島の海岸よりずっと海に入ったところで、波が白く砕けていた。
浜の先の海は少し濃いめの青。だんだんと薄い水色になり、波の砕ける向こう側は濃紺というより黒に近い。
波の砕けている洲は、サンゴでできた砂が海中から盛りあがって丘になっている。ところどころに切れ目があり、そのうちの間隔があいた一つに、一隻の小型船が波に揺られながら浮かんでいた。
形は漁船というよりも、小さなフェリーに近い。
見る人が見れば、それを「長官艇」と呼んだだろう。それが、どういうものであるかも解説してくれるに違いない。
|船の屋根とその上に張られた天幕のほかには、日差しを隠すものはほとんどない。島に生えている植物と建物、沖のほうに浮かんでいる白い雲くらいだ。
波がゆったりと上下する海の彼方から、機械が動くような連続した音が響いてきた。海よりも明るい空に、シミのような小さな影が現れる。
プロペラ機が二機飛んでいる。前のほうを飛んでいる一機は、前後に細長い胴体の前側に、プロペラが一つついている。
両翼の下には大きなフロートがそれぞれ一つずつ。両翼の上下と胴体後ろの左右には所属を示すマーク。
垂直尾翼には、白い塗料で書かれた数字とアルファベット。
長官艇から双眼鏡で眺めている者がいれば、この鎮守府に所属する偵察機であるとわかったであろう。零式水偵という機種であることも判別できたはずだ。
後ろのほうの一機は、左右の翼にプロペラが二つずつついている。その外側に、機体に比べて小さめのフロート。
胴体は、前から見ると渋柿か真桑瓜を思わせる形をしている。機体の下のほうは明るい色で塗られていて、飛行機というよりも船の底のようだ。
零式水偵より後ろのほうを飛んでいるにもかかわらず、機体はずっと大きく見える。
二式飛行艇──二式大艇とも呼ばれている。
零式水偵は長官艇の姿を見つけたのか、翼を少し上下に振った。海の上を滑るように駆け抜けると、プロペラの回転音を高く響かせながら再び空の彼方へと飛んでいく。
二式飛行艇は高度を下げて、サンゴ礁の外側の海にプロペラにかかるほど高い水しぶきをあげながら着水した。しばらく海面を走って速度を下げると、プロペラの速さを調整して方向転換をする。
サンゴでできた洲の切れ目を通り抜け、内側に入り込んでエンジンを止める。長官艇がエンジンを始動させ、二式飛行艇に近寄っていく。
しばらくして、飛行艇前方の出入り口が開き、女性が姿を現した。
いや、正確に言うと女性であり、女性でないとも言える。その“女性”は、艦娘と呼ばれる存在だからだ。
また、長官艇後部の船室出入り口から姿を現した“女性”も、飛行艇から姿を現した“女性”と同様に艦娘であった。
──この世界において自らを“人”と称している存在は、遠い過去に陸に住む者と海に棲む者に別れた。両者の間で、様々な理由による争いが何度となく起きた。
長い時間と数多くの争いのうちに、陸に住む者の中に「妖精さん」という“何か”を見ることのできる者が現れた。「妖精さん」を見ることができる者は、海に棲む者との戦いで大きな力を発揮することができた。
それに対抗するかのように、海に棲む者の中にも同じような存在が現れた。
そして今では、「妖精さん」を見ることができる者は鎮守府という場所に配属されるようになった。艦娘《かんむすめ》と艦娘を指揮する提督、その他の鎮守府に所属する人たちのことだ。
艦娘というのは、別の世界において兵士が銃火器を装備するのと同じように、艤装という方法で戦闘可能な艦艇が装備する兵器類を装着して戦うことができる存在である。
「艦の記憶のような何かを得た者が艦娘になる」
と、言われているが、どのような条件で記憶のような何かを得られるかは、現在においてもはっきりとはわかっていない。
基本的に、艤装は鎮守府内でしか装着できない。それ以外の場所でできるのは、使用した兵器類の補充とある程度の修理や交換までである。
艤装は複数の物資を用いて建造される。物資は様々《さまざま》な方法で得られるが、一度に大量には取ることができない。
装着された艤装は全身を覆う。肌が露出しているように見える部分も、実際には艤装に覆われている。
また、艤装が解かれる際には全てが空気に変換されるため、本人の周りに爆発のような衝撃が生じてしまう。
ただし、そのような存在が実際にいるのか、記されていないことはどうなっているのか、などと問われると返答に困らざるを得ない。
そもそもこの世界が、そのように問う人の世界と時間や空間でつながっていて、世界を構成する数々の条件や法則が似ているかどうかがわからない。
ここまで使用してきた船の名称や飛行機の名称についても、「この世界でそのように呼ばれているからそう記している」に過ぎない。艦娘を数える時に一人、二人と表現するのが当たり前のこの世界を、受け入れることのできない「人」がいたとしても仕方がないことなのだろう。
これ以降もそうした世界の出来事を記していくため、ここで読み終えて忘れてしまうか、それでも読もうとするかは、読む側の判断に委ねたいと思う。
無理をしてまで読む必要はないのだ──
それはさて置き、長官艇に乗った艦娘のうちの一人が、
「Hey大淀、私の提督は元気デスカ? 私のこと話題にしてたデスカ? 」
と、飛行艇から姿を現した艦娘──大淀に声をかけた。
大淀は、そうしたことに関心もなさそうに、
「金剛さん。久しぶりに会って最初に聞くのがそれなんですか? 」
と、返答をして、呆れたように大きなため息を吐く。
「あたり前デース。提督にバーニングラブの私を何だと思っているのデス? 」
金剛は何もおかしなことは起きていないと言いたげな表情をしている。
「さ、早く提督に会わせるデース」
「わかりました」
大淀は不毛なやりとりをする気がないようだ。
「移乗の用意をお願いします」
その一言で、長官艇の上は一気に騒がしくなった。
金剛に続いて船室に待機していた艦娘たちが次々と姿を現した。青葉と秋津洲。それと吹雪だ。
|船室から道具類を出している手が覗いているので、まだ数人は乗っているようだ。
金剛を含む舷側に出た四人は、接舷する側に防舷材と海に落ちた時に上がるための網を取りつけ、飛行艇の出入り口にロープを投げ込んだ。
飛行艇内側に戻った大淀はロープを支柱に仮固定し、再び出入り口から顔を出して合図をする。
金剛が号令をかけ、青葉と吹雪がロープをたぐり寄せる。秋津洲がそれをわがねて──つまり環の形に束ねていく。
飛行艇と長官艇が接触しそうになるまで近寄ったところで、金剛が再び号令をかけてたぐり寄せるのをやめさせた。
長官艇の向きと飛行艇との間隔を微調整──よし。
長官艇の側でもロープを仮固定して、パイプを溶接して作ったらしきハシゴを飛行艇の出入り口に伸ばした。艦娘たちの身長より頭一つ短く、その真ん中付近左右に水没防止用の浮きがついている。
大淀はそのハシゴを手に取って、U字型になった先端を出入り口下の段差に引っかけた。
金剛と青葉、吹雪と秋津洲の二人ずつがハシゴの左右に並び、金剛の号令で一斉に姿勢を正して略式の登舷礼をとる。
「お出迎えご苦労さまー」
飛行艇の出入り口のほうから、この厳粛な場にはいささか似つかわしくない、間延びした声が聞こえてきた。
やがて「よっ」とか「おっと」などと言う小《ちい》さな声《こえ》が聞こえ、一人の女性が危なっかしい動作でハシゴを降りてくる。
ちなみに、飛行艇の出入り口と長官艇の甲板との高低差は、せいぜい手のひら二つぶんである。にもかかわらずこのような道具が使用されたのは、それが必要な人物だからだと答えるしかない。
そういう器用さ、あるいは不器用さの持ち主なのだ。
年齢は三十代くらいだろうか。町中を歩いていても目立ちそうもない風貌だ。
細身というほどでも長身というほどでもない。目元と口元に薄く化粧を施している。
準礼装から出ている肌は、日焼け止めを塗っているであろうにもかかわらず見事に褐色に焼けている。
そして何よりも、本来ならば軍帽をかぶっているはずの頭には、その辺りの店で売っているような麦わら帽子が乗っている。この上もなく悪目立ちになってしまっていた。
「いやー、仕舞った軍帽取り出すのが面倒でさー」
提督としての威厳など何一つ感じられない態度と口調だが、金剛を始めとする艦娘たちが意に介していない様子を見るに、この鎮守府ではこの光景のほうが日常的なのかもしれない。
「お帰りネ、提督」
「あー、抱きつくのはやめてね。海に落ちたくないから」
提督は近寄ろうとした金剛にそう言いながら、あやすように頭を一撫でする。
「それで? それで? 」
その様子を写真に収めた青葉が口を開いた。
「向こうではどんな話があったんですか? みんな興味津々なんですよ」
「えー」
生返事をする提督の視線の先を追った青葉はそこに、
「これがヨソの大艇ちゃん……あたしの大艇ちゃんはもちろんだけど、こちらもなかなか……」
などとつぶやきながら、恍惚の表情を浮かべて飛行艇に頬ずりしている秋津洲の姿を認めた。
「いや、ちゃんと興味は持ってましたよ。今はそうじゃないだけで」
「えー」
提督と青葉の駄弁りのようなやりとりを聞き流しながら、吹雪は飛行艇の出入り口から顔を出した大淀に声をかけた。
「荷物を取りましょうか? 」
「あ、はい。お願いします」
大淀の降ろした荷物を手に取った吹雪は、小さな声を出しながら船室に運んでいった。
「先に運ぶ荷物はあと二個です」
大淀は、長官艇に乗る誰にともなくそう言ってからつけたした。
「それと、依頼のあった購入品や作戦に使う荷物が、大発動艇一隻分あります」
「ワオ」
金剛が声に出して驚く。
「ところで、どんな作戦なんデスか? 」
「えーと、ねー」
提督はアゴに人差し指をあててしばし沈黙していたが、やがて、
「詳しいことは鎮守府に戻ってからにしよーかー」
と、言ってから不意に大淀を呼んだ。
「終わったら“彼”も降ろしてねー」
「ホワット? 」
金剛の驚く声は、先ほどよりも大きかった。
「えーと、ね。実は帰る途中で出会ったんだけど」
提督の返答が何の説明にもなっていないことは、金剛の表情を見なくても明らかだった。
「まー、それも鎮守府に戻ってからねー」
大淀から渡された荷物を持った提督は、困惑したまま立ちすくんでいる金剛を残したまま船室へと運んでいった。