実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー   作:向日 葵

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第五二話 "カイザース" vsキャットハンズ最終戦①

       一〇月三日

 

 

「舘西が、怪我だと?」

「――はい。場所は右肘……靭帯や骨に異常はありませんが、筋肉の炎症だそうです。疲労が蓄積していたようで……今シーズンの登板は不可能かと」

 

 その日、パワフルズの首脳陣に飛び込んできたのは、耳を疑うようなニュースだった。

 ここまでチームを牽引してきたエース舘西の負傷。

 残りの試合は絶対に勝たなければならない。その中で、ここまでの勝ち頭であるエースが負傷することが何を意味するのかは誰にだって分かるだろう。

 

「……なんてことだ」

 

 呟いて、橋森は頭を抱える。

 残り試合数は二試合。

 バルカンズ、カイザース。

 その内、シーズン最終戦であるカイザースに当てようと思っていた舘西が怪我をしてしまった。

 ゲーム差は首位キャットハンズと0,5。三位カイザースとも0,5。

 最早一戦も負けられないこの佳境で、エースがまさかの負傷離脱。

 精神的支柱が欠けたそのダメージは、計り知れない。

 試合日程は五日、六日という二連戦だが、五日には森山が先発し、六日には舘西が先発するはずだった。

 パワフルズの先発陣は決して豊富とは言えないが、その中でも森山と舘西の二人は二桁勝利を達成し、貯金を七つ以上作るという、ローテーションの柱としての働きをしてくれている。

 その二枚をぶつけるという盤石な作戦は取れなくなってしまった。

 そうなれば先発ローテの三番手をカイザース戦に回すか、五日に先発予定だった森山をカイザース戦にスライドし、五日に三番手を登板させるしかない。

 だが、そう簡単にスライドさせられない事情もある。

 

「森山の今年のカイザース戦の戦績は散々、だったな」

「はい……三試合に登板し、負け星が三つです。やはり高校時代の先輩である葉波選手がいるのが影響しているのかもしれませんね」

 

 そう、森山とカイザースの相性は致命的なまでに悪い。

 森山がカイザース相手に投げれば負けるという印象すら有り、後半戦では意図的にローテーションをズラし、カイザースを徹底的に避けるという手段を取る程に、だ。

 かといって、三番手をあの好打者揃いのカイザース相手に、しかも優勝が掛かったシーズン最終戦の重圧も掛かる場面で先発させるなど、自殺行為に他ならない。

 

「プレッシャーの掛かる場面でなければ、三番手の大宮を先発させるという手もありましたが……」

「大宮は元々、谷間扱いから今年ローテに入った選手だ……プレッシャーには強くない……。せめて、プレッシャーに強ければ――」

 

 そこまで言った所で、橋森はハッと息を飲んだ。

 ――居る、一人だけ。

 プレッシャーが最も掛かる場面で登板し、シーズンの終盤には緊急登板から三回を抑え勝ち投手になった、ある程度なら長い回も投げることの出来るスタミナを持つ投手が。

 

「……、水海を」

「……あ」

「うむ。水海を、呼んでくれ」

 

 絞りだすような声で告げた橋森の言葉に、コーチが頷いて部屋を後にする。

 最早、取れる選択肢はわずかばかり。

 その中で最良の手を打つ。それが、橋森に出来る唯一のことだった。

 

 

              一〇月五日

 

 

 球場に到着した俺を待っていたのは、異様な空気感だった。

 誰も一言も喋らない。ピリピリとしたムードの中、黙々と試合に臨む各々のルーティーンワークを熟している。

 首位とのゲーム差、一ゲーム、二位とのゲーム差、0,5ゲーム。

 近年最大の混戦と言われるこのペナントレースも、残す所後二試合。

 カイザースが優勝する方法は残りの二試合を勝った上で、最終戦のキャットハンズ対バルカンズで、キャットハンズが敗北するというパターンのみだ。

 どちらにしろ、勝たなければ希望はつながらない。

 そんな大事な二試合の内、最終戦のパワフルズ戦には猪狩が登板することが確定している。

 そして、残った今日の先発に選ばれたのは――ゆたかだった。

 山口、久遠という好投手が控える中、監督が選んだのは、ゆたかだったのだ。

 ここまでゆたかは防御率3,20。勝数は九。

 今日勝てば、先んじて二桁勝利を達成している猪狩、久遠、山口の二桁勝利トリオの仲間入りになる。

 だが、そこに立ちはだかるはキャットハンズのエース――あおい。

 ここまで防御率は2,01、勝利数一五と、エースと呼ばれるに相応しい活躍を見せている。

 それでも、なんとか勝たせてやりたい。

 そんな今日の先発であるゆたかは、ロッカーで静かに座って、イヤフォンで音楽を聴いていた。

 ゆっくりと目をつむっているゆたかに近づく。

 ゆたかは俺の気配に気がついたのか、薄っすらと目を開けて俺を見つめた。

 

「あ、せんぱい。おはようございます!」

「……ああ。すげぇピリピリした空気だな」

 

 隣に座ると、ゆたかは耳からイヤフォンを外す。

 

「そうですね。皆緊張してるみたいです」

「……そういうゆたかは他人事だな」

「あ、えっと……わ、笑わないでくださいね?」

「笑わないよ。どうした?」

「……凄く、ワクワクしてるんです。こんな大舞台で先発に選んでもらえて、しかも、相手はキャットハンズのエース、早川あおい……甲子園でも味わえなかったくらいの、最高のシチュエーションで投げられる……そう思うとオレ、武者震いが止まらないんです」

 

 ぐっと拳を握って、ゆたかが前を見つめる。

 ……なんて頼もしい後輩だろう。

 そういえば、猪狩やあおいにも、こんな所が有ったっけ。

 プレッシャーの掛かる場面で、持ちうるポテンシャルを全力で発揮出来るメンタル。

 これが『エースの素質』ってやつなんだろう。

 大舞台を前に怯むのではなく、前を見据えて挑んでいく。

 そんな投手の前に座るのが俺の仕事だ。泣き言なんて言ってられない。

 例え身体を痛めていたとしても――俺も、持っている力を全力で出すぞ。

 

「ゆたか、ブルペンに入るか」

「はいっ!」

 

 ゆたかと一緒に立ち上がり、ブルペンへと歩き出す。

 ――いよいよ、キャットハンズとの最終戦の火蓋が、切って落とされようとしていた。

 

 

                  ☆

 

 

『本日のスターティングメンバーを発表致します。先攻、カイザースのスターティングメンバーは。

 一番センター相川。

 二番セカンド蛇島。

 三番ショート友沢。

 四番ファーストドリトン。

 五番サード春。

 六番ライト近平。

 七番レフト飯原。

 八番キャッチャー葉波。

 九番ピッチャー稲村、以上でございます。

 そして、後攻――キャットハンズのスターティングメンバーを発表致します!

 一番セカンド木田。

 二番ショート小山雅。

 三番キャッチャー猪狩進。

 四番サードジョージ。

 五番ライト上条。

 六番ファースト鈴木。

 七番センター佐久間。

 八番レフト水谷。

 そして、本日の先発ピッチャー……九番、ピッチャー、早川あおい!』

『さあ、いよいよ始まります大一番! この大一番に迎える解説は、ミスター猛打賞、古葉良己さんです』

『よろしくお願いします』

 

 ピッチャーが呼ばれた瞬間、爆音のような歓声が球場を包み込む。

 観客の期待を背に受けて、姿を現すはキャットハンズのエースナンバー『18』を背負うお下げ髪の女性。

 アンダースローで一三〇キロを叩き出し、ストライクゾーンの隅を的確に突くコントロールと、シンカー、カーブ、ツーシーム、そして決め球のマリンボールを操るレ・リーグ最高の技巧派投手。

 フロントドア、バックドアといった投球術を使いこなし、ここまで一五勝、貯金一二をチームに齎している強敵。

 今日は、その投手を打たなければならない。

 始球式が終わって、相川さんが左のバッターボックスであおいを睨みつける。

 あおいはこともなげにその視線を受け止めて、

 

 スパァンッ! とスピンの掛かったキレの有るストレートで、外角低めを射抜いた。

 

 ストライク! と審判がコールする。

 相川さんのバットはピクリとも動かない。

 あおいは進の返球に笑顔を返して、ロージンバッグを指先に付けると、続く二球目を投じた。

 二球目はマリンボール。ストレートと同じ軌道で内角からボールがワンバウンドする。

 相川さんはそれを空振った。ストレートを二球続けてきたと思ったのだろう。

 相手バッテリーは一球外のボールで外し、ツーストライクワンボールとカウントを整えた後、内角に、マリンボールを投げ込んだ。

 身体にぶつかりそうな角度から、マリンボールはストライクゾーンを掠り、進のミットに収まる。

 相川さんは内角へのボール球だと思ったのだろう。バットを振ることすら出来ない。

 

「ストライクバッターアウト!」

 

 手も足も出ないという印象を残して、一つ目のアウトカウントが灯る。

 続く二番蛇島は、二球目のインハイへのツーシームを打たされてショートフライ。

 三番の友沢は初球から振っていくが、これも読まれていたのか、外角から逃げていくマリンボールを打たされて、セカンドゴロに打ち取られる。

 わずか七球で、一回表のカイザースの攻撃は終わった。

 ゆたかとのキャッチボールを終え、ゆっくりとフィールドに足を向ける。

 震える程の緊張感。それでも、この舞台に立てる事が何処か誇らしい。

 怯える気持ちなど微塵も無く、俺はキャッチャーズサークルに立った。

 震える身体が、俺に訴える。

 野球しようよ、と。

 俺はその欲求に従って、声を張り上げた。

 

「――締まっていくぞ!」

「! ……はいっ! 締まっていこー!」

「……高校野球かパワプロ。懐かしい掛け声だな。……だが、締まっていくぞ!」

「そんなマヌケな掛け声に付き合わされる身にもなって欲しいですねぇ……。稲村、打たせてこい! この蛇島がどんなボールでも取ってやる」

「俺も気合入れないとね。締まっていこう! サードは任せて!」

「締まっていくぞ! 今日は俺がホームランを打って勝つ! 葉波よりは絶対活躍するぜ!」

 

 思わず叫んだ俺の声に呼応して、マウンドから、ショートから、セカンドから、サードから、ライトから――全てのポジションから、声が帰ってくる。

 それが無性に嬉しくて、俺はにっと頬を釣り上げた。

 この最高の仲間たちと優勝する。そのためにも、今日は絶対に勝つ!

 

『バッター一番、木田』

 

 好打者木田が右のバッターボックスに立つ。

 今年も打率三割が確定している木田だが、出塁は絶対に許さない。

 立ち上がり、ブルペンではゆたかの調子は良さそうだった。それを信じて、まずは外角低めのストレートから要求する。

 まずは実践での、ゆたかの調子を確かめたい。ブルペンでは良くても試合のマウンドでは余り良くなかった、なんてことはよく有ることだからな。

 俺がサインを出すと、ゆたかはコクリと頷いて、足を上げた。

 ポン、とフォームの途中でミットを一つ叩き、出処の見辛いフォームからゆたかが一球目を放つ。

 彼女の投げたボールは、まるでミットとボールに磁石が仕込まれているかのように寸分違わず俺の構えた所に投じられる。

 ズバァンッ! とミットを切り裂くような快音が響き渡った。

 

「ストライク!」

『外角低め! 木田、手が出ません!』

 

 震えが走る程の完璧な球だ。

 痛めている脇腹にビリっとした痛みが走るが、そんなことが気にならない程の快音に俺は感動すら覚える。

 この負ければ優勝の可能性が消失する試合の立ち上がり、一球目にこんなボールを投げられるゆたかの精神力は、ともすればベテランの選手すら凌駕しているかもしれない。

 ゆたかはまだローテに定着して一年目だ。殆どルーキーと同じ彼女が、久遠や山口を差し置いてこの試合のスターターに選ばれたことに疑問を覚えるファンやメディアも居ただろうが、このボールを目の当たりにすれば、誰しもがゆたかが先発であることに納得するだろう。

 一度靭帯の再建手術が必要なほどの最悪な怪我を経験し、投げられないという地獄を味わったゆたかにとって、この重圧は寧ろ、味わいたくてしょうがなかったものなのだろう。

 その証拠に、初球を投げ終えたゆたかの表情には笑顔が浮かんでいた。

 ……ったく、似たもの同士だな、俺とゆたかは。

 ――俺も、この最高のボールを、こんな痺れる試合で受けられることが楽しくて嬉しくてしょうがない。

 ビュッ、とゆたかにボールを返し、二球目のサインを出す。

 今度も外角。ただしボールはスライダーだ。

 ストライクゾーンから逃げるような縦のスライダーを要求する。

 ゆたかは頷き、テンポ良くボールを投じた。

 投じられたボールは先程のストライクゾーンよりバッターの近く、しかし低めに投げられた。

 その低めから、更に地面をえぐるようにボールは落ちる。

 そのボールに木田は反応し、スイングするが、途中でなんとかバットを止める。

 

「スイング!」

 

 俺が指を回し、バッターがスイングしたと球審にアピールすると、球審はファースト塁審を指さして確認をする。

 ファーストの塁審が拳を掲げ、スイングしたという判定を下すと、審判がストライクを宣告した。

 これで追い込んだ。

 ウイニングショットのスライダーもバッチリだ。今日のゆたかの調子は好調と言っていいだろう。

 とはいえ、気を緩めて良い訳じゃない。目の前の打者を全力で抑えるぞ。

 もう一球決め球のスライダーで木田を打ち取り、ゆたかがふぅ、と一息を吐く。

 木田を打ち取れたのは大きいな。次の小山が当たってるだけに、ここで出塁を許したら初回から苦しい展開になる所だった。

 

『バッター二番、小山雅』

 

 ポニーテールを揺らしながら、小山がヘルメットを被りつつ打席に立つ。

 後半戦に入ってからショートのレギュラーに定着した小山は、規定打席には届かないものの三割を打っている。

 守備もさることながら、打撃でも戦力になり始めたのはキャットハンズにとっては大きいだろう。

 

「勝負、だよ」

「……ああ」

 

 小声で言った小山に応えて、俺はふぅ、と息を吐く。

 さて、と。

 小山の得意ゾーンは幅広い。非力だが、意外に長打も放つ事のできる打者だ。安易に内角を攻めれば外野の頭を上を越えられるだろう。

 更にビハインドの後半では五割以上の打率を残している勝負強さを持つ。

 後半戦に入った約七〇試合で五度ものサヨナラ打を放っていることからも、それは伺える。

 そんな打者に対しては――無論、他の打者にも必要だが――"一打席ごとの勝負"ではなく、"試合ごとの勝負"を意識したリードは特に重要となってくるだろう。

 と考えると、安易にスライダーを続けるのはよろしくない。

 いくら目の前の一打席一打席に集中しなければならないと言っても、だ。

 ゆたかの使えるボールはストレート、縦スライダー、チェンジアップ、カーブ。

 ここは緩急を使うか。続く進、ジョージの前にランナーは出したくはないが、単打ならこちらの勝ちというつもりで、思い切って攻めよう。

 初球はアウトコースのチェンジアップ。ゆたかのチェンジアップは決め球にこそならないが、使えないボールってわけじゃない。

 俺のサインに頷いたゆたかが腕をふるう。

 初球、小山はそれをしっかりと見送った。

 

「ストライク!」

 

 ……ぴくりともバットが動かなかったな。

 嫌な感じだ。見極められたか、読まれて敢えて見逃されたか。

 だが、どちらにしろワンストライクを取れたのも事実。それならその優位を使うだけだ。

 続いて外低めへの際どいストレートでストライクを取れ、一球外に外して、最後は縦のスライダーで小山はピッチャーゴロに打ち取った。

 ふ、ぅ。一打席目なのもあって、相手がゆたかにアジャスト出来てなかったな。

 だが、それでも縦スライダーにバットが当たっていたことを考えると、やはり小山の状態はかなり良さそうだ。

 三番の進はライトライナーで打ち取って、初回が終わる。

 三者凡退……順調な立ち上がりだ。この調子でいけばクオリティスタートは固いけど、ただでさえ緊張するであろうこの試合に、一年間ローテを守ったことのないゆたかが登板しているんだ。気をつけないと。

 シーズンの累積疲労も有る。投手の状態は注意しとくに越したことはない。

 

「ゆたか、ナイスピッチ」

「ありがとうございます!」

 

 ゆたかとグローブを合わせながら、ベンチに戻る。

 回は二回の表、カイザースの攻撃はドリトンからだ。

 一応打席が回ってくるかもしれない。防具は外さないままで準備はしておこう。

 思いながら、ふと視線を感じてそちらの方を向くと、マウンドに立つあおいとばっちりと目が合った。

 あおいはボールを弄りながら、俺の方をじっと見ている。

 ……俺との対戦を、楽しみにしてくれているのだろうか。

 あおいは俺に向けて微笑んだ後、防具を付けているが為に遅くなった進に向けて投球練習を始めた。

 "一緒に野球やるの、やっぱり楽しいね"

 ……その微笑みに込められたそんな言葉が聞こえた気がして、俺はあおいの投球練習をじっと見つめた。

 楽しいけど、手強いな、あおいのチームは。

 バットをケースから引き抜き、ぎゅっと握りながら、俺は息を吐く。

 この回、俺に打席が回ってくるとしたら、必ず得点圏にランナーが居る場面だ。

 そんな場面であおいと戦えたら――、そう思うと、ぞくぞくしてくる。

 

『バッター四番、ドリトン』

「ハッハッハ! 大舞台デ強イ、ソレガ、アメリカダ!」

 

 ブンブンとバットを振り回しながら、ドリトンが右打席に立つ。

 あおいが進からのサインを受け取り、ボールを投じる。

 初球は外角のカーブ。ぐにゃりと意志を持つかのように曲がるボールをドリトンは豪快に空振る。

 ドリトンは初球から積極的に来る打者だ。良くも悪くもストライクゾーンの届く所に来たら、全力で振る。

 そのスタイルは成績を見れば一目瞭然で、打率は二割五分台と低迷しているが、ホームランはカイザースの中で唯一四〇本台の大台に到達している、四三本だ。

 このドリトンが返しそこねた打者を、後続の春、近平で返すというのがカイザースの得点パターンなのだ。

 前の打者が塁に出れば、一発で複数得点が入るリスクが有り、こうして先頭打者に立てば一撃で得点が入る可能性がある打者。

 打率が低いため叩かれることも多いが、逆に賞賛されることも多い、魅力的な長距離砲だろう。

 1-0から、進の動きが止まる。

 ……ふむ。外のカーブから入ったということは、一発警戒と見て間違いない。

 ならば、次も外を攻めたいが――球種を迷っているのだろう。

 俺ならばここは外角低めのストレートを使うが、進が迷っているのはツーシームを使うかどうかだろう。

 ツーシームのバックドアを使ってストライクを取るか、そのままストレートで際どい所を狙うか、変化球を続けるか。

 或いは、他の打者ならツーシームを使っていたかもしれない。アレは分かっててもなかなか打てる球じゃないし、外にウィークポイントがあるドリトンには非常に有効に思える。

 だが、ドリトンはストレート、特に"動くストレート"、つまりはムービング系の球にはめっぽう強い。

 レギュラーリーグ経験が有るお陰だろう。アメリカにはボールを動かす投手は多いからな。その第一線でプレーした経験が活きているのだ。

 ……あおいのコントロールは球界ナンバーワンだ。

 そういう投手をリードする捕手はかなり気を使う。

 しかもペナントレースの最終盤ともなれば、プレッシャーも有ってかなり慎重にならざるを得ないだろう。

 進が息を吐いて、サインを出す。

 選んだボールは、

 

 ――外低め、ストライクゾーンに入ってくるツーシームだった。

 

 ドリトンは、それを勢い良く踏み込んで振っていった。

 バットにボールが当たった瞬間、ファースト方向に痛烈な打球が転がる。

 

「ハッハー!」

『打った! 痛烈な打球はライト線!』

 

 痛烈なゴロとなった打球は、ファーストの鈴木の右、ライン際へと猛スピードで転がっていく。

 だが、抜けない。鈴木が素早く打球方向に入っている。守備範囲内だ。

 取られる――。

 そう思った瞬間、

 

 ガツン!! とボールがベースに直撃した。

 

 目を疑ったのは俺だけじゃないだろう。

 ベースに直撃したボールは高く弾み、鈴木の頭を超えてライトへと抜けていく。

 脚の早くないドリトンは、それでも全力疾走でファーストベースを蹴ると、セカンドベースに滑りこんだ。

 ライトが慌てて捕球し、内野へとボールを戻す。

 

『なんと! カイザースにとっては幸運! キャットハンズにとっては不運! 打球がベースに当たり大きく跳ねてファーストの頭を超えてライトへ! 打ったドリトンはセカンド到達~!』

 

 よしっ! 運が良かった部分も有るがランナーが得点圏に進んだ!

 しかもノーアウト。先制の絶好のチャンス。

 更に、打順は五番の春。得点圏四割を打つ、球団随一の勝負強さの打者だ。

 にしても、進の奴、ツーシームを選んだな。

 しかも打球は痛烈だったとはいえ、打ち取っていた当たりだった。

 ……ツーシームは、進とあおいが協力して作り上げた球種なんだろう。バックドアという投球術を使うというのも、二人が作りあげた投球だ。

 進は、ああいう迷う場面で自分たちが作った"形"を優先した。

 つまり、根っこの所には確固たる自信が有るんだ。自分たちの作り上げた投球は打てないという、いつもどおりにやれば、自分たちは負けないという自信が。

 武者震いが身体に走る。

 ――これが連覇を続ける"王者の野球"なのだと、グラウンドに立つあのバッテリーがその姿で知らしめて来るから。

 

『バッター五番、春』

 

 なら俺達は、その王者にただ、挑むだけだ。

 

「春! 打てよ!」

「ん、うん。"集中してくる"よ」

 

 俺の檄に春が頷いて、一番頼もしい一言を返してくれる。

 春の"集中する"という一言は、たぶん、俺達で言う"打ってくる"と同じ意味だから。

 右の打席に立った春の瞳が、あおいを捉えて離さない。

 あおいと進バッテリーは、その視線を受けて尚、全く動じない。

 初球、内角低めギリギリ一杯に、ストレートをビシっと決める。

 

「ストライク!」

 

 あのストレートは打てない。ただでさえ今日の試合初打席に、そんな際どいコースに、しかもインコース低めに投げられて反応出来る打者は球界でも指で数えられるくらいしか居ないだろう。

 二球目はもう一度内角低めへマリンボール。ただし、コースは低めに外れたボール球だ。

 それを、春は空振ってしまった。

 くっ、ストレートと同じコースで急降下したか。前のボールがちらついて、思わず手が出てしまったのだろう。

 二球で追い込まれて2-0。ここまでは完全に見下されたような投球をされてしまっている。

 ここはセオリー通りなら一球外してくる場面。

 あおいと進の選択したボールは、

 

 外からの、マリンボールによるバックドアだった。

 

 それを、春は踏み込んでバットを振っていく。

 読んでいた訳ではないだろう。内角、内角と来て外一球外すまでは予測出来るだろうが、そこからストライクゾーンに入ってくるというのは予想の外のはずだ。

 しかも、相手はあおい。内角二つ続けられた後、ただでさえ打ちづらく、ボールゾーンに来やすいこのカウントで、外を狙って踏み込むなんて、打者として思考していたら、まず考えつかない。

 春のバットが、ボールにぶつかる。

 打球は小さなフライになってしまった。

 だが、コースは面白い。セカンドとファーストのちょうど真ん中のコースだ。

 

「落ちろ!」

 

 春が言いながら走る。

 その声に従うかのように、ボールはちょうど真ん中にポトンと落ちた。

 

『落ちたー! 打ち取った当たりも飛んだコースが良かったか! カイザースチャンス拡大! ノーアウト一、三塁の大チャンスを作ります!』

 

 浅いフライだったせいでセカンドランナーは帰れなかったが、三塁に進んでノーアウト一、三塁。

 バッターは今シーズン、打者として頭角を表した近平になる。

 

「おっしゃぁぁぁ!」

 

 バットを握り、近平が左打席に向かう。

 進はそれを見ながら、あおいに駆け寄るまでもなく、マスクをかぶり直してその場に座った。

 ……ここは一声掛けても良い場面だ。だが、進はそうしなかった。

 これがテンパっての事なのか、それとも、そうする必要すらないと思っているのか。

 ここは外野フライでもこっちが先制。この大一番、慎重に慎重を重ねるのは悪いことじゃないと思うけど……。

 そう考える俺を尻目に、キャットハンズの守備陣はこの序盤から前進守備を取った。

 あくまで、一点もやらないつもりなのか。

 あおいと進のバッテリーは外角低めへストレートを投じる。

 近平は今シーズン、既に二七本の本塁打を放ち、打者としての才能を開花させつつある。

 そんな彼相手に、外野フライを打たせない、というのは難しい。

 俺が捕手なら、一点は上げても良いというリードをするが、進あおいバッテリー、キャットハンズは一点も与えるつもりはないようだ。

 あおいはふぅ、と一息吐くと、進のリードには一切首を振らず、ボールをインコースへと投じた。

 ベルト高から真っ逆さまに変化するマリンボールに、近平が目一杯バットを振っていくが当たらない。

 またツーストライクノーボール。こうもポンポン際どい所にボールを投げられたら、打者としてはたまったものじゃない。

 近平がバットを構えなおす。

 キャットハンズバッテリーのサイン交換は、一瞬で終わった。

 あおいが弓を彷彿とさせるテイクバックから、腕を振るう。

 ボールは、一直線に内角低めに向かって放たれた。

 また三球勝負……!?

 俺が驚愕したと同時に、おそらく、近平も同じように驚いただろう。

 そして同時に憤ったはずだ。舐めるな、と。

 前進守備という一点もやらない姿勢を取ったにもかかわらず遊び球を使わない三球勝負。そんな攻めをされた打者は、近平と同じように『舐められた』と感じるだろう。

 強気は時として攻めを単調にする。そうなれば、プロのバッターは造作もなくそのボールを捉えることが出来るだろう。

 だが、そんな俺の考えを嘲笑うかのように、ボールは低めへと更に変化した。

 ボールが引っ張り気味の緩いゴロになる。

 ファーストの鈴木が前進してそのボールをキャッチし、セカンドにボールを投じる。

 セカンドの木田がベースを踏み、ファーストへと素早く送球を返すが、間一髪近平の足がベースを駆け抜けた。

 ドリトンは鈍足だ。今のボールじゃ、ホームには帰れない。

 これで、ワンアウト一、三塁。

 

「ナイスボール、早川先輩」

「うん!」

 

 二人のやり取りをネクストに向かいながら、じっと見つめる。

 ……今のキャットハンズバッテリーの攻め。舐められていたように感じてもしょうがない。アレは――実際に、見下していたんだから。

 二七本塁打を放った打者である近平を、三球勝負で抑えるビジョンが、二人に共通して見えていたんだ。

 いや、近平だけじゃない。多分、カイザースの二~四番以外は全て。

 思えばドリトンのツーベース、春のヒットという、この回のヒット二本とも、こちらにとって幸運だっただけで、実際は打ち取られていた当たりだった。

 その事実に気づき、俺は背中に冷風を掛けられたかのように、ぞくっとした悪寒を

感じる。

 ……シーズン中に戦った時とは違う、シーズン最後の山場の全力のあおいは、そこまでなのか。

 まるで、高校時代の猪狩と戦った時のような――いや、それ以上の威圧感をバッテリーから感じて、思わず生唾を飲み込む。

 目の前では、俺の前の打者である飯原さんがピッチャーフライに打ち取られた所だった。

 打撃に定評のある飯原さんも、赤子の手をひねるようにやられた。

 

『ノーアウト一、三塁のチャンスが瞬く間にツーアウトに! ここで迎えるバッターは高校時代、キャットハンズバッテリーと甲子園を共にした、葉波を迎えます!』

『ここでカイザースは一点でも取りたい所ですね』

 

 ふぅ、と息を吐き出しながら、右打席に立つ。

 近平、飯原さんとくらべて俺の打撃技術は劣っている。

 でも、相手はあおいと進だ。あおいの球筋は良く知っているし、進のことも理解している。

 だったら、臆することはない。全力でランナーを返すだけだ。

 あおいが腕を引き、ボールを投じる。

 初球は外角低めのボール球。それを俺はしっかりと見送った。

 ……明らかに、この回の今までの打席の打者とはリードが違う。

 おそらく、俺が二人を理解していることを、キャットハンズバッテリーも分かっている。

 だからこそ、こうして初球ボールから入って、慎重に組み立てようとしているのだろう。

 二球目、選ばれたボールはインローのストレート。

 浮き上がるようなストレートを、俺はスイングする。

 スパァンッ、と背後でミットの音がした。

 空振りでワンストライク。でも、スイングしても脇腹の痛みはなかった。

 これなら、打撃にだけ集中出来そうだ。

 外角低め、内角低めにストレートを続けた。

 次で追い込みたいはずだ。と、考えれば、俺の不得意なコースであるインコースにボールを見せたい。

 ただ、変則的なタイプと俺の相性は良い。特にあおいの球質は見慣れてる。

 それ故、安易には来ないだろう。

 と、なれば――インコースのボールからストライクになる変化球で来る。

 つまり、"フロントドア"のカーブだ。

 それに狙いを定めて、息を吐く。

 あおいがセットポジションに入る。

 一度決めたら、迷わない。

 後は自分を信じて――振りぬくだけだ。

 低めからリリースされたカーブは、普段どおりならば一度浮き上がり俺の視界から一瞬消え、肩口から曲がりながら姿を現す。

 だが、カーブだと分かっているのならば。

 あおいが構えた瞬間、意図的に身体とスタンスを僅かに開かせる。

 その動きで進は察しただろう。だが、遅い。

 投じられたあおいのカーブは、スタンスを開いたことで広がった視界の中で、消えることなく浮き上がってくる。

 俺はそれに狙いを定め、予め開いていたことで反応しやすくなった内角の球をしっかりと軸回転で弾き返した。

 同時に、脇腹に痛みが走る。

 つっ……! 身体を開いて打ったせいか……っ。

 だが、しっかりと弾き返したボールはサードとショートの間を痛烈に抜け、レフト前のヒットとなる。

 

『打ったー! 三遊間抜けてレフト前! カイザース先制ー!』

『完全に読んでいましたね。インコース、身体にぶつかりそうな所からストライクゾーンに入ってくる変化球……いわゆるフロントドアですが、早川くんと猪狩進くんのバッテリーのことを葉波くんはよく知っています。自分がインコースを苦手にしていることを分かっている上で、キャットハンズバッテリーが苦手なコースをただ狙ってくるのではないとしっかり読んでいたのでしょう。この読みこそ、葉波くんの真骨頂ですね。打撃センスはあまり感じないのですが、それを補って余りある読みです』

『なるほど、古葉さんは葉波選手のことをよく知っているんですね?』

『ええ、プライベートで親交が有りまして』

 

 ファーストランナーの春はセカンドでストップして、ツーアウト一、二塁。先制点を取れたのは大きい。

 打った時に痛みが走ったのは気になるけど、今のは痛みがなかった。打撃の時、身体が開くと痛みが出るのかもしれないな。

 あおいはマウンドからちらりと俺の方を見た後、気を落ち着けるように息を吐き出し、続くバッター、ピッチャーのゆたかを三振に打ち取った。

 これでスリーアウトチェンジ、二回の表が終了する。

 二回の裏、バッターは四番のジョージから。

 甘く入ったチェンジアップをヒットにされたものの、続く五番上条をセカンドゴロ、六番鈴木をピッチャーフライに打ち取りツーアウト。

 そして七番佐久間の佐久間をスライダーでしっかり空振り三振に打ち取った。

 ふぅ、アウトこそ取れるが、流石に楽には行かせてくれない、頭を使うぜ。

 でも、ゆたかの調子は悪くない。このままの調子でいけば抑えられるだろう。

 三回の表、相川さんは内角のボールを振らされて三振。蛇島はセカンドゴロ、友沢はライトフライで攻撃が終わる。

 さくさくと攻撃が終わってしまったか。キャットハンズは守備から攻撃のリズムを作るチーム。気をつけないとな。

 三回裏、打順は八番の水谷からだ。

 八番打者とあって打撃力は低いが、それでも俺より打率は高いし、ホームランも打っている。

 勝負強いという印象はないものの、油断して出塁を許せば次は九番のあおいから上位打線に回る。

 ここで出塁を許す訳にはいかないぞ。

 データ的に見れば水谷は外角に弱い。逆に意外なパンチ力が有り、打率に比べて長打率は高めだ。

 ここは低めを丁寧に攻めよう。

 まずは外低めにストレートから。

 ゆたかがボールを投じるが、構えた所より低く外れる。

 

「ボール!」

 

 外れたか、次もアウトコース低めに、今度は縦のスライダーだ。

 しかし、今度もボールは低く外れてしまった。

 

「ボールツー!」

「大丈夫だゆたか、ボール来てるぞ!」

 

 ゆたかにボールを返しつつ、息を吐き出す。

 ノーツーか、ボールカウント先行になることは多々あるけど、先頭打者へのフォアボールは失点に繋がりやすい。

 かと言って、不用意にストライクを取りに行くのも避けたい場面。

 それなら、縦のスライダーを真ん中付近から落とそう。コースを狙わなくて良い分、ゆたかもストライクを狙いやすいだろう。

 サインを出し、ゆたかが頷いてボールを投げる。

 だが、指が引っかかってしまったのか、ボールはベース手前で大きく弾むボールになってしまった。

 ゆたかがマウンド上で息を吐き出す。

 ボール先行になってしまったせいで、余計な力が入ってるみたいだな。

 ストレートのサインを出して外角に構えるが、そのボールも外れて、ストレートのフォアボールになってしまった。

 

「ボールフォア!」

『あっとこれはいけません! ストレートのフォアボールでピッチャーはラストバッターの早川選手に回ります!』

 

 マスクを外し、タイムを取ってマウンドのゆたかに近づく。

 ゆたかはバツが悪そうに帽子を被り直した。

 

「ごめんなさい、せんぱい……フォアボール、出しちゃいけないと思ったら力んじゃって」

「そんなことより、今日のゆたかはなんだか可愛いなと思って言いに来た」

「ふぇっ!? な、なな、何をいきなり言ってるんですかっ、嬉しいですからもっと言ってください!」

「ははは、ゆたかって結構図々しいというか積極的だよな。ピッチングもその調子で行けば大丈夫だよ。一点あげたってまだ同点なんだ。フォアボールも気にすることないって」

「え? あ、そういうことですか。……もぉ! そういうので投手をリフレッシュさせるのは良くないですよ! 乙女心を踏みにじってますから!」

「本心だよ。でも、次は格好いい所を見せて欲しい。俺はゆたかが打者を抑えてる所を見るのが、一番好きだからさ」

「むぅ……真意が見え見えの言葉でも嬉しいのが困る……。……わかりました。次のバッターは早川あおいですからね。ビシっと抑えます!」

「おう、その調子で頼むぜ」

 

 ポンポン、と頭を軽く叩いて、キャッチャーズサークルに戻る。

 見れば、ゆたかは腕をぐるぐると回して気合を入れなおしていた。

 よし、これなら崩れることもないな。

 マスクをかぶり直していると、打席にやってきたあおいがジト目で俺を睨みつける。

 

「どんな言葉でたらしこんだの?」

「たらしこんでねぇよ! 励ましただけだ!」

「うっそだー、ただ励ましただけで顔が赤くなったり喜んだりがっかりしたりしないでしょ? ボクも何回もマウンドでパワプロくんの言葉に騙されたもん」

「ぐっ……実体験を交えて言われると否定出来ない……!」

「あはは。お手柔らかにお願いね、パワプロくん」

「それは承諾しかねるぜ。なにせ相手が超一流の選手なんだ。加減なんかしてたら一気に食われちまうからな」

 

 俺の言葉に微笑んで、あおいがバットを寝かせて構える。

 まあ、ここはバントだよな。

 あおいのバントは可もなく不可もなくと言った感じだ。

 ただし、打撃は流石に悪く、打率は一割も無いし、打点も〇だ。

 ここは恐れず高めに直球を投げさせてバントを封じに行く。

 ゆたかが左腕を振るう。

 あおいはそのボールを初球で三塁側に殺した。

 っ、上手い……!

 マスクを外しボールを掴みセカンドを伺うが、間に合いそうもない。

 しっかりと一塁に送球し一つ目のアウトを取ってこれでワンアウト二塁。

 ゆたかのボールはキレを感じると言っても一四〇キロ弱。あおいにとってはバントしやすい球なのだろう。

 ともあれ、これで得点圏にランナーが進んだ。

 バッターはトップに戻って木田、小山、進と続く。

 ランナーを一人許せば進との勝負になる。そうなればかなり厳しいと言わざるをえない。

 ゆたかには一点あげてもいいと言ったが、ここは最高のボールを使って抑えたい。

 まずはインコースに縦のスライダー。

 木田は積極的なバッター。インコースにくれば間違いなくバットを振ってくる。

 それを利用して、スライダーでファーストストライクを取ろう。

 ゆたかが頷き、ミットへ向かってボールを放る。

 流石の精度で、ゆたかは俺の構えたミットへとスライダーを投げ込んだ。

 木田のバットが空を斬る。

 

「ストライク!」

 

 よし、狙い通りだ。

 次もスライダー、正し今度は外から落としてギリギリを狙う。

 ファーストストライクを取ったことで、積極的な木田でもきわどい所は見極めようとするはずだ。

 ゆたかが投じたスライダーは狙い通りの所に来る。

 木田はそれをスイングした。

 ボールにバットが掠る音が聞こえて、俺の右をファールボールが抜けていく。

 これで追い込んだ。後はボール球を使って打ち取るだけだ。

 外、内とストレートを外し、カウントを2-2にした後、ゆたかの伝家の宝刀である縦スライダーで空振り三振に木田を打ち取る。

 これでツーアウト二塁。

 

『バッター二番、小山雅』

 

 ポニーテールを揺らし、二度目のバッターボックスに小山が立った。

 ……さて、次は進だ。ここで是が非でも打ち取っておきたい。

 しかし、この小山も打率三割を超える好打者だ。油断すればヒットを打たれる可能性は高いだろう。

 ……攻めが難しいが、ここはゆたかの力を信じてスライダーを軸としたリードで行くしかないか。

 俺のサインにゆたかが頷く。

 外角低めいっぱいを狙ったストレートが投げ込まれるが、ストライクゾーンからボール一つ分ほど外れてしまった。

 今のは見せ球だ。ストライクを取れなかったのは残念だけど、これでまだ五分五分。次はインコースにカーブ。甘くさえ入らなければ、ストレートを見た後なら、引っ張って打ってもファール。おっつけて打ってもゆるいボールなら、小山の力なら内野の頭は超えにくい。

 ゆたかはストレートよりも変化球の方が制球力が有るタイプだ。甘く入ることはそうそうない。

 投げられたカーブを、小山が強く引っ張る。

 ボールはサードの横を抜けてファールになった。

 ここまでは予定通り。だが、小山の視線はゆたかから外れない。

 ……普通の集中力じゃない。

 つ、と汗がマスクの内側を流れる。

 まずい、気迫に押されているのが、自分でも分かる。

 小山雅は、俺には絶対に敗けたくないんだろう。その負けん気の強さが、この集中力につながっている。

 でも、恐れる事じゃない。俺にはゆたかがいる。一人じゃないんだ。

 す、とミットをもう一度インコースに構える。

 配球は縦のスライダー。カーブよりも速くストレートよりも遅い。切れ味抜群の変化球。

 ゆたかはロージンを指先に丁寧に塗った後、ふっと白い粉を息で飛ばして、構える。

 そして、俺のミットめがけてスライダーを投げ込んだ。

 そのボールを、小山はバットで打ち返した。

 だが、勢いはない。ぼてぼてのゴロとなったボールは、ショートとサードの間、少しショート寄りの方へと転がっていく。

 

「抜けろ――!」

 小山が叫びながら全力で走る。

 くっ、勢いが無い上、いやらしい所に跳びやがって……!

 春はサードから出かけるが、サードベースへと戻り、打球を友沢に委ねる。セカンドランナーがサードに走るかどうかの確認のために一度ボールから目を切ったことで、一歩目が遅れたからだ。

 友沢は快速を活かし、ボールに真っ直ぐ突っ走る。

 回り込むことなく最短距離でボールへと到達した名手は、グローブを使わず素手でそのまま打球を鷲掴むと、そのまま体を反転させてファーストへとボールを投げた。

 俺のベストの送球と見紛う程のスピードでボールはドリトンのミットへと収まるが、それよりも速く小山の足がファーストベースを駆け抜けた。

 

「セーフセーフ!」

『友沢の凄まじい送球も及ばず内野安打!』

『レギュラーリーガーかと思う程の送球でした。あれで間に合わないのなら仕方ないでしょう』

 

 凄いプレーだ。今のでアウトを取っていたら、まず間違いなくニュース番組のピックアップシーンに取り上げられただろう。

 でも、そんなプレーを持ってしてもセーフになった。

 嫌な流れだ。今までこちらに吹いていた追い風が、突如逆風になる感覚。

 そんな場面で迎える打者は――三番、進。

 

 マスクをかぶり直す前に汗を拭う。

 ツーアウト一、二塁。

 パシン、と頬を叩いて気合を入れ直す。

 進を、抑えるぞ。

 座り直して、進の背を見つめる。

 広角に打ち分ける技術と抜群のバットコントロールを持った進なら、ゆるいボールから入れば痛打されるかもしれない。

 ワンヒットで同点、それなら、インコースのストレートから入ろう。

 俺の出したサインに、ゆたかが首を振って、帽子を取って汗を拭いながらマウンドの足元を均す。

 投げにくいのも有るんだろうけど、これはどちらかというと、時間を取ったんだ。……俺のために。

 ゆたかの意図が分かって、俺はぐっと拳を握りしめる。

 そうだよな、まだ三回なんだ。一点を恐れて初球からインコースをストレートで攻めちゃダメだ。もしも長打を打たれたら、ボールがバットに当たった瞬間にスタートを切るこのツーアウト一、二塁という場面だと、二点を取られてしまう可能性が大きくなる。

 なのに、ここで一点を恐れてインコースストレートという選択をするということは、ただ、『頼むから打ち損じてくれ』と、駆け引きから目を背けて相手の失敗を祈り、運に身を委ねているだけだ。

 本当に戦うつもりなら、ここは腰を据えてじっくり攻める。一点を取られても同点、回はまだ三回。しんどくても、脳みそが爆発しそうなくらい考えることになっても、脇腹の刺すような痛みを堪える事になったとしても。

 ――戦って勝利をもぎ取る。そういう選択をするんなら、ここはインコースのストレートじゃない。アウトコースのスライダーが、きっとベスト。

 俺たちの持ちうる最高の武器で、戦おう。

 ゆたかが構え直した所で、俺は改めてそのサインを出す。

 ゆたかはそれに頷いて、スライダーを投げ込んだ。

 そのボールで進の体勢が崩れる。だが、キャットハンズ一の巧打者は、ぐっと堪えながらバットを振り、レフトへとボールを打ち返した。

 サードとショートの間を打球が抜けていく。

 セカンドランナーがサードを蹴って、ホームに戻ってくる。

 レフトの飯原さんからショートへとボールが渡るが、ランナーはホームに帰還した。

 

『猪狩進選手、初球から積極的に打ってタイムリー! これで同点! 三回裏、キャットハンズが同点に追いつきました!! ランナーはなおも一、二塁! バッターは四番、ジョージです!!』

 

 二巡目とはいえ、ゆたかのスライダーを我慢して打ち返しやがった。

 しかも、今の崩され方――間違いない、インコースのストレートを狙っていたんだ。

 全く逆のコースを狙ってたのに、アウトコースの、それも切れ味抜群のゆたかのスライダーをきっちり野手の間に打ち返すその技術は、もはやキャットハンズの中にだけでは収まらないだろう。

 日本一の投手を兄に持つ、日本一の捕手。

 俺は、こいつを……進を、超えなきゃいけないんだ。

 続くジョージが打席に立つ。俺は、その姿を見つめながら自らを奮い立たせる。

 ――上等。アイツと約束したことだし、なってやろうじゃねぇか。

 立ちはだかる進とあおいを超えて、日本一の捕手ってやつに!

 

 

               ☆

 

 

 ジョージがファーストファウルフライに打ち取られるのを見届け、進はゆっくりとベンチに戻った。

 同点止まり。流れが逆流しかけていた割にはあっさり攻撃は終了してしまった。

 いや、終了させられたというべきか。

 ベンチに戻った進に、タイムリーを打った賞賛の言葉が投げかけられる。

 

「ナイスバッチ! 流石だな!」

「ありがとうございます。木田さん」

「進ー、良い打撃だったけど、崩されたかけてたねぇ?」

 

 監督である世渡に話しかけられて、進は曖昧に微笑む。

 

「狙いはストレートだった?」

「そうですね。インコースのストレートを投げさせてくると思いました。……近年まれに見るペナントレースの大接戦。その優勝をかけた残り二試合のうちの、一戦目……一点もやりたくないとインコースのストレートで勝負を賭けてくると思ったんですけど、流石先輩です。"踏みとどまり"ましたね」

「……強敵だねぇ、君の先輩、あおいくんの元パートナーは。もしもあそこでストレートを投げていたら、間違いなく長打に出来たのに」

「はい。……稲村さんが首を振った所で自らを諌めたんでしょう。先輩は、並じゃありませんから。多分本能で分かったんだと思います。"まだ此処は勝負所じゃない"と、ね」

「ここが勝負所だと勝手に盛り上がって勇み足で攻めてくれれば楽だったんだけどな」

「楽さを求めているなら、諦めてください、監督」

 

 防具を付け終わって、進がマスクを頭に掛けてグラウンドへと足を踏み出しながら、世渡に振り返って笑みを浮かべる。

 

 

「僕が捕手として、唯一憧れたパワプロ先輩が、楽な試合なんて、させてくれる訳ないじゃないですか」

 

 

 言って、進はグラウンドへと足を踏み出していく。

 ライトが照らす、グラウンドへ。

 ――進にとって、パワプロはいつだって壁だ。

 パワプロが進を優勝への、日本一の捕手への壁だと感じたのと同じかそれ以上に、中学時代から兄から認められ、自分から正捕手を奪っていたパワプロは、乗り越えるべき壁なのだ。

 

(敗けませんよ、先輩。――優勝するのは、僕達キャットハンズです)

 

 マスクをかぶり直し、キャッチャーズサークルへと座る。

 キャットハンズ対カイザースの最終戦。

 進とあおい、パワプロとゆたかの雌雄を決する戦いの中盤戦――四回表が、幕を開けようとしていた。

 

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