理想に溺れたロクでなし魔術講師とHARD MODE 作:灯火四季
「……これが、お前の正義か?」
沈みゆく太陽を背にした男が、そう言った。彼の両腕の内には、血に濡れた女性がいる。女性の服に染み付いた赤はとても色濃くて、彼女の命が零れ落ちているのだと視覚的に理解させられる。
「ああ、そうだとも。これが僕の正義。悍ましい真実をひた隠す罪、その当然の報いだ」
対峙するは眼鏡をかけたロングコートの男。片手には杖を持ち、その杖先が指し示す先には火に溺れた街があった。
街は燃えていない建物を探す方が難しく、大気には黒煙が満ち、この大火災の凄惨さを物語っている。
「……俺にはお前が、ただの確信犯にしか見えないな」
「君の好悪は関係無い。僕は僕の正義を全うする。……君だってそうだろ?他人から見たら、誰の正義であれ、ただの狂信にしか捉えられない。僕から見れば、君の正義は酷く独善的で、とても傲慢だ」
「…………」
悲鳴が聞こえる。大火災に巻き込まれ、家を、財を、家族を、何より平穏を失った者たちの慟哭が聞こえてくる。
彼らの声が耳を打つ度に、酷く無力感に苛まれる。
この地獄の顕現をどうにか出来たのでは無いか、と後悔が押し寄せてくる。
そして何より、今、両腕の中にある、救えたかもしれない命が、男の心を、酷く摩耗させる。
「……傲慢、か」
昔から、ずっと正義の魔法使いに憧れていた。
憧れた正義の魔法使いは、多くの人の願いを背負い、成し遂げて見せた。
およそ全ての人が望む幸せな結末を、その手に掴んでみせたのだ。
彼の様に、他人の願いを背負う事は傲慢なのだろうか?
救えなかった者たちを重みとして背負う事は傲慢なのだろうか?
「……いや、例え傲慢なのだとしても、それでも、俺は──」
──正義の魔法使いに憧れたから
──だから、立ち上がらなければいけない
──辿り着く先が、ハッピーエンドの様な、理想の結末が存在しないのだとしても、歩みを止めては行けない
両腕に抱いた女性を優しく下ろし、額に張り付いてしまった前髪を梳く。彼女の閉じた瞳は安らかで、それだけが、地獄の中に囚われた男にとって、救いだった。
「……成程、やはり君は僕と同じだ。他人に理解されない狂信。否、芯の通った揺るぎない正義を掲げる者だ。だからこそ──」
──僕は君を超えなければいけない
「そう、これは挑戦だ。僕の正義が揺るぎないものである事の証明だ。グレン、君の正義を破り、僕は僕の正義をより揺るぎないものへと昇華させる」
「勝手にしろ。俺は、お前の凶行を止める。救えなかった、こぼれ落ちてしまった命の重みを背負って、お前を倒す」
再び、互いの視線を交わし合う。
もう言葉は要らない。
「正義」と「愚者」はぶつかり合うのみ。
互いの掲げる正義を持って、自らの理想の為の一歩を踏み出すのだ。
「──僕の正義を持って、君を裁く」
「──理想は遠い。ここで、躓いている暇は無いんだ」
在りし日の激突。
帝国の歴史上、最悪の犯罪の一つ。
この日、二人の男の正義と理想がぶつかり合い。しかし、決着はつかなかった。
この事件は数多くの人間に少なくない影響を与え、それは彼ら自身も例外ではなかった。
正義を語る者は機会を失い、愚者は多くの人間の死を背負った。
愚者が理想を初めて失った日。
──そして、より強く理想に取り憑かれた日だ
*
──全く、上手くいかないものだ
ある夕暮れの一室で、黒のゴシックドレスに身を包んだ女性が呟いた。発言の内容からして、どうにも彼女には悩みがあるらしい。
とはいえ、彼女は大陸最優の第七階梯の魔女。
そんな万能に近しい彼女の悩みなのだ。大凡、一般的な悩みとはスケールが違うのだろう。
彼女は悩ましげな表情を正し、指揮棒を振るうかのように指で中空に魔術式を描き出す。そして彼女は、極めて複雑怪奇な図形で構成された魔術式の中に手を入れ、一冊の本を取り出す。
その本は随分と古く、表紙の所々が掠れている。かろうじて読み取れる情報から推察するに、その本は正義の魔法使いが悪の魔王を打倒する、比較的子供向けの童謡だ。
叡智極める彼女に似つかわしい物。しかし、彼女の本を見つめる視線は優しいもので、何らかの思い入れがある事が伺える。
セリカは本の表紙を開き、幾つかのページをとばし、目的の場面を探す。彼女にとって大切な、彼の起源。始まりを探す。
「…………あった」
場面は正義の魔法使いと魔王の対決。多くの人の願いを背負い、揺るぎない意思を持って立ち上がる正義の魔法使いが、魔王を打ち破り、幸せな結末を迎える。
セリカは柔らかな声で、文章を読み上げる。
──一体何だ?何がお前にそこまでさせるんだ?私にはお前が全く理解出来ない
──すると、魔法使いは言いました。
──簡単だよ、魔王。
──僕には守りたいモノ、守るべきモノかあるんだ
──それを思えば、自然と身体の底から無限の力が湧いてくるんだ
──何度だって立ち上がれるんだ
──さあ、覚悟しろ魔王
──僕はお前を倒す
──そして、皆を守る
──魔王は魔法使いの聖なる稲妻を受け、断末魔の叫びを上げて倒れました。
──こうして、長かった戦いは終わったのです。
「…………」
この物語が、彼をしばりつける。
自分が救われたのだからと、多くの救われないモノを思い、自身の生死すら厭わず、彼らを救うべく行動する。
だけど、何処までいった所で、彼は正義の魔法使いでは無い。
差し伸べられた手の全てを取れるほど、彼は万能ではない。
幸運か不運か、多くの人間を救える立場に居るからこそ、彼の苦悩は肥大化している。
セリカは自分の判断が間違ったものだとは思っていない。これが最良の方法であると信じている。
けれど、きっと彼は諦めない。
「あの日、お前は変わった。考えられる中で、最悪な方に。……人間は、どんなに万能に近づいても神には慣れやしない。グレン、お前の目指す理想がどれ程無理難題か分かっているだろう、理解しただろう」
手に持った本を再び魔術式の中に仕舞い込み、魔女は立ち上がる。
「……だから、もう一度だけ、考え直してくれ。お前が、理想に溺れて窒息してしまう前に」
向けられる視線は窓の外、都市部に設立されたアルザーノ帝国魔術学院。
若き帝国の魔術師たちの学び場であり、明日からグレンが非常勤講師として働く事になる新しい職場。
セリカは心の中で強く願う。
理想に向かって羽ばたく雛たちが、行き詰まった理想に取り憑かれたグレンを救ってくれる事を。
*
「……ふむ、中々火がつかんなぁ」
フェジテ郊内にて、待ち合わせ場所として人気の高い噴水近く、一人の老人が火打ち石の扱いに苦悩していた。
石と石を何度打ち合わせても、小さな火花しか起こらず、中々火が上がることが無い。
先日まではしっかりと扱えていたはずなのに、今日いきなり使えなくなった事に改めて老化というものを実感する。
「困ったの〜〜、さて、どうしたもんか」
「あの、大丈夫ですか?」
「……ん?」
何度やっても結果は変わらない。
こうなればもう無理だな、と立ち上がろうとした老人に声をかけるものが居た。
人通りの中でも目立つ金髪、纏う雰囲気は日向の様で、特徴的な制服を纏った女学生。
老人はその服装から彼女が何者なのか理解した。
「あんた、魔術学校の生徒かい?」
「はい、そうです。お爺さんが困っている様に見えたので、つい声をかけてしまったんですが……、迷惑でしたか?」
「いやいや、滅相も無い。わしも誰かの助けが欲しいところだった」
老人は腰を上げ、小さな缶の中に入った炭を女学生に見せた。
「火を付けてコイツを燃やしたいんだが、どうにも火打ち石の扱いが下手でね。あんた魔術師なんだし、コイツに火をつけられないかい?」
「ふふ、良いですよ」
そう老人が尋ねると、女学生は柔らかな笑みを浮かべ、老人の頼みを承諾した。
手に持った鞄を地面に起き、老人から小さな缶を受け取った彼女は火を起こす為に、静かに
「<小さな祈り・暖かな信仰・願いは此処に乞う>」
彼女が言葉を唄う度に、空中に朱色の記号が乱立する。一工程終える事に、乱立した記号は整い、やがて一つの式を作り上げた。
仄かな明かりを放つ魔術式が炭に触れる。
彼女の詠唱の終わりと同時に、その手に持った小さな缶の炭に火か灯る。老人はそれを見て、暖かく、柔らかな光だと思った。
「おお!やっばり凄いな魔術師ってのは!!」
「ふふ、いえいえ。このくらい、私の友達ならもっと手早く出来ましたから」
「ほう!そりゃすげえな。優秀な若者に溢れた帝国の未来は明るいってもんだな!はははっ」
老人は女学生から缶を受け取り、上機嫌に言い放った。
そして、女学生に礼を言い、その場から立ち去った。
老人を見送った女学生は広場近くの時計を見て、待ち人が来るにはまだ時間がかかると判断し、噴水傍のベンチに座る事にした。
彼女は朝特有の清涼感を感じながら、人の行き交いを眺めていた。
朝、という時間は女学生、ルミアにとって特別に感じてしまう時間だ。暗く、冷たい闇から救われた日。人の暖かな優しさを素直に享受できるようになった出来事を思い出す。
和やかな、揺らぎのない心地だった。
ベンチに座り、待ち人が来るまで朝の日差しと思い出に微睡む。それが、朝に弱いルミアの親友が寝坊してしまった時のルーティンだった。
「──綺麗な魔術式だ。工程の一つ一つにその丁寧さが伺える」
微睡む意識の中、誰かに声をかけられ瞳を開く。
声をかけてきたのは若い男だった。
身に纏うスーツは着崩され、所々跳ねた髪を見るに、杜撰な印象を受ける。しかし、何よりも目を引いたのは男の左手に嵌められた手袋だった。
「貴方も魔術師なんですか?」
魔術師であるルミアも、その左手に手袋をしている。魔術師にとって左手とはある種の利き腕であり、その手に嵌められる手袋には様々な意味が付属する。
故に、ルミアは男が魔術師であると推測した。
「一応、ね。知識ばかり専攻した三流もいいところの魔術師だけど」
そう言って男は、ルミアの起こした魔術の火を思い返す。
小さな缶の炭に着いた火は弱々しく、しかし暖かな光を有していた。
「さっきも言ったが、綺麗な魔術式だ。必要最低限、見える限りロスが無い。丁寧な仕事だ」
「……丁寧、ですか?」
「そう、少し見ててくれるかい?」
男は左手を地面の石に向かって掲げ、小さく詠唱する。
ルミアが使用したモノと同じ魔術。
中空に描かれる魔術式はルミアのものより荒ただしく、明滅する光が何よりも彼女の魔術式とは違う印象を植え付ける。
「──祈りは此処に乞う>」
そして詠唱の終わり、小さな石に新たな火種が落ちる。
それは荒々しく、ルミアの起こした火以上の熱を感じる。
「──分かるか?俺の起こした火は余分な熱を持っている。本来設計された魔術式以上の出力を出してしまっている。これは書き出した記号の正確な配置がされず、上手く回路が形成されなかったからだ。こうなってしまうと、魔術式を起動するのにより多くの魔力が必要となり、結果として引き起こされる現象をより大きなものにしてしまう」
男は再び石へと左手を掲げ、指を鳴らす。すると荒々しい火種は消え、柔らかな火のみが残った。
「つまりは、君の魔術式は正確な配置に置かれ、式の解釈についても一切の間違いが無かった。だから、君の魔術式は綺麗なんだ」
「……本当に、物知りなんですね。前の先生も、ここまで詳しくは教えてくれませんでした」
ルミアは男の語り出した魔術の知識に圧倒されていた。どうしてその結果に至ったのか、実演も兼ねたその説明はとても分かりやすく、平均的な成績のルミアもすんなりと納得出来た。
だからこそ湧く、当然の疑問もあった。
「……あの、もしかして、先生とかやってらっしゃるのですか?」
誰かに教えるのが上手いという事は、日頃からそういった行いをしている事が多い。だからこそルミアは男が教師なのではないのか、と疑問に思った。
その質問を受けて男は少し困った様に答えた。
「いいや、まだだよ。これから教職員になる予定でね。……実を言うと、自分に務まるのか疑問なんだ」
「大丈夫ですよ、自信を持ってください!とても、分かりやすい解説でしたから」
「そう言って貰えると救われるよ」
そう言って男は本来の目的の場所へと足を向け、この場を去ろうとした。
──ふと、既視感を感じた
「…………?」
振り返り、金髪の女学生をみつめる。
気の所為だ、と思いはしたが、どれだけ確認しても感じた既視感が消えることは無く、段々と強まっていく。
「……あの、どうかしましたか?」
「……いや」
──有り得ない
そう結論づけて、男は踵を返した。