ドアの隙間から顔を覗かせた結衣は、しかし沈黙を貫いていた。その間、永愛は結衣を見ているようで、酷く錯乱しているのか目の焦点が合っていなかった。顔は蒼くなるのを通り越して白くなり、息はどんどん荒く、過呼吸気味となっていく。
果たして、沈黙を破ったのは永愛の方だった。未だに身体は小刻みに震え、顔色は悪いが、それでも永愛は口を開いた。
「ゆ、結衣ちゃん、あの後……私が気絶した後、何があったの?」
その言葉に、結衣はぴくりと眉を顰める。だが、焦燥している永愛はそれに気づかずに、続ける。
「なんでこんなことになったの? なぐさは、どこにいるの?」
「……何が、あった?」
永愛の放った疑問の言葉、それの何が気に障ったのか結衣は身体を小刻みに震わせる。
「あなたが……ッ! あなたの、せいじゃないですか!」
今までで聞いた中で1番大きい結衣の声に、永愛は圧倒された。顔には、驚愕の表情が浮かんでいる。
永愛からすると、目覚めてからずっと抱いてきた疑問を尋ねただけで、そんな反応をされるとは思ってもいなかったからだ。
「あなたのせいでなぐさ先輩は……! もう、帰ってこないッ!」
「……え?」
結衣の瞳から涙が零れ落ちる。今回のループでこれまで積み上げてきたもの……その全てが崩れる音がした。
それは永愛にとっては致命的で、決して失ってはならないものだった。
「ちょ……ちょっと待ってよ、なぐさが……死んだってこと? 嘘だよね? 嘘だと言ってよ!」
「なぐさ先輩は、雪乃さんと戦って殺されたんです! あの時、あなたにさえ会っていなければ……! あの時、私が壁の外で魔獣に喰い殺されてさえいれば……! なぐさ先輩は今も生きていたかもしれ──
結衣はそう言いかけ──顔を蒼白とさせている永愛のことが視界に入り、自分が何を言ってしまったのか理解した。
ただの八つ当たり。
なぐさの死についてまだ心の整理がついていなかったため言ってしまった言葉で、普段の結衣からは考えられないことだった。はっとした結衣は、その自覚があるのか思わず目を逸らした。
「……忘れて、ください。私のことも……全部」
「結衣ちゃん、待っ──
「さようなら」
縋り付いてくる永愛を引き剥がし、扉を閉めた。
外からは永愛が泣き叫んでいる声が聞こえて、胸が痛む。
そう、こうなったのは永愛のせいではない。
こうなったのは──
「私の、せい……?」
結衣の掲げる「平和」という望み。
それは崇高で、正しいことのはずだった。
だが……そのせいで、なぐさは死んだ。結衣が雪乃の捕縛に参加していたら、例えそれがなぐさの足を引っ張る結果になったとしても、今回のような結果にはならなかったはずだ。そのくらい、対人戦において人数差というのは大きいのは分かっていたはずだった。
それでも、なぐさなら大丈夫だと何処か油断していた。
果たして、自分は間違っていたのだろうか。
平和を望むのは……間違っているのだろうか。
「わからない……わからないよぉ……」
狂ったように頭を強く掻きむしり、血が床に滴る。
そして耳に入ってくる永愛の呻き声をバックグラウンドに、結衣は懺悔の言葉を口にした。
「ごめんなさい、永愛さん。ごめんなさい……なぐさ、先輩……」
ここで永愛と仲直りをして、一緒に戦うのが最善だとは分かっていた。だが、それでも部屋から出ようとする気にはなれない。
今はまだ、なぐさを失った悲しみに浸っていたい気分だった。
◆◇◆◇
気づけば、孤独がそこに在った。
見知らぬ公園で、1人月明かりに照らされている。
足元には飲みかけの缶が幾つか転がっており、人がいた形跡があったが、今は閑静としている。
栄えていた場所が、たった少しの変化で台無しになってしまう。
(……まるで、私みたい)
孤高の存在となった永愛は、自虐的な笑みを浮かべた。
その様は、酷く美しく……だが、同時に今にも崩れ落ちてしまいそうな危うさを内包している。
否……もう壊れていた。それも修復不可能な程に。
「……ここ、どこだろ」
結衣に拒絶された後の記憶がない。
どうやってここまで来たのか……そして結衣とはもう、本当に終わりなのか。
何もかもが、分からない。
結衣から聞いた話……そしてその後の展開は、薄皮一枚でギリギリ保たれていた永愛の心の均衡を壊すには充分だった。
そして皮肉なことに、希望を持った上での再度の挫折というのは永愛をより深い絶望へと叩き落とした。
「まあ……どうでもいいか、そんなこと。何度も死んで、頑張って……一度諦めて、また頑張って……その結果が、これなんだからさ」
努力の果てに得た結末がこれか。血を吐いてまで掴み取った未来がこれなのか。
上手くいかない現実に、憤りを覚える。
「いや……まだ、
そう、まだ……これからのはずだった。
第三波の防衛に苦しいながらも成功して、あと一歩で最後の戦いだったという所で全ては台無しになってしまった。
度重なる死闘、そして、数えきれないほどの死と別れ。
そうして、遂に見つけた希望の光。
今回こそは……と、期待した。
(……そんな望み、叶うはずがないのに)
期待なんて、しなければ良かった。
今やその希望は折れ、輝きは失われてしまった。もう、何をすればいいのかなんて永愛には分からない。
辺りは暗く、空には月が出ている。
だが、その月の側には星一つ見当たらない。
月は、1人では輝けないというのに。
◆◇◆◇
薄暗く……閉鎖的な空間。
そこは、地下にあるためが陰鬱とした湿気に覆われていたが、「牢屋」と呼ぶには綺麗すぎる場所だった。
その中には、青髪の少女が1人、手錠で繋がれており、その視線は格子の外側に佇んでいる人物に向けられていた。
「お願いッ! 私をここからだして、木蔦さん! 今度こそ……今度こそあいつを殺すからッ……!」
「それは分かりましたから、落ち着いてください」
「いいから早くッ!」
興奮する雪乃をなんとか宥めようとしていた木蔦は、それが無理だと悟ると「そろそろ潮時ですかね」と小さくため息を吐いた。
しかし、何を思い出したのかすぐに恍惚とした笑みを浮かべる。
「まあ、
「潮時……? それに、目的って……どういうこと?」
「別に話す筋合いはありませんが……今は気分がいいのでいいでしょう」
そう言って木蔦は牢屋の対面する通路の壁にもたれかかった。その顔には自分で言った通りに機嫌が良いのか笑顔が浮かんでいる。
「あなたを利用して永愛さんを憎むように仕向けました。まあ、その対象になぐささんと結衣さんも含まれたのは誤算でしたが」
「え……じゃあ、椎名永愛が火憐ちゃんを殺したっていうのは……」
「ああ、あれですか? 嘘に決まってるじゃないですか。永愛さんはそんなことしませんよ。もちろん、あの2人も永愛さんに似て善良ですからね。まずそんなことはしないでしょう」
「そ、そんな……」
顔を青くした雪乃を笑顔で、しかしまるで虫を見るかのような無機質な目で見る木蔦は饒舌に話を続ける。
「それにしても……なぐささんは少し勘づいていたみたいなので処理してくれたのは上出来ですよ、雪乃」
「……ッ! ゆるさ、ない……! 火憐もあなたが……!」
「いえ、それは違いますよ。実際に手を下したのは……あなたじゃないですか」
「……え?」
「ですから……あなたが支援魔法をかけたんじゃないですか。それが原因で魔力暴走を引き起こしたんですよ。そのくらい、分かるでしょう?」
「う、うそだ……」
「元から奇跡的に成り立ってた魔力操作なのに、その威力を強化しようとしたらそりゃあ失敗しますよ。それなのに『またね』だなんて……心底驚きました。本当に火憐さんと仲が良かったのですか? それとも……まさか、自分の魔法の性質すら理解できていなかったとか? まあ、答えは知ってるんですけどね」
「わ、私が……火憐ちゃんを、ころした……?」
復讐の色に染まっていた雪乃の瞳は、かつての彼女の色を取り戻した。
だが、火憐を殺したのは自分だったというそれ以上の絶望に飲み込まれ……笑うしかなかった。
「だから、そうだと言ってるじゃないですか」
「あ、あはは……私が、私が殺した……あははは」
「さて──と、言うわけで。あなたの支援魔法は何かと厄介ですからね。もう使う予定もないですし、ここで退場して──
蹲る雪乃を興味なさそうに一瞥した木蔦は、右手に禍々しい魔力を纏わせ──だが、何かに気がついた木蔦はその手を止めて、逆の手を雪乃の目の前を何度か行き来させる。
「おや……もう壊れてしまいましたか。やはり人間は脆いですね。思い返してみれば、
「やめです、やめ」そう言って魔力を発散させた木蔦は、壊れたオルゴールのように笑い続けるソレに背を向けた。
そして去り際……立ち止まって何かを懐かしむような目を天井に向けた。
「……