「……困ったわ」
――練習でうまくいったとしても、本番で同じようにやれるとは限らない。
あらゆる分野で日常的に語られるこの言葉の意味を、彼女は身をもって味わっているところだった。
エイーシャという少女は確かに強い。義家族から毎日殴られても傷一つ付いたことはないし、一週間不眠不休で魔物と戦い続けることも可能だ。魔狼の群れすら労せず一蹴しているし、戦闘力という意味ではおそらく人間社会で並ぶ者などほとんどいないだろう。
それゆえ、他の新人では体験できない特有の試練が彼女を襲っていた。
「どうしましょう……魔物が寄ってきてくれないわ」
エイーシャのあまりの強さを敏感に感じ取り、カザールの森周辺の魔物たちが遭遇する前に逃げていってしまうのだ。これは盲点であった。いくら力が強くとも感知能力に乏しい彼女では、本気で身を隠した野生生物を見つけるのは難しい。
なるほど、これが戦闘力一辺倒では熟せない特殊専門職――冒険者。少々舐めていたのかもしれない。
「アオオン?」
「あら、探してくれるの? でもダメよ、これはあくまで私が受けている試験だもの。個人の力で突破しないとズルだわ」
「アオゥ……」(※変なとこで律儀やな。頭ん中暴力と筋肉しか詰まってないのに――の顔)
「……何か?」
「!? アウアウアウ゛ッ」
高速風見鶏と化した愛犬を横目にエイーシャは考える。
この辺りの魔物が寄ってきてくれないのなら、もっと闘争心に溢れた個体がいる場所へ行くしかないだろう。聞くところによると北の方にも『ミネイル山地』という狩場があり、この辺りと比べて魔物のレベルがかなり高いという。ならば山方面を目指しながら道中でも標的を探していく――という方針が妥当か。
「ウチの村の方と似た立地だし、クリムゾンベアーやキリングホーンが出てきてくれると嬉しいわね。あいつら絶対襲ってくるから」
薪拾いや特訓などで森へ入ったとき、あの熊と牛にはよく襲われたものだ。食事をもらえない日の臨時食料として重宝したのをよく覚えている。いわば彼らはエイーシャにとって食の救世主、すなわち人生の大恩人だったと言えよう。……全員狩猟しちゃったけど。
「話していたら久しぶりに会いたくなったわ、ベアー先生とホーン先生。……じゅるり」
「ア、アォォン……」
「耳肉もおいしいから、提出する分とは別にフローラさんへ進呈しましょう。きっと気に入ってくれるわ」
「アッフ!? アオッファ!!」
「じゃあ、ミネイル山地に向けて出発よ。夕方までには帰って来られるよう急ぎましょうね」
「アーーオ……」
絶妙に噛み合わないまま、主従は北の山目指して
――最速の魔獣と並走するとか、こいつホンマに人間かな?
ドン引き続きの愛犬の心の声は、幸い誰にも聞かれることはなかった。
◇◇◇
『カザールの森』は比較的低レベルの魔物が多い狩場である。森の浅い部分ではF級やE級ぐらいしか出現せず、中層でやっとD級が、ミネイル山地に近い深層でようやくC級が稀に出てくるという程度。初心者や冒険者未満の若者たちにとって、最初の腕試しにちょうどいい練習場所だった。
「ミリア! ポーションは後いくつあるッ!?」
「今ので全部使い切っちゃったわよ!! 魔法薬も次で最後ッ!!」
「くっ、こやつら一体どこから湧いてきおった!!」
「ブルフフフゥ!!」
ゆえに、C級冒険者チーム【翡翠】の四人がこんな場所で追い詰められるなど、明らかな異常事態だった。
中層にもかかわらずオーク、ローグエイプ、ブレスシープなど、深層域でも珍しいC級モンスターが次々と襲い掛かってくる。それでも十匹程度であれば問題なく処理できただろうが、目の前にいるのはもはや数えるのも億劫になるほどの獣の大群だ。冒険者になって二年でC級まで駆け上がった新鋭【翡翠】といえども、質を備えた数の暴力は荷が勝ち過ぎた。
「【フレイムランス】!! …………ダメッ、一撃で倒せないわ!」
異変はそれだけではない。
「どうなってやがる! オークなら中位で十分殺せるはずだろ!?」
「私に言われても分かんないわよ!?」
「言い争っておる場合か! 目の前の敵に集中せい!」
「くっ、一撃一撃が重い……! 疲労の影響じゃないぞ。明らかに通常よりも強い!」
目の前のオークを切り捨てながら、【翡翠】のリーダー、カインズはギリと歯を食いしばった。
冒険者の等級は同ランクの魔物を安定して倒せるかで判断される。【翡翠】も昇級試験においてC級の魔物は一通り倒しているし、そこから半年経験を積んでさらに力を伸ばしている。かつては苦戦したオークやローグエイプが相手でも、余裕を持って下せるようになっていたはずだ。
それが今や一太刀で殺せるところを耐えられ、一発では足りず二発目が必要となり、簡単に打ち払えていた敵の攻撃で逆に押し込まれる始末。疲労と精神への負荷が重なって身体を蝕み、彼らは徐々に、徐々に、崖を背にした一画へと追い詰められていった。
「ご……こめんなさ……ドナテロ……。もう、魔力が……ッ」
「ぐぬッ……こちらも手が、足りぬ……!」
「ミリア下がって! クライブ! 二人のフォローを頼む!」
「なッ!? それじゃお前の負担が……!」
「そんなこと言っていられる状況じゃないだろ! 次が来るよッ、構えて!!」
「くッ!?」
【翡翠】はC級冒険者として何ら恥じない戦いぶりを見せた。
力を振り絞り、仲間と支え合い、恐怖を押し殺し、最後の最後まで諦めず勇敢に立ち向かった。
しかし、圧倒的な群を前にすれば個での勇戦など儚いものだった。
棍棒を振るう豚人。
岩を投げ付ける大猿。
炎を吐き出す角羊。
大群を前に体力が削られ、魔力が底をつき、連携が維持できず、気力すら萎えかけていく。
「ぐっ……このまま、じゃ……ッ!」
毒棘を放つ甲虫。
頭蓋を噛み砕く狼
群れを吹き飛ばす少女。
上空から飛来する怪鳥。
いくら根性で立ち続けようが、切れ目のない攻勢を前に限界はもう目の前まで……。
…………。
………………。
――ん? 今なんか変なのいなかった?
カインズの視界に一瞬、魔物以外の何かが映ったような気がして――
「あのー」
「ッッ!?」
不意に、仲間以外の誰かからの呼びかけ。この広い森で同業者とすれ違うことなど滅多になく、彼は咄嗟に返事を返せなかった。しかも今の声は、明らかに目の前の壁の向こうから――獣の大群の中から発されていたのだ。
「今、魔物が見つからなくて困っているのだけど、少し分けてもらっても構わないかしら?」
「え? ……は? いや、え? 誰ッ!?」
至極当然の疑問である。聞こえてくる声は幼い少女と思われる綺麗なソプラノで、こんな森の奥に単独でいるなど普通はありえないことだ。
……いや、ありえないと言うなら、今またローグエイプが五匹ほどまとめて宙を飛んだのもありえない光景で――
「ウギィイイイッ!?」
「って、うわああッ!? 猿が木から落ちてきたああッ!?」
「ふぉオオ!? なんだ、なんだ!?」
突如上空から降ってきた猿の大群に驚愕し、慌てて飛び退くカインズたち。そこへローグエイプの巨体がバタバタと積み上がり、見上げるような猿山が形成されていく。ついでに下敷きになったオークたちは痙攣していた。
「いや、なんで!? どうしてローグエイプが木の実みたいにバラバラ落ちてくるの!? 意味が分からないんだけど!?」
「お、おい、なんだこりゃ!? 一体何が起きてる、カインズ!!」
「そんなの僕が聞きたいよ!!」
「……やっぱり、横取りはよくないのかしら? でもこんなにいっぱいいるのだし、数匹くらいはお目こぼししてもらえる気も」
大混乱の【翡翠】メンバーを余所に、謎の声はのんびりとした口調を崩さず続ける。
「うん、まぁ良いわよね? こんなにあっても四人じゃ食べきれないだろうし、少しくらい私が貰っても。…………いざとなったら、ちょっとワカッテもらえばいいんだし」
「いや怖い怖い怖い! 全体的に発言が怖い! え、魔物を食べるッ? 正気!? あと“ワカッテもらう”って何する気!?」
「じゃあやりまーす」
「話聞いてよおッ!!」
問いかけには答えず、謎の声の主は力を溜め始めた。(ような気がする)
「あ、ちょっと離れておいてね? 汚れるかもしれないから」
「へ?」
謎の忠告の後、今度は一瞬だけ地面が揺れたような気がして。
そして――
――えい。
「…………は?」
気の抜ける声とともに空気が弾ける音が聞こえた。
「グギャアアアーーッ!?」
「メエエエエーーーッ!?」
直後、魔物の群れの中心が噴火のごとく天へと巻き上がった。突き上げられた衝撃は周囲に高速で伝播していき、魔物の群れがまるでドミノ倒しのように押し出されて洪水と化していく。
「え……は!? ちょ、待っ……おぶふぁあッ!?」
避ける間もなく強かに頭を打ち据えられ、カインズの意識はあっさり闇に沈むのだった。
……。
…………。
………………。
◇◇◇
「よし、討伐完了。後は証明部位を持って帰れば試験は終了ね」
「アオン」
討ち漏らしの掃討も終わり、森の中は再び静寂を取り戻していた。
エイーシャは両手に付いた血とナニカを払い……はたと首を傾げる。
「あら? 困ったわ。これってどこを持って帰ればいいのかしら?」
「…………」
目の前にはただの屍――どころではない状態になっている魔物たち。
「まあフローラさんは専門家なのだし、適当に掴み取りしてもちゃんと判別してくれるわよね?」
「オオン……」
うん、もうそれでいいんじゃね?顔のフェンリル。
「あ、この人たちはボス犬ちゃんが背負ってあげて?
「……あふぅ」
タンコブ作って気絶している【
「それじゃあロンダイクへ戻りましょうか? 帰りは景色を見ながらゆっくり行きましょうね」
「アーオ……」
それら全てを気にしないマイペース少女エイーシャは、討伐証明をギチギチに詰め込んだ袋を肩に担ぎ、血の海となった森からのんびり去っていった。
――夕飯は何を食べようかしら? 何か希望はある?
――アウゥン……。
――あら、お腹減ってないの? ダメよ、ご飯はちゃんと食べないと。私はね、がっつりお肉の口になってるの。豚と羊をたくさん見たからかしらね?
――アゥッ!?(※こいつ正気か!?――の顔)
――この人たちは警備詰所の前に置いていきましょう。横取りがバレたら怒られるかもしれないし、衛兵の人に見つからないようにコッソリと――
――アォォォ……
…………。
………………。
……………………。
「おいおいおいィ……何だ、あの化け物は? 先行量産した在庫分が全部無くなっちまったぞ」
誰もいなくなった森に男の声が響く。
「しかも……うへぇ、ほとんど粉々になってる。こんなんどう報告すりゃいいんだよ、絶対嘘吐いてると思われるぞ」
困ったように呻くその声はしばらく一帯を歩き回った後、事切れたオークの傷口を覗き込んだ。
「やっぱり、魔石は正常に機能しているよなぁ。それをまとめて殲滅するなんて、あの嬢ちゃん一体何者だよ?」
死体から黒く輝く不気味な石を取り出しながら、ブツブツと呟くその男は、
「ああ、はいはい、すぐに戻りますよ――――【カースフレイム】」
その場に残った死体に火を放つと、まるで誰かと話すように呟きながら森の奥へと消えていく。
「とりあえず、中堅冒険者なら問題ないって分かったんだし、今回はそれで良しとしておきましょうや。……へいへい、分かってますって、りょうかーい」
魔物の群れだったものは骨の一片まで燃え尽き、僅かに煤けた空気もやがて風に吹かれて飛んでいき、後には何も残っていなかった。
…………。
………………。
――――
――帰還後、冒険者組合での一幕。
「あのね、エイーシャちゃん? 無事に戻ってきてくれたことはとても嬉しく思うの」
「う~~~ん……?」
「でもね? 討伐証明っていうのは身体の表面の部分であって、間違っても謎の合い挽きミンチ肉のことじゃないのよ。分かってる?」
「あっ! 見つけたわ、フローラさん。たぶんこれが耳の上側の――」
「それは胃袋の切れっ端! もうこれだけやれるなら合格にしてあげるからッ、あなたは汚した床とカウンターを掃除なさい! 今すぐに!」
「……お仕事って大変だわ」
社会人一日目、エイーシャはお金を稼ぐ大変さ?を先輩に叩き込まれながらモップがけに勤しんだのである。