星となった日
この世界で
照明をつけても晴らせないほど陰鬱な空気が子供たちから笑顔を奪い、光を拒んだ目から涙は抑えられず、胸中に渦巻く暗い感情は嗚咽となって吐き出される。
彼らに許された唯一の救いは、安心を求めて抱き合った互いの温もりだけ。
それでもなお、絶望に沈んだ心を慰めるにはまだ足りない。
突然訪れた両親の死。
この場に最も必要な二人は、もう二度と彼らに
それなら今、私がすべきことは……
「おーいこっち! パス出せ!」
「させんな! コース塞げ!」
部活に所属していない生徒たちが帰った学校では、練習着に着替えてグラウンドを走り回るサッカー部の声が響いていた。
「もっと周囲にも気を配れ! ほら、逆サイドの警戒が甘いぞ!」
外から状況を見ていたコーチから指導が入れば、慌てたメンバーの幾人かが周囲に気を配るも、集中している子たちは目の前の攻防に必死だ。
ただ、皆一様に楽しげな表情を浮かべる様子はまさに
「青春、だなぁ……」
近くまで寄っていた私は、気付けばグラウンドを見渡せる道端に自転車を止め、楽しげにサッカーに励む彼らの姿を見ていた。
でも、今の私にとって
胸の奥にモヤっとした感覚を覚えつつ、私は止めていた自転車のペダルを再びこぎ始める。
自転車の前カゴに詰められた印刷物を配り続けて約3時間。
一仕事終えた私は借りていた自転車を返し、そのままランニング感覚で帰路に就く。
30分ほど走れば古びたアパートが見えてくるので、クールダウンのため少し速度を落とす。
そのまま横側の階段を小走りで駆け上がり、突き当たりの扉を開けば
「ただいまぁー!!」
「「「「おかえり!」」」」
玄関を開けて元気よく声をあげれば、負けじと皆が返事を返してくれる。とっても暖かくて素敵な我が家に帰り着いた。
「なあアサ兄! またサッカー教えて!」
「おっ、いいぞ! でもちょっと待っててな、先にやること片付けるから」
「アサ兄。ご飯ならあと炊くだけだから大丈夫だよ」
「お? わかった、ありがとな! じゃあ風呂掃除を」
「そっちは俺がやっといた」
「マジ!? 最近は先越されてばっかだなぁ。えらいぞお前ら! ヨ~シヨシヨシ!」
「あっ! ちょっとアサ兄! いまお味噌汁温めてるから!」
「俺は別に、当たり前のことやってるだけだし……」
「あ~! アサ兄! 私にもやって~!」
「アサ兄、サッカー!」
照れる
なんて素敵な光景なのだろう。
今では思わず泣いてしまうほど感情が高ぶることは減っているが、それこそが気付きにくい幸せの証だろう。
やはり、
その後、しばらく幼い弟妹の相手をしていると、玄関からやや軋んだ音と共に、帰ってきた
そしてやはり、私の時と同じ様に皆で「おかえり」と返す。
ふと、レジ袋の擦れる音が聞こえたので、遊んでいた二人に夕食の準備を手伝うようお願いし、玄関で靴を脱いでいる真昼の元へ向かう。
「おっ、今日も貰えたんだ」
「うん。頑張ってるからって沢山もらっちゃったよ」
「という事は、姉ちゃんの頑張りのおかげって事だなぁ。ありがたやぁ」
「ふふっ、茶化さないでよ朝日」
そんな会話をしながら、真昼がバイト先から貰ってきた
私はそのままキッチンへ向かい、大皿を出して餃子を並べていく。
献立はご飯に味噌汁、付け合わせにサラダと少し貧相に見えるが、ここに大盛り餃子を追加すればなかなか贅沢な食事になる。
そして準備が終わり、皆が食卓を囲む様に座ると、それを確認した真昼が音頭をとる。
「はい! みんな揃ったね。じゃあ、いただきます」
「「「「「いただきまーす!」」」」」
この家では基本的に食事を皆で一緒に食べる。一人で食べるより二人、二人より三人、それが全員集まればもう言うことなしだ。
ちょっとした喧嘩や文句が飛び交うこともあるけど、それも軽く注意すればすぐ収まる。なんとも賑やかな食卓だ。
それでも、貧しさはどうしても負の感情を生みやすい。ちょっとした愚痴のつもりだろうが、星奈が少し暗い顔で「もう貧乏イヤ~」とつぶやいた。
その瞬間、既視感を感じた頭によぎったのは、今と全く同じように愚痴をこぼす様が
同時に、その後に続く台詞と展開も脳裏に浮かぶ。
だからこそ、彼がどんな気持ちで言ったのか、今の私にはよく分かる。
なら、私も同じ言葉をかけよう。ただし、心からの気持ちを込めた、ありったけの笑顔で
「辛い時は笑っとけ! そしたら不幸も向こうから逃げてく!」
皆を寝かしつけた後で、私はよく仏壇に線香を上げている。
その遺影に映る二人の顔は少しだけ知っているが、私には二人と過ごした記憶がない。
それでも、この家に生まれ、育ち、今日までの
そんな想いから始めた日課だったが、最近では家族の明るい話題であふれていて、その日の振り返りみたいになっている。
故人に何を語ろうと届くはずもない。
けれど、何気ない幸せを生きていると伝えられる気がして、どこか気持ちがほっこりする。
「毎日熱心だね、朝日」
そう言いながら、真昼は私の隣に座って一緒に手を合わせる。
いつからか一緒に手を合わせるようになって、途中から二人で談笑していることもある。
そうして両親へ今日一日の報告を終えた後、私たちもみんなと同じ部屋で眠るのだ。
そう、いつもならば
「ねぇ、朝日。少し話さない?」
少し硬い声色で投げかける彼女は、普段は見せない緊張に満ちた面持ちで……しかし覚悟を宿した瞳で真直ぐ私を見ていた。
「……うん、分かった」
そう答えた私の声は、震えていなかったろうか。
そんなことを気にしながら、向かい合わせになるよう座り直して彼女の言葉を待つ。
真昼はしばらく何と言おうか思考を巡らせていたが、やがて胸に手を当て意を決したように言葉を投げかけた。
「
私はどんな顔をしていただろうか?
鏡で見てみたいと思ったのは、私が言葉で返すよりも先に、真昼の表情が「やはり」という納得の色を見せたからだろう。
だが、それでも言葉で返してやらなくてはならない。
いつからか真昼が私に違和感を感じ始めたと悟った時から、こうなる日は覚悟していたのだ。
私も緊張感をほぐすため深呼吸を挟み、少し言葉に迷いながらも返答した。
「
前世としての私は、うだつの上がらない中年サラリーマンだった。
昇進が望めるほど営業の成績が優秀なわけでもなく、結婚を望むには財力に乏しく、ただ変わらない日常を消費するだけの人間。
私の人生には何の面白みもなかった。
そんな私が漫画やアニメにハマったのは、きっと他人の人生が眩しく見えたからだろう。
目標のために努力し、守りたい者のために戦い、大切な人と愛を育む。
描かれ方は千差万別なれど、そこには私の人生にない
中でもスポーツ漫画に魅力を感じており、私が運動を苦手としていたからか、凄いと思える動きが男には魅力的に見えるからなのか、カッコいいシーンを見るたびに心が躍った。
特に好きだったのが「ブルーロック」という作品だった。
"最もイカれたサッカー漫画"というフレーズに惹かれ、読み始めた時のドキドキとワクワクは今でも覚えている。
デスゲームのような環境で、自分のために強さを求め、互いにしのぎを削り合うことで生まれる物語は、平穏と安定を積み重ねた私には計り知れない感動を与えてくれた。
展開が私の予想を
試合の最後を劇的に締めくくるのは良く見る手法だが、一試合中で何度も展開が変わり、本当に最後までどうなるか分からないという興奮を味わうことが出来る最高の作品だった。
それからは、仕事に対するモチベーションが少し変化した。
できるだけ不自由ないよう「生活のために稼ぐ」から、他にもいろんな作品に触れようと「趣味のために稼ぐ」ようになった。
それで毎日が幸せな人生に変わったとは言えないが、無為な時間をやり過ごすだけの人生に比べれば何倍も素敵だった。
私の最後がどうなったかは分からない。
覚えていることと言えば、ブルーロックのアニメ化が決まったことと、原作はU-20日本代表戦がクライマックスに差し掛かって、かなりご機嫌だったことぐらいだ。
そんな私が
目が覚めた時に自分の体ではないことを自覚した私は、その理由を確かめるため探索した家の中で、ブルーロックに登場する「成早家」の面々を見た時に理解した。
自分の体は主人公と同じチームになった「成早 朝日」なのだと。
そして、その日はまさに……
成早家の両親が亡くなり、家族に訃報が知らされた日だった。
私の話を聞き終えた真昼は顔を伏せていた。
無理もないだろう。最近の朝日は本当の彼ではなく、私と言う代理人に過ぎなかったのだ。
両親以外に弟も居なくなっていたと知って、悲しまないはずがない。
一応、私のことは「朝日の中に生まれた別人格」ということにしている。
私の転生……いや、憑依と言ったほうが正しいだろうか? こんなオカルト話をしたところで理解は難しい。
であれば、両親の訃報によって精神的に不安定になり、苦痛から逃れるため私と言う人格を作って深層心理に籠った。そのほうが理解はしやすいと思ったのだ。
しばらくは重い沈黙が続き、何か言ったほうが良いだろうかと逡巡していると、真昼がゆっくりと顔を上げた。
そこには、話を聞き始めた時の悲痛な表情はなく、憂いを帯びてなお暖かい笑顔を向ける女性の姿があった。
「本当のことを話してくれたこと、そして今まで、
まだ
それでも、前世では頭を下げる立場だった私にとって、彼女が口にした想いに嘘偽りがないことだけはよく理解できた。
「頭を上げてください。私がそうしたいと思っただけですから」
故に逆の立場だったことは少ないわけで、いたたまれない空気を感じて真昼にそう告げる。
それは彼女も似たようなことを感じたのか、応じるように頭を上げつつ正座を崩して見せた。
「そういえば、私が朝日ではないと気付いた切っ掛けは何か聞いても?」
このまま「おやすみ」と言うのは難しいので、もう少し空気を和らげるため話題を振ってみる。
「そうですね……色々ありますけど、最初におかしいと感じたのは家計のことをやりくりし始めた時ですね。朝日はそういう所はあまり気にしない子だったので」
私は朝日の身体に憑依しているが、記憶は共有されていない。
考えるのは脳なのだから記憶があっても良いと思うが、医学的な話につなげられるほど単純な問題でもないし良しとする。
故に、私は
とはいえ、これは外から見た朝日の姿を模倣したに過ぎず、やはり誤魔化しきれない部分は多かったらしい。
それでも上手くやっていけたのは、話を聞くに真昼の密かなフォローがあったようだ。
他の兄妹四人も違和感を感じて真昼に相談していたようだが、「朝日は家族のため両親の代わりになろうと頑張っている」と言ってくれたらしい。
そこからは、星奈と夕夜が私を見習って家事を頑張り始めたとか、天花と陽太が私のことを「お父さんみたい」と言っていたとか、そこで真昼は「じゃあ私はお母さんかな?」と言ってみたりだとか。
そんなクスッと笑えるような談笑で、いつしか私たちは自然な笑顔になっていた。
「あっ、もうこんな時間……」
ふと時計を見た真昼が零した一言につられ、私も時計を見ると既に日をまたいでいた。
「明日……いや今日かな? 一応休みだけど、寝不足になっても良くないし、今日はここらでお開きに」
「ねぇ、最後に一ついいかしら?」
そろそろ寝ようと提案する私の言葉を遮るように、真昼から声が掛かった。
最初と違ってとても穏やかな表情を浮かべる彼女は、何気ない話題のように私へ質問した。
「サッカーは好き?」
私が成り代わってしまった朝日自身は、きっとサッカーが好きだったろう。
彼の所持品にはサッカー関連の物が多く、陽太が遊ぶサッカーボールも元は朝日の物だったので、仮に原作を知らなくても容易に想像がついた。
また、この世界が本当にブルーロックであるなら、この先の未来で
そういう意味では、私もサッカーが好きなのかもしれない。
けど私は、それでもサッカーへの道を選ばなかった。
それは、両親を失い人生のどん底に突き落とされた成早家を見て、自分のやりたい事より朝日にとって一番の願いである「家族の幸せ」を優先すべきと思ったからだ。
真昼のアルバイトで最低限の収入は確保できているが、本来賄うべき大人の収入には届かない。
朝日はまだ中学生なのでアルバイトは限られるが、節約のために野草の調達や、地域住民との交流でお裾分けを貰うことで幾分か足しにはなる。
なにより、サッカーだって
故に私は咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。
そんな私を見て察したのだろう、真昼は困った様子で言葉を続けた。
「私たちのためにサッカーは諦めたんでしょ? それくらい分かる、みんな分かってるの。
でも、私たちは分かってて今日まで過ごしてきた。貴方が与えてくれる安心感に甘えて生きてきたの。お父さんとお母さんの代わりとして」
一瞬だけ表情に影が差した。それは私への感謝と同時に、ある意味で私を犠牲に生きてきたことへの後悔なのだろうか。
「でも、このままじゃいけないって思ったの。私たちはもう前を向いて歩いていける。自分たちの足で立っていられる」
ここまで聞いて、私はようやく彼女の言いたいことを理解した。
「だから、もう私たちのことは心配しないで。
「朝日! そろそろ出ないと!」
荷造りを終えて少し感傷に浸っていると、不意に真昼の声が耳に響く。
つられて時計を見れば、確かにそろそろ出発する頃合いだった。
「うん、今行く!」
返事をしながら、手にしていた
あれからサッカーのために時間を割き、今日この日のために全力で駆け抜けてきた。
そしてもうすぐ、私は主人公たちと共に"
遂にここまで来た。
この先に待ち受ける展開が原作と同じかどうかは分からないが、それでも熱狂渦巻く環境であることは間違いないだろう。
「お、来た来た!」
「アサ兄はやくぅ~!」
「みんな待ってるよー!」
期待に高鳴る鼓動を感じつつ家を出れば、皆が既に見送りのために外で待っていた。
「悪い悪い! 今行くよ!」
小走りで皆の元へ向かえば、あっと言う間に囲まれ暖かいお団子になった。
いつもより強く抱き着いてきた皆の気持ちを察し、私も大きく腕を回しながら一人一人に言葉を紡ぐ。
「星奈は姉ちゃんが帰るまで皆の面倒を見てくれ」
「夕夜は手伝いと勉強の両立が大変と思うけど頑張って」
「陽太は遊んだ後でちゃんと綺麗にするんだぞ」
「天花はその笑顔で皆を幸せな気持ちにしてほしいな」
このまま幸せをかみしめていたいけど、そんな甘い考えでこの先を生き残れるはずもない。
名残惜しい気持ちを抑えながら、ゆっくりと家族の輪から離れる。
「いってらっしゃい、アサ兄ぃ!」
「成早家の
「まけんなよ」
「アサ兄、世界一!」
向かい合った弟妹から順々に声援を受け、最後に真昼が私に近づいて小さな箱を差し出す。
「朝日、これ持ってって」
受け取ったのは「ミルクキャラメル」の箱
けれど、その表面には大きく「お守り」の文字と、それを囲むように弟妹からのメッセージが書き綴られていた。
"がんばれ"
"世界一だ! "
"かってね。"
"まけるな"
"身体に気を付けて"
成早家にふさわしい質素な、それでいて他の何よりもご利益のあるお守りだ。
思わず涙が溢れそうになるが、その顔はせっかくの門出にふさわしくない。
そう思って涙をぐっと堪え、いつもの笑顔で皆へ出立の挨拶を返す。
「うん。いってきます!」
きっと成早 朝日が求めたであろう、家族と笑顔で幸せに暮らす日々のために
皆様、大変お久しぶりでございます。
概要の通り、自分のやりたいことから逃げられず、再びこの場に帰ってきました。
予めお伝えしますが、リメイク前から内容をがらりと変更する予定です。
私の「我が儘」と「意欲」が、願わくば誰かの退屈を殺す一助となりますように