実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー   作:向日 葵

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第四七話 八月二日 カイザース “復活のデートコマンド、あおい”

 今年も、八月に入った。

 トレード、外国人選手の獲得期間が終わり、ここからは現有戦力のみでの戦いとなる。

 猛暑日の続く熱い夏。

 こんな夏の日に、高校球児たちは甲子園を目指しているのだろうか。

 オールスターが開け、九試合が終わった。

 現在の順位は一位キャットハンズ、二位カイザース、三位バルカンズ、四位パワフルズ、五位バスターズ、六位やんきース。

 ――オールスターで頭部デッドボールを受けた七井は即日登録抹消。

 試合にも復帰して居らず、復帰の目処は立っていない。

 問題なのは、水海の方だ。

 オールスターを明けから九試合で登板は五回。そのどれもが、フォアボール絡みから炎上し、試合をぶち壊してしまっている。

 一六〇キロをマークした直球は一四〇キロ前半まで失速し内角に決まらない。

 スライダーは高めに浮き、絶好球になる。

 前半戦、快刀乱麻の活躍をしていた水海の姿はもう何処にも無かった。

 パワフルズが四位に転落した試合が終わって、即二軍落ち。

 クリーンアップの一角と抑えを失ったパワフルズは失速、首位、キャットハンズとは五ゲーム差に広げられ、これ以上離されれば、優勝戦線からの脱落は免れない。

 それとは対照的に、波に乗ったのはカイザースだった。

 猪狩守と葉波のバッテリーが完封勝利で後半戦開幕を飾ると、続く久遠、山口が一失点完投。

 そしてオールスターで敬愛する葉波を三振に打ち取り、自信を深めた稲村が完封勝利と、怒涛の先発完投勝利四連勝を飾り、絶好のスタートを切った。

 そこから二敗を挟んだものの、表ローテに戻った三戦でまた三連勝。

 オールスター開幕後の九戦を七勝二敗と弾みを付け、二位に踊り出て、キャットハンズに0,5ゲーム差と肉薄している。

 そして、本日からの三連戦はカイザース対キャットハンズの直接対決。

 この三連戦を勝ち越した方が首位になる、まさに天王山の第一回戦。

 キャットハンズの世渡監督も、カイザースが後半戦開幕後の猪狩の完封勝利、久遠の完投勝利の二連勝でカイザースの勢いは止まらないと判断したのだろう。

 後半戦開幕戦のローテを詰め、中四でエース、早川あおいを先発に立てた。

 オールスターでこそ九者連続三振を達成したものの、元来は打たせて取るタイプである早川は、そのコントロールも相まって球数がかさみにくい選手だ。

 そのため、前回登板も六回を投げて七〇球と省エネピッチングで試合を作った。

 そこで、世渡監督はカイザースとの直接対決三連戦を睨み、早川を六回で降板させ、七回からリリーフ陣をつぎ込み勝利を収めたのだ。

 だが、それでもカイザースの勢いは凄まじく、2,5ゲーム差あったゲーム差はついに0,5ゲーム差まで縮まっている。

 確かに、傍から見ればカイザースの勢いは凄く、追い上げられているキャットハンズが不利に見えるだろう。

 ――だが、と世渡はいやらしく笑みを浮かべる。

 ここからは、一勝一勝が重たくのしかかってくる。

 この試合を落とせば――。

 そう思えば足が竦み、腕は縮こまり、普段通りのパフォーマンスを発揮することは難しくなる。

 それに比べ、近年優勝戦線を勝ち抜いてきたキャットハンズの選手は、その重さを知っている。

 どんな状況になっても、いつも通りに自分の力を発揮出来るだろう。

 

「しかし……カイザースはどうかな?」

 

 特に――捕手。

 今年から扇の要に座るは、ルーキーの葉波風路。

 彼は現在のプロ野球界を支える猪狩世代の中心選手だろう。

 しかし、度々プロの壁にぶち当たっている。

 確かにそれを恐るべき速度で乗り越えているとは思う。

 だが、それを乗り越える為に逸した二試合、三試合――それが、ここから先では致命傷と成り得る。

 プロで四年間やってきた猪狩世代と、今年プロ入りしたばかりの葉波。

 アメリカで色々と努力してきて、この後の成長に大きな影響を及ぼすとしても、プロで四年間揉まれた選手たちと、今年その世界に飛び込んだ選手の間には、大きな経験差が有る。

 ならば、浸け込むべきはその“経験差”。

 

「狙うべきは、捕手」

 

 とん、と世渡はパソコンのディスプレイに指を当てる。

 そこには、細かに纏められた葉波のデータが有った。

 盗塁阻止率、打率、本塁打率、得点圏打率、リードの傾向、どの打者に対しどうリードしたかまで、事細かにスコアラー達が集めた、珠玉のデータ達。

 その中で一つだけ、葉波の弱点とも呼べる、とある傾向が有った。

 

「投手は稲村ゆたか……こちらも経験不足の、今年一軍に定着したばかりの若手。それなら、ランナーが出ることは多々有る。それなら――」

 

 浸け込める。

 確信して、世渡はフフフと笑った。

 

(覚悟するといいよ、葉波くん。――プロの『いやらしさ』ってやつをね)

 

 

                ☆

 

 

 キャットハンズ三連戦。

 勝ち越した方が首位に立つ、最初の山場。

 キャットハンズの本拠地で行われる試合だが、キャットハンズとカイザースの球場は近く、寮からでもキャットハンズの肉球場に行くのは簡単だ。

 その為、俺は纏めに纏めあげたキャットハンズのスコアを読み込んでいた。

 今日の先発はあおいとゆたか。

 あおいは中四日で、カイザースを意識して三連戦の頭を取るべく、ローテを組み替えてきた。

 カイザースはここ最近絶好調。キャットハンズと0,5ゲーム差で、この三連線が重要なことには間違いない。

 世渡監督の勝負勘という奴だろう。

 相手があおいとなると、大量得点は望めそうにない。

 中四日でも、あおいは元々打たせて取るタイプだから、調子が大きく崩れることは少ないだろう。

 となると、いかにしてキャットハンズに得点を奪わせないか、というのが重要になる。

 

「んーと、一番木場、二番最近絶好調の小山、三番進、四番ジョージ、五番上条、と。……五番までくれば少し打撃は落ちるな」

 

 問題はこの上位打線。

 小山が当たっている現在のキャットハンズは、下位でランナーを出して得点圏まで進めれば、木田か小山か進の誰かがランナーを返すことが出来る。

 ジョージは一発が有るし、どうしてもランナーを前に貯めたくないから、小山、進のどちらかとは必ず勝負しなければならないのも中々に厳しい。

 対策としては丁寧に攻めていくしかないな。木田はアウトロー、小山はインハイ、進はコンビネーションも絡めて、って感じでいくしかないか。

 ジョージは穴も多いが当たれば一発というタイプ。低め低めに投げられるゆたかとの相性は悪い。

 つまりは、いかにして出塁を抑え、上位にチャンスで回さないか、というリードをしないといけない。

 俺が朝食を食べながら、行儀悪くスコアとにらめっこしていると、ぎゅっと背中から柔らかい感触が抱きついてきた。

 

「っわっ、ゆ、ゆたかっ。いきなり抱きつくなっ、驚くだろっ」

「えへへ、ごめんなさい。でも、先輩、オレが抑える為に真剣に悩んでてくれたから、つい」

「ついじゃねぇよっ」

 

 ゆたかの体つきは女性らしい。そのせいで抱きつかれると凄くドキドキする。

 ……それもこれも、あおいのせいだ。

 オールスターの入り口でのあおい抱きつき事件のせいで、ゆたかからのボディタッチが最近、爆発的に増えているのだ。

 この間なんかぼーっと広間のソファに座ってテレビ見てたら、膝の上に乗られて死ぬかと思ったからな。傍から見れば完全に恋人って言われてもおかしくない状態だった。

 流石に恥ずかしいっつって止めて貰ったけど、うぐぐ、こんなこと、あおいに知られたら暴動が起きるぞ。

 思いながら、ゆたかをどう引き剥がそうか迷っていると、

 パシャッ。

 と軽薄な音と共に、友沢が俺に向けてスマホのカメラを向けていた。

 

「早川にメール送信、と」

「まてーいっ!」

「なんだどうしたそんなに騒いで」

「騒ぐわ! おまっ、その写真っ……!」

「ふ、冗談だ。パワリンDXを買ってもらえなかったら本当になるかもしれないが」

「……謹んで買わさせて頂きます。ほら、ゆたかっ」

「あうー、良いじゃないですかぁ、見せつけちゃいましょうよぅ」

「今日から三連戦で顔を合わせるんだぞ! 殺されるわ! ……それに、野球以外の部分で揺さぶるのはフェアじゃねぇだろ」

 

 プロポーズした男性が他の女とどんな理由があれイチャイチャしてたとなれば誰だって気分が悪い。

 もしもそのせいであおいの制球が乱れたら――俺はきっと、自分が許せなくなる。

 

「もしもそれが原因であおいの調子が崩れたりしたら、俺は絶対にそれを償う。具体的には、あおいのプロポーズに返事をしてでも、調子を取り戻してもらう」

「あ、あう」

 

 俺の真剣な声色に、それは嫌だと思ったのだろう、ゆたかが俺から離れてくれる。

 ちょっときつい言い方になっちまったか。フォローしないとな。

 

「ごめんな。ゆたかの気持ちは嬉しいんだ。今日も一緒に頑張ろうぜ。俺とゆたかが最高のバッテリーだって、あおいに魅せつけてやろう」

「せ、せんぱい……はいっ!」

「スケコマシが」

「うるせぇ、ほら、さっさと消せっ!」

「分かっている。えぇと、確かここを……」

「……お前、自分の携帯の機能くらい使いこなせよ。それ、猪狩コンツェルンから支給されてるやつだろ?」

「うむ。だが高機能すぎてな……」

「どうした? 二人して」

 

 唸りながらスマホを操作している友沢の元に、オフで暇を持て余している猪狩が現れる。

 ……もしもこいつに事情を説明したら、絶対にゲラゲラ笑われた後に罵倒されるに違いないな。

 ここは黙っておこう。うん、それが良いだろう。

 俺が一人でうんうん唸っていると、どうやら諦めたらしい友沢が、猪狩へとスマホを差し出す。

 

「ああ、猪狩。これの使い方なんだが」

「友沢は機械音痴だからな。僕に任せると良い。操作の仕方を良く見て覚えておくんだ」

 

 友沢が差し出したスマホを、猪狩が受け取る。

 なんだかんだ言って猪狩は面倒見が良いからな。

 ……でも、なんかすげぇ嫌な予感がする。

 

「い、猪狩。その写真、友沢は削除をしたがっ――」

「これで画像をメールに添付して送信だ。送り主は設定してあった早川で良かったな。送ったぞ」

「ちょおおおおおおおおおおおおおおお!?」

「お、送っちゃったんですかっ!?」

 

 俺とゆたかが慌てて身を乗り出す。

 

「ん? 送っちゃマズかったのか? メール入力画面だったからそのまま送信したんだが」

「……すまない。冗談でそこまで進んで、戻り方が分からなかっただけだったんだ」

「な、な、なーっ!」

 

 思わず六道のように声を上げながら、俺は友沢のスマホを強奪する。

 そこには『送信完了』の無情なる四文字が浮かんでいた。

 

「……お、終わった……野球人生の終わりだ……俺はこれからあおいを支える主夫になるんだ……」

「け、けっこん、せんぱいが、早川あおいと、け、けっこん……」

「……どうしたんだ? こいつらは、僕には全く状況がつかめないんだが」

「実はだな……」

 

 呆然として説明出来ない俺とゆたかの代わりに、友沢がかくかくしかじかと事情を話す。

 それを聞いた猪狩は、ゲラゲラと笑い出した。

 

「ぷっ、あはははははっ、君たちは相変わらず、くくく、ふふふ、面白いな」

「笑いごっちゃねぇよ! どうすんだよ! 生命的に殺されるか社会的に殺されるかの二者択一だぞ!?」

「全く、お前は色恋の事になるとてんで駄目になるな。それとも、早川と離れすぎた時間が長すぎて、彼女のことが分からなくなっているのかい?」

「……う?」

 

 猪狩がやれやれとため息を吐く。

 俺があおいのことを分からなくなってる……? 確かに、そういう部分が有ることも、否定はしないけど……。

 

「彼女が、稲村とパワプロがイチャついてる写真を見た程度でパフォーマンスに支障を来す程度の選手だと思うのかい?」

「……それは」

「彼女は僕達、あかつき大付属高校に唯一の土を付けた君たち恋恋のエースだった選手だ。そんな彼女が、この程度の写真を見せられた程度で落ち込み、調子を崩すわけがない。……そうだろう?」

「……ああ、そうだな」

 

 ……猪狩の言う通りだ。

 何を心配してんだ俺は、どこまで自意識過剰だよ。

 あおいは、いつでも目の前の試合に真剣だ。

 そんな彼女だから、プロ野球のエースにまで上り詰め、最大の好敵手として俺達の前に立ちふさがってるんだ。

 そんな彼女が、あんな写真一枚で調子を崩す訳がない。

 

「わり、ちょっと自意識過剰だったな。ゆたかもごめんな。大騒ぎしちまって」

「い、いえ、大丈夫ですっ、オレこそ、急に抱きついてすみませんでした。これからは言ってから抱きつきます!」

「そこは抱きつくのを控えてくれると、俺のメンタルが平穏になって大層助かるんだが……」

「イヤです♪」

 

 てへっ、と舌を出して可愛くウィンクするゆたか。

 ……くそう、女性ってずるい。

 そんな顔をされたら、何も言えなくなっちまうじゃねぇか。

 

「まあパワプロが自意識過剰なのは今に始まったことじゃないからな」

「それには僕も同意するよ友沢。僕の三振予告に対して予告ホームランを返して来るんだ。自意識過剰にも程が有るね」

「それはテメェ自身にブーメランとなって帰ってきてるの分かってんだろうな猪狩ィ!!」

「仕方ないことだよ。僕は天才だからね。……さて稲村、この三連戦は重要だ。気負うな、と言っても無理かもしれないが――」

「大丈夫です、猪狩さん! 打たれたら先輩のせい、ですよね!」

「ああ、その通りだ。もしも試合に負けたら涙ながらに『全部先輩が悪いんです』と言って責任を押し付けてしまえ」

「ついでに責任を取ってくださいというセリフも付け足すと良い」

「ハハハ! 友沢、それはナイスアイディアだな」

「なるほどです……既成事実ってやつですね!」

「ナイスアイディアでもなるほどでもねぇっ!」

 

 ったく、散々人で遊びやがって。

 猪狩は一頻り笑った後、「じゃあ、僕は行くよ」と言って、歩いて行ってしまった。

 ……まあ、あいつのことだ。本当はエールを送りたかっただけなんだろうな。

 ゆたかに対してはエースとしてアドバイスを、俺には痛烈なエールを、わざわざ言いに来てくれたんだろう。

 そこまでお膳立てしてくれたんだ。俺もちゃんと捕手の責務ってやつを果たさないとな。

 

「ゆたか」

「は、はい」

「猪狩の言った通りだ。もしもゆたかが打たれたら、俺の責任だ」

「……ホントは、そんな風に思えないですけど」

「それでも、そう思って思い切り投げ込んでこい。……前にも言っただろ?」

「――仮に、オレの投球が打者を抑えることが出来ないものでも、先輩が打者を抑えるのに足りない分を、全力で埋めてくれる。だからオレは、今やれる分を全力でぶつければ良い」

「そうすれば、通じるさ、どんな打者にだってさ、だったな。……どうだ? 通じてきただろ?」

「――はいっ」

 

 ゆたかが満面の笑みを浮かべる。

 そんなゆたかへと笑みを返した。

 

「……先輩」

「ん? どうした?」

「オレ、やっぱり先輩が大好きです」

「っ」

「へへ、それじゃ、オレ、朝ご飯食べてきまーす!」

「……あ、ああ」

 

 不意打ち気味の言葉に顔を真っ赤にする俺を尻目に、ゆたかはぱたぱたと食堂へと駆けていく。

 俺はその背中を見つめながら、ポリポリと頬を掻くのだった。

 

 

                  ☆

 

 

「ふぅ、良しっ」

 

 日課の登板前のストレッチを終えて、ボクは立ち上がる。

 疲れも残っていないし、いい調子だ。

 肩の重さも感じないし、今日もいつも通りのコンディションだ。

 中四日で投げるのはこれが初めてじゃない。最初は多少調整に苦労したけど、四年間プロで切磋琢磨してきた事で得た経験は、こういう調整にも好影響を齎してくれてる。

 今日からカイザースとの三連戦。

 優勝するためには、ここでしっかりと勝ち越して、最低でもゲーム差を広げておかないとね。

 特に最近、カイザースは勢いが有るし、もしもこの初戦を落とすようなことがあって、一度でもカイザースに首位を譲ればそのまま引き離されてしまうことだって有るかもしれない。

 だから、今日は絶対に負けられない。

 パワプロくんと結婚するためにも、絶対に勝たないとっ。

 それに、今日はパワプロくんに会えるし、良い所見せないとね。

 むんっ、と力を込めるボク。

 その時、スマホがブルル、と振動した。

 どうやら、誰かからメールが届いたみたいだ。

 

「誰だろ……、矢部くんかな?」

 

 パワプロくんの着信音は別にしてあるから、今のはパワプロくんじゃないし、マネージャーはメールじゃなくて電話をしてくるから、マネージャーでもない。

 となると、ボクにメールしてくるのはみずきと聖を除けば、後は恋恋高校のメンバーだけ。

 送り主を見ると、そこには友沢亮と表示されている。

 友沢くん? どうしたんだろ。もしかして、パワプロくんの寝顔とかを激写したのかな。

 少しだけドキドキしながら、送信されてきたメールを開く。

 すると、スマホには。

 

 恥ずかしそうな表情を浮かべて赤面するパワプロくんに、ものすごく幸せそうな顔をしているゆたかちゃんが抱きついている画像ファイルが表示された。

 

 みしりっ! とスマホから鈍い音が響く。

 

「……こ、ここ、これは一体どういうことかな……!?」

 

 スマホが悲鳴を上げる音を聞きながら、ボクはスマホを凝視する。

 抱き合ってる……訳じゃないよね。

 パワプロくんの性格を考えると、多分、急にゆたかちゃんが後ろから抱きついてきたんだ。

 パワプロくんの手元には紙が映ってるし、パワプロくんはこれを読んでいたんだろう。

 そこにゆたかちゃんが後ろから不意打ち気味に抱きついてきて、パワプロくんが照れている、と。

 

「……う、羨ましすぎるよっ……!」

 

 ぅぅっ、やっぱり神様は意地悪だよぉっ! どうしてパワプロくんをキャットハンズに入れてくれなかったのーっ!?

 

「……決めた。迎えに行こっ」

 

 独りごちて、ボクはパパっと着替えて、慌てて食堂へと向かう。

 朝食を摂ったら、急いでパワプロくんを迎えに行こう。

 今日は久しぶりのカイザースとキャットハンズの試合だし、一緒の球場に入る訳だから、別に良いよね、うん。

 

「おはようございます。早川先輩」

「おはよっ、進くんっ!」

「ど、どうしたんですか? 何か慌てているみたいですけど」

「パワプロくんを迎えに行こうと思って!」

「あはは、久しぶりの試合ですからね。でも、ゆっくり食べないと身体に毒ですよ」

「うん。大丈夫。いただきますっ」

 

 用意されている朝食を急ぎ過ぎないように気をつけながら口に運ぶ。

 行儀は悪いけど、片手でスマホを操作してパワプロくんにメールを打ちながら、ボクはお味噌汁を飲み込んだ。

 

「ご馳走様でした! 身だしなみ整えてくるねっ」

「気をつけてくださいね」

「うんっ、ありがと! 進くんはゆっくりで良いからね」

 

 はい、と微笑み混じりにボクを見送る進くんと一旦別れて、ボクは慌てて部屋に戻る。

 送信ボタンを押した後、ボクは服を脱ぎ捨て、シャワールームに入り、なんとなく丹念に身体を洗った。

 入浴を終えて、バスタオルで身体を拭いて、そのままバスタオルを身体に巻きつけて、髪の毛をドライヤーで乾かし終えたタイミングで、スマホが着信音を発しだした。

 この音……パワプロくんからのメールだっ。

 ぱたた、とバスタオルを身体に巻いた格好のままリビングに走り、メールの文面を開く。

 

『一三時に球場入りだから、会うならその前になるかな』

 

 ボクは迷わず、『今から一時間後は大丈夫? お昼ごはん、一緒に食べよ?』と送信する。

 返信はすぐに帰ってきた。

 

『了解。それじゃまたあとでな』

 

 簡潔な文面を見て、ボクは自分の頬が緩んでいくのを感じる。

 えへへ、久しぶりのデートデート♪ 楽しみだなぁ。

 ラーメンでもなんでも良い、パワプロくんと一緒にランチなんて、ホント久しぶり。

 

「っとと、歯磨きしなきゃっ」

 

 洗面所に向かい、身だしなみを整える。

 いつかパワプロくんが可愛いと言ってくれたお下げ髪を編んで、ぴょこんとさせたら、完成だ。

 

「んしょ、と」

 

 バッグを左肩に担ぎ、準備完了!

 

「いってきます!」

 

 誰も居ない部屋に意気揚々と言って、扉を閉めて鍵を掛け、外へと向かう。

 空には青色が広がっている。

 今日は何だか良い日になりそう。

 ボクはそんな事を思いながら、カイザースの寮へと向かった。

 快晴の空の下を走ること数十分後、ボクはカイザースの寮に辿り着く。

 約束の時間にはまだ少し時間が有るけどパワプロくんの事を待ってると思うと、待っている時間すら何だか楽しくなってくるから不思議だ。

 持っていたカバンを地面に置いて、ボクはベンチに座る。

 今日は何食べるんだろ。パワプロくんにお任せしちゃおうかな。

 そんなことを思った所で、寮の扉が開き、パワプロくんがボクの方へと走ってくる。

 

「あおい、悪い、待たせた!」

「約束の時間一五分前、デートのマナーの基本だよ?」

「なんだよそれ。学生の時はそんなことしたこと無かっただろ?」

「あはは、うん」

「……でもま、本当はあおいを迎えに行こうと思ってたんだけどな。ゆたかに見つかっちまって、凄い探り入れられてたんだよ」

「なるほどぉ」

「……んじゃ、メシ行くか」

 

 パワプロが何か探るようにボクの表情を見つめて、歩くことを促す。

 はは~ん、なるほどねっ。

 

「写真、見たよ?」

「ぶふっ」

「あはは、やっぱり、ボクが怒ってないか確かめたでしょ?」

「な、ぐっ。……バレバレだったか」

「ふふん。パワプロくんのことなら何でもお見通しだよ。ずっと見てたんだもん」

 

 ボクが真っ直ぐに言うと、パワプロくんが顔を赤くしてげほげほと咽る。

 キャッチャーやってる時はあんな頼りになるのに、こういう時は何だか初心な男の子みたいになるよね、パワプロくんは。

 

「まぁ、それは俺も変わらないけどな。あおいの顔を見れば怒ってるのかどうか直ぐに分かるし」

「……う、うん。そうだよね」

 

 パワプロくんの言葉に、今度はボクの頬が熱くなる。

 あうう、逆襲されちゃった。

 二人して顔を赤くしながら、ボク達は見つめ合う。

 ……あれ。これって、凄く良い雰囲気なんじゃないかな?

 もしかして――キス、して貰えるかも。

 ドキドキしながら、ボクはパワプロくんを物欲しげに見つめてみる。

 パワプロくんはそんなボクからパッと目を離すと、ボクの荷物を左肩に担いだ。

 

「ほ、ほら、行くぞ」

「……もぉ、ボクが何を言いたいか分かってたよね?」

「そういうゴシップ誌のネタになりそうな事はしねぇことにしてるんだよ」

「ゆたかちゃんには抱きつかれたくせに」

「もうゆるして」

「だぁめ♪ 今日はパワプロくんのおごりねっ」

「おまっ、推定年俸一億超えが一千五百万の選手にタカるなよっ!」

「年俸は内緒だし、推定だから秘密だもーん。それに、パワプロくんだってすぐに億プレーヤーになれるよ」

「そうトントン拍子に進めば良いけど、とりあえず今現在はあおいの方が稼いでるだろ……いや、奢らせようってつもりはないけどさ」

「あ、それならほら、結婚すれば家計が一緒になる訳だから、奢る奢らないって話じゃなくなるよ?」

「謹んで奢らさせて貰うな」

「むーっ」

「まだ結婚とか考えられないって。今は野球一筋。それに、今の成績の俺が、仮にあおいと結婚したとしたら、キャットハンズから大バッシングだぜ?」

「そうかもしれないけどぉ……」

 

 むす、としながら、ボクはパワプロくんに付いていく。

 そんなボクの歩幅を意識してか、パワプロくんはゆっくり歩いてくれる。

 

「……でも、約束だよ?」

「キャットハンズが、優勝したら?」

「うん。キャットハンズが優勝したら」

「……あおい、本当に良いのか?」

「何が?」

「俺は、一度お前を置いてアメリカに行ったんだぞ。……帰ってきた後も、アレだけ高校時代好きだ好きだ言ってたくせに、好きかどうか分からないとか言ってるんだぞ? 愛想尽かさないのか?」

「……無理だよ」

 

 パワプロくんの言葉を首を振って否定して、ボクは微笑む。

 だって、忘れられなかった。

 パワプロくんが居なくて、辛くて、寂しくて。

 パワプロくんを忘れて野球に打ち込もうとしたことは、勿論有る。

 でも、出来る筈が無かったんだ。

 だって、ボクの野球の形はパワプロくんと作ったものだ。

 あの高校三年間。

 決して忘れることのない、黄金の三年間。

 一緒に悩んで一緒に悔しがって一緒に喜んで。

 気づけば、パワプロくんと共に戦った三年間は、ボクの“野球”に刻みついていた。

 

「ボクのボールを一番受けてくれたのは、パワプロくんだから。年間でバッテリーを組んでる進くんのほうが、受けたボールの数は多くなったかもしれないけど――ボクの一番のボールを受けてくれたのは、パワプロくんだから」

「……あおいの、一番のボール?」

「――外角低め、ストレート」

 

 ボクはその場でビシュッ、とアンダースローで腕を振る真似をする。

 想像上のボールは、ボクの手を離れ、18,44メートル先に座る想像上のパワプロくんのミットに収まった。

 コースは外角低め。

 幾度も打者を打ちとって来た、今でも寸分違わず投げることの出来る、ボクの生命線。

 パワプロくんにもその光景が見えたんだろう。パワプロくんは目を細めながら先を見つめていた。

 

「マリンボールじゃなくて、第三の球種でもない、ボクの一番の武器。……それを一番受けてくれたのは、パワプロくんだよ」

 

 血がにじむ程練習した、そのコース。

 肘や肩に負担の掛からないよう最新の注意を払いながら、夜遅くまでパワプロくんと特訓したウイニングショット。

 プロになってからでも、それがボクの野球の基本になっている。

 だから、忘れられる筈がない。

 早川あおいという野球選手が存在し続ける限り、ボクの中から葉波風路という存在は、絶対に消えないんだから。

 

「……そか」

 

 優しい微笑みを浮かべて、パワプロくんがボクの頭に手をぽんぽんと軽く添える。

 高校時代は何度もして貰った、ボクに力をくれるパワプロくんの手だ。

 

「分かった。ごめんな。あおいがそうしたいって言ってるのに、今更俺が本当に良いのか聞き返すのは、無粋だった」

「そうだよぅ。もう、結構恥ずかしかったんだからね」

「悪い。……でもな、あおい。あおいだけじゃないんだぜ?」

「……? えと、何が……?」

 

 首を傾げるボクに、パワプロくんはにっこりと笑った。

 

 

                 ☆

 

 

「悪い。……でもな、あおい。あおいだけじゃないんだぜ?」

「……? えと、何が……?」

 

 不思議そうに小首を傾げるあおいが可愛くて、俺は笑った。

 ずっと心に有った感謝の気持ちを、今伝えてしまおう。

 

「――努力に、信頼で応える事。信頼で応えれば、投手は応えてくれようと全力を尽くしてくれるってこと。それを、あおいはいつも教えてくれた。……バッテリーの基本の『信頼関係』って奴を、あおいはずっと、俺に教えてくれてたんだ」

 

 捕手としての技を、一ノ瀬が。

 捕手としての体を、猪狩が。

 捕手としての心を、あおいが。

 俺に教えてくれた。

 捕手“葉波風路”は、早川あおいが居なければ、今ここに存在しなかった。

 

「ゆたかが俺を信頼してくれてるのも、あおいのお陰だよ。あいつに初めて話しかけた時、あおいの事を思い出したんだ」

「ボクの、こと?」

「ああ、凄く努力を重ねていて、実力も有るのに、自分に自信を持てなかった、出会った頃のあおいを」

 

 徐々に自信を取り戻していったあおいの姿は、今でも思い出せる。

 

「俺が出来たことなんて、あおいの背中を押して、手助けすることだけだった。でも、あおいはそんな俺に対していつでも全力で、本気で投げ込んできてくれた。……嬉しかったんだぜ?」

 

 さらさらしたあおいの髪の毛を梳くように撫でる。

 あおいは顔を赤くしたまま、俺をじっと見つめていた。

 

「栄光学院大付属高校との練習試合、覚えてるか?」

「……うん。忘れないよ。忘れられる訳が、無いよ」

「あの試合で、あおいに信頼されてないんだって気付いた時、凄く悔しかった」

「ち、ちがっ、アレは……!」

「分かってるよ。昔のことが原因だって。それでも、その『昔』に負けていたことが凄く悔しかったんだ。その後、檄を飛ばした俺に、あおいは全力で投げ込んできてくれたよな。……それだけじゃない、マリンボールにつながる高速シンカーを、あの場で投げ込むなんて離れ業をやってのけた」

 

 あの試合こそが、俺の原点だ。

 

「それで、理解したんだ。投手は捕手が信頼すれば、何倍もの力で応えてくれるんだって。試合をする度に、何度も何度もあおいは俺に教えてくれてた。だから、今の俺が有るんだ」

 

 ゆたかとだって、まずは信頼する事から始まったんだ。

 そうさせた、俺の捕手としての原点。

 それは、間違いなくあおいと過ごした日々が作り上げたものだ。

 あおいの野球が俺に影響を受けてどう変わっていったかは、俺には分からない。

 でも、俺の捕手観の柱には、あおいがいつも居るんだ。

 

「――あおいに出会えて、良かった」

 

 心底、そう思う。

 そして同時に、俺はある事に気がついた。

 あぁ、そうか。

 

 俺――やっぱり、あおいが好きなんだ。

 

 あおいと過ごした時間の全部に感謝して、あおいと歩いた道を振り返れば全てが楽しいって思える。

 この気持ちが指し示すのが林と白井雪の間に有るような、男女関係の愛情かどうかは分からない。

 けど、一つだけ確かに言えることが有る。

 あおいと、ずっと一緒に野球をやっていたい。

 敵同士でも良い、味方同士でも良い。

 でも、俺が居る球場にあおいが居て、そこで一緒に白球を追いかけていたいんだ。

 

「パワプロ、くん」

「ん? どうした?」

 

 呼ばれて目線をあおいに戻す。

 あおいは、涙を目にいっぱい溜めて、いつの間にか俺の目の前に立っていた。

 

「……ずるいよ」

「わ、悪い。なんか変なこと言ったか?」

 

 俺の言葉に、あおいはぶんぶんと首を横に振る。

 あおいはそのまま自分の胸に手を当てると月の雫のような透明な液体を、瞳から溢れさせた。

 

「ずるいよ。今、出会えて良かったなんて言われたら、どうしようもない位、好きって気持ちが溢れて、苦しくなっちゃうよ……」

「……ご、ごめん」

「ごめんじゃないよ。本当に、ずるいよ……っ」

 

 ぼふっ、と俺の身体に顔を押し付けて、あおいがぐりぐりと頭を動かす。

 一体俺は、どうするべきなのだろう? ここは抱きしめるべきなのだろうか。

 俺がどうするか迷っていると、あおいはパッと顔を上げて、

 

 そのまま俺の唇に自らのそれを押し付けた。

 

 何度か味わった、柔らかくて暖かな感触。

 避ける暇なんて無かった。

 ――いや、避けるつもりも無かったと思う。

 しっかりと俺の首に腕を回してがっちりホールドしながら、あおいは暫くの間、俺と口付けを続ける。

 ……頼む。今だけは取材だけじゃなくて、目撃者も居ないでくれ。

 

「っ、はぁ……」

「……っ、あ、あおい……」

「ごめんね、どうしても苦しかったから。……怒らないで? お願い」

「……、怒るわけないだろ」

「……え? それって、どういう意味?」

「言わない! ほら、昼飯っ」

「ちょ、ちょっと待ってよパワプロくん! それ、凄く大事なことだよっ!? 言ってよぉっ」

「良いからメシっ。イタリアン食べに行くぞ!」

「い、イタリアン? どうして?」

「パスタだよ。炭水化物多めで、タンパク質が有る方が良いだろ。パスタを多く頼めば炭水化物を取れるし、イタリアンと言えば地中海料理。つまり、魚介類も多く出るから、タンパク質も取れる。……そして、何よりも」

「何よりも?」

「……何よりも、デートらしいだろ」

「ぁ……うんっ!」

 

 先程までの表情はどこに行ったのか、あおいは満面の笑みを浮かべて、俺の手に自らの手を重ねる。

 指と指の間に指を入れてぎゅっと密着させる、所謂恋人繋ぎで。

 

「前はディナーでラーメン屋さんだったのに、今度はちゃんとイタリアンなんだ?」

「猪狩に『登板前にいつも利用するおしゃれなイタリア料理店が有るから、キミも行ってみたらどうだい? 少しはセンスが良くなるかもしれないよ』って、たまたま教えられてたんだよ。せっかくだから行ってみようと思ってさ」

 

 本当は炭水化物とタンパク質を摂れて、かつデートの食事に誘えるような場所を知らないかって聞いて教えてもらったんだけどな。

 散々からかわれたけど猪狩のセンスは確かだし、猪狩自身も登板前に利用することが有るって言ってたから、間違いはないだろう。

 俺の言葉を聞いて、あおいは何か悟ったのか、嬉しそうに笑いながら俺の手を更に強く握りしめる。

 

「……ホントはボクの為にわざわざ聞いてくれたくせに、変な所で嘘吐きなんだから。……そういう所も、好きだけど」

「な、何か言ったか? ――ってそんなことよりも手が潰れそうに痛いっ!? 結構握力強いんだから加減してくれよ!」

「嫌だよーだ♪」

 

 ご機嫌で俺の腕に身体を密着させながら、あおいが嬉しそうな声をあげる。

 ……喜んでくれてるみたいなら、別に良いか。

 俺達は昼食を摂るべく、並んで歩く。

 一緒に楽しく喋れるのも、球場に着くまで。

 そこからは、俺達は頂点を争うライバルになる。

 だから一層、あおいと過ごす今のゆっくりとした時間を楽しもうと俺は思ったのだった。

 


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