実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー   作:向日 葵

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第六話 "七月一週" vs帝王実業高校

 vs帝王実業の前日、しっかりと連携プレーを確認し、体のストレッチを終えて解散した後、俺はベンチに座ってスパイクなどの道具の手入れをしていた。

 ……進のことが頭から離れない。

 練習中はそれに集中することで気を紛らわすことが出来る。……けど、それが終わって何も体を動かしていない時には進の事ばかりを考えてしまう。

 くそ、こんな状態で帝王に勝てる訳がないだろ。何考えてんだ俺は。

 

「……パワプロくん」

 

 そんな俺を心配そうに早川が見てくる。

 ……なんて顔してんだよ。俺が死んじまいそうに見えるのか?

 

「大丈夫だよ」

「……ボク、何も言ってないよ。……あのさ、パワプロくん。明日、帝王とだね」

「……そう、だな。でも本当になんでもないんだ。それより早川も話があるんだろ?」

「うん。……あのさ。……帝王って、もう何度も甲子園にいったり、優勝も一杯してるチームだよね」

「大本命だな。あかつき大か帝王実業って言われてる」

「ボク、抑えれるかな。怖くて怖くて、たまらないんだ」

 

 ぎゅ、と早川が拳を作って俯く。

 言ってる自分が情けないとでも思ってるのか。誰でも怖いもんだと思うぞ。だからそう気にすることはないんだ。だからそんな顔すんなよ。お前がそんな顔してたら嫌なんだからさ。

 

「安心しな。負けて良い、ってことはないけど――俺達の力を試すつもりでぶつかろう」

「……パワプロくん」

「全力でぶつかる、それが大切なんだ。どんな惨敗でもどんな負け方でも――そうすれば、次に繋がるさ。俺はそうやってあかつき大付属中で過ごしてレギュラーを取ったんだから」

「うん、そうだね。……隣、座っても良い?」

「ああ、構わねぇよ。っつかもう八時近いけど明日試合だぞ? 大丈夫か?」

「うん、平気、シャワーは浴びたし、はるかと彩乃ちゃんが持ってきてた石鹸とシャンプーで体も洗ったしちゃんと着替えたから、後は寝るだけだしね」

「ああ、そうか。俺もシャワーは浴びたしな」

 

 言いながら早川が隣に座る。

 ふわり、と桃のようなシャンプーの匂いがして、俺は思わずうつむいてバットを磨く。

 そんな俺の様子を早川はじっと見つめているようで、視線がびしびしとあたっていた。

 

「えーと、早川?」

「あ、ゴメン。……パワプロくんってさ、すごいよね」

「ん? 何が?」

「だってさ、明日は試合だっていうのにバットの手入れをしてて、抜かりがないっていうか、落ち着いてるっていうか」

 

 落ち着いてる、か、そうでもないんだけどな。

 早川の言葉に苦笑しつつ、俺はそっとバットを立てかける。

 

「落ち着いてなんかないさ。いつでも怖い」

「え? いつでも?」

「そうさ。俺のリードでチームが負けたらどうしよう。俺の作戦で負けたらどうしよう。ってな。ベンチには加藤先生がいるけど、実質的な指示は俺が出してる。ぶっちゃけそれだけで名門と比べたらハンデだろ」

「そ、そんなことないよ。パワプロくんが居るおかげで皆助かってるよ。勿論ボクも……!」

「ありがとな。けど、落ち着いてやるなんてこと無理なんだ」

 

 俺は一息吐いて、

 

「けど、それでも自分の力を出せないのは嫌だから、緊張はしない。落ち着かないけど楽しんでやる。野球って楽しいもんだろ、楽しんでやればきっと――今の自分が出せる最大の実力が出せる」

「うん、そうだよね。ボクもそう思う。実は聖タチバナとしてる時もね。すごく楽しかった。しっかり試合を出来て嬉しかったな……」

「ああ、それと一緒だよ。俺も強豪とやれるのが嬉しいんだ。ここに入った理由が強豪校とやるためだからな。だから全力で戦いたい。全力で自分のプレイを見せたい。全力で――このチームで勝ちたい」

 

 そうだよな。進のことも大事だけど、一番大事なのは俺の全力を出してチームが勝つことだ。

 一人一人がその全力を出せばきっと成長できる。このチームなら絶対に甲子園に行けると俺は思う。――そしてなによりこのチームで甲子園に行きたい。心からそう思えるチームメイトに出会えたんだ。行こう。甲子園に。

 その為に早川の力も必要だからな。しっかりと元気づけとかないとな。

 ぽふ。

 早川を元気にさせるにはどうしたら……ぽふ?

 いきなり肩に感じた重みに驚いて、そちらに目をやる。

 

「……すぅ、すぅ」

 

 そこには俺の肩に頭を寄りかからせて眠っている早川。

 どうやら疲れて眠ってしまったらしい。帝王実業との対戦っつーことで最近眠れてなかったのか、俺と会話して安心して眠気が来たみたいだな。

 ……仕方ない、背負って家まで連れてってやるか。

 ぐい、と早川を担ぐ。

 軽い。

 この体重であんな良い球をほうってるんだな。全身使う投法だし、疲れてるんだろう。

 早川の家は一応知ってるし、大丈夫だろ。

 俺は早川のぬくもりを感じながら、早川の家へと歩く。

 ――明日も頑張ってくれと、心の中で応援をしながら。

 

 

 

                   ☆

 

 

 

『さあ、やってまいりました。地区大会第二回戦。実況は私"川路直樹"がお送り致します。今日は帝王実業の夏の初戦です。相手は初出場の、全員一年の恋恋高校です。一回戦では友沢選手の大活躍で聖タチバナ高等学校をコールドで破っています。今日の試合を楽しみにいたしましょう』

 

 ラジオを聞きながら七瀬がじっとグラウンドを見つめている。

 先攻の俺達のノックは終わった。今ノックをしているのは後攻の帝王実業だ。

 試合が始まったらそういった通信の類は全部ベンチから出さなきゃいけないからな。七瀬がラジオを聞けるのも今のうちだ。

 

『さあ、ではスターティングメンバーを発表いたしましょう!

 先攻の恋恋高校から。

 一番、ショート矢部。俊足です。一回戦でもその足を見せつけました。

 二番、セカンド新垣。今年出場可能になった女性選手です。一回戦ではマルチ安打を記録しました。 三番、キャッチャー葉波。キャプテンでありチームの大黒柱です。ピッチャー早川を引っ張ります。

 四番、センター友沢。彼に言葉は要らないでしょう。一回戦で場外ホームランを放った好打者です。

 五番、ライト明石。彼も強打者です。クリーンアップを努めながらも外野守備の要でもあります。

 六番、サード石嶺。守備には定評があります。鋭いスローイングにも期待出来るでしょう。

 七番、レフト三輪。ミート技術は素晴らしいものがある選手です。

 八番、ファースト赤坂。長打力を感じさせるフルスイングは見物です。今日は強豪から打てるか。

 九番、ピッチャー早川。彼女も女性選手ですが、その独特のフォームで投げる球にはキレがあります。

 強豪帝王実業にどういった試合を見せてくれるのでしょうか。

 そして対する後攻、帝王実業のスターティングメンバーはこちらです。

 一番、レフト大谷。三年のリードオフマン。プロ注目の俊足選手です。春の大会では大会通算九盗塁を決めました。今日も俊足に期待できるでしょう。

 二番、ショート大村。左の強打者です。春の甲子園大会では二試合連続ホームランを記録するなど長打力もあります。その打力にはプロも注目しています。

 三番、センター大石。恐怖のクリーンアップの一人です。痛烈なライナー性の打球に勝負強さを兼ね備えるこの大石にどう対応していくか。

 四番、サード福家。さあ、みなさんお待ちかね。帝王の四番といえば勿論この人、福家です。高校通算五九本。プロも一位指名を検討しているという福家花男選手。今日はどういった活躍を見せるのか。

 五番、セカンド蛇島。一年生ながらクリーンアップに抜擢されました蛇島。期待が出来ます。

 六番、ピッチャー山口。今年一年生ながらその背番号はエースナンバーである"1"。今日も見せてくれるでしょう。快刀乱麻の活躍を。

 七番、ライト猛田。同じく一年生ながらスタメンに入りました、今年の帝王は一年が四人スタメンに入っています。

 八番、ファースト篠田。福家の影に隠れがちですがこの人も高校通算二八本。下位打線にも怖い打者が並びます。

 九番、キャッチャー猫神。一年生ながらその俊敏性とリードセンスを見込まれレギュラーになりました。

 試合が始まります。選手たちが主審の元へ呼ばれました!』

 

 七瀬がラジオをしまいに裏に引っ込む。

 俺達はホームベースに並ぶ。

 

「お願いします!」

「お願いします!」 

 

 キャプテンの福家と頭を下げて挨拶をすると、皆も挨拶をした。

 別れる刹那、蛇島のニヤリとした笑いが目の端に映る。

 ……笑ってやがれ。凍りつかせてやるからよ。

 ベンチに戻って客席に目をやる。

 ……進。来てるか?

 俺は今から精一杯全力でこいつらに挑む。だから見ててくれ。――俺たちはきっと勝つ。

 

『さあ始まります。先発ピッチャーは山口。キャッチャーは猫神。一番バッターは矢部選手!』

『バッター、一番、矢部』

『コールと共に矢部選手が左打席に立ちました!』

 

 矢部くんが打席で山口を睨む。

 さあ初球。狙って行けよ。矢部くん。

 山口が右腕を振る。

 豪腕。その名にふさわしい直球を投げ込んだ。

 そのボールはバシンッ! と凄まじい音を立てて矢部くんの足元に突き刺さる。

 

「ストラーイク!!」

『初球から一四二キロの球でストライクをとります! インローにズバッと決まりました!』

 

 凄まじい剛球だ。久遠や早川の切れ味が凄いという球じゃないが、金属バットでもへし折ってしまいそうなほどの威力をベンチでも感じるぜ。

 ベンチでこれだ。実際の打席で感じる威力はもっと凄いんだろうな。

 だが、ビビることはない。

 蛇島が言ってたじゃねぇか。山口のフォークを取れるキャッチャーが居ないってな。

 ならそういうこった。フォークは追い込んでからは使いづらい。それが足が速くて塁に出したくないやつならなおさらな。

 つーことは矢部くんにフォークはない。あっても二球目ということになる。三球目だとそらせば振り逃げ、ランナーは一塁に出塁出来るんだからよ。

 

『さあ山口が二球目を投げて!』

「トーライク!」

『これもストライク! アウトローに決めた! 一三一キロのフォーク! これで追い込みました!』

 

 このフォークは見せ球だ。

 七瀬のデータで確認した山口のフォークはもっと凄い。垂直に落ちるっつーか、ベルト高からワンバンするようなキレも落差も激しいもの。それがストライクになったということは落とさないフォークということ。

 ということは次に選択されるボールはたった一つしかない。

 三球目。

 山口が投げ込むボールは間違いなくストレート。

 外角低めに投げられたボールを、矢部くんは華麗にセンターへ返す。

 蛇島の右を抜けてボールはセンターへと抜けていった。

 

『センター前ヒット! 2-0と追い込まれていましたが矢部、見逃せばボールのストレートをセンター前に弾き返しました!』

『バッター二番、新垣さん』

 

 ネクストに座りながら、指示を送る。

 ここで新垣か。ここはきっちり送る場面だが――走らせよう。

 恐らく初球はウェストするだろう。だからこそ"此処で"走らせるんだ。

 バッテリーに足の格の違いを見せつける。矢部くんは"刺せない"という印象を付けるためにな。

 山口がファーストへ牽制する。

 頭から矢部くんはファーストに滑り込んだ。

 タッチはない。警戒をしているぞ、というブラフを見せたのだろう。

 けどな、山口――そんなんじゃ矢部くんは止まらないんだよ。

 

「走った!!」

 

 篠田が声を上げる。

 ウェストボールを立ち上がってとった猫神が素早く二塁に投げようとしたその瞬間、猫神は悟り投げるのをやめた。

 

『盗塁成功!! 猫神投げることすら出来ずッ!! ウェストしたが間に合わない!』

 

 もう牽制はない、と決め付けることで、投手が動き出した瞬間走ったんだ。勿論牽制されれば一発アウトだが、今の矢部くんは牽制されない、という自信が見えた。

 確固たる癖を見つけた訳じゃない。でもそれは矢部くんには感じられる感覚なんだろう。

 それが矢部くんの武器であり、矢部くん程の盗塁職人でなければ会得していないであろう技術。

 それを俺は敬意を込めてこう呼ぶことにしている。

 "オーバーラン"と。

 さあ、送ってもらうぜ。頼むぞ新垣。

 

『ノーアウト二塁から、新垣バットを寝かせます』

 

 山口が腕を振るう。

 高めに抜けたボール。新垣がバントしようと上半身を起こしたところで――。

 

 ボールが、落ちる。

 

 フォーク。

 例え高めだろうがなんだろうが、フォークは僅かに落ちる。

 それに対応出来ず新垣が慌ててバットを下ろしてしまった事で、ボールはふわりと浮き上がった。

 

「しまったっ」

 

 新垣が慌てて声を出すが遅い。

 落ちてきたボールを山口が捕球し、これでワンアウトだ。

 

『新垣バント失敗! これでワンアウト二塁になりました! さあバッターはキャプテンながら三番、葉波!』

『バッター三番、葉波くん』

 

 さあ、出番だ。

 このキャッチャーは恐らく初球ストレートで行きたいだろう。フォークはランナーが居るから無い。外のストレート一本に縛って振る。

 山口が振りかぶった。

 来る。

 

『さあ一球目、投げたッ!』

 

 振り切れ!!

 コースも球種も完璧読み通りだ。甘いぜ猫神。一年生だけのチームだと思ってナメんなよ。

 カァアンッ! と音を響かせてボールは左中間へ飛んでいく。長打コース!

 

『外角低めストレート打った! ボールはセンターの右に落ちた! ボールが転々としている間に矢部が三塁回ってホームへ突入! ホームイン!! 打った葉波はセカンドヘー!』

 

 セカンドへ滑りこんでガッツポーズする。よっしゃ! 先制だ!

 一回表から先制で1-0。幸先バッチリだ。

 これでワンアウト二塁で友沢。最高の成績だ!

 

「……調子に乗らないほうが良い。ククク……」

「……あ?」

 

 セカンドのベースカバーに着ていた蛇島が、ボールをユニフォームで擦りながら言う。

 くそ、相変わらず鼻に付く言い方だぜ。塁審が放てるのをいいことに好き勝手いいやがって。

 まあいいさ。悪いけどお返しはさせてもらうからな。

 

「調子に乗らない方がいいのはテメェだぜ。蛇島」

「……何?」

「テメェごときに潰されやしねぇんだよ。恋恋も、俺もな!」

「……貴様……その言葉、覚えておけ」

 

 蛇島が言い捨てて守備に戻って行く。

 覚えておくのはお前の方だぜ蛇島。一泡吹かされないようにしとけよ。

 

『四番、センター友沢』

『一点先制してなおも友沢! 一回戦では特大のホームランを飛ばしています! さあどう来るか!』

 

 恐らくもうフォークは使えないとかは言ってられない。フォークは解禁してくるはずだ。

 初球、猫神は外に構える。

 

「ボールッ!」

『アウトロー外れてボール。0-1です』

 

 次の球、外に見せたということは次は内か。

 俺だったら内にストレートを要求したいところだが相手は友沢。此処は慎重にもう一球外に見せても良い場面だろう。

 

「……むっ」

 

 ビュンッ、と友沢のバットが空を斬る。

 二球目、猫神が選択したボールはフォーク。ホームベースの上から鋭く落ちたボールを、猫神はプロテクターで押さえて前に落とした。

 これで1-1。友沢があんな豪快な空振りをするところを見るのは初めてだな。それだけ凄いフォークなんだろうな。

 ……これを見たらたしかに、進みたいな捕球技術に長けた捕手を欲しくなるってもんだ。

 

『伝家の宝刀フォークで一つストライクをとりました。さあバッテリー次の球は何を選択するのか!』

 

 次のボールも恐らくフォークだ。だがこのフォークは分かってても打てない。

 ならば打つためにどうするか。

 ……友沢が取る方法は恐らく一つ。

 それは――

 

「ボールツー!」

『今度は見極めた友沢! フォークを続けるバッテリー、今のはあからさますぎたか! さあ三球目……』

「ボールスリー!」

『またもや見極めた!! ホームベース上から落ちるフォークを完全に見極めたー!』

 

 ――フォークを捨てる、ということ。

 けど、球種を捨てるって口でいうのは簡単だがやるのは難しいんだ。

 まず自分の中で完全に見切らなきゃいけない。甘いところに来たと思ったら手を出したくなるのがバッターってもんだしな。

 そしてなにより見極める選球眼が無きゃ捨てることも出来やしない。

 だからこそ一年の俺たちじゃ山口のフォークを捨てろ、なんていう作戦は取れないんだ。

 だが友沢は別だ。精神的にも目という部分においてもその作戦が取れる程のレベルに達している。

 流石四番、超高校級といっても過言じゃないぜ。

 1-3から山口が選ぶ球は恐らくストレート。

 無名校の四番相手に逃げるなんて名門のプライドが許さないだろ。

 

 ――さあ、飛び込んで来い。

 

『さあ五球目、山口が振りかぶって――投げた!』

 

 ――その慢心、くだらねぇプライドを、四番が打ち抜いてくれるからよ!

 

 ッキィイン!! という快音。

 痛烈な当たりはレフトへと飛んでいく。

 それを聞いて俺はサードへと思い切り走った。

 

『打ったあああ! 打球は痛烈な当たりでレフトへー! セカンドランナー塁を蹴ってホームへ帰ってくる! 友沢のタイムリーツーベース!!』

 

 セカンドベース上で友沢はバッティンググローブを外しながら、澄ました顔をする。

 流石だぜ。友沢。二点先制はでかい。

 尚もチャンス。――だが、そう甘くはない。

 明石、石嶺が三振に打ち取られてチェンジになる。

 友沢に打たれて余裕が無くなったのかフォークも構うことなく連投してきた。あの猫神ってやつ、フォークは捕球出来ないが全部前に落としてたな。

 

「よし、行くぞ早川」

「うん。頑張ろうね」

「ああ」

 

 頷いて、キャッチャーズサークルに移動する。

 二点取った。――俺達の野球は強豪に通用するんだ。

 

「よーし、抑えるぞ!」

「うん!」

『バッター一番、大谷』

『さあ、反撃する帝王実業の攻撃です。ピッチャーは早川。初戦は二点に抑えた早川ですが、帝王相手に通用するでしょうか!』

 

 バッターに大谷が立つ。こいつは甲子園の土も踏んだこともある選手だ。

 どんなレベルか試してみないとな。

 

(さて、初球はカーブだ。緩急付けてストレートで取る。思い切って内角に腕振って投げてこい!)

 

 早川が頷く。

 アンダーハンドから放たれるボールは体に隠れて最後まで腕を見せない。

 球持ちの良いフォームからカーブが放たれる。

 インローから落ちるカーブ。

 

「ボーッ!!」

『第一球はインサイドへのカーブ、低めに外れてボール!』

 

 よし、これでいい。

 インサイドにカーブを使えるとなると相手は考えざるを得ないからな。

 内側に緩い球は打ちやすいと思われがちだが実は違う。インサイドというのはミートするのが難しいのだ。

 名門校ならある程度読みをつければ打ててしまうだろうが、それでも緩い球とストレートの緩急をインサイドに使えると知っていれば、かなり相手は気を使うはずだ。

 

(次はアウトローへのストレート。緩急と相まって此処は打てない)

 

 頷いた早川がビュッと腕を振ってストレートを投げてくる。

 アウトローどんぴしゃり。どうやら早川の調子は今日も良いみたいだな。

 

「トーライクッ!」

『アウトロー決まって1-1。大谷ここまでバットを振っていません!』

 

 流石に名門校の一番か。どんな球が来ても初対戦の時は"見"に入る。

 つってもこんだけの打撃成績があるってことは、甘い球が来たら振るという体勢ではあるんだ。……っとに、厄介な打者だな。

 三球目に何を選択するか。俺のプランとしては高速シンカーで打たせていくつもりだったが――それは選択できないな。

 

 打たせたら取れないからだ。

 

 キャッチャーズサークルで見た感じや実際に相対すると分かる。このチームに甘い球で打たせて取ろうなんて考えたらこちらの首が取られるぞ。

 

(それを考えて三球目……アウトローのカーブで打ち取る)

 

 ストレートの残像はまだ残ってる。そこに緩い球がくれば相手は緩急でタイミングがズレるはずだ。

 そのわずかなタイミングの違いで打ち取る。

 早川がボールを投げる。

 外へのカーブ。

 大谷が動きをわずかに止めた後、カーブを右方向へと流し打つ。

 痛烈な当たりがファーストへ飛んだが赤坂の正面、そのままライナーでキャッチしてワンアウトだ。

 

『ファーストライナー! 痛烈な当たりでしたが野手の真正面です!』

『バッター二番、木村』

 

 一死とれたのはデカイな。一番が塁に出て二番が塁に出るのが帝王の黄金パターン。それを潰せたのはデカイぞ。

 さて、木村か。こいつの噂は高校野球に携わるものなら聞いた事があるくらいの打者だ。四番に福家が居るとしても三番はこいつでも問題ないはずだが、あえて帝王の監督は長打力のある二番に据えている。

 ま、何処にいても怖いわけだから打順は関係ない。

 この打者に与えられる作戦は大体がフリーヒッティング。好きに打てだろう。そうでもなきゃこの打順に木村を置く意味はないからな。

 ヒットは打たれても良い。長打じゃなきゃ後をゲッツーに取れる確率だって残るしワンアウトは取ってる。一個ずつ進塁打を打たれても二塁までだ。

 

(初球はアウトローストレート)

 

 続ける事になるがこれ以外に選択できる球はない。つーかこの木村に変化球は見せたくないしな。中盤の山場で変化球全種を見たコイツとかになったら目も当てられないぜ。

 早川の投げたストレートは要求通りに投げられる。

 今日の早川のストレートにはキレがあった。聖タチバナを打ち取った時より調子はいいくらいだろう。

 だが、木村はその球を初見でライト方向へ引っ張った。

 

『痛烈な当たりライト頭越えてワンバウンドヒット! フェンスに当たって跳ね返るボールを明石がキャッチするが既に木村はセカンドへー!! ツーベース!』

 

 スタンディングツーベース。

 初見であのアウトローの球を引っ張って長打にするって、いったいどんな長打力だよ……!

 プロ注目っていう前書きは伊達じゃない。……一番火傷しないつもりで選択した球が意味を成さないとは恐れいったぜ。

 

『バッター三番、大石くん』

 

 三番の大石か。

 こいつはチャンスに強いクラッチヒッターだ。逆に外角が危ないタイプだな。

 このピンチ、初回だからな。絶対に抑えたい。

 ――それなら使うべきボールはたった一つ。

 

(ストレートをインハイに、……行くぞ"第三の球種(インハイのストレート)"だ)

 

 こくん、と早川が素早く頷いてちらりと二塁ランナーを確認した。

 そして、早川は俺へと向けて腕を振った。

 腕から放たれるストレートはスピンしながらインハイへと伸びる。

 大石が打ちに来る。初球から"第三の球種"を投げさせたのはこのためだ。

 得点圏にランナーを置きながらの打席では積極的に打ちにくる。それを利用した一度きりの奇襲!

 ッキンッ、とフライが上がる、ファウルフライだ。

 ミートセンスがありすぎる為に高めのボール球にも当てれてしまう。更に予想の軌道より上にボールが来れば打ち上げるのは必至だ。

 ふわり、と落ちてくるボールをミットでキャッチする。

 

『初球打ちもキャッチャーファウルフライ! 大ピンチの中でツーアウトを取りました!!』

『バッター四番、福家』

 

 騒がしかったスタンドが更に騒がしくなり、ただでさえ大きかった応援歌が更に大音量で流れだす。

 福家の出すオーラ。

 凄まじい威圧感を感じるその打者には穴がないように見えてしまう。

 

(……ツーアウト二塁、バッターは四番、次が蛇島……ここはこうだろ)

 

 立ち上がる。

 その瞬間、一瞬スタンドがざわつく。

 早川も意図を察したようで、気にしないでとでもいうように頷いてくれた。

 三、四歩ベースから離れて立つ。

 敬遠――。

 福家も当然の選択だというように表情を変えない。だがそれでもボールが来たら打てる、という体勢は取り続けている。

 ……流石四番、この後もまともに勝負はできねーな。

 

『福家を敬遠で一、二塁。ここでバッターは新一年生蛇島です!』

『バッター五番、蛇島』

 

 気に食わない顔が打席に立つ。

 蛇島は何食わぬ顔でお辞儀して打席に入り早川を見るようなフリをしているが――その実、その目は俺をぎろりと睨んでいる。

 

「……舐めているのか?」

「福家さんの打撃考えれば当然だろ。お前が劣ってるって考えるのはよ」

「…………その口、聞いたことを後悔するがいい……打ってやるよ」

 

 蛇島が言って視線を早川に戻す。

 蛇島のデータは無いが、フォームのタイプ的には中距離っつーところか。

 

(……よし、インコースのストレートで攻める。)

 

 同じ一年だ。早川のボールは通用するってことは分かってる。

 初球からインローの球を華麗にヒッティングする技術は見たところ蛇島にはない。その技術があるならタイプ的には一番、強打の大谷を五番に置くだろうからな。

 さあ来い、早川。

 早川が何か戸惑うように一、二秒動きを止めてから、ハッとしたようにサインに頷いた。

 ……どうしたんだろう? まあ頷いたってことはいいってことだよな。……多分、それでいいか迷ってたんだろう。

 早川が腕を振る。

 綺麗なフォームだ。一点のよどみもない。

 美しいスピンが掛かったボールは俺のミットに吸い込まれるように投げられて――

 

「俺を馬鹿にした罰だ。……クククク……その体で償え……」

 

 ――蛇島のそんな声が、聞こえたような気がする。

 次の瞬間、蛇島が豪快にストレートを空振りし――ドガッ!! という激痛が右肩に走った。

 

 

 

                       ☆

 

 

 

 

 "そこは危ない"。

 そんな投手の直感を伝えたら、パワプロくんはどんな顔するだろう。それも打たれると思っているわけじゃないのにそんなことを言ったら、パワプロくんは困っただろうか。

 蛇島くんがボールを空振る。

 空ぶったバットはフルスイングの勢いのまま一回転して――パワプロくんの肩に直撃した。

 パワプロくんがよろける。

 どう、して?

 蛇島くんのその表情――多分この距離で正面に居る僕しか見えないだろうけど、どうしてパワプロくんの肩をバットで強打してしまったのに、笑っているの?

 

「……っっ、う、ぐっ……」

「……あ……パワプロくん!!」

 

 審判がタイムを腕を広げて宣告する間に、ボクはパワプロ君のもとに走った。

 あまりの痛みにか、パワプロくんは顔を真っ青にしながら右肩を押さえて蹲ってる。

 

「大丈夫かい? パワプロくん。ごめんね? バットが当たってしまって……でも内角に構えすぎだよ」

「……そう、かい……だい、じょうぶだ。早川……」

「本当に大丈夫かね? ドクターに見てもらいなさい」

「いえ、そう、痛くないです。プロテクターの上から、でしたし、大丈夫ですよ」

「パワプロくん……?」

 

 パワプロくんが笑みを作って、ボールをボクに渡してくる。

 ……嘘だ。

 大丈夫なんかじゃない。

 

「さ、早川、こいつを打ち取ればチェンジだ。……頑張ろうぜ。俺は平気だからさ。思い切りボールを投げ込んでこいよ」

 

 "どうして、痛いと言ってくれないの?"。

 

 そんな疑問が頭をよぎる。

 ボクはどんな顔で頷いていただろう? 

 パワプロくんはホームベース後ろにもどって行く。

 続いて要求されたボールはストレート。

 ボクは違うことを考えながら、そのサインに頷いてしまう。

 辛いなら辛いっていっていいのに、パワプロくんはボク達には何も言わない。

 パワプロくん、パワプロくんはボクたちのこと、どう思っているの?

 チームメイトだよね。仲間だよね。

 なら、どうして言ってくれないんだろう。

 迷ったままはボクはストレートを投げる。

 コースはちゃんと行った。でも自分でも分かる。

 

 ボールに、力がない。

 

 ッカァンッ!! と快音が響くのが聞こえた。

 ボールはライトへ飛んでいく。左中間をまっぷたつに割る。

 二者が、帰ってくる。

 あっという間に同点――なのに、それにショックを受けるどころか、ボクは違うことばかり考えている。

 

(――パワプロくん。その怪我――大丈夫じゃないよね)

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 ベースカバーに付く。

 いったいどうしたのよあおい。あんたらしくないわよ。あんな力の無いボールを投げるなんて……。

 

「大変だねぇ。君たちも」

「……何がよ?」

「いや、キミにじゃないさ。怪我もちに使えない女性選手二人……惨めな敗戦を喫するキミのチームメイトにだよ」

「……っ」

 

 その言葉は、私とあおいにとってどれだけ傷つく言葉だろう。

 心が、痛い。

 初回にバントを失敗した時から気にしていた事だ。

 私はこのチームの役に立てているのだろうか。

 

「黙るでやんす」

 

 それを遮るように、矢部が近づいてきた。

 な、何よあんた。珍しく怒っちゃって……メガネが釣り上がってるわよ。

 

「あおいちゃんも新垣もチームに必要な戦力でやんす! お前に四の五の言われる筋合いはないでやんすよ! ……新垣、守備位置に移動するでやんす。まだまだ同点でやんすよ」

「……ん、そうね。うん」

 

 矢部に促されて、私はセカンドベースから離れる。

 矢部の言うとおり、今はそんなこと気にしてる場合じゃない。パワプロくんはあの蛇のせいで肩に怪我しちゃったし、あおいもそのせいか動揺してて球に力がない。こういう時はバックが支えないと。

 

 

                      

                       ☆

 

 

 激痛で目の前が白くなる。

 右肩を動かそうとするたびに痛みが走って考えに支障をきたす。

 今は何回の裏で何アウトか。そんな簡単な事すら頭から飛びそうだ。

 

「トラックバッターアウトッ! チェンジ!」

 

 チェンジ、か。

 次の打順は三輪から。防具は外さなくてもいいか。……助かる。今肩を動かしたらどうにかなりそうだ。

 足取りはしっかりと、ベンチに戻る。

 ベンチの入り口には加藤先生が立っていた。監督だからな。そりゃ立ってても不思議じゃない。

 

「……みせなさい」

「……え?」

「肩を、見せなさい」

 

 怖い顔で、加藤先生は俺にいう。

 有無を言わせないその表情に俺は従うしかなかった。

 皆がもどってきて心配そうな顔でこちらを見つめている。

 

「こうすると痛い?」

「……っ、はい……」

「……肩の挫傷ね……しかもかなり酷いわ……最悪ってことはないけど、時には全治一ヶ月もかかる大ケガよ」

「い、一ヶ月……!?」

「ええ、とても無理。……パワプロくんも分かってるでしょう。痛みで肩を動かせない筈よ。――試合を諦めましょう」

 

 諦める? ……何いってるんだ。加藤先生は。

 九人しかいないんだぜ。俺が諦めたら試合が出来ない。問答無用で負けじゃないか。

 

「……やれます」

「パワプロくんっ!」

「やれなくなったらいいます。だから、大丈夫です。……早川、ストレート来てないぞ。しっかり腕を振って投げろ」

「……して……」

 

 早川がうつむいて、ふるふると震えている。

 どうしたんだ? いったい……。

 

「どうして無理するの!? この一試合で高校野球が終わるわけじゃないよ! なのに無理して、ケガがひどくなったらどうするの? ケガがひどくなったら……っ」

 

 ――ああ、そうか。心配してくれてるんだ。

 そらそうだよな。大切なチームメイトで、扇の要で――バッテリーなんだから。

 俺も早川が怪我してるの隠して投げてたらそりゃ怒る。……でも、な。

 

「ごめん、早川。それでも俺がリタイアするわけにはいかねぇんだ。俺が言い出したわがままだし、此処で怪我したから、なんて理由で試合を辞退したんじゃ聖タチバナに申し訳が立たないし、何よりも――俺が俺じゃなくなっちまうから」

「パワプロく……」

「心配かけたなら謝る。……でも大丈夫だからさ、安心して投げてこいよ」

 

 笑って頭を撫でる。

 ごめんな早川。本当は大丈夫じゃなさそうだ。

 痛みで目の前がチカチカするくらい痛い。でも、俺はお前の球を受けるから。

 だから頼む。早川――今だけでいいんだ。俺のケガのひどさに気づかないでくれ。

 

「………………分かった。そのかわり、やるからには絶対に勝つよ」

「早川……ああ」

 

 皆がベンチの前に総立ちして、声を出す。

 ……やっぱ良いチームだ。

 このチームで、絶対に勝つ!

 三輪、赤坂、早川。三人とも山口のフォークとストレートとのコンビネーションに三振に終わる。

 

『さあ二回の裏の攻撃は七番の猛田からです!』

 

 二回裏、此処を抑えればまだ流れはわからない。

 キャッチャーズサークルに座り、入ってきた猛田を見る。

 猛田は丁寧にお辞儀をして、ボックスに入った。

 蛇島とは違った好青年、といった出で立ちの猛田はちらりと俺の様子を見る。

 

「……肩、大丈夫か」

「……平気だよ」

「そっか。分かった。そういう事にしとくぜ。……ウチのチームメイトがやったクソみたいな行為のお詫びをしたいが――真剣勝負だ。そういう訳にもいかねぇ」

 

 ぎり、と悔しそうに奥歯を噛み締めながら猛田は構えを外さない。

 猛田か。こういうやつは相手にしてて気持ちいいぜ。

 さあ、早川、最初はカーブだ。ストレートから入ると行かれるぞ。

 こくん、と早川が頷いてカーブを投げ込む。

 それを何とか捕球しながら、俺はキャッチングした瞬間に感じる痛みを食いしばって耐える。

 

(次は、外角にストレート……緩急をつけて……)

 

 外に構える。

 投げられる球を、猛田が引っ張った。

 決して悪い球じゃない。それでも振り負けずにライト前へ猛田はボールを放つ。

 

『ライト前ーっ! 先頭打者猛田しっかりチャンスメイクします!』

『バッター八番、篠田くん』

 

 くそっ……! この引張り方は外を待ってた打ち方だ……!

 打者を事細かに観察していれば確実に防げたヒットだぞ。

 頭を働かせろ。試合に出ている以上そんなケガなんか理由にはならないんだ!

 

(内角の低め。ストレートだ)

 

 下位打線は基本的にストレートを中心に組み立てればいける筈。

 さあ来い、早川……っ。

 早川がモーションに入った瞬間、猛田が走る。

 完全にケガを見破っての盗塁――。刺すッ!!

 ビュッと篠田がバットを振るった。ランエンドヒット!

 キャッチングと同時に、俺はボールを送球する。

 その瞬間肩を刺されるような激痛が走った。

 

「つぅっ!」

 

 投げられたボールは僅かにセカンド方向にそれる。

 だが大丈夫だ。タイミングは完全にアウト。

 思った瞬間、セカンド新垣が投げられたボールをミットに弾いてこぼしてしまった。

 

「くっ……!」

「バックアップは大丈夫だ。……集中しろ。新垣」

「……ん、ごめん」

 

 タッチは出来ずランナーは二塁へ進む。

 ノーアウト二塁か。この八番は確実に抑えたいぞ。

 もうなんだかんだいってる場合じゃねぇ。"第三の球種(きめだま)"使ってでも抑える。

 ……だがどうやら敵はストレート狙ってるみたいだな。

 

(そうと決まれば追い込むまでが勝負だ。まずは高速シンカー。解禁するぞ)

 

 早川が高速シンカーを投げる。

 インコースに構えたシンカーに釣られて篠田がバットを振るう。 

 ギインッ、と完全につまらせた。

 だが、球足が速いぞ。しかも飛んだコースも一二塁間の丁度中心かよっ!

 ボールはてんてん、とライト前へと抜けて行った。マジかよ。ラッキーヒットが此処で出るのか……!

 

『ライト前ヒット! これで一、三塁! バッターはラストバッターの猫神です!』

 

 くそ、しんどいぜ。

 ノーアウト一、三塁……恐らく、塁は詰めてゲッツーをなくすだろう。一、三塁じゃセカンドに投げるまでにホームスチールされたら下手すりゃ勝ち越されるからな。

 

『九番バッター、猫神』

 

 足元を固めて猫神はバットを構える。

 固めた、ということは打ち気なのは間違いがない。ストレート系をチームで絞ってると考えるのなら、此処はカーブだ。

 痛みを歯の奥に全て持っていくようにぎりぎりと奥歯を噛み締めて、ミットを構える。

 早川が投球に入ると同時に篠田はセカンドへと走りだす。

 バッターが動く気配はない。ボールをキャッチして投げる動作を一応取るが投げることはしなかった。

 初球は見送りか。ランナーを確実に進めるためだろう。

 

(ノーアウト二、三塁……此処はランナーを帰させない。次はストレート。ただしインコースに外すぞ)

 

 こくん、と早川が頷いたのを確認して、ぐっと内側に構える。

 早川の綺麗な腕の振りから投げられるストレート。

 それに釣られるようにして猫神がボールに手を出す。

 根本で打った打球はサード方向へ高く弾んだ。

 その瞬間、猫神は一気にファーストへ走りだした。

 速い。キャッチャーをやる走力じゃないだろ!

 それと同時にサードランナーはホームへ、セカンドランナーは三塁へ走る。

 石嶺が僅かに前に出てボールを取るが間に合わない。猛田がホームへ帰り、猫神も一塁に生きてしまった。

 

『勝ち越しー!! 猫神の内野安打の間に猛田選手が帰って三対二!』

 

 早川の顔がこわばる。

 ちくしょう、もうちょっと攻め方が有るはずなのに頭に霞が掛かってるみたいで思いつかねぇ。

 試合前は勝てると思ったが、何か攻め方を忘れてるみたいだぜ。

 

「早川! 日本ともラッキーヒットだ! 切り替えていけ!」

「……うん」

 

 頷く早川に、元気がない。

 まだ俺が無理して出てる事が嫌なのか。

 ……心配かけるのは悪いと思うけど、こればっかりは仕方ないからな。許してくれよ。

 

『バッター一番、大谷』

 

 さぁ、本当の勝負はこれからだぞ。上位打線に戻る……しかもノーアウト一、三塁だ。

 あの脚が有る猫神は当然塁を詰める。実質ノーアウト二、三塁……ラッキーヒットを含めるとはいえ辛いぞこれ。

 

(俊足だ。初打席はカーブを待って流し打ちをしてファーストライナーだったし……もう一度カーブで打たせて取る。チーム方針としてストレートを待ち打ちしてるくさいからな……)

 

 ふるふる、と早川が首を振るう。

 カーブは嫌か、初回に痛烈な当たりされてっからな……じゃあシンカーでいこう。

 今度は頷いてくれた早川がボールを投げる。

 大谷は初球を見逃す。

 この打者の反応はわからない。どんな待ちをしていてもバットが反応しないんだよな。プロ注目ってのも分かるぜ。

 

(二球目、今度はカーブでいいだろ)

 

 こく、と頷いた早川。

 アウトローから落とす。

 外に構えた俺にミットへ向けて早川は腕をふるう。

 ボールは良い。蛇島に打たれたような力のない球じゃない。

 そんな球じゃ、ないのに。

 

 ッキィンッ! と大谷のバットが音を立てる。

 

 痛烈な打球はライト線を抜けて行く。

 二者が笑いながらホームへ帰った。

 二対五。コースも完璧、読みも外したはずだ。それなのになんでここまで完璧に捉えられるんだ。こいつは……!!

 大谷はサードへ滑りこむ。タイムリースリーベースで尚もノーアウト三塁。

 

『バッター二番、木村君』

 

 此処でバッターは木村だ。

 此処は敬遠も視野に入れたい。一度早川と相談してみっか。

 俺はマウンドへ向かう。

 

「木村は敬遠しようと想うんだが、どうだ?」

「大石くんは大丈夫なの?」

「大石もヤバイが木村の方がやべぇ。多分福家に続くナンバーツーが木村だ、対応力がずば抜けて高い。たぶん、初見の"第三の球種"ですら当てれるだろう」

「……分かった。じゃあ、敬遠しよう」

「…………ああ」

 

 早川はこちらを見てくれない。目線を俺から逸らして、敬遠することを受諾してくれた。

 キャッチャーズサークルに戻って外に立つ。

 今日の試合二度目の敬遠。

 これでノーアウト一、三塁。三点ビハインド――まだ諦めない。

 

(投げさせるつもりはなかったけど、高速シンカーだ。インロー。まずはワンアウト取るぞ)

 

 相手は押せ押せ。ストレートだと思って振って来るだろう。

 ならそこを高速シンカーで打ち取る!

 予想通り大石がフルスイングしてくる。

 早川はサードランナーを目で制してファーストへ投げた。

 

「アウトッ!」

 

 これでワンナウト。ここで福家か……敬遠するぞ。

 今度は相談もせず立ち上がる。

 絶対に抑える。抑えきるぞ。三点なら、なんとかなるんだ……!

 

『さあ此処で福家も敬遠でバッターは蛇島!』

『バッター五番、蛇島くん』

「……ククク、どうだい? パワプロくん、帝王の強さは」

 

 蛇島が話しかけてくるのを無視して、俺はインサイドに構える。

 その俺を見て、ピクリと蛇島の目に憎悪が浮かんだ。はっきり分かるぜ蛇島。俺を壊したいってのがな。

 

(さて、初球はストレートだ。蛇島は一年だから他の奴と比べたらパワーはないぞ)

 

 早川にサインを送るが、早川は投球モーションに入らない。

 じ、と蛇島を睨むように見つめてぎりぎりと硬球を握り締めている。

 ……どう、したんだ? 早川。

 俺が一度構えを解くと、早川はやっと投球する構えに入る。

 

(よし、じゃあまずはストレートだ。――ただしコースは――)

 

 早川が僅かに間を開けて首を縦にふる。

 二度目はない。さっきのように肩にバットを当てれば今度は言い訳できねぇからな。

 ビュッ! と早川が腕を振って投げてくる。

 その瞬間、俺は外へとミットを動かした。

 的が無かった分僅かにそれるが、おおよそサイン通りの場所――アウトロー――へとボールが投げられる。

 狙いに気づいた蛇島だが、遅い。

 ガギッ! と詰まったボールはセカンドの真正面に飛び――、

 

 新垣がボールを逸らした。

 

 一瞬、何が起こったのかわからなかったが慌てて俺は「セカンドベース!」と声を上げて指示を出す。

 どうしたんだ? 新垣、今日は動きに精細がない。真正面の打球をエラーするような選手じゃないのに……。

 ボールがセカンドに帰る頃には二者が生還する。

 

『二者生還! セカンド新垣痛恨のエラー!! 二対七ーっ!!』

「ごめんっ、あおい……!」

「どんまいあかり、大丈夫だよ」

 

 笑って新垣を励ます早川。

 ワンアウト一、二塁。ピッチャーの山口はなんとかショートへのゲッツーで抑えたが、これで五点ビハインド。でも、まだ試合はわからない。

 打順は矢部くんからという好打順だ。

 

「矢部くん。山口相手には追い込まれたら終わりだ。……初球の甘い球、狙っていこう」

「分かったでやんす。……葉波くんは無理にバッティングしちゃ駄目でやんすよ」

 

 それだけいって、矢部くんは打席へと向かう。

 ……ありがとな、矢部くん。

 矢部くんは俺の指示通りに初球を狙ってくれるが、セカンドゴロに終わる。

 新垣にいたってはボール球を振ってしまい三球三振……本当にどうしたんだ。新垣の奴……。

 そして、俺の打席。

 俺が打てばチャンスで友沢だ。ヒットを打てば打つほど皆に回ってくる打席は多くなる。

 矢部くん、悪いけど此処は無理してバッティングする、許してくれ。

 初球。

 

(ストレートで押してくるはず……)

 

 アウトローへのストレート。

 一本に絞って――。

 ヒュゴッ! と投げられたストレートに合わせて俺はバットを振る。

 バットがボールとインパクトした瞬間、衝撃で走る激痛。

 

「ぐっっ!!」

 

 思わずバットを離しちまった。

 そのままてんてん、とボールはセカンドの蛇島の元へ転がっていく。

 蛇島はニヤリ、と心底嬉しそうな笑みで笑いながら、それをファーストに送球した。

 

『スリーアウトチェンジ! この回恋恋高校、チャンスを作れませんでした!』

 

 ぐ、と肩を押さえて、ベンチに早足で戻る。

 ……ちく、しょう。今ののせいで痛みがまたぶり返してきやがった……っ。

 ベンチに戻って防具をつける。

 

「大丈夫でやんすか」

「ああ、俺はな。……新垣、大丈夫か?」

「……帝王の蛇島にバカにされたのが聞いてるみたいでやんす」

「……蛇島、か」

 

 揺さぶるのが上手い奴だな、ホント。

 でも内野の要が不調ってのはちょっと痛い。矢部くんに何とかフォローしてもらうか。

 

「矢部くん、新垣の事頼んだぜ」

「……任せるでやんす」

 

 嫌がるかと思ったが、矢部くんは何か物憂げな顔で新垣を一瞥して了解し、フィールドに飛び出していく。

 さっきと同じ打順から。この回は抑えきるぞ。

 

 

                      

                       ☆

 

 

 

 どうしてだろうか。

 あんなに輝いて見えた蛇島さんが、今はそう見えない。

 パワプロさんの肩にバットを当てたプレイ。あれは多分、わざとだ。

 前に見たときの蛇島さんのスイングはもっと小さくコンパクトだった。それがわざわざインに寄った時だけ大きくなるなんて肩に当てたいですといっているようなもの。

 それに比べて、パワプロさんはなんて凄いんだろう。

 あおいさんが言っていたパワプロさんの印象は、僕が抱いたパワプロさんそのままの人物で、蛇島さんと会ってから聞いたパワプロさんとの印象とはまるで違う。

 ひたむきで、

 必死で、

 他人の為にケガを押して出場する、その姿。

 

「……僕がいれば、パワプロさんのケガをカバー出来たのに……」

 

 ポツリとつぶやく。僕は何をいっているんだろう? ライバルを……あんなに憎んだ相手を、助けたいと思っているなんて。

 じ、っと僕はバックスクリーンを睨む。

 二回までに七失点。五点ビハインド……更に三回に四点加えられて十一対二。

 四回表に二死満塁のチャンスを作ったが打席は投手のあおいさんだ。三者残塁でチェンジになってしまった。

 それでも……それでも、パワプロさんは必死に声を出して、チームを鼓舞している。

 

「そうだな。パワプロのバックアップがいればもっといい勝負をしていたかもしれない」

「……っ!?」

 

 その声に、僕は慌てて振り向く。

 そこに立っていたのは僕と同じ茶髪で、勇ましい風貌の憧れてやまない人――。

 

「にい、さん」

「帝王に行くんだってな。母さんが怒っていたぞ」

「……それは……」

「ふ。……帝王実業か。たしかに凄いチームだ。完成度も高く、パワフルズが一位指名を公言している福家を始め、タレント揃いだ。今の恋恋高校じゃ恐らくこのまま点差が開く一方だろう。……だがそれでも――パワプロなら甲子園に来る。そう想える。そういう姿を見せてくれるんだ」

 

 兄さんがパワプロさんを見つめながら、そう言う。

 たしかにそうだ。……僕もパワプロさんがレギュラーに出たときは、わくわくしながらパワプロさんを応援していた。

 

『さんしーん!! あの福家を空振り三振に取りました早川と葉波のバッテリー!! 更に四点取られましたがまだ試合を諦めません!』

 

 福家さんが苦笑しながらもどって行く。

 凄い、あの福家さんを空振り三振に取るなんて……。

 

「進。お前の人生だ。お前の好きにするといい。だがな、進。僕もパワプロも――お前のことを大切にしているんだ。それを踏まえた上で、自分の道を選べ」

「……僕、の道」

 

 僕が進みたい道、僕が進みたい方向。

 それは――。

 

 

 

                   ☆

 

 

「……」

 

 俺はバックスクリーンを見つめる。

 そこに有る一四対二のスコア。

 だがまだピンチは終っていない。四回裏でワンアウト満塁。

 バッターは三番大谷。もうここから全力で守ってもコールドからも知れない。でも、それでも――全力プレーはやめることは出来ないんだ。

 ドッ! とインハイのボールを受け止める。

 大谷は空振り三振! これでツーアウト満塁だ!

 

「ナイスだ。早川!」

 

 ボールを軽く送球して返しながら、四番の福家を見る。

 

「……肩のケガは大丈夫か」

「おかげさんでな」

「うちのバカがすまなかった。……俺はお前たちと戦えたことを誇りに思う」

 

 十八歳とは思えないほどの威圧感を放ちながら、福家が構える。

 光栄だねこりゃ。プロ注目の男に光栄なんて言われちまったなんてさ。

 

(此処はへたな小細工は要らない。シンカーで打たせて取る!)

 

 早川が頷いて、ボールを投げる。

 福家は初球からバットをフルスイングした。

 

 セカンドベースよりのセカンドゴロとなった打球。

 

 普通にとればアウトだが今日の新垣に精細はない。一歩目が遅いせいか打球に追いつけてないのだ。

 それを知っていてか、矢部くんが全力でボールに飛びついてキャッチし、そのままごろりと転がって体勢を整え、ファーストへ送球する。

 

『矢部選手ファインプレー!! 見せつけました!!』

 

 わああああ! と歓声がフィールドから響く。

 土を払いながら、矢部くんは立ち上がってベンチに戻ってくる。

 ベンチの前でやはり自分でも精細が無いと思っているんであろう新垣が申し訳なさそうに新うつむいていた。

 

「……あおいちゃんが駄目なら、パワプロくんがカバーするように、オイラが――新垣をカバーするでやんす」

 

 そんな新垣に向けて、矢部くんがつぶやくように言う。

 その言葉に新垣が顔を上げた。

 新垣に向かって矢部くんは笑ってハイタッチを求めるように手を上げる。

 新垣は涙を目にいっぱいに貯めてその手にぱむ、と自分の手を重ねた。

 

「……この回、三点だ」

 

 そんな二人の脇を通りながら、友沢がヘルメットを外し言う。

 

「それ以上取らないと試合が終る。――そんなことはさせない。この五回表、死ぬ気で三点取る」

「ああ、さっきの回は二死満塁を作った。今度は上位打線からだ。二点とは言わず四点でも取れるぜ! まずは矢部くん! 頼むよ!」

「任せろでやんす。絶対でるでやんすよ!」

 

 矢部くんが打席に立ち、新垣がネクストに入る。

 さあ、逆転するぞ。

 

「……パワプロくん……肩……」

 

 おずおず、と早川が話しかけてくる。

 さっきは俺の方を見てくれなかった。心配する気持ちを必死に抑えこんでたんだろうな。……ホント、申し訳ない。

 

「早川。……心配掛けて悪い。でも、この試合だけやりたいんだ。……今の俺たちと、強豪の距離を知っておく意味でもな」

「…………分かった。でも、約束して。……ケガ、速く治して……」

「……分かった」

 

 頷いて、俺と早川はグラウンドを見る。

 相手はまだまだ余力を残す山口。

 その山口の決め球、フォークに矢部くんは必死に喰らいつく。

 カウントは2-2。追い込まれてから二球もボールを選んでいる。

 

『さあ粘って七球目――』

 

 山口が投げる。

 投げたボールはフォーク。

 それを矢部くんは追っつけて打った。

 だが芯を外されたボールはセカンドへのゴロになる。

 それを見て矢部くんはファーストへと全力疾走をした。

 蛇島が取って投げるが遅い。

 矢部くんはヘッドスライディングする必要もなくファーストベースを駆け抜ける。

 

「セーフ!!」

『審判の手は横に広がった! セーフ!!』

 

 よし! 先頭が出た!

 

『バッター二番、新垣』

 

 通常考えれば此処はバントだ。だがただバントしただけじゃ、プレッシャーすら掛けられないだろう。

 此処は奇策を持っていく。――バスターエンドラン!

 俺がネクストに座ってサインを出すと、新垣はこくんと頷いた。

 バットを寝かし、新垣は構える。

 矢部くんはじりじりとリードをとって山口を揺さぶる構えを見せるが、この点差なら盗塁は勝手にさせておけ、か。

 それでもこの点差で雑な野球をさせるわけにはいかない。バントダッシュはきっちりとしてくるはず。

 山口が投球に入る。

 矢部くんがそれと同時にダッシュする。

 それに合わせて新垣がバットを引き、セカンド方向に打球を弾き返すが蛇島の正面に飛んじまった。まずいっ、これはゲッツーか……!?

 蛇島がセカンドにトスする。

 それを見て矢部くんは更に加速した!

 

「セーフ!!」

 

 審判の手が大きく広がる。

 矢部くんめ……新垣が間に合わないと感じて速度をわざと一旦緩めて蛇島のセカンド送球を誘い、新垣をアシストしたんだ。

 凄まじい走塁センスと技術……自分の脚に自信を持ち、なおかつ相手の肩との計算を頭に入れてやらなきゃ出来ない芸当だな。素直に凄いとしか言えねぇよ。流石だよ矢部くん。

 これで一、二塁――バッターは俺だ。

 

『バッター三番、葉波くん』

 

 クリーンアップ。後は四番……ケガを押して出ている俺でも此処はヒッティングだと向こうは読む筈。

 奇策は二度続けてこその奇策。ならばここは奇策を二度重ねる!

 山口が投げる。

 ストレート、さっきと同じく外角低め。予想通り!

 俺は素早くバットを寝かせる。セーフティバントだ。

 慌ててピッチャーがダッシュしてくる。それを待ってたんだ!

 俺はバットを押しこむようにバットに当て、わざと強くバントを放つ。ドラッグバント――所謂、プッシュバント。

 虚を突かれた山口はバランスを崩す。

 ボールは弱いバウンドでセカンドの前に転がるが、セカンドの蛇島が取る頃には全員が次の塁へ進んでいた。

 よし、セーフティバント成功! 俺も一塁に残った!

 最高の場面で友沢に回った。これで二点といえず三点、四点取れるかも知れねぇぞ!

 

『バッター四番、友沢』

 

 ベンチが今日一番の盛り上がりを見せる。

 さあ友沢。お膳立てはしたぜ。俺たちを塁に返してくれよ。

 

『さあ回ってまいりました。此処で絶好の得点のチャンス! バッターは友沢です! 十四対二、ここで三点を取らないと恋恋高校、コールドで試合が終わってしまいます! なんとか最後まで試合をやりたい恋恋高校!』

 

 初球から恐らくフォークで来る。

 友沢――狙っていけ。

 山口が振りかぶる。

 ビュンッ! と投げられたボールはフォーク。

 友沢は限界までそれを呼びこんで――掬い上げるように弾き返した。

 快音。

 ボールが打たれた瞬間長打になることを確信し、俺は走りだす。

 スピンが掛かった打球は右中間をまっぷたつに切り裂き、フェンスに直撃した。

 その間に矢部くんと新垣が全速力でホームに帰る。

 ボールはまだ中継にも帰っていない。俺も帰れる!!

 サードを蹴る。

 

「パワプロくん!! スライディングでやんす!! 左でやんすー!!」

 

 矢部くんが指示を出してくれる。ありがたいぜ!

 セカンドの蛇島から鋭い返球が猫神へと帰ってきた。

 それを避けるように俺はスライディングして――。

 

「セーフッ!!!」

『友沢の走者一掃タイムリーツーベース!! コールドをなくしたー!! し、しかし、その代償はあまりにも大きいか!! 葉波選手、肩を押さえて立てません!!』

 

 ……っ。

 スライディングする時に猫神と接触しちまった時変に捻ったみたいだ。

 せっかくある程度収まってた痛みが、今度はさっきの倍近い痛みで帰ってきた。

 激痛で動けない。だが此処で弱いところを見せたら審判に交代を命じられちまう。

 

「っしゃぁっ!! やったな矢部くん!!」

「え? あ、そ、そうでやんすね! ……歩けるでやんすか?」

「大丈夫だ。すまない」

 

 俺が大声を出すと、矢部くんは察して俺と肩を組むようにしてベンチまで一緒に歩いてくれる。

 実際には、俺が激痛で動けないから肩を貸してくれてるんだが、察してくれてよかったぜ。

 矢部くんにベンチに下ろされて俺は一息つく。

 

「……大丈夫?」

「早川。……ああ、大丈夫だよ」

「……そっか」

 

 何か言いたいのをぐっとこらえて、早川は俺から視線を外す。

 ありがとな早川。俺のわがまま聞いてくれてさ。

 この試合だけは、やりきらなきゃいけないんだ。

 俺たちのレベルはどの程度なのか知るためにも、な。

 結局続く明石、石嶺、三輪は空振り三振。

 明石にこそフォークを投げたが、後の二人ストレート一本で三振にしとめ、山口は揚々とベンチに戻って行く。

 さあ、五回裏、きっちり抑えねーとな。一点でもやったら試合終了だ。

 防具を着けてキャッチャーズサークルに座る。

 

『バッター五番、蛇島くん』

「……キミもタフだねぇ。そのケガ、酷いんじゃないかい?」

「そうだな。――でもまあ終われねぇんだよ。気に食わない奴に一発パンチくれてやらなきゃいけねぇからよ」

 

 じろり、というと蛇島の笑顔が凍りつく。

 むかついてんのかよ蛇島。悪いけどラフプレーはやんねぇぜ。プレイで返すのが俺の遣り方だからよ!

 初球、早川に要求する球はストレート。

 打ってみやがれ蛇島!

 早川から投げられるボールはキレ良く俺のミットに向かって飛ぶ。

 パァンッ! と受け止めたボールはアウトロー際どいコース。

 

「ストラーックッ!」

 

 心なしか早川も蛇島に大してのボールには力が乗ってるぜ。いい感じだ。

 1-0からなら変化球を投げれる。外角低めにカーブだ。

 要求通りに投げられたカーブに、蛇島はフルスイングで対応しようとするが当たらない。これで2-0だ。

 硬くなってやがるな。俺の挑発に乗って熱くなってる。

 遊び球は要らない。三球勝負だ。

 "第三の球種(インハイストレート)"。気合いれて投げ込め!

 

「んっ!!」

 

 早川が声を上げて投げる。

 伸びるボール。それを追うように蛇島のバットが動き――当たらない。

 バシッ、とミットでボールを捕球し俺は目で蛇島を見る。

 蛇島と目があう。

 蛇島は一瞥するようにこちらを睨んだ後、すごすごと帰っていった。

 借りは返したぜ。蛇島。

 ――カウントもこれでワンアウト。よし。

 もう一点もやれない、ランナーを出さずに済むならそれがベストだ。

 続くのは投手の山口。こいつも抑えれるのがベストだ。気を緩めるなよ早川。

 投手だ。フォアボールのほうがヒットよりでやすいだろう。

 最初から"第三の球種(きめだま)"で行く。さあ来い。

 早川の投げたストレートにカンッ、と上っ面で当てた球はふらふらとサード後方へと伸びていく。

 そしてそのままポテン、とレフト前に落ちた。

 

『ヒットー! 幸運な当たりですがヒットになりました! このランナーが帰ればサヨナラコールドゲームになります!』

 

 攻め方は間違っちゃいない。運がよかっただけだし、三輪のスタートがあと一歩早ければレフトフライだ。問題ない。

 バッターは猛田。コイツをゲッツーに取れれば最高だし、最悪進塁打を打たれても八、九の下位打線、何とかなるはずだ。

 

(初球はカーブ、こいつはストレートにはめっぽう強いが変化球に当てるのはそう上手くない。来い!)

 

 早川が投げる体勢に入った瞬間、山口がスタートする。

 

(走った!!)

 

 投手でも走らせてくるのか。

 ランナーが二塁に入ったらマズイ。進塁だけは許しちゃいけない。

 肩は痛む。正直に言えば壊れるんじゃないかと思うほどだ。

 それでも、此処は絶対に刺す。刺せる!!

 腕を振るう。 

 セカンドベース上。そこへ向けてボールを投げようと思ったその瞬間。

 

 ――肩に激痛が走った。

 

 ぴ、と指先からボールが抜ける。

 

 ――セカンドの頭上を遙かに超えて、ボールは外野へと飛んでいく。

 

 ライトの右、センターの左に転がるボール。

 まるで人の居ないところを狙ったかのような悪送球。

 それを確認すると同時に、俺は右肩を押さえてその場に蹲った。

 

 ――視界の端で山口がホームに帰るのが視える。

 

 俺の悪送球でランナーがファーストから一気に帰ってきてしまった。

 俺がうつむいていると、早川がマウンドから降りて俺の前にしゃがむ。

 

「肩、大丈夫? ……ごめんね。ボク打たれすぎちゃって」

「あおいちゃんだけのせいじゃないでやんすよ。……オイラももうちょっと攻め方があったと思うでやんす」

「私のエラーが大きかったわ。それがなきゃこんな一点位……」

「打撃は調子良かったが守備等でカバー出来なかった。皆の力不足だ。一人のせいじゃない、チームの責任だ。……次だ。次にリベンジすればいい」

「……ああ……そう、だな……」

「とりあえずパワプロくんは病院だよ。加藤先生! はるか!」

「は、はいっ!」

「その前に整列よ。さ、皆、整列して、パワプロくんはその後速く病院に行きましょう」

「……はい」

 

 皆の言葉が頭に染みこんでくる。

 ああ、そうだ。友沢の言うとおり俺達はまだまだ力がない。これが今の俺達と帝王実業との差なんだ。

 だから――もっと強くなろう。次にやった時は負けないように。

 強くなって次は勝つ。

 それが負けた俺達に出来る唯一のことなんだから。

 ホームベース前に俺達は整列した。

 俺の隣に居る早川は、俺を支えるように寄り添って支えてくれる。

 

「十五対五、帝王実業!」

「「「「「「ありがとうございました!!」」」」」

「さ、パワプロくん行くわよ。車で病院まで送ってあげるから」

「ありがとうございます」

 

 全員でおじぎをして挨拶を終えて加藤先生に促されてベンチへと戻る。

 ベンチから出る直前に俺はスコアボードへと目をやった。

 

 恋恋 200 03

 帝王 254 31×

 

 このスコアボードを、俺は忘れない。

 コールド負けという悔しさを胸に秘めて俺は球場を後にする。

 今日の敗戦を糧にして、次の大会は絶対に勝つ。

 次の戦いは秋大会だ。

 

 

 

                       ☆

 

 

                      

「兄さん、僕、決めました」

「そうか。……行くんだな」

「はい。僕は――恋恋高校に入ります」

 

 決意を兄さんに言う。

 すると兄さんはふ、と笑った。

 まるで僕がそういうのが分かっていたみたいに。

 ……本当に、兄さんには敵わないや。

 

「今のお前は昔、僕たちが居た頃の進だ。パワプロが最も恐れていた時の、な」

「……え? パワプロさんが恐れていた?」

「ああ、そうだ。あいつが僕たちの専用練習場に入って練習したり、スポーツジムの永久会員になったのは知ってるだろう? あれはあいつらお願いしてきたんだ。お前に負けたくない。レギュラーを取られたくない。だから練習場を使わせてくれとな」

「……」

「知らなかっただろう? 進。僕もお前の凄さを認めている。だがな――お前の実力を一番知って、一番認めていたのは他でもないパワプロだ」

「……そうだったんですか……それなのに僕は……」

「ふ。恋恋に行くなら覚悟しておけよ。コンバートするつもりで行かないとな」

「そうですね。外野手も練習してみます。もちろん捕手は諦めないですけど」

「それがいい。多分パワプロもお前と競うことで更に成長出来るし、チーム的にもお前が加入すれば選手層が厚くなる。……これは手ごわくなるな」

「ふふ。兄さんたちを倒して甲子園に行くんですから」

 

 僕は笑って席を立ち上がる。

 今日は見に来てよかった。……僕はパワプロさんに憧れていたんだ。それがいつの間にか嫉妬になっていたけど、僕は嫉妬なんかよりもっともっと別の気持ちをパワプロさんにいだいていたんだから。

 

 ――僕は、パワプロさんともっと一緒に野球をやりたい。

 

 外野手でもいい。もちろん捕手がベストだけれど、僕はパワプロさんともう一度レギュラー争いしてみたい。

 そして何より、もう一度同じチームで野球がやりたいんだ!

 

「それにしても蛇島さん、酷いですね。バットを肩に当てたプレー、あれって……」

「……進。お前はお前のことに集中するといい」

 

 兄さんに故意かどうか確認しようとした瞬間、兄さんの声がひやりとしたものに変わった。

 普段他人に対して怒りなんて見せない兄さんが、怒ってる。

 

「僕のライバルを故意に潰そうとしたのならその報いは受けてもらうさ。……敗戦という形でな」

 

 兄さんは言ってスタンドを後にする。

 ……僕も行かなきゃ。

 パワプロさんありがとうございます。今日の試合、負けてしまったけどパワプロさんの全力のプレイはしっかり目に焼き付けました。

 僕も負けません。中学校で日本一を目指して頑張ります。

 次に会うときは――恋恋高校のグラウンドで会いましょう。


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