生みの親は出産の後すぐに亡くなったらしい。元々身体が丈夫でなく、無理が祟ったのだろうという話だ。さらには男運にも恵まれなかったようで、お相手はどこの誰とも知れない流れ者だったという。一番辛い身重のときに傍にはおらず、当たり前だが扶養の義務など果たされていない。
赤子を放置するわけにもいかず、一人残された娘は流れるままに隣家の住民に面倒を見てもらうことに。里の中での世間体のため、一応世話はしていると取り繕うための最低限の養育。
別段、愛されないことに文句を言うつもりはなかった。ただでさえ日々の食事にも困窮する寒村での暮らし。子どもとはいえ仕事を振られるのは当然と思うし、実の子より優先順位が下になることも全くもって健全、自明の理だ。
「まだ水汲みは終わらないのかい! まったくいつまで経ってもグズな娘だね、お前は!!」
しかしまあ、さすがにこれはないのではないかと。
寒空の下、冷たい水を浴びせられながら彼女は――天涯孤独の薄幸少女・エイーシャはしみじみと思うわけである。
「ドリスおばさん、運ぶたびに中身をぶちまけられたら、終わるものも終わらないと思うの」
「言い訳はおやめ! どこの誰がそんなことするってんだい!」
「ナスティ姉さんよ。私の顔付きが気に食わないらしいわ」
「なっ、嘘おっしゃ――」
「ちなみに今日の水汲み当番はノイン姉さん。私に仕事を押し付けて遊びに行っちゃったわ、元気で良いことね」
「ッ~~お、お黙り!」
――パァン!
「まったくいつもいつも口答えばかりして! 親の顔が見てみたいもんだね!」
「隣人だったなら顔は知っているのでは?」
「ッ……う、うるさいね! どこの誰とも知れない父親の方だよ! 素性も分からない男に股を開くなんて、お前の母はとんだ阿婆擦れだよ!」
「まあ、酷い」
ショックを受けたように口元を押さえるエイーシャ(無表情)。
その姿に多少溜飲が下がったのか、ドリスは口の端を歪めて義娘を見下ろした。
「フン、分かったらさっさと水汲みの続きを――」
「旅芸人さんと逢引きに行ったノイン姉さんを悪く言うなんて酷いわ。いくら隣村の村長の息子さんと婚約が内定したからって、姉さんだって遊びたいときくらいあると思うの」
「何やってんだ、あの阿婆擦れ娘はあああッ!!」
せっかく決まりかけている良縁をふいにしてなるものか! ドリスは遊びの激しい次女を追いかけて脇目もふらず森へ駆けていった。
残された銀髪の少女は、空の水桶をかぶりながら冬の曇り空を見上げる。ずぶ濡れの髪が風に吹かれてちょっと冷たい。
「ふぅ……話をするだけで叩かれるなんて、ドリスおばさんはカルシウムが足りていないのね」
ビンタくらいでは痛みも感じない自分でなければショックで泣いていたかもしれない。実の子のようにとまでは言わないけれど、もう少し優しくしてくれても罰は当たらないのではないか?
具体的には、パンを二日に一回ではなく毎日もらいたい。育ち盛りの13歳はお腹が減るのだ。
「ふぅ……。まったく、生きづらい世の中だわ」
微塵も悲観を感じさせない無表情で呟き、エイーシャは川へと向かった。
――――
「で、さっそくこれは無いと思うの」
「ガルルルルゥ!!」
再びやって来た森の小川。さあ水を汲もうと桶を突っ込んだところで、背後に複数の気配。誰だろうと振り返ってみればあら大変、野犬の群れが少女を取り囲んでいるではないか。
「ねえ? 冬場で餌が無くて困っているのは分かるけど、暴力では何事も解決しないわ。だからまずは話し合いで着地点を探しましょう?」
言語は人類の最も偉大な発明品だとエイーシャは考えている。誠心誠意心を尽くして会話をすれば、人は皆と分かり合えると本に書いてあったのだ。
……義理の家族とはバッドコミュニケーションばかり繰り返しているし、なんなら目の前のお客さんはそもそも人類じゃないけれど、諦めたらそこで人生終了だとどこかの先生も言っていたし。
「だから私、あなたたちとも分かり合う努力を放棄しないわ。ほら、お話ししましょう? バウワウッ――あ、コラ、腕を噛むんじゃないの」
残念ながら犬語はまだ修得できていなかったようだ。飢えた野犬どもは説得?の言葉にも耳を貸さず、エイーシャの白磁の肌に牙を突き立てた。柔らかな皮膚が食い破られ、鮮血が雪原を点々と汚していく。
「困ったわ、どうしましょう?」
微かな痛みを感じながらエイーシャは思う。
敵意は見せなかった。
――ダメだった。
言葉を尽くした。
――ダメだった。
縄張りを侵したことを謝った。
――ダメだった。
ならば住処から退去しようとした。
――ダメだった。
最期にもう一度心からお願いした。
――やっぱりダメだった。
「ガルルルウ!!」
「ねえ、どうしたら分かってくれるのかしら?」
あゝ、痛い。
そこまで強い痛みではないけれど、鈍感な自分で無ければきっと泣いてしまうような痛さだ。こんなに誠意を込めて話しているのに、どうして誰も分かってくれないのだろう?
エイーシャが親無しのみなしごだからだろうか?
いや、以前読んだ本の主人公も孤児だったけれど、彼女はちゃんと街の人に愛されていた。おまけに不思議なことに、一言呟いただけでなぜか多くの男から想いを寄せられていたのだ。『本当のあなたを受け入れる』とか、『もう頑張らなくて良い』だとか。
何を言ってんだ、庶民が生活していくのに頑張らなくていいわけないだろう。
よく分からない男によく分からない言葉をかけた結果、よく分からない内に全てがうまく行っていた謎の超展開だ。きっと作者は中盤の展開をまるっと飛ばす時間魔法の使い手に違いあるまい。
つまるところ、人と人が分かり合えるかどうか、愛されるかどうかは、生まれたときから決まっているということ。
言葉をどれだけ尽くそうとも、いくら仕事を頑張っても、定められた関係性に影響を及ぼすことなどほとんどない。それはエイーシャの13年の人生が証明しているではないか。
そう、つまり――
導き出される結論は――
「言葉は無意味ということで、ファイナルアンサー?」
「ガルルルルウッ――ファイナウギャブフアアッ!?」
エイーシャの腕に噛み付いていたボス犬が吹き飛んだ。音速の拳を顎に受けて気絶したワンちゃんは、樹木より高くカチ上げられた後、錐揉み回転しながら冬の川に突っ込んだ。
エイーシャの身体を貪ろうと群がっていた野犬たちは、突然のボスの空中遊泳に唖然とし、思わず少女から飛び退く。
「あら、静かになったわ? あんなに言葉を尽くしてもダメだったのに、腕の一振りだけでこんなにもあっさり」
「グッ……グルルルル……ルゥ……、クゥゥン」
「ああ、そう、そうなのね? そういうことなのね? 私、真理に辿り着いてしまったのね?」
両手の骨をバキボキと鳴らしながら、エイーシャはどこかにいる神様とやらに感謝を込めて宣言した。
「つまりこの世の全ては、暴力で解決できるのねッ!!」
――ドンッ!!
処女雪が弾け飛び、少女の身体がその場から掻き消える。
「! ア、アオオオオオン!?」
「キャイイインッ!?」
「ニャオン! ニャオオオーーン!?」
草花も散りきってしまった冬のある日、辺境の森に紅葉が色付き、フェンリルの群れに新たなボスが誕生したそうな。
――そして、少女の進撃が始まった。
「あ、ちょっとエイーシャ! あんた私が男のところに行ったって母さんに告げ口したでしょ!? しかも頼んだ水汲みもまだ終わってないってどういうつも――」
「えい」
「おぶファア!?」
次女ノイン。仕事を押し付けた上に背中を蹴っていったのでお返し――ビンタ。
「エイーシャ! どこほっつき歩いていたの!? まだまだ仕事はいっぱいあるんだから早く来なさい、このグz――」
「えい」
「おげロオオッ!?」
長女ナスティ。水をぶっかけられた上に水桶で頭を殴られたのでお返し――腹パン。
「お、エイーシャじゃねえか。相変わらずいけすかねえ顔してやがr――」
「えい」
「げっふぁあ!?」
長女の夫ゴンド。嫁の気を惹きたくていつも殴ってくるのでお返し――アッパーカット。
「おい、コラ! 何してやがるこのガk――」
「えい」
「ぶわあああッ!?」
近所のおっさん、ガイツ。昔母にフラれた腹いせでいつも蹴ってくるのでお返し――脳天かかと落とし。
家族との対話は終わった。
さあ、後はお家に帰ってご挨拶だ。
「ただ~いま~~」
「遅い! まったくこの役立たずは何をやって――」
――ドゴオオオンッ!!
「ぎゃああああッ!?」
扉を蹴破って帰宅する。
蹴破る
「あ……ぐ……あがぁッ? ……な、何がッ」
「あっ、ドリスおばさん。私さっき、この世の真理に到達したの」
「は、エイーシャ? な、なにを……。こんな……こんな真似して、どういうッ」
「あのね、この世は力が全てだったの。力こそが正義であり、暴力こそが最も血に染まらない道だったの。おばさんたちと森のワンちゃんのおかげでようやく気付けたのよ、どうもありがとう」
「????」
戸板の下敷きになったまま、ドリスが宇宙を見る顔になっていた。
書いてる方もそうなっているから仕方ない。
「というわけで、今日から私は冒険者として生きていくわ。この家からも出ていくから、
「は? な、何を言って……」
「あ、お金は要らないわ。必要なものは道中で揃えるから心配しないで。いざとなったらボス犬ちゃんの毛皮を売るし」
――キャウン!?
「え、何、今の鳴き声……」
「じゃあ、今日まで13年間お世話になりました」
実際は物心ついてからずっとこちらがお世話していた気もするが、まあそこは様式美というやつである。せっかくの晴れの日にネチネチ細かいケチを付けることもあるまい。
エイーシャは曇天の向こうに見える街の喧騒に想いを馳せた。
「じゃあそろそろ出発しようか。君の背中に乗っていけば夜までには街に着くよね?」
「ッ……く、く~~ん(※あ、はい。言うこと聞きますんで殺さないで)」
エイーシャの身長の倍はあろうかというボス犬が子犬のように小さくなる。
あんなに気性が荒かった野生動物がこれほど従順になるとは……。
村人や家族とのコミュニケーションもうまく行ったし、やはり暴力。暴力こそが全てを解決するのだ。
「お、おい、エイーシャ! これは一体何の騒ぎ……」
「さあ、行くわよ、ボス犬ちゃん! 目指すは辺境の街・ロンダイク! 夢は大きく世界最強! この世の全てを我が手に掴むのよ!」
「く……くおおーーーんッ!!」
「ちょ、待っ、ほぎゃあああッ!?」
「そ、村長おおおおッ!!」
これは、虐げられてきた薄幸の少女(※ノーダメージ)が、天上の才能(※最強の肉体)によって幸せを手に入れる、ハートフルバトルストーリーである。
……なお、周囲の安全と胃痛については考慮しないものとする。
【人物紹介】
エイーシャ:
最強の肉体を持ってこの世に生まれてきた、ナチュラルボーン絶対強者。意地悪な義家族たちに虐げられながらも、これまでは対話を重視して穏やかに暮らしてきた。しかし魔狼フェンリルに襲われたことをきっかけに真理に開眼。『やっぱり世の中暴力やな』と考えを改め、己が拳でこの世界を渡っていくことを決意した。
こんなのを世に解き放ってしまった義家族は大戦犯と言わざるを得ない。
フェンリルのボス:
並みの戦士では全く歯が立たない伝説級の魔獣。群れを率いて各地を荒らし回る気ままな旅の途中、偶々目に付いたエイーシャに絡んでしまったのが運の尽き。この世の全てを切り裂く牙が薄皮一枚しか刺さらず、真理に目覚めた少女の拳でワンパンKOされた。
その後は乗り物として便利に使われる小間使い生活に。伝説の魔獣である自分がなぜこんな目に……とさめざめ泣く毎日だが、死にたくないので従わざるを得ない哀れなヤツ。
後に山ほど積み上がる被害者の栄えある第一号である。