくるなんて」

「読まれてるって感じたからな」

「初球、マリンボールが外れてたので、ここで低めギリギリ一杯を狙ってくるとは思ってませんでした」

「まぁな。俺も直前までそう思ったよ」

「ですよね。……でも、内を狙ってるってことに気づかれるまでは想定してました。それでも、投げざるを得ないように組み立てたんですよ? 三球目のボールがファールになったことは想定外でしたけど、その後外はもう使えないから、次のボールは内だろうが外だろうが捨てる。そうすれば決め球はインハイのストレート系になるって」

「俺完全に読み負けてるじゃん……?」

「……でも、最後はパワプロ先輩が僕の読みを外しました。……どうして、今のボールがボールになることを考えなかったんですか? 早川先輩は最初から飛ばしまくっているせいか初球のマリンボールを外しました。そのこと、考えなかったんですか? 2-3になったら、僕は三振しないって思ったはずです」

「ああ、思ったよ」

「なら、どうして、三振をどうしても取りたいこの場面でマリンボールを使ったんですか?」

 

 進がじっと俺の目を見つめる。

 完全に読み勝ち、予想通りに誘導出来たのに、最後の最後で抜けられたその理由を、どうしても知りたいって顔で。

 

「……信じたんだ」

「え?」

「あおいなら修正して構えたところに投げてくれる。そう信じた」

「……信じた……」

「ああ、あおいならそうするって確信してた。――いつも、そうだったから」

 

 恋恋高校の時、どうしても決めてほしいって場面で、あおいはまるで俺の心を見透かしているかのように狙ったところにボールを決めてくれた。

 それはきっと、四年経った今でも変わらない。

 いや、きっと。

 これは俺のうぬぼれかもしれないけれど。

 久しぶりに俺と組んで、恋恋高校の時よりも強く強く、思ってくれていた筈だ。

『パワプロくんのリードに応えたい』と、何よりも強く。

 

 俺の発言を聞いて、進はふふっと笑った。

 な、なんだよ。確かに捕手を信用しすぎてるとは思ったけど、笑うことは無いだろ。

  

「敵いませんね」

「え?」

 

 俺が身構えると、進は悔しさも感じさせない、清々しい表情を浮かべた。

 

「僕はこの四年間、早川先輩とベストバッテリー賞を貰っていました。……でも、やっぱり敵いませんね。……早川先輩を誰よりも信頼し、早川先輩から誰よりも信頼されて――あの場面でマリンボールを使える、パワプロ先輩には。僕には絶対出来ないリードでした。……今は敵対するチームだから、公に言えませんが……絶対にやってください。九者連続三振。こっそり応援してます」

「進……。おう、当然だ」

 

 にっと笑うと、進はこくんと頷いて、ベンチに戻っていく。

 あおいがマウンド上で心配そうにこちらを見つめていた。

 そんなあおいに向かって、俺はぐっと親指を立てる。

 俺の仕草を見て、あおいは嬉しそうに微笑んだ。

 続くバッターの八番、猛田はマリンボールとシンカーを駆使し追い込んで、インハイへのツーシームで三振に取る。

 

『八者連続! いよいよ、後一人!』

『バッター九番、猪狩守』

「なぁ、おい。もしかして今まで全部三振で……」

「だよな。葉波がボールを追わなかったのって、三振のためじゃね?」

 

 観客もざわつき始める。

 さあ、仕上げだ。

 

「よう、猪狩」

「よくもまぁキミは僕と組んでいる時以外に目立ってくれるものだ。そんなに僕と目立つのは嫌なのか?」

「嫉妬すんなよ。そうだな……そんなら、お前とはノーヒットノーランでもやってみるか?」

「約束したぞ」

「冗談に決まってんだろ、本気にすんな」

「どちらかというと完全試合の方が好みだな。よし、お前と僕で完全試合しようじゃないか」

「無理だろ!」

 

 猪狩と軽口を叩き合いながらキャッチャーズサークルに座る。

 ここ事故ったら元も子もない。徹頭徹尾、行くぞ。

 初球、インハイにストレートを投げさせる。

 スパァンッ、と俺のミットにボールが収まった。

 

「ストライク!」

「今までで一番調子が良さそうじゃないか」

「だな」

 

 さて、次は外にマリンボール。

 猪狩は豪快にボールを空振った。

 うひー、流石猪狩、打撃も良い振りしてやがるぜ。

 でも、これで追い込んだ。後一球だ。

 遊び球はいらない。内角高めへ、ツーシーム!

 あおいが振りかぶる。。

 どうしてあおいが九者連続三振を狙っていたのか、俺には理由はわからない。

 でも、こうして久々にバッテリーを組んで、最高に楽しんで、あおいの願いを叶えられたなら――これ以上の結果は、無いんじゃないかな。

 ミットに収まるボールの感触と周りからの大歓声に包まれ、弾けるような笑顔を浮かべてマウンド上でガッツポーズするあおいの笑顔を見ながら、俺はそう思った。

 

 

              ☆

 

 

「ストライクバッターアウト! ゲームセットー!」

『オールスター初戦はPチームの勝利! 五回、パワフルズ鈴木選手から打った近平選手のタイムリーヒットの一点を守りきりました! そして、お立ち台はこの人っ! 九者連続三振の早川選手です!』

 

 試合が終わり、フィールドに特設されたお立ち台で、あおいがインタビューを受けている。

 その様子をベンチで見ながら、俺はスポーツドリンクを飲み干した。

 試合は一対〇で俺達Pチームの勝利だった。

 

「応援ありがとうございます!」

『おめでとうございますっ! 九者連続三振は狙っていたんですか?』

「はい、最初から狙ってました!」

『今日バッテリーを組んだのは高校時代のパートナー、葉波選手でした! 久々のバッテリー、いかがでしたか?』

「――最高でしたっ。パワ……こほん、葉波くんには、ボクの我儘を聞いてくれただけじゃなくて、久しぶりにバッテリーを組めたのが嬉しかったです。九者連続三振は、葉波くんのお陰です」

 

 満面の笑みであおいがお下げ髪を揺らす。

 最高、か。確かに最高の気分だった。

 楽しかったぜ。あおい、ありがとな。

 

『では、その葉波選手に一言お願いします!』

「……はい」

 

 そのインタビュアーの一言を聞いて、俺は少し前のことを思い出した。

 そういやゆたかがインタビューでやらかしてくれたな。一応、あの告白紛いの返事はしたけど――今だに週刊誌では俺とゆたかの間の関係を探る記事も出てたりする。

 中には根も葉もないことを書いた週刊誌も有った。なんだよ夜のバッテリーも好調って。夜間練習はしてないぞ。

 そんなことを考えていると、あおいが何か考えるように沈黙した。

 しん、と球場内に静寂が訪れる。

 ……なんだろう。嫌な予感がする。

 背筋から蛇が登ってくるような、波乱が巻き起こるような、そんな予感が。

 ここにいてはいけない。そんな予感がして俺がベンチから立ち上がった所で、

 

 

「パワプロくん! ボク、パワプロくんのことが大好き! 今シーズン、ボク達キャットハンズが優勝したら――結婚してください!」

 

 

 マイクがハウリングするような大声で、あおいが言った。

 一瞬の間をおいて、絶叫にも似た歓声がスタンドから巻き起こる。

 ……今、なんつった? え? 結婚!? 俺プロポーズされた!?

 Aチームのベンチに居る面々が呆気に取られたような顔をしているのがここから見える。

 ゆたかが金魚のようにぱくぱくと口を開いてあおいを見つめていた。

 べしっ、と俺の背中が叩かれる。Pチームの誰かだろう。

 それを皮切りに俺の頭やら背中やらに激痛が走る。

 激痛に涙目になりながら、あおいをじっと見つめた。

 あおいは顔を赤くしたままマイクをインタビュアーに返した後、俺を見つめ、赤らんだ顔のまま笑った。

 その笑みを見て、全てを理解する。

『――それくらいしないと、霞んじゃうから』。

 そりゃそうだ。九者連続三振なんて偉業を成し遂げたその試合のインタビューでプロポーズするだなんて、後世に渡って語り継がれる出来事になるだろう。

 最初から、あおいはこのつもりだったんだ。

 もしも九者連続三振を達成してお立ち台に立った、その時は。

 あの席でああ言おうと、最初から決めていたんだ。

 ドタドタとマスコミがベンチ前に走ってくる。

 良くもまぁ、ここまで騒ぎを大きくしてくれるもんだ……あおいの奴、ゆたかの告白のこと、相当気にしてたんだな。

 

「葉波選手! プロポーズされましたが!」

「稲村選手とのお付き合いはどうですか!」

「早川選手と稲村選手、どちらを選ぶんですか!」

「お返事してください!」

「ええいインタビュアーまでこっちに来るなっ! 近平さんのインタビューが残ってんだろうが!」

 

 矢継ぎ早に飛ばされる記者からの質問に、俺は頭を抱える。

 くそう、何を言えっつーんだ。

 にしても優勝したら、か。大きく出たもんだ。五連覇宣言したようなもんだしな。

 ……ふぅ、ま、俺に言えることは一つだけか。

 

「マイク貸してくれ」

「おおっ、はいっ」

 

 インタビュアーからマイクを受け取る。

 その瞬間、観客席からやじが飛んだ。

 

「葉波死ねー!」

「爆発しろー!」

 

 酷い言われようだ。俺なんもしてないのに。

 こほん、と咳払いをして、あおいを見据える。

 

「そう簡単に優勝出来ると思うなよあおい! ――優勝すんのは俺達カイザースだ!」

 

 俺の発言に、カイザースファンから大歓声が上がる。

 よし、決まった。

 

「それでは、早川選手の誘いに乗るわけですね! キャットハンズが優勝出来なかったら結婚すると!」

「……え?」

「スクープだ! 一面差し替えろ!『早川選手、葉波選手にプロポーズ! キャットハンズ優勝で結婚へ』だ! 急げー!」

「ちょーっ!?」

 

 そ、そういう意味じゃなーい!

 どたばたとマスコミが走って行く。

 ああもう、どうしてこうなったんだよ!?

 涙目でPチームのベンチを見やると、猪狩と友沢が珍しく爆笑していた。

 あいつら、覚えてろ……。

 おそらくゆたかの時とは比べ物にならないほどの大騒ぎになることを予感して、俺はドームの天井を見上げ、深々と溜息を吐いたのだった。

 

 

                  ☆

 

 

 日本があおいの公開プロポーズに揺れている、その頃。

 猪狩ドームではアマチュア同士の代表戦が行われていた。

 諸外国との親睦を兼ねた交流戦だが、選手達の様子は真剣そのものだ。

 その真剣勝負のマウンドで、とある一人の投手が躍動していた。

 男は、韓国人だ。

 長身。整ったマスク。韓国系のアイドルを思わせるその端麗なマスクに汗一つ掻くことなく、男は外角低めギリギリへとボールを投げ込んだ。

 

「うぐっ!」

 

 バッターが空振る。

 バックスクリーンに表示された球速は、一五四キロだった。

 回は九回、最終回。ツーアウト、カウントツーストライクノーボール。後一球。

 

「なんなんだ……なんなんだよっ!」

 

 日本チームの四番バッターがギリリと投手を睨みつける。

 投手はそんな視線に負けることなく、見下すように鼻で笑った。

 

「약한 사람은 집에 돌아가 주세요(雑魚が、家に帰ってろ)」

 

 糸を引くようなストレートが外角低めに決まった。

 

「ストライクバッターアウト! ゲームセット!」

 

 わっと韓国チームがマウンドに集まる。

 勝利を讃え合い、その後はインタビューが始まった。

 

「勝利おめでとうございます。ナイスボールでした」

「ありがとう。大したことはない。いつもやっていることだ。だが、この勝利に意味はないな」

「……え? ど、どういうことでしょう?」

「小耳に挟んだんだが……ワールドベースボールチャンピオンシップの開催が決まったらしいじゃないか」

「! 野球の世界大会ですね。もちろん、貴方も――」

「当然だ。韓国のエースはオレだぞ。オレが出なくて、誰が出るというんだ」

 

 男は笑いながら、インタビュアーからマイクを奪い取り、中継のカメラへと視線を向ける。

 

「よ~く聞いていろ。日本人ども。オレは韓国と日本の問題には興味がない。領土問題だの慰安婦問題だの勝手にやっていろ。そんなものには反吐が出る。オレをそんな下らんことに巻き込むなと言ってやりたい。――だがな、オレは、オレを育てた韓国球界には恩がある。そして、負けるのが嫌いだ」

 

 男は呆然とするインタビュアーを放って、なおも言葉を続けた。

 

「アジアの盟主? 野球アジアナンバーワンの国? ふざけるな。その称号は韓国球界にこそ相応しい。この試合の勝利では、それを証明出来ない。故に意味は無い。だが、世界大会ならば違う。韓国球界こそ、アジア一――それを、今度の大会で証明しよう。……あぁ、そういえば」

 

 そして、男ははっきりと宣言する。

 

「日本では、オレと同じ世代のことを、その世代ナンバーワン投手の名前になぞらえて"猪狩世代"と呼んでいるらしいな。しっかりと覚えておけ日本人、世代ナンバーワン投手は"猪狩守"ではない」

 

 己の名を、その心に刻めと。

 

「――このオレ、"ユン・スンテ"だということをな」

 

 世界は動き出す。

 来年二月に行われる、世界野球選手権――ワールドベースボールチャンピオンシップに向けて。

 


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