実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー   作:向日 葵

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第五話 "六月二週~七月一週" vs聖タチバナ学園高校 後編

「さ、二回裏。張り切って行くぞ!」

 

 投手に変更はない。恐らく橘にスタミナがないんだな。できるだけ宇津に長く投げて欲しいというわけか。

 この回は早川から。一番に戻って矢部くん、新垣という打順だ。

 ここで一点は最低でも取っておきたい。一度切れたくらいじゃこっちの流れは途切れないということを相手にも見せつけてやんねぇとな。

 早川が初球を打たされセカンドゴロに終わる。

 

「ふぐー……」

 

 がっかりしながら早川はベンチに戻ってくる。

 うーむ、やはり早川はバッティングも研究されてるみたいだな。ならピッチングはもっと研究されてるんだろう。

 なら、それを前提にして攻めれば良い。研究されてると分かっているならそれ相応の対応の仕方もあるしな。

 

『バッター一番、矢部くん』

 

 矢部くんが打席に立つ。

 そして初球、積極的に宇津のアウトローへの直球を綺麗にレフト前へと弾き返した。

 これで一死一塁だ。おっとネクストに立たないと。

 投手と捕手があからさまに盗塁警戒しているな。投手が常にプレートを外していて矢部くんから目が離れないし、捕手もじっと矢部を見つめている。

 

『バッター二番、新垣さん』

 

 ま、実際にこんだけ警戒されている中でも矢部くんなら走れるだろうけど――今回は新垣にしっかり送ってもらおう。

 本番で送りバントする感覚を養うのも大事だし、一本決めれば新垣の気持ちも楽になるはずだ。

 

「ばっちりいけるでやんすよー!」

 

 矢部くんがアピールをする。

 そうやって塁上で存在感を見せてくれるとこっちもかなりやりやすいからな。さすがだぜ。

 宇津が投げる。

 ストレート。やはり盗塁警戒か外角高めに投げられたボールだ。

 それを新垣は見送る。これで0-1。

 続いて二球目、今度もストレート。だが今度は外めのベルトの高さにボールが来た。

 新垣はそれをしっかりと一塁線に転がした。

 職人芸という名がふさわしい絶妙なバント。

 矢部くんはゆうゆうとセカンドに到達する。

 これでツーアウト二塁。打順は俺だ。

 

『バッター三番、葉波くん』

「うぃっす!」

 

 ここはしっかり返さねぇとな。送って貰った意味がなくなっちまうぜ。

 投げられたボールをしっかり見る。縦のスライダーが外へ外れた。これで0-1。

 続いてのボールは内へのストレートだが、これもストライクゾーンを大きく外れて高めに抜ける。これで0-2だ。なんとか六道が立ち上がって捕球したからワイルドピッチにはならなかったが、一歩間違えればパスボールになってるような球だぞ。

 

(ここまでコントロール乱したら出来るのは球種のリードだけだろ。縦のスライダー、ストレートって使ったな。……俺のデータを集めたんなら、真っ先に来る情報は"久遠のスライダーに手も足も出なかった"ってのだろう。さっきストレートを打たれたし、この打席はスライダーで勝負してくるはず)

 

 それも縦のスライダーは今初球に使った。それなら今度は縦ではなく横に変化する通常のスライダーで来るだろう。

 コースは0-2ってことも考えて外のきわどいとこで勝負したいだろうが、そんなコントロールはないし、何よりも次はホームランを打った友沢だ。ランナーは貯めたくないはず。それなら打ち損じる確率が高い内側に投げてくるとみた。

 宇津が振りかぶる。それにあわせて俺もぐぐっとバットを引いた。

 投げられたボールはスライダー。コースはインよりの真ん中高め。

 予想通りだと確信して、俺はバットでボールをひっぱたいた。

 ッキィンッ!! と快音を響かせてボールは右中間へと飛んでいく。

 矢部くんは二、三塁の丁度中間当たりで止まり、ボールが弾んだのを確認してからスタートした。

 俺は矢部くんが三塁を蹴るのを見ながら二塁へと向かう。

 これで五対一。タイムリーツーベースで尚も二死二塁で友沢だ。

 

『バッター四番、友沢くん』

 

 コールされた瞬間、六道がすぐに立ち上がってベースから離れる。

 敬遠――。

 宇津も分かっているらしく、表情を変えることなく敬遠を行う。

 これで二死一、二塁。ここで明石。

 明石もなんだかんだいって何処のチームでも一軍に残れそうな選手。今日の宇津あいてなら打てるはずだぜ。

 

「宇津くん」

 

 そう思っていると、春がすたすたと宇津に近づく。

 宇津は春に答える事なくこくりと頷いて、ベンチを見た。

 春もベンチを見つめる。

 それを合図にして、監督が審判を呼ぶ。

 

「ピッチャー交代、橘」

『ピッチャーの交代をお知らせいたします』

 

 アナウンスが流れ、宇津がボールを六道に渡してベンチへと帰っていく。

 それと入れ違いになるように――早川と同じ女性投手、橘みずきが小走りにマウンドへと走ってきた。

 

「準備おっけーだよん。だーりん」

「その呼び方をしてる場合じゃないよっ。……頼むね。みずきちゃん」

「まっかせなさい。聖、初球から行くわよ」

「む……分かった」

 

 六道が頷いて答えると橘はにっこりと笑う。

 上手く聞こえなかったが初球からどうとか言ってたな。まさか初球から決め球のスクリューを投げるのか?

 

『バッター五番、明石くん』

 

 明石が打席に立つ。

 それに合わせて、マウンドに集まっていた選手たちがそれぞれのポジションに戻っていく。

 その中心。橘みずきは胸を張ってボールを握る。

 自信満々なそのマウンド捌きは自分に自信が有る証拠だ。

 

「行くわよっ!」

 

 初球。

 橘みずきが左腕を思い切りしならせて横から振るう。

 所謂サイドスローって投げ方だ。

 放たれたボールに反応することが出来ず、明石はぐっとバットを強く握り締める。

 判定はストライクだ。

 ……橘のフォームは投球の際のステップを内側にすることにより、リリースポイントを左打者の明石にとってはヘルメットで視界を遮られる更に外側にしているため、左打者にとっては死角から投げ込まれる球になっている。

 それは俗に言われるサイドスローの最大の武器。

 

 所謂"クロスファイヤー"。

 

 細かく言えばサイドスローの死角からの投球のみがクロスファイヤーと言われる訳ではない。左投手なら左打者の外角、右打者の内角に、右投手なら右打者の外角、左打者の内角に、という風に対角線上に投げられるボールのことだ。

 だが、対角線上に投げられるボールは角度がつけば付くほど凄まじい威力になる。

 見えないところから一〇〇キロ以上の飛んでくるボールを打つ、それがいかに難しい事か野球の未経験者でも分かることだろう。

 

「……そして決め球になる変化球がある、と。たしかにこりゃ一筋縄じゃいかねぇかもな」

 

 この投法は有効だ。だがその分会得するのも難しいんだぜ。

 制球し辛い上に負担も大きいからな。一朝一夕で覚えようと思って覚えれるもんじゃない。

 橘みずきのように己のフォームにその投げ方が自然だと染みこませて、やっと扱えるようになるのがクロスファイヤーという球。それを使いこなしてるということは相当な練習量を積んでるはずだぜ。

 じりり、とリードを取りながら、橘に注目する。

 初球から全力で行くという意味か、橘は見るからに全力投球かという感じでマウンド上で躍動感を出している。

 二球目。

 再び明石の死角であろう角度から投げられるボール――スクリュー。

 だが、ただのスクリューじゃない。

 

「高速スクリュー……!?」

 

 しかも変化の仕方が尋常じゃない。ストレートよりも僅かに遅い程度の球速だが、変化量は早川のシンカーの三倍以上。

 

「うあっ!」

 

 明石が大きく空振りする。死角から放たれる高速スクリューだ。流石の明石でも初見じゃ無理だろう。

 ……っつか、明石はバッティングだけなら俺より上だ。その明石があんだけ振り回すとなると、だ。友沢以外じゃ橘にはたぶん、手も足も出ないぞ。

 恐らく六道は三球勝負で来る。早い回で橘に出番が回ってきたのは恐らく向こうにとっては誤算な筈だ。無駄に球数は使いたくないはずだからな。

 三球目、橘が振りかぶってサイドからボールを投げ込む。

 だが、今度は高速スクリューじゃない。遅く変化が小さい――普通のスクリューだ。

 

「しまっ」

 

 明石が声を出す。

 既に振りにいっていた明石をあざ笑うかのように変化したボールは、バットのしたっ面にこつんと当たり、セカンドの正面に転がった。

 俺と友沢は全力で走るが真正面の当たり。これで一塁に生きろというのは酷な話だ。

 

「春はん!」

「ナイストス原!」

 

 四、六。

 春のミットがパシッと小気味いい音を立ててボールを捕球する。

 

「アウトォッ! チェンジ!」

「……っくそっ」

 

 明石が悔しそうに俯くが今のは仕方ねぇ。口には出さないがこのコンビネーションはそうそう打てるもんじゃないな。

 ……恐らく、一回りならあのあかつき大付属や帝王だって押さえ込める程に手ごわい筈だ。

 

「無理やりにでも流れをモノにしにきたな」

「友沢。……ああ、そうだな。しっかり抑えないと、ずるずる一点ずつでも取られてったら気づいたら同点ってことになりかねない」

「それが分かってるならいい。……早川を引っ張れよ」

「ああ」

 

 頷いて防具をつける。

 そう簡単に流れは渡さない。打順は九番から、大田原、原、橘という打順だ。

 

『バッター九番、大田原君』

「うーし、三回表しまってくぞー!」

 

 原は別として、九番と投手を交えた相手に取ってはチャンスにし辛い。この回は二アウトは楽に取れるはずだ。

 しかしそのツーアウトは簡単にくれることはない。セーフティを交えたりして少しでも早川の余力を削ろうとしてくるはずだ。

 つっても方法はない。バントダッシュは反射的にしちまうもんだし、それを気にしすぎてリズムを崩しても良くないしな。

 

(ストレートでポンポンとストライクを取るぞ)

 

 早川がリズム良くうつむいて、素早く投げ込んでくる。

 予想通り大田原がバットを寝かしてすぐに引く。その動きに惑わされて早川がダッシュしてくるが大丈夫だ。

 真ん中の内より、パァンッと音を立てて俺のミットにボールが収まる。

 

「トーライッ!」

 

 二球目、同じく内よりのストレート。

 今度は大田原のバットの動きに惑わされることなく、早川はダッシュしない。

 

「トーライッツー!」

 

 "早川が故障したら終わり――"。その俺のセリフを覚えていてくれたのか、早川は俺を信頼するように俺のサインを待っている。

 じゃあ、その信頼には答えねーとな。

 無駄球は使わないが、今バントダッシュしなかったのを見て大田原は恐らくセーフティで来るだろう。

 だが前には飛ばさせない。打順は九番。流れを渡すわけにはいかないということを考えて、石橋を叩いて渡るつもりでここは"第三の球種"を使う。

 インハイにミットを構えると、早川はこくんと頷いた。

 

(……栄光学院大付属高戦はマスコミに波紋を投げかける意味が大きかったけど、きっとこのチームづくりにも大きな意味があった)

 

 友沢もチームの輪に近づき、選手たちの実力の把握も出来た。

 そしてなにより、早川のことを把握出来た事と、早川が自分に自信を持ったことが大きい。

 "第三の球種"を含めた自分のストレート――その力を栄光戦で確認出来た。

 だからこそ、力一杯投げ込めるんだ。甘く入ったら打たれると腕を縮こませることなく――むしろ甘く入っても打たれないという自信を持って。

 

(さあ来い!)

 

 腕が振るわれる。

 投げられる球は"第三の球種(さいこうのきめだま)"。

 キレ味抜群のその球は手元で浮かび上がるような軌道で放たれる。

 バントしようとバットを寝かせた大田原のバットの上っ面に当たったボールは、バックネット上部に当たってグラウンドに落ちる。

 

「アウト!」

 

 スリーバント失敗で一アウト。

 

『バッター二番、原くん』

 

 原が打席に立つ。

 さて、この回はサクサク行くぞ。

 原を丁寧に攻めて五球目にショートゴロ。

 みずきを三球目でセカンドゴロに抑える。

 

「うし……」

 

 最悪、このまま動かない流れに持っていければ試合に負けることはない。

 欲を言えば点を取りたいな。まだ初戦――後六回を早川一人で投げぬかなきゃならないんだ。出来る事ならコールド出来るうちにさっさとコールドにしたいぜ。

 この回は石嶺から。

 六、七、八と下位打線へ続く打順だ。

 正直に言えば橘に取ってこの回は攻略はたやすい回だろうな。

 

「頑張るでやんすー!」

 

 矢部くんが声を上げる。

 だが応援むなしく石嶺はピッチャーゴロ、三輪はファーストゴロ、赤坂はサードゴロに討ち取られる。

 三回裏が終わって5対1。二回のピンチからリリーフして僅か三球でチェンジした橘のおかげでかなり相手さんが流れにのっているな。

 

「おっけー流れこっちにあるぞ! この回一点返してこー!!」

 

 春が大声で言うと、向こう側のベンチが鼓舞され、声を張り上げる。

 だが、実力ならこっちのエースだって負けてないぜ。そう簡単に行かせるかよ。

 四回表、三番の好打順からだがここも点はとらせない。決め球は完全解禁でクリーンアップを打ちとるぞ。

 六道をカーブでファーストゴロ。春を"第三の球種(インハイのストレート)"で三振に打ち取る。続く大京にライト前ヒットを打たれるが続く篠塚をピッチャーフライに打ち取った。

 

「聖、良いリードしてくるね」

「うん。やっぱりあのバッテリーは凄いよ」

 

 新垣と早川が帽子をかぶり直しながらため息を付く。

 まあ完璧に打ち取られちまったからな……。ここはフォローいれとくか。

 

「気にすんな。四点勝ってる。点を取られなきゃもう負けねぇよ」

 

 ぼす、と早川の頭にミットをかぶせる。

 もーっ! と言いながら暴れる早川を笑い飛ばして防具を着用し、五回表の守備についた。

 大月から七、八、九の下位打線。大月は初球からセーフティ。それをサードの石嶺がしっかりアウトにしてくれる。中谷はシンカーを使い三振に打ち取る。続く大田原も同じくシンカーで三振に打ち取った。

 これで五回の表は終了だ。

 続く裏の攻撃は俺からの打順――つまり、クリーンアップの打席である。

 

『バッター三番、葉波くん』

 

 ウグイス嬢に呼ばれて、打席に立つ。

 さーて、明石から新垣までしっかり抑えられた高速スクリューの威力はどんなもんかな、と。

 初球。

 右打ちの俺から見て、かなり遠くからボールが放たれる。

 ストレートインにボール球!

 判断して打ちにいくがインローに来た鋭いボールにバットが当たらない。

 六道のミットの位置を確認するがボールゾーンに置いてあった。

 

「……ッ……、……今の、見送ればストライクですか?」

「ああ、ストライクだよ」

「ありがとうございます」

 

 審判にお礼を言って、バットを構え直す。

 対角線上から放たれるボールは恐らくストライクゾーンの角に掠ってミットに突き刺さっているんだろう。ボール球を振りに行ったつもりだが見送ってもストライクだったっつーことか。

 ちくしょう、マジで厄介だぜ。どうやって攻略すりゃいいんだ。

 まあいい、二球目だ。球種的に考えれば緩急を考えて遅い方のスクリューを使ってくるか。俺ならここはスクリューを使う。スクリューに読みを張れ。俺は左打者じゃねーからな。しっかり見て振れば左打者より打ちやすい筈だぞ。

 二球目が投げられる。

 ぐっ、とバットを貯めて貯めて――ビシッ、と高速スクリューが膝下に決まった。

 緩い球を想定していた俺には手がでない。一応ボール球だと思ったが……。

 

「ットラーイツー!」

 

 うく、またゾーンに掠ってたのか? 左腕のサイドスローなんて珍しいもん、見た事ねぇよ。

 しかもインサイドステップで更に角度を付けて投げ込んでくるんだ。ストライクゾーンの感じ方が違っても不思議はないぞ。

 

「いい球だな。高速スクリューか」

「そうだ。……クレッセントムーンと名付けている」

「……クレッセントムーン?」

「そうだ。良い球だろう。……みずきと春くんのおかげで完成した球だ。そう簡単には打たせない」

「……? ああ」

 

 一瞬目元が緩んだ気がしたが気のせいか。

 にしても"クレッセントムーン"、ね。たしかに弧を描くように鋭い変化するすげぇ球だぜ。

 横手投げのクロスファイヤーにレベルの高い高速スクリュー、それが合わさって初めて高い効果を発揮する決め球中の決め球だ。

 これで2-0。……どうするか。

 ここで緩いスクリューか。それとも決め球のクレッセントムーンか。俺が合ってないストレートか。

 三球目。

 橘の手から放たれたボールは外角の低めに外れる。

 

「ボールッ!!」

 

 外角を使って内角のボールを有効に見せるための見せ球だ。

 これで2-1。友沢の前だからな、ランナーは出さないために慎重に来てるんだろう。

 

(次の球……四球目)

 

 これで速い球三つ。そろそろ緩い球が来そうだが……。

 橘が腕をふるう。

 追い込まれてる。ヒットゾーンを広くどの球にも対応するつもりで振れ!

 放たれたボールにタイミングを合わせて振るう。

 だが、当たらない。投げられたボールは"クレッセントムーン"……ストレートと同じ速さで急激に変化する橘、六道バッテリーの必殺球だ。

 

「トライックバッターアウッ!」

 

 審判のコールを聞きながら、俺はベンチへ帰る。

 くそ、手も足も出なかったな。完璧に見下ろされる形の三振だ。

 中学時代に活躍したといっても高校になれば話は別だ。

 俺の打撃はこのままじゃ、強豪校のピッチャーに手も足も出ないぞ。

 ……自分のことを考えるのは試合が終わった後でいい。今は橘の攻略法だ。

 

『バッター四番、友沢』

 

 打席に友沢が立つ。

 両打席の友沢は左相手に右打席に立った。

 ここは友沢に攻略法は任せよう。あいつならきっと何とかしてくれるはず。

 初球。えぐるように投げられるストレート。

 それを友沢は苦しそうにバットの先でカットする。

 カットしたボールは真後ろに飛んでファールになった。

 

「ファールッ!」

 

 1-0。珍しく打ちづらそうにしたな。流石の友沢でも初打席でこれに対応するのは無理か?

 二球目、外に投げられた遅いスクリューを友沢は見極める。

 

「ボーッ!!」

 

 これで1-1だ。

 

「タイム」

 

 友沢がタイムを取って打席を外し、靴紐を直した。

 どの球を打とうか迷ってんのか……? 大丈夫なのかよ友沢。

 友沢が打席に戻って三球目。

 続いての球は決め球――クレッセントムーン。

 1-1だが確実に追い込むために選択された球だ。

 全く反応せず、友沢がそのボールを見送る。

 

「トーライッ!」

 

 インローぎりぎり、またもやクロスファイヤーで投げられたボールに審判の手が上がる。

 2-1で追い込まれた。くそ、ここまでは完璧に相手が上手のピッチングをしてるぞ。

 それでも友沢は表情を崩さない。橘を見つめたまま、ぴたりとも集中を崩さず橘に集中している。

 投げられた四球目はまたもや高速スクリュー、クレッセントムーン。

 それを友沢は軽く合わせるようにしてファールにした。

 体重を後ろに残し、手で当てに行くだけのフォームだがカットするだけならこのフォームで十分だ。

 

「大丈夫だ。みずき。球は来ている」

「うん」

 

 ボールを六道から受け取りながら、橘はふぅ、と大きく息を吐いた。

 スリーランを打った打者だ。そう簡単に打ち取らせてはくれないと思っていても緊張するもんだよな。

 続いて橘はボールを投げ込む。

 今度のボールはストレート。だが友沢はそれにも反応しバットの根本でそれをファールにした。

 六球目、続いて投げられたのはクレッセントムーン。低めに僅かにズレたボールを友沢は見逃す。

 

「ボールッ!!」

 

 2-2。すげぇ。橘にとっては一〇〇%に近い精度の球を見極めやがった。あいつ選球眼までいいのかよ。

 六道が橘にボールを返しながら、なにかを考えるようにじろじろと友沢を見る。

 どうやったら打ち取ることが出来るか考えているんだろう。

 俺が捕手ならここはクロスファイヤーを使って打ち取るのを狙うが、果たして六道は何を選択するか。

 

「みずきちゃん! 聖ちゃん! 打ち取る事だけを考え無くて良いからね。後ろで勝負しても抑えられるよ!」

「分かってるわよ! いいからちゃんと守りなさいよね!」

 

 春の声に橘がわーわーと答える。

 騒がしいチームだな。だが不和は伝わってこない。やはりチームワークはしっかりしてるんだな。

 橘がふぅ、と息を吐いてロージンを入念に指へと付けてから、ぐっぐっと腰を回す。やはりインステップだからな。かなり負担は掛かってるんだろう。

 ……ん? 負担?

 ちょっと待てよ。

 ……そうか、ただでさえ疲労がオーバースローやスリークォーターなどに比べて大きいサイドスローなのに、更に疲労度が蓄積しやすいインステップで、尚且つ凄まじい精密さで投げ込んで居るんだ。スタミナだって凄まじい勢いで消費しているだろう。

 つまり友沢はスタミナ切れを狙って粘っているんだ。

 

「……っ、すー、はぁ」

 

 狙いに気づいたからか橘がロージンバッグを手につけながら、深く息を吐き出す。

 七球目、橘が思い切り腕をふるってボールを投げた。

 えぐるように内角に投げられた球はクレッセントムーン。

 友沢はそれを体の回転で巻き込むようにして引っ張った。

 ッカァンッ!! と痛快な音を残して打球はショートへと素早く飛ぶライナーになる。

 それを春がジャンプしてキャッチした。

 ファインプレー、そしてこれが友沢の公式戦初のアウト。

 当たりは良かったけどな。相手の守備の勝ちってところか。

 

「よしっ!」

「ナイスキャッチだーりん!」

「いいぞ春ッ!」

「後一人でチェンジだよ! 頑張ってみずきちゃん!」

 

 ボールを返しながら春が橘に言葉を飛ばす。

 続いての五番は明石。……よし、この回は粘らせるぞ。

 待球指令のサインを出す。明石はそれを了解してくれて、ぴたりと構えた。

 結局明石はストレートを確実にファールし、六球粘ってアウトになった。

 

「ナイス粘り。うっしゃ、六回表だ! この回は一番からだからな。しっかり抑えるぞ!」

「うん!」

「任せるでやんす!」

「まっかせなさい!」

 

 部員たちの意気を感じ取って、俺はキャッチャーズサークルへと腰を下ろす。

 この回は一番からだが、決め球を解禁して打ち取りに行く。

 原はカーブとストレートのコンビネーションを駆使し最後は"第三の球種(インハイのストレート)"で三振。

 続く橘はストレートで攻めてセカンドゴロに打ち取る。

 問題の六道には八球粘られたが、アウトハイのストレートをつまらせてファーストフライに打ち取った。

 

「……っ」

 

 六道の顔が悔しさに歪む。

 いよいよ流れが来ないことを焦り始めたみたいだな。しっかり抑えれてるし、これで六回一失点、試合も終盤だ。

 そしてこの六回裏――攻める。

 橘は六道の粘りで少しは休めたろうがそれでも疲れてる筈だ。この回は打者にも立ったし、何よりも友沢と明石の粘りがそろそろ足に来る。

 

「石嶺。初球の甘い球をのがすな。積極的に行けよ」

「分かった」

 

 石嶺が頷いて打席に向かっていく。

 

『バッター六番、石嶺くん』

 

 僅かに肩を上げ下げして、橘が息を吐いている。

 初球、六道が間を取りながら何を要求しようか悩んでるな。

 この回、橘が疲れているのは六道も分かっているはずだ。だからこそ安易にストレートや高速スクリューを要求すれば、甘くなり打たれるということも理解しているだろう。

 六道はアウトコースにミットを構える。

 クロスファイヤー。

 この場面で安易に球やコースを選択する事は出来ない。

 だからこそ考えて考えて必死に考えて、六道の選択したコースは外だった。

 左打者である石嶺の外角に来る球。そこにボールを決めれればそう簡単に打つことは出来ない。

 

「来い! みずき!」

「ん。……」

 

 ざっ、と橘が横手から腕を振るった。

 キレの良いストレートが対角線から逃げるように放たれる。

 初球から積極的に行けとアドバイスしてあった石嶺のバットから逃げるように、ストレートが外角の構えたところに決まった。

 

「トーライッ!」

 

 これで1-0。まだまだ、一球余裕があるぞ石嶺。

 二球目。ここは少ない球数で打ちとっていきたい筈だ。

 なら、ここでクレッセントムーンが来る。

 絶対に打たれないと自信がある球を選択する場面だ。ストレートを外角に構えて真っ向勝負したなら二球目は更に良い球で勝負するしかない。

 その球はたった一つ、クレッセントムーンだけなのだから。

 

「っ!」

 

 橘が腕をふるう。

 外角に構えられた六道のミットが驚いたように内側に動いた。

 球が浮く。一目見て甘いと分かる球だ。

 それを石嶺は押っ付けるようにして左に打ち返し、打球は三遊間を破って行く。

 よし! 予想通りこの回球が甘くなってんぞ! この回一気に攻める!

 ノーアウト一塁。ここでバッターは三輪だ。左打ちを徹底させてここで攻略したいな。ここで四点以上とれば次の回を無失点に押さえることでコールドが成立する。ここは欲張っていくぞ。

 

「三輪、積極的に行けよ。甘い球が来たら引っ張っていい、ゲッツーでも構わねぇぞ?」

「分かった。ゲッツーだけは打たない程度に積極的に行くよ」

 

 俺の軽口を笑って流し、三輪が打席に入る。

 三輪に対する初球。六道が外に構えた。

 だが、外への球がまたもや甘く入る。三輪はしっかりと俺が伝えたとおりにボールを引っ張ってくれた。

 ッカァンッ! と音を立ててボールが飛んでいく。

 ライトへの痛烈な当たり。ライトの大田原がそれを捕球してセカンドの原にボールを返すがランナーが出塁する。これでノーアウト一、二塁。

 

「……っ、く、はぁ、はぁっ……」

 

 橘がついに肩で息をし始めた。

 そうだよな。リリーフであろう橘が二回から投げて三回と二分の三、球数にして既に三八球投げてるんだ。スタミナ切れしても不思議じゃない。

 

「みずき……ッ」

 

 六道が何か言おうとするが、それを腕で制して橘はボールをくるくると指で回す。

 息を落ち着けるように大きく深呼吸をして、橘は再び構える。

 負けん気が強いな橘は。こういう投手は気後れしない。どんなピンチにだって弱みを見せないんだ。

 バッターは赤坂。ここは荒い打撃をさせたくないが、赤坂はバントがヘタな上に対応力が低い。

 長打が出れば良いけど次が早川だからな。ここは好きに打たせるしかないぜ。赤坂はバットに当たればボールは飛ぶ。ここは何とかヒットを打ってくれ。

 橘が腕を振る。

 ボールは外へのスクリュー。赤坂は思い切りそれを待っていましたとばかりにバットを振るったが、ボールゾーンへボールは逃げる。

 それを追いかけるように赤坂のバットが動いた。

 ガキッ、と鈍い音。

 

「よしっ!! 原っ!」

「ほいきたっ!」

 

 飛んだボールは春の真正面、春はそれを受け取って素早くセカンドへトスする。

 受け取った原はそのままファースト送球した。

 

「アウト!!」

 

 ダブルプレイ。チッ。甘くくれば捉えてたようなバッティング内容だったけどな。橘の執念が勝ったか。

 続く九番の早川は甘いストレートで完全に打ち取られる。これでスリーアウトでチェンジだ。

 

「……だが、この内容じゃ九回は持たない。次の回は一番から。……この回〇点に押さえて勝ちに行くぞ!」

「おおっ!!」

 

 全員で気合を入れてキャッチャーズサークルに座る。

 

『バッター四番、春』

 

 バッターは四番の春からだ。

 春がベンチを見つめている。

 その視線の先を追ってみると、そこにあるのは息を荒らげながらベンチで汗を拭う橘の姿。

 それを見つめて、ギリリと春はバットを構える。

 気合が入ってるな。キャプテンとしては力投している投手に援護点をやりたいところだろう。点差的に考えても七回表、そろそろ点を取らないと敗戦濃厚だからな。

 

(アウトローのストレートから、このコースは長打にならないぞ)

 

 ストレートを狙い撃ってきたとしてもヒットには簡単に出来ないぞ、さあ来い。

 早川が腕を振るう。右手のアンダースローから放たれる独特の軌道のストレートを春は振るっていく。

 

「ストラーイク!」

 

 しかし当たらない。空振りする形になってこれで1-0。さて、次の球だ。次は緩急を付けてカーブだぞ。

 早川が腕を振るって投げてくる。

 そのボールも春はビュッ! と振るって手を出してきた。

 これで2-0、追い込んだ。

 けど、なんか不気味だな。闇雲に振ってる訳じゃない。ちゃんと集中はしてるし狙いも付けて振ってきてる。

 

(一球外そう。早川、球数が多くなるが勘弁してくれよ)

 

 俺がサインを出すと早川はこくんと頷いた。やっぱ早川も何か感じてんだな。外すのが当然みたいな反応だぜ。

 外にストレートを投げて一球外す。

 2-1。カウントはまだまだ有利だし、高めの"第三の球種"で打ち取れるか?

 じろ、と春の様子を見てみる。

 集中は見せ球を見せても変わってないな。すげぇ集中力だ。……まるで得点圏のこいつを相手してるみたいだぜ。

 

(四球目は"第三の球種(インハイのストレート)"だ。来い!)

 

 早川が頷いて腕を振るう。

 春のバットの手前でボールが浮かび上がる。その軌道。

 

 それを春のバットが一閃した。

 

 カァンッ! という音を響かせて、ボールがレフトへと飛んでいく。

 完璧に捉えやがった! あの球を引っ張って長打だと!?

 レフトの三輪がフェンスに直撃したボールを取る。そのころには既に春はセカンドを回っていた。

 矢部くんが中継に入り、サードに送球されるが遅い。三塁塁審の手が大きく広げられる。

 スリーベース。完璧に捉えられたけど今の打席のあいつはなんか得点圏に感じる凄みがあったしな。これは仕方ないと切り替えていこう。

 

『バッター五番、大京』

 

 大京の打席だが、ここはヒットさえ打たれなきゃ良いんだ。一点なら取られても問題ない。ランナーさえ貯めなければ同点にまではつながらないからな。

 ……にしても、春の気迫は凄い。逆境に強いのかもな。あいつ。

 

(恐らく初球から来る。低めの高速シンカーを打たすぞ)

 

 俺のサインに早川はこくりと頷いて、ボールを投げる。

 低めのボールを大京はしっかりとミートする。それと同時に春がスタートした。

 ッキンッと乾いた音をバットが立てるが、痛烈な当たりのファースト真正面の当たりだ。

 

「っっ! 赤坂ファースト踏んで速くバックホームだ! 刺せるぞ!」

 

 ファーストベースよりやや後ろにいた赤坂はしっかりと捕球しながらファーストを踏んでバックホームする。

 

「セーフになるっ!!」

「させるかぁっ!!」

 

 タックルをしてくる春を抱えるように俺はブロックする。

 

 ドゴッ!! と鈍い音が球場に鳴り響いた。

 

 な、んてタックルしやがる……! ショルダーでプロテクターの上からタックルなんて怪我承知でやるプレーだぞ。こんな場面でやる走塁じゃねぇ。

 ……けど、まぁ、きっと目の前の春って男にはそういうの関係ないんだな。今ここでセーフになるっつー事しか考えてないんだ。

 そうすればまだチームは戦える。

 そうすればまだチームは勝てる。――そんな力をチーム全員に、そしてなによりここまで頑張って投げてきた橘に与えるために、こいつは全身全霊でそういう走塁をしたんだ。

 そして、そういうプレーはきっと――報われるもんなんだろう。

 

「セーフッ!」

「やっ……たあああ!!」

 

 球審の腕が開く。

 これで5-2か。

 どうやらタッチまでは出来なかったらしい。ブロックして押されたときに春の手がベースに触れたんだろう。しっかりブロックしたつもりだったけど予想外のタックルに押されちまったな。

 春がガッツポーズをして意気揚々とベンチへ走っていく。

 聖タチバナのベンチにいた面々が春の頭をバシバシと叩いたり、橘が春に抱きついたり六道がそれを怒りながら諌めたりする様子がここからも見えた。

 

「大丈夫? パワプロくん」

「ああ、悪いな早川、ブロックしきれなかった」

「ううん、今日はペースも良いし、六回二失点だよ。全然疲れてないし後続は下位打線。大丈夫。それよりもパワプロくんは怪我はない?」

「ああ、結構痛烈なタックルだったよ。……どこにでも居るんだな。ああいういつでも全身全霊でプレーする奴って」

「…………ふふっ」

 

 早川がくす、っと笑う。

 な、なんだよ。俺なんか変なこと言ったか?

 

「ううん、ごめん、パワプロくんそっくりだよ。春くん」

「は?」

「仕草とか口調とかポジションとかは違うけど、いつでも白球を追いかけて、全力プレーでチームを引っ張る。チームの中心にいて皆を支える。……まるでパワプロくんみたい。きっと春くんが聖タチバナのパワプロくんなんだね」

「……なんだよそれ? ……ま、そうかも知れねぇな。よし――んじゃ、切り替えて、後続を抑えるぞ」

「うん」

 

 にこっ、と笑って早川がベンチに戻って行く。

 ……聖タチバナの俺、か。

 そうだな。俺でも点差があれば諦めない。力投していた早川を放ってはおけないだろう。

 そういうプレーをあいつはしたんだ。だったら俺も負けてられないぜ。"恋恋高校の春涼太"として、全力のプレーを見せてやるよ。しっかり見とけ。

 後続の篠塚、大月をそれぞれ三振、ショートゴロに押さえてベンチに戻る。

 バッターは一番の矢部から。一番得点を期待出来る打順だ。

 

「矢部くん。もう小手先の作戦は要らないよ。――全力で打ち返してこの回で決めよう」

「そうでやんすね。絶対出るでやんす!」

「ああ!」

 

 七回裏、この回四点とればコールドだ。

 そして打順は矢部くんから、相手は疲れた橘――不可能じゃない。

 矢部くんが打席に立つ。

 橘はまだ息が整わず、玉のような汗が額に浮かんでいる。

 それでも橘は六道のサインにこくんと頷いて、しっかりと構えた。

 そしてサイドスローからのインステップで投げ込む。

 疲れてでもその投法は変えない。それが橘の矜持なんだ。

 そうして投げ込まれたボールはアウトコースへのストレート。しかし球が浮いていた。やはり疲れで下半身が使えずに球を上手くコントロール出来ていないんだな。 

 勿論矢部くんはそれを逃さない。初球から積極的に振りに行き、バットの先っぽにボールを当ててその球をレフト前へと弾き返した。

 

『バッター二番、新垣さん』

 

 新垣が打席に立つ。

 ここはもう矢部くんはスタートする。問題は新垣がどうするかだが……ここは任せてみよう。

 ネクストに腰を下ろして戦局を見つめる。

 新垣と矢部くんが目を合わせていた。

 一球目、外角高めにクレッセントムーンが外れる。

 0-1か。やはり橘は下半身の粘りが無くなっているせいか球が高く抜けている。上体が高いままリリースしているから球が高くなってるんだ。

 

「悪いけど全力で行くわよ。聖」

「ああ、当然だ。それにまだ負けると決まったわけじゃない。キャプテンの走塁で気合が入ったからな。必ず逆転する」

「……上等、その流れ、全部貰ってくわよ」

 

 二球目、新垣に対して今日六道は決め球をストレートにおいている。それは新垣も分かってるはずだ。

 恐らく球種はストレート。右打者の新垣にえぐるようインコースに投げさせて、力で新垣を打ちとることを選択するのが妥当かな。

 橘がボールを投げる。

 それと同時に――矢部くんがスタートした!

 ヒットエンドラン! 俺はサイン出してないぞ! 大丈夫なのか!?

 思った瞬間、新垣が外への球をバットに当ててボールをゴロにする。一二塁間の二塁寄りへのゴロはゲッツーコースに飛んでいくがそこに二塁手の姿はない。

 矢部くんがスタートしたことでセカンドがベースカバーに動き一二塁間ががら空きになったそこに新垣は的確にゴロを打つ、一、二番の足を絡めた強力なコンビネーション攻撃。

 すげぇコンビネーションだなおい。アイコンタクトでエンドランかよ。相性ばっちしじゃねぇか。

 

「大田原中継返すだけ! ファーストランナー三塁間に合わないっ!」

 

 春が指示を飛ばす。その間に矢部くんは悠々と三塁を陥れた。

 さて、このチャンスで俺か。

 俺としては後につなぐバッティングでいい。恐らく二、三塁になれば友沢は敬遠だろう。つまり無理に長打を打つのではなく、軽く繋ぎのヒットを打てば良いわけだ。

 

「内野前進! バックホーム態勢だ!」

「了解や!」

「任せろ! 守るぞ!」

 

 内野前進守備。積極的な守備だ。ここで一点やればせっかくの流れがこちらに流れる。そうすれば敗戦濃厚だ。だからこそバックホームの態勢を取って一点もやらないという積極的な守備を取ってきているのだ。

 

『バッター三番、葉波くん』

 

 必要な時にしっかり攻める――それが本当の積極的というものだ。

 もう小手先の技術は使ってこないだろう。なら俺も深く考えず、打ちに行く!

 

「んっ!!」

 

 橘が帽子を飛ばしてボールを投げ込んでくる。

 それを打ち返すため、俺は全力でバットを振るった。

 ッギィンッ、と鈍い音を響かせて、ボールはバックネットへと突き刺さる。

 内角のストレート、厳しい所にきたがやはり球威は無い。さっきまではバットに当たんなかったからな。

 

「ナイスボールっ!!」

 

 六道が返して、すぐさま橘は構える。

 二球目。

 ヒュバッ! とバットを振るう。

 キィンッという快音を残すが、バットは三塁線の左へのファール。

 

「……ッ」

 

 橘の顔色が変わる。

 既に息は荒く、六道の呼びかけに応える余裕すらなさそうだ。

 スタミナ切れ――それでも、橘はマウンドを譲らない。

 

 ここは自分の場所だというように。

 ここを譲る訳にはいかないと言うように。

 

 三球目、橘が腕をふるってボールを投げ込む。

 そのボールはインコースの甘いところにきた。

 それを俺は狙い打つ。

 

 キンッ! と快音を残し、ボールは三遊間を抜けていった。

 

 矢部くんが三塁から帰ってくる。

 新垣は二塁へ俺は一塁へそれぞれ進塁、出塁した。

 

「みずきちゃんっ!」

 

 春が橘へと声をかける。

 それでも橘はふるふる、と首を振ってマウンドに行こうとする春を制した。

 

『バッター四番、友沢くん』

 

 ホームランが出れば試合は終わる。

 たぶん、危ないことは橘が一番分かっているだろう。それでもマウンドからは降りない。

 それが――エースの矜持、なのだから。

 

「っ、ぅ、ぁ、あああっ!!」

「――」

 

 指先から放たれたボールは絶対的な決め球であるクレッセントムーン。

 

 インコースよりの真ん中高め。友沢は迷わない。バットを一閃する。

 

 打球が放たれたその瞬間、橘はその場に崩れ落ちて膝をついた。

 俺と新垣は打球の行方も確認せず、次の塁へ向かう。

 ベンチから矢部くんや早川がワッと飛び出してきた。

 ホームに到達し、悠々とベースを回る友沢を俺達は待った。

 

 

                  ☆

 

 

 うるさいわね。

 

『みずきちゃん! 頼むよ!』

 

 うるさいうるさい。私は野球が出来ないのよ。

 

『みずきちゃんや宇津くんたちが入れば、十人――野球の試合に出れるんだ!』

 

 その案件は却下したじゃない。なんでわざわざ頼みに来るのよ。

 

『野球がやりたいんだ! みずきちゃんたちと、一緒に!!』

 

 ――どうして? なんでそこまで私たちにこだわるのよ。私は野球はもう、出来ないっていったじゃない。

 

「それでも、キミと野球するのが楽しそうだと思ったからだよ。聖ちゃんも待ってる。――ほら、行こう」

 

 私の手を、引っ張らないで。

 やりたくなっちゃうじゃない。野球。

 もう諦めたの。私は野球はもうしないの!  だから……!

 

『大丈夫、俺に任せて、聖ちゃんに中学校で練習付き合ってたときから話は聞いてたんだ。学長を説得すればいいなら俺が手伝う! ズバリ婚約者に……あいたっ!』

『馬鹿な事をいうなっ!』

『聖ちゃん酷いよ! 婚約者に化けて学長を納得させようってだけだったのに!』

『そ、そうだったのか、それは済まない。で、でもだな、その、あの』

『あはははっ、分かったよ。じゃ、春くんの案を採用するね』

『み、みずき!?』

『ふふん。ま、大丈夫よ大丈夫、フリだから、フ・リ』

『む、むぐぅぅうぅ……』

 

 膨れてる聖を笑う私を見て、春くんは困った顔をして笑っている。

 私を野球に連れ戻してくれた人。

 おじいちゃんと話ししたらめちゃくちゃ怒られたっけ。それでも春くんは萎縮なんかせず、それどころか『プロになる!』とまで宣言しちゃって。

 バカだなぁ。私がやらなくても三人が入れば九人、それで野球部で大会参加出来るし他の学生を探せばいいのに、私にこだわっちゃって。

 それで夢のような出来事を叶えなければどうなるかわからんぞ、とまで言われたのに、それでも春くんは前を向いて歩く。

 

『これ、ペンダント』

 

 でも、夢を真顔で語って、

 

『うん? なにこれ』

『婚約者のしょーこ、首に付けておいて、大事なものだから壊したら許さないよ』

 

 本気でその夢に向かって努力している春くんは皆の中心で、

 

『分かった、気をつけるよ』

『ふふん、そのペンダントは好きな人に渡すものなんだからね。壊したら将来の旦那さんが殺しにいくわよ』

 

 私が悩んでいる時も親身になって相談してくれて、

 

『うわ、そりゃ大変だ』

『大変よー』

 

 聖が悩んでいるときも側にいてあげて、

 今度は私がクレッセントムーンを完成させることが出来ないってなったときには、その前の千本ノックやバッティング練習なんかで疲れてるのに、夜中まで練習に付き合ってくれて、

 

『分かった。じゃ頑張ろうね。俺と聖ちゃんとみずきちゃん、大京くん、宇津くん、原くん――このメンバーなら甲子園に行ける、いや、全国優勝出来るよ!』

 

 そんな春くんと、私は――、

 

『……ばか。そんなに簡単にいけるわけないじゃん。……って思ったけど……そだね。きっといけるね!』

 

 一緒に、プロに行きたい。

 

「みずきちゃん」

「……う、く」

 

 顔が、見れない。

 終わってみれば四失点。

 友沢にスリーランを被弾しこれで七回裏で七点差、コールドが成立する。

 聖が私を良いリードで引っ張ってくれた。春くんは今日二打点。私が完全に抑えきってれば、流れはこっちに来たはず。それを、疲れで腕が振れなくなった結果――四失点、ここまで無失点に抑えていたのに。

 

「……ごめん」

 

 それをいうのが精一杯。私は声を絞り出す。

 春くんはなんていうかな。

 

 "あの時"、私と聖が言われたように女のバッテリーはチームに要らないとでも言われるのかな?

 そりゃそうだよね。こんなスタミナの無い投手、なんて。

 

「そうだね。でも俺も悪かったよ」

「……え?」

 

 いって、春くんは私の頭にぽむ、と頭をおいた。

 そしてそのままぐりぐりと私の頭を撫でまくる。ちょ、こんな皆が見てる前で!?

 

「うむ、そうだな。私もリードが甘かった。スタミナ配分はしたつもりだったが」

「それをいうならボクが悪いよ。二回途中でノックアウト、あれが痛かった。四回まで一点で押さえてればかってたし」

「それをいうなら俺たち打撃陣だー。みずきちゃんが投げ始めてすぐに逆転してればなー」

 

 皆が皆私を取り囲む。

 な、何よ、私を攻めればいいじゃん!

 

「そういうことだよ、みずきちゃん。たしかにみずきちゃんも悪いのかもしれない。けど、俺たちも悪い。チームの敗戦は皆の敗戦、それをみずきちゃん一人が抱え込むことなんかないんだ。それにまだ一年だよ? 夏の大会は後二回。春の大会なら後三回余裕があるんだ。……今回は大差で負けてすごく悔しいけど、来年は仮を返そう。……恋恋高校にね」

 

 春くんが笑って私の手をつかんで立ち上がらせる。

 聖も春くんの言葉を聞いて嬉しそうに頷いた。

 ――そっか。そうだよね。

 まだチャンスはあるんだから、仮は返さなきゃ。

 覚えてなさい、あかり、あおい! 私の仕返しは倍返し、怖いんだからね!

 

 

                   ☆

 

 

「九対二、恋恋高校!」

「「「「「「「「「「ありがとうございました!!」」」」」」」」」」」」」

 

 全員で礼をして、俺達はベンチを後にする。

 早川の球数も少なめに済んだし、次の試合に向けて良い材料になっただろう。

 

「葉波くん!」

「お? ……春」

「やられた。またリベンジするよ」

「……ああ、そう簡単には負けねぇぞ?」

「うん、分かってる。頑張ってね。次は――」

「――帝王実業」

「……勝つ、つもりだよね?」

「勿論さ。お前らに勝った以上はな」

「いい試合を頼むね。応援してるよ。じゃ、俺たちは帰ってミーティングするからさ」

「ああ、またな」

 

 春と別れる。

 俺も学校に向かわねーとな。早川は今新垣とストレッチしてるからそれが終わったらさっさと帰って 全体的にストレッチ体操して……。

 

「パワプロくん」

 

 鼻につく、どす黒さを感じる声。

 思わず振り向く。

 そこに立っている男――蛇島桐人。

 

「蛇島ッ……」

「アハハハ! そんな睨まなくてもいいじゃないか。挨拶しようと思ってきたところなんだから」

「挨拶? なんのだよ? ラフプレー宣言でもしに来たのか?」

「おお、怖い怖い。嫌われたもんだねぇ。まあいいや、一つ言っておこうと思ってさぁ。……進くん。見に来るって言ってたよ」

「――」

「じゃあね。パワプロくん、五日後の試合でまた会おうね! ハハハハッ!!」

 

 高笑いして蛇島は帰っていく。

 ……五日後か。

 五日後には全力で戦う。

 その様を、進に見せよう。そうすればきっと何かが伝わる。俺が言いたかったことを分かってくれるはずだ。

 俺は決意して歩みをすすめる。


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